池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

丸亀製麺の店舗急増

2012年01月29日 | 言わせてもらいます。
寒い日であった。又、九州福岡に向けて旅立つ事にした。
北風が強く、日本海側や北海道では寒波が押し寄せ大雪の日であった。
そんな中を京都を午前中に出発して西へ車を走らせた。
大阪~神戸~姫路~岡山~倉敷と順調に流れて、
西へ向く私は空腹感に襲われていながらも
上手く渋滞の時間を交してその街の時間のかかる箇所をすり抜けたくて
我慢をして車を走らせていた。
しかし、このペースで行くと、午後6時頃の福山、午後8時半頃に広島を
通過するとなると、どうしても福山市内の渋滞は避けられるようでなくて、
その手前で少し休憩を取って時間調整を企てる事にした。

出張の時には必ずと言って良いが釜揚げうどんを食す事が
この頃では当たり前になっている。
今まで訪れてきた店を良く考えてみると、
京都吉祥院・京都亀岡・兵庫姫路中地・岐阜垂井・滋賀水口・
広島宮島・宮城仙台駅前等々・・・・・。
本当に行く方面の丸亀製麺の店舗で必ず釜揚げうどんを食している。

で、倉敷を過ぎて思いついたのが笠岡の手前の《丸亀製麺》で釜揚げうどんを食す事。
この店はスルーしていたのであるが初めてここで釜揚げうどんを食す事にした。



で、入店すると元気な声でお出迎え!(嬉し)
うどんを茹で上げる釜場にいていた男性の声と共に他の方々もお出迎えの来店感謝の声。
すかさずいつもどおりに発注をする。
しかし、釜揚げの時間が5分ほどかかるというので、
今回初めて熱い出汁をかけて食べるカケうどんにする。
ネギとさくさくのテンカス、胡麻を降りかけ、
天丼用の御飯をよそってもらって席に着く。

やはり美味しい!

ここでその男性が温かいお茶を持ってきてくれる。
これは本来ならセルフサービスなのであるが
細やかな気配りに少し他店と違うサービスに又感激する。

精算をするときの妙齢の美人女性もそうであったがにこやかな応対で
それがアメリカ資本のジャンクフードMのようなマニュアル化された笑顔でなく
なんか心温まる笑顔だったので、
「何で笑顔美人ナン?」と意味も無く発してみると、
「ありがとうございます。又必ずお立ち寄りください。」の返答に
遠距離を運転してきた疲れを癒されてしまった。
単純かもしれないがこの店に寄ろうという気になってしまう。



福岡へ向かう途中、この丸亀製麺の店舗の急速な出店ペースについて考えてみた。

うどんを製麺所に外注せず、粗末にせずに店舗で製麺をしている事。
作っている現場が顧客から見えるという事。
味と価格のバランスが良い。
こだわりの主張。等々・・・・・・・・・・・・・。

このブログでは難しい流通や経営用語は使わないが自身の頭の中では数式と
経営コンサルタントよろしく金額とあるべき企業運営の王道が浮かんでいる。

要するに顧客満足と食に関する作り手側への信頼と安心を
絶妙のバランスで得ていて、製造の手の内を見せる販売のシステムが
そこに存在している。
以前、他店であったが少しクレームを言ってみたことがあるが
その対処の方法は十分満足するものであった。
スーパーバイザーさんは各店その指導にご苦労されているのであろう。

タバコを少しこの頃嗜む私は食後に店外でタバコを吸っていた。
そうすると、これからの時間をパートに入るスタッフであろうか?
笑顔で「ありがとうございます。」の声もかかる。
うーーーーーん、笠岡店に感激しつつも、
他店で他のパートさんに威圧的態度で接している様に見えてしまう
釜場のオバサン!あなたは他のパートさんに対する指揮命令の姿は
間違っていますぞ。
職場では笑顔でいて欲しいものだ。
まして、お客はそんな光景を見たくない。


笑顔のある職場で真剣に作ってくれる暖かいうどんは心を癒すには
充分過ぎるほど嬉しいし、美味しいものです。

先回ブログでは看護士さんの白衣の清楚さに自身の心が揺らぎ、
その出す魔力に弱いことを吐露したが、
今回は丸亀製麺笠岡店の妙齢美人の別の給食の白衣姿と
目に優しい笑顔の魔力にぞっこんの私であった。

国道2号線を行く仕事を作ってみたくなる。

平和で単純な私がここにいる。

浅間山を眺めて感涙する。

2012年01月15日 | 愛する人
水曜日に小倉に居てたが、金曜日の早朝には東京・新宿に居て
最近は少し長い距離の移動が続いている。
その目的地から京都への帰路に「雪道でもいいや!」と腹をくくり、
お気に入りの中仙道を京都に向け出発し、
埼玉県と群馬県の県境に近い街から高速道路を利用し走ってみた。
本庄児玉IC→下仁田ICまで。

いつもは、この地域の通過は東京へ向かう夜明け前で漆黒の闇の中であるが
平日の天気晴朗な長閑なお昼前にこんなすばらしい景色に
遭遇できるとは思ってもいなかった。

全くといってよいほど車の姿が無い長野へ通じる道を上り下りの坂を
一定速度でこなしながら快調に車を走らせる。
その道は徐々に高度を上げていき、遠くに連なる緑褐色と雪の白色が美しい山脈が、
高い位置の運転席のフロントウインドウの左に在ったり、はたまた右に移ったり、
真ん中に在ったりしながらその全容を少しづつ大きくなりながら近づいてくる。



バイクに乗る私は一時期クラッシックバイクに興味を持った時期がある。
二輪車製造メーカーが日本国中に幾多と在った時代に、
この浅間山麓で日本で始めて二輪車レースが開催された事を承知している。
長くそのクラッシックバイク愛好家たちが年一回浅間ミーティングという集会を
催していたが今はどうなったのであろうか興味があるところだ。



私なりのベストショットの浅間山である。
デジカメを忘れてしまい、携帯電話で写してみたが・・・・・・・・。
もう少し大きく撮りたいところである。



自然の景色に涙する感情が残っている私自身に少し驚きもした。
都市の風景は数年、意綾数ヶ月でその景観を変化させる事も珍しくは無い。
しかし、山の姿は長くそのままであろうし、
現に目の前に存在する浅間山の誇り高き姿の感じる事は
皆同様に眺める人々の各々の心を引き付けて止まないであろう。
この中にゴルフ場の緑でも見えればもうその価値は失われてしまう。
自然は自然でなければいけないし、天然は天然、
田舎は田舎であり続けて欲しく思う。
既に富士はその気高さが失われている様に麓の景観が台無しにしているし、
中央高地の峰々も気楽に訪れるようになった近年では、
その神聖さが失われていくのが心配だなぁ。
山はいつまでもその姿は気高くあって欲しいと思うのは私だけではないはずだ。


小畑実 高原の駅よさようなら


浅間山界隈で撮影が行われた昭和26年作の映画をDVDで見て知っている。
《高原の駅よさようなら》だ。
映画あらすじは下記の様なものである。
愛憎劇にはならない恋愛物である。

植物研究家の野村俊雄は、恩師の伊福部教授が、自分を娘啓子の婿養子に
したいという願いがあまり好ましく無く、先輩の働く高原療養所に逃避するのですが、
俊雄はその高原の診療所で、ナースの香川京子扮する泉ユキと知り合い、
一緒に植物採集に出かけたりしているうちに、
二人の間には愛情が芽生える。ああ、純愛。
ところが彼は崖から転落し大怪我をしてしまう。
その時彼を救ったのは、秘かにユキを愛している彼女の幼馴染であったりして、
ここらへんから話がややこしくなってくるが、ユキをめぐる各々の愛情の波乱を
冷静な女医三神梢が知る所となり、梢は俊雄に病院から立去るよう要求する。
小さな診療所内での医療現場でそりゃ~あまり良くないですもんね。
そこへ俊雄の怪我を知って啓子が駆けつけ父の病状が悪化したことを告げに来て、
一緒に帰るよう勤めるが・・・・・・・・・・。


ああ・・・・・・
香川京子扮する泉ユキの清楚清純な美しさに見とれてしまうなぁ。
私なら、迷わず娘啓子ではなく泉ユキなんです。

私は *《美しい女子∈ナース》の発する言葉に蕩けてしまい、
医療現場の白衣やその仕草に弱い事実を経験している。
だから注射針を打ってくれるナースの細く白いその指を見ていると
静脈に差し込まれる痛さ病気の苦痛よりもナースに触れられる事によって
安らぎを感じる時が多い。

そうだ!
信濃追分駅を今度機会を作り訪れてみよう!
看護師 泉ユキと運命的に巡り会えるかもしれない。

注*  ∈=数学記号(元として含まれる)の意。即ち美しい女子以外は含まない。

小倉・喜劇映画を二本見る

2012年01月15日 | 旅先の事
先回、小倉を訪れた時は門司港観光の帰り道の時間つぶしの為であり、
街中を徘徊する時間は無かったのであるが、
今回の小倉入りはかねてから少しその埃臭い雰囲気に興味があり
街中を中心にウロウロとしてみようと考えていて
門司に無いものが発見できれば良いかもしれないという期待の中に
必ずや少し前世代的事象の発見ができるの違いないという
確信があり滞在時間を伸ばしてみる事にした。
博多から電車に乗り小倉駅に到着したのが午後1時頃。
夜の10時までとにかくウロウロしてみる事にした。

小倉駅の観光案内所で駅周囲の観光マップをもらって、
先ずは小倉城へと向かう
が、
近代的な城に歴史的すばらしさを見つけられる事ができなくて
早々に次へ歩を進める。

久々に見るユリカモメ。
風上に頭を向けて橋の欄干に群れ留まっていた。
どこと無くそのしぐさがかわいく思えて写真に収めるが至近距離に近づいても
まったく逃げようとしない。



小倉城近くの総合商業施設に入り、その中で興味深い表示を見付けて向かう事にした。
《ゼンリン・地図の資料館》
ビルの14階にあるこの資料館からは小倉港から門司・関門方面が見渡せる。
暖かい室内からの海況の景色はすばらしく暖かくて開放的だ。



館内には日本の地図の歴史が分かりやすく展示説明されている。
特に、伊能忠敬の作成した江戸時代の地図に関する資料や、
創業者家系の収集物の展示の中に桃山時代の世界から見た未知国であった
日本の地図が展示されていたりする。
そのような展示品の中でもひときわ大きい地図が展示されている。
下記の写真の地図がそうだ。

連合国軍が開廷した東京裁判で裁判長の後ろに掲げられていた地図。
この地図の前で、混沌とした世を壮大な夢見し敗れし者が
勝者単独の意見良識で裁かれ、人生を露とした門出を見ていた地図である。



資料館を出て、博多同様に北風の強い中をウロウロと歩き始める。
とにかく、線路の脇に寂れた商店郡を小倉駅到着前に車窓から発見していたので
そちらに向かう事にした。
で、
その地域に到着。
風俗店が軒を連ね、侘しい酒場からは昼間なのにカラオケに興じている人々の姿が
店前の暖簾の隙間から見ることができ、酒の匂いのする換気扇からの排気と、
風俗店の呼び込みの声から逃れるようにそそくさと通過する。
で、
発見したのが下記写真の薬店の手製のPOP。
《アンプルで一発!》
まさしく地産地消・適在適所!
アンプル飲んでまで及ぼうとするのは男の性(さが)の悲哀を感じるを得ない。
そこまでするか的な将来自身にも起りうる感傷に浸る暇も無くまたまた歩き出す。



写真を撮るのに立ち止まるとあまり良くない地域だと直感していた私は
小倉駅に戻る事にした。
付近商店街をうろつき、人々の訛り言葉を聴きながらひたすらウロウロを
継続していた。




渥美清主演「拝啓天皇陛下様」予告編


少し早い目であるが、今回の目的の一つである昭和館へ向かう。
先回も、小倉にきた時に映画を見たのであるが今回は事前に上映内容を確認しての
昭和館での映画鑑賞である。
二本立て!1000円

《とんかつ一代》
森繁久弥・フランキー堺
《拝啓 天皇陛下様》
渥美清・長門裕之

長閑な喜劇映画である。喜劇でありながらも無常というものを感じる作品でもあり
決してハッピーエンドでは無いところも心に響く作品であった。

博多・長浜ラーメン

2012年01月15日 | 旅先の事
寒い日が連日続く1月であるが、博多へ向かった。
先回、博多ではあまり徘徊をせずに門司港へと向かったのであるが
今回は博多と小倉をウロウロする事にして、新しい発見を探す事にしようと
とにかく博多駅まで出ることにした。
朝の博多駅はなんら地方都市の光景とは代わりが無い。
博多駅前地下街へ降りて海の香りのする北風の寒さを避ける事にして、
モーニングのセットを食した。そこで1時間ほど博多の町を
あれこれと調べ物をする。



出発前日に福岡出身の職域の知人YMK氏に美味しいものを尋ねると、
中州屋台でどれにしようかと悩むよりも福岡魚市場前の
《元祖長浜ラーメン》との解答を得たのでそれを博多での目的とすることにした。
私は、長浜ラーメンを食したことが無いので興味が湧きその店へ向かう事にした。

で、北風の強い中を歩く。ひたすら歩く。体が暖かくなってきても歩く。
こうなってはバス、地下鉄なんか乗ってやるもんか!と
意地になって歩く事約1時間弱。
遠回りをしていたようであるが全く気にならなく歩いて到着。
長浜の交差点。
少し向こうに魚市場の入り口が見えるのでもう少しである。



で、
目的の《元祖 長浜屋》に到着する。



自動販売機で食券購入し店内に入る。殺風景な店内。
何一つ愛想も無ければ飾り気も無い。
お客は地元の方が多く見受けられて、観光で訪れているのは私一人だけだ。
テーブルは大衆食堂のそれ。湯飲みは職員(社員)食堂の樹脂製のあれ。
その横に大きなやかん、千切りの紅しょうが、胡麻の容器がでんと置かれている。
低い作業カウンターに並べられているのはラーメン皿、
その向こうは麺とスープの釜が並べられているのであろうか湯気が昇っている。
入ってくるお客の殆どが「かた!」と一言。
たぶん麺の加減を言っているのであろう。



待つこと数分。
で、でてきたのが下記の写真のとおり、紅生姜は私が少し入れたものである。
早速、食す。
あっさりしたスープ。少し頼りなく感じるが・・・・・・。
麺は固め。

でも食すうちにじわじわとその美味さが理解できてくる。
生姜を追加して盛る。胡麻も振る。

隣に座る常連さんであろうか、
紅生姜は山盛り、胡麻も大量振りかけまくりである。
その中から麺をつまんで食している。

器の中が少なくなってきて感動がこみ上げる
美味い!これは美味い!
全く味が素直で嫌味が無くてしつこくない。



これは良いものに合えたと納得して、次回は「かた!」と注文してみたい。
京都で食べる評判のラーメンはどこかこってりとした濃厚なものが多くて、
私はあまり食すことは無いのであるが、この長浜ラーメンは素直に美味しいと感じた。
素朴だ。

体が温もりおなかも充実したので、又、博多駅へ向かう事にする。
で、
今回の福岡入りのメインの目的の街、小倉へ向かう。



博多は無難すぎて私の心には響かない。
マダマダ発見が足らないのかもしれないがどこかオスマシした所が有り、
まるで、良いスーツを着ているが靴に気を使わない紳士然としている。
そのように感じてしまう街である。


寒いけれど舞鶴へ行く。

2012年01月09日 | 身近な歴史風景
仕事でお世話になっているSNG氏と舞鶴へ車を走らせる事にした。
氏を舞鶴市の公文名の交差点近くで降ろして、
私一人、当てもなく船が見たくなり国道27号線を敦賀方面へ走らせた。
京都から灰色の寒い冬空が続き、和知へ入る頃には霙(みぞれ)となる。
今夜はひょっとすると雪に変わるかもしれないな~などと感じつつ
東舞鶴へ到着。
海上自衛隊の護衛艦を左に見て、以前より一度見学をさせていただきたかった
海上自衛隊舞鶴地方総監部内の海軍記念館を訪問する事にした。



入場する前に、門衛所で記載事項を全て記入し見学者証を首から
ぶら下げての見学の入門である。
総監部敷地内はさすがというか、ごみ一つ無い。
どこかしらピンと引き締まった空気が漂っている。
遠くに水兵さんと仕官であろうか濃紺のコートを羽織った方が私の動向を見ている。
即ち、監視されている。

元々、旧帝国海軍機関学校であった場所がこの地で有り、多くの優秀な海軍軍人
特にその専門分野に優れた技術将校を育てたのがこの地でも有る。
で、講堂の一部が旧帝国海軍の記念館として一般に公開されている。



で、
その海軍記念館の入り口には東郷平八郎の胸像と軍艦旗が飾られている。
館内は撮影できないので、大まかに説明するとその展示品の多くは
旧帝国海軍の黄金期である日露戦争時代の物が多数を占めている。
司馬遼太郎の《坂の上の雲》で登場する方々やその背景となった事象に
関わるものが多いように感じもする。
特に私が知っている物では、
広瀬中佐の話
佐久間艇長の話
両先人に関わる展示品が特に興味を引くものであった。
又、
日本海海戦当時の旗艦《三笠》で東郷平八郎が使用していた、
砂糖壷や鉄瓶、純銀製のフォークなどが興味を引くものであった。



展示室を出るとその先には講堂が有り、ここも塵一つ無い状態で公開されている。
舞台正面には日の丸と軍艦旗。
向かって左の絵画は広瀬中佐旅順港閉塞戦時の戦闘場面の画が有る。
磨き上げられた床に感心し発せられるワックスと木の香りに酔っていると
遠くでサイドパイプの甲高い音が聞こえる。
いかにも基地内といった感じであった。



再び外にでて、旧機関学校校舎を遠めに見る。直線的な灰白色の建物は
軽快な感じを受けた。
その背景の空は低く灰色の雲の間から寒く冷たい青空が少しは見せては隠れていく。
又、霙が降る。
霙は雪よりも冷たく感じる。ハラハラと払う事ができず衣服に浸み込むからであろう。
この建物は古いそうである。どうも東側にあるレンガ造りの建屋の方が
古く感じてしまうのであるが、
コンクリート造りのこの横広の建屋の方が現存としては
先の水兵さんと仕官らしい方のコンビに古いと説明を受けた。



そのコンビに、私の歩をさえぎる形で、「お帰りはあちらです。」と
一言頂戴する。
後にするときに振り返ると、縁石の上の砲弾?
少し奇妙な感じだ。



体が冷えた。
帰りは丹後の方へ向かおうか悩んだが、雪に遭遇すると尚一層体を冷やしかねないと考え、
京都方面への帰路を車を走らせる。
途中、南丹美山へ方向を示す標識に従い左折し、
美山自然文化村の風呂で温まって帰る事を考えたのであるが・・・・・・。
美山の道は雪解けのシャーベット。
少し車の運転に気を使いつつ風呂に入って帰宅した。
ポッカポッカのスベスベ。
納得してその夜は睡眠も深かった。納得と充実の一日。

軍艦旗は神聖で、軍艦行進曲は街宣やパチンコで使って欲しくないという感想を持った。


叙情

2012年01月05日 | 言わせてもらいます。
旅する先の景色から、なかなか原風景を見つけ出す事は難しいように
この頃感じている。
良い景色で長閑だナーと景色に見入る事があり立ち止まった景色の中に
大手量販店の広大な建物とその搭屋に会社名の表記が有ったり、
長閑に灰色の夜道を青白い街路灯と黄色のヘッドライトを頼りに走っていて
開けた場所にコンビニエンスストアの煌煌と照る店舗照明が現れたりする。
駿河湾から望む富士の峰は以前にも述べたことが有るが、
裾野に一本の区分線を入れたがごとく高速道路が視野に入ってくるし
白い湯気を出す煙突もあったりして本当に目ざわりで仕方が無い。

郷愁を誘う風景はどこに消えてしまったのであろうか・・・・・。

先日、木曾谷を旅したときにもそうであったが、木曾村から権兵衛峠を越えて
伊那から茅野へ抜ける道を通す地域は遠野と呼ばれる地域で日本の山村の原風景を
残すと期待して入っては見たのであるがやはりここにもコンビニエンスストアの
煌煌とした店明かりが有り、漆黒の闇夜に遠くの民屋(みんおく)の
漏れる部屋の点在する明かりだけを期待していた私の胸中を見事に
裏切るものであった。

何もコンビニエンスストアだけがその原風景を崩す要因になっているわけではないが
便利になる社会とは裏腹に、本来の日本人の持つ民族性に裏付けされる
農村・山村・漁村の風景も私が子供の頃の風景とは全く異なっているのが
どの地方へ向かっても言える事のように思い始めている。

私が子供の頃、大阪市内に住む私は父親の運転する、
トヨペットコロナやトヨペットクラウンで
岸和田の父親の勤める会社の工場へ連れて行ってもらったことが有る。
住吉公園を過ぎ国道26号線は大和川を越えると玉ねぎ畑が多く有り、
風車で水を汲み上げていた光景がなぜか今でも偶に夢に出る事がある。

私はそのような幼少の頃の風景を常に探しているのかもしれない。


琵琶湖周航の歌 加藤登紀子


歌に聴くその歌詞と郷愁を誘うその旋律から日本の原風景を感じる事しか
できなくなっているのではないであろうか?
ここに、琵琶湖周航の歌を動画としてアップしたが現在の琵琶湖では
このような風景を思い浮かべる事はできない。
モーターボート、水上バイクの航跡が水面(みなも)で交錯し、
ヨットがカラフルな帆を張る。
変わらぬ風景といえば、湖上を見通して見る伊吹の峰か、
近江富士の突出した頂だけのような気がする。

知りたいという欲求に執着する事 → 世間から変人扱いかもしれないな~?

2012年01月04日 | 独特の感覚
昨年、職務域でFJMT氏という方とお知り合いにさせていただいた。
氏はスマートフォンを触りながら突然笑い出し、
突拍子が無い事を言い出す。私が先ず彼のその言動に驚いたのは
「国会議員は内閣府に属する。はははははっ~。」の一文節を発した時である。
全く関係の無い話を次々と繰り出す彼の言動は同じ職域の人から
《けったいな奴=変わり者》という評価をされているようであるが、
私は彼の行動の特異性と発する言葉のカテゴリーが広範囲に
及ぶ事に常に注目していて、できるだけ彼の傍にいているように心がけている。
なぜなら勉強になる私が知らない知識の話が多いからだ。

先日はいきなり、「男は冷蔵庫を開ける者とは違う!」と言い出した。
しかし、冷やしたお茶が飲みたい時や、アイスクリームを食べたい時に開けるのと
違うか?と言うと、次の返答があった。

氏「袋を取り出すときだけだ!。」
池「何の袋です?。」
氏「袋ではない、フクロウ!。」
池「・・・・・・・・・・!?」
氏「わし、フクロウ飼ってるねん!」
池「冷蔵庫の中にフクロウ居てるんですか?」
氏「違うねん!エサエサ!」
池「フクロウがエサなんですか?」
氏「違うネン!ねずみ!」
池「ねずみも冷蔵庫の中にいてますん?」

結局は、袋に入れた飼っているフクロウのエサの冷凍ねずみを取り出すときに
冷蔵庫を開けるというのが真意のようだ。

彼は頭の中で考えている事を全て相手に説明はしないが、相手に伝わっているという
自身の脳内理解が早いのと、自分が発した言葉に対する相手の理解度を考える余地、
即ち、相手の質問に返す言葉を発するまでのラグ時計の独特勝手な介錯と時間のみが
存在している。

個性の塊の氏である。侮れない。

私自身も、個性として知りたいという欲求の塊であった時期がある。
その時は、他人様へ熱中行動をしている事への理解など求めるわけでもなく、
ただひたすらに没頭していた時期がある。
農産の技術である。

毎年、種のタキイさんの研究農場に赴き、美味しく品種改良されている
作物を見学させていただいたりもしたのであるが、
その作柄よりも栽培技術の方に関心を向け、
不思議な事や不明な点が有るごとに研究農場でへ行ってはレクチャーを受け
写真を撮り貯めていた。



下記画像のなすなどはその典型で、見る人が見ればその整枝の仕方に特徴を
見出せるはずである。
この整枝の方法なら、手間も要らず資材も少なくて済むし、
風で揺れても果皮に傷が入りにくい。



実際に、水茄子がぶら下がっているのであるがご存知の通りこの茄子は
表皮が傷がつきやすい品種である。
でもこの整枝と枝のつり方なら作業の工程も省略ができて収穫も楽に行えると思う。



テニスボールより少し小さめの完熟トマトの品種である。
ぶどうのように房になる品種で甘味はすごくよかった記憶が有る。
この品種は、私ならこのまま房のままで出荷をしようと考えているので
できることなら栽培を試みてみたい品種でもある。



同じくトマトであるがこのようにミニトマトは結実するというのを知っている方は
少ないのではなかろうか?市場に流通しているものの殆どがカップに入っていて
その成り方の様子は全く知る事はできないと思う。
ベランダでプランターで作っている人や家庭菜園で栽培をしたことのある方でも
実の数の多さには驚くと思う。



私自身、自分が行っている行動に関して深く知ろうという欲求が
強く有り過ぎるかもしれない。
これは自身でも自分で自分の首を絞める結果に不幸にも陥る時が偶に有る。
昔、このブログでも初期の頃の記載があるのであるが、バイクに乗り山中の徘徊を
始めだした頃、現在広く認知され皆が言っている《鯖街道》が遠回りをしているのに
気付いたことが契機となって、京から若狭への道を調べ上げた事もその一つである。
実際に検証しなくてはすまない結論に落ち着いた時が有る。
結果として実走して検証を行った。
言われている《鯖街道》は敦賀街道の一部である事が判明できた。
上中町・三宅の交差点から敦賀へ向かう道である。
ここにマスコミの間違いを正そうともしなくて、そのまま商業ベースに取り組んでしまい
後に引けぬ事情も見え隠れをする。
現在、西の鯖街道と呼ばれている方が本来の鯖街道に論拠として近いという
結論を私は持っている。



最高学府である大学において、東京は知性の優秀者を集め官僚を育てる、
京都は疑問保持者を集めて科学者を育てているように感じる。
東京はノーベル賞受賞者は少ないが、京都はその数を数える事ができる。
即ち、何ぜ?からスタートする基礎科学の分野をしっかりやっているからであろうか?
私自身、少し疑問に思う事柄があり数回農学部の研究室を尋ねた事があるが
その生命科学分野の基礎知識は、全ての生き物の進化と成長の根本とも言える
教義であったことが鮮烈に頭脳が吸収しとても有意義であったことが記憶にある。
根本は、世代と環境であったが、
その内容は今西錦司先生の生態学の著書の中にも
見ることができる。



子供の頃から、「なんで~?」と聞く事が多かったように思う。
両親はそんな私を無視していたのかどうだったのであろうか?
懇切に説明を受けた記憶が無い。
どちらかというといちいち答えてられない様子の方が多く、
顔色を見なければいけない両親でもあったように記憶をしている。

人は知りたいという欲求が生まれる根源は不思議な事を感じる事から
始まると言えよう。
分からん事が知りたいわけだから絶対にそうである。

この不思議が感じなくなれば、たぶん私は生きていけない。
その不思議が解析できた時の達成感は、何よりも変えがたいものである。
遺伝子放出のエクスタシーを感じているのだ。

紅もゆる ボニージャックス


明治~大正にかけて近代化を急速に進めた我が国は科学の進歩を目覚しい勢いで
進展させた。
航空機の設計に関しては顕著であり、戦後の日本の高度成長期で中心となって
自動車開発に携わったのはそのときに戦闘機を開発していた若い技術者達である。
やはり新しい技術というものは、新しい発想人が携わる方が良いようである。

ホンダが伸びたのはそこらへんが起因しているようでも有る。

先日昨年の晩秋に、京都大学内を尋ねたが、相変わらず自由闊達な空気が
流れていたように思う。
このとき同行した女子は、私の学内での行動と人脈に驚いていたが・・・・・・。
私にとっては日常当たり前の行動でありその人脈は私の探究心を理解する人たちであり
その人たちは良き知識の源でもある。



新年早々、私の周りの熱い人 

2012年01月03日 | 楽しい人
2012年の新年を迎えた。で早くも三日目に日付が変わった。
何をするわけでもなく、ごそごそと家の中で過ごしている。
テレビが無い我が家は静か。
家前を時折、濡れた路面を走行する車が発する水を切る音がするだけのお正月である。
広い家は寒い。

新年を迎えて第一回目のブログは、私の周りの元気な人を紹介しようと思う。

先ず一人目 SNG氏
休みの日は山に登り、テナーサクスホンを吹き鳴らす。
もともとはドラマーであったようだ。
ちょっとしたきっかけで始めた仕事で知り合い、仲良くしていただき、
氏からその仕事へのアドバイスや手順を教わる事によりスムーズに仕事が捗る。
職務上の師匠であり恩人である。
しかし、彼のパワーたるやすさまじい。私より10歳は年上であるが
若さギンギンにみなぎっている。疲れた様子を見たことが無い。
氏は絶対に賞味期限切れのものは口にしない。レーズンパンを夕方に食べる。
氏の若さの秘訣はあのレーズンパンに隠されているのかもしれなく思っている。
氏は私に丸亀製麺にハマルきっかけを作ってくれた。
そう!釜揚げうどんの大を、わさびをといて食べる美味しさを教えてくれたのは氏である。
めがねを取った表情はイースター島の海眺めるあれにソックリである。
しかし、私はまだ本人の前では口に出来ないでいる。



次に二人目 K・O氏 
昨年初めも、K・O氏からこのブログはスタートした。
還暦ダンスを公開している。還ってきたという前表題が付いた。
ベンチャーズサウンドでの踊りから
少しノリがパワーダウンしたようであるが・・・・・・・・。
ここのところ、いつも行っていた深夜のサイゼリヤでのくだらん話を
真剣に考える超真面目ミーティングが出来ないでいるのが残念である。
私にその原因があるのである。
私が早朝から行動を開始する為に氏の行動の時間との合致が無くなったからだ。
しかし、動画で見る限り体型は維持している様子である。
この筋肉はすばらしく鍛えられている。

還ってきた還暦ダンス


私自身、人生半世紀が過ぎた。
この頃、熱く燃えるものが失われつつある。というより、
熱く燃えるものを見つけられないでいることは事実である。
で、
昨日になったが2日は大阪で約束があり出かけてみた。
阪急・阪神界隈をウロウロしてみたが・・・・・・。
人混みがすさまじい。

コーヒーを飲むのに入店は30分は待ったであろうか。

しかし、コーヒーの向こうの初めて見る笑顔と楽しい会話は潔癖で純朴でありながら
シビアな一面を見せる内容で、実のある楽しく思考を巡らせる癒された時間であった。

コーヒーを苦いと言いつつ飲んでいたが・・・・・。

あなた!コーヒーって苦いものですぞ。