◎2007年1月28日(日)―1人
週末は天気が良好な様子。週中に木を赤城山スノーシューツァーに誘ったが、にべもなく断わられた。業界の会議と飲み会だそうな。土建業界はさっさと景気回復で活気づいているらしい。仕方なく一人で行くつもりでいたが、土日連続で子供の部活の送迎が入ってしまった。もっとも、金曜日の夜はこっちも関係業者主催の新年会があり、帰り着いたのは1時半。二日酔いだったから、送迎が無かったとしても、土曜日の山行は無理だったろう。
土曜日に送迎の合間にイソクリニックに行って、各種のマッサージ機のお世話になったためか、身体も軽くなったような気がする。主治医のイソ先生の暗示にかかったのか、頭も多少は軽くなったようだ。先生のような奇行が目につくようなことがなければいいが。昨日と違って体調も良好だから、足利への送迎の合間に行ける山で、行ったことのない山をさがしてみたら、佐野の唐沢山くらいしかなかった。別に唐沢山シリーズを追っているわけではないが、北関東には唐沢山が多すぎる。佐野の唐沢山には行ったことがない。昨年の7月に諏訪岳に行った時に唐沢山まで足を伸ばすつもりだったが、梅雨時のうっとうしさで、さっさと帰ってきてしまった。今日はハイキングだから唐沢山だけでも十分としよう。
村檜神社から歩いてみることにした。この神社は由緒ある神社のようで、国の重要文化財の指定を受けている。神社を見るのも楽しみの一つにしていたが、あいにく社殿は工事中で、グルリと足場が築かれていた。いささか興ざめ。裏手から山に入る。この道は「関東ふれあいの道」の一部になっていて、道も完備されている。手頃なハイキングルートだ。登り始めは8時30分。京路戸峠まで1.4kmとある。だれも歩いていない。熊や猪が出る心配もない山域。京路戸峠まで30分で着いた。前回は反対側から峠に来て諏訪岳に向かった。あの時は梅雨時でクモの巣と湿気でイヤな思いをしたためか、諏訪岳の印象は悪い。峠までの途中、諏訪岳への入口があったが、今回はとりあえずパス。
栃木の山歩きの本を読んでいたら、唐沢山神社から峠まで30分で来た人とすれ違った話が載っていた。表示では2.9kmとなっている。いくら何でも30分では無理だろう。結構、アップダウンもあるし。走れば可能かもしれないが。気持ちの良い歩きが続く。寒くない。むしろ暖かくて汗ばんでくる。風も無い。途中、見晴休憩所で一服。備え付けの灰皿は紙コップやらガムの包装紙で山盛りになっていた。
ここ辺りから山腹を巻く林道と交叉するようになるが、車は通っていない。人を見かけるようになる。唐沢山神社からこっちに足を伸ばしてくる人も多いのだろう。トレーニングで走っている人とすれ違う。こういう人なら、30分どころか20分で峠まで行っちゃうだろうな。神社に到着。だれもいない。ここまで峠から休憩付きで50分かかった。しばし神社を見学。賽銭を20円入れるつもりで、間違って110円入れてしまった。その分御利益があればいいが。展望台のようなところに出た。天気の良い日はここから東京の高層ビルが見えると書いてあった。今日は晴天ながら霞がかかっているので男体山すら鮮明に見えない。日光白根界隈の雪の白さだけが目立つ。あたりの周囲の景色を見ながら、どうも、ここには過去に来たような気がする。いつだろうか。友達の実家が岩舟にあり、ドライブがてら遊びに来た時だったろうか。もう30年も前の話。山歩きの趣味は無く、百名山といったら筑波山に車で行ったことがある程度。しかし、足利あたりの奥の山に行っても、そこにある神社の周辺の景色は似たりよったりだし、どうも釈然としない。唐沢山の山頂はどこにあるのだろうか。神社そのものが山頂になっているのだろうか。
来た道を戻るが、裾野を巻くふれあいルートをそのまま帰るのではおもしろ味がないので、いくつかのピークの分岐では道をそれてピークを目指してみた。その中の一つに、京路戸山と表示された山があった。峠の名前だけかと思っていたら、山そのものもある。石祠がある。安政年間の建立。ここから反対方向に下ってみたら、尾根からどんどん外れて行きそうだったので戻ってしまった。上りにかなり体力を消費。えらく汗をかく。
ふれあいルートには結構、人が入りはじめたようだ。6人と出会う。峠では犬連れの太ったオッサンが汗をぬぐっていた。時間も余裕があるので諏訪岳にまた登ってみることにした。去年とは天気のせいで気分も滅入ってはいない。程よい登りで山頂に着く。また表示板が増えたようだが、やはり何の変哲もないピークであることに変わりはない。反対側に踏み跡があったので、そこから下山。かなり急。枯葉のせいで足が滑る。しかし、ものの10分程度でふれあい道と合流。この下りでオッサンが登ってくるのに行き会ったが、荷物は何ももたないのに、靴だけはまさにガチンコの真新しい登山靴。「急ですね~」なんて言っていたけど、その前に、その足をもう少し軽くしたら、と言ってやりたかった。足慣らしでもしていたのだろうか。また石祠があった。これは弘化年間もの。右に大滋寺という寺に向かう道があった。その時は村檜神社の隣の寺といった認識でしかなかったが、後で調べたら、かなりの古刹らしい。行基、小野小町、最澄、円仁、一遍、……。いろいろな高僧や著名人が関わった寺だそうだ。行ってみれば良かった。
村檜神社に到着。少しばかり周囲を歩いてみた。「七水 石清水」というのが神社の裏にあったが、水は出ていない。水たまりがあったので覗いてみたら、カエルの卵が浮いていた。汚い清水だねぇ。車は2台増えていた。いい3時間のハイキングだったが、絶えず車の音がうるさかった。それもそのはず、間近に東北道が通っていた。帰り道、ダンプがはね飛ばした小石が車のフロントガラスにあたって、くぼみができてしまった。二つの神社、合わせて123円賽銭のご利益はこんなものだったのかね。
週末は天気が良好な様子。週中に木を赤城山スノーシューツァーに誘ったが、にべもなく断わられた。業界の会議と飲み会だそうな。土建業界はさっさと景気回復で活気づいているらしい。仕方なく一人で行くつもりでいたが、土日連続で子供の部活の送迎が入ってしまった。もっとも、金曜日の夜はこっちも関係業者主催の新年会があり、帰り着いたのは1時半。二日酔いだったから、送迎が無かったとしても、土曜日の山行は無理だったろう。
土曜日に送迎の合間にイソクリニックに行って、各種のマッサージ機のお世話になったためか、身体も軽くなったような気がする。主治医のイソ先生の暗示にかかったのか、頭も多少は軽くなったようだ。先生のような奇行が目につくようなことがなければいいが。昨日と違って体調も良好だから、足利への送迎の合間に行ける山で、行ったことのない山をさがしてみたら、佐野の唐沢山くらいしかなかった。別に唐沢山シリーズを追っているわけではないが、北関東には唐沢山が多すぎる。佐野の唐沢山には行ったことがない。昨年の7月に諏訪岳に行った時に唐沢山まで足を伸ばすつもりだったが、梅雨時のうっとうしさで、さっさと帰ってきてしまった。今日はハイキングだから唐沢山だけでも十分としよう。
村檜神社から歩いてみることにした。この神社は由緒ある神社のようで、国の重要文化財の指定を受けている。神社を見るのも楽しみの一つにしていたが、あいにく社殿は工事中で、グルリと足場が築かれていた。いささか興ざめ。裏手から山に入る。この道は「関東ふれあいの道」の一部になっていて、道も完備されている。手頃なハイキングルートだ。登り始めは8時30分。京路戸峠まで1.4kmとある。だれも歩いていない。熊や猪が出る心配もない山域。京路戸峠まで30分で着いた。前回は反対側から峠に来て諏訪岳に向かった。あの時は梅雨時でクモの巣と湿気でイヤな思いをしたためか、諏訪岳の印象は悪い。峠までの途中、諏訪岳への入口があったが、今回はとりあえずパス。
栃木の山歩きの本を読んでいたら、唐沢山神社から峠まで30分で来た人とすれ違った話が載っていた。表示では2.9kmとなっている。いくら何でも30分では無理だろう。結構、アップダウンもあるし。走れば可能かもしれないが。気持ちの良い歩きが続く。寒くない。むしろ暖かくて汗ばんでくる。風も無い。途中、見晴休憩所で一服。備え付けの灰皿は紙コップやらガムの包装紙で山盛りになっていた。
ここ辺りから山腹を巻く林道と交叉するようになるが、車は通っていない。人を見かけるようになる。唐沢山神社からこっちに足を伸ばしてくる人も多いのだろう。トレーニングで走っている人とすれ違う。こういう人なら、30分どころか20分で峠まで行っちゃうだろうな。神社に到着。だれもいない。ここまで峠から休憩付きで50分かかった。しばし神社を見学。賽銭を20円入れるつもりで、間違って110円入れてしまった。その分御利益があればいいが。展望台のようなところに出た。天気の良い日はここから東京の高層ビルが見えると書いてあった。今日は晴天ながら霞がかかっているので男体山すら鮮明に見えない。日光白根界隈の雪の白さだけが目立つ。あたりの周囲の景色を見ながら、どうも、ここには過去に来たような気がする。いつだろうか。友達の実家が岩舟にあり、ドライブがてら遊びに来た時だったろうか。もう30年も前の話。山歩きの趣味は無く、百名山といったら筑波山に車で行ったことがある程度。しかし、足利あたりの奥の山に行っても、そこにある神社の周辺の景色は似たりよったりだし、どうも釈然としない。唐沢山の山頂はどこにあるのだろうか。神社そのものが山頂になっているのだろうか。
来た道を戻るが、裾野を巻くふれあいルートをそのまま帰るのではおもしろ味がないので、いくつかのピークの分岐では道をそれてピークを目指してみた。その中の一つに、京路戸山と表示された山があった。峠の名前だけかと思っていたら、山そのものもある。石祠がある。安政年間の建立。ここから反対方向に下ってみたら、尾根からどんどん外れて行きそうだったので戻ってしまった。上りにかなり体力を消費。えらく汗をかく。
ふれあいルートには結構、人が入りはじめたようだ。6人と出会う。峠では犬連れの太ったオッサンが汗をぬぐっていた。時間も余裕があるので諏訪岳にまた登ってみることにした。去年とは天気のせいで気分も滅入ってはいない。程よい登りで山頂に着く。また表示板が増えたようだが、やはり何の変哲もないピークであることに変わりはない。反対側に踏み跡があったので、そこから下山。かなり急。枯葉のせいで足が滑る。しかし、ものの10分程度でふれあい道と合流。この下りでオッサンが登ってくるのに行き会ったが、荷物は何ももたないのに、靴だけはまさにガチンコの真新しい登山靴。「急ですね~」なんて言っていたけど、その前に、その足をもう少し軽くしたら、と言ってやりたかった。足慣らしでもしていたのだろうか。また石祠があった。これは弘化年間もの。右に大滋寺という寺に向かう道があった。その時は村檜神社の隣の寺といった認識でしかなかったが、後で調べたら、かなりの古刹らしい。行基、小野小町、最澄、円仁、一遍、……。いろいろな高僧や著名人が関わった寺だそうだ。行ってみれば良かった。
村檜神社に到着。少しばかり周囲を歩いてみた。「七水 石清水」というのが神社の裏にあったが、水は出ていない。水たまりがあったので覗いてみたら、カエルの卵が浮いていた。汚い清水だねぇ。車は2台増えていた。いい3時間のハイキングだったが、絶えず車の音がうるさかった。それもそのはず、間近に東北道が通っていた。帰り道、ダンプがはね飛ばした小石が車のフロントガラスにあたって、くぼみができてしまった。二つの神社、合わせて123円賽銭のご利益はこんなものだったのかね。
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