池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

親不知

2016年01月03日 | 旅先の事
昨年11月25日、私は薄曇の空の中、国道7号線・国道116号・国道8号線と順に京都に向けていた。
その前日の夜から、12時間程、既に約550kmを走行していた。

いつもは、夜中に逆方向で通過する北陸自動車道からはトンネル続きで見る事ができない、
国道8号線からなら親不知の展望が見えるので辺りを探訪する事にした。

先ずは親不知駅。
無人駅である。
時刻表を見たが、日本の物流を担う《日本海縦貫線》でありながら、旅客列車の本数が少なく
北陸本線からは既に外されていて、優等列車の運用も無いと聞く。
北陸新幹線が風情というものを奪い取った事に寂しさを感じる。



待合室。
海風が通り抜けるだけの待合室である。
魚の匂いがする。
生臭い空気が漂う。



島式のホームは、簡単な踏切を渡り、駅舎からホームへと渡る。
新潟方向を見る。
北陸自動車道の高架橋の無機質な構造が付近の風情を台無しにしていて味気ない。



富山方向を見る。



親不知駅のある旧国道であろうか山肌にへばりつく上下する県道から、
その線路(日本海ひすいラインという名前になったようだ。)を小さな古い踏切で横切り、
再び、国道8号線に出て富山方向へしばらく行くと、風波の集落をまたぐ急坂の右急カーブとなる。
そのカーブが左に向きを変えようとする外側に、小さな展望所がある。

すかさず、右信号をカチカチ・・・・・・・。
出迎えはカラス。

逃げない。
こちらの様子を見ている。



展望所の、崖上に張り出した展望台の上に立つ。
富山側の景色がすばらしい。
50m程であろうか、下の光景は日本海の波である。



この場所からの距離が記されていた。
もう少しあるように思うが?どうなんだろう?



小一時間ほどいたであろうか?
ここから、富山県境にいたるまでは運転要注意である。
対向の大型車が、少しばかりはみ出してくる。
それほど、国道としての建築限界がぎりぎり。



遠くから、海鳴りと違う音が聞こえる。
地下鉄駅で聞く列車の接近音。
《コォーーーーーー、カタタタタタタタ~~~~~~~。》
《ピョ~~~~~~~~~!!!!!!》


門倉有希 哀しみ本線日本海


森昌子さんとは違い、ちょっと後ろに影有りがちな彼女も捨てがたい。

時代が変わり、時間短縮ばかりの事柄で便利で《喜》する事が常であるが、
時代が変わり、時間短縮ばかりの事柄に、失われる事柄に《憂》する事もある。

私は、時流の生む結果を愉しむ事が好きなのかもしれない。


観光客を寄せ付けない地元民の為の朝市と白鳥

2016年01月03日 | 旅先の事
昨年の11月22日、私は秋田県南秋田郡五城目町の朝市を訪れた。

すごく開催歴史のある朝市である。
観光客の姿が見えず、何より地元の方々だけで運営されているのが好感を持つ。



五城目町のメインストリートと言えるであろうか?
秋田杉の集積地としてたいそう賑わったであろうこの街並みには、当時の面影を残す建物も散在している。



その時代、JR奥羽本線八郎潟駅(旧駅名=一日市)まで、
秋田中央交通が僅か3キロ程の鉄道を経営していて、
現に廃線跡の遺構が県道となっていて旧駅のホーム跡も見る事ができる。









オジサンと目が合い、胡桃を買った。
苦いのがたまらなく懐かしく美味しい。



この頃、やっと理解できるようになった秋田言葉と、
昔の子供たちのしぐさが良く現れているので、思わず微笑む。
子供たちにとって、幸福な時代。
人としてすばらしい経験ができた時代である。
当時の都会暮らしでは経験ができそうなはずもない。
物質に恵まれているのとはまったく違う。



出展者は高齢の方々ばかりなので、いつまで継続ができるのであろうか?
今後、風景が失われていくのであれば残念で仕方がない。

かといって新しく若い感覚で、朝市が行われても・・・・・・。

クレープやたこ焼き、串焼きが並ぶ朝市は、ちょっと違う。

郷土食材が中心で、地元の方々の為の定期市なければいけないように考えた。




秋田追分 川崎桂子



少し離れて、稲刈り後の他に目を向けると白鳥の群れ。
今年は、暖かく雪が遅いと聞いたが、
明晩には、すぐそこに雪とハタハタを呼び寄せる雷鳴も鳴り響いていた。