たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

28年ぶりの浅間隠山は期待したほどに雪がなくて残念だったが、さすがに浅間山の姿は圧巻だった。

2023年02月25日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2023年2月22日(水)

駐車場(9:30)……浅間隠山山頂(10:45~11:10)……駐車場(12:00)

 東吾妻の山を続けて歩いたら、今度は浅間隠山に行きたくなった。浅間隠山は東吾妻と長野原の町境にある山で、東吾妻からでも行けるが、滝ノ沢不動滝から歩くとなると往路のコースタイムで3時間25分もかかるし、林道歩きが長かったり、沢沿いの歩きになったりするようだ。高崎の倉渕と長野原の境になる二度上峠下の倉渕寄りから登れば往路1時間40分(復路は1時間20分で計3時間)で済む。もちろんここは楽チンコースを選ぶ。浅間隠山には28年前に四人グループで登っている。その時にも同じコースを歩いている。その当時はまだ倉渕村だった。ラッセルまではいかなかったが、山頂直下の積雪が多かった記憶は風景とともに残っている。

(駐車場)


(県道を少し下って登山口)


 二度上峠までの県道は雪やら凍結で気の張る運転になるかと予想していたが、一部に少しばかりの凍結があるだけで、ちょっと拍子抜けだった。二度上峠まで0.9kmの標識のある登山口駐車場には車が3台あり、そのうちの1台は三人組で準備中だった。気温は0℃ほどだが、風がなく、天気も良いので暖かい感じすらする。28年前の積雪は期待できないだろうが、アイゼンだけはザックに入れて出発。今回はチェーンスパイクではなくアイゼンで正解だった。

(溝状の登山道)


(左に浅間隠山が見えている。右手を巻き込んで左に移動する歩きになるようだ)


(ここでアイゼンを装着する)


(標識。右にカーブ)


 石がゴロゴロしたえぐれた感じの登山道を登って行く。薄い雪の上には数人の足跡。傾斜は緩く、ハイカーにはやさしい登山道だ。石が消えると凍結が出てくる。足裏の型が浅くなっている登山靴は滑る。用心してアイゼンを装着した。袋から取り出したアイゼンは、6本爪だと思っていたら10本爪だった。この時は、少し大げさのような気がしたが、チェーンスパイクでは雪が付着したら団子になる可能性もあるので、雪のある凍結路ではアイゼンの方が無難だろう。10本とはいっても軽い安物だ。アイゼンを付けている間に、三人組に抜かれるかと思ったが、下からは声すら聞こえない。この三人組とは、下山時まで会うことはなかった。別に自分が速いわけではなく、向こうには女性も交じっていたからスピードダウンで歩いていたのだろう。

(今日は明るく緩やかな登山道。のんびりと歩いて行く)


 明るい登山道。雪はうっすら。ほどなく左手に山頂は見えてくる。駐車場の標高は1340m。浅間隠山は1757m。標高差はわずか400m少し程に過ぎない。赤城の黒檜ピストンよりも低い。楽といえば楽ではあるが、28年前の記憶はそうでもなかった。ここの登山道、1500mあたりから尾根直登になってはいるが、実際には大回りの巻き道を歩くようになっていて、ちょうど、榛名湖から榛名富士に登る感じだ。これは途中で知ったことだが、尾根直登では植生に影響があるので、それは避けて欲しいといった旨を記した看板を見かけた。とはいっても、周囲の樹々は葉を落とした広葉樹だらけで、植生云々の内訳は今は想像もつかない。この400m、ヤマップあたりでみると、実際の累積標高差は450~460mのようだ。それでも、前半が楽な分、中盤以降は結構きつかった。

(そろそろ急になってきている。向こうから登ってきている)


 登山道は途中でいくつも分岐する。見上げると、先で合流しているのがわかる。一か所だけ、分岐で直進したら、樹にペンキで「急」と記されているのを見かけ、実際はさほどでもなくしばらく先で合流はしたが、帰路は緩い方を行くつもりが、その分岐がわからずに同じ「急」を下っていた。中盤まではこんな感じだ。前にも後ろにもだれも歩いていない。
 汗が流れてきた。取りあえず上着だけは脱いだ。それでも暑い。さらにフリースを脱ぎたかったが、上着を入れたザックにはもう入れるスペースはない。どうせここを下る。木の枝にでもひっかけて登ろうかとまで思ったが、ご親切な後続者にどういう思いをさせ、どう処理されるかわからないので着たままに我慢した。
 平地がしばらく続くと登りになった。次第に傾斜もきつくなる。登山道は部分的に厚く凍結しているところもある。下りで滑ったら危ない。アイゼンにしてよかったようだ。ストック先もゴムをあてたままだと滑る。ゴムは外した。このゴムカバー、自然やら登山道保護が目的らしいが、夏道で外したところで、どれだけの損傷を与えるものやら、正直のところ疑わしいと思っている。

(半袖の方に抜かれた。こちらは立ち止まっては休むを繰り返している)


(ここもまたえぐれた道が続いている。このまま尾根歩きかと思うと、巻いたりする)


(左に浅間山が見えた)


(ガチンコの凍結)


(ツララを見たりして)


 立ち休みを続けながら登って行くと、下から人の気配がした。単独のオッサンだった。先に行ってもらったが、その方の格好は半袖。荷物は水筒らしきものだけ。ストックなし。靴にはチェーンスパイク。おそらく頻繁に浅間隠山を登って精通しているのだろう。たまに立ち休みはしているが、5分もせずに視界から消えた。軽装だから楽…というのは理屈にもならない。半袖はともかく、自分が水筒だけで登ったとしても、息切れだけはどうにもなるまい。

(ようやくここまで来たといった感じ。ここからは西に向かう。幾分、楽になる)


(これで見ると、まだかいなと思うが、実際は、ここまでよりも楽だった)


 ようやく東西をつなぐ稜線に出た。すでに汗だくだ。左・西に向かうと山頂だ。記憶では、この辺から傾斜は和らぎ、雪が増えたような気がする。確かに傾斜は緩くなり、山頂は近くなっている。ただ、雪はそれほどでもない。地肌が出ているところもある。風の強い日が続いたから飛ばされたのかもしれない。ここの風景がかすかに蘇る。
 一眼レフを持って風景を撮っているオッサンがいた。その時は、身体の向きからして下りかと思った。半袖のオッサンが早々に下って行った。

(深雪に見えるが、ただの吹き溜まりで、足首までもいかない)


(〇囲みは富士山だが、それよりも右下の鼻曲山のインパクトが強く、ここから、そんなに近くにあったのかと改めて思った)


(その〇囲みをアップで撮ってみた)


(まだ山頂ではない。浅間山がくっきりと眼前に見えた。左下奥に見えている山並みの中に中央アルプスの木曽駒があるようだ)


 すぐそこが山頂というところで左手・南側の風景が一気に開けた。南アルプスや八ヶ岳、そして富士山も小さく見えたが、それよりも、間近の奇異な姿をした大きな鼻曲山が気になった。鼻曲山には40年近く前に行っている。その時は霧積温泉から登った。コースはそれしか知らなかった。この時点でも、二度上峠から行けるとは思ってもいない。

(すでに山頂に着き、北側の光景を眺めている)


(左に続いている)


(手前に榛名、奥に白い赤城はわかる)


(ここが何でかわからない。右から袈裟丸、皇海、男体、女峰、日光白根となっている)


(おかしくなった方向感覚を直そうと、山頂写真を撮った。実は、これでも、何で黒斑山は浅間の右なのだろうかと思っている)


 山頂には二人連れがいた。おかしなことを思った。これで駐車場の台数は合う。二人連れは休憩が終わって、というよりもオレが登って来たからか下って行った。山頂に一人だけになった。先ずは浅間山をバックにセルフを撮ったが、後で見ると、目を閉じていた。失敗。
 こんなに浅間山が正面に大きく見えるのも浅間隠山ならばこそか。右側には黒斑山が見えている。積雪期に何回か足を運んだが、ここのところご無沙汰だ。果たして今の体力では難行だろう。その右奥には北アルプスの山並み。全容は見えない。木立が邪魔をする。反対側の北側の風景も開けている。榛名とその奥の赤城はわかる。さらに奥がどうもわからない。山の形からして、右(東側)から袈裟丸、皇海、男体、日光白根であることに間違いはあるまいが、いつも眺める並びは左から袈裟丸、皇海、日光白根、男体だから、ここからでは逆に見えている。それでいて、日光白根の左に武尊、燧と続いているのは納得できる。ちょっとばかり頭が混乱する。置かれた展望盤もまた頭の中の並びとは逆の配置だ。そういえば、黒斑もまた、浅間の右ではなく左側の配置で覚えている。

(日光白根の延長を少し大きくして。これは谷川岳方面、草津白根となる)


(今日の主役はこれなのだが、北側の山の並びが気になってしょうがない)


(横倒しの三角点標石)


(こちらはぎりぎりに見えた西側。北アルプスかと思う)


(南側は陽が上っている関係でよくわからないが、南アルプス、八ヶ岳だろう。右端が蓼科山であることくらいはわかる)


(やはり鼻曲山が気になった)


 首を傾げ、山並みを頭の中で整理しながら眺めていると、男性が登って来た。さっきのカメラマンだ。下りとばかりに思っていた。この辺の山は初めてということだったので、聞かれるままに、知っている範囲で山の名前を教えてやった。
 山頂には三角点標石があるはず。探したが、ようやく見つけた標石は横倒しになっていて、さっきまでいた二人連れが腰掛けにしていた。起こそうとしたがビクともしなかった。山頂そのものは広くはないが、東吾妻に下るルートを見ておこう。標識に合わせて西側に行ってみると、一人分往復のトレースがあった。ただ、この小さな足のトレースは怪しい。途中止まりのキジ場トレースなのかもしれない。山頂には他に大きな石祠もあった。これには子孫繁栄、交通安全、祝古希壽、渡米記念と記されていて、昭和四十六年建立ともあるから、神社とか神様関係のものではない個人的なものだろうか。
 腹を少しは満たそうと羊羹を食べたらむせた。同時に食欲は消えた。今回の山行は何となく変だった。途中からやたらと涙が出た。目のかゆみとか充血はない。くしゃみもない。これまで花粉症には縁がなかった。この涙が花粉症の症状だとすれば、これ以上の症状が出たら困ったことになる。涙は翌日も続いた。写真撮りに夢中なオッサンに声をかけて下る。

(下る)


(下から撮った。きつい登り部分を上がって行くハイカーを見ながら、ご苦労さんと言いたいほどだった)


 下りは安泰というわけでもなく、稜線からの下りはかなり気を遣った。登りでは気づかなかった厚い凍結が下りではやたらに目に付く。やはりアイゼンにしてよかったと改めて思う。
 この坂道を下る間に6人ほどと出会った。その中の3人は駐車場で準備していた方々だろう。みんな、ゼーゼーと登っていた。急坂を下り、普通の傾斜下りになった。登山口までは間もない。ここで、先行して下った二人連れに先を譲られた。下りとはいえ、こんなのは久しぶりの風景だ。

(楽な下りになる)


(この標識、左は二度上峠で、右は北軽井沢となっていた。北軽井沢側の踏み跡はうっすらとしたものだったが、北軽のどこに出るのか気になった。おそらくは、山道ではなく、ほどなく県道に出るのではないだろうか)


 もう登って来るハイカーはいない。傾斜も楽で、のんびりと歩いている。そんなところに、今日は何かをし忘れているような気がした。腹具合のことだ。東吾妻の山で2回続いていた。今日の胃腸にまったくその動きというかあがきがない。むしろ、あれっ、今日はどうしたの? といった気分にすらなった。家を出てからの2時間半近い運転で、さすがに小だけは我慢できず、コンビニでタバコを買ってトイレに入った。後は、山中で前後にだれもいないのを確認して立って済ませている。小ではない方は中毒になるかと心配していたが、気配もないままにそういえばと気づいた。出発時の登山口ではその思いもあって、斜面は広そうだし、人目にはつかないだろうと気にもかけていた。別に義務的感覚で、無理して山中で済ませなきゃいけないわけでもない。

(登りでは気づきもしなかった「出口」。確かに出口だろうが、せめて「登山口」にすればよかったのにと思う。この「出口」は何か所かで見た)


(そろそろ終点のようだ)


(歩きづらくなって、アイゼンは外した)


(登山口に出た)


(駐車場が峠かと思ったが、峠はまだ先のようだ)


 石ころが出てきてアイゼンは外した。登山口に出て駐車場に向かう。駐車場には自分の車を含めて7台あった。前後した半袖歩きのオッサンのを含めれば8台はあったことになろうか。着替えをしてタバコをふかす。おいしく感じた。二人連れが戻って来た。隣の車だった。あわててタバコをもみ消した。
 帰路の運転で、どうもすっきりした気分になれない。何かを忘れている。はまゆう山荘を過ぎてからようやく思い出した。峠の近くに駒髪山という山があって、短時間で往復できそうなので、余裕があったらそこにも登るつもりでいた。今日は帰宅してから、別の車のリコール作業の予約をしている。今さら戻って駒髪山に登っても予約時間には間に合わない。
 帰ってから、撮った写真を見ながら『山と高原地図』を確認すると、鼻曲山は二度上峠からも登れることを今さらながらに知った。いずれ鼻曲山も含めて駒髪山も登ってみることにしよう。ただ、高崎市のはずれとはいっても、高崎自体が吸収合併で大きくなり、外れもまた遠い。雪のあるうちにとはいってもいつになることやら。

コメント    この記事についてブログを書く
« 再び東吾妻の山へ。芦鞍山(... | トップ | 鼻曲山。とはいっても越生町... »

コメントを投稿

近所じゃない群馬県の山」カテゴリの最新記事