たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

吾国山から難台山。せっかく手堅く歩いていたのに、愚かなミスで中途半端に終わる。

2018年12月09日 | 茨城県の山
◎2018年12月2日(日)

福原駅・市営駐車場(7:00)……吾国山登山口(7:38)……吾国山(8:37~8:50)……道祖神峠(9:12)……すずらん群生地入口(9:47)……難台山(10:15~10:24)……団子石峠(11:13~11:19)……南山展望台(11:41~11:47)……見晴らしの丘(12:03)……乗越峠(12:11)……(迷走歩き)……愛宕神社大鳥居(13:06)……愛宕神社下側鳥居(13:12)……岩間駅(13:55)

 栃木県境を除く茨城の山は、筑波山は何十年か前に2回行き、最近では、4年前に加波山、2年前に紅葉目あてで篭石山に行った。加波山は車道歩きが長かったし、篭石山は車道が狭くて長く、さらに軒先をかすめながら、ようやく駐車地に行き着いた。山を歩きながら、帰路の運転のことをずっと心配していた。いずれの山も、山中はともかくとして、その前後がよろしくない。
 茨城で行きたいと思っている山は、車で行けば何かと不便なところが多いようだ。昨年行った中武生山と明山。これは、狭い道を行かずに済みそうだったところから行ったのだが、紅葉を楽しめたものの、やはり長い車道歩きがあった。茨城の山はもうこれでいいかといった気分になっていた。どうも茨城の山は、自分にはあまり相性がよくないようだ。
 今回、吾国山と難台山を選んだのは、これまですっきりした茨城の山歩きをしていないし、ダメ押し的に何とか満足した歩きをしてみたいという気持ちがあったからだ。まして、2年続きで歩いてしまったし、今年のブランクも気になった。
 状況をよく知らないから、吾国山と難台山は、それぞれに単発で行く山だと思っていた。だれかの記事を読んでも、茨城の山だからと、深読みはせずにさらっと流している。たまたま、その気になったところで、笠間市のホームページで<笠間・吾国愛宕ハイキングマップ>というのを見つけた。何だ、つなげて歩けるハイキングロードがあるんじゃないか。しかも、福原駅に安い駐車場がある。帰路は鉄道利用にはなるが、一回で両方の山を歩けるのなら、それに越したことはない。だが、これもまた長い車道歩きが前後に待っている。今回は目を瞑ろう。瀑泉さんやふみふみぃさんを含め、地元の方には失礼だが、茨城の山はそういうところだと思えばいい。
 コースタイムを調べると、福原駅から出発すると岩間駅まで370分(6時間10分)。その逆歩きだと380分(6時間20分)となっている。10分の違いは、上りタイムの10分プラスということだろう。微妙なところだが、福原駅をベースにすれば、電車利用は車の到着時刻次第ということになる。水戸線がすぐにあるとは限らない。福原駅から歩いた方が無難だろう。電車時刻に合わせようとしてムダな時間を費やしたくもない。

(福原駅)


 行きは北関東道経由。自宅から福原駅まで1時間半で着いた。駅隣接の市営駐車場には40台近くは入れられるスペースになっている。駐めてある車は3台。料金は一日210円。駅窓口に料金とともに車のナンバーを伝えるだけ。そして領収書をもらう。
 駅ホームに電車が入って来るアナウンスが聞こえたのでどうしようか迷ったが、それは小山行きだった。吾国山先行で決まりだ。

(標識はばっちり)


(北関東道の向こうに見えるのが吾国山だろうか)


 線路を渡って、南に向かう。しばらくは町の中を歩くようだ。<笠間・吾国愛宕ハイキングコース>の標識がまめに置かれ、迷うことはない。標識の頭の㉔とか㉓の数字の意味が気になる。標識にはさらに「㉓まで140m 2分」と記されていたりして至れり尽くせりだが、平地はどうも70m/1分のようで、自分の足には手ごろなタイムだろう。こんな親切な標識も、同じ笠間市でいながら、難台山からの下りでは見ることがなかった(実は気づかなかっただけのこと)。せめて、このシリーズの標識を愛宕山までは律儀に設置して欲しかった。この時点では、親切だなと思いながらもうっとうしい気分も半分ある。ちなみに、今日は、地図は持参せず、笠間市のHPから刷り出した『笠間・吾国愛宕ハイキングマップ』(以下、「マップ」もしくは「ハイキングマップ」にする)のみが頼りで歩いている。
 北関東道の下をくぐり、田園風景の中を歩いて行く。畑には霜が降り、周囲はまだ薄暗くて寒い(結局、今日はすっきりした陽が出ることはなかった)。撮った写真は薄日が射してはいても薄暗く写っている。不思議なもので、里の車道歩きが長いわりに、吾国山を過ぎるまで出会った人は駅員さんだけで、ここは田畑は目に入るものの、日曜日とて早い農家の人はいないところなのだろうか。

(丁石が続く)


(そして鳥居。ここを直進)


 「従是我国山二丁目」の石碑を見かける。いつ置かれた石碑なのかは不明だが、以前は「吾国山」ではなく「我国山」だったのか。
 人家が途切れ、「三丁目」の丁石が現れる。この丁石が続くのだろう。つまり、このコースは古道を辿るコースのようだ。先には鳥居があって、その脇の石碑の文字は自分には読めない。鳥居の先に神社はない。何神社の鳥居なのだろうか。続いて四丁目となる。丁石にこだわるとろくなことがない。一つ一つを写真に収めても、必ず足りない物が出てきて、過去の経験からしてそれにこだわり、また歩くことになる。今回はあまり気にしないようにしよう。とはいっても、性格的に、どうしても写真を撮ってしまう。帰ってからチェックしたら、いきなり七丁目から十一丁目の5丁分が消えていたので、以降のチェックはしなかった。

(街並みから外れる)


(ここが登山口らしい)


 人里離れた工場を見て田んぼの中の道を行くと、ようやく「吾国山」登山口の標識に出た。福原駅からここまで38分。コースタイムは50分となっているから結構速い歩きのようだが、ここまでは平地だし、出だしの元気さもある。これから、どんどん遅れていくはずだ。一応、今回の歩きはハイキングマップにタイムが出ていることだし、できる限り大きなオーバータイムにならないことを目標にしている。それにしてもコースタイム50分とはかかり過ぎじゃないのか。甘いコースタイムと見た方がよいだろう。

(初っ端の植林歩きは仕方がない)


(林道を横切る)


 植林の中に入り込む。登りになって、木の階段が続いている。「椿地区」の標識があり、福原駅から吾国山までの中間点はすでに過ぎたらしく、福原駅までは3.5km、吾国山は2.1km・45分の標示になっている。距離はともかく、タイムの記載は曲者だ。ついその気になってしまい、何だ一時間もかからないのかと安心感を抱かせる。そのくせ、上り坂はダラダラと傾斜を増し、あっさりとストックを出してしまった。別にストック禁止は今日の目標に置いていないからいいが、これで45分は無理というものかも。後で知るが、この辺が太郎兵衛坂というらしい。
 林道らしき舗装道を横切る。やはり、これは避けられないのか。奥武蔵の山もそうだと思えばあきらめもつく。

(陽が出ていればきれいだろうに)


(植林から離れる)


(どうしても暗くなってしまう)


 植林は続き、二十五丁目あたりで雑木が混じり、二十六丁目で植林はコースから遠ざかり、雑木の中の歩きになった。赤くなった葉もポツポツと見え出す。天気は依然としてどんよりしている。落葉の堆積された道は雰囲気が良い。前方にこんもりしたピークが見える。あれが吾国山だろうか。

(雰囲気は良い)


(カタクリ群生地)


 三十丁目で植林が復活してすぐに消えた。壊れかけの標識には、右手に<切り通し>とあり、その先にはカタクリ群生地があった。丸いフェンスが続いている。結構広範囲だから、見ごたえはあるだろう。マップを確認する。群生地のすぐ先が吾国山じゃないか。ということは、ここを登り切ったところか。

(山頂かと思ったが)


(まだ先だった)


 イヌシデと記された樹の脇を通過して山頂に到着(その時はそう思っていた)。8時29分。出発から1時間29分。コースタイムは1時間40分。まずまずか。山頂には石灯篭に囲まれた石碑が置かれている。記された文字を読むと、何やら宗教法人の碑のようだ。ベンチもあったので、一服したら三角点探しでもする気でいた。ここは広場状になっている。さも里山の山頂っぽい。里山のピンクのツツジが咲いている。
 意外とあっさりだったなと、タバコをふかしながら、ふと先を見ると、ここより高いところがある。もしかして、山頂はこの先じゃないのか。

(石垣が出てきて)


(田上神社)


(山頂から)


(三角点)


(加波山。左奥に筑波山)


 やはりそうだった。さらに登って行くと石垣が現れ、回り込むと神社。ここが吾国山だったのか。神社は田上神社とある。来る際に見かけた鳥居は、もしかしてこの神社の鳥居だろうか。
 山頂にはだれもいない。南側の展望が開けている。加波山と筑波山くらいはわかる。霞ヶ浦らしき湖も見える。ここから難台山が見えているのかどうかはわからない。木立に隠れて先は見えていない。もしくは、南の方にばかり目が向いて、意識がまったくなかったのか。
 汗をかいたので上を一枚脱ぐ。菓子パンを食べてまた一服。こういう茨城の名山に一人でいるのも贅沢な気分ではあるが、だれもいなけりゃいないで寂しい感じもする。次、行きましょう。

(次の難台山へ)


(伐採地が広がっている。館岸山かと思うが)


(こちらは明らかに難台山)


 モミジがきれいな一帯を通過する。そして、急な下り。向こうから二人連れのハイカーが登って来る。とにかく、こちらは、落葉に滑らないように慎重な下りになっていて、いつもなら相手を観察する余裕はない。コンニチハで終わった後の印象は残っていない。
 伐採地に出る。進路方向には、難台山と思える山が樹の間に見えている。その左、つまりは東に二重の尾根が見える。手前の尾根の山肌は橙色と緑に明瞭に区分けされている。陽があたっていたらさぞきれいだろう。ここの標高からして奥も手前も300m級の低山だが、何という山なのか。ハイキングマップではわからない。かろうじて館岸山というのが記されてはいる。この中に映っているどのピークがそれなのかは不明だが、次の茨城の山はあのあたりを歩いてもいいかも。
 すっきりしたところから、さも私が難台山ですよと言いたげな感じの、なだらか、かつ少しばかりいかつい姿の山が見えた。あれが難台山か。目の前は依然として下りが続いている。それを考えると、かなりウンザリする。1/25000の地形図を持ってこなくて正解だったかもしれない。その等高線を見ていれば、逃げの算段を考えたはずだ。

(また車道クロス)


 どんどん下って行くと車道が見えた。ここは石岡市と笠間市の境らしい。これを渡って、鉄の階段を下ると、何かの施設に出た。車道には<洗心館>と記されていた。ここは県の青少年向けの施設だったらしく、今は廃館になっているようだ。ここの庭にあるモミジがきれいだ。周辺を少し探索する。高度計を見ると340mと表示されている。吾国山から170mほどの下りだった。単独の女性と行き会う。

(まただ)


(道祖神碑)


 再び山道に入ったかと思ったらまた車道。地元ナンバーの車が1台。さっきの女性か、二人連れの車だろう。道祖神碑が置かれているから、ここが道祖神峠だろう。標高は310mほどで、おそらくコースの中では最低鞍部ではなかろうか。
 進入禁止のチェーンが張られた林道のような道に入る。ここは大きな砂利が敷かれていて、自分の足には歩きづらい。やがて道は分岐し、道沿いは<長沢>、一方は難台山<頂上>とあるから、それに合わす。道は急に細くなって山道になった。

(階段が続く)


(428.5m三角点)


(ここはなかなか急だった)


 木の階段を登って行く。GPSを見ると、登りきったところに三角点マークがある。ハイキングマップにはない。道から離れたプチ藪の中に三角点があった。428.5m四等三角点。基準点名は「太田」。標石は二基。最寄りに太田という地名があるのだろうが、後で地図を見ても、そういうところはなかった。
 一旦なだらかになり、じわりと傾斜が増してくる。長い坂には、親切にも斜め歩きに道が付けられている。見下ろすとかなり急だ。反対側から来た青年ハイカーが下って行く。トレランぽい。ここはトレランがよく利用するのか、その後に5、6人のトレランを見かける。いずれも、自分の進行方向とは逆方向からだ。トレランの方には適度な起伏でも、こちらの病み上がりハイカーには青色吐息だ。

(こんなのがなかったらただの苦痛だろう)


(難台山のようだ)


(難台山山頂)


 また下って登ったところにあった標識は「すずらん群生地入口」。ここで一服つけようかと、切り株に腰掛けてタバコを口に咥えたら、二人組のトレランが立ち休みをしたのでタバコはしまった。
 難台山らしきピークが近づいてきた。登りがえらく長く感じる。単独のオッサンに抜かれる。内心ショック。おそらくは福原駅からの縦走だろうと勝手に思ったが、このオッサンには、難台山の先でもまた抜かれる。
 難台山に到着。山頂には二人連れとさっきの追い抜かれオッサンの三人。ここにもツツジが咲いている。こういうツツジは春になればどういうことになるのだろう。そんなことよりも気になるタイム。ここまで休憩込みで3時間15分かかっている。マップのコースタイムを計算すると3時間15分。おっ、ぴったりじゃないか。気を良くしたが、どうも吾国山山の登山口まで50分というのがうさん臭い。まして、吾国山までにあった貯金の11分はその間に使い果たしている。この流れで行くと、どうみても赤字は確実だろう。

(山頂のツツジ)


(石祠)


(ひしゃげたような三角点)


(山頂から)


 何とも半端な感じの山頂だった。石祠も欠けた三角点、そして展望盤もあるのだが、およそ山頂らしくない山頂。これをどう表現すればいいのか。展望は、展望盤の山々がすべて見えるわけではない。八溝山、日光男体山、霞ヶ浦なんてのは木立と雲に隠れ、明瞭なのは筑波山、加波山方面だけ。
 岩に座っておにぎりを食べる。オッサンはガスで湯を沸かしている。余裕だねぇ。これでラーメンでも食べて、時間をゆっくりかけるだろう。少なくとも15分さっさと下山したオレをまた抜いてしまうんだからな。
 頭の中で吾国山までの丁石を思い出す。あの丁石は吾国山の田上神社で終わりだったようだが、自分は山頂手前の三十三丁目までしか見ていない。それでよろしかったのだろうか。やはり、あとで写真をチェックしておこう。追記の形だが、見た(=写真に収まっていた)丁石は3、4、5、6、12、13、14、15、16、17、19、25、26、30、33で、その半分は見逃していた。なくなっていたのもあるだろう。

(岩間駅まではまだ長い)


 難台山を下る。この先は、登って来るハイカーを、下に行くほどに随分と見かけた。追い越されたのは二人だけで、それ以外はみんな反対側から登って来た。こんなことを比較してもしょうがないが、難台山の方が吾国山よりも人気があるようだ。吾国山まで足を延ばす方がそんなにいるとは思えない。

(少しは陽があたってきれいになった)


 下ってすぐに「難台城跡」の分岐。見に行きたい気分はあるが、それがためにムダな時間は費やしたくないし、結果的に足に負担がかかっていたのではどうにもならない。いずれ機会があったらということにしておくが、この時点では、北条氏対策で佐竹氏が築いた城とばかりに思っていた。帰ってから調べると、南北朝の頃に佐竹氏が攻め落とした城だった。余談だが、この佐竹氏、関ヶ原の戦いで心理的に西軍に与したばかりに、所領を半分以上削られたうえで秋田に飛ばされた。その際、殿様が水戸美人を多数連れて行ったので、秋田には美人が多く、茨城はブスばかりという話があるようだが、これには笑ってしまう。ドンパン節に「小野小町の出たところ」という一節がある。秋田に美人が多いのは佐竹氏以前の事実だろうが、それはあくまでも県南のことで、少なくとも、自分の出自の県北の山間部の同級生で、色白の美人はほんの数人。それも、親が銀行員、営林署勤めの秋田市からの転校生、もしくは古河のお偉いさんの娘で、残りの地元勢はまず例外なく浅黒もしくは黒色の健康的な顔つきだった。つまり、佐竹の殿様の連れて来た水戸美人の血は、マタギの里までは流れてこなかったわけだ。
 失礼。つい常陸の国=佐竹⇒出羽の国=秋田で力んでしまった。今年は北東北の紅葉ツアー予定がケガで行けなかった。来年は10月にやる中学校の同級会への誘いがあって出席するつもりでいる。ついでに紅葉を満喫してこよう。かつての美人の同級生はどういう結果になっているだろう。

(岩々になってくる。岩場恐怖症も少しはやわらいだ)


(里も真下になった)


(こんな岩も居座る。名前はなかった)


 <笠間・吾国愛宕ハイキングマップ>の標識は間隔が開きながらも続いている。この先には<⑥まで260m 10分>とある。⑥は屏風岩だ。下って行くと、刃物のような鋭い岩が見えた。これが屏風岩かなと思っていた。これは簡単に巻ける。垣間見える里もグンと近くなっている。この辺は岩場続きなのか、ロープも張られたりしている。もったりした岩も横にでんと構えている。だが「屏風」の表現には遠い。

(これが屏風岩。カメラに入らない)


(天狗の奥庭。標識だけ撮ったわけではなく、その後ろが奥庭エリア)


 かなり下ったところに「屏風岩」の標識があった。横に少しずれたところに屏風岩があった。なるほど、これは三枚屏風風。見方によっては、象が耳を広げている。高さ10mはあるだろう。なかなかの岩だ。
 <天狗の奥庭>。道から離れて入り込むとただの狭い平らなスペース。桐生・根本山の角力場に行っただけに、何だこりゃと内心あきれたが、この辺は天狗の何とかというスポットが多いようで、下には<天狗の森>というのもあった。マップには「天狗」の字そのものが記されていない。

(獅子ヶ鼻。これはよくわからない。里から見れば鼻に見えるのか)


(いつものパターンだが、振り返って難台山だ)


 まぁ、こんなものだろうと先に行って<獅子ヶ鼻>通過。正面に小ピーク。下りなのに、また登りかいなとうんざりする。途中、<大岩不動300m>の標識。この標識は新しい。マップを見ても、スポットとして大岩不動はない。<滝入不動尊>というのはあるが、分岐はまだ先だ。
 ピークはただの平らな台地。ここから筑波山はもう正面ちょい右手に見えている。かなり歩いて来た。

(431.8m三角点の台地。すぐにうんざりの下りになる)


(ここがその下り。緩やかに見えていて急で長い)


 下り坂になって、もう安心だろうと思ったら、またピーク。いい加減にうんざりしている。岩が出てきて、登ったところには三角点があった。431.8m。四等。基準点名は「団子石」。
 まだ下る。ここは上りに使えばきつそうだ。かなり長い。何人ものハイカーとここで行き交ったが、みんなきつい顔をし、ネエチャングループに至ってはかなり音を上げていた。もしかして、福原駅と岩間起点の10分の差はここなのかもしれない。

(団子石)


(車道に出て一服している。ラーメンを食べたらしきオッサンがすたこらと登って行った)


 <団子石>。団子に似ているからそう見ろと言われればそれまでだが、自分の目にはせいぜいぼた餅だ。脇には標識が置かれ、ここから<⑤獅子ヶ鼻>まで35分とある。ここの下りに30分費やしている。どうもそろそろ遅れ気味になりつつあるようだ。
 そして<③団子石峠>。③だから終点も近づいている。ここにも車道が横切っている。だれもいないので一服して休んでいると、難台山の湯沸かしオッサンに抜かれてしまった。ここから上りになっていて、一服後に見上げると、オッサンの姿はすでにない。峠には各スポットへの所要時間掲示があった。岩間駅まで130分・7.2km。まだそんなにあるのか。まして、その間に愛宕山往復もある。歩き切るのに自信がなくなってきた。

(トレランオッサンに抜かれる)


 坂を登ると、左植林になった。平らになった。そろそろ、上りからは解放かと思ったが甘い。この先に小高いところが見える。このままでの登りだったら問題ないが、これもまた甘くはない。下りに入った。トレランのオッサンが追い抜いて行った。さっき、休んでいる時に会話を交わし、問われて福原駅から岩間駅まで歩くと告げたオッサンだが、難台山往復だったようだ。
 何だかこんなことをダラダラと記していたのでは惰性の歩きで面白くもない。ただ、アップダウンが多すぎるということで、この辺で打ち切ろう。上り下りの繰り返しが続くだけのことで、自分にとってのクライマックスはまだ先にある。
 そろそろ<愛宕神社>の標識が出てくる。<展望台に至る>の標識と、歩いて来た方向に向けて<愛宕古道⑦>の標識。せっかく<③団子岩>まで来たというのに改めての⑦かいな。③標識の続きは消えたのか。この「展望台」とは、<南山展望台>のことだろう。
 下って行くと鞍部。その鞍部だが、進行方向の右手からGB隊とは言えないだろう老若男女の混成集団が登って来た。鞍部は峠のようだが、マップを見る限り丁字路にはなっていない。ただ「鳴滝」というのはある。マップにはない明瞭な道があるようだ。鳴滝は相応の名瀑とは思えない。標高からして、いきなり水量を湛えた沢が出現するはずはない。大方、チョロチョロ滝だろうが、そのルートはハイキング向きなのだろう。

(南山展望台。ようやく岩間駅まであと1時間半だが、愛宕山を往復すれば2時間だろう)


(展望台から。愛宕山かと思う。どうでもいいことだが、「南山」というからには、難台山の南の山という意味合いだろうが、実際は南東に位置している)


 南山展望台に到着。ほっとした。ここで<②南山展望台>が復活した。<①ハイキングコース入口まで1,270m 25分>の標識があった。10人くらいのハイカーがくつろいでいる。展望台に上がってみた。すでに里山の風景になって関東平野に落ち込んでいる。だが、どうも気になる。歩いている稜線上に、しつこくまだ低いピークが見える。あれが愛宕山だろう。あそこで里山は切れている。展望が良ければ、眼下に関東平野、もしかしたら太平洋が見えるかも。淡い期待。でもこの天気ではなぁ。混成集団が上がって来たところで逃げるように退散。

(ここの下りも急だ)


(見晴らしの丘からちらりと)


 問題は、ここからの下りだった。どんどん下る。展望台直下は自分の足には厳しいが、周囲にちらちらと見えるモミジの赤と黄色で気は休まる。
 どんどん下る。途中、<すすぎヶ原>の標識を見たがススキは一本も見えず。先で道が左右に分岐。標識がないところからして、先で合流だろう。登る方の右を選ぶ。結局、登って下った分、損をした感じだ。左はずっと下りだったようだ。合流して、また林道が通っているような広場に出た。林道かどうかはわからない。車が一台もなかったし。すでに細かい観察をする気持ちは失せ、もう気分はどうでもよい状態。標識に合わせて歩いている。
 脇道に逸れて<見晴らしの丘>に寄る。もうここまで来ると、空身の観光客風情の人たちの姿を見かけるのが多くなっている。大方は二人連れだ。それはともかくとして、ここからの見晴らしは?だ。視野と視界が狭すぎる。東の工業地帯らしき風景が広がっているだけ。

(難台山ハイキングコース入口。数字は①になっている。出発時に見たのは㉕だった。この先に笠間市設置の標識はない)


(乗越峠。ここで右に行けば何も問題はなかった)


 下って林道。もう、またかという気分はなく、麻痺して素直に受けとめられる状態になっている。仕方がないなといった思いもすでにない。あるがままだが、ここに<①>の標識が置かれている。つまり、ハイキングコース入口。始点だからといってすぐに終点の岩間駅というわけではない。もう一山、惰性で愛宕山を登らないとノルマ歩きにはならない。
 すぐに舗装道になり、駐車場が見えた。何台かの車が置かれている。そして、<乗越峠>の標識があった。ここでようやくストックを収納する。もうここは里だ。選挙中なのか、街宣車のスピーカーから流れるウグイスオバサンの鳴き声がはっきり聞こえる。
 ここまて随分ダラダラと記したが、いつもの自分らしい歩きのスタイルになるのはここからだ。むしろ、ここまでよく持ったということで、すでにタイムのことはどうでもよい気分になっている。参考までに、マップに記された<P>印が乗越峠だとして、コースタイムは5時間20分。己が歩きは休憩込みの5時間11分。貯金の浪費は挽回した感がある。かなりの上出来だろう。
 この先で大間違いすることになる。勘違いで別方向に歩いてしまった。別に意識したわけではなく、自然にそうなった。ある意味では、いつもの自分流の歩きに復活できたということになるわけではあるのだが。

 乗越峠の標識の先の駐車場を挟んで、車道が左右に分岐している。ここでいずれに行くのかは、悩まずともに右の直進に決まっている。現に、ここは標識が豊かで、<右 愛宕山神社 左 駒場>の標識写真も収めている。別の標識には、左に<滝入不動尊 約2km>とも記されている。国道355号はいずれからでも行けるようだが、「岩間駅」の記載はない。駐車場の脇をかすめて行くのが嫌だったし、まだ愛宕山が残っていることが頭から消えている。自然に、足は左の車道下りを選んでいた。逆らわずに右に行っていれば、「笠間・吾国愛宕ハイキングコース」も全うし、さらに愛宕山まで登って「久しぶりに良い歩きができましたよ」で終わっていたはずだ。

(野鳥の森)


(車道歩き。これまでクロスはしたが、通しになってしまった)


(難台山方面)


 車道をどんどん下る。途中で<野鳥の森>の標識を見かけた。マップで確認したが、野鳥の森の記載はない。何となく間違っているような気がし、GPSの地図を改めるが、簡易なハイキングマップの地図とは比較しようがない。自分がどこにいるのかわからなくなってきた。この車道を二人連れのハイカーが上がって来てあいさつをしたりしているから、まんざら間違っていなくでもないかと思い込む。

(林道に入ると)


(立入禁止になった。だったら、林道入口に設置すればいいのに)


(西参道の下り側。階段がばらばらになっている)


 やがで車道から分岐する林道のようなものが現れ、その新しい標識には<生活環境保全林 至愛宕山西参道>とある。ここでどうもおかしな道を下って来たようだと理解したが、遠回りしたことになっても愛宕山に行ければ課題は達成だ。林道に入り込む。
 真新しいわりには廃林道のような感じ。先に行くと、堰堤が見え、立入禁止になっている。もうここまで来たら、気づかなかったことにするしかない。入り込むと東屋があって、一服しながら今後の作戦を練ろうと考え、東屋のベンチに腰かけると尻が真っ白になった。ここを通過する旅人はいないようだ。東屋の脇にも立入禁止があり、「土砂崩れのため通行できません」とある。そちらを覗き込むと、確かに木の階段らしき残骸が先に続いている。

(ここから登ることにする)


(堰堤は右だが、その上に階段が見えていた。沢の横断の段差に苦労する)


 ただ、ここにある「愛宕山生活環境保全林」の看板イラストで、自分の居場所が何となくわかった。愛宕山の西の山麓を散歩しているようだ。土砂崩れの反対側、つまりは堰堤の上になるのだが、木の階段が上に続いているのが見える。これが下って土砂崩れとなるようで、これが西参道のことだろう。
 再びストックを出し、階段に向かう。途中、堰堤の上を通過。段差があってよいこらしょで階段に出た。

(周囲は紅葉がきれいだ)


(登り切って、表に回るとこう。ここを向こうから登って来た)


 階段が付いているからといっても、これは確実に廃道。かなりヤブ化していて、トゲトゲ、ネバネバがトレパンの下にくっつく。かなり登ったところで、また工事現場にある「安全+第一」の黄黒の簡易ゲート。表に回れば「立入禁止」の張り紙。結果としての立入禁止だからどうにもならない。
 なおも登ると、左下から道が合流する。そのまま行くと、倒木が横に寝ていたりしてまた東屋。このベンチもまた尻が白くなりそうなので腰は掛けない。左下の道そのものも、も歩かれていないのではないだろうか。

(西参道はまだ続くが、もう嫌になって、この先で撤退する)


 それにしてもいい加減に歩くのに飽きた。上り道はまだ続いてはいるが、歩くのが気だるい。頭の中では、岩間駅までの長いうっとうしい車道歩きの体力の温存を考慮している。ここでダラダラと西参道から愛宕山に登っても体力を消耗するだけの話になりそうだ。もうやめるか。こだわりが残ったら、いずれ再訪してもいい。その時は、別口で館岸山を登るのもいいだろう。
 そうと決まれば、あとは下るだけ。さっきの合流道を下れば、岩間駅への道に出られそうだ。ストックを収納して下る。

(車道側の鳥居を正面から。鳥居奥の左に出ている)


(鳥居の近くで)


 すぐに車道に出た。車が上に走って行く。GPSで確認すると、愛宕山の北側で終点になる車道のようだ。これを行けば愛宕山かと思ったが、もういいや。車道を下る。そして大きな鳥居と広い駐車場。ここで納得。難台山に登るハイカーの多くは、ここに駐車して登るのか。
 鳥居の脇に<あたご天狗の森 周辺案内図>の看板があった。それには「立入禁止エリア」の紙が大きく張ってあった。そこを歩いて来たわけだ。
 ここから岩間駅までは町の中歩きだ。ため息が出る。だれか車で拾ってくれないかなと期待したが、通った車は2台だけ。いずれにも無視された。

(歩行者用の鳥居だろう。本来なら、正規ルートで、ここから愛宕山まで往復したはずだが、見てのうんざりに、行くのはやめにした)


 また、左に鳥居。見上げると階段が続いている。まっとうに歩いていたら、ここから愛宕神社、愛宕山となったはずだろうが、もうその気は完全に失せている。足の故障がなくとも、体力的に無理だ。

(道々で。これは車道ではなく裏道で)


(やたらと神社が多い)


(こんなのも見たりして)


 岩間駅までの道のりは長かった。しかし、何と、神社が多いことか。愛宕神社の系列の神社なのだろうか。日曜日なのにひっそりとした町だ。車も少ないし、目立つのは選挙カーだけ。ダメ押しは駅前の立会演説会だった。
 できるだけ車道歩きは避け、車が通れないハイキングコースを歩いたが、これが駅まで続くわけがない。結局は車道に出てしまう。ただ、里のモミジだけは満足した。途中で見かけた標識は<あたご天狗通り>。往路で見かけたマメな標識は見かけない。多くのハイカーは愛宕神社下の駐車場まで乗り入れるのだろう。

(人通りの少ないというかない駅前通り)


(岩間駅到着)


 岩間駅で常磐線下りの時刻を確認。14時9分発があった。10分ほどだ。雪田爺さんのブログで「電車が恐い」ような記載を見たことを思い出す。確かに、今の自分も同じで、30年にわたる東京への通勤をやめてから、ぴたりと電車に乗ることはなくなった。確かに勝手を半分以上忘れている。残高があるはずのスイカをあてるとエラーになって、窓口に行って、直してもらう。残金900円に戻った。

 友部からは、始発の小山行きにすんなりと連絡があったが、友部駅で下車する際に驚いた。ボタンを押してドアを開けてホームに降りようとしたら、どかどかと入り込んできた。それも整然とした行列になってはいず、降りようとする前向きの肩を正面から押されるほどで、さながら、テレビで見る中国の風物詩。高崎線でこんなことはなかったが、常磐線ではありのようだ。初めての印象はすべての印象になってしまう。極端に言えば一事が万事。さらに延長して、茨城の人ってマナーなしなのかって思うことになる。ほんの一部、例外の光景だったのかもしれないが、少なくとも、自分が降りたドアのホームには15人の乗客がいて、行列ではなく群がりになっていた。
 友部駅の発車メロディは坂本九の「幸せなら手をたたこう」だ。何で坂本九なのか。ふと昔の記憶がよみがえる。柏木由紀子と挙式したのは、確か笠間稲荷だった。芸能人としては異例な感じがあったので覚えていた。水戸線の中、スマホで調べた。坂本九は戦時中に笠間に疎開していたそうだ。なるほどなぁ。

(福原駅の連絡橋から)


(210円駐車場)


 福原駅到着。下車した乗客は5人ほど。山スタイルは自分だけ。2時前なのに、出がけと同様に寒く、うっすらとガスも漂っている。12台ほどの車が置かれていた。

 時間が早いので、高速は使わずに国道50号でずっと西に向かった。日曜日だし、実家のある小山は素通り。結局3時間ほどかかった。
 たかが7時間弱の歩きではあった。そして、ラストは道間違いで、オーソドックスな歩きはできずに、また改めての歩きの課題をつくってしまった。まぁ、それはそれでいい。家の中ではいまだに不自由な歩きをしてはいるが、外では何とか人並みの歩きができるようになった。そろそろ…はまだ早いかなぁ。

(本日の軌跡。何せロングランにつき、地図上のスポット名は読めない)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

 これは一週間前の歩き。いつもなら仕事の合い間にやったりもしたが、何かと忙しく、昨日の8日も催事で出勤。さらに今日は愛犬の納骨儀式に参加したりしてアップもつい遅くなってしまった。余計な話だが、納骨堂を前にして、妻は愛犬が耳を立ててこっちに駆けて来る姿を幻で見たと終始泣いていた。こちらもついしんみりとしてしまった。

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6 コメント

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Unknown (瀑泉)
2018-12-10 22:15:41
我がトレーニングコースへようこそ。実は,昨日も雪山に行きたくても行けず,仕方なく難台山を歩いておりましたヨ。
とはいえ,自分が山トレと書いているのは,愛宕山中腹~難台山の往復か,乗越峠~難台山~吾国山の往復で,吾国山の山頂から西へは向かったことが無いから,丁石やらカタクリ群生地があることなど,知りませんでしたが。
それはさておき,このコース,アップダウンばかりだったでしょう(笑)。ご指摘のとおり,団子石峠~団子山頂への三段に連なる坂と,吾国山直下の登りが,此処は一番キツイのですヨ。
それと,トレランも多かったと思いますが,此処はトレランコースの一部になっていて,旧八郷町役場から難台山,吾国山,オマケに加波山を越えて周回する大会が秋に開かれています。
それにしても,迷走。ナンデそこで迷いますかネェ~。
冒頭読んで,乗越峠の駐車場手前で直進するところを右(五霊方面)へ行って,愛宕山神社に寄れなかった・・・という展開だろうと思っていたのに,さすがにその展開は読めませんでしたヨ(笑)。
ちなみに,何度か出てくる館岸山ですが,その駒場の北にある羽梨山神社辺りから,館岸山~加賀田山~難台山と周回するのを「宍戸アルプス」と称しています。
一度歩けば十分なので,しばらく歩いていませんが,昔あったヤブルートも,今は少なからず手が加えられているようですヨ。
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Unknown (ぶなじろう)
2018-12-10 22:32:14
今晩は。
吾国山~難台山、お疲れ様でした。
道祖神峠からの登り、自分にとってもかなりキツイものでした。
難台山の山頂部は、古い城跡と伝えられているようで、そんな事もあって、「山頂らしからぬ」雰囲気を感じとられたのかもしれませんね。山頂先の「難台山城→」は、小山若犬丸事件の地でして、ここに小山の小山若犬丸と筑波の小田五郎が立てこもり、北朝方(館岸山城)と対立したようです。北朝方の真壁が小山若犬丸らを支援していたようですが、佐竹に糧道を遮断され破れたとの事です。山腹の難台山城は地元の人々により案内標識が立てられております。段切り跡が何段か見受けられますが、藪城指向の人でないと城跡とは思えないかもしれません。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2018-12-11 13:52:39
瀑泉さん、こんにちは。
ということで、瀑泉さんのトレコースにお邪魔させていただきました。しかし、長かったですねぇ。まっとうな身体であっても、あのアップダウンの多さには参りましたというか、あきれてしまいました。
瀑泉さんが愛宕山中腹や乗越峠をトレーニングの起点にされるのもうなずけます。駅から歩いたのでは車道歩きが長すぎ、トレーニングにはなりませんからね。
瀑泉さんが吾国山の西側を歩かれていないのは意外ですが、手ごろな駐車地がないことも確かで、丁石にはうっすらと寄進者らしき名前が彫られているだけで、いつの時代のものなのか。年代でもわかれば気分もまた違ったでしょう。田んぼのあぜ道歩きもまた風流ではありましたけどね。
カタクリ群生地は吾国山の下の台地のすぐ下にあります。ロープがめぐらされていますが、それなりに楽しめるかなとは思って眺めていました。
どうも、吾国山先行の歩きはまだ楽だったようですね。瀑泉さんが「キツイ」とおっしゃるくらいですから、本当にきついのでしょう。私はそれを避けて下ったようなものですから。
やはり、乗越峠を左に行くなんてのは邪道でしたかね。間違えるなら右ですか。結果ではありますけど、それでも西参道から愛宕山にでも登っていたら、少しは展開も違っていたのでしょうが、これではねぇ。まぁ、愛宕山だけならまた行くことになりますから、また改めて西参道を下ってみるという手はありますね。
宍戸アルプスの情報ありがとうございます。調べてみます。年内は無理でも年明けにでもやってみますよ。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2018-12-11 13:53:15
ぶなじろうさん、こんにちは。
かつてぶなじろうさんがこのコースを歩かれたことがあったなと思い出し、その時の記事を帰ってから改めて拝見いたしました。
瀑泉さんのコメントにもありますが、このコースは、少しなめてかかったところもありましたけど、本当に半端じゃなかったですね。道祖神峠に限らず、アップダウンの多さには、最後は麻痺してしまい、何も感じなくなる始末でした。ただ、どん底まで下ってその分登り返すといったところがなかっただけでも幸いです。
難台山の山頂の件、なるほどですね。城跡ですか…。おそらくは見張り台、狼煙台でも置かれていたのでしょうか。
帰ってから難台(山)城のことは調べましたが、いまひとつ、当時の様子がよく理解できず、佐竹のおかげで籠城することになったということだけはわかりました。なるほど、そういうことですか。ぶなじろうさんのご説明は単純明快ですね。
やはりぶなじろうさんは城跡に行かれていましたか。明瞭な城跡になっていないようなら、私レベルでは行ってもぶらぶらしておしまいといったところでしょうね。
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Unknown (ふみふみぃ)
2018-12-17 08:35:31
確かに茨城の山は車道歩きを強いられることが多い気がします。私もリハビリで加波山辺りを歩きましたがあそこも結構舗装路歩きでした。低山だから人の手が入りやすいと言う事なんでしょうか。
この日栃木は天気が良かった記憶がありますが茨城は一日どんよりでしたか。それでも紅葉を考えるとこの辺り歩くのはちょうどいいタイミングなんでしょう。私もこのルート気が向いたら歩こうと思ってますがもう今年は最適期が過ぎたようですね。
迷走して体力を削られたようですが、最近低山の細かくアップダウン有る方が単純標高差のある2000m級の尾根縦走よりきついのかなと思いました。
茨城人の電車マナーは悪いですか(笑)。私の最寄り駅はそんなこともないですが常磐線は違うんですかね。常磐線は電車内で酒盛りしてるらしいしきっと文化が違うんでしょう。
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2018-12-17 13:22:31
ふみふみぃさん、こんにちは。
茨城県につきましては、私は部外者といった感じがありますので、山のことも含めて、あまり強い口調で何やかや言うのは控えさせていただきます。ことに批判的な記述は遠慮させていただきます(笑)。
確かに車道クロスというのが多いですね。まぁ、これは奥武蔵の山にも見受けられることですから、茨城特有ということではないでしょう。ただ、その分、この車道をうまく利用すれば、バラエティなコース取りも可能ということにはなるでしょうが、地元外の自分には、どうも地理的な把握がしづらくて、こうしてフィニッシュ部で逆にはまったりするわけですよ。ただ、地図を持っていたとしても、それを見ながらの歩きというのはかなり厳しかったかもしれません。地図に出ていない道が結構あるようでしたし。
近いうちにまたどこかを歩こうかと思ってはいますが、やはり、ネット記事を見る限りは、車道クロスは避けられないようですね。
今回の吾国山、難台山の縦走はかなり疲れました。上り、下りの繰り返しが、当初はまたか程度でしたが、後半はもう無表情になっていましたよ。
常磐線の文化ですか。確かに酒盛りに関しては、高崎線、宇都宮線の順に消え、常磐線のみに伝統が残っているという話は聞いたことがあります。私の以前の会社の同僚にも、とんでもなく水戸から新宿まで通っている方がいましたけど、通過待ちとかの際に、ホームで缶ビールを買って飲むと言っていましたね。一人でこれですから、複数になったら酒盛りにもなるでしょう。マナーに関しての発言は控えさせていただきますよ。「一事が万事」なんて記しちゃいましたけどね。
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