池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

Country  Gentleman

2012年12月28日 | 愛する人
田舎住まいを始めて早いもので1年と半年を過ぎようとしている。
たぶんこのブログ文面のアップが本年最後になるであろうかと思う。

田舎暮らしを始めて当初の3ヶ月は本当に何もしないでいた。
というより、まったく体が動かずに意欲沸かないでいた。
精神的に疲れ、対人的にも疲れ、生き方そのものに疲れ・・・・・。
恐ろしい事をも考えていたし、恐ろしい事を実行する方が良作かもなどと
日々空を眺めては考えていた。
重大な体の疾患や遅々と進まぬ怪我の回復を抱えていたし、
先行きの見えない自分に精神状態も今は振り返る事ができるが
尋常でなかったように思う。



田舎住まいを始める前の1年間に災難が4度訪れた。
1度目は、足が思うように動かなくて浮腫みが目立つ。痛くてまともに歩けない。
その治療に通っている時、思うように足が動かないので営業活動の移動を
アクセルとブレーキ操作が遅れるので市バスでしていて
最寄のバス停で下車時に市バスの降車口から転落。
膝の半月板が両足砕けた。
それでも、信頼置けるウッチー(愛称)整形外科へ通院を続けて徐々に良くなりつつ
なってきたある日へ1度目の交通事故。
車道で側面から跳ねられた。
考え事が多くて、注意散漫であったことが原因。
肋骨と右肩、右腕に強烈な打撲。全身、青あざ。
足の動き、膝が少し良くなったので筋力を維持しようと、自転車に乗る日を増やす。
京都市内はほとんど自転車で移動することにした。
夕方、信号無視のおばさんドライバーに停車中に撥ねられた。
私が居てるのが見えなかったと言う。

その治療中、採尿検査で血尿が止まらない。

ハイ!腎臓がパンクである!

もうこうなれば落ち込みまくり。

そしてダメ押しの一発!転倒で左腕の骨折・肋軟骨損傷。



京の街中での生活を一区切りをして今までの仕事を良く考え田舎暮らしを
薦めてくれる方がいた。陶芸家の師である。
あの一言が無ければまだまだその時の≪業≫へばりついて結局は命を縮めていたか、
心を患っていたように思う。

それなりに事業に関しては悩みはあった。万年資金不足。
整理して少し休もうという気持ちになるには少し時間がかかったように思う。
しかし、このままでは体が持たないという事がすぐ理解できるようになった。
日常の生活に周りの親しい方から再三にわたり注意を受け、叱られてはいたが・・・。
まったく寝耳に水。無視はしていないがなぜキツク偉そうに言われているのかが
理解できずにいた。
しかし、そんな態度に呆れられてその声を聞かなくなったし友情も去っていった。
直後、強烈な災いが≪イワンこっちゃ無い≫その状態で次々に身に降りかかったのである。

中学生の頃、中国大陸で軽機関銃を持ち抗日と戦っていた叔父が私に良く言った。
「お前は我がきつく自身しか信用していない。だから弾に当たって死ぬのが一番早い!」
「『身を伏せろ!』と言っているのに『当たるものか!』と言って死ぬ兵隊を見てきた。」
等と。

知人の案内で高野山へ行った後だったと思うある日、
体が辛くて寝られないでいる夜、うとうとしかけたら身内の夢を見た。
その墓参りに行った。墓裏の字をなぞり57歳で亡くなっていた。
その時、あと7年だと思ったのを明確に記憶している。
そんな理由で少し見つめなおす時期が来ていたのであろう
にぎやかで友人の多い私が取引先関係やお客を無責任な形で田舎に引っ越すと
誰もが真実でないと思ったらしい。

そんな私の独自発想世界を突拍子のない思い付きの≪池ワールドの展開論≫と
呼ぶ方が多くいる。
私は真剣に考えて行動をしているのであるが、繰り出される行動の発動が奇異に感じ、
どうやら、その方々は自分が常識人という錯覚からか私の行動をそのような目で
見ているようで、常識とはかけ離れた感を持たれているようでもある。
小馬鹿な嘲笑の目で私との会見の時間を持つ方もいる。
簡単に論破できる持論展開をする方もおいでだ。

では、その、奇異に感じることの多い行動常識とは何か?
先回も述べたことがあるが≪常識≫とは、個人各位の感覚の多数であり
≪常識外れ≫という確定は大いなる勘違いの表現であるようにしか私は考えていない。
多数決で決定された≪常識≫を構成する意見要素の中で≪常識外れ≫の中に
≪常識≫のParadox(逆説)の≪常識外れ≫の中に正論が生じないか?
そこを深く考える事が私の場合多い。

多数決は、物象に関して正否を問うものでも無いし、事実を確証する為の同意数でも無い。
そして、事実の起こしうる将来の予測を決定するものでは無い。
この事が私の行動原則である。

私の感覚や実際の生活や行動で。私自身なんら独自性があるとは考えていない。
私にとっては普通。


名曲探訪 ・「新日本紀行」 富田勲 / Isao Tomita



田舎に住んでいてテレビや新聞などの放送局の発する電波や新聞社の活字で
一方向性に伝わる雑多な情報より開放され、なんら影響の無い時空に身を置いていると
山の向こうの向こうの向こう・・・・・、かえって、都市の状況がよく見えるものである。
田舎に住みながら都会にたまに出てゆく度に新しい変化や流れに目を配り観察していて
時流や流行に流されず、自らの考えを自身の力で実行する力が宿りそうにも思う。
そんな人、カントリージェントルマンに憧れていたりもする。

そのような人に憧れているからか、とことん静かな環境下で妄想を絶えず見ている。

とことん物象と事象の流れを観察考察し、その中で踊る本物を追求し生活に取り入れる事。

例えば・・・・・こんな理想をも考えていたりもする。
ヘンリー・プールのオーダースーツを作り
ターンブル&アッサーのオーダーシャツを誂え
ロックでソフト帽を買い、
ブリックで作られた絹張りの傘を手に霧のロンドンの街を歩き
7471番のナンバープレートのベントレーに乗って田舎道を飛ばしてみようか?
いやそれまでに、古いランチャで奥飛騨の温泉旅に出てみたいものだ。

気の合う仲間がいて静かに顔を寄せボソボソくだらない話をして
ときたま、草原の川原に寝て真上の空を見て、声をこらえて腹を抱えて笑ってみたい。

しかし、いつも笑う楽しい安楽な相手ではなく、
幾つになっても叱ってくれる方が居ない事は人生不幸な事で寂しい極みである。

叱ってくれた方のご好意で好物が届き、その方の叱ってくれた真意と真剣を改めて知り、
失ってから関係を取り戻す事は容易な事では無いと実感している。

歳をとってからの反省点が多すぎる。

大阪に行くと号泣する。

2012年12月18日 | 独特の感覚
衆議院総選挙が終わり、予想通りの結果を見て今後の日本は
果たしてどうなのであろうかと?
政治家の信用は既に地に落ちている結果が見て取れた。

世を治そうという関心の無き様相は投票率の低さが如実に表している。
というか、どの政党も候補者も私の目からすれば突き詰めた考えを持つでもなく
収支、どの論戦も≪日本再建≫を目指すところに落ち着き
結局、争点もイマイチはっきりしない選挙であったように感じている。
即ち、いかほどに日本が荒廃しているかという事の証明を、
その起源たる政治家自らが作った政策の非を認め政治家が方向転換をして行こう
という訳だから、その発する言葉の信憑性など微塵のかけらも無いのが
私自身の本音心中である。

日本国以外で過激な国民性と隠れた既存国体の転覆を図ろうとする過激組織を
持つ国であれば、このような時、クーデターが起こる可能性を秘めているのでは
ないであろうかと・・・・・・。
今日の午後、我家に向かう山の中腹に住む、ウイスキーのポケットボトル懐に忍ばせて
ちびちびやりながら焚き火をしている京都地紅茶研究所所長としばしの会談を行った。

氏は私が今こうして山村で粛々と計画を立案し実行している事に
関してその行動の早さにいつも驚いていると言っていた。

大阪生まれで大阪育ちで、成人直前に都合で京都に住むようになったが
京都の古い因習と高すぎるプライド故に他者排除の残る地域で住み活動するのは
苦痛だし、少し奇抜な事をすると≪人の目≫が最初に気になる小心な人達も多い。
そんな、旧家の付き合いや遠回しな言い方が嫌味に感じて、
思った事をストレート表現して、真理を返す私にはその相手も私自身も全く馴染めず、
未だに、上賀茂御薗橋を渡るときはヒヤヒヤ物である。
上賀茂神社などは・・・・もっての他。
即ち、影から覗いてヒソヒソ聞こえるように言う方々が多い。
私はそれを見つけると、おもむろに玄関に立ち今何を言ったのか問いただす。
相手は鍵を閉めるがごとく愛想を浮かべ相槌を言うが、
その時には卑屈であろう私の心情が本音を見透かしている。

そんな環境でうまくやっていける訳が無い。

両親にも私に関して旧家の本家や分家や身内に関して私の事でたいそう悩ませた。
若い頃、私の苗字のブランドが嫌で換えようと真剣に考えた事がある。

生まれて18年間は大阪で育った。
大阪市西区阿波座1丁目(旧中通2丁目45番地)私の故郷である。
出生地は大阪市大正区。此処を以前訪ねた事がある。
第二室戸台風以降に作られた防潮堤の高い壁に囲まれた場所で
板葺きの青磁色の建物が残っていた。



阿波座には少しの身内がいてるが高齢で少なくなってきた。
一番悲しかったのが2年前。
両親以外に唯一私の心情を察してくれる理解者が続けて他界した時。

私は人生で初めて孤独の恐怖が近々訪れる事の事実を認識した。
残るは実父一人になった気がした。



最近であるが、大阪市内に入るといつも泣く。
号泣するのだ。
車が運転できないほど泣く。
顔を見せられないほど電車の窓にへばりつく。

新御堂筋の淀川を江坂方面に渡る時、
阪急梅田駅で河原町に向けて特急が発車した時、
阪神高速守口線の扇町のSカーブを守口に向かう時、
地下鉄阿波座駅で九条からの電車を待つ時、
大阪市中央市場本場の夜の灯りが安治川に揺らぐ時。

等々・・・・・。

先日は所用で宿泊した茶屋町の高層ホテルの夜の窓から部屋の明かりをすべて消し
かすかに聞こえる街の喧騒、淀川越しに北方向の大阪の夜景を高い位置から眺めていた。

好きなはずの孤独が怖くて寝られなかった。

大阪の雑多な事象が私には心地よい刺激であるが、その昔ながらなんら変化の無い
人の自由な発想が生み出す雑多の中に居る事による心の安らぎとの別れと
同時に想い出を一瞬回顧した心地よい水中浮遊のような時間とも別れる。
再度、何時でも来れるのにこれで最後と区切りをつけてしまい
辛くて永遠の別れにいつも感じて仕方が無い。

23・4歳の頃、会社の提携した社員食堂でいつも朝飯を食っていた。
朝8時には一仕事終えて飯をたらふく食っていた。
その食堂の窓からは、川が見えた。
安治川が眼下を緑と茶を水彩絵具を洗い水に混ぜたような水面が止まる速さで
日々変わらず左から右に流れていた。
毎朝、同じ時間に引き舟がゴミを満載にした艀(はしけ)を引き下っていく。
緩やかなスピード。引き波も穏やかで護岸への波も低く。
窓辺に席を取りその船が来たら席を立つのが習慣になっていたような気がする。

その時も思ったのだが、私はゴミを積んだ艀のようだと。
不必要なものを一杯積み込まれて、滑るように引っぱられ、
埋立地で排出したらその責は終わる事を毎日繰り返していると。

いつも、そんな艀を見ては自分と艀を同化してしまい、
その訳を憂鬱に感じて≪将来はどうなんだろう?≫と考えていた。

無難な回答だけしか考える事しかできずにいたし、
平凡な回答しか得る事ができずにいた。

今、この歳になるまで生きていれるかどうかも予測はできなかったし、
その時、母の死が訪れている事すら思いもしないし考えもしていない。
どんな生活をしているかも分からなかったし、
どんな生き方をしているであろうも予想ができないでいた。

現在も将来に関して訳の分からぬ事は今までと同様。
若い頃と違うのは残り時間という高速の引き舟に引かれている満載の艀である事。
私は一生≪不必要のゴミを投棄している艀≫なのだと確信を持っている。

大阪ビッグ・リバー・ブルース 憂歌団('88)


久々に、年末は大阪に出てみようかと思う。
クリスマスが良いかも。

皆が楽しそうな喧噪の中で静かに周りを見てみようかと・・・・。

川口町の川口教会はどうだろうか?
子供時代の地元であったが行った事が無いので興味もある。

安治川の流れは変わらぬか?これも見てみたい。
船津橋から・・・・・・。

争いの虚しさや無意味さは愛の究極完結と死を目撃して変化する。

2012年12月10日 | 言わせてもらいます。
私の長閑な山村にも衆議院選挙が公示されて候補者の選挙カーが
登場するようになった。いつものごとく「闘っている!」そうだ。
しかし、街中で住んでいた頃とは大違い、一度来たら全くその候補者は現れない。
人口の少ない地域での選挙活動自体が効率が悪いからだと思う。
いわゆる、大票田での得票を争うほうが効率が良いわけで、
うるさくないのは嬉しくもあるが、なんか少し政策からの疎外感を感じるのも
さびしい気持ちもまたある。

《日本国は重大な問題を抱えている。》

この言葉は私が選挙権を持ってから毎回全く変わらなく30年以上の政治課題として、
政治家は選挙の度に言っている。
いつまでも重大な問題を抱えているのもおかしく思えてしまう。
その解決策を任した事に大いに裏切られた国民は、
政治家に託して実際に良いのか?
この国の進むべき道の真理はどこにあるのか?を
現在、見極めきれずに居るのが今の有権者の実際なのであろう。
少なくとも政治と日本の将来を真剣に突き詰めて考えている有権者の方々に
あって限定される事であるが。

政治という言葉が現状日本国では、本当に良い方策を見失っているから、
国自体の足元が不安定で、他国から付け入る隙を当てえてしまうのである。
又、政治家がしがらみが多すぎるのも問題。
支持を受ける団体の顔色を伺いながらの政治がほとんどに感じるが?

とにかく分析力に乏しい我が日本国。
もう少しまともになって欲しいと思う今日この頃の現状である。

さて前置きが長くなったが、その重大な問題を抱えているところに
今回焦点を合わしこのブログで気ままに論じていく。

決して、思想的に《右・左》だとか《赤》だとか、《白》では無い事を
先に基本として確認していただきたいし、弁明をしておく。

国に付いて考えてみた。

我が国日本国は《帝国》である。
異論を唱える方もいようが、私はこのように思う。
神話の世界を信じたくは無いが、遠く昔から一国の国王として
不幸にも分裂の時期はあったが2672年続く一統不滅の帝国である。
日本国憲法では、日本国の国王=天皇は下記のとおりは御承知であろう。

≪天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
         この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

日本国憲法第1条は、日本国憲法の先頭に置かれた条文として、
その内容は、天皇が「象徴」の地位に有り、象徴であり続けられるか否かは
主権のある日本国民の総意に基づいて決定される。
この一文は、日本国が国民が主権者である事の根拠である事、
象徴とは日本国の象徴であり日本国民の秩序とまとまりをもった状態の象徴で
あって【日本国民の象徴】ではない。

その、日本国民の秩序とまとまりを持った状態の象徴である天皇に対して
非礼極まりない事を言う外国要人が居る事に怒り心頭である。

だから私はその国が嫌いだ。
そして、それをないがしろにして自己の選挙の事を優先する政治家も嫌いだ。
正直でないどこか知識階級エリートを気取るマスコミはもっと嫌!

旧中山道を≪一日中山道(いちにちじゅうやまみち)≫と読む
アナウンサーが居るような在京テレビ局の程度の低い脳内の持ち主が作る
発信一方向性であるテレビ番組は最悪である。
どうも見ていて馬鹿になりそうな気がする。

Romeo y Julieta: Los infantes de Verona (Acto 1)



物語は下記のごとく進展を見せる。
≪ロミオとジュリエット≫発音では「ロメオとジュリエット」
この方が何となくしっくりする。
周知のとおりシェイクスピアによる戯曲。

舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナは、
1239年に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、
近隣のロンバルディア同盟諸国を征服しその絶頂期にあったが、
ローマ教皇グレゴリウス9世はフリードリヒ2世を反キリストであると非難して
近隣ロンバルディア同盟諸国を擁護し、再破門したことから戦争となってしまう。
物語ではヴェローナの支配層は教皇派の属する(キャブレット家)と
皇帝派に属する(モンタギュー家)に分かれて争いが繰り広げられて抗争を
繰り返す事に巻込まれていた。

一昔前の関西ヤクザの分裂による抗争の様相に似ている。

モンタギュー家の一人息子ロミオは、ロザラインへの片想いに苦しんでいる。
気晴らしにと、友人達とキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、
キャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。
私はここで気の早い男とイマイチ好きではない男子像でもあるのだが(笑)
二人は修道僧ロレンス(物分りの良い親父)の元で秘かに結婚。
ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打つきっかけになる事を期待する。

しかし、その直後、ロミオは友人と共に街頭での争いに巻き込まれ、
親友・マキューシオを殺された事に逆上したロミオはキャピュレット夫人の甥
ティボルト(ジュリエットに片思いしている。)を殺してしまう。
ヴェローナの大公エスカラス(争いを止めることのできないこの土地の権力者)は、
ロミオを追放の罪に処する。
一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに大公の親戚のパリスと
結婚する事を命じる。

ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、
仮死の毒を使った計略を立てる。
しかし、この計画は追放されていたロミオにうまく伝わらなかった。
(時間的相違いによる。)
そのため、ジュリエットが死んだと思ったロミオは彼女の墓で毒を飲んで死に、
その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追う。
(物語的に現実的ではないはが、物語としてはこの方が悲劇的で観客も同調しやすい。)
事の真相を知り悲嘆に暮れる両家は無意味な事の反省を理解し悲劇の死を哀れみ
真実を理解し、ついに和解する。

全編で白装束で付きまとい踊るのが≪死≫のキャラクター。
開幕後、一番最初に星の元で青い光の下で踊る。
ここから登場する≪死≫は登場人物に絡む事に重要な意味を持つ。
この登場が、このミュージカルという娯楽劇でありながら深く考えると
その争いの意味を最後まで引きずり考えさせる。

しかし、演者の動き、動作、歌唱、舞台照明、どれも素晴らしくすごい迫力だった。

○主な登場人物
ロミオ - モンタギュー家の一人息子
ジュリエット - キャピュレット家の一人娘
ティボルト - キャピュレット夫人の甥。彼女に片思いしている。
ベンヴォーリオ - モンタギューの甥でありロミオの友人
マキューシオ - ヴェローナ公の甥でありロミオの友人
ロレンス神父 - 街の教会の神父。ロミオとジュリエットの秘密婚儀を取りなす。
ジュリエットの乳母 -
モンタギュー卿 - モンタギュー家の家長
モンタギュー夫人 - モンタギューの妻。キャピュレット夫人と対立している。
キャピュレット卿 - キャピュレット家の家長
キャピュレット夫人 - キャピュレットの妻。モンタギュー夫人と対立している。
ヴェローナ公 - ヴェローナの領主。モンタギュー家とキャピュレット家の対立に
頭を悩ませている。
ピーター - ジュリエットの乳母の従者
パリス - ジュリエットの婚約者


Romeo y Julieta: Los infantes de Verona (Acto 2)


ロメオとジュリエットは、登場人物の性格よりも、周囲の状況や偶然などの
「運命」と呼ぶべきものが、両者や周囲を悲劇的な結末へと物語を導いていく。
が、結末、いわばその運命に於ける犠牲者たる者たちの死によって
和解と理解が生まれる物語である。
即ち、殉ずる尊い犠牲によって間違った道筋や因習、考えが変化し
和解と理解と進展が生まれ、新しい恒久安定的な世界が広がるという事。
シェークスピアは争い事が無意味な事に気付いていて、
虚しさ、非生産性・非発展性について古に述べている。

人間の争い行動の本質とは何かを深く考える事をいつの時代にも
必要であるとこの物語は教えてくれる。

大陸の国との小さな島の所有権の争いは今に始まった事ではない。
島根県のあの島も沖縄県のあの島も・・・・・。

最近では少しおかしいと感じ始めている方々も多くなってきているのではないか?

では、その島に話し合いで考える事のできない方々が戦闘行動に出てきたらどうする?
日本が養ってきたアメリカ軍が追い返してくれる?
そして、
日米安全保障条約が発効し、アメリカが守ってくれる?

冗談じゃない!

アメリカには戦争権限法という法律がある。
大統領の権限で戦争を始めることができるが60日以内の戦争の期限がある。
60日以上戦争を遂行しようとするなら、議会の承認がいる。
日米安保保障条約の条文には・・・・・・
日本が防衛できる事は日本単独で防衛をすることが前提であり、
主権の及ぶところへの攻撃に対して安全を保障するという内容である。
上記を踏まえて、アメリカの議会があの小さな島を守る事が
アメリカ自体の利益を守る事になるのか?という事を考えれば・・・・

アメリカは絶対に出てこない。

先の大戦で、不幸にも≪特攻≫という言葉が美しく賛美される時代があった。
散華した方々は、本当に家族を守るために散華した。
家族を守れない事は恥なのである。
日本人は恥を知る民族である。
恥を知るなら≪死≫を選ぶ。=武士道の根本
日本人と大陸人との違いはこの道に関しての認識の違いを述べると的確では
ないだろうか?
道徳の中心を担うもの・・・・・・
≪道≫である
とにかく、フランス語訳もお付けしないが舞台芸術を2時間半程見ていただきたく思う。
私の日々の格闘的争いや不満に対する考え方が変わった原因はこの舞台のストーリーから
感じたものである。
機会あって、この舞台を見る機会に恵まれて劇場へ足を運んだ。
世界を巡演していて相当数の観客を動員しているようだ。

日本にこのような圧倒的迫力と美的演出と動作を持つものを
私は見受けたことが無い。
現状、日本のこのような舞台芸術は、芸術ではなく芸能にくくられる。
歌舞伎界も芸術ではなく今では芸能色が強い。
それも溢れていてメディアで流行るものは稚拙で世界の中で唯一日本固有ではなく
無国籍化をしている様にさえ写る。

昨今、その《道》を全ての物に感じる事ができないでいる。

その日本にいる私は不幸だ。

私はヴェローナに住みたい。

今回のブログは長文になった。




《旅の終りに》見つけた事

2012年12月02日 | 独特の感覚
今朝は寒く冷え込んだ。
京都市内から見るわたしの住む方向の山々の峰は白いらしい。
先程、我家を訪ねようとする友人からの連絡で分かった。

昨年の今頃、私は全国を旅する事を始めて1ヶ月が過ぎようとしていた。
その時は閉塞感ににもがいているようでもあったが、
何かしら行動する事により周りから偶然にも全国を旅をし、
又、今後の自分の行動に新たな風を呼び込むことが期待できるであろう
仕事の斡旋も受ける事ができたので、喜んで全国を飛び回っていた。
即ち、往路又は復路はその斡旋を請けた仕事。
その仕事を終了又は始業前に自身の仕事を行っていた。
1週間で5000kmを超える移動をも難なくこなしていた。

その一例はこうである。
月曜日の午後、新潟県新発田市へ出発し、火曜日の午後、京都に帰ってくる。
水曜日の午後、福岡県福岡市へ出発し、自身の営業活動を済ませて夜行高速バスで
木曜日早朝、北九州市小倉から帰ってきて短い我家での休息を得て、
木曜日午前、青森県八戸へ金曜日の午後遅くに到着し夜行高速バスで
土曜日、東京都内まで戻り京都へ在来線で戻る。
このような状態で1週間が終わる。

これを、11月~3月末まで。
この仕事をしながら多くの方と出会いその土地の風情を感じ思いつくままに
このブログでも記してきた事は周知のとおりであろうかと思う。

そんな中で、今も印象が深いところがある。
北から述べると、
八戸・仙台・門司・阿蘇

阿蘇に関しては全くこの請け負った仕事の流れの中ではなく、
自身の高校時代の思い出を思い起こしたく思った事が出発のきっかけである。

今もその阿蘇や九州の自然や風景や言葉や人柄や食に惹かれて続けて
その九州への探究心は止まないでいる。

関西圏で住む私の食感に対しての欲求に近いものがそこかしこに
溢れていて珍しくお土産にお金を使ってしまう。

一言で言うと・・・・・・
原料が好く見えて素朴!
九州の中でその中でも影が薄い熊本・大分が農産加工の取り組みの中で
マーケティングを最先に考えた商品開発能力すごいと思う!

これは行政の力添えも実に系統として誰でも取り組め参加できる解放的な
民力(民間資本)に素直なシステムである事が実に効率よく発揮されている
からの結果であろうであろう。

冠二郎 - 旅の終りに


そんな心中と観点を持つ私は、この頃よく言われる農業の農商工連携、
六次産業化の推進を国は声高らかに農業の現況打破のために
起業の推進を言いその補助・助成を言うのであるが・・・・・・
常にそのコロコロと変わる施策のこれでもかという打ち出し方に
信任できない本当に大丈夫なのか????とが付きまとう。
なぜなら、どうも民の動きを助力するという事を法制化する事自体に
型枠が見えてしまい足取りが重く、反って進捗が遅れ、製造者と販売者の思う
製品にこめられた思いが消費者への伝播拡販がスポイルされてしまう
かえってアリガタ迷惑なものになるような気がしてならないし
制度自体の真髄を見る事が薄い霧に包まれてしまうのではないであろうか?
などと危惧の念すらこの頃では芽生えだしてきた。

実際、国の制度は育てていこうとする構造改変について、
物の流れ、金の流れ、資金調達(提供)、関わる人、
《官僚の天下り先の支援ファンドを実施する組織を作った!》
ようにしか私には映らない。
これに対して、多くの商工会議所や経済団体が賛成を唱えている事も
不思議ではならない。
《儲かる》などと稚拙な考えではいけないのである。
まして、
《六次産業化を一次産業従事者である農業者は二次、三次産業者と協調して
 推進する事により、農業の基本的構造を変えて利益を得る》
という事自体が机上の論議でしかないところも考えなければいけない。
一次産業者が二次三次産業者の産業部門に二次三次産業者と手を組んで
起業し侵攻していき、二次・三次産業者の商粋に食い込もうというのである。
戦略が稚拙極まりない。
食い込まれて困るものがなぜ手を組むことができる????

その言える根拠は、私は二次産業者であり、三次産業者でもある。
その私が一次産業を実践しているからだ。
私は、だから農業を分離独立させている。

六次産業化を国の施策に従い起業して、もし失敗したら・・・・
責任を取るのは。一次・二次・三次産業者だけであり、
国がバックアップしている六次産業を起業するときに
出資ファンドを提供した株式会社はその設立に関与する資本と
取締役を引き上げるだけでよい。

掛けた梯子をはずす事ができる仕組みでもある。
道義的責任はどうなる?経営上許されない卑怯なシステムを国は推進している。
農業者はこれに気付く事ができるか?

言葉は悪いが、《民・百姓はいつも殿様の下》
甘い言葉には発する《輩》の下心と策略がある。

まともな農業者向けへの施策は県庁や府庁など地方行政に
派手な打ち上げ花火は無いが手で持って家族で楽しめる花火のような
優しく現状の事業規模に即した適量の作戦と適量の幸福、
苦労の実例、先史が多々埋もれている。
先人の知恵と幸福の価値を実感しようではないか!

その事だけを悩む農業者・商工業者の皆さんへお伝えしたい。

《旅の終わり》に見つけた事
私は、ばかばかしい日本での旅は終わる。