たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

高薙山はやはり、したたかなヤブ天国の世界だった。

2010年05月29日 | 日光周辺の山
◎2010年5月28日(金)

 高薙山に行きたしと思えども、金田峠や温泉ヶ岳を経由して歩ける気力も体力もない。そういう、ヤブ体験好きでもヤブ祭りだけは敬遠したい浅ヤブ志向向けのコースが西沢金山寺跡から入るルートであろうか。確かにここからだと、一時的なヤブは我慢しても、山王峠先から於呂倶羅山を往復するような感覚で、高薙山を往復できそうだ。あわよくば、金田峠まで下れるかもしれない。こんな甘い誘惑に駆られて行ってみた。その結果は、今のうちひしがれた虚脱感と全身創痍。そして、少々の満足感。実はこのコース、昨年の6月に歩いてみようと出かけたのだが、山王峠の先にある林道治山記念碑から眺めた高薙山の姿が「あんた、登れるなら来てみなよ」と、余りにも高圧的で、自分にはあんな山は無理だとあきらめ、未練がましく、入り口だけは確認して、早々に於呂倶羅山歩きに変更した経緯がある。今度はその威圧感には目をつぶって登ってみよう。といっても、今朝も、同じ展望台から臨む高薙山はやはり手強い高圧的な山にしか見えない。果たして自分に登れるだろうか。

(ここから登った)

(こんなササヤブが続く)


 金山寺跡近くの路肩に車を駐める。今日は車も軽で来たから、邪魔にはならないだろう。7時15分出発。目印の赤テープがある。そしてかすかな踏み跡。その先に小さな石碑が2つ。1つには「圓覺現觀信士」刻まれていた。これは墓碑?いつの時代の物かは不明。尾根に上がる。ヤブの前兆か、ササが繁茂しているが、うるさい程でもない。せいぜい膝下。テープやヒモが程よく目に付き、ルートミスの心配はない。急登。作業道らしき道が横切る。ツツジがちらほら。雪解けが最近なのか、地面は水分をかなり吸収していて滑る。1,650mを過ぎた辺りから、ササも消え、傾斜も緩くなって歩き安くなる。道型もしっかりしている。眺望は樹林帯の中ゆえ悪い。気分のいい歩きも、実はここから標高差100m程度までのことだった。さて、この辺は自衛隊の訓練空域なのだろうか。於呂倶羅山や三岳を歩いている時もそうだったが、いきなりすごいキーンという金属音が上空をかすめた。都合2往復。見上げたが、林の中からは飛行物体の姿も確認できなかった。F何とかだろうが見たかった。

(正面に高薙山)


 意外にあっさりと1,753mピークに到着。8時。ここまで45分。標石が置かれた薄暗い広場。ここから方角が北西から南西に変わる。南の方面に向かうのは何となく違和感がある。山は北に向かうものだという固定観念のせいだろう。ちょっと下って鞍部。これまでと違って明るい。ダケカンバの疎林。正面に高薙山が迫る。ここまで来れば、威圧感もなくなってしまい、ただの山でしかなくなる。大岳に雰囲気が似ている。残雪が出てきた。歩行に支障はない。まだのんびり気分のままでいる。地形図では、1,850m付近から標高線が密になっていて、かなりの急登が予想されるが、特に気にしてもいない。ここまで、手強いヤブも出ていない。

(最初のナギ?)

(ナギの上から)


 次第に倒木が立ちふさがるようになり、迂回も多くなる。相変わらず滑る。滑って鹿フンをつかんだのが2回。シャクナゲが目につくようになる。嫌~な雰囲気。1,900m下あたりから、尾根幅も狭まり、左右は急峻になりだした。同時にシャクナゲが正面に現れるようになった。この辺りから山頂まで、ヤブ地獄らしいことは下調べで知っていたが、やはり始まったか。シャクナゲの枝に取られ、靴紐を結び直しする回数も多くなった。やがて左手にナギ。地形図では、4つのナギがある。標高からして、これは最初のナギだろうか?地形図ではかなり下から始まっているようだが、このナギは尾根直下から続いている。ナギが延びているということか。次第に這い上がり、やがてはこの尾根も浸食されるのではないか。そうなれば、右側も切れ立っているし、歩行も困難になるのが必定だろうな。地図読みが誤っていたら、3、4番目のナギだろう。これから何度も来る山でもないし、まっ、この点はいいか。ここからの景観はいい。金田峠、於呂倶羅山、山王帽子山、太郎山が正面に見える。しばらく、左手・東側の展望は続き、やがて男体山も見えてきた。

(シャクナゲのジャングルが出てきた)


 尾根の右側が次第になだらかで広くなる。ヤセ尾根歩きの恐怖心はようやく薄らいだ。歩き出しから2時間経過している。1,960m付近を歩いている。この、足場の悪い、急な登りが果てしなく続いているかのような錯覚に陥る。いつまで続くのだろう。岩場も出てきた。右に巻けるからまだいいが。標高2,000m辺りから、ようやく傾斜も緩くなり、左の尾根幅も開けてくる。ほっとしたのも束の間。今度は、シャクナゲのヤブが本格的になってきた。かなり手強い。泳いでいるとまではいかないが、先になかなか進まない。これを数回繰り返し、ふと左下を見ると、何ということはない。しっかりした迂回路があるじゃないの。テープまで付いている。狭くて、木の枝が身体にひっかかるものの、シャクナゲ地獄を敢えて歩くよりはまだましだ。この迂回は、きっと、さっきからあったのだろう。気付かなかっただけのような気がする。

(残雪)

(男体山)

(山頂間近)

(そして山頂)


 迂回路の残雪も本格的になり、滑って危ない。ここでアイゼンを付ける。6本爪ながらも、持参して良かった。同時に杖をWで持つ。しばらくは快適な迂回路。残雪はかなり厚い。そして、山頂直下。本尾根に戻る。ここから山頂まではまさにヤブ地獄が続いた。今度はもっとタチが悪くなっている。アイゼンをひっかけ、杖が抜けなくなる。ほうほうの体で山頂に到着したのは10時25分。歩き出しから3時間15分。滑って、転んで、ぶつけての繰り返しで身体中が痛い。脛と膝をかなり打った。しばらく休む。山頂には残雪はない。狭っ苦しい山頂。山名板が4枚ほど。あとは三等三角点があるだけ。展望もない。まったく冴えない山頂。休みながら、さて、これからどうするかということになる。登ったルートを下るのにはかなり抵抗がある。あのヤブには参ったし、下りはもっと滑るだろう。想像以上のヤブ天国だった。金田峠から下りてみよう。そこまでは尾根伝いだし、大丈夫だと思う。金田峠からは古道を下ればいい。今思うと、かなりのノー天気としか言いようがない。冒険心もあったが、実は、金田峠にお目当てにするものもあった。

 コンパスを2,190mピークに合わせて下山。10時40分。いきなりシャクナゲのジャングル。もっとおとなしいと思っていたのは甘かった。ここからはテープやリボンも一気に無くなった。散見する程度。迂回するものの、上り時と違って、あまり歩かれていないから、木の間をくぐるのに手間取る。そして、また残雪。山頂で外したアイゼンをまた付ける。展望がすこぶる悪く、ただ下っているといった感じ。果たしてこの方向でいいのだろうと、岩場を見つけて登ってみると、白根山と温泉ヶ岳が見えた。西南に行くべきところを南下している。ちょっと離れたところに尾根が見える。トラバースしながら戻る。アイゼンに付いた雪はダンゴ状になり、滑って、役に立たない。また杖がひっかかる。背中は小枝だらけでチクチクする。

(行きすぎて白根山)

(湯ノ湖)


 尾根に復帰。赤テープを発見。尾根を忠実に下るか。しかし、シャクナゲを越えると、テープはまた消える。この繰り返し。ようやくヤブから開放され、ピークをいくつか越える。尾根通しに行ってみると、そこには大きな岩。変だなと思った。2,190mピークを気付かずに素通りしてしまったようだ。本来なら、このまま行けば、温泉ヶ岳に向かう尾根になっているのだが、この岩の下は切れている。どこをどう歩いているのだろう。岩に登ってみる。振り返ると、金田峠に向かう尾根が見える。やはり、来すぎていた。温泉ヶ岳に向かうルートの問題が解決されないままに戻る。この時点で11時40分。山頂から1時間経過。

(振り返って高薙山)


 尾根分岐で一休みし、金田峠への尾根に入る。11時55分。電波の気まぐれで、たまにメールが入る。いずれもI男からのメール。絶好調ですか?だの、天気が良くて会社休んで正解でしたね、なんて内容。一々、返信しているような気持ちの大らかさはすでに失われている。目先のことで手一杯だ。その実、シャクナゲに代わり、ササヤブの地獄が始まっている。「まだ生きているよ」と返事をしただけ。ササはかき分けるくらいに猛烈だ。背丈も越えるところもある。残雪がまだあるものの、アイゼンと杖は邪魔な存在になり、ザックに入れる。両手を使えないことにはどうにもならない。かなり急だ。ここで尾根から外れてしまっては路頭に迷う。出来るだけ右側・南側に沿って下る。しかし、この本尾根がヤブ天国で、付かず離れず脇道をといったところ。それでも、何回か外れて、その都度、ササをかき分けては戻る。ササと雪で滑って、ズボンの尻はかなりの泥んこになってしまっている。

(ヤブが続く)


 右手下に刈込湖を臨む。その先には湯ノ湖。2,050mから2,000mにかけて傾斜も緩やかな区間。しかし、ササはどんどん密度を増し、2,000mを過ぎると、歩行に困難をきたすまでになった。ここから、350m一気に刈込湖に下りたら、どんなに楽だろう。於呂倶羅山の時も、金田峠から刈込湖まで下りたし、状況は何となく知っている。ヤブは途中ですぐおとなしくなり、ルートを選べば湖畔までは危険なところもない。しかし、それをやれば、それなりの代償が待っている。山王峠まで歩き、さらに林道を延々と下るわけにもいかない。文句を言わずに下る。13時15分、ようやく1,971mピーク。北側の尾根に入り込まないよう注意が必要。意識して右寄りに行く。

(金田峠から刈込湖)

(シャクナゲの花)


 正面に1,949mピークが見えてきた。ヤブも背丈が低くなり、足下をよく見ると、小径状の窪みがある。遠くからもこの窪みが見えないということは、いかに、人が歩いていないかの証拠とも言えよう。テープも再び散見するようになった。間違ったルートを歩いていないことを知っただけでもほっとした。さて、傾斜もほぼ平坦に近くなり、お目当て探しで慎重に左右を見ながら歩く。そのお目当てとは日光修験道がらみの石祠。金田峠のこちら側手前にあるらしい。それを見ておきたかった。ところが、なかなか石祠に出くわさない。ありそうな感じの木の下のササをかき分けてみたがない。そうしているうちに金田峠に着いてしまった。13時30分。これでは、金田峠経由にした意味がない。苦労が報われない。もう一度戻るかと再びササヤブに入り込んでみたが、反対方向は上りのためか、滑って進まない。なんとも情けなくあきらめ。こんなところ、二度と来ることもないのになぁ。残念無念。おそらく、ササヤブの中でひっそりとしているのだろう。於呂倶羅山の時によく見ておくべきだった。この姿をあざ笑うかのように、シャクナゲが真っ赤な花をつけていた。

(古道)


 木には青と赤のテープが巻かれている。あたりは一面のササ。古道、古道としばらく道探しをしばらくするが、皆目分からない。遠目で見ても、ササヤブにへこんだところがない。取りあえずかき分けて北東に向かう。ササが切れ、ようやく古道らしき道型を発見。ケモノ道の割には幅広い。これだろう。ようやく生きて帰れると胸をなでおろす。ところが、人生、そううまくはいかないのが通常。10分も歩いたら、涸れた沢にぶつかった。沢を渡ると、道は消えていた。戻って、下を見ると、疎林の中、すべてが道のように思えてくる。まして、さっきから、鹿を何頭も見ているし、7頭のグループもいた。あちこちがしっかりと踏み固められていても不思議ではない。ここは迷わず、金田峠で湯川橋にセットしたコンパス通りに行くか。再びササ。古道らしき道が現れては消える。

(沢を下ってみる)


 やがて小尾根にぶつかる。しばらくは、この尾根を下って、標高をかなり下げることにする。さびた空き缶とシートを目にする。自分と同様に迷ったのがいるようだ。下に沢が見えてきた。沢を下る。ここにも比較的に新しい空き缶。沢伝いに下りたらしい靴の跡。ただ、考えてみると、この沢をずっと下るのはやばいんじゃないのかな。滝になっていたり、着いたはいいが、橋までの高さが100mなんて状態ならかなりまずい。大胆にもなれず、適当なところから、緩やかな斜面に取り付く。鹿道を利用して上がる。どこをどう歩いているのかさっぱり分からないが、上に高く見える尾根は於呂倶羅山から北に延びる尾根としか思えない。その山腹を行けば、遠回りながら林道に出られそうな気がする。コンパスは左寄り歩きを提示しているが、ちょっとここを歩いてみよう。鹿らしい骨があった。

(廃道?)

(林道に出る)


 這い上がったところには、広い道型がついていた。先に続いている。これは古道というよりも、林道か治山工事用の道路だったのではないだろうか。落石とヤブで廃道化しているが、車が通れる幅はある。これが正解だった。やはり、於呂倶羅山からの派生尾根の山腹を巻いていた。しばらく歩くと、運良く山王林道に出た。15時12分。峠から1時間45分かかっている。湯川橋のかなり手前のようだ。林道を下る。カーブが多く、たまにショートカットをするが、この林道は急なため、ショートカットもかなり負担のある傾斜になってしまう。ここまで来て転んでケガをしていたら目も当てられないので黙々と林道歩きに徹する。車、バイク計5台と行き交う。湯川橋の脇には工事用道路。おそらく古道を正確に歩ければ、ここに至ったことだろう。そして、橋の真下に川が流れていたが、あの沢をそのまま下っていても、この工事用道路に上がれたのではないだろうか。

 15時50分、金山寺跡に到着。林道歩きは35分だった。出発から8時間35分。結構歩いたなぁ。すぐ脇の法面に、沢水が勢いよく流れている。顔と手を洗おうとしたら、その勢いで、頭から全身、水をかぶってしまった。やれやれだ。今日の歩きを象徴したオチだった。しかしながら、想像以上にすごいヤブ天国のルートだった。過去の少ない経験からしても、六林班峠から法師岳間のヤブ、小法師尾根のヤブもすごかったが、区間の長さ、さらにこれに傾斜が加わった状況においては、今日のヤブは比較の対象がない。すさまじいとしか言いようがない。本当に疲れた。

(付録・山王林道から見えた太郎山)


 どこにも寄らずに家に帰る。家の風呂に入ってみると、全身創痍の状態で、特に腕と膝、スネの打ち身がすごい。彩りも赤、黒、紫と豊富。手にも無数の傷。LLサイズの膏薬を6枚も貼ってしまった。

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2010-05-30 21:08:40
今晩は。

高薙山ですか!
実は、先だって、白根山を敗走した折に、湯の湖畔を散策していたら、高薙山が見えたのですよ。看板に山名が出ていました。その時初めて、高薙山の姿を確認しました。
その時思ったのは、「おいらには無理な山」ということでした。この記事を見て、改めてその感を強くもちましたです。
ブログ繋がりの方が登られたのは、おいらにとっとも大変嬉しいことです。
とりあえず、ご無事でなによりでした。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-05-30 22:48:31
何を気弱なことをおっしゃる。ぶなじろうさんは錫ヶ岳に行きたいんでしょ?私も白桧岳方面からしか行ったことはありませんが、錫の直下のヤブも獰猛ですよ。宿堂坊山方面からにしても同じようですね。
高薙山で下準備したら、とまでは申しませんが、於呂倶羅山を経験されたのだから、高薙山も大丈夫ですよ。
しかしながら、あれから2日経ってもまだ興奮醒めやらぬといった状態なのですが、下りルートにはほとほと参りました。二度とごめんといったところです。
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