たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

笠間・宍戸アルプスの一角を歩いてみたが、金毘羅山先のヤブには絶叫したくなってしまった。

2019年01月02日 | 茨城県の山
◎2018年12月30日(日)

羽梨山神社駐車場(8:30)……館岸山(9:24~9:33)……340m級台地(9:56)……383.1m三角点・加賀田山?(10-:09~10:15)……加賀田山?(10:21~10:29)……364.4m三角点・御殿山(11:02~11:11)……林道歩き開始(11:31)……小尾根に取り付く(12:30)……金毘羅山(12:55~13:13)……340m台地(14:04~14:15)……館岸山(14:32)……神社(15:06)

 先日、吾国山から難台山に向かう途中で、こじんまりした、自分には好み気な地味尾根の姿が目に入った。瀑泉さんのコメントによると、宍戸アルプスと言うらしい。以来、宍戸アルプスの記事をいろいろと調べた。それだけでは不足と、『笠間・桜川市』の都市地図まで買い込んだ。茨城の地理感覚はかなり疎いので山の位置関係の理解には十分に役立った。だが、何で「宍戸」アルプスと呼ぶのか。水戸線の宍戸駅からはかなり離れているし、アルプス自体、どこからどこまでのエリアなのかとんとわからないままだった(今でも同じ)。
 ということで、これなら代表的だろうと思われる館岸山、加賀田山を歩くことにする。本当はさらに西に位置する北山(373.7m三角点)なる山まで行きたいが、そうなれば先は車道歩きが必須になる。これは避けたい。さりとてピストンではおもしろくない。難台山まで行き、登り残した愛宕山というプランもちらりと浮かんだが、車道はご勘弁だ。せいぜい御殿山から戻って、北側の林道歩き。その後は石倉山と金毘羅山に登って、改めて館岸山経由で戻るというのはどうだろう。あっけなさそうだが、林道歩きの方がまだましだ。
 問題は駐車地。ぶなじろうさんが「ここに駐車してもいいんですか?」と疑心暗鬼に通りがかりの方に尋ねたらしい羽梨山神社の前かフラワーヒルはなぞの。コースの出だしもそれによって変わってくる。考えてみれば、羽梨山神社とて初詣の準備があって、氏子やら隣組が大忙しで車が置けないのではないのかと懸念した。ダメならフラワーヒルにしようと出かけたが、神社前には人の姿すら見えなかった。神社から出発する。神社の看板に延喜式がどうこうと記されているのがチラリと見えた。由緒ある神社なのだろう。探索は帰ってからにしよう。出発時点での予測タイムは休憩込みの5時間。結果として、これを大幅に上回るタイムとなってしまった。

(取りあえず向こうに歩いてみる)


 北に向かうべきところを、身体は南を向いていた。太陽の方向からしてあれっと思い、逆向きにして歩いた。ナビで神社までやって来たが、おそらくこちらから入るのだろうと思っていた方向とは逆に導かれ、ナビに見放されてからグルグルと神社を探し回っていた。その時の方向感覚の乱れが尾を引いている。

(ようやく出てきた標識)


(こんな道が通ってはいるが、標識にこだわらなければどこからでも登れるようだ)


 案内看板を見ないままに、館岸山方面に向かう。標識が出てこない。大回りしながら山道に入ると、ようやく<館岸山新ハイキング>の標識に出会った。正解だったようだが、この「新」とは何だろう。「旧」はどこにあるのか。そして、その下には「館岸希望の広場を経て館岸城址へ」とあった。その「希望の広場」を往路、復路ともに見ることはなかった。

(丹念に読んでいたら歩みも止まってしまう)


(実は確証もなく何となく歩いている)


 ここからやたらと標識が増える。館岸山、館岸城のことをもっと知って欲しいという好事家、もしくは地元のバックアップがあって置かれたのだろうが、長文の解説板も多く、じっくり読んでいると時間もかかるし、さらに肝心なコース案内標識はあっさりし過ぎていたり、表記が紛らわしかったりで、正直のところ、自分のような単純な頭では混乱し、往路時にのんびりやっていられない余計な歩きまでしてしまう。予定では城跡を見物して館岸山に登れればよかっただけのことが、水場跡に紛れ込み、結局、城跡は見ずに「虎口」なる裏側から登ってしまった。ここはまだご愛嬌の余裕もあり、城跡は帰路に見ればいいやとなったが、看板、案内板の類は、館岸山を過ぎると、必要外のものはピタっとなくなった。余談だが、歩きながら、虎口の虎とは十二支の虎のことだろうから、北を子とすれば南は午、虎は北東なのかなと頭に方位盤を置いたりする。

(水場跡)


 あっという間に館岸山といった感じだが、出発から一時間近く経っていた。植林の中の歩きが続き、城跡の一角とはいっても、看板がなければ通り過ぎてしまう。寄り道までして見に行った「水場跡」はただの湿地で、解説板を読んでいる時間の方が長かった。城跡も、素人にもわかる明瞭な跡形がなければ、見ていても何も感じない。まして、ここにあった城は700年も前のものだ。

(実に長い案内板)


(堀切跡かとは思うが)


(波石。なぜか帰路では見ていない)


 何だか複雑な道のりだった。幅の広い作業道のようなところから踏み跡に入り込んだり、間違って歩いているのかと思うと忽然と標識が出てきたり、とにかく地図やGPSをあてにして歩いてもあまり役に立たない。さりとて、標識を頼りにしても、見落として通過すべきスポットが気づかずにすでに過ぎていたりする。

(館岸山山頂)


 館岸山の山頂は何の変哲もない木立の中の小ピークだ。加賀田山のある東西の稜線を宍戸アルプスというなら、その稜線に南側から至る尾根の途中にある。展望はない。菓子パンを食べ、一服する気分にもなれず、どうせここに戻るのだからとザックを背負ったら、これから向かう方向からトレランのオニイサンがやって来た。こちらが先に下りかけるとすぐに追い抜かれたから、日常的にこの辺を走って回っているのだろう。今日出会った唯一の人だった。

(館岸山を過ぎてもこんな作業道が目に入る。半端な感じがしないでもない)


(340mスポット。帰路は金毘羅山からここに戻る)


 地図で明瞭な尾根は東の金毘羅山から続く尾根だ。この先340m標高あたりで合流する。植林の中の歩きは続く。台地状のところに出た。340m。ここまでもまた幅広の作業道を横切ったりしている。相変わらず植林で薄暗い。三方向に向いた標識があり、字はかすれてはいるが、東方向は「金毘羅山」と読めなくもない。ここに迂回して戻ればいいんだなと確認して先に行く。薄暗い中の歩きからさっさと解放されたい気分が強くなっている。今年最後の歩きとしては、どうも気分がすっきりしない状態だ。

(ようやく陽が入り込む)


(加賀田山?)


(山頂はその上のここかと思っていたけど…)


 植林もようやく疎林になり、隙間からの陽射しが明るくなってくる。植林もいずれは切れてくれるだろうなと期待して緩い尾根を登って行くと、右手に「加賀田山 三角点383.1m」の標識が出てきた。標識は三角点標石にくっついて立てられている。あれっ、自分の地図には、加賀田山は次の小ピーク410m標高に書き込んできている。それはネット情報によるものだが、ここが加賀田山なのか。
 この山名板は素材がユニークで、裏を見ると、三輪素麺の箱フタを使っている。オレだったら、せめてそのラベルをタワシでこすって落とすけどなと思ったりしたが、こんな板切れにマジック書きだけでニスを塗るわけでもなく、意外に長持ちするんだなと感心する。ヘタに手間をかけた山名板が自然には弱いのだろうか。
 そんなことはともかく、三角点は確認したことだしと、先に行って410m。世間でいう加賀田山の山頂はここのはずだが、山名板はない。ただの素っ気ない小ピーク。通りすがりの路地といったところだが、ここを加賀田山山頂のつもりで不安定な木株に腰かけて一服する。展望はない。地図を広げる。この先の御殿山で折り返しというのもあっさり過ぎだ。せめて373.7m三角点の北山まで行ってもいいかなと思ったが、その間に実線路と破線路が入り乱れで入り込んでいる。等高線を見ると、110m下りの120m登り返しだ。戻るとなると繰り返しになって都合230mの登りになる。そこまですることもないか。予定通りに御殿山で引き返そう。
 そう決めたのも、ここまで期待したアルプス感はなく、これまでの延長ならあまり面白みもないなと予想したからだ。実際はどうだったのか。山旅DIARY氏のブログを拝見する限りは、やはりすっきりと難台山を望めるスポットは期待できないようだ。

(ここは自分の足では難所の下りだった)


 周囲の景色しか見えない淡々とした歩きになる。緩い傾斜を下って登る。「十條」(?)と記された石標を見る。近辺にそんな地名はない。
 やばい下りが待っていた。ここは長い。土が凍っていないだけでも少しは安心だが、かなり神経を使う。雑木をつかみながら下ろうとしたが、木の間隔が長く手を添えるくらいの役立ちだ。ストックを出して慎重に下る。ここで左足が支えになってしまうような転び方をしたらかなりまずい。
 ヨチヨチ歩きで鞍部。振り返って見上げると、ここは登り返しになりたくはないなぁ。下りよりも安全なことは確かだが、ちょっとしんどい登りになりそうだ。

(難台山だろう)


(こちらは加賀田山か)


 意味不明な標石が続き、ヒノキの植林には私有林らしい、白ペンキのマークが出てくる。左には樹間から難台山。振り返ると、あれは加賀田山だろうか。少し登ると平らなところに出る。地図を確認。ここから北に林道に下れるはずだ。10mほど下を林道が通っているはずだが、奥に様子を見に行っても、林道は見えていない。まぁいい。御殿山まではもう少しだ。
 ずっと宍戸アルプスの核心部らしきところを歩いているが、歩きは植林と自然林が混在した間にある回廊のようなところを歩いている。陽はあたってはいるが、アルプスの名前負けの印象が強く、こんなところをダラダラと歩いていたくないものだという思いが募ってきている。

(御殿山)


(お隠れあそばした三角点標石)


 再び軽い登り。「加賀田山へ至る」の標識を見て御殿山っぽい台地に出た。山名板はない。取り急ぎ三角点標石を探す。うろうろしてようやく見つけた。落葉の中に隠れていた。落葉を払って写真撮り。

 さてと、ここまで来たら引き返しだ。この先にもう用はない。無理に用事をつくって230m登りではかなわない。それほどの価値もない気がする。決してここは瀑泉さんにお薦めいただいたわけでもないのだ。自分が気になった尾根が宍戸アルプスだと教示いただいただけのことで、ここで瀑泉さんを責めるのはお門違いに等しい(笑)。自己責任で歩いている。
 一服して戻る。どうも今日はタバコの回数が多い。標高は低くとも、かなり負担のかかる歩きをしている。家に帰って累積標高差を調べてみると、こんな低山エリアでも累積標高差+は950mにもなっていた。

(林道に向けての下り)


(林道から。こんなところを下って来た)


 先ほどの平らなところから北東に向けて下る。最初のうちはよかったが、いきなり急角度になった。植林の中だ。さもありなんだが、つんのめりそうになるのをこらえ、ヒノキに抱きついて下る。下に道のようなものが見えた。そこに行き着くのがまた大変そうで、足元の真下は見えていない。踏み跡らしきものを見つけ、迂回しながら斜めに着地。すんでのところで腰で滑り落ちそうになった。見上げると、これはいくらなんでもなぁといった傾斜だ。

(林道歩き)


 もう、今日の困難はここが最初で最後だろう。快適とは言えないが、長い林道歩きの先は消化試合と思っている。林道を歩き出し、右手を見上げて愕然とした。下った平ら位置の先の鞍部から易々と林道に下りることができたじゃないか。それも緩やかに。まさにここが10m。林道との間に段差もない。何とバカげたことをしてしまったのだろう。まぁこんなものだ。早いとこ忘れようと思いながらもこうして書いている。忘れはしない。

 長い林道歩き一時間。林道は崩壊してはいない。タイヤ痕もあって現役のようだ。舗装はされていない。この林道は「南山内林道」というらしい。あちこちにある掲示板によると、周囲は民有林と国有林が混在している。ヒノキと杉。
 歩きながら、予定としてこの先は石倉山に登ってから金毘羅山だったが、石倉山に行くのが面倒になってきた。標高は127m。どうせたいした山ではないだろう。その先はゴルフ場だ。やめっか。余計な歩きはしたくなくなっている。
 林道の右に沢が流れているようだ。そして、路面もまたところどころで濡れるようになった。こんな林道でも、普通なら見通しの悪いカーブの先にクマがいるかもと身構えるものだが、茨城と千葉には高山がないからクマがいないという通説がある。そんなこともあって、気楽に大手を振って歩けるのは何よりだ。

(林道ゲート)


 林道ゲートを越える。金毘羅山には破線路尾根経由で登るつもりでいたが、地図を見ると、その手前に南に向かう実線がある。ここを行けやしないかと思ったが、実線は途中で切れ、その先は沢状になっている。念のため実線路分岐にさしかかって覗いたが、ここよりも狭い作業道まがいの林道だった。

(ここから登れそうだ)


(荒れた破線路に合流)


 できるだけショートカットして破線路尾根に乗りたいと思い、踏み跡のようなものを見つけて右手に上がってみる。踏み跡はすぐに消えたが、植林の中を適当に先に行くと、明瞭な踏み跡にぶつかる。これが破線路のようだ。「山」と記された標石は続いてはいるが、ここを歩く人は少ないようだ。整備はされずに荒れ気味だ。

(石祠)


(金毘羅山山頂)


(奥に難台山から愛宕山にかけての稜線)


(笠間の市街)


 登って行くと、先にようやくカラッと視界が広がっているらしきところが見えた。石祠が置かれ、どうやらここが金毘羅山のようだ。
 山頂。三角点標石を確認する。山名板はない。山頂は大きな石がゴロゴロしている。ようやく視界が広がった。考えてみれば、狭っ苦しい感じの中を歩いて来てから、ここに至ってようやく解放されたといった感がある。下には砕石場が広がる。物音一つ聞こえないから、もう正月休みなのだろう。奥には左が愛宕山、右は難台山だろうか。そして手前のポッコリした山が館岸山かもしれない。ここで大休止。
 おにぎりと菓子パン各1で食べる。水を飲んで一服。景色を眺めて一応の満足。これがなかったら、宍戸アルプスはこれが最初で最後だったろうなの感慨。だが、それも、この先は快適な歩きで館岸山に戻れるという前提の思いがあるからのことで、実際はそうでなかったから、やはり最初で最後になるだろう。つまりはこの先、えらい目に遭うということだ。

(館岸山に向けて下る)


(あの尾根通しに行けばいいのだろう)


(ヤブになってくる)


 何となくヤブっぽいなと思いながらの下り。特に気には留めていない。むしろお好みだ。金毘羅山の山頂までもそうだった。とりあえずは目の前の小ピークを目指せばいいのだろう。左・南側の採石場が侵食し、尾根通しの破線路通りには行けないだろうことは想定している。
 ヤブになった。下の道型は明瞭だが、踏み跡はあちこちに向いている。メインらしき踏み跡を拾った。ヤブも足元サイズの高さなら問題ないが、ここのヤブは背丈高でトゲがまぶしている。トゲの枝が顔に跳ね返る。痛いっ、とほっぺたに手をあてると血がにじんでいた。

(砕石場)


(振り返って金毘羅山)


 左下に側溝のような窪みが続いているのが見えた。そこを歩きたいが段差がある。下りられない。トゲヤブは続き、ようやく左下からの溝が合流した。ヤレヤレだ。着ているフリースは葉片と粘着性のクズだらけ。一応は叩いた。ズボンの2か所に穴が開いていた。

(今度はこうなった)


(かなりイラついて怒鳴りたくなっている)


 ほっとしたのも束の間、後は緩やかな尾根伝いと思っていたらそう甘くはない。伐採したところを登って行くと、竹ヤブに入り込んだ。この竹ヤブも背丈超え。踏み跡はしっかりしているので間違いなく歩けるが、案外に長い。ところによっては前方を倒木が邪魔をして迂回させられる。ストックは引っかかり、なかなか先に進まない。気がおかしくなって、コノヤローと雄叫びを上げたい衝動にかられた。
 こういうヤブも珍しい。自分の経験からして、密なヤブの中を踏み跡なしで歩くことはよくあるが、踏み跡明瞭のヤブとなると、つい安心して注意力も散漫となり、むしろ、ヤブ道のうっとうしさが気分的な重しになる。閉所恐怖症に似たところだろうか。

(ようやく終わった)


(340mに戻って来た)


 倒木とヤブが絡み合ったところを脇から抜けると、ようやく竹ヤブも静かになった。ほっとすると再来。ただ、密から疎にはなっている。ここで左から植林が現れる。むしろ整然と並んだ植林は大助かりだ。前半部であれだけ嫌がっていたのにだ。
 ほっとして340mに戻って来た。フリースを脱いで、かぶった葉クズやらトゲ、粘着を落とす。ここで一服。帽子を脱ぐと、帽子もかなり痛手を受けていた。本当にヤレヤレだった。こんなヤブは久しぶりだ。まだ道型なしの低いヤブの方が始末もいい。GPSを見ると、一部区間は破線路から外れている。激ヤブのところだった。砕石場から離れて歩くしかなくなっているのだろう。

(再び館岸山)


(城跡)


 落ち着いてから下山にかかる。再びうるさくなった標識に合わせて下ったつもりだったが、道型がありながらも記憶のないところを下っている。GPSを見ると、往路時とは違うところを歩いている。それでも一応は館岸山には着いた。
 この先、虎口ではない城跡を見たかったが、もう見られなくてもいいやといった気持ちが半分になっていて、ヤブめいたところに城跡の看板が置かれていたのにはほっとした。ここの解説板を見たら、城址好きなら難台山城の跡もセットで見るべきだろうと思ったが、看板がなければわからないくらいでは難台山城とて同じだろう。
 前述のように「希望の広場」を見ぬままに植林の中を下って行くと里に出てしまった。後で思うと、城跡の解説板があったところが希望の広場だったかもしれないが、どんな希望があったのだろう。

(里に出て)


(標識はこんなところにあった)


 里に出てからも標識に合わせて歩いていたら遠回りをした感じで羽梨山神社に出た。神社は初詣の準備どころか離れたところで落葉燃やしをしている光景を目にしただけで、駐車場には自分の車がポツンと置かれているだけだった。

(羽梨山神社)


(移動スーパー)


 靴脱ぎに手こずっていると、オルゴールを鳴らした車が集会所の脇に横付けされた。じっと見ていると、カスミの移動スーパーだった。こんなのまだありかと興味津々で眺めていると、カゴを持ったジイさんが4人ほど集まって来て買い物をし出した。バアさんの姿はない。バアさんたちは元気に車を運転して市内に買い出しだろう。残されたジイさんたちは寂しく酒とつまみでも買っているのか。周囲には落葉を燃やした煙の匂いが漂い、年の瀬のほのぼのとした雰囲気といったところだ。何だか印象が不明瞭な宍戸アルプスではあったが、この懐かしさに近い光景を久しぶりに見ただけでも、宍戸アルプスもまた風情あるところだなといった印象に変わってしまった。ただ、地元の瀑泉さんには失礼だが、もう来ることはあるまい。くどいようだが、瀑泉さんのお薦めがあったわけではないことを改めて記しておく。
 好学で神社を回ってみたが、どこがどう延喜式なのか、由緒ある神社というのはわかったが、その建物そのものに歴史を見い出すことはなかった。

 自分の歩きブログ、相変わらずに加波山歩きの記事がよく閲覧されている。そんなに加波山人気は高いのか。確かに筑波山の次は加波山といったところもあるのだろう。今度の茨城の山歩きは燕山の方から加波山に登ってみようか。とりあえずはホームグラウンドに本気の復帰かなぁ。せっかく山名板も付けたし、予備軍も用意していることだし。
 しかし、今回のブログ、掲載写真を改めて見直すと、何だかごちゃごちゃしたところばかりで、すっきりしているのは金毘羅山付近だけだったとはお笑いだ。これとて逆光で暗くなっている。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

 昨年山行の年明けアップの記事になってしまいましたが、旧年中は私のお粗末な山行ブログをお読みいただきありがとうございました。本年もまたよろしくお付き合いいただければ幸いです。ただ、「事故の顛末」といった痛々しい記事のアップは残念ながらないでしょう(と願いたいところです)。皆様の本年のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、今後とも、面白い、マニアックなお歩きを披露していただけますことを期待いたしております。
                        2019年正月2日 たそがれオヤジ

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10 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2019-01-03 23:32:10
あけまして、おめでとうございます。
トゲトゲの薮は、確かに雄叫びをあげたくなりますね。杉林に入ってホッとするのもわかります。伐採地が長く放置されると、こういった感じになるのでしょうかねぇ~。
加賀田山は、自分が歩いた時には410mに赤い字の大振りな看板に「加賀田山」と書かれていました。山名は移動する事も多々あるし、間違えも少なからずあるようですね。機会があれば、地元の人に聞いてみます。
館岸山城は、この手の山城としてはそこそこの遺構状態だと思います。藪城見物なんて、こういったかすかなそれらしきナニガシを見て喜んでいるのですよ。難台山城の方はもっと判りずらいです。
館岸山城のすぐ下には西寺廃寺跡の平坦地があったと思います。式内社羽梨山神の存在。今回掲載の地図の南側に条理を想像させる縦横の道がうかがえます。これらの事から、この一帯がかなり古い時代から人々が住んでいたのだなぁ~と。羽梨山神社の位置がちょうど谷戸地と山の境界のような妄想も生じてしまいます。自分は、そんな妄想にふけながら、ここいらを歩いた記憶があります。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2019-01-04 13:04:26
ぶなじろうさん、改めておめでとうございます。
今回の歩きに関してはぶなじろうさんの記録も参考にさせていただきましたが、私はその西寺廃寺跡というのは見ていないのですよ。あるいは見ていて気づかずのままに通り過ぎていたのかもしれません。後になってから、そういえば、寺跡を確認するのを忘れてしまったなぁと思い出したくらいですから。
館岸山城も含めて、どうも、整備されていない城址というのは、私のような素人ではかなり難しいですね。多少の知識があれば別ですが、そんなものは持ち合わせていませんから、看板を見てはなるほどといった程度で、正直のところ感じるものがありません。整備されすぎてはいますが、まだ太田の金山城の方がわかりやすいですね。
こんなレベルですから、羽梨山神社を中心とした条里制が敷かれていたのか、神社の位置が谷戸地にあったのかとなると、私にはぶなじろうさんの発想をなるほどそうかもなぁとしか言いようがありませんね。
今回の歩きで一番の印象が残ったというか面白かったのは、やはり金毘羅山からの西側区間ですね。それを過ぎれば絶えず植林が見え隠れして、自分には変化もなく面白みに欠けるところでした。あのヤブ地帯だけが、何だか極端で全体像の中ではちぐはぐな存在に思えましたよ。
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Unknown (瀑泉)
2019-01-04 22:06:09
明けましておめでとうございます。
宍戸は,旧友部町の旧町名でこの辺り一帯を指していると理解しているのですがネェ。いかんせん「地元」ではないので,詳しいことは分からないのですヨ。ちなみに,地元は更に車で東に30分以上かかりますが,周辺に山が無いのでこの辺りをトレーニングコースにしている次第です。
その宍戸アルプス,一度歩けば十分だと申し上げておいたでしょうに(笑)。一応,金毘羅山も含まれているようですが,一般には,館岸山→加賀田山→御殿山→北山→805mで,難台山西の428.5三角点峰東のピークに繋ぐルートを称していると思いますヨ。ちなみに,北山は車道歩きが必須とありますが,車道には出ないんじゃないかなぁ~。自分が歩いたのは20年以上前だからナントもですが,実線と波線が並行している処が往時はススキヤブで,唯一展望があったんですケドね。
それと,車道に出るのは805mの一ヶ所ダケで,向かいの尾根に取り付くだけだから,実質,車道歩きは無いと思いますケドね。
ところで,「茨城に熊はいない」は,熊の鳥獣保護計画まで手が回らないお役所の都合ですヨ。熊が増えた2年前だったかなぁ~。常陸太田市(旧里見村)だったと思いますが,養蜂場が熊に襲われたんです。まぁ,福島と尾根続きの茨城に熊がいないハズはないですが,今回,歩いた辺りは確かに猪の縄張りで,年がら年じゅう,害獣駆除をやっています(笑)。
というワケで,そんな猪の年ですが,今年もよろしくお願いいたします。
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宍戸アルプスはお疲れ様です (ノラ)
2019-01-05 12:16:31
たそがれオヤジさん 本年もよろしくお願いします。ぶなじろうさんの記録に誘われて,2年前の正月休みに登った口です。たそがれさんは途中で戻られて激藪を経験されたようですが,あっさり周回した方が良かったのではないでしょうか?でも体力が落ちていると,アップダウンが激しくて200mから500mのアルプスを縦走するとかなり消耗するようです。
たそがれさんが会われたトレランの人には私も会いました(多分)ラジオを鳴らしてましたが,地元の人なんでしょうね。山中いかにも猪に遭いそうな雰囲気が難台山の縦走路に出るまで漂っていて,猪年にはぴったりだったと思われますが,たそがれさんが歩かれたのはまだ前年でしたね。ほんとにお疲れさまでした。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2019-01-05 12:24:15
瀑泉さん、あけましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願い申し上げ、瀑泉さんのますますのご活躍歩きを期待いたしております。
さて、今回のコースですが、当初は館岸山から北山を経由して難台山、そして先日逃した愛宕山に行くつもりでいましたが、どうも東にある金毘羅山というのが気になってしょうがない。その予定コースに金毘羅山を加えるのには無理がある。まして、愛宕山からの帰路は車道歩きになる。そこで途中の折り返しで金毘羅山となったわけですが、瀑泉さんのコメントを拝見すると、どうも私は勘違いをしていたようです。御殿山と北山の間に実線と破線がかなり入り込んでいる。実線は南北を通っている。これは舗装車道だろうと思い込んだわけですが、いずれにせよ、北山まで行ってしまったら、金毘羅山に引き返す気力はなくなって、おそらくその先に行き、難台山ルートもあきらめて車道テクテクで戻ることになったような感じがいたします。
金毘羅山にひかれたのは、その山名によるもので、まさかその先がトゲヤブだとは思いもしませんでしたから、結果としては、金毘羅山を加えたことは間違っていたということでしょう。金毘羅山外しで、車道歩きを覚悟で予定通りに難台山、愛宕山を歩いていればよかったみたいですが、そうなると、金毘羅山に改めて行くことになる。瀑泉さんのおっしゃるように二度歩きで後悔することになっていたでしょう。
宍戸アルプスの地理的な面は瀑泉さんの解説でわかりました。そうなると、今度は御殿山から先の区間が気になってしまいます。後悔しない歩き方を考えることにいたします。

熊の件、常陸太田の被害のことは知りませんが、福島、栃木から入り込んでもおかしくないとは思っていたし、いないわけはないでしょう。なるほどお役所の都合ですか。養蜂場が襲われる程度ならともかく、被害が増えてきたら、どう重い腰を上げるのでしょうか。それもまた見ものだなと思いますけどね。
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ノラさん (たそがれオヤジ)
2019-01-05 14:02:32
ノラさん、おめでとうございます。こちらこそよろしくお願い申し上げます。
ノラさんの宍戸アルプス記事は、歩いた後に拝見いたしました。おっしゃるとおり、自分も余計なことはせずに、ノラさんのように、難台山を含めてあっさり周回にすれば良かったと思っています。せいぜい愛宕山プラス程度のところで。
それも、金毘羅山という何やら宗教的なにおいのする山名にひかれて組み込んだばかりに激ヤブに苦しむことになったわけですが、金毘羅山そのものは石祠が一基あるだけの、宗教色はほとんどなし。一応、景色だけは楽しみましたが、後で災いするヤブのことを思えば、行くまでもない山だったと思っています。
愛宕山には行っていませんので、いずれ、引き返した御殿山から先を歩いてみることにしますよ。
不思議に思ったのは、ノラさんが行かれた際に加賀田山の山名板を2枚見ていますよね。私はその山頂に山名板を見ることはなく、手前下三角点で加賀田山の山名板を見たことです。三角点の標高まで併記していましたから、この山名板を設置した方が加賀田山の2枚の山名板を外したのではないのかなと思ったりもしています。
トレランの方、そういえばラジオを流して走っていたような気がします。館岸山でさっと引き返しましたよ。状況からして同一の方の可能性は高いですね。
イノシシの件、私にはその気配を感じることはありませんでした。よほどに鈍感なのかもしれませんね。瀑泉さんのコメントからして、かなりいることはわかったのですけど、それを事前に知っていたら、雰囲気を感じていたかもしれません。ただ、そういうことは前知識として知らない方が無難でしょう。
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トゲ薮では・・・ (みー猫)
2019-01-05 18:23:51
事故には至らないでしょう。冗談はさておき本年もよろしくお願いいたします。マニアックな歩きとは何ぞやと考えてみましたが・・・自分がやりたい歩きですね。本日もたそがれさんの1255Pの板を見に行こうかと考えてましたが、疲れて下山してしまいました。暖かくなってから出直します・・・が、板が複数枚、用意してあるとこのことで遠慮なく、見に行く予定です(一緒でも良いですが、ガレじゃないコースで・・)
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2019-01-06 08:21:37
みー猫さん、改めましておめでとうございます。
マニアックな歩き。私には、よくそんな歩きをするもんだ。よくもまぁ、そんなところに行くものだといった、他の方なら思いもつかないような発想からの歩きといったところでしょうか。決して、険しい山歩きを意味しているわけではありませんね。
そいうった面からは、トゲヤブ歩きがマニアックとは思えないし、今回の歩きもまた既存のコースがあるわけで、マニアックとは言えないでしょうね。
さて、山名板の件ですが、表面が完成し、裏のニスを塗って裏返して乾かしてしたら、仕事から帰って見てみると、三枚ともに表面がグシャグシャになっていました。これではどうにもならない。結局、作り直しです。
ハイトスさん記事のコメントにもありましたが、私の足のハンディがあるうちに赤倉山辺りに行ってみたかったようで、どうですか三人で。ななころびさんはしばらく意気消沈のままのようだし誘えないでしょう。深沢の大滝がプチ氷瀑になる頃にでも。
1255m、はて?と思ったのですが(笑)、中倉山に行かれたようですね。先ほど記事を拝見いたしました。この時期、仁田元沢通過はどんなものでしょうか。急斜面のところは凍てついて危ないし、沢そのものも滑りまくりのような気がしますけど。つまり危険だと思いますが。
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宍戸アルプス (ハイトス)
2019-01-13 21:53:23
こんばんは。
遅コメ失礼いたします。
アルプスに反応してしまいますね。
近郊のナントカアルプスは歩いているつもりでしたが
宍戸アルプスとは初耳でした。
しかし記事を読ませていただく限りはスッキリ感があまりないようで。

所で赤倉周辺は楽しみにしております。
久しぶりに皆さんのお顔を拝見したく思っております。
私が同行できるのもたそがれさんにハンディがある今のうちだけでしょうから。w
昨今は相方に着いていくのが精一杯ですからにして。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2019-01-15 22:42:26
ハイトスさん、こんばんは。
新記事に赤城を歩いて来ましたから見てやってください。実は、その次の山行もありますが、何かとアップが遅れ気味で。
ハイトスさんの黒檜山記事で、雪が少ないなと思っていましたが、荒山方面もかなり少なく、雪山気分は味わえませんでした。赤城を選んで失敗した感じでした。
さて、宍戸アルプスですが、何と申しますか、お薦めはいたしません。アルプス感はまったくありません。展望はなし。まして、私の場合は金毘羅山のヤブを歩いたりしたものですから、イメージとしてはマイナスですね。それでいて、せっかく歩いたのだから、御殿山から先も歩いてみたいなという気分があるのは何なのでしょう。地味歩きを好む輩にはそれなりの魅力がひそんでいるのでしょうか。
ハイトスさんは私のハンディを気にされているようですが、ハイトスさんのレベルにしては相当なダメージ的なハンディですよ。一緒に歩きながら、アイツ、何やってんだか。どうしようもねぇなと、むしろハイトスさんのストレスになるかもしれませんよ。私は、ハイトスさんのお歩きを目標にして歩かせていただくつもりでおります。
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