たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

軽井沢の石尊山でI男はヤバイ、ヤバイを連発していた。

2010年05月17日 | 長野県の山
◎2010年5月15日(土)―I男と

 石尊山という名前の山はどこにでもあるが、軽井沢町(御代田町の山としているガイドもある)にある石尊山は以前から気になっていた山の一つだった。コース上にある「血の池」、「赤滝」は地獄絵図を想起させ、「座禅窟」には修験道の響きがある。これだけでも十分にそそられる山だ。登山口は黒斑山の帰りに確認しておいた。いつか行く機会もあるだろうということだったが、折良く、I男がどこかに連れて行けと言うので、だったら、歩き慣れていないI男には、このくらいの山がちょうどいいだろうと、登るチャンスは意外にも早く訪れた。I男には、事前にネットででも調べておくように伝えてあったのだが、何を勘違いしたのか、持参したコピーを見ると、山頂に鳥居が記されている。そんなはずはないのだがとよく見ると、佐久にある石尊山のコース解説書だった。山を歩きたいと言っても、この程度のレベル。

 登山口には車が3台。5~6台が限度といったところ。到着がもうちょっと遅かったら、やばいところだった。準備していたら、マイクロバスが横付けされ、中から14人の壮年組が下りてきた。地味なりにも人気のある山のようだ。いっしょに歩くのはごめんだから、手間取るI男を駆り立て、出発。7時15分。天気は今のところ晴れている。ただ、南の上空には雲が広がり、これが北に向かって移動してきている。今日は速攻かなと思ったが、雲はいつの間にか消えてしまった。今回、一応、K女にも声はかけた。内心冷や冷やながらに返事を待ったが、即答で不可。ほっとした。K女が同行すると、降水確率が一気に高くなる。今回は男2人で気楽に車泊してやって来た。飲み過ぎで頭が痛い。回復までに時間はかかりそうだ。

(ハイキング道と林道)


 松林の中をずっと行く。ほぼ平坦に近い緩い上り。ずっとこれが続き、景色も変化がなく、次第に飽きてくる。浅間山は木に隠れて全然見えない。登山道はしっかりしていて、標識も随所にある。噴火で飛んできた石(この石を何というのかは知らない。スコリアと言うようだが)がずっと転がっていて、I男はこれに興味を持ったらしく、K女への土産にすると言っては、おもしろい形をした石を採集している。陽が上がり、次第に暑くなってくる。I男は半袖のシャツ1枚になり、いつものように、頭にタオルを巻き付けた。オレはそれほどでもなかったが、I男は汗ダクになっている。先行してあれだけ駆け歩きをしていたらそうなっても不思議はない。

(濁川の流れには勢いがあった)


 林道を3本横切る。4本目で林道を少し歩き、また林に入る。景色も幾分変わってきた。山桜やツツジがチラホラ。シダ類も多くなった。左手下を流れる沢の水は茶色。これが濁川というらしい。その名の示す通り泥川だ。歩き出しからちょうど1時間で「赤滝(血の滝)」の標識。休憩する。ベンチもあって、ちょっとした広場になっている。今日はまだ何も食べていなかったが、汗をかき、二日酔いも消えたら、猛烈に腹が空きだした。ただ、持参の食料はそれぞれウィダーインゼリーとおにぎり2個だけ。先もあるし、ウィダーイン1個で我慢した。血の滝は取りあえず後回しにする。ここで、健脚のオッサンに抜かれる。日常的にここを歩いているかのような歩き方。また林道。ここから傾斜も心持ち急になる。

(仮称・オッパイ山)

(血の池弁財天神社)

(おはぐろ池)


 浅間山が見えてきた。この辺りから、I男が「ヤバイっす」を連発。口癖なのか知らないが、このヤバイには「すごい」といった意味もあるらしい。まず、濁川の水の色、遠望した血の滝の様子、そして接近した浅間山の姿、それぞれにヤバイと表現した。さて、肝心の石尊山がどこにあるのか分からず、しばらくは左手に見えだした2コブ状の山を石尊山とばかり思っていた。実は、来る途中の車の中からこの2コブを見て「瓢箪山、落花生山」と称していたのだが、実際に瓢箪山に近づくと、いつの間にか「オッパイ山」に呼び名も変わってしまった。上から1人下りて来た。防災無線施設を通って「血の池」。ただの赤茶けた湿地。祠があり、「血の池辨財天神社」と記されている。寄進した村の名前が彫られていたが、読み取れたのは「小」と「村」だけ。そして「おはぐろ池」。I男がまたヤバイを言い出す。

(石尊山が現れた)


 さっきから、オッパイ山の下をぐるぐる回っているかのような道になっていて、いったいどっちのピークが石尊山かいまだに不明。そのうちに、オッパイ山からどんどん離れて行き、あれあれっと思っていたら、ようやく、本物の石尊山が正面に現れた。これには全然気付かなかった。オッパイ山にばかり気を取られていた。登山案内板の右手先にロープが張られている。立入禁止になっているが、きっと浅間山に向かうルートであろう。ここまで来たら、登ってみたいとだれしもが思うのではないだろうか。目の前には、意外に低く感じられる浅間山がど~んと控えている。しかし、ここからの標高差はざっと900m。見た目よりはかなりしんどいだろう。遮る物もない砂礫登りは、真夏の炎天下向きかも。

(北アルプス)

(佐久平と八ヶ岳)


 山頂着9時。1時間45分で着いてしまった。あっけない歩きだったが、しばらくは二日酔いのガンガン頭で登ったためか、3時間くらい歩いたような気がする。展望のいい山だ。八ヶ岳と木立の間から北アルプス。妙義山あたりは、その形状から不気味な一塊に見える。佐久平も広がっている。日光の男体山らしき山も見える。富士山は残念ながら見えない。オッパイ山は下。前掛山は今日あたりの好天では混んでいるだろうな。登頂禁止の浅間山の代わりの百名山○の山だからね。そういう意味では、自分も浅間山○印の部類にはなっている。その節、視界がまったく悪く、正面の浅間山本体すら見えなかった。今日の前掛山に人の気配は感じられないのはどういうわけだ。人がいないといえば、さっき、追い抜かれたオッサンの姿がない。山頂にはだれもいない。すでに駐車してあった車3台のうち、1台の所有者らしき方には行き会ったが、残りの2台分の方には会っていない。少なくとも、オレ達が登って来たルートで下ったわけではなさそうだ。おにぎりを1個食べる。残りの1個は下りの途中で食べることにして我慢。

 「座禅窟 追分宿」の標識に従って反対側に下る。カヤトの歩きづらい斜面。滑る。踏み跡はかなり薄い。やはり、登った道を下るのが確かなんだろうな。どの案内を見ても、お薦めしないコースと記されていた。これが2人だからまだいい。こっちだ、あっちだと言い合える。1人で歩いていたら、おそらくは山頂に戻ることになるだろう。そのうち、赤い毛糸を結わえた目印が気になり、これを追って下る。これまでの経験からして、ビニールのヒモかテープが定番なのだが、毛糸は初めて。余計に気になってしまった。道型は散漫。下りきったところが沼地。毛糸が見えなくなった。他の目印も探したが、いずれも×。どこに行けばいいのか迷っていたら、30人くらいの団体さんが50m先を歩いている。そこに出てみたら、登った際に歩いた登山道。結局、座禅窟に真っ直ぐに行けるはずのルートを踏み外してしまった。

 10分ほど歩き、林道に合流。この林道をちょっと歩いてから山道に入っても座禅窟には行ける。サイクリングのオッサンが休んでいた。地元ナンバーのレガシーが駐まっていたが、これは、登りの時にもあった。行き交う林道は、関係者以外は通行禁止のようだから、関係者なのだろうが、何の関係者なのだろう。林業とするには貧弱な山域だが。林道を少し歩いて山道に入る。ここでまた赤い毛糸。この方も、我々と同じような歩きをしたのではあるまいか。そして、すぐにまた見失う。かすかな踏み跡もあちこちに向かっている。トラバース道だから歩きづらい。2人で離れながら踏み跡を追う。ここでI男が「ヤバイ」と言い出したが、これは本来の意味での使い方だろう。彼にとっては、トゲ状の枝をもろにつかんでしまったりして、確かにヤバかったろう。座禅窟は岩場にあることを事前に知っていたから、岩場を探すように言ってあったが、すぐにそれらしき岩場に遭遇。そこに座禅窟があった。

(上の座禅窟)

(下の座禅窟)


 座禅窟には石仏が1基。背中を見ると、元文2年と彫られていた。元文という年号をしばらくはぴんとこなかったが、江戸期のものらしい。後で調べたら、やはり暴れん坊将軍の頃の年号で、わずか6年で終わっていた。この下にも座禅窟があった。こちらは上よりも50年ほど後のようだ。寛政年間。鉄のフェンスの隙間から覗くと石仏が並んでいる。22体。端っこに倒れた石仏があったが、何でこれだけ倒したままでいるのか。それも倒れ方が不自然で、普通は背中が上になるものだが、これはひっくり返ったように、正面を上に向けている。上と下の座禅窟の間には比較的新しそうな、わざとらしく見える石祠があったが、説明板を読むと、これは文化年間の奉納らしい。今度は、しっかりした階段状の坂を下りて林道に出る。ここに案内標示はなかった。

(血の滝)

(血の滝不動尊)


 林道を5分ほど歩いて、登山道に復帰。しばらく下る。次は「血の滝」見物。例の広場にはカップルがちょうど上がって来たところだった。ここからちょっと道を逸れて滝。滝とはいってもたいしたものではなく、登山道にかかった木の渡しの下にある。I男にはヤバイ状態の滝の流れと色。傍らに石窟があり、ここには血の滝不動尊。不動明王が2体。薄暗い時はちょっと恐いかも。さて、広場のベンチで最後のおにぎりを食べるつもりでいたが、カップルがまだ休んでいて、2つあるベンチをそれぞれで占拠している。これではベンチを使えない。仕方なく素通りし、先の林道合流で座って食べる。

(登山口)


 女性の親子らしき2人連れが上がって来た。ちょっと疲れた感じ。「この山は初めてなんですよ」と、この先のコース、えらく心配顔でいろいろと聞いてくる。その後どうしたろう。行き着けただろうか。松林に入ると、すごい物音でびっくりする。すると、ジイサンが2人、棒の先に何やら武器をつけたようなもので、地面をつついていて、その1人が足を踏み外して転げるところだった。何か山菜を採っているようだったので聞いたら、コシアブラだそうだ。袋にはたいした収穫はないようだった。そういえば、座禅窟からの帰りに林道を歩いた折、タラの木をかなり見かけたが、タラの芽はいずれも暴力的な採られ方をしていた。11時25分、登山口に到着。車は4台になっていた。軽井沢の石尊山、地元の方以外にはあまり知られていない山だが、結構、楽しめる山だった。

 帰路、スケートセンター跡地に出来た温泉施設に立ち寄る。そこそこの設備が整い快適な温泉ではあったが、ネットの割引券提示でも900円。やはり軽井沢価格。

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2 コメント

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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-05-19 05:43:57
おはようございます。
やはり渋い山ですかね。目についた団体さんだけで44人はいましたが。
経験の深浅では、ぶなじろうさんにはかないませんよ。人がかなり入っているといった安心感だけで、いい加減な歩き方をしていただけのこと。これが、人気のない山域なら、すぐに戻って、来た道をトボトボ下りますね。
世間での評価は知りませんが、自分には見合った、いい山でした。ただ、もっと変化が欲しかったなぁといったところですかね。
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Unknown (ぶなじろう)
2010-05-18 22:36:07
今晩は。

それにしても、よく渋めの山を見つけますねぇ~。
そして、道にこだわらない歩き方。お一人でも平然と歩かれたのではないかなぁ。おいらは、気が弱いのですぐにドキドキしてしまいます。
すぐに、正しい道に出たり、岩窟をあっさり見つけたり、特殊な嗅覚をお持ちなのかなぁ。長年の経験が、そんなことを可能にさせるのでしょうかね。
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