博多で仕事を済ませ、経費節減のため深夜の高速道路をひた走る
夜行バスで帰ることにした。
22時前に博多を出発するバスまでの時間を潰す為に、
それじゃ~少しウロウロして帰ろうと博多からそのバスに乗車せずに
小倉駅前からの乗車券を購入した。
どうも博多は都会すぎるので、小倉でウロウロする事にしたからだ。
数年前に少しブームになったが、小倉駅を二駅ほど行き過ぎた九州の玄関口
門司港のレトロな雰囲気を味わう事にした。
で、1時間と少しで博多駅から門司港駅に到着する。
本当に古いひなびた駅である。
先の昭和の不幸な時代は、この駅が祖国との別れの駅であり、又、
多くの今も在日する旧植民地、及び統治国の人々にとっては日本への第一歩を
ここよりスタートした駅でもあろう。
戦中は300万人の軍人や軍属がこの駅を利用して戦地や外地へ向かい
半数の人たちがこの駅へ帰ることができなかった死出の旅立ちの駅でもある。
そんな歴史観を持って、プラットホームに降り立った。
で、駅前から早速、開放的な駅前広場の周りを見渡してみた。
空が冷たく灰色で低いがどこからか流れ込む温かい海風が気持ちよい。
少し歩いただけで古い港湾関連の旧施設の建物や旧財閥の社交クラブを
見ることができる。
そんな門司港の港湾地域を散策していて感じたことであるが、
んんんん~~~~~~?
町興しとしてこのように整備修復されているものをレトロと呼んでよいのか?
できることなら、古びたままで手付かずの朽ちたら朽ちたままの方が
良いのではないであろうかと思いつつも古き往年の栄えた港光景を
思い描きつつ、今にある街の雰囲気を楽しんでみようと少し決意して
相当な距離をガイドブックを頼りにせずに自分なりの観点があろうかと
意を決めてようし~~~と歩く事にした。
♪ いい日旅立ち・西へ 谷村新司
西へ向かう私は出会いを求める訳でもなく、又、新しい自分を見つけることも無く
今、生きているという現実を忘れたいが為の旅なのかもしれない。
この頃では既に遠くへ行くという行動が無心に近い行動になりつつある。
そんな最近にあって、生きるという辛さや深刻な悩みや思考すれば思考するほど
苦しい事象の絵巻物が走馬灯のように回転して脳内で色合いや図柄が混ざり合っているが、
時として単純にその地へ正確にたどり着く事と到着時間だけを目的とする事が
全てである行動に集中する事ができる往路でそれら脳内の混合された分からないものを
全てを捨てることができている。
復路は、往路の苦労の為に疲労困憊していて、朦朧たる意識の中でのみ
その意識に働きかける強烈な事象にしか感情の反応は起りはしない。
その時の私の脳内はある意味、事象に反応しないインポテンツなのだろう。
よほどの刺激が無いと感情の喚起は無いようだ
そんな状態で、レトロ化されていない素の門司港、そして後日記載するが小倉の街は
久々の反応を得る事ができた。
仙台が静的美しさに感動を得ることができたと表現するなら、
小倉、門司を含む北九州は、性的魅力を感じる。
夜行バスで帰ることにした。
22時前に博多を出発するバスまでの時間を潰す為に、
それじゃ~少しウロウロして帰ろうと博多からそのバスに乗車せずに
小倉駅前からの乗車券を購入した。
どうも博多は都会すぎるので、小倉でウロウロする事にしたからだ。
数年前に少しブームになったが、小倉駅を二駅ほど行き過ぎた九州の玄関口
門司港のレトロな雰囲気を味わう事にした。
で、1時間と少しで博多駅から門司港駅に到着する。
本当に古いひなびた駅である。
先の昭和の不幸な時代は、この駅が祖国との別れの駅であり、又、
多くの今も在日する旧植民地、及び統治国の人々にとっては日本への第一歩を
ここよりスタートした駅でもあろう。
戦中は300万人の軍人や軍属がこの駅を利用して戦地や外地へ向かい
半数の人たちがこの駅へ帰ることができなかった死出の旅立ちの駅でもある。
そんな歴史観を持って、プラットホームに降り立った。
で、駅前から早速、開放的な駅前広場の周りを見渡してみた。
空が冷たく灰色で低いがどこからか流れ込む温かい海風が気持ちよい。
少し歩いただけで古い港湾関連の旧施設の建物や旧財閥の社交クラブを
見ることができる。
そんな門司港の港湾地域を散策していて感じたことであるが、
んんんん~~~~~~?
町興しとしてこのように整備修復されているものをレトロと呼んでよいのか?
できることなら、古びたままで手付かずの朽ちたら朽ちたままの方が
良いのではないであろうかと思いつつも古き往年の栄えた港光景を
思い描きつつ、今にある街の雰囲気を楽しんでみようと少し決意して
相当な距離をガイドブックを頼りにせずに自分なりの観点があろうかと
意を決めてようし~~~と歩く事にした。
♪ いい日旅立ち・西へ 谷村新司
西へ向かう私は出会いを求める訳でもなく、又、新しい自分を見つけることも無く
今、生きているという現実を忘れたいが為の旅なのかもしれない。
この頃では既に遠くへ行くという行動が無心に近い行動になりつつある。
そんな最近にあって、生きるという辛さや深刻な悩みや思考すれば思考するほど
苦しい事象の絵巻物が走馬灯のように回転して脳内で色合いや図柄が混ざり合っているが、
時として単純にその地へ正確にたどり着く事と到着時間だけを目的とする事が
全てである行動に集中する事ができる往路でそれら脳内の混合された分からないものを
全てを捨てることができている。
復路は、往路の苦労の為に疲労困憊していて、朦朧たる意識の中でのみ
その意識に働きかける強烈な事象にしか感情の反応は起りはしない。
その時の私の脳内はある意味、事象に反応しないインポテンツなのだろう。
よほどの刺激が無いと感情の喚起は無いようだ
そんな状態で、レトロ化されていない素の門司港、そして後日記載するが小倉の街は
久々の反応を得る事ができた。
仙台が静的美しさに感動を得ることができたと表現するなら、
小倉、門司を含む北九州は、性的魅力を感じる。
九州で仕事か?
漬物探しに家まで見に行ったら
店しまってるしどうしたんか思てコメントしました。
コニやんでした
先日はZX1000Rの井上氏と再会を果たしました。諸橋氏はご存知か?良く遊んでます。一回昔の爆走仲間で同窓会をしなければいけませんな~。私への連絡先はこのブログでは明らかにしませんが、マックさんの家のマスターに聞けば分かります。
震災以降、色々と考えすぎて何もかもに疲れたので、《流浪の人》の今日この頃です。
人生の目標を見失いました。
よって、残りの人生をどのように生きるかを探しています。
どうも、京都にはそれが無くて、東北辺りにありそうな気がしています。
松尾芭蕉の旅立ちの発心に近いなと、自身で良いように解釈しています。FACEBOOKでお友達依頼をしてもらえれば詳細をお伝えもできます。
ブログ上での再開を本当に嬉しく思います。
私は太って悲惨です。昔のように最速の池やんではありません。北陸道のあの時のように時速200km超えてエンジン焼付きましたが、まだ、転倒していません。まだ、韋駄天の精神は健在です。