池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

日本海情景

2012年03月25日 | 独特の感覚
経費節減の為に京都への帰りは、新潟市内からできるだけ我慢をして高速道を使用せず、
新潟市内から新潟バイパス~国道116号から国道8号を利用して京都まで帰る計画にした。
疲れを感じ、少し焦りを感じ出したら高速道を利用しようと考えて車を走らせた。

国道116号を柏崎市内で離れて国道8号に戻る。
その柏崎の街の外れから直江津方面へ走り,
坂を登り少し左に道が曲がると右に日本海が開け、右手に日本海を眺める風景が
そこから富山県境まで長い間続く。
運転中、急に眠気の襲われては目が冴える状態が続き、これは危険と感じたので、
反対側であるが名も知らぬ海岸が見渡せる駐車場に車を入れて付近を歩いてみる事にする。

天候は雨。
冷たい雨で有るが濡れるがままに歩いてみた。
歩いているうちに雪が混ざりだしたがかまわずに歩く。



冷たい雨に打たれる事数分、眠気はすっかり失せていて
呆然と目の前に広がる灰色のうねる日本海を眺めてコーラを一口。
国道を走る車の濡れた路面を切る音と崖下から聞こえる怒涛の響きの世界。
偶に、強い海風の中に鉄道の走行音が聞こえてきたりする。

長く細く高音の電気機関車の汽笛が一つ。
どうも崖の真下はトンネルの入り口のようである。
例の《ピョ~~~~》が聞こえては崖下で木霊している。



私は好きな光景《冬の日本海》
青い海よりも低く立ち込める雲と灰色の海色が日本海の情景としてふさわしい様な気がする。
寒さや冷たさが似合う。
晴れた夏の凪いだ日本海を越した沖仁鎮座する横長の島影はたぶん・・・・

佐渡が見えるのではなかろうか?



少し考えてしまう看板を発見。
この文言で気付く人の常識では、ごみは捨てようはずも無い。
この文言に気付く以前の非常識であるがゆえに持ち帰りなどをせずに
この美しい風景の中に無意識に放棄するようである。
ごみを捨てるのに、良識など持ち合わしている訳が無い。

残念だが・・・・・・・



急峻な山が海まで迫り、少し平地で開けたかと思うと小さな街が点在する新潟県南部から富山県境まで。
鉄道と国道と高速道が段々にその崖に縫うようにへばりつく。
本来なら、このままずっと国道8号線を走ってみたいもので、
子不知(こしらず)・親不知等の海岸線を縫うように走るのがうっとうしく感じて、
その景色の良さを残念だが諦める事にして上越・直江津ICから北陸道を利用した。

体が冷えるのでPAで小休止。

小さなセルフサービスの店であったが、ネギみそラーメンのセットを食す。
辛さが絶妙でこれは美味しい。
ネギもたっぷり。餃子も肉厚でむっちりとしていて美味しい。

悲しみ本線日本海 森昌子


鉄道や空路の公共交通機関の発達や
整備、高速道路の整備と利用により日本国土は極端に
その時間的距離感が失われつつある昨今である。
交通機関の利用変化が著しい中で、長く親しまれた寝台特急も先日姿を消した《日本海》である。
このように便利で速くなる時間的距離の短縮は人々にとって果たして有益なものであろうかと
疑問に感じるのは私だけであろうか?
先日は、はるか将来に完成するのリニア新幹線での駅の設置で
地方自治体が首長を先頭に揉めていたりもする。
別に今の新幹線の時間的距離の短縮で充分で有ると思うのであるがいかがなものであろうか?

どこか、論じる方々は速さに麻痺があり、基本がずれているような気がする。
私がまだ小学生の頃から開発と構想が研究が継続されている事も不思議だ。
長期にわたり税金が投入されているなら腹立たしくさえも感じる。

これらの移動時間の短縮により距離的観念が忘れ去られていく様と同時して
益々、郷土色というものが亡失されていく原因のように思えて仕方が無い。
特に道路網の整備と高速道路の建設は都市間での物流時間を大いに短縮している。
その結果、消費物品を集約し易い場所で集約された大量の消費材が大量に高速で移動させる事が
可能になった結果として、デベロッパーの手腕により広大な敷地が開発又は売買されて
商業施設が建設されている事が多いように感じる。
必ずどこの街の郊外でも単調な均一化された建物のあのA●ONの看板を目にする事ができる。
その商業施設で販売されている殆どは、本部で販売計画と仕入計画の立案に基づいた地域色とは
関係ない物が殆どのマスプロダクト商品であり、全国均一の商品でもある。
即ち、言い換えるなれば《チキンラーメン》はどこの同系の店に行っても、
食品売り場のインスタント食品のインスタント麺の棚の同じ位置で全国共通の価格で
容易に購入し手に入るという事。

この事実は消費者にとっての利便性は良いと思うが・・・・・
私は感覚的に少し淋しい。

思い出した標語が有る。

狭い日本・そんなに急いでどこへ行く?


蒼い灯が揺れる新潟駅

2012年03月21日 | 変化した事
寒い日と温かい小春日和が交互する最近のある日、
私は新潟に居た。
新潟の街は初めてのことであり、ウロウロ散策をしようと考えていたのであるが
次の仕事の日程が窮屈でほんの駅の周りを15分ほど散策しただけで、
たいそう残念に思う。



独特の雰囲気を持つ駅舎。
昭和中期の築で約50年はその歴史を刻み独特の雰囲気を持ちその構造の利便性の悪さは
今では考えられないほど人に柔らかく接する建築構造に慣れた私には常識を逸脱しているが、
実際に降り立ってみるとどこか懐かしい雰囲気が有るもので、
これはこれでなぜか癒される駅舎でもあった。



今ではこの新潟駅ように天井の低い各ホームを繋げ横切る地下式の通路も珍しくなった。
私が子供の頃の大阪駅もこのようであったと記憶しているし、
石造りの磨かれた階段が残っているのも興味深く思う。



疲れた時には必ず訪れた駅の《駅そば》を食すのが恒例のこの頃であるが
探すのであるが見当たらない。
後日調査をしてみたら、閉店したとの事。



新潟駅から少しの距離を群馬方面へ信越線に乗ってみた。
降りた駅で発見したのが下記の写真の鉄柱。
明治43年、鉄道省製作の線路を渡る人道橋の橋脚の柱を歴史記念物として
駅前の広場の照明灯の柱に利用されていた。
明治43年(1910年)というと今から約100年前・・・・・・。

日韓併合された年でもある。

この柱はその頃から立ち形を残している。

新潟ブルース 美川憲一


歌詞の3番にある、♪~蒼い灯が揺れる~新潟駅よ~♪の部分を探しに行こうと思ったのも
一つの新潟駅訪問の理由でもある。
昔は、駅表示の《新潟駅》の照明が蒼のネオン管であったと聞いた。
それでは、
石造りであろうと予想している万代橋へ行こう!と駅から歩いたのであるが・・・・・。
なんら変わらぬ地方都市の光景に少しうんざりし見に行く事を中止した。

先に記述した鉄柱に自身の短く浅い人生をダブらせてみてしまい、
この時に頭脳内をよぎる今までの行動に対する成果や今この時の私の境遇は、
自身が種をまいた結果だとの自己批判の結論が結実し増大して
込み上げてきて脳内を支配し始めて不機嫌になり自分自身に対する怒りに気付く事が
早々にこの駅を去る気持ちにさせた。

淋しいものだ。

修行

2012年03月20日 | 独特の感覚
修行という言葉についてこの頃ではめっぽう聞く事が少なくなった。
有る意味昭和の響きでも感じられる。
僧籍の有る宗教人、料理人さん、大工さんや左官さん等の職人さん等の職域でも
その言葉も薄らいできているのではないであろうか?

自己の行動によって起りうるさまざまな事象に学習し、
その殆どの学習の元は苦難な事の克服の為の努力と工夫の行動であり、
その苦難を克服していく事で良識的対処法を身をもって体験し、苦難に対する順応の
対応幅を広げることが《修行》で有るように私は考えているのであるが
いかがなものであろうか?

日々の生活において不平不満も多いこの頃であるが、
その日々の事象にこそ、自身を磨く為の修行の素材が落ちているように
私は感じる時が多々有る。

対人関係・職務の事・金銭・未来への不安・欲求に対する満足感の欠如等々・・・・・。
数え切れないほどの自己欲求に対して反意の存在する《修行》の素材が
身の回りに落ちている事が確認できる。

不平不満がその《修行》材料であり始発点である事に最近私は気づく事ができた。

平和である為には・・・・・・・・
不平不満を感じないような心境でいる事。
日々、満足でいる為には・・・・・・・・
現状の今が最良と感じている事。
幸せでいようと考えるなどはもってのほかで、不幸なんだという考えも持つ事は無い。

息をして、食事ができて、偶に病気をして、偶に泣いて、多くの時間を笑っている。
これだけで充分という心境で居るようにこの頃ではなっている。

金や財産には余り興味や執着は昔からない。
↑これは私の短所でも有るかもしれない。なぜなら、その日が生活できれば良いとだけ
 いつも考えているので全く蓄えが無い。将来の事などを考えた事があまりにも無い。

昨日、京阪電車の清水五条駅の自販機のコーナーで面白い立て看板を見た。
格言が記載されていた。
《幸せを築く根源は労働である。》ような事を書いてあった。
この意味は深く、単に資金だけを得るだけの意を表記しているのではないと
すぐに気付き、「そうそう・・・・。」と思わずたいへん嬉しい気持ちになった。

働ける機会が有るだけで幸せ充分。収入は二の次の発想がその時、又、浮かぶ。

最近、私の周りでは人の行動や言動が気になる人が多すぎる。
その方々の話を聞いていると、自身で自身の事に対して自信を持ち合わせてない気が
してならない。
自身に自信が無いから他人の事が気になって仕方が無い。
自身が注目されたり中心であることによって安堵の気を宿らせているようだ。
馬鹿馬鹿しく見えるのは私のいびつな精神ゆえか?

船は水面に浮かんでいるが船底一枚下は死の危険が有る。
いつ何時、誰にだって心臓が止まることだってありうる。
そんな、いつ何時の偶然が訪れる状況が有る人生にあって
目の前の自身の状況を全うせずして、他人のことが気になるのは暇なのか?
人の優位をうらやましく思う事が不満となるのは、既にその人は
うらやましく思っている相手より劣勢である事実を知るべきである。

この事に気付けばその方々の世間世渡りはもっと楽になるのかもしれないが、
所詮他人事ゆえに私は黙っている。

修行の根本を的確に言った昔人が居る。山本五十六だ。
彼は博打好きでも知られる。そのポーカーとブリッジのカードゲームでは
絶対に勝つ博打しかしないから誰を相手にしても強い。
だから楽しい。



男の修行
    苦しいこともあるだろう。

    言い度いこともあるだろう。

    不満なこともあるだろう。

    腹の立つこともあるだろう。

    泣き度いこともあるだろう。

    これらをじっとこらえてゆくのが
                  
    男の修行である。

このようでありたい。が、辛抱する事象が平静に感じられるようになるのも
修行であろうと思うが・・・・・・・・・?

今日はなんかイマイチ文意がバラバラです。お許しください。



松山駅前

2012年03月04日 | 笑う事
首都圏で雪が積もった朝に私は松山駅に居た。
四国でも徳島から愛媛の県境では雪が降り高速道の通行止めがあったりして
少し国道は渋滞して混んでいたりもした。
月末でもあり、私はとにかく銀行の集中する場所に行きたくて
松山駅前へと向かうことにして午前9時なるや否やすかさず伊予銀行へ入った。



伊予銀行のATMのコーナーはガラガラ。
少し拍子抜けである。
親切な妙齢女子行員さんのご指示をいただきつつがなくその行動は早々に終了する。
で、
少し駅前をふらふらしてみる事にした。
売店に入る。
目に付く愛媛名産品の数々。
少し珍しいハート型のじゃこ天購入。
先日、バレンタインデーでいただいたチョコのお返しとして購入する。
じゃこ天は独特の風味があり、私の好物でも有る。



また次に、別子飴を購入。
これの素朴な甘さは国内を探してもなかなか見当たる事ができない飴で
私の趣向の上位に位置する逸品である。
少し歯にくっつくのであるがそれはご愛嬌。それも味のうちであり特徴といえようか?

でべらカレイ(干物)は見当たらず断念する。



何気に、駅前の広場で缶コーヒーを飲み道行く人々、広場に集う人たちを観察していた。
どこにでも居るもので、ぶつぶつ独り言を言っているホームレス。
色んな人に世間話できっかけを作って声をかけてはタバコをせびる人。
そんなこんなの人々の観察に楽しさを感じていると、
ドド~ンと歩道にジャイロXを乗り上げてきてヤクルトレディーが登場!
タクシー待機場のほうに向かい運転手さんたちとなにやらにこやかに談笑している。
一人のお父さん運転手さんなんかは、しきりに彼女の写真を撮っているではないか?
殆どの駅前にたまっている運転手さんが彼女の販売するヤクルト商品を購入している。
すばらしい営業力である。



その様子を見ていた私の目線を感じてか?こちらを向いてにこやかな笑顔をくれたので
手招きをして私もヤクルトジョアを購入した。
何味が良いかとの質問にお任せで選んでもらう。
「人気のブルーベリーです。」と言っていた。
なるほど・・・・・・・。
彼女の営業力はその笑顔の応対に有る事を納得する。

お父さん方は癒されているのである。



JR松山駅前は県庁所在地とは思えないほど静かで長閑な場所である。
一本《坊ちゃん列車》が目の前を走り去っていったが、
逆光がきつくて上手くデジカメに納める事ができなかった。
蒸気で走っているのではなくて、ディーゼル音がしていた。
湯気がシリンダーから噴き出ているところなんぞはご愛嬌という事であろう。

タクシー待機場所を小さな体に商品をぶら下げた腕でせっせと販売して回る姿に
私も感心して見ていると、二人のタクシードライバーさんが話しかけてきた。

彼女はみんなのアイドルらしい。

このブログの読者さんも一度その姿をご覧いただくと良いかもしれない。
なぜだか分からないが癒されるのである。
松山駅、午前10時頃に彼女は現れる。
彼女から買ってみると良い。

人と接する時の笑顔の大切さをしみじみと考えてみた松山駅前の私であった。


1964年から走っている新幹線と朝鮮民謡

2012年03月04日 | 昔の事
相当に思い切った決意を持って経費を使い新幹線に乗車してみた。
京都~新横浜間を座席指定で利用した。
グリーン車も考えてみたので有るが料金の高額さに驚いて諦める事にした。
1964年に東海道新幹線ができて以来、私は数回ほどしか新幹線を利用した事が無い。
もっぱら自身で車を運転して東海道や中仙道を利用して江戸方面に向かう事が殆どである。
自身で運転しなくても最近ではJRや私鉄各社の高速夜行バスの安くて快適な移動に
魅力を感じてそのバス乗車の機会も増えつつある。



なぜか嬉しくて仕方が無い。小学生が一人で新幹線を利用するような気分とでも言おうか?
ウキウキしているのである。
京都駅の新幹線乗り場は2回目の利用である。入場券を利用してお正月の早朝に
人を送りに来たことはあるが乗車で利用するのは2回目。
1回目はかれこれ20年ほど前になろうかと思う。



初めて新幹線に乗ったのは開業間もない頃の新大阪~名古屋間である。
父親に連れられて名古屋の東山動物園へ連れて行ってもらった。
二回目は、伊東温泉はとやへ行った。
三回目は、静岡までヤマハの袋井テストコースでの試乗会に行った。
四回目は、前職で仕事で利用した。
五回目が今回の利用である。
そうそう、先日福島県の郡山から東京までを仙台からの帰りに利用した事が有るのを
忘れていたなぁ。
ですから、今回は6度目になる。



ホームで少し食す。
ドーナツとコーヒー。
これは少し腹立たしいくらいいただけない。高すぎる。



のぞみ226号に乗車した。N700系。
先ず驚いた事!!!!
揺れない。うるさくない。高速で移動しているという実感が無い車内環境に驚きである。
2時間半かからずに新横浜駅に到着した。



で、新横浜駅で在来線に乗り換えたのであるが、あまりにもお腹が減っていたので
お決まりの駅そばを食す事にした。
これもお決まりの関東の関西人の口には合わない味。
特にいなりずしは全くのダメ。



冷水機の注意書きが面白くてデジカメに納める。
《ソフトタッチで押してください。》
既に、償却は終わっているであろうに新しく購入して欲しいとも思った。

子供の頃の新幹線乗車の思い出は鮮烈に残っている。
電線を支える支柱を通過するたびにバットの素振りの音がしたし、
コココココという車輪の音、すれ違いの時のドンという対向列車の風圧、
トンネルの中での圧力による耳の変化、列車トイレの青い水、紙コップでの飲料水
食堂車(ビュッフェ)での丸いすなどが思い出として残っているが
今は昔・・・・・・・その形、影すらない。
新幹線に乗るというだけでおめかしをしていたように思うし、
今のように作業着で乗る人はなかったのではないであろうか?
即ち、セレブ、ハイソな乗客を運ぶ列車であったわけだ。

そのように未だに勘違いしている女子が名古屋から前列席に座ったのには少し驚いた。
その女子!座席を倒す時には、後方を確認してもらわないと困る!
先に買った高価なコーヒーを少しこぼしてしまった。

やはり私は、新幹線よりもゆったりとした速度で移動するものが精神的にも
落ち着くし疲れない。
二度と乗るまいと思った新幹線であった。

そんな私の精神内容と不釣合いな高速での移動をしたかと思うと、
先日は、知人(今年最初の当ブログでの登場人物、SNG氏)の
運転するバスに乗せてもらい京都まで帰る経験をした。
このバスは、登録されていない出来立てほやほやのバスで、
工場から引き取り木曽路を経て京都までを彼の運転により横乗り便乗させていただいた。



東北徘徊で帰りの資金が底を付いていたので彼の申し出がたいへんありがたく
また、バスの処女航海に便乗させていただけるとは光栄極まりない気持ちであった。
全くの汚れの無い車内は当然私は靴を脱ぎ乗車した。
街中を走るバスであったが、長距離も快適。
彼の運転技術の賜物であろうとは思うが、本当にスムーズに走る。



高速道も快適である。さすがに高速バスのようなゆったりとした座席ではないが、
何よりも立乗車が前提の街中バスゆえに揺れ方がおとなしいように感じる。



木曽路に入るとその彼が突然大声で歌いだした。(驚)
疲れると出てくる歌らしい。

朝鮮カラオケ・朝鮮歌謡4 06 セクトンチョゴリ


この歌は在日の友人より教えてもらった歌で、彼は全くの歌詞の意味が分からないらしい。
私はメロディーが耳に付くので、チョゴリを検索ワードのして色々と調べてみると
な・な・なんと有りました。
彼が歌うので朝鮮語の卑猥な歌かと思っていたが、どうも違うようである。
動画がかわいらしく、いかにも将軍様の好む共和国的平和イメージなので
合わせて記す事にした。

旅はやはり風情が無くてはならないし、その風情も移動手段が一翼をになう事を
再確認した新幹線利用であった。

やはり、私の場合はどうも高速移動というものは苦手な様である。
特に子供の頃のようなわくわくドキドキ感は、
今の年齢では新幹線よりも郷愁を誘う古い気動車の方が感じざるを得ない。

旅は疲れなくてはいけないし、移動は疲れるという事の心地良さを
感じる覚悟が必要であろう。