池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

すっかり忘れてましたぁ~。

2015年10月02日 | 言わせてもらいます。
全く、2年前までしっかり書き込んでいたこのブログへの投稿を忘れていた。
Facebookに傾倒していたのもあるが、そのFacebookに嫌気がさして、
このブログで、私の脳内と心情が報告できる方が、即答で(いいね!)ポチッで評価されるよりも
心に優しい(笑)。

2年間で、溜まりに溜まった、画像を整理の目的も兼ねて再開してみたい。

毎週、金曜日をそれら画像と共に、その時の所感を思い出し、書き記していければ良いかと気楽な気持ちでいる。

稚拙な文章を書き記して、勝手極まりない内容のブログの文章であるが、以前よりその投稿再開を希望する方々も多く、そのご要望に答えるべくの再開である。

その方々にとって、私の空白の2年間の出来事を公開する。

どうぞ存分に《真面目なアホ発想》を楽しんで欲しいと思っている。


ブログ訪問者へのお願い!と、何ぁ~んで、池やん?について説明

2013年07月15日 | 言わせてもらいます。
このブログには多くの方からアクセスをいただき訪問してくれている。
本当にありがたく、御礼を申し上げたい。

できればメッセージをくれれば尚一層嬉しく思う。
是非、感想等を記していただけると親交が深まり楽しいなぁ~と常々に思っている。

申し添えるが、既に拙者の知人である方は私への連絡先を存知しているはずなので
そちらで承る事にしたく思うので、返信はしないのであしからずご了承を!

さて、今回はその山里に住みだしてけら早いもので3年目に突入した。

先日来から、雷雨が多く幾分か私の住む山里ではさわやかな風が吹く日が多く、
過ごしやすい日々が続いている。
緑の山々に囲まれている事が、都会の石灰の臭いのする風とは全く違うのを
感じる事ができる。

夜ともなればその風は一層≪涼≫をまし、山の傾斜を滑り落ちて我が家へと
たどり着くから寝苦しいという感覚はここ2年ほどは感じてはいない。

京都市中に住んでいた頃とは違い、あの真夏の夜の熱帯夜が懐かしくも有る。
羨む事無かれ!いつも熟睡できている。

そんな静かな山の緑の風の音と匂いの環境下で、選挙の宣伝カーだけが向こうの
谷間から、山に木霊しながら、ドップラー効果とエコー効果を発揮して
近づいてくる、今日この頃で、久々に騒がしく思いつつも、
京都市内ではあるが街中のイメージとは違う古き良き日本の原風景の
残る山里に住むに至った考え方と原因について4年前からの発心と
決断と行動に至ったまでの思いを懐述してみよう。

山里に住む気になったのは遡る事の憧憬が影響しているといっても嘘ではない。

小学校5年生の頃、京都市北区大森の叔母の家が楽しくて仕方が無かった。

今ではキャンプ場ができたりして喧騒としているその地域であるが、
今から40年ほど前はそんな事は全く無かった。

近所に養鶏場があり、届く、朝〆の鶏の味は未だに忘れる事ができない。
あの卵の黄身の盛り上がり方も・・・・・。
大森東町の一番奥の叔母の家は清滝川の最上流にあたる地域でもあるし、
毎日の近所の山里で知り合った友達とのその川遊びは一生の思い出でもある。
冷たい水遊びで永く入ることができないでいたが、たまらなく楽しかった。
叔母の家の裏には、木馬道がずっと山奥まで続いていし、
水は山水を谷から引いてタイルの流しに溜めていた。

そんな、子供の時の思い出が、西陣で座り込んでいて、
突然、ふっと力が抜けて、
卑屈になった閉鎖していた気持ちから、リリースさせてくれた。

そうだ!山里に住めばすべてが吹っ切れる!と思い、
ただそれだけ。
金もないし、安上がりな方法はこれしかない。

と・・・・・・。

しがらみも無いような状況の場所にしばらく逃れたかった。

全くの現実逃避である。
いい格好でもなんでもない。無様な姿での、逃亡である。

しかし、どうなんだ?あぁ~?~?・・・・。

結局、事業をしている。

私の場合、その方向にしか風が吹かないようだ。


はしだのりひことシューベルツ/風 (1969年)



私は中学生頃、この歌を聞き衝撃を受けた事が有る。

イメージは年齢を加えるごとにその感じ方は変わろうであろうが、
この曲に関しては未だにその時の感性のままで何一つ変わってない。
京都の大学を中心として生まれた関西フォークはメッセージ性の強い
プロテスト・ソングでもある。

KBS京都(当時は近畿放送)は彼らの主張曲を擁護しそれらを電波に流し続け、
放送局としては異例の性格を持っていた。
半島の南北分断を歌う≪イムジン河≫を放送禁止曲でありながら流し続けていた
局でもある。
今、このような、真実・真理な主張の有るアーティストが受けいられる放送局は
たぶん皆無であろう。
だから・・・・。
文化的レベルが低いエンターテイメントや思考レベルの低下し続けるマスメディアに
閉口する方々が多いのもうなずける。
私は踊念仏の念仏の意味は好きだが踊りは好きではない。
その踊りも、芸術性を伴わないのでかわいらしくもなんとも無い。

素人の欲ボケ親父が操るヘタクソのマリオネットであろうか?と。

未だにKBS京都に遊びに行く(生きてるよっ!って顔を見せに行く)と
あのアットホームなスタッフの雰囲気に親しみを覚える。
しかし、どこか、あまりにもローカルすぎる番組が多い。
だが、

再放送の≪ぬかるみの女≫は最高だ。

まだまだ、漂流の気持ちが存在する。

2013年04月02日 | 言わせてもらいます。
1月25日の先回のブログを更新してからというもの、
これといった事が脳内に浮かぶ事もなく、
ただ、春を知らせる音と香りだけを微妙に感じているだけで、
少し流れる海流に漂うがごとく、漂流に近い自身の感情は抑揚もせずに、
ただ漆黒の月明かりの無い夜の海に、煌めく夜光虫の流れのような日々を過ごしていた。

そのような漂流している自分に気付いていて、
投錨している大型船が外部からの何らかの強大な力作用で走錨するのと
同様の感情があり、その走錨している原因を、根拠となる事実の精査に基づき、
不条理と自己保身の都合の折りたたまれた政治に対して、
日向の暖かい干し終えた布団に顔を埋めた時の気持ち良さを持つ
≪自己満足的異論≫だけは冴え渡っていると思える、今日この頃の脳内である。

なんだか次々と新しい事を起こし景気解決を目指していると言うが・・・・・。
どうも、全くなんら日本国は変わろうという道筋は見える事も無い
同じ事の繰り返しであり、同じ顔ぶれがやっていて、
結局は外力に対して主導者たるものは外面が良く屈服せざるを得ない
無能無力であることを既に気付かされている。

≪~ミクス≫アホくさ!
気付く方は多いのではないか?



農業のおかれている現状を話を少し整理して私のなりを述べてみたい。
関税が撤廃されて、農家がつぶれる!と悲鳴を上げる方がいてる。
特に広大な農地を持ち国際競争力の無い作物に全ての面積を生産に使い、
その広大な農地で作業をする為に巨額の投資をした農家が声を大きく上げている
中心核であろうかと思う。

国に頼り、人に頼る農業などは私の心中では
≪つぶれれば良い!≫という考えが大半を占めている。

かっての昔より、農業の将来性にあっては危惧が懸念されていた訳である。
それに対して自己努力で方策を練ることもせず、国にすがり、消費者の顔を見ることが無く
ただ作物を作る事だけに安堵を覚えていた農耕者の精神構造の不変が
今のこの状況下において全く付いて行けていない様に見えるのは私だけであろうか?

な~んか、違うように思う。

近所に、でかいスーパーが出店して来るので反対しよう!
その企業から保証金を受け取ろうという事のように私は映る事さえある。
既に日本の農業は破綻しているのだから。

今まで日本の農家は自己努力でマーケティング(市場開拓)を行ってなかったのが
その原因。
売り方を未だに知らず、他人が着ける相場に依存している事が問題である。

それと原価計算のあいまい。なぜ計算ができないのか?
農協へ出荷する農産物を作っていれば、生活に金はかからない。
農協へ出荷した農産物の販売代金で農協が販売する衣食住に関わるすべての物の
購入代金を引き落とす事ができる。
私の感じるだけでは、経営の知識手腕が入り込む事が見受けられたことが無い。


それと兼業農家は別の収入がありながら、補助金を受け取る事ができる。
専業農家と同額だと私は解釈しているが違ったであろうか?

食の安全が崩れる?
既に崩れている。

ファーストフードやコンビニエンスな食べ物が世の中に溢れかえっている。
その最大手企業のマーケティングをしていたと自称する
不健康極まりない体型の男の講演を聞いたが、その企業の考え方は狂っていた。
第一声は「マーケティングは成功したものの模倣からはじめるのが王道!」と
自信満々。質問してみようとしたが・・・・・・・。
模倣で無い商品を独自開発している時はどうするのか?
また、趣向性の強い付加価値商品を製造し、顧客を絞り込みマーケットが
すでに成立している状況において次の手立ては何をすれば良いのか?
と切り出そうとしたが・・・・・・・・・・・。
この不健康男、自身の話に酔いしれているので話す内容に自信満々で嬉しそうだった。

「既に認知されている大量生産商品を購買させようという仕組みは理解できるが、
 自社(店)で販売数を増やす為に顧客の獲得を目指す手法について答えて欲しい。」
の私の質問に
「チラシの継続的大量配布を重要視し、継続的に配布によって顧客獲得を目指す。
 たとえば、割り引きクーポン券を配布する。」等と、
ナショナルブランドの販売手法を個人事業主の資金調達規模で平然と言う
経営感覚を持っている。

今時、チラシ?

食べ物を作って販売しているのではなくて、
金を集める仕組みを売っている事に愕然とした。

事実、そのファーストフードチェーンは、ここ数年売上高が減少し続けている。
最近では、提供しようとする品が、ある一定時間を越えて待たせたなら、
代金が云々・・・・・・・・・。

有名企業出身の傘をさし、コンサルしている方の典型だと思った。
この方の町興ししたという現場の今の現状を見に行こうと思っている。



牛である。牛を見ていると私は落ち着く。
彼らは行く末は決まっている。
でも、もくもくと餌を食べる。
そして、人に甘えるそぶりをする。
でも、行く末は決まっている。
私は牛に時々、行く末を心配するなと励まされている。

牛は偉大だ!

橋幸夫「舞妓はん」


祇園街には独特の風習と生活が未だにあるのではないか?
外国人で白人の一流のバカにこの祇園街の世界の流儀というものを伝えようとしたが
全く伝わることが無かった。
ビジネスで旦那が付くという考え方が崩れない。
人身売買の認知でしかないのである。
そんなバカ達を相手に交渉の場に着こうとしている≪~ミクス≫と我国は、
もっとバカなんであろうか?
又、どこぞの漢文から難しい四文字を並べた言い訳が聴こえてるに違いが無い。

言葉を並べる事無く、さっさとしてくれ!

私はTPPと農業に関する将来は全く怖くない。
食べて良い物悪い物を事前に選ぶ事ができる。
だから、好きにすればと思っている。

2013年元旦 思い出す昭和の事

2013年01月01日 | 言わせてもらいます。
謹んで新年のお喜びを申し上げます。

と、そんな挨拶が当たり前であろうこの松の内だとは思うが、
今日はなんだかんだと昔事を思い出すことが多くて少し書き記してみようかと思う。
読まれる方々も≪そうだった≫とか、≪懐かしいなぁ~≫などと感じてくれると、
よろしいかもしれません。

私は昭和30年代の生まれである。
小学生まで世界情勢や経済の状況や政治に関しての記憶知識はほとんど無い。
それ以降の歴史読本でも読み触れる事は無かった。
10歳までの少年に60年安保や70年安保を理解しようというものが不可能。
しかし、少し前まで大きな戦争をしていたという知識はあったし
まだ昔話にならない話であったようには記憶している。

私が育った大阪市西区でもまだ、その傷跡というかその痕跡は至る所に残っていたが、
それが何であったかはまったく気づかないでいた。
最近になって、その子供当時の事の訳が理解できるようになりつつある。
例えば、今の中央大通りは私が子供の頃空き地であった。
大阪大空襲で市街がほとんど焼かれて都市整備を戦後行おうとした時に
大通りを作る計画で建設までの間、放任地であった。
大阪市立明治小学校(市内有数の伝統校=母校)の講堂の地下入り口には
分厚い鉄の防火扉があったし、またその校舎の屋上には焼夷弾であろうか?
不発が直撃したといわれる傷も見る事ができたように記憶している。

私は小さい頃から、車が好きで(これは多分に父の影響)、ほとんどの車名を
知っていた。
特に貨物車にあってはその構造、機構、用途など・・・・・、
また、やっと花咲きかけたであろうレースカーに関しては普通の子供の知識量では
なかったと思う。
いつも父の運転する車の助手席がお気に入りで楽しくて仕方が無い。
そんな車好きの私でも苦手な父とのドライブがあった。

≪生野峠(いくのとうげ)≫

私の母は、兵庫県養父郡八鹿町の出生で車でそこへ行く時は
大阪~神戸~姫路~和田山~八鹿という道程。
今ならもっと近い道が有るが、40年少し前は整備された道はそれしかなかったようだ。
大阪から6時間はかかっていたように思う。

その途中、いつも夜中近くにその峠を越えるのであるが、
いつも、その峠に差し掛かると誰彼と無く峠越えの怪談話をする。
それを聞いていると、本当に峠道のカーブの向こうによからぬ者が血だらけの形相で
手招きしてそうでそれが見えるのが怖くいつも寝たふりをしていた。
峠を降りた生野の街中の通過は狭い町並みゆえに片側交互通行で
その信号待ちか、又は同じように和田山の町の通過も片側交互通行であった。
その信号待ちのときに、「もう大丈夫!」と声をかけてくれて目を開けていた。
下記写真は、そんな夜のドライブを終了到着して知人の家の消防団車庫前での写真。
コロナは、父が運転してきた。



小学校4年生の時、万国博覧会(EXPO‘70)があった。
学校の遠足でも行ったが、家族でも2度ほど行ったように記憶している。
でも、あまり楽しくなかった。興味が無かった。
下記写真は、エキスポタワー!



その当時、ベトナム戦争の映像をテレビで良く見ていた。
その時の解釈は簡単で、アメリカ人が良い人、反するベトナム人が悪い人。
B52がすごく英雄の乗り物に思っていたし、
落とす爆弾の量のすさまじさに力強さを感じて感動していた。

戦争の内容を知ったのは・・・・・・・・・。
その後アメリカで反戦運動が高まり撤退を始めた中学生~高校生の頃。
ヘリコプターにすがりつく市民の姿。
すがりつく女・子供の手を振り払う兵隊。
サイゴンのアメリカ施設へ助けを求める人々を蹴り落とす兵隊。
「な~んで~?」とばかり疑問だらけの脳内であった。

この戦争の事実と意味を少し知ったのは・・・・・・。
まだそれからずっと後の20歳半ばを越えた頃。
≪地獄の黙示録≫≪ディアハンター≫

その悲劇の映像を思い起こし、中学生の頃に感じた心が戻ってしまい
深く人間の欲や権力を考えてしまうようになったのがつい最近の事。


権力を弄び、そしてまた自分達の為に権力を利用しようとする事は
バスを待つ人々の列に横入りする姿と本質は同様に思えてならないし、
権力者は、私にとって民意の支持を傘に着た独自行動だけをしているように
しか見えなくて、なんらその様相は古代より変わっていない。
公福祉を唱え、平和の維持を謳う事=他力を使用した地位・収入を守る自己保身。
世界平和や社会福祉の充実を唱える方々が、無言で意思表示ができない者々に
かえってどれだけの苦痛と失望感を与えているかを理解できないでいる。
また、その苦痛の及ぶ範囲はますます近年では深く潜航した部分で
隠密裏に拡散し浸透している力が有るように感じている。

田舎暮らしの結果の功罪であろうかもしれないと思うが、
この頃、先の詰まる芝居の嘘が良く見える。
見えすぎてしまう。

Miss Saigon with Lyrics - 20 - I'd Give My Life For You


その嘘による被害は必ず今の子供に降りかかる。
今の子供の将来の事を思うと・・・・・・・・。
ベトナム戦争に参画した国や双方の権力がベトナムでベトナムの無実の人々にした事を
皆さんはご存知でしょうか?
利用されゲリラ戦の隠れ蓑にされて一派一からげの考えから殺戮が繰り返された事。
日本はその行動に金を渡し国はその間発展を遂げた。

Miss Saigon with Lyrics Disc 2 - 02 - Bui Doi


当時のベトナムの権力の間の罪の元に生まれた子供と今の被災地の子供のおかれている
環境の違いは爆音は聞こえないであろうし、銃弾も飛ばないと思う。
そんな今すぐ命を失いかけたり、逃げ惑う事も無いかもしれない。

しかし・・・・・。

どうしても、目に見えない権力象徴の破綻による被害が被っているようにシンクロする。
枯葉剤の薬害は将来にわたり影響する事は共通であるし、
差別や偏見に発展する事柄になる様な事がすごく恐怖である。

争いの虚しさや無意味さは愛の究極完結と死を目撃して変化する。

2012年12月10日 | 言わせてもらいます。
私の長閑な山村にも衆議院選挙が公示されて候補者の選挙カーが
登場するようになった。いつものごとく「闘っている!」そうだ。
しかし、街中で住んでいた頃とは大違い、一度来たら全くその候補者は現れない。
人口の少ない地域での選挙活動自体が効率が悪いからだと思う。
いわゆる、大票田での得票を争うほうが効率が良いわけで、
うるさくないのは嬉しくもあるが、なんか少し政策からの疎外感を感じるのも
さびしい気持ちもまたある。

《日本国は重大な問題を抱えている。》

この言葉は私が選挙権を持ってから毎回全く変わらなく30年以上の政治課題として、
政治家は選挙の度に言っている。
いつまでも重大な問題を抱えているのもおかしく思えてしまう。
その解決策を任した事に大いに裏切られた国民は、
政治家に託して実際に良いのか?
この国の進むべき道の真理はどこにあるのか?を
現在、見極めきれずに居るのが今の有権者の実際なのであろう。
少なくとも政治と日本の将来を真剣に突き詰めて考えている有権者の方々に
あって限定される事であるが。

政治という言葉が現状日本国では、本当に良い方策を見失っているから、
国自体の足元が不安定で、他国から付け入る隙を当てえてしまうのである。
又、政治家がしがらみが多すぎるのも問題。
支持を受ける団体の顔色を伺いながらの政治がほとんどに感じるが?

とにかく分析力に乏しい我が日本国。
もう少しまともになって欲しいと思う今日この頃の現状である。

さて前置きが長くなったが、その重大な問題を抱えているところに
今回焦点を合わしこのブログで気ままに論じていく。

決して、思想的に《右・左》だとか《赤》だとか、《白》では無い事を
先に基本として確認していただきたいし、弁明をしておく。

国に付いて考えてみた。

我が国日本国は《帝国》である。
異論を唱える方もいようが、私はこのように思う。
神話の世界を信じたくは無いが、遠く昔から一国の国王として
不幸にも分裂の時期はあったが2672年続く一統不滅の帝国である。
日本国憲法では、日本国の国王=天皇は下記のとおりは御承知であろう。

≪天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
         この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

日本国憲法第1条は、日本国憲法の先頭に置かれた条文として、
その内容は、天皇が「象徴」の地位に有り、象徴であり続けられるか否かは
主権のある日本国民の総意に基づいて決定される。
この一文は、日本国が国民が主権者である事の根拠である事、
象徴とは日本国の象徴であり日本国民の秩序とまとまりをもった状態の象徴で
あって【日本国民の象徴】ではない。

その、日本国民の秩序とまとまりを持った状態の象徴である天皇に対して
非礼極まりない事を言う外国要人が居る事に怒り心頭である。

だから私はその国が嫌いだ。
そして、それをないがしろにして自己の選挙の事を優先する政治家も嫌いだ。
正直でないどこか知識階級エリートを気取るマスコミはもっと嫌!

旧中山道を≪一日中山道(いちにちじゅうやまみち)≫と読む
アナウンサーが居るような在京テレビ局の程度の低い脳内の持ち主が作る
発信一方向性であるテレビ番組は最悪である。
どうも見ていて馬鹿になりそうな気がする。

Romeo y Julieta: Los infantes de Verona (Acto 1)



物語は下記のごとく進展を見せる。
≪ロミオとジュリエット≫発音では「ロメオとジュリエット」
この方が何となくしっくりする。
周知のとおりシェイクスピアによる戯曲。

舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナは、
1239年に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、
近隣のロンバルディア同盟諸国を征服しその絶頂期にあったが、
ローマ教皇グレゴリウス9世はフリードリヒ2世を反キリストであると非難して
近隣ロンバルディア同盟諸国を擁護し、再破門したことから戦争となってしまう。
物語ではヴェローナの支配層は教皇派の属する(キャブレット家)と
皇帝派に属する(モンタギュー家)に分かれて争いが繰り広げられて抗争を
繰り返す事に巻込まれていた。

一昔前の関西ヤクザの分裂による抗争の様相に似ている。

モンタギュー家の一人息子ロミオは、ロザラインへの片想いに苦しんでいる。
気晴らしにと、友人達とキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、
キャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。
私はここで気の早い男とイマイチ好きではない男子像でもあるのだが(笑)
二人は修道僧ロレンス(物分りの良い親父)の元で秘かに結婚。
ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打つきっかけになる事を期待する。

しかし、その直後、ロミオは友人と共に街頭での争いに巻き込まれ、
親友・マキューシオを殺された事に逆上したロミオはキャピュレット夫人の甥
ティボルト(ジュリエットに片思いしている。)を殺してしまう。
ヴェローナの大公エスカラス(争いを止めることのできないこの土地の権力者)は、
ロミオを追放の罪に処する。
一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに大公の親戚のパリスと
結婚する事を命じる。

ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、
仮死の毒を使った計略を立てる。
しかし、この計画は追放されていたロミオにうまく伝わらなかった。
(時間的相違いによる。)
そのため、ジュリエットが死んだと思ったロミオは彼女の墓で毒を飲んで死に、
その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追う。
(物語的に現実的ではないはが、物語としてはこの方が悲劇的で観客も同調しやすい。)
事の真相を知り悲嘆に暮れる両家は無意味な事の反省を理解し悲劇の死を哀れみ
真実を理解し、ついに和解する。

全編で白装束で付きまとい踊るのが≪死≫のキャラクター。
開幕後、一番最初に星の元で青い光の下で踊る。
ここから登場する≪死≫は登場人物に絡む事に重要な意味を持つ。
この登場が、このミュージカルという娯楽劇でありながら深く考えると
その争いの意味を最後まで引きずり考えさせる。

しかし、演者の動き、動作、歌唱、舞台照明、どれも素晴らしくすごい迫力だった。

○主な登場人物
ロミオ - モンタギュー家の一人息子
ジュリエット - キャピュレット家の一人娘
ティボルト - キャピュレット夫人の甥。彼女に片思いしている。
ベンヴォーリオ - モンタギューの甥でありロミオの友人
マキューシオ - ヴェローナ公の甥でありロミオの友人
ロレンス神父 - 街の教会の神父。ロミオとジュリエットの秘密婚儀を取りなす。
ジュリエットの乳母 -
モンタギュー卿 - モンタギュー家の家長
モンタギュー夫人 - モンタギューの妻。キャピュレット夫人と対立している。
キャピュレット卿 - キャピュレット家の家長
キャピュレット夫人 - キャピュレットの妻。モンタギュー夫人と対立している。
ヴェローナ公 - ヴェローナの領主。モンタギュー家とキャピュレット家の対立に
頭を悩ませている。
ピーター - ジュリエットの乳母の従者
パリス - ジュリエットの婚約者


Romeo y Julieta: Los infantes de Verona (Acto 2)


ロメオとジュリエットは、登場人物の性格よりも、周囲の状況や偶然などの
「運命」と呼ぶべきものが、両者や周囲を悲劇的な結末へと物語を導いていく。
が、結末、いわばその運命に於ける犠牲者たる者たちの死によって
和解と理解が生まれる物語である。
即ち、殉ずる尊い犠牲によって間違った道筋や因習、考えが変化し
和解と理解と進展が生まれ、新しい恒久安定的な世界が広がるという事。
シェークスピアは争い事が無意味な事に気付いていて、
虚しさ、非生産性・非発展性について古に述べている。

人間の争い行動の本質とは何かを深く考える事をいつの時代にも
必要であるとこの物語は教えてくれる。

大陸の国との小さな島の所有権の争いは今に始まった事ではない。
島根県のあの島も沖縄県のあの島も・・・・・。

最近では少しおかしいと感じ始めている方々も多くなってきているのではないか?

では、その島に話し合いで考える事のできない方々が戦闘行動に出てきたらどうする?
日本が養ってきたアメリカ軍が追い返してくれる?
そして、
日米安全保障条約が発効し、アメリカが守ってくれる?

冗談じゃない!

アメリカには戦争権限法という法律がある。
大統領の権限で戦争を始めることができるが60日以内の戦争の期限がある。
60日以上戦争を遂行しようとするなら、議会の承認がいる。
日米安保保障条約の条文には・・・・・・
日本が防衛できる事は日本単独で防衛をすることが前提であり、
主権の及ぶところへの攻撃に対して安全を保障するという内容である。
上記を踏まえて、アメリカの議会があの小さな島を守る事が
アメリカ自体の利益を守る事になるのか?という事を考えれば・・・・

アメリカは絶対に出てこない。

先の大戦で、不幸にも≪特攻≫という言葉が美しく賛美される時代があった。
散華した方々は、本当に家族を守るために散華した。
家族を守れない事は恥なのである。
日本人は恥を知る民族である。
恥を知るなら≪死≫を選ぶ。=武士道の根本
日本人と大陸人との違いはこの道に関しての認識の違いを述べると的確では
ないだろうか?
道徳の中心を担うもの・・・・・・
≪道≫である
とにかく、フランス語訳もお付けしないが舞台芸術を2時間半程見ていただきたく思う。
私の日々の格闘的争いや不満に対する考え方が変わった原因はこの舞台のストーリーから
感じたものである。
機会あって、この舞台を見る機会に恵まれて劇場へ足を運んだ。
世界を巡演していて相当数の観客を動員しているようだ。

日本にこのような圧倒的迫力と美的演出と動作を持つものを
私は見受けたことが無い。
現状、日本のこのような舞台芸術は、芸術ではなく芸能にくくられる。
歌舞伎界も芸術ではなく今では芸能色が強い。
それも溢れていてメディアで流行るものは稚拙で世界の中で唯一日本固有ではなく
無国籍化をしている様にさえ写る。

昨今、その《道》を全ての物に感じる事ができないでいる。

その日本にいる私は不幸だ。

私はヴェローナに住みたい。

今回のブログは長文になった。




日本よ去らば!残り5年の気持ちが有るよ。

2012年11月17日 | 言わせてもらいます。
日本のエネルギーに関して、《今後どうする?》を国民が認識を持つ事が
必要だと思う。
このブログを読む皆さんも、経済産業省資源エネルギー庁から
下記文言の小さな紙片の案内を見たことがあるであろうかと思うが
いかがであろうか?
【2012年8月分の電気料金から再生可能エネルギー賦課金の
                     ご負担をお願いします。】
【再生可能エネルギーをみんなで育てる「育エネ」】
そのメリットとして、
1 資源の少ない日本のエネルギー自給率を高めます。
2 CO2の排出が少なく、温暖化対策にも役立ちます。
3 日本の未来を支える産業を育てることができます。
等と・・・・・・・・・。
でも、良く見てみると、再生可能エネルギーで発電する事業体から電気を
仕入れる電力会社の、その仕入れ支払いを買い手側の使用者が
負担する仕組みである。
商売では非常識極まりない事。
即ち、売り手が商品の仕入れの金を、買い手に払わせる。

絶句・・・・・・・・・。

じゃ~~~私が発電して電気を売ればどうなる?を考えてみた。
即回答が出た!太陽光発電パネルを設置すべきである。

次に日本中の家屋がある程度の電力を自家発電すればこの制度はどうなるか?
を考えた。この政策は成り立たない。
と、言うよりも
電力買取の相場が下がりその設備投資分の費用対効果が悪くなる。
国の考え実行する事は狂っているとこの頃感じることが大半である。

どうしてこうも頭の悪い立案ばかりが出てくるのか?

先日、官公庁に勤める知人と少し本音トークをした時に感じたことでもあるが
その知人曰くの内容から以下の事が聞こえてきた。
《世の常識は非常識で、世の非常識が常識》な事に
その知人は振り回されていて疲れる事が多い様子。
敢てそのお話の具体例をこの文面では話しはしないが・・・・。
お茶をしながらお聞きしてその内容にこれも絶句する事が数回。

日本人の特有の《事無かれ》なものではなく、
どうも、行動や立案に関して反対的立場を持つ行動や意見の方が
正等や真理であっても、その言を吐いた者は黙殺されその場からは退場を
余儀なくさせられる現状があるようだ。

即ち、今の日本の現状は先の大戦以前となんら変わっていない。

体制の稚拙な考えを実しやかに虚飾流布して民意を先導し、真理を黙殺する。
いや?違う部分がある。
欧米のアングロサクソンの黄色人種への偏見と差別と劣等民族であるという
意識の中での屈服を強要する行動から国民の生活財産を守る上での
突き詰めた考えた事での戦争へと向かう為の虚飾流布であったように思う所が
違うと思うがいかがなものであろうか?

以前からの私の人生計画として、早々にこの日本に見切りをつけて
死んでからも彼の地で日本人として居たいと考えている。

クレモンティーヌ / スーダラ節


この頃、その欲求が急激に高まりを見せている事を知らしておきたい。
残りは後5年。
その時には無一文でも実行する。
一部、身の回りの整理は早々にした。

でも、彼の地で孤独死だけは避けなければいけない等、不安もあるが???
フランス南東部の過疎の農村で北イタリアとの国境付近が良さそうに
思っている。

朝から雨が強く降る。クダラナイ事をつらつらと思い記してみた。

少し休憩!

2012年08月12日 | 言わせてもらいます。
本当に最近は忙しい!

あ~~~だこうだと身の周りで書くべき事・思い当たる事が多すぎて
書くべき内容の優先順位が脳内でまとまらないんで
しばらく記事の起草・立案の為にブログ書くのを休みます。

①高学歴を誇る馬鹿なオッサンの話と取り巻き
②実際を分からんのに指導すると言う事
③自分がかわいそうだとアピールする気持ち
④日本の国
⑤終戦
⑥好きな音楽
⑦農産物開発
⑧売れる漬物のヒント
⑨疲れる接客
⑩健康の元は我慢しない
⑪好きな場所
⑫居候
⑬近鉄阿倍野
⑭信じたくない人
⑮信じたい人
⑯滅私奉公の結果
⑰上賀茂神社
⑱キャブレター
⑲迫撃砲
⑳魚釣り

これだけのネタが有る。
辛辣な話題の提議と反論の余地の無い私の意見の切り口を考えている。

覚悟してください。

FACEBOOKは、真の強い心の友人ばかりに調整してきたので
楽しく継続します。

以上報告でした。

今の気持ちはちょっと甘酸っぱいなぁ。

ゆず - 栄光の架橋

私は戦う!

2012年06月20日 | 言わせてもらいます。
今住む地域に引っ越してきてあと少しで1年が経過しようとしている。
昨年の今頃はその引越しの準備でたいそう忙しくしていて、
気温も高く暑い日が続くようであったように記憶している。
変わって本年は昨日よりの台風の影響や、5月の低い気温が続いていて
太陽の黒点の影響なのであろうかいまひとつ熱さを感じない日で
ある様にも思う。

引っ越してきた1年前は今まで行ってきた事業に少しのゆとりを持たせて
何する訳ではなくただ縁側に座り空を眺め、鳥を眺め、風行く雲や虹を見て、
夜に聞こえる甲高い声が鹿の何であるかも分からず、
ただ、夜の群飛ぶ蛍の大群の神秘的に漂う虚ろな光に万物無常の感傷を
自身の行動に置き換えて悲観している毎日であったように思い出す事ができる。

いつまでも、静かに空を眺めていているのも私の性格ゆえにその限界が
すぐ到着を見るもので、体と心のバランスが取れた始めた昨年秋には、
又、むくむくと新規事業の計画が心中の殻を突き破り突出して、
今では、この半年間で3反(約999坪の農地を耕作する農業者登録を済ませて
農産事業を行っている。
1年前はもうこりごりと思っていた身体と精神を蝕む結果を見たのもにもかかわらず、
懲りずに、二度とするまいと思っていた事業主に戻っている現状である。

早速この4月から事業を開始して、難題が鬱積して困る状況であったが
難なく地域の皆さんに支えられてご教授、支援いただき円満に解決が図れてうれしく思う。

肉体的な疲労は当たり前と感じることもできるようになったし、
作物の生長に一喜一憂。でも、まだまだその生育に期待の実現よりは失望の悲しみの方が
多い現状ではあるが、芽吹き、土を割って延びてくる生命を身近に感じる時に
感動が経験値と変化してノウハウとして蓄積をされていく喜びも感じている。

自然界(害虫や害獣、天候不順等)の障害は何とか克服できる術を持つので有るが、
人間関係の一方的に押し付けられる障害というものは本当に疲れてしまう。
即ち、転校生が虐めに遭う時のその気持ちに似ているのかもしれない。

ただ一人の方の為に、その気持ちになってしまう。
耕作する圃場の一部地域で、勝手気ままな行動に出る人物に私の耕作活動が
日々翻弄され続けている事実が有る。
その方は、私が管理する圃場内に除草剤を散布したり、
整理整頓されている私の管理する圃場の草刈の命令をしたり、
とにかくなにかと作業をしていると難癖を付けてきては私にとっては障害となる
行動を起こすのである。
先日などは同系統の用水を使用する私と他の耕作者の同意を得ずに用水の配水を中断して
独断で京都市へこの秋から工事の補助金の申請を行っている事が判明した。
その方の行動の内容と言動に付いてはの地域の皆さんにとっても迷惑な事で、
《言わせておいて無視しとけば良い!》と言う内容の私に同情的お話しも
多数寄せられているので有るが・・・・・・・。
私にとって、この事業開始してのこの一年は採算面で大事な時期であり
全力で取り組んでいるゆえに、先にも記したが秋に配水が停止となると、
冬取り野菜の生育期に必要な水の確保が難しくなるわけで、
先手で、対応策は考えてはいるものの又、余分な労力を使う事になると考えると
このある方に対しては憤りを感じている今日この頃である。

で、私はそのある方の前で宣言してみようと思うのである。

この畑での野菜作り完遂!耕作権利は手放さない!
どんな困難があっても戦う!


私の父親の兄弟は、全て戦時中士官であったと聞く。
一度、お話も下と思うが父親の三人の兄の長男が戦死している。
私の実家は旧家の分家で、次男は豪農へ婿入りし、三男が本家を継いだ。
でその三男である叔父から私は何かと言えば、
海軍ではそんな甘い考え方は通用せんぞ~!

良く気合を入れられては父親を通じて1回、その叔父から1回と合計2回に
言われていた。
戦時中予科練習生からのたたき上げの飛行気乗りであり、
終戦は大村航空隊(長崎)にいたという兵である。

道筋の間違いを正す時は合理的説明がなされていて、
私が多感であった時代もその叔父の言葉には独特の説得力を持つものであつた。
しかし、歳をとり病気をしてから急激にその真理の持つ合理性が失われていき、
意地の悪いねたみ、恨みのこもった言葉が出てきて私は失望した事が心の傷として残り
結局、その叔父の葬儀も出席はしなかった。

晩年の叔父の事が大嫌いであったからだ。

しかしその叔父が
何でも一生懸命に休み無く思慮して働けば成果は出る。
真理を見失う事だけはするな!という教えだけは
今でも私は実践しているつもりである。

だから戦うのだ。休み無く。

軍歌:月月火水木金金 (Navy Song: 'Through the day, throughout the week')

排水性を高める工夫

2012年06月02日 | 言わせてもらいます。
耕作している、とある一枚の畑が未整備で永く放任されていた水田の跡。
その耕作放棄地を私が畑に転用しようとしているのであるが、
ひじょうに排水が悪くいつまでも湿田の状態で
耕作できる状態ではない。

この状態を改善すべく色々と毎日思案をしているので有るが
今日はとにかくその状態を確認してみようと
草が伸びっぱなしの明渠(排水のための溝)部分の草刈をしてその状態を
確認をしてみた。

下記の画像はその草刈前の圃場に作られた明渠の状態。
どこに溝が堀られているのかも分からない状態である。
この草の中にその溝が隠れていて適当な傾斜を持って
圃場内に有る排水口を経て畦をくぐり排水される。



その圃場に作られた明渠と耕作地を区切る畦に茂る草を刈り払ったのが
下記の画像。



その排水のための設備が見て取れようかと思う。
しかしながら、その先に有る排水口までの傾斜が永い年月未整備であったために
泥や枯れ草が溜まってその傾斜は失われている。
本来なら、画像手前方向から向こう方向へわずかな傾斜が作られていて
圃場の中で溜まった水は一度画像手前へ集まってこの画像の明渠を
向こう側に流れて排水される。



その草刈の途中、刈払い機の刃を変えた。
私は良く使うナイロンコードの使用はあまりすべきで無いとの考えを持つ。
よって回転が加わると少し重たくなるが昔ながらの八枚刃を使用している。
その刃の状態のビフォー・アフターが下記画像2枚。
ナイロンコードの使用はその場所を適切に選ばなければならない。



研ぎを入れて数回使用しているとこの径まで小径となる。
5mmは直径が小さくなった。
下記画像からは、その私独自の刃のチューニングが見て取れるかと思うが・・・・。



私がナイロンコードを使用しない理由は、先ず第一にナイロンコードによって
弾かれた石が周囲に飛散して栽培している作物にそれが当たると損壊する
危険が高い事。
そして、叩き切る構造ゆえに本来は傷をつけない雑草の根までを切る事になる事。
恐ろしいのは、この弊害。
草の根を切ることは、根が張ることにより強度を保ち土を引き締めている
畦の強度を落とし、その結果、土の緻密性が失われて透過浸透の圧に
耐えられずに、本来の水田で生育に必要な貯水性能が衰える結果となる。
即ち、
水持ちが悪く絶えず水田への引水管理が必要となる。
現に私の管理する圃場の隣の水田では畦の斜面から大量の水が染み出していて、
その斜面に私の半身体重を手で掛けてみるとずぶりと簡単に拳が入る状態である。

草刈の必要性は充分認識しているので有るが過剰なまでの草刈は
いかがなものであろうか?

カメムシやイナゴの宿る草木が無いことは・・・・・・・。

米作農業体験者ならその結論はご理解いただけるのではないかと思う。

自然と調和と最低限の被害の容認ができない農業は農業ではない!

すばらしい農産物を生産する事だけが農業ではない!

自然を理解できず、口を動かし権威を振りかざし古い因習や継承が最善と考えて
研究の為に体と頭脳を動かさない農業者は現代では真の農業者ではないのである。

自然に対する道徳心を持たない農業者が多いことに驚く時がある。

最近、私が農作業をその日分を終了する時点の基準で、
《今日はこんなもんにしといたろ!!》と、
自身に言い聞かせて終了するようにしている。
自然に対してだが、痛めつけているのでせめての武士の情けを含めている。
翌日の朝、同じ場所に立ってみて眺めていて、
その場所で仕事にかかる時に思わず自分らしさに気付く。

《完璧では無く少しの中途半端を残している状態が多い。》

やはり、《ソコソコ・無難》という言葉が私には
すごくこの頃では心地が良い。

以前は完璧で無いといけない人間であったが、なぜか変わったようだ。
京都大学理学部の今西錦司先生は生育環境がその生体(態ではない。)の形を
変化させる論文を出しておられる。
例えれば、明石海峡の真鯛と若狭湾の真鯛とでは形色が違う。

殺虫剤抵抗性の虫が登場することは・・・。

その先の起りうるべき事を考えてみると良く分かるであろう。
それを延々と繰り返す事だけは避けてみたい。

人が作り出した化学物質を軽々と乗り越える虫の生存生態が有る。
人間はいつも敗者である。
転げ落ちるピタゴラ装置の終着とアルゴリズム行進の到着地は白旗だ。

私は最近の暫くは排水が悪い日々が続いているので、
もやもやっと沼気(CH4)が溜まり、炭素原子1個に水素原子4個が結びつく。
発火の危険性はその水素原子と加えた塩素とそのときの温度により実現する。

そのうち、運動会のように畑に万国旗を張ることにする。

今日の文面から私の脳内を適切な理解できる方は居るのか?

私だけが食べる米は、苗代で苗を育て、牛で代掻きをし、皆総出で田植えをして、
草刈機を田の中を手押しして、鎌で稲を刈り、稲木で天日で稲を干し、
足ふみ脱穀機で脱穀し、手回しでもみを摺り、水車で米を搗き、
できたお米は少しの虫の食害を受けてぽつぽつと黒いお米が混ざるが、
カマドで御飯を炊かなければ美味しくいただけないような米の生産をしようか?
これは究極のこだわりのお米!
至福の幸福感が有るかもしれない。




アイドリング不調の原因かも?

2012年05月06日 | 言わせてもらいます。
つい先頃まで調子よく走っていた我が愛車が調子が悪くなってから、
少し時間が有れば、あれやこれやと燃焼の原理を考えつつ試行錯誤をして、
又、ハッと気付くところを点検し清掃、調整していてやっとこの部品にまでたどり着いた。

アイドリングコントロールバルブ。

早速、サージタンク(インタークーラ)から陳腐なパイピングで取り回されていて
インテークマニホールドまでの見える場所に鎮座していた。
手の届く場所であるが、エアークリーナーボックスから先に記したサージタンクまでの
パイピングに取り出すのを妨害されていて
そのパイピングを取り外し、独特のコツのいるカプラーを抜き取って清掃をしてみる事にした。
下記画像はその取り外したアイドルコントロールバルブ。



直接的に今のアイドリング不調の原因とは関係ないと思われるパーツであるが
まぁ、清掃と調整を行う事にした。
案の定、コテコテに汚れている。



分解できるのは真ん中に有るねじ部も引き抜けばシリンダーが現れるはづで
その部位までも分解できると思うので有るが・・・・・・。
もし非分解であれば再生は不可能かもしれないので、
見える場所のみの清掃を行う事にした。



清掃を完了して、元の場所に取り付けてみる。

んんんんん~~~~。
全く改善されない。

分かっていたが少しは期待も有った。

で、私の工具箱の中になぜか有るタイミングライト。
次回はこれで点火時期の点検をする予定。

プラグコードが良くないのは分かっているので点検する事すら無意味なんであるが・・・
でも、あれば久々に使ってみたい。
ただ単にフューエルポンプの不良とか、
バッテリーの寿命とか単純な理由であろうかもしれないね。



私もこの頃アイドリング不調。
じっとしていられなくて、頭の回転が滑らかでなくなってきている
これ切に感じているこの頃の不安案件。
忘れ物をするようになった。

三好鉄生 涙をふいて

丸亀製麺の店舗急増

2012年01月29日 | 言わせてもらいます。
寒い日であった。又、九州福岡に向けて旅立つ事にした。
北風が強く、日本海側や北海道では寒波が押し寄せ大雪の日であった。
そんな中を京都を午前中に出発して西へ車を走らせた。
大阪~神戸~姫路~岡山~倉敷と順調に流れて、
西へ向く私は空腹感に襲われていながらも
上手く渋滞の時間を交してその街の時間のかかる箇所をすり抜けたくて
我慢をして車を走らせていた。
しかし、このペースで行くと、午後6時頃の福山、午後8時半頃に広島を
通過するとなると、どうしても福山市内の渋滞は避けられるようでなくて、
その手前で少し休憩を取って時間調整を企てる事にした。

出張の時には必ずと言って良いが釜揚げうどんを食す事が
この頃では当たり前になっている。
今まで訪れてきた店を良く考えてみると、
京都吉祥院・京都亀岡・兵庫姫路中地・岐阜垂井・滋賀水口・
広島宮島・宮城仙台駅前等々・・・・・。
本当に行く方面の丸亀製麺の店舗で必ず釜揚げうどんを食している。

で、倉敷を過ぎて思いついたのが笠岡の手前の《丸亀製麺》で釜揚げうどんを食す事。
この店はスルーしていたのであるが初めてここで釜揚げうどんを食す事にした。



で、入店すると元気な声でお出迎え!(嬉し)
うどんを茹で上げる釜場にいていた男性の声と共に他の方々もお出迎えの来店感謝の声。
すかさずいつもどおりに発注をする。
しかし、釜揚げの時間が5分ほどかかるというので、
今回初めて熱い出汁をかけて食べるカケうどんにする。
ネギとさくさくのテンカス、胡麻を降りかけ、
天丼用の御飯をよそってもらって席に着く。

やはり美味しい!

ここでその男性が温かいお茶を持ってきてくれる。
これは本来ならセルフサービスなのであるが
細やかな気配りに少し他店と違うサービスに又感激する。

精算をするときの妙齢の美人女性もそうであったがにこやかな応対で
それがアメリカ資本のジャンクフードMのようなマニュアル化された笑顔でなく
なんか心温まる笑顔だったので、
「何で笑顔美人ナン?」と意味も無く発してみると、
「ありがとうございます。又必ずお立ち寄りください。」の返答に
遠距離を運転してきた疲れを癒されてしまった。
単純かもしれないがこの店に寄ろうという気になってしまう。



福岡へ向かう途中、この丸亀製麺の店舗の急速な出店ペースについて考えてみた。

うどんを製麺所に外注せず、粗末にせずに店舗で製麺をしている事。
作っている現場が顧客から見えるという事。
味と価格のバランスが良い。
こだわりの主張。等々・・・・・・・・・・・・・。

このブログでは難しい流通や経営用語は使わないが自身の頭の中では数式と
経営コンサルタントよろしく金額とあるべき企業運営の王道が浮かんでいる。

要するに顧客満足と食に関する作り手側への信頼と安心を
絶妙のバランスで得ていて、製造の手の内を見せる販売のシステムが
そこに存在している。
以前、他店であったが少しクレームを言ってみたことがあるが
その対処の方法は十分満足するものであった。
スーパーバイザーさんは各店その指導にご苦労されているのであろう。

タバコを少しこの頃嗜む私は食後に店外でタバコを吸っていた。
そうすると、これからの時間をパートに入るスタッフであろうか?
笑顔で「ありがとうございます。」の声もかかる。
うーーーーーん、笠岡店に感激しつつも、
他店で他のパートさんに威圧的態度で接している様に見えてしまう
釜場のオバサン!あなたは他のパートさんに対する指揮命令の姿は
間違っていますぞ。
職場では笑顔でいて欲しいものだ。
まして、お客はそんな光景を見たくない。


笑顔のある職場で真剣に作ってくれる暖かいうどんは心を癒すには
充分過ぎるほど嬉しいし、美味しいものです。

先回ブログでは看護士さんの白衣の清楚さに自身の心が揺らぎ、
その出す魔力に弱いことを吐露したが、
今回は丸亀製麺笠岡店の妙齢美人の別の給食の白衣姿と
目に優しい笑顔の魔力にぞっこんの私であった。

国道2号線を行く仕事を作ってみたくなる。

平和で単純な私がここにいる。

叙情

2012年01月05日 | 言わせてもらいます。
旅する先の景色から、なかなか原風景を見つけ出す事は難しいように
この頃感じている。
良い景色で長閑だナーと景色に見入る事があり立ち止まった景色の中に
大手量販店の広大な建物とその搭屋に会社名の表記が有ったり、
長閑に灰色の夜道を青白い街路灯と黄色のヘッドライトを頼りに走っていて
開けた場所にコンビニエンスストアの煌煌と照る店舗照明が現れたりする。
駿河湾から望む富士の峰は以前にも述べたことが有るが、
裾野に一本の区分線を入れたがごとく高速道路が視野に入ってくるし
白い湯気を出す煙突もあったりして本当に目ざわりで仕方が無い。

郷愁を誘う風景はどこに消えてしまったのであろうか・・・・・。

先日、木曾谷を旅したときにもそうであったが、木曾村から権兵衛峠を越えて
伊那から茅野へ抜ける道を通す地域は遠野と呼ばれる地域で日本の山村の原風景を
残すと期待して入っては見たのであるがやはりここにもコンビニエンスストアの
煌煌とした店明かりが有り、漆黒の闇夜に遠くの民屋(みんおく)の
漏れる部屋の点在する明かりだけを期待していた私の胸中を見事に
裏切るものであった。

何もコンビニエンスストアだけがその原風景を崩す要因になっているわけではないが
便利になる社会とは裏腹に、本来の日本人の持つ民族性に裏付けされる
農村・山村・漁村の風景も私が子供の頃の風景とは全く異なっているのが
どの地方へ向かっても言える事のように思い始めている。

私が子供の頃、大阪市内に住む私は父親の運転する、
トヨペットコロナやトヨペットクラウンで
岸和田の父親の勤める会社の工場へ連れて行ってもらったことが有る。
住吉公園を過ぎ国道26号線は大和川を越えると玉ねぎ畑が多く有り、
風車で水を汲み上げていた光景がなぜか今でも偶に夢に出る事がある。

私はそのような幼少の頃の風景を常に探しているのかもしれない。


琵琶湖周航の歌 加藤登紀子


歌に聴くその歌詞と郷愁を誘うその旋律から日本の原風景を感じる事しか
できなくなっているのではないであろうか?
ここに、琵琶湖周航の歌を動画としてアップしたが現在の琵琶湖では
このような風景を思い浮かべる事はできない。
モーターボート、水上バイクの航跡が水面(みなも)で交錯し、
ヨットがカラフルな帆を張る。
変わらぬ風景といえば、湖上を見通して見る伊吹の峰か、
近江富士の突出した頂だけのような気がする。

名誉ある男

2011年09月04日 | 言わせてもらいます。
名誉という言葉を考えてみた。

自分から私は名誉ある人ですとはなかなか名のる人は無いと思うが、
世の中には必ずや存在人を表すする言葉である。
名誉総裁・名誉会長・名誉教授・名誉理事等々・・・・・・・。

名誉というものが世の中でその人に対する周りの関係する賞賛の与え方や
或はその受け手側も自身の功績を称え、その人の業績を表す言葉と言えると思う。
しかし、
その言葉はどうも明治以降において使われ始めたみたいで、
それ以前の武士の世の中では少し意味が違っていたようだ。

武士道において《名誉》とは、自分の名を尊び自分に恥じない
崇高潔癖な生き方をすることであったようだ。
その根本には《死》とは《生》を高める為の「死生観」であり、
「どう生きながらえるか?」ではなく、むしろ「どう美しく死ぬか?」、
志を考えながらに現在を生きる事と、自身が「何のために生きるか?」という
人生哲学の根本に根拠するものであるようだ。
だから、質全的に死を超えても守らなければならないから
自身に根付く《道徳と正義》を死をも美学として守り抜く事を
武士道の崇高の理念としたように感じるのであるがいかがなものであろうか?

反対に名誉を粗末にしない為には、自身の全て《恥》を知る事のようである。
自身の崇高潔癖な精神に対するいかなる侵害も《恥》とされていて、
羞恥心を大切にする事は子供の頃から教育が始まった。
だから、
武士道における《徳》には全て《恥》の意識が働いていたのであろう。
《恥》は人の道徳意識の出発点であり、その反対に位置する《名誉》は、
人が人としての自身の人生哲学の中で美学を追求するための《徳》とされ、
武士にあっては《命》以上に重要なものになっていたようだ。
だから、武士は不名誉な《生》を続けるよりも《名誉》の付加理由の死を追求した。
日本人の精神文化が聞こえなくて久しいが《恥の文化》と言われているのは
このように代々脈々と伝えられてきたからであろう。
しかしながら、
最近では、《名誉》は虚栄を満たす為の名称に利用されたり、
自身が受けた賞賛を誇示して自己の利益に誘導するツールに見える時も
多々あると私は感じる。

先の段でも記したが、《名誉》は自己利益や虚栄を満たすものではなく、
又、《名誉》を得る為にそれを目指そうというものではない。
これ以上の記述は相当に長くなるので今回はこれで止めるが、
孟子が言った言葉が私の名誉にたいする考え方を表しているので記すことにする。
どこかの宗教団体の名誉会長に聞かせてやりたいものだ。

「誰でも名誉を欲する心を持っている。
 しかし、真に名誉なものは他でもなく自身の心の中に有るという事を
 解っている人は少い。人から授かる名誉などは正しい名誉とは言えない。」

さらにもう一つ!!!

最近、馬鹿芸人が口にした自身の境遇として例えた《切腹と介錯》に関して、
根本の武士道精神とは全く意味違いの発言に日本文化を軽んじられた憤りを感じる。

新渡戸稲造が著した《武士道》では、
「名誉は境遇から生じるものではなく、それぞれが自己の役割を
 まっとうに努めることにある。
 恥となることを避け、名をかちとるために侍の息子はいかなる貧苦をも甘受し、
 肉体的、あるいは精神的苦痛の最も厳しい試練に耐えたのであった。
 もし名誉や名声が得られるならば、生命自体はやすいものだとさえ思われた。
 したがって生命より大切とする根拠が示されれば、
 生命はいつでも心静かに、かつその場で棄てられたのである。」

Andy Williams - Speak Softly Love ( ORIGINAL ) The Godfather


最近、イタリア・マフィアの根本はこの《名誉》という言葉の元に団結した事を知った。
イタリアの南部は貧困ゆえに、侵略国や統治国からの圧政ゆえに、
その住民の自由と自治を守る為に侵略国人や統治国人からの無理難題に対向する為に
結束を行い対抗したところから始まるという。
同じヨーロッパからのアメリカの移民を開始する時期も他のアングロサクソン系からは
遅れてしまい、移民が始まるとほとんどの美味しい利権はアングロサクソン系移民者が
握っていた事情も有る。
アメリカへイタリアの貧乏を逃れて夢見て渡ったものの、一層の苦難が待ち受けていた。
第二次大戦が始まるまでのファシスト台頭の時代や大戦中には、
イタリアのシシリアマフィアはムッソリーニのファシスト等からの強烈な弾圧を受けた。
また、
その当時にアメリカン・マフィアがイタリア国内で窮地に立つファミリーを
助ける名目を作られイタリアへアメリカ政府に利用され武器と一緒に輸出されたという。
ようは、パルチザンの一党派を構成し、下支えをした訳である。

MAFIAという語は広義の意味で、《名誉ある男》を意味するという。
反体制の姿勢は体制側からすれば犯罪行為であろうし、
生活を維持していく為にも脱法をしなければいけない境遇でもあったようである。
そこには、彼ら独自の組織内での掟《血の掟》がありどこか武士道に通じるものがある。
困っているファミリーの一員には最善を尽くす。相手を敬い絶対に仲間を裏切らない。
その《血の掟》の中で興味深いものがある。

仲間の妻を見ない。

武士道とは順序が逆の思想があるように感じる。
恥を知るのが先ではなく恥を最初に削除する。

現在、世界各国で地下に潜って組織されているようで
存在は分からなく成りつつあるようだ。
私は彼らの組織を肯定はしないが、真の《名誉》は、彼らが昔に求めていたように
公共の安泰と幸福を希求する活動が評価される事なく行う事が
《名誉》であると思う事が多くなってきた。

今日の話題難しいかな?ごめんね。


時間的・地理的 道の話

2011年08月27日 | 言わせてもらいます。
住み始めてから、居所を中心に色々な所用で出かけることが多いうちに、
田舎だなあ~と感じることが少なくなってきた。

京都市内の京都府庁まで約40分、
大阪市内への便利な地下鉄最寄り駅となる千里中央へは約1時間20分
JR亀岡駅のイオンへは約40分
最寄の駅のJR日吉駅、JR船岡、JR千代川駅となると30分はかからない。
前住所から大阪市内の本町へは2時間弱はかかっていた。

上記の時間は全て高速道路は使用せず、
私が良く通う最短時間の一般道を使用しての時間である。
私は近・中距離を移動するのにあまり高速道路を利用することは無い。
東京への移動でも夏場は中山道。冬場は東海道を利用する。
少し体力的に辛い時だけ東名を利用するぐらいだ。
それも上りの音羽蒲郡ICから。
下りは東京用賀ICから長くても静岡県内の国道1号線に接続する気の向いたICまで。

時間的な目的地へのアクセス距離を考えてみると、
すこぶる大阪市内が時間的に近い事が見えてきた。
距離的に近いはづの京都市内が反対に遠い。

国土交通省が各地方整備局の区域別にWEBで公開しているのであるが、
道路時刻表というものを使って所要時間を調べてみると
なんと、国道2号線を西に向かう時、姫路でのアクセスが一番早く
南丹市園部町のいつも通る交差点から国道372号線で
国道2号線の交点(姫路バイパス)まで2時間とチョイである。

先日も、鳥取方面の小旅行へ出発した時は夜中で少し制限速度超過であったが、
3時間ほどで鳥取市内に居た事も今となっては「なるほどねー。」と思う。
どうしても、その距離を思い浮かべる時には近畿のあの天気予報で見られる
あの画面が思い浮かぶであろうし、どうしても鉄道路線図や高速道路の路線図が
無意識のうちに覚えこんでいて先入観が距離を遠いものにしていると
言えるかもしれない。

また、近所に国道477号線が有るがこの道は亀岡盆地への道は険しく走りにくい。
少し、遠回りになるかもしれないが府道を利用して向かうのが時間的に早く
運転も楽しく、景色も良く、しかも安全である。
しかし、カーナビだけで行くとなると必ずこの道を選択し
そちらに誘導するのではないだろうか。
ドライバーが初めて訪れる場所で次の目的地検索を行う時、
先ずはカーナビは選択順位として高速道路→国道をチョイすると聞く。
で、不慣れなサンデードライバーがその難路に引き込まれ対向車と離合できずに
渋滞を引き起こすとも聞く。

現に私の実家に近い上賀茂神社から左京区蹴上の某ホテルまで検索を
カーナビで行うと400mほど東の太田神社付近でとんでもない道を
選択し走行させられたフェラーリ愛好家のグループを私は知っている。
土曜日夜の「星いくつ?!」のあの氏もそのグループの後ろに居た。
土塀が続く家並みのその地域で、
道幅一杯、曲がりきれなかった箇所があるらしい。

私自身はカーナビが有ってもロードマップは必携と考えているし
そのように実践している。
都市や地域への移動はロードマップで。
その都市や地域に入るとナビゲーションの出番である。

現に、京都南ICから愛媛の新居浜ICまでロード検索してみると
瀬戸大橋経由する道を結果表示するがこの道は時間がかかる。
明石海峡大橋から大鳴門橋を経て、高松道板野ICから少し一般道を走り
徳島自動車道藍住ICから川之江JCを経由して
松山道新居浜ICのほうが断然早いし、料金も安い。
これは友人から教えてもらった。
また、
京都駅前から京阪バスがこのコースを川之江JCから高知道を利用して
高知まで走っている。
岡山以東の近畿圏からの四国方面への産業便はこのルートのようである。

このように高速道路であっても実際の時間はロードマップでの
調査の方が有効かもしれない。

the brothers four 500 miles


出だしの歌詞が私の感情を揺さぶる。

If you miss the train I'm on,you will know that I am gone.
You can hear the whistle blow a hundred miles.

Peter, Paul and Maryの動画をアップするか?
悩んだが、The Brothers Four の方がハーモニーの
アレンジが好きでこちらの方にした。

帰る事のできない道のりが500マイルか・・・・・・・
この曲が意味するのは、隔たりと時間がただ単に故郷からの道のりだけの
表現ではないところを感じる。

約800km。東京~青森間の距離。
海上マイル(海里)なら、約900km。東京~小笠原諸島のどこか?

ごっつ遠いな~~~~~~~~~。

地理的隔たりは時間的隔たりとは大きく違うことを
気づく事が多くなった。
地図を見るのが楽しくもある。
今日この頃。

近々、また、気まま思い立てば風に吹かれて流されてみる。

新潟に思い出の夜が有るのか?を探し、霧が降る万代橋を渡ってみたいし、
青い灯りの新潟駅も見てみたい。
新潟は本当に面影の街か?検証してみたい。

西風が吹けば良いがなぁ~~~。

自然に生きるという事

2011年08月20日 | 言わせてもらいます。
本日、深夜、2回目の鹿との衝突である。
先回は、1週間ほど前にこれも深夜であるが山道の離合用の退避場所に停車して
小用中にキャラバンのリアドアに後ろ向きで高々と数回蹴りを入れるオス鹿。
今回は、上桂川の堤防を走る府道走行中にガードレールを跳び越して来た
しっかりと角を持つオス鹿が左前の車体に激突してきた。
アンダーミラーと左サイドミラーのステーに最初に当たったみたいで
その場で停車しミラー本体の角度を調整した。

一瞬の出来事で急ブレーキするも止まりきれない。
ここのところ、ブレーキの効きが少し甘くなったような気もするのだが・・・・・。
実際にディスクローターとブレーキパッドの交換時期でもある。

そんな山奥に住みだしてもうすぐ二ヶ月になろうとする。
買い物の不便を感じるのと、人と会う事が少ないので、
ついついご近所との会話の時間が長くなるな~と思うぐらいである。
買い物の不便に関しては外出時に買い込む事や過不足の無いようにする事も
今までは板についてきたように思う。
自炊の料理はこの頃バッチリ!先日はタンドリーチキンに挑戦した。
こいつは最高傑作であった。

なので、冷蔵庫はいつも満杯。
食材だけは豊富にストックをしている。

先日、気の向くままに山陰方面へ小旅行とまでもいかないが出かけた事は
前ブログ記事で記したが、その時の沿道の景色は大変良く、
又、青々と実ろうとする稲穂の均一なスクエアに広がる絨毯は
目に優しく、車窓を開けてはいる空気は若穂の香りがして
体にも優しく思った。

今住む周りにも、同様の風景を見る事ができる。
山陰地方とは又違う京都の里山の風景。
どこか懐かしく毎日が癒されている事に嬉しく思うのだが・・・。
実際、住む期間が長くなればその目に入る恩恵も慣れてしまい
仕舞いにはその変化の感動を感じ無くなる様になると思うので、
最初の一年間は全ての変化事象に新鮮さを感じていたいと思う。

つい最近、お向かいの山の中腹に住まいするK氏邸が屋根の葺き替えをした。
かやぶきの部分を全て銅版を葺いた。



まぶしい。

瓦屋根や都会の屋根素材を見慣れた者には少し奇怪に感じるかもしれない。
雷のある日は作業をしていなかったな~。
そりゃそうであろう。山の中腹で金属板の上それも銅の上での作業である。
ここに雷サンどうぞ来てくださいというのに等しい。
何よりも、
この仕事を専業とする職人でないと無理な作業のようである。

Louis Armstrong - What a wonderful world Lyrics


人の生活と自然との共存をこの頃特に感じる。
鹿も山に住む自然の一つと考えるなれば、
その害を実際に私は鹿の被害をこうむっている。
自然の害、即ちこれも天災の一つかもしれない。
今夜の一回は、ブレーキの効きのせいにできようが、
執拗に蹴りを入れるオス鹿の姿を見れば追い払う事もできず
恐怖さえも感じてしまった。

自然の怒り。でもよりによって車に蹴りを入れるとは?????????。

しかし、自然の夏の緑は美しい。自然の秋の赤はどうであろう?
冬の銀はいかがか?
春の桃色は・・・・・・・。

その時期まで命が有るかすらこの自然の中ではどうでも良い気持ちになる。
生かされている自分が気付く事ができてよかったのかもしれない。

この頃怒る事が少なくなった。
というか、怒る必要が無くなった。

事象は私の周りで自然に消化や発酵し、甘く芳醇端麗に糖化しているようだ。

不思議な夢のような中で足が何かしら浮いているような感じの状態が続いている。
実際に生きていかねば!という意欲と、生きている!という不思議が、
いつまで続くのか、少し不安でもあるが・・・・・。

そろそろ現実に戻ろうではないかとも考えだしている。