池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

親不知

2016年01月03日 | 旅先の事
昨年11月25日、私は薄曇の空の中、国道7号線・国道116号・国道8号線と順に京都に向けていた。
その前日の夜から、12時間程、既に約550kmを走行していた。

いつもは、夜中に逆方向で通過する北陸自動車道からはトンネル続きで見る事ができない、
国道8号線からなら親不知の展望が見えるので辺りを探訪する事にした。

先ずは親不知駅。
無人駅である。
時刻表を見たが、日本の物流を担う《日本海縦貫線》でありながら、旅客列車の本数が少なく
北陸本線からは既に外されていて、優等列車の運用も無いと聞く。
北陸新幹線が風情というものを奪い取った事に寂しさを感じる。



待合室。
海風が通り抜けるだけの待合室である。
魚の匂いがする。
生臭い空気が漂う。



島式のホームは、簡単な踏切を渡り、駅舎からホームへと渡る。
新潟方向を見る。
北陸自動車道の高架橋の無機質な構造が付近の風情を台無しにしていて味気ない。



富山方向を見る。



親不知駅のある旧国道であろうか山肌にへばりつく上下する県道から、
その線路(日本海ひすいラインという名前になったようだ。)を小さな古い踏切で横切り、
再び、国道8号線に出て富山方向へしばらく行くと、風波の集落をまたぐ急坂の右急カーブとなる。
そのカーブが左に向きを変えようとする外側に、小さな展望所がある。

すかさず、右信号をカチカチ・・・・・・・。
出迎えはカラス。

逃げない。
こちらの様子を見ている。



展望所の、崖上に張り出した展望台の上に立つ。
富山側の景色がすばらしい。
50m程であろうか、下の光景は日本海の波である。



この場所からの距離が記されていた。
もう少しあるように思うが?どうなんだろう?



小一時間ほどいたであろうか?
ここから、富山県境にいたるまでは運転要注意である。
対向の大型車が、少しばかりはみ出してくる。
それほど、国道としての建築限界がぎりぎり。



遠くから、海鳴りと違う音が聞こえる。
地下鉄駅で聞く列車の接近音。
《コォーーーーーー、カタタタタタタタ~~~~~~~。》
《ピョ~~~~~~~~~!!!!!!》


門倉有希 哀しみ本線日本海


森昌子さんとは違い、ちょっと後ろに影有りがちな彼女も捨てがたい。

時代が変わり、時間短縮ばかりの事柄で便利で《喜》する事が常であるが、
時代が変わり、時間短縮ばかりの事柄に、失われる事柄に《憂》する事もある。

私は、時流の生む結果を愉しむ事が好きなのかもしれない。


観光客を寄せ付けない地元民の為の朝市と白鳥

2016年01月03日 | 旅先の事
昨年の11月22日、私は秋田県南秋田郡五城目町の朝市を訪れた。

すごく開催歴史のある朝市である。
観光客の姿が見えず、何より地元の方々だけで運営されているのが好感を持つ。



五城目町のメインストリートと言えるであろうか?
秋田杉の集積地としてたいそう賑わったであろうこの街並みには、当時の面影を残す建物も散在している。



その時代、JR奥羽本線八郎潟駅(旧駅名=一日市)まで、
秋田中央交通が僅か3キロ程の鉄道を経営していて、
現に廃線跡の遺構が県道となっていて旧駅のホーム跡も見る事ができる。









オジサンと目が合い、胡桃を買った。
苦いのがたまらなく懐かしく美味しい。



この頃、やっと理解できるようになった秋田言葉と、
昔の子供たちのしぐさが良く現れているので、思わず微笑む。
子供たちにとって、幸福な時代。
人としてすばらしい経験ができた時代である。
当時の都会暮らしでは経験ができそうなはずもない。
物質に恵まれているのとはまったく違う。



出展者は高齢の方々ばかりなので、いつまで継続ができるのであろうか?
今後、風景が失われていくのであれば残念で仕方がない。

かといって新しく若い感覚で、朝市が行われても・・・・・・。

クレープやたこ焼き、串焼きが並ぶ朝市は、ちょっと違う。

郷土食材が中心で、地元の方々の為の定期市なければいけないように考えた。




秋田追分 川崎桂子



少し離れて、稲刈り後の他に目を向けると白鳥の群れ。
今年は、暖かく雪が遅いと聞いたが、
明晩には、すぐそこに雪とハタハタを呼び寄せる雷鳴も鳴り響いていた。

長崎の事

2015年10月03日 | 旅先の事
今年の桜が済み、五月の半ばであったろうか?私は九州西部に居た。

九州へは、この数年間に度々訪問している。仕事でもあり、フラッと気を休めに行ったりしている。
熊本、長崎、佐世保、平戸、佐賀、吉野ヶ里・・・・・等。
九州のこれらの地域は、私を癒すのにふさわしい風が吹く。
九州は、2年間のブランク前のこのブログのシリーズでも度々にわたり書いているが、
特に、熊本・長崎はお気に入りの場所である。

食事が美味しい。

当然、そこでお会いした方も、良きお付き合いの方となっている。

京都駅八条口から、近鉄高速夜行バス(この時は、長崎バス=共同運行会社)に乗り、いつもの後ろから二番目の右側の座席で、
西に向かう。目が覚めれば、最初の降車地=大村インターチェンジ。
そこでバスを降りた。
この公開画像の時は、大村インターでバスがやってくるまで、ボケーっと1時間半、バス停の小屋で過ごす。
そこから、大村駅に出て、迎えの車で佐世保・平戸方面へ向かう事にした。



平戸に入ると、そこかしこに古い教会を見受けられるようになる。
信仰の地域である。
青い海と丘の上の良く整備された敷地に立つ教会は、その背景となるその青空と天空へ伸びる尖塔が上手く相まって、晴れやかな気持ちの中に、どこか時代の流れとは無関係な静寂の空間の趣を感じる事ができる。
長崎市内の観光客が訪れる著名な教会では感じることができ無い、平戸地区のそれら教会の佇む光景の独り占めは、その地まで足を伸ばした者だけが占有する事ができる特権である。



画像では、観光バスが停車しているのであるが、観光客も行儀が良く、静寂を守り拝観をしていることも特筆できよう。
教会は無料で入り事ができる。
注意書きは、≪ここは、開かれた主への信仰の場です。ご静粛にご入場ください。≫と有った。







九十九島は、特徴的な地形をなす。
この時は、人気の少ない石岳展望台で堪能した。
駐車場から、細い山道を500M程山を登るのであるが、その展望はすばらしい!
ここも人が少なく、独り占めができる場所でもある。

九十九島に背を向ければ、佐世保の町と佐世保港が見渡せる。









長崎の佐世保・平戸は、長崎市内から僅かな時間を離れるだけで、独特の風情を見せる。
それは、狭い地域に、魚の息吹と鉄の香りと汗の額の人々を見る事ができる。が、しかし、その反面を見ると海のたおやかさと、人々の心を感じる事ができる。
長崎市内では感じない事が、平戸では、国道や県道から少しでもチラッと天空へのクロスが見える方向へと、
気ままに辻を曲がれば、その風景と空気を拾い感じる事は容易だ。


西海ブルース 唄 前川 清

秋田の事【その2】

2015年10月03日 | 旅先の事
【秋田まで軽トラで行く】
きっかけは、秋田で指導に使う漬物製造のための什器・備品・道具・機器をどのように経費を抑えて、京都から秋田まで持っていくか?
その事が、軽トラで秋田へ行くことを決意する発想の発端であった。
私は、ある日指導を午後の終了して、帰路を軽トラを使用して京都を目指す事にした。
JAあきた湖東とドアマークが自慢のスバル・サンバートラックである。

通常のとおりの訪問を行ったのであるが、秋田から帰りの脚として軽トラを使用し京都まで乗って帰って、
秋田ナンバーのその軽トラにそれら什器・備品・道具・機器を満載にして、
福井県の敦賀港から秋田港まで車両だけの車両無人航送で、返す事を計画した。
画像を見てのとおり、がっしり沈み込んでる満載で「ごめんなさい。」の過積載である。







この計画は、ばっちり成功であった。

秋田の指導先から、京都の自宅まで、約930km。
この長距離を一度経験すると、自信が付くもので、又、走行スケジュールも体調を考えて、プランニングが可能となる。
走行中の無駄な時間(渋滞を避ける時間帯の平均時速を上げる方法を考えたり、走行時間帯を選び、どのタイミングで
休憩時間を摂れば時間的に得をするか)を省くことができるようになる。
これは過去の別のお仕事をした頃から、常に考えて目的地へ走るる癖をつけている。

私のダイハツハイゼットでも既に2往復をこなしている。
画像は、国道8号を道の駅・越前から、福井・金沢方面に向けて、武生トンネルへ向かいながらの
桜橋手前の光景である。



自宅⇒小浜⇒(国道27号)⇒敦賀⇒(国道8号)⇒柏崎≪ここまでで、ちょうど500km≫⇒(国道116号)
⇒新潟⇒(国道7号)⇒新発田⇒(国道113号→日本海東北縦貫道の無料区間)⇒朝日まほろばIC⇒(国道7号)
⇒あつみ温泉⇒日本海東北縦貫道の無料区間)⇒鶴岡⇒(国道7号)⇒酒田港⇒(日本海東北縦貫道の無料区間)
⇒由利本庄辺りまで⇒(国道7号)⇒秋田市内⇒(国道7号)⇒潟上⇒八郎潟

いつもの、酒田港から以北の後半は意識が飛んでいる(笑)。そんな、930kmの道程である。
敦賀バイパスの吉野家牛丼と、金沢西手前のセブンイレブン、柏崎エネオスセルフスタンドで給油、手前の丸亀製麺が往路はいつも閉まっているので、その先のクソ不味いが何故か入ってしまうラーメンチェーン店(昭和24年の創業がどうだとか書いてある看板)の食事と、あつみ温泉のサンクス、道の駅・鳥海でのトイレ、それら以外はノンストップで16時間で走りきる。


軽トラックは、秋田観光にも活躍をする。先回は、男鹿半島をウロウロした。
至る所に、巨大ナマハゲだらけである。



わざわざ、夕暮れを待って、ゴジラ岩を見に行きもした。



男鹿線終着の男鹿駅から、海沿いは海面とそれほど高さが変わらずに、道が山肌にへばりつき、
海へ急峻に降り突き刺さる突出した尾根を、上り下りの峠道は数多くのそれらと短く注ぐ谷川をまたぎながら
半島先端部の水族館へと繋がる。
その途中で、思わず引き返した力作の交通安全喚起のモニュメント!



日本が世界に誇れる自動車技術は、ハイブリッドやGTRのような環境性能と高出力の具現ではなく、
独自のカテゴリーである軽自動車と言う乗り物の中でも、移動と最小限の物流効率の追求できる
軽トラックこそが、世界に誇れる技術なのかもしれない。
あれだけの簡素な装備で、年中快適に使用でき、稼げる仕事用自動車も無かろう。

たぶん、欧米人には造る事のできない車であろう。

下記動画は必見である!!!すばらしゅい!


サンバー 空撮 / Sambar - the Best Car in the World - Full Version




秋田の事【その1】

2015年10月03日 | 旅先の事
【秋田美人の件】
秋田県中部、八郎潟干拓地の東部地域の農業者さんたちの中心となるJAあきた湖東で、
私は漬物加工事業構築のお仕事のお手伝いを、昨年の10月からさせていただいている。

農業改革に全力で取り組む姿勢に感動をして、農林水産業の六次化を進捗させようという、
日本の農業の基盤増強の政策に微力であるが協力させていただいている事にやりがいを感じている。

その事業構築のお手伝いも約一年を経て、JAあきた湖東の担当職員さんを中心として行う事業構築であるが、
組合長、役員の皆様、全ての職員さんには常に発展的協力体制で、私の仕事の進捗に対し、お世話になっている。

その中でも、訪問初期の時期、飯田川のあきたこまちだらけの米穀倉庫で、
職員さんが私の為に、集ってくれてオヨバレした≪ダマ粉汁≫の美味しさが忘れられない。







比内地鶏のお出汁に、ご飯を丸めて作った団子、それと地域で取れる野菜がたっぷり!!!!!
特に、セリがすばらしい香りを放ち、味をあっさりとしたものにバランスを整える。

【秋田美人】と言う言葉があるが、初訪問で、本当の事だと確認もできた。
美人が多いのである。


JAあきた湖東のブランド米=あきたこまちの袋。
ポーズを決めるのは、JAあきた湖東の職員さんである。




真面目にこの事業が完成するまでに、嫁っこさを見付けて、私自身の人生を見直す為に婚活をしようかと考えている。
秋田の女性は、本当に物腰柔らかく言葉も少なく大人しい。
私のタイプが多い。

美人が多すぎるのも困ったものだ(笑)。


あんべいいな ~秋田カンバン娘 with 加藤夏希 編~



富山で雪の二日間 かわいいゴム長靴の件

2012年02月12日 | 旅先の事
先回のブログの続編とでもいえるのであるが、富山に翌朝の早くに到着した。
雪は止んだものの、雪は多くてその中で見えた少しの青空も心細く、
雪を溶かす日差しもそう強くはない富山の空であった。



用件を済まし解き放たれた気分で富山駅へと向かった。
少し以前から興味を持っていた名物の立山そばを食す為だ。
《駅そば》については以前にも姫路の駅そばをこのブログで記載したのであるが、
その駅で折々の季節風情を感じながら食べるのも有りだ!と感じていて、
格好の雪と寒さの中で駅そばの温かさを寒風吹きすさぶプラットホームで
感じて見たいと思っていた。
で、
富山駅到着。



しかし先ほどの空ではなく、又激しく雪が降ってきた。
線路の高さを越えようとする雪の降り方は京都で感じる大雪とは
全く違う勢いが有る。
現に、向かい側のホームの富山駅の掲示板が曰く(雪のすだれ)で
見難くも有る現状に少し驚きをもった。


早速、3番線の大阪方面へ向かう列車の発車するホームでその店を発見し
吸い込まれ様に向かう。
食券を買う。
たま天そばの大、稲荷寿司三個。
・・・・・・・・・・・?
稲荷寿司は売り切れ為、お結びにした。



寒いホームでの立ち食いそば。
風が強く時折雪が足元に舞う雪国の駅ホームでの駅そばをすするその味は
茹でがきつくて柔らかくボソボソのそばであろうが寒いのでその暖かさが大変に嬉しい。
立山のロゴ入りかまぼこの薄切りがなかせる演出とでもいえようか?



2日目、どうしても、売り切れだといわれた稲荷寿司が食べたくて、また富山駅へ向かう。
で、
立山そばを食す事にしたが今度は駅舎内に有る同様の店で着席をしての賞味である。
なぜか味か異なるように感じる。
何か物足りない??
提供される時に配膳窓口でおばちゃんが指を出汁に漬けていたので有るがそれではなくて、
んんんん・・・・・・。
寒さと時間が無いという焦りが足りない。



富山駅の立山そばは、蒸気の煙と板張り客車の冬の寒い鉄路の長旅で
疲れた人々の顔の面影と、遠い昭和の昔の味と風情が有る逸品だった。


風の盆恋歌 石川さゆり


私が好む強いひたむきな女性の表情と隠れた薄幸の香りが漂う雰囲気の表情が、
この動画に有るので、石川さゆりが歌う《風の盆恋歌》をアップしてみた。

富山の雪の街を歩いてみて若い女性の足元が気になった。
殆どの女性がゴム長か、ビニールレザーの防水性の高い靴をお召しになっている。
それがかわいい。
足元ばかりを写真に納めようとしたのであるが・・・・・・・。
私の歩く風体はいかにも変質者風であり・・・・・・。
潔くあきらめる事にした。

京都や雪の少ない地域ではあのようなカラフルでデザイン性に優れた
ゴム長靴を見ることは無い。
ゴム長靴全体が透明の素材でできていて、その中にビー玉のようなカラフルな
球状の物が散りばめられている物があった。
これなどは履く靴下の色で雰囲気はすごく変わるんだと。
ニヤケテシマウ私は・・・?

小倉・喜劇映画を二本見る

2012年01月15日 | 旅先の事
先回、小倉を訪れた時は門司港観光の帰り道の時間つぶしの為であり、
街中を徘徊する時間は無かったのであるが、
今回の小倉入りはかねてから少しその埃臭い雰囲気に興味があり
街中を中心にウロウロとしてみようと考えていて
門司に無いものが発見できれば良いかもしれないという期待の中に
必ずや少し前世代的事象の発見ができるの違いないという
確信があり滞在時間を伸ばしてみる事にした。
博多から電車に乗り小倉駅に到着したのが午後1時頃。
夜の10時までとにかくウロウロしてみる事にした。

小倉駅の観光案内所で駅周囲の観光マップをもらって、
先ずは小倉城へと向かう
が、
近代的な城に歴史的すばらしさを見つけられる事ができなくて
早々に次へ歩を進める。

久々に見るユリカモメ。
風上に頭を向けて橋の欄干に群れ留まっていた。
どこと無くそのしぐさがかわいく思えて写真に収めるが至近距離に近づいても
まったく逃げようとしない。



小倉城近くの総合商業施設に入り、その中で興味深い表示を見付けて向かう事にした。
《ゼンリン・地図の資料館》
ビルの14階にあるこの資料館からは小倉港から門司・関門方面が見渡せる。
暖かい室内からの海況の景色はすばらしく暖かくて開放的だ。



館内には日本の地図の歴史が分かりやすく展示説明されている。
特に、伊能忠敬の作成した江戸時代の地図に関する資料や、
創業者家系の収集物の展示の中に桃山時代の世界から見た未知国であった
日本の地図が展示されていたりする。
そのような展示品の中でもひときわ大きい地図が展示されている。
下記の写真の地図がそうだ。

連合国軍が開廷した東京裁判で裁判長の後ろに掲げられていた地図。
この地図の前で、混沌とした世を壮大な夢見し敗れし者が
勝者単独の意見良識で裁かれ、人生を露とした門出を見ていた地図である。



資料館を出て、博多同様に北風の強い中をウロウロと歩き始める。
とにかく、線路の脇に寂れた商店郡を小倉駅到着前に車窓から発見していたので
そちらに向かう事にした。
で、
その地域に到着。
風俗店が軒を連ね、侘しい酒場からは昼間なのにカラオケに興じている人々の姿が
店前の暖簾の隙間から見ることができ、酒の匂いのする換気扇からの排気と、
風俗店の呼び込みの声から逃れるようにそそくさと通過する。
で、
発見したのが下記写真の薬店の手製のPOP。
《アンプルで一発!》
まさしく地産地消・適在適所!
アンプル飲んでまで及ぼうとするのは男の性(さが)の悲哀を感じるを得ない。
そこまでするか的な将来自身にも起りうる感傷に浸る暇も無くまたまた歩き出す。



写真を撮るのに立ち止まるとあまり良くない地域だと直感していた私は
小倉駅に戻る事にした。
付近商店街をうろつき、人々の訛り言葉を聴きながらひたすらウロウロを
継続していた。




渥美清主演「拝啓天皇陛下様」予告編


少し早い目であるが、今回の目的の一つである昭和館へ向かう。
先回も、小倉にきた時に映画を見たのであるが今回は事前に上映内容を確認しての
昭和館での映画鑑賞である。
二本立て!1000円

《とんかつ一代》
森繁久弥・フランキー堺
《拝啓 天皇陛下様》
渥美清・長門裕之

長閑な喜劇映画である。喜劇でありながらも無常というものを感じる作品でもあり
決してハッピーエンドでは無いところも心に響く作品であった。

博多・長浜ラーメン

2012年01月15日 | 旅先の事
寒い日が連日続く1月であるが、博多へ向かった。
先回、博多ではあまり徘徊をせずに門司港へと向かったのであるが
今回は博多と小倉をウロウロする事にして、新しい発見を探す事にしようと
とにかく博多駅まで出ることにした。
朝の博多駅はなんら地方都市の光景とは代わりが無い。
博多駅前地下街へ降りて海の香りのする北風の寒さを避ける事にして、
モーニングのセットを食した。そこで1時間ほど博多の町を
あれこれと調べ物をする。



出発前日に福岡出身の職域の知人YMK氏に美味しいものを尋ねると、
中州屋台でどれにしようかと悩むよりも福岡魚市場前の
《元祖長浜ラーメン》との解答を得たのでそれを博多での目的とすることにした。
私は、長浜ラーメンを食したことが無いので興味が湧きその店へ向かう事にした。

で、北風の強い中を歩く。ひたすら歩く。体が暖かくなってきても歩く。
こうなってはバス、地下鉄なんか乗ってやるもんか!と
意地になって歩く事約1時間弱。
遠回りをしていたようであるが全く気にならなく歩いて到着。
長浜の交差点。
少し向こうに魚市場の入り口が見えるのでもう少しである。



で、
目的の《元祖 長浜屋》に到着する。



自動販売機で食券購入し店内に入る。殺風景な店内。
何一つ愛想も無ければ飾り気も無い。
お客は地元の方が多く見受けられて、観光で訪れているのは私一人だけだ。
テーブルは大衆食堂のそれ。湯飲みは職員(社員)食堂の樹脂製のあれ。
その横に大きなやかん、千切りの紅しょうが、胡麻の容器がでんと置かれている。
低い作業カウンターに並べられているのはラーメン皿、
その向こうは麺とスープの釜が並べられているのであろうか湯気が昇っている。
入ってくるお客の殆どが「かた!」と一言。
たぶん麺の加減を言っているのであろう。



待つこと数分。
で、でてきたのが下記の写真のとおり、紅生姜は私が少し入れたものである。
早速、食す。
あっさりしたスープ。少し頼りなく感じるが・・・・・・。
麺は固め。

でも食すうちにじわじわとその美味さが理解できてくる。
生姜を追加して盛る。胡麻も振る。

隣に座る常連さんであろうか、
紅生姜は山盛り、胡麻も大量振りかけまくりである。
その中から麺をつまんで食している。

器の中が少なくなってきて感動がこみ上げる
美味い!これは美味い!
全く味が素直で嫌味が無くてしつこくない。



これは良いものに合えたと納得して、次回は「かた!」と注文してみたい。
京都で食べる評判のラーメンはどこかこってりとした濃厚なものが多くて、
私はあまり食すことは無いのであるが、この長浜ラーメンは素直に美味しいと感じた。
素朴だ。

体が温もりおなかも充実したので、又、博多駅へ向かう事にする。
で、
今回の福岡入りのメインの目的の街、小倉へ向かう。



博多は無難すぎて私の心には響かない。
マダマダ発見が足らないのかもしれないがどこかオスマシした所が有り、
まるで、良いスーツを着ているが靴に気を使わない紳士然としている。
そのように感じてしまう街である。


広島 ~ 呉 ~ 三原 その②

2011年12月31日 | 旅先の事
広島駅から45分ほどで呉駅に到着した。
改札を出てコンコースで呉の観光案内版を見ていると、
ヤマトミュージアム、海上自衛隊歴史記念館が目に付き向かう事にする。
造船の街らしく港には重量クレーンが目に付く。
旧帝国海軍の遺構もそこかしこの有るようであるが、今回は全て見送る。





で、・・・・・・・・。両方ともが休館
潜水艦の野外展示と、戦艦むつの主砲、いかり、スクリュー、
巨大な舵板の野外展示だけを見た。



呉駅に戻り三原方面へ向かう電車の乗るがすぐに乗り換える。
でその乗り換えた三原行きの電車でにぎやかな光景に遭遇する。
いっぱい荷物を持ったフィリピーナ二人と、おじいさん。
全くおじいさんはそのフィリピーなの言葉が分からない様子。
車掌から三人分の関空までの切符を買っているが、
おじいさんはなぜ特急料金が存在するのかを一人のフィリピーナから
質問されて、その説明をそのフィリピーナにしているが、
二人はスペイン語で絶えず会話をしていて、
そのおじいさんは一生懸命に説明しているが理解を示さない。
結局、イラッときておじいさんが放った言葉にフィリピーナは納得する。

「速いから高い!」と一声でその騒ぎは済む。

私は笑いをこらえる事ができなかった。

目線があったそのフィリピーナが英語で話しかけてくるので、
少し相手をしたが、歳いった方のフィリピーナはそのおじいさんの妻。
私と話している彼女はその妻の友人らしい。

お金はそのおじいさんが払っているらしい。
金持ちだ。



長閑な電車は単線を走り、数回の対向列車との行き違いを駅で停車し
少し時間がかかったが右手には造船所やドックを見て
海沿いをガタゴトと2両編製の身をくねらせて走る。
景色は瀬戸内特有で、海面に反射する小島の向こうの夕日がすばらしい。
私は海側ではなく山側に座ったのでそこからは反対側の車窓を通しての
景色であったが、これもなかなか郷愁を誘うものである。



瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子 -歌詞付き-

広島 ~ 呉 ~ 三原  その①

2011年12月31日 | 旅先の事
クリスマスを過ぎた日、私は鳥取へ行こうとしていた。
しかしその後の寒波で天候も悪いと聞き、広島へ向かう事にした。
私の知っている限りでは、神戸を過ぎると丸亀製麺のうどんを賞味する場所は
岡山県と広島県との境の町、笠岡市中まではその店の所在が分からないでいたところ、
知人が、姫路市内の姫路バイパスを飾磨方面に1キロほど行くと右手に有ると
教えてくれたので先ずはそこを目指すことにした。
神戸で年末の素人運転の車にイライラしながら阪神高速神戸線をひた走り
第二神明道路、加古川バイパス、姫路バイパス中地で出て飾磨方面へ・・・・・。
で、丸亀製麺中地店に到着。



今回は、釜揚げうどんの特盛、かしわ天丼である。
かしわ天丼は一切れが二つくっついていて、
二つ分のお勘定であろうかと思ったのであるが、
レジ打つおばさんが一個分でお勘定は良いとの事ですごくラッキー!!!
しかし、釜揚げの量がすさまじい。釜場にいるおにーちゃんに聞くと、並盛の2倍。
私自身食べきれるかどうか不安になりつつも、問題無く完食。

翌日、早々に仕事を済ませ広島市西区の小さな飛行場の近所から広電バスに乗り
とにかく広島駅に向かう事にしてそこで市中ウロウロ計画を練ることにした。
広電バスは、路面電車を右にして短いバス停の間隔を発停車し広島駅へと向かう。
バス車窓から、右に電車を見ていると・・・・・・・・・。
京都市電が走っている。
大阪市電が走っている。

その路面電車が本当にそうなのか?広島駅前の広島電鉄乗り場の係員に聞いてみると、
紙屋町交差点でその姿が見ることができるとの事。
じゃあ、行ってみようと歩き始めた。

どこと無く、古い佇まいもそこかしこに残っている。
昭和の作りであろうとは思うが、川を渡る橋も古さを感じるものが多い。



闇市の残りをも感じる商店街も存在しているようで、
下画像の商店のある町並みはどこか都市開発から取り残された空気がある。
この商店の周りは、今度は尋ねてみたいが《純喫茶 パール》を見つけた場所だ。



飲み屋街が連なる町並みを発見したのでその通りを歩く事にした。
午前中から営業しているはずもなくひっそりとしているが、
風俗店が多いのに驚いた。
電柱が傾いているのが驚きだったし、
空中にある電線の取り回し方や配線の様子も異様である。



夜の世界や風俗のオネーチャンの衣装店発見!
エロ過ぎる。
しかし不思議なもので、スーパーやデパートや街中で少しきわどい女性下着が
ディスプレーされている下着販売店の前に私は立ち止まり凝視する勇気は無いが、
このお店は不思議と覗き込むことができた。



紙屋町交差点に到着した。
早速、大阪市電の到着。
私が通っていた大阪市立うつぼ幼稚園の前の本町通を走っていたやつそのまんま。
野田阪神行きの市電であったように思う。
川口町や本田方面から通う友人はこれに乗っていたはずだ。



大阪市電の写真を取っていると、美人の気配を感じる。
私の前を通るのを遠慮してくれているご婦人がおいで、
妙齢ながら仕草のかわいい方で有りお礼を述べると、
私に対して色々とご質問をくださり、私も気をよくして
ついついしゃべりこんでしまう。
ほどなく、
対向方面から京都市電の登場!



目の前に広島駅行きの電車が到着。妙齢美人が乗るので私も後に続き引き付けられて乗る。
広島駅までの楽しい会話で短いデート気分。
なんとなく新しい出会いのときめきを感じたので
独身ですか?聞くと、ご主人がお有りとの事、ご主人は幸せ者である。
親切にその後も広島駅内の乗り場方面を教えてくれた。
感謝である。
しかし、出会いは本当に突然にやってきて素敵で、
この頃では独り身の気楽さからかさびしさゆえの感情か
少しの時間でも美人との会話にドキドキときめいてしまう私は純情青年そのものだ。
妙齢美人さん(太田ひろみ似)もし会う事があればな~~~~。

広島駅のホームで腹が減ったのでこれまたこの頃恒例になりつつある駅そばを食べる。
天ぷらそばとおむすび2個のセットメニュー。
さてどこに行こうか?
呉に行こう!決断し呉行きの電車を待ち乗ると・・・・・・。



今時扇風機が天井にある電車。
向かいの席に若い子供をつれたお母さんが座る。
その横に、イケメンの若いお父さん。
行儀の良い子を連れている。



呉へと向かう電車は民家の軒を掠めるようにして右に海を見て
カーブ続く鉄路を車輪をきしませながら走っていく。
呉を散策して、海沿いに三原経由して京都に帰ることをこの電車内で決めた。

方言で読む 日本国憲法 第9条 《広島弁》


先の大戦で鬼畜の所業としての人類最初の被害を被った街が広島である。
日本国内で全くの逃げ場を作らない空からの広範囲による攻撃は非人道的である事は
周知の通りである。
その原野から立ち上がり現在の街の姿になるまでに幾程の年月がかかったであろうか。
その労苦を偲ぶ時、私は先人の逞しさに感涙さえ流れようとする自分に感動している。
私の取引先の量販店は戦後、先代社長が広島に復員して帰ってきて
何も無いところから裸一貫バラックで駅前の衣料品店からスタートした企業である。
《継続は力》
この企業、今や一部上場している。
日本人独特のサクセスロードをこの頃の企業人は忘れているように感じるのである。

江戸へ下る

2011年12月23日 | 旅先の事
江戸へ夕方から下る事になった。
東海道をひた走る計画である。
本来ならばいつも関東方面へ出向く時には中仙道が走りやすいので
中仙道を利用するのであるが、この時期は雪の障害を考えて
春の訪問が木曽路に訪れる間では東海道だなぁ~と考えて東へ向かう事にした。
岐阜県垂井宿も丸亀製麺の釜玉うどんとかしわ天丼とはとはしばしの期間の
お別れである。
しかし、滋賀県内の主要道の通勤時間帯の渋滞は慢性的で
一昔前の田舎道の様相は全く無い。
この日は夕方で栗東市の渋滞を過ぎるとすんなりと流れて水口で予定の
給油を済ませてこれから長い道のりの約500kmの始まりとなる。
「ヨウ候~~~~!一丁行きまっせ~!!!」と
気を引き締めてスタートしたとたんに早くもその気が緩む。
気力の持続距離わずかに約500m
《丸亀製麺》発見!迷わず入店。
この頃では、いつもの釜玉うどんよりも釜揚げに少し注文の頻度が増えている。
それも大盛りで汁(つゆ)が二つ、たっぷりの生姜とねぎ、わさびとねぎの2種類。



体を温めて、鈴鹿を越えた後は浜名湖近くまで走りきって休憩をしようと
走っているのであるが少し名古屋近辺で睡魔が現れては消えていく。
とにかく走れるところまで走りきろうと浜名湖近辺の休憩をスルーして
いやはや、良く走ってきたモンで由比まで来てしまった。
かなり速いペースだ。ここで30分ほど休憩。
右は東海道線、相当なスピードで貨物列車が行き過ぎる。
左は東名高速道路の向こうは駿河湾。
真正面には昼間なら美しい富士山である。

沼津を過ぎ箱根峠にかかる頃の時刻は午前2時前。
ここを越えれば江戸の灯りも近い。
箱根新道が以前と違い無料になっていた。
急坂を下ると小田原。
西湘バイパスを利用せずにひたすら国道一号線を東に走る。
茅ヶ崎、江ノ島を右に見て道は少し北北東に向きを変える。
保土ヶ谷でギブアップ。睡魔との闘いの限界これ以上の運転は危ない。
1時間の仮眠。不思議なモンですっきり。
これができないと重大事故につながる。

横浜で国道15号(第一京浜)に。
もう着いたも同然。午前6時きっちりに目的地に到着した。



大井競馬場より海側の運河は朝早くから行きかう小船の風情が大変に長閑だ。
朝の気ぜわしい時間なのにここだけは少し時間の流れが緩やかなように感じる。

東京モノレールの大井競馬場駅から大井競馬場の裏方が見ることができる。
馬がいて人が居る。当然であるが疲れた脳内にはそれが楽しくも感じてしまう。



移動で大井競馬場駅から東京モノレールを浜松町まで利用し、
山手線に乗り換えて東京駅へ出た。八重洲口で少しの時間待ち。
駅地下のマクドナルドで軽い浅食をとる
そこに集う八重洲口の時間待ち女性は皆上品で美しい。
でも、隣の席はハズレ。アウト。
向かいの席の妙齢清楚美人の眠たそうな眼と半開きの赤い輝く唇に吸い込まれる
マックフライポテトが艶っぽくて見とれてしまう。
《東男に京女》という言葉があるが、そんな彼女と私とが、
《東女に京男》を少し夢見てにやけてしまう。
まったくのバカな自分に相変わらずだなと確認印を押した。



仕事を済ませ、帰りは中央道で帰ることにした。
山へと続く高速道路は本当にユーミンの歌うがごとく空への滑走路である。
登り坂が多い。



予想に反して雪が無い。快適。景色は澄んだ冬の空気の中で雄雄しき山々が
何かを見る者に語りかけているようにさえも感じてしまう。
それは挑発的同姓的文言で表すのが適当であろう。
即ち、「なんか文句あるんか~?」的文言だ。

矢沢永吉 東京


やしきたかじんの《東京》とブログ掲載をどちらにするかを
悩んだのであるが、自身の気持ちとカッコよさでエーちゃんにした。
江戸へ向かう途中、頻繁にメールをくれた女子への、
私の素直になれない気持ちの表現でもある。

しかし、本当にかっこよすぎます。

小倉徘徊

2011年12月23日 | 旅先の事
門司港付近の徘徊を終えて、高速バスに乗る為に小倉駅まで戻ってきた。
まだバス発車まで6時間ほどもあるのでどうしようかと悩んだが、
やはり、小倉駅周辺をウロウロと徘徊してみようと
疲れた足は気になってはいたのであるが、解き離れたその探検感情は
納める事ができずに街を徘徊してみる事にした。

商店街を歩いていると、パチンコ屋の景品交換所の入り口に
二本立ての映画館の広告ポスターが目に入り場所をその景品交換所の
小さな窓から覗き込むように問い合わせてそちらに向かう事にした。
で、
到着したのが下画像の映画館《昭和館》である。



楢山節考とデンデレの二本立て。
今では古い作品である。
結局、その作品に今の私の感情では作品中で見る側に作品が意図するところが
見出せずに、今は亡き怪女優の清川虹子と左トンペイの絡みが
その重なる裸体に嫌悪感と不快感がいっぱいで、又、作品自体が薄暗く
ただ単に裸を見せるだけの展開にうんざりもしていた。
デンデレなんぞは見るに値する作品ではない。
と、感じて途中で《もういいわ~》の気持ちとなり退出する事にした。

しかし歴史を持つ映画館のようで、映画館を管理しているおにいさんと、
おねえさんに歴史を聞いてみるとなんと70年を越えるという。
あと、駅の反対側に成人映画専門の映画館があるとも聞いたので、
次回は中途半端なエロものを見るのであれば、
非現実なありえない展開の成人映画の作られた裸体の方がまだ興味があり
永居ができそうにも思う。



小倉駅付近で夕御飯にしようと思ったのが午後の8時前
この時点で午後10時50分の阪急高速バス京都駅八条口行きへの時間までは
三時間弱、少し小倉駅近辺をウロウロしていると
店の前に果物をディスプレイしていてなにやら中でオネーちゃん
(おねえさんではなく、オネーちゃん)とカウンター越しに談笑して話している
男たちが通りから見える。
フレッシュジュースを飲みながら、オネーちゃんと会話ができるのか?
と、思っていると一人のオネーちゃんが店から出てきて私に声をかけた。
野菜や果物のカクテルを提供していた。
その場でジューサーを使って絞って、オリジナルのカクテル飲ませている。
笑顔がすばらしいので、写真に収める。
肉感的な女性で、京都の祇園や江戸赤坂、銀座で充分通用する容姿。
少し会話が店外で楽しめた。
努力している女性であったので応援してみたい気にはなるのだが、
なんせ私は酒を飲まない。
ブログ読者の淋しい男性諸兄は是非、行って応援してあげて欲しく思う。



小倉駅周辺で夕飯をすることにしたので適当なところを探すのであるが
結局無難な店が無く、
《サイゼリア》である。
こんな時にでも、迷いが生ずればファミレス系統へ食への欲求が脳内で変化する。
要するに、その判断基準は《当りはずれが無い》という事に起因する。
小倉駅は電飾で飾られているものの少しセンスは無い。
要は中途半端。

門司港 その②

2011年12月18日 | 旅先の事
門司港駅到着前の列車の車窓から進行方向左側に座っていた私は、
古い客車と機関車の展示施設があるのを目ざとく見つけていて
早速、その施設へ足を運ぶ事にした。
九州鉄道記念館 明治24年、九州鉄道の起点が誕生した。
その歴史を展示公開している記念館である。
赤レンガ造りの展示館は九州鉄道会社の本社屋がそのまま使われていて
鉄道院~鉄道省~日本国有鉄道~JR九州へと受け継がれたが、
永きに渡り九州の鉄道の中枢を担ってきた建物でありその美しさは
直線を基調とした美しいものである。



ディーゼル好きの私は興味を持ったのが下記の写真のキハ07 
昭和12年製造(日本車輌)の車両である。



運転席にはシフトレバーが突出しているし、
足元にはクラッチペダルとアクセルペダルがあるのも驚きである。
トルクコンバーターが開発される前の気動客車はギヤシフトチェンジを
必要としていたようだ。即ちマニュアルトランスミッション。ATではない。



すごく美人の入り口受付のお嬢さんと会話を交わせたことも喜びの一つであったが、
あまりにも美人だったので例によって笑顔を頂戴してカメラに収めたい旨を
言いそびれてしまった。照れてしまう自分が格好悪い。
で、
一通り館内を見学して門司の港町を漂流することにした。
昭和30年代~50年代前半の香りを漂わせている街は、
発見と驚きの物象にあふれていて飽きる事は無い。

栄町銀店街。
昔ながらの商店街アーケードをふらふらと歩く。
閉店なのか?休業なのか?廃業したのか?全く分からない食堂の看板に注目してしまった。
なんと、その名も《平民食堂》
いかにも大衆向けの名前で安い定食がメニュー(ここではたぶんお品書き)に有りそうだ。



すごい名前の店を発見した。
《立花流麺打ち研究会》私は入る勇気がなかった。うどんは好物なのであるが、
この研究会というアカデミックな名前に気がまいってしまった。
又、店前は八百屋さんなのであろうか?



強烈な地域地図を発見!!!
全く分から無い地図だが時計屋さんであることは分かる。



せっかく、門司港まで来ていながらにして、昼食はJOYFUL(ファミレス)に入る。
先に訪れた、鉄道記念館の美人のお嬢さんは、
名物焼きカレーをお奨めいただいたのであるが、どんな風なものと聞けば、
「ドライカレーみたいなものです。」との事であった。
ドライカレーみたいなものという事は、どのようにアレンジしてもドライカレーでは?
という観念に脳内が支配されて、結局はファミレスで昼食をとる。

そのファミレスのお兄さんからお奨めと聞いたのが、下記の写真にある抹茶大福である。
《なごしの星野村石挽抹茶生大福》
福岡八女の星野村の抹茶をたっぷり使用した抹茶クリームを
丹波大納言を炊いた粒あんで包み、それを柔らかい羽二重餅でもう一層包んで、
たっぷりと抹茶を振りかけていた。
美味い!甘味がしつこくなく上品である



その名も大連通りという波止場に出て、関門海峡を行きかう船と関門橋を見ながら、
小雨をかぶりながらも美味しくいただく。
少し体が冷えたので、又歩き出す事にした。


で、
バナナの叩き売り発祥の地。
実際に輸入されていて昔は相当量のバナナがこの門司港へ荷揚げされていたらしい。
この界隈には多くのバナナの屋台が並んだという。
だから叩き売り発祥の地である。



少しビビッてしまった。
その名も《無法松》である。
私は覗く勇気がなかった。
ガテン系の衣料品や装束を取り扱う店である。
ワークマンの九州版。特に小倉版とでも言えるかもしれない。



門司港一の強烈な主張である。
そういえば寂れた飲み屋街の出口付近に有り、
そっち系の人たちの集う事務所も有った地域の外れに有った。
写真を撮っていると店内からの鋭いまなざしを感じた。
早々に退散である。
しかし店主らしき人はパンチパーマではない。



で時間も時間となり、バスの時間まではだいぶと早いが小倉駅へと向かう事にした。

かえり船 田端義夫.


そんなこんなの門司港での徘徊は書きつくせない程のサプライズの連発である。
しかし、歴史的に観光地として整備が進んでいるものの、そこを訪れる人影は
以前ブームであったときに比べればたいそう減ったとも聞いた。
ブーム時は韓国中国人観光客が大挙して訪れたと聞く。
彼ら大陸の人々にとっても、日本帝国が大陸進出の為に繁栄した港町の遺構を
見てどのように感じたのであろうか?
先の大戦時のように喚起の声と歓送の音楽で勇ましく出港して行く船の姿は
当然、見受けられないし、又、その負の面影すら遠く忘却の彼方にあるようである。
せめて、生き残りこの門司港にかろうじてたどり着いた先人の苦労と心を慰めようと
現在の平和を教授している私は
今回は《かえり舟 田端義夫》をチョイスした。

門司港 その①

2011年12月13日 | 旅先の事
博多で仕事を済ませ、経費節減のため深夜の高速道路をひた走る
夜行バスで帰ることにした。
22時前に博多を出発するバスまでの時間を潰す為に、
それじゃ~少しウロウロして帰ろうと博多からそのバスに乗車せずに
小倉駅前からの乗車券を購入した。
どうも博多は都会すぎるので、小倉でウロウロする事にしたからだ。
数年前に少しブームになったが、小倉駅を二駅ほど行き過ぎた九州の玄関口
門司港のレトロな雰囲気を味わう事にした。

で、1時間と少しで博多駅から門司港駅に到着する。
本当に古いひなびた駅である。



先の昭和の不幸な時代は、この駅が祖国との別れの駅であり、又、
多くの今も在日する旧植民地、及び統治国の人々にとっては日本への第一歩を
ここよりスタートした駅でもあろう。
戦中は300万人の軍人や軍属がこの駅を利用して戦地や外地へ向かい
半数の人たちがこの駅へ帰ることができなかった死出の旅立ちの駅でもある。
そんな歴史観を持って、プラットホームに降り立った。



で、駅前から早速、開放的な駅前広場の周りを見渡してみた。
空が冷たく灰色で低いがどこからか流れ込む温かい海風が気持ちよい。
少し歩いただけで古い港湾関連の旧施設の建物や旧財閥の社交クラブを
見ることができる。



そんな門司港の港湾地域を散策していて感じたことであるが、
んんんん~~~~~~?
町興しとしてこのように整備修復されているものをレトロと呼んでよいのか?
できることなら、古びたままで手付かずの朽ちたら朽ちたままの方が
良いのではないであろうかと思いつつも古き往年の栄えた港光景を
思い描きつつ、今にある街の雰囲気を楽しんでみようと少し決意して
相当な距離をガイドブックを頼りにせずに自分なりの観点があろうかと
意を決めてようし~~~と歩く事にした。



♪ いい日旅立ち・西へ  谷村新司


西へ向かう私は出会いを求める訳でもなく、又、新しい自分を見つけることも無く
今、生きているという現実を忘れたいが為の旅なのかもしれない。
この頃では既に遠くへ行くという行動が無心に近い行動になりつつある。
そんな最近にあって、生きるという辛さや深刻な悩みや思考すれば思考するほど
苦しい事象の絵巻物が走馬灯のように回転して脳内で色合いや図柄が混ざり合っているが、
時として単純にその地へ正確にたどり着く事と到着時間だけを目的とする事が
全てである行動に集中する事ができる往路でそれら脳内の混合された分からないものを
全てを捨てることができている。
復路は、往路の苦労の為に疲労困憊していて、朦朧たる意識の中でのみ
その意識に働きかける強烈な事象にしか感情の反応は起りはしない。
その時の私の脳内はある意味、事象に反応しないインポテンツなのだろう。
よほどの刺激が無いと感情の喚起は無いようだ



そんな状態で、レトロ化されていない素の門司港、そして後日記載するが小倉の街は
久々の反応を得る事ができた。

仙台が静的美しさに感動を得ることができたと表現するなら、
小倉、門司を含む北九州は、性的魅力を感じる。


杜の都・トンカツ・笑顔

2011年12月03日 | 旅先の事
京都を昼過ぎに出発し、山形市を目指す事にした。
福井・石川・富山・新潟まで国道8号線をひたすら東北へ。
富山から新潟に入ると親不知の断崖絶壁を上がり下がりしながら右へ左へ
曲率の複雑な道をトンネルをさながら針で縫うように車を走らせる。
本来ならトンネルの合間合間に左側には絶景の日本海や遠くに
佐渡が見渡せるはづなのであるが・・・・・・・。
残念ながら冷たい雨の降る夜の漆黒の暗闇でしかない。
ただ、浜辺に崩れ落ちる波の白い頭だけが街路灯とオレンジ色のナトリュームの光の
薄明かりで見えるだけの景色である。
一部新潟市内に入る手前で国道116号に入りに新潟市内をスルーすると道は
新発田市で必然的国道7号線と合流する。この区間は高速道路並みに走行が可能で快適。
国道113号線で山形市内を目指す。
で、午前4時前に到着。約750km。不思議だが疲れを感じない。

目覚めて仙台を目指すことにする。
私の場合、帰路の方が今回は楽しみにしている旅である。
その帰路の始まりは下の画像の駅、仙山線の単線のレールの冷たさを感じる
木枯らしの吹く駅からのスタート。



途中、山脈を貫くのであろうか長いトンネルがあり、
渓谷をこの列車も縫うように走る。
列車車窓からの景色は、雪景色に変化し如何にも東北だなーと思いにふけっていた。
途中ホームから車内に入る空気にはピンとした清潔感のある冷気に少し寂しさを
感じるのであるが、反してその冷気にどこかのどかな暖かさも感じてる。



1時間ほどで仙台駅に到着した。
朝の通勤時間を少し過ぎたあたりの到着であったが、
やはり県庁所在地で、人は多い。
しかし関西で生活する私にはどこか行きかう人に清楚な雰囲気があり、
静かに歩を進める姿が関西圏や首都圏ではない静かな雰囲気の漂う駅中であった。



以前より、仙台を訪れる事があったなら寄りたい場所があったので
その場所を探すことにする。
《とんかつの大町》
23年前の同時期に訪れて食事をして感動を覚えた場所である。
青葉通りに有ったとだけ記憶をしていて、観光案内所で尋ねてみると
場所や店のことは分からないとの事。
それじゃ、青葉通りを歩いてみようと考えた。
仙台市営バスの案内所でその所在地を店の特徴を言って聞いてみてみたが
分からないとの事。
私は、東急インのあたりとしか記憶に無い。
それなら、東急インの周り行こうと決意し
そちらに向かう事にする。同時に仙台市内を散策する為に乗り降り自由の
ループバスの乗車券を購入した。



で、案内所で聞いた東急インの有った晩翠草堂前で下車。
せっかくなので土井晩翠の旧宅を見に行くことにした。
(思い出の東急インは営業終了し閉鎖されていて巨大廃墟で不気味さを感じた。)
そこで、初老のご婦人に先ほどのトンカツの話をすると閉店されて移転されたとの事。
で移転先は、この場所の一つ手前の青葉通一番町のアーケードが途切れた先に
移転との事を聞き仙台駅に戻るときに立ち寄る事にして、
市内散策を優先することにした。



仙台の市中を歩いてみて本当に木々の多いところである。
今は紅葉の真っ盛りで、少し曇りがちな天気ではあったが秋は深まり
既に冬の様相を呈している。
震災の影響も町のあちこち見受けれれるが、
歩く途中で傍を通った小学校から聞こえる子供達の
元気な声と、《僕らは負けない!》という幟に声援を送りたくなった。



広瀬川の流れは仙台市内を蛇行して街中でありながら谷を形成していて
その深い場所を流れているのが特徴的に感じた。必然的に橋桁の高さも高く、
その橋の曲線とその傍らで色ずく木々も美しい。

土井晩翠の旧宅からさてさてどこへ行こうかと考えていたのであるが
次のループバスの時間までは約20分ほど有るので、
徒歩で伊達政宗の御陵である瑞鳳殿前までを歩く事にした。
仙台の街中を歩く事になるのであるが、東北大学界隈の歩道には落ち葉の絨毯が
散らされて歩く足にも柔らかく感じられて心地が良い。



瑞鳳殿前に到着。
歩を進めて唖然・・・・・・・・。
苦手の急坂の上り坂が200メートルほど続いている。
その坂を上りきった処からは上記の写真のとおりに石段が数段続く。
その奥に見える紅葉の美しさの向こうを期待してもう一つガンバリする。





同じ道を戻り、瑞鳳殿前のバス停から、ループバスを乗り継ぎの名所へと
連れて行ってもらうのだが、青葉城跡で降りる方が大半であったが
私は降りないで次の興味引く場所へ向かう事にした。
石垣が先の震災で崩れて、東北大学のキャンパス内を通行して迂回している。
復旧には相当の期間が必要なようである。
創建当時の石垣のとおりに崩れた石を使って組みなおすとアナウンスがあった。
私はここはと思うところがあれば降りてみようと、
乗車時に貰ったコースパンフレットを見てみるのであるがイマイチ興味がわかずに、
《とんかつの大町》の事が気になりだして市内へ戻ることにした。



定禅寺通市役所前でループバスを降りて、一番町の商店街を南に歩く。
風情のある商店街である。数点の空き店を見受けられるもののがんばっている感を
感じるし、三越をはじめとした百貨店や古くからの地場百貨店、
海外ブランドショップもこの町並みの中に静かに溶け込んでいた。
先にループバスで通過していた青葉通を横断し南へ歩くとやがてアーケードが
途切れた。
曇ったガラスショーケースのタバコ屋の親父さんに尋ねる。
《とんかつの大町》の件。
廃業との事。言葉が無い・・・・・・・・・・。
山下清画伯が良く訪れていて、大きなとんかつを好んで食べていた、
その大判とんかつを山下画伯が名を付けたメニューがあった。
その名も、《元帥とんかつ》
確か壁には画伯の秋の鳥海山を描いた絵が掛けてあったのが記憶にあるので
それも見てみたかったのだが・・・・・・・・・。

残念である。



結局、主目的が適わなかった杜の都・仙台の散策であったが
締めくくりは彼女の笑顔のすばらしさに安らいで締めくくることができた。
なぜか仙台駅でわざわざ好みの丸亀製麺。
落ち着くところはやはり釜玉うどんと天丼。
釜揚げうどんの大盛りの量のばらつきがあることに注意が必要でもある事の
教訓も得る事ができました。(感謝)
丸亀製麺の看板に魔力を感じる今日この頃です。



青葉城恋唄 さとう宗幸


仙台市内ではこれからの季節ライトアップが街中いたるところで行われるようである。
先日訪れた時も感じたのであるが、私の住む京都とは少し緑や木々の植樹の仕方が違うし
人工的でありながらもどこか建物と町景観におけるバランスの良さは
仙台の方が勝っているのではないであろうか?
その中で住む女性の質のレベルも高く感じる。
とにかく薄化粧で色白美人が多い。