池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

健やか、純朴である事

2010年03月29日 | 好きな日常
先日、最初はお客様であったが最近では色々な胸のうちを話す事のできる
親しくお付き合いさせていただいている企業オーナーさんと、
夢と言うか、今後のやりたい事というか、色々と長くお話しする機会があり
私はタイヘン満足しました。
どの業界も世間から当たる風はお互い厳しい現状は変わりは無いのであるが、
彼の会社の風当たりは、金属加工部門の業種の中でも斜陽の業種で、
想像を絶するものであろうと推測ができる。

私の業種も食品製造でありながら、食べていただける購買中心層は
高齢化が進み、年々、需要は低下している現状は単に経済状況の影響だけでは
済まされないというところまで来ていると言える。
今までは、京都のブランド力に力を借りていて助かる業態でも合ったのであるが、
食べていただける顧客が減っているという現状は今後も加速が付きそうで
淋しい限りである。

で、

聞いた彼の夢なのであるが、大学生のころ音楽の業界に生きがいを求めてさすらって
いたようで、一時期大手楽器メーカーの普及担当としての肩書きを契約社員として持ち
関西の大学のアマチュアバンドの取りまとめ的立場にあったようである。
ヤンタン(MBS・ヤングタウン)でミスキャンパス等の企画をヒントに
当時のサークルに属さないバンドを中心に集めて紹介していこうという活動も
行っていたようである。
現に、FM802開局当時にヒロ寺平に1分毎にファックスを送りつけ怒り出した
彼の番組に電話にて出演を果たすという暴挙も行っていたようだ。

その当時の仲間たちはどうなっているのであろうか?
その当時の仲間を集めて、当時同様のバンド祭を企画できないであろうか?
というところが彼の次の考えのようである。
で、仲間の消息を聞いて廻ったところ、
世相をもろにかぶって、足掻いている姿が見えてしまい
淋しくて、ため息しか出ないというのである。

西淀川区で事業を行う彼は
究極の働くおっさん庶民の味方の街、大阪十三で地域活性化と環境健全化に企画を
立ち上げたいというのだが・・・・・・・・。
この私に発想を出せというのだが・・・・・。

十三のイメージであるが、
阪急電車、阪急そば、ホーム下の低いガード下、
ガンコ寿司のあのオヤッさんの顔看板、
立ち食いの串かつ、スタンド形式の立ち飲み屋
藤田まことさんとアルサロ・キャバレーの派手なネオン看板
で、いかがわしさ満点の風俗店の連なりというところか。

しかしながら、彼は純朴なおっさんの典型かもしれないし、
輝いて話す口調はどこか共感できる。
同世代、アラフィーで同感できる感覚でもある。

なぜかしら彼の話を聞いていると、
起承転結が明確でリズムを感じる事もできるのであるから不思議である。

急にオーボエが聞きたい!
昔、日曜日の朝に《皇室アルバム》なる番組があったのを思い出した。
今も、名前を変えてはすれど放送されているのであろうか。
そのバックミュージックで良く流れていたように思うのであるが
最近では、のだめカンタービレ?で聴けたかもしれない。

モーツアルトの流れる弾みのあのテンポとリズムは、健やかなる生活の有り方に
ぴったりであるしオーボエの音色は牧歌的で長閑で純朴である。

いいもんだ。

しかし、今日はブログ話題がバラバラだ。こんな日もあって良い。

Mozart - Oboe Concerto (1) Heinz Holliger



京都人の性根

2010年03月21日 | 言わせてもらいます。
大阪で生まれた私は、18歳の夏に京都へ家族で移り住み始めた。
住み始めてすぐに京都人の性根に触れて、ショックで戸惑いだらけであった。

京都市の北部の西賀茂から、京都駅を利用して大阪市天王寺区までの高校への
通学はさながら毎日が旅行であった。
とうぜん、寄り道も出来ず、時間に追われる生活である。
その年の秋に廃止になるまで、まだ、北大路、東大路、西大路には市電が走っていたし、
西賀茂車庫からは、9番、2番、1番の3系統のバス便だけがあり、
2番にあっては地下鉄工事の道路占有で混雑する烏丸通りを通行するので
京都駅からはたいそう時間がかかっていた。

冷房装置の無い市バスは暑い京都の夏や梅雨時なんぞは悲惨極まりない。

今の現地現状からは昔の風景を考えられないのであるが、
まったくの畑の真ん中に我が帰る家がぽっんとあったという事。
冬、自部屋のアルミサッシの窓が凍り付いて開け閉めが出来なくなったこと。
雪が積もるということ。
家の前が加茂川で水の流れる音が本当にうるさいということ。
近所付き合いの町内会のことが重要なこと。

最悪は・・・・・・・・・・

近所で顔を合わす身内に行動を批判干渉される事がストレスに感じてしまうこと。
これはひどかった。まともじゃなかったな~。
京都人の根性悪。
いまだに上手く流し去る事が出来ないし、私自身も問題でもあるのだが、
未だに慣れる事が出来ないでいる。

独特の京都人毒素《本音は人を持ち上げる尊敬言葉を交わしつつも、見下げている》に
晩年、母親は毒されていたように思う。
夢現(うめうつつ)の中でうわ言は、昔の大阪暮らしの幼い時期の事ばかりで
あったようだ。

実際、私の周りのバカ身内の京都人特有のプライド意識は異常ではなかろうか?
なかろうかではなく、断言できる《異常!》
付き合うにもしんどくて仕方がない。
話す中身は低レベルだし、そのことすら気づいていないことが問題である。
相続税の支払いがロト6の当たりで払えるとかを話題にする事も異常である。
聞きたくもない失敗話や自慢話、身内の話しを良く出す。

世間の常識が彼らの周りでは非常識で
彼らの周りの常識が非常識である事に早く気づかなければいけないのに、
気づいた者は口をつぐむし、言った者は阻害される。

結局は、《古の文化・因習》を売り物にしていて、《今の文化・改変》がない。
と、言うよりは育たない。
反省と改善がない。
問題事の万事が過ぎ去って忘却されればよいという安直な方法を好み、
人のせいにするのも京都人の特色かもしれない。

自己の経験や動態の会話より、傍観的で受動的な会話の方が気持ち良いのかもしれないし
京都人の狭い世間では良く聞かれる。《~が~をしはった。》

この事も私の嫌いな京都人の一面でもある。
受動態が京都人の特徴とアナウンスするバカ京都人が多いのも問題であろう。

何よりも
本当のペテン師、嘘つきが多いのを感じるのも京都である。
だから未だに、京都を信じられないでいる。

書きつくせん!京都人の嫌なところ。


油断した。足っ・・足が痛った~~い!

2010年03月18日 | 生活習慣病の事
やってしまった!
足の筋肉を傷めてしまった。
何気に普通に歩いていて、後方を振り向いた体制から駆け足に移ったその時に
《ムニムニ・・・・・・》と体内に自分だけ感じることの出来る響く音と
激痛の急激な盛り上がり。

息ができん!

以前にふくらはぎの筋肉が断裂したゴルフラウンド中に次コースへ向かう階段を
上ろうとしての怪我(まともに歩けるまでに3ヶ月)と違い、
押し寄せる激痛が緩やかにやってきた。あの時は《ブチッ》といきなりで
その後は冷や汗モンでどうすることもできん状態で、激痛に苦労した。

今回は、水泳時に経験したことのある例の《ツッタ~!》痛みなのであったが
しばらくたっても痛みが治まらないし、余計にひどくなってきた。

今は歩くのが痛くて仕方が無い。
右足ふくらはぎの外側である。

打ち合わせの場所に向かうために京都市バスを利用しようとして、
後方より接近するバスに気づき、乗り遅れまいとして、バス停留所まで
駆け出したその時に症状は起こった。
起床から充分時間も経過しているし、5分ほど自転車のもすでに乗っているので、
体は温まっているのに不思議なものである。

先回も右足であったしかし部位は違う、あの時は右足ふくらはぎの内側であった。
同グループでラウンドしていた仲間とはこの時の笑い話はいまだに逸話として
語り継がれているのを喜んで良いのか悪いものか・・・・・・。

しかし、右足の怪我や傷が多くて困る。
また筋肉量の均等が崩れてしまう。
3年前の病気で大きく右足の筋肉を落としてしまい、反対にかばって歩く為に
重心が左によるのでその矯正に苦労した。

昔に戻ってしまいそうな体型に、最近、特に危惧している最中に
また一つ健康面での課題を抱えてしまったことは
すでに、老齢の粋に達してきたのであろう事かもしれないし、
その前兆でしょうか。

残念でしようがない。
淋しいもんだ。

こんな、ツキの無い日は早々に仕事を終了し休息に入る事としよう。
というより、テーピングテープを買いに行こうか?
という、思案中である。



鼻づまり

2010年03月17日 | 言わせてもらいます。
4日ほど前から風邪気味で、3日前には体調最悪で、
熱が有るのか無いのだか。少しふらふらしながらの仕事をこなしている。
季節、花粉症の可能性もあるわけで、
久々に傍らティッシュの山を築くこととなっている。

先日なんぞは黄砂が飛んでき来るという予報もあったりして、
ヘビーな季節と仕事のできばえの悪さに愕然として、重たい体は余計に重たく、
この時期は確定申告も終わり新たな目標を持つべきである鮮明なはずの
思考回路はボーっとぼやけて、仕事の効率もあまりあがっていない。

日本の地理的条件を考えると、アジア大陸の東の端であり、
この先は広大な太平洋に広がっていることは周知のとおりであるが、
遥か西方のゴビ砂漠から飛んでくる黄砂ははるか太古の時代より
繰り返されていることとはいえ、現代の日本人には我慢にも限界が有ると
いうものであろう。

で、昔からこんなことあったんやろうか?と思い返してみた。

1960年の大阪生まれの私は、スモッグという言葉のほうがすごく思い出が深い、
西風の日には、どぶ臭い空気が漂い絶えず春のある日は赤黒い赤い空の夕方であった
少年時代の思い出のほうが黄砂よりも思い出が強い。
小学校高学年の頃には、校庭やプールでの体育授業が
度々、光化学スモッグ注意報で中止になったこともあった。
《戦前には、工場からの排煙凄まじく水の都・煙の都・大大阪なんて表現した
 時代もあったようだが・・・・・・・》

でも花粉症なんて関係有ったのか無かったのか、
同級生友人の数人はいつも鼻水垂らしていたし、口唇の周りが乾いてなめるのが癖になり
赤くかぶれて《アクチ?》、絶えず口周りを拭いている友人もいたな~。
唇が、二重に膨らんで赤くなり口唇端が切れて血が出たりしていた仲間もいた。

今もこんな子いてるんやろか?
最近こんな子供を見たことがない。

たぶん黄砂や花粉症の蔓延は、中国の仕業かもしれない。
日本いじめのためにゴビ砂漠の荒廃と拡大している現状に対処しなくて
放置しているのかもしれないし、
自国の空気を汚すことなく風に乗せてしまえばあっち行くし大丈夫という
自理論なのかもしれない。

越前クラゲにインタビューして、若狭湾に漂着する樹脂ごみに尋ねてみれば
訳を教えてくれるかもしれない。
でも、謝ってくれへんやろな。大陸は。
彼国の工作船や調査船より脅威でしょうか。


童どもが夢の跡か!?

2010年03月14日 | 好きな日常
営業先である優良なお取引様が私の小・中学校の頃の活動地域にあり、
少し時間が有れば昔を懐かしんではウロウロと訪れている。
先日は、待ち合わせまでの少しの時間が有ったので、
地下鉄阿波座駅界隈のなつかしの場所である薩摩堀公園を見に行った。

この公園の東には、石碑があっていろいろな遊びの中心であったように思う。
集合場所やこの石碑の周りが遊びの中心であり、かくれんぼの鬼の居場所であつたし
馬鹿話のベンチだったし、駄菓子のテーブルでもあったかもしれない。
今も子供の姿は有るのであろうか?



子供のときは気づかなかったが、碑文を読んでみたら
皇紀二千六百年の文字と、八紘一宇の碑文がある。
裏面には、廣教地区が建立したことが書いてあるし
んん・・・・・・戦時教育とその当時の日本の精神思想というものが
見えてくるもんである。
子供の時にはぜんぜん気づいていなかった。



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/70/c2af8f2a05291af66def24118cede073.jpg
↑その碑文の拡大を表示することができます。少しこの物について調べてみると
 当時の国威高揚政策として国家プロジェクトとして取り組まれた皇紀二千六百年記念
 事業の一環として建立されたようである。これは、国旗掲揚台の基部であるようだが?
 となると、一辺が1M程の基部をもつ掲揚台の高さはかなりのものであったと
 推測できるが実際どうであったろうか?
 町内地域をあげて、この前に集まり諸々の戦時行事が行われたに違いないし、
 ここから町内の顔々合わせて送り出された兵士も多かったのではないか?
 生死分岐でもあった地点であろうと悲しいながら推測できる。

朽ちた低い木製ベンチで、パンパンに膨らんだ営業資料入りリュックを
傍らにして、少しおなかが邪魔だがいつもの登山靴を脱いで胡坐をかき
初春の冷たい風と長閑な陽光の元で阪急大宮駅で購入した
特売のおにぎり2個を背中を丸めて頬張りながら見上げる空は明るくて、
《ここはあまり昔と変わらんナ~、お菓子屋の松島君や木村君や小川君や
文房具屋の田中さん、米屋の谷口さんはどないしてるんやろ~?
石田君が亡くなっていたのは最近知ったし、酒屋の左利きの能勢君はどうやろか?》
と、
佇む淋しい【おっさん】の姿は、ビルに囲まれた都会の公園には妙にマッチして
道行く人の《ホームレスが一人どこからか流れてきた?》的な視線に
残念ながらさらされているのを気づく私であった。


ほんとうに疲れた~。

2010年03月08日 | 私の仕事
やりかけの仕事が急にばかばかしくなって、
途中で未完のまま放り出してそのままになっていることが多くなった。
仕事だけでなく何もかもである。

成果の見えない折衝と打ち合わせに歩き回り、
かといって、若くはない体力には限界があるのかも・・・・・、
と、
体力のなさを憂い思う事が多くなってきた。

電車やバスに乗り空き席を探すことが多くなってきたし、
すぐに行動できたものが少しワンテンポ遅れての始動となることが増えてきた。

たぶんまた何かの病気にかかっているかもしれない。

先日、日曜日の朝、久々に《題名のない音楽会》を見た。
ショパンのピアノ曲《雨だれ》に慰められて一人涙する、日曜日であった。



人ごみに疲れるし、私のような田舎者は人の流れに乗る事すら
大都会では苦労の連続である。

今日はもう仕事をやめる。
と、
考えているのであるが、
やはりその仕事を休止する事が気になってその手を休めることが出来ない。
手を休めることが不安で不安で仕方ない。
手を休めると罪悪感が脳内支配する。
言葉を発して動いていないと不安で不安で仕方がない。
収入につながらなくても動かないと不安で仕方がない。
絶えず不安定な心境で日々をすごしている。

休む勇気が欲しい!

《もっと強くならんとあかんな~。》と、思うのであるが
絶えず不安な気持ちは取り払えずにもう15年目の無休人生である。