池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

現在の私の体調変化を経緯説明する。その3

2008年05月23日 | 生活習慣病の事
先回は、化膿部位を切開し膿を出す処置をしてもらったが、
その2日後、いつもの予約診療で、抗生物質の点滴と、
ガーゼ交換、傷口の洗浄のために第二日赤病院へと通院を再開した。



担当の皮膚科医が、切開後の傷口を見て、

《外科医さんで切ってもらったのですね、完璧に処置が出来ていますよ。
 これで直りも早いと思います。》

と、言っていた。

《傷口が完璧にふさがるまで1ヶ月以上はかかると考えてください。
 傷口は、流水(水道水)で洗ってください。
 お風呂はシャワーのみでお願いします。抗生物質の投与は続けます。》

とのこと、
気が重くなる。
なんせ、怖いのと、まだまだ傷口が痛くて仕方がない。そこを流せという。
私はできない。
傷口のガーゼ交換をするだけで大量の出血をするので、
少し無理であろうと思う。
本当に大量に吹き出るのである。
ぽっかり開いた、直径10センチ弱のふくらはぎの穴をいくら自分の足とはいえ、
シャワーで流す勇気がない。またばい菌でも入ったらどうしよう。
と、思うからだ。

しかし体全体が自分でも汚れているのは分かるのであるが、
今しばらく我慢をすることにする。

少し、歩けるようになってからでよいと結論付けた。

その4日後、11月の5日であったと思うが、ひどい血尿が始まった。
その1日後、血液検査で糖尿病の数値が出た。

そして、克服してやると闘志が沸き、ダイエットを更に進めるために
食事をより制限を始めることにした。

その7日後に最悪の痛さが襲ってくる。

睾丸が痛くて仕方がない。体が冷えて寒くて仕方がない。

睾丸が息をしても痛いし、おしっこができないし、歩けないし、何より立てない。

また、急患でS先生を訪ねる、

《パンパンに腫れてます。少し触りますね・・・・・・
 ここですね、ここ・・・・・・・睾丸炎だ。風俗で遊んでない?
 そっ、必ず聞かんとだめなんでね!む・・・足からの菌悪さしてるね。》

わたしは、気が遠くなり^、ふらふらである。

点滴と抗生物質、痛み止めを処方していただき、家で少し楽になったので
横になると、猛烈に尿意をもよおしてきた。

トイレに這って行き、今迄で出たことのない量の透明の澄んだ尿が出る。
延々と出る。
その後10分ほどで、また尿意がしてまたすごい量の尿が出る。延々と出る。

すっとした。本当にすっとしたのである。
何年もたまっていたのが出尽くしたような感じである

その後、スムースにおしっこが出る。

パイプ詰まりがなくなったような感じがするのであるが・・・・・・・・。

その4に続く。

現在の私の体調変化を経緯説明する。その2

2008年05月20日 | 生活習慣病の事
先回、このテーマのその1で記述をしたが、
細菌性のこの病気は、大変恐ろしく、抗生物質の投与で原因菌を
体内より駆逐することによってその症状を改善方向に向けるのであるが、
点滴後なぜか疲れて仕方がない。だるく、眠気がすごい。

初診より2日後、第二日赤病院が休診なので、かかりつけ医のS先生を尋ねた、
私は、足が残ったことと、S先生の紹介状によりスムーズに診療が進んだことと、
痛みが少し和らいだことを報告した。

患部を見せたら、開口一番
《切開しましょう!化膿部がパンパンに膨れ上がって膿がたまっているので、
 切ります。膿を出しましょう。》
と、早速手術の準備に取り掛かる。

ここで、切開の手術について述べるが、麻酔は効いていない。

化膿部を熱いものがザクザクと切り進むたびに、体が硬直する。
我慢・・・・・・・・・・・・。

今までで一番痛い経験をした。
過去数回の骨折やバイクで転倒での怪我、靱帯損傷したときの痛さどころでは
ない。

顔面を刃物で傷つけたことがあるがそのようなものでもない。

術後、《化膿部位には麻酔が効きにくい。》と説明を受ける。

看護師さん(美人の方々)が、《良く我慢しましたね~。》
と言葉を頂戴し、自分に誇らしく、すがすがしく思う。

10月27日、この日の痛さは忘れることが出来そうにない。

その後、傷口に処置をしていただき、
無謀にもマック林道ツーリングクラブ主催の焼肉パーティーへ出向く。



歩けないが、アクセルとブレーキは踏めるので、キャラバンを自ら運転で
横に乗せたO下氏の介助(介護に近い?)で、大変助かり感謝する。

しかし、これだけで完治に向かうわけではなく、
11月に入り、大変なことが体に引き起こされてくるのである。

明日、その3に続く。


現在の私の体調変化を経緯説明する。その1

2008年05月20日 | 生活習慣病の事
久々の新規ブログ投稿は、昨年の6月ごろから始めた、
ダイエットについて記す事にする。
現在の体調になるまでの経緯をここに記しておきたいと思う。

痩せると心に決めてから、もうじき1年である。

昨年6月、あまりにも体が重いので体重計に載ってみたら、
一周回って元の位置こえて、トンとストップして、
《これはあかんやろぉ~~~っ!!!!!!!》と、ショックを受け、


出来るだけ車を使わずに、半径3~5キロ以内は自転車に乗るようにしたり、
近くは出来るだけ歩くようにしたり、
何よりもつらかったのであるが、食事の量を極端に減らすことにした。

これで風呂屋(竹殿湯)さんの体重計で112キロから109キロに
2ヶ月で減らすことができた。

9月は、急激な燃料高騰を理由に、自転車乗る回数と走行距離を増やすことに
専念し、月末からは念願のバイクも手に入れ、
ますます、体重の減少が見込まれると考えていたのであるが・・・・・・

10月18日、仕事中に不注意から転倒し、
右足ふくらはぎ内側に青い内出血の打撲傷を負う。
これが健康維持に対する考え方を変える一大事件となる。

10月25日、1週間で紫色に腫れて膝から下が形が変わってしまった
右足をひきずり、熱が引かず脂汗まみれの体を、気の遠くなる痛さをこらえて、
かかり付けの、S医師を訪ねる。
いつも優しい先生が厳しい表情で私の足を見て、
《右足ガス壊疽(えそ)の可能性があり、切断の可能性も有り、
 当院では処置不能!紹介状を書くので第二日赤病院救急へ向かうこと。》を
指示される。

気が重くなるし、それよりも動顚してしまう。

第二日赤へ向かい、救急の受付へ入ると車椅子を用意してくれているのであるが、
タイヤの空気圧が足りず結局歩くこととなる。

立ち上がると、血流が下り気が遠くなる激痛が襲ってくる。

で現れたのは、美人B女医先生である。安田美佐子に良く似た方であるが、
淡々と症状について、説明をしてくれる。

抗生物質の投与の件。レントゲンの件。切断の件。今後の治療の件。
今の体調の件。全治までの件。等々・・・・・。
久々の素直に受け入れることが出来る。

で、皮膚科の大声で熱心に説明してくれる、
先生が結局は全治までの担当に決まる。

病名は、蜂窩織炎(ほうかしょくえん)。

http://health.goo.ne.jp/medical/search/10OC1000.html
蜂窩織炎について、参考ページへ上記URLでリンクします。

右足切断は回避できた。まだ腐り方が足りなかったのか?

点滴等の処置を受けると、脂汗が引きすがすがしい。

だが足が痛くてしょうがない。

もう少し時間をたって一番ひどく化膿している最初の打撲箇所の傷口を
切開して、膿とガスを抜く事を知らされる。

でこの日はこれで終了。

入院を勧められたが、まじめの通院をすることを約束して帰してもらう。

以降の顛末は次回は明日に記すことにする。