昨日、26日(土)の事である。美山へ行くことにした。
まったく仕事を休んでいなかったので、
《休んじゃえ!》と勇気を振り絞って、店を閉めた。
で、久々に南丹市の美山を目指す事にした。
昔は、国道163号(周山街道)で、小野郷を越え、笠トンネルを抜けると
北桑田郡京北町だったのであるが、京北町は京都市右京区に先ごろ編入されたし、
その北部に広がる美山町は周辺各町村合併によりその名前は
南丹市の中に属し残すことになっている。
高雄から先は北山特有の風景が続く、まっすぐ延びる北山杉の植林である。
休日であるのに、北上するバイクの数が少ないなぁ~などと、
考えていると一台のバイクが追いついてきた。
先に道を譲るとDUCATI!
私の車(キャラバン)で追いつきそうなぐらい、コーナーリングスピードが遅い!
ライディングホームはハングしているのであるが、
肝心のバイクが傾いていない。切り返しの挙動も不安定である。
本人はかっこ良いの自己陶酔か?
もう少し、転んでも良いバイクで技量を磨いた方が楽しいのにと思いつつ
だらだらと深見峠を越えて、美山の赤橋に到着!
ライダーがたむろしている。
おっさんばかり!驚きである!
何をしているわけでもなく、ただ静かにバイクを前にして語り合っている。
少し、見て見ぬ様にしていたが、高級なパーツをつけたバイクばかりである。
ヤマハのビックバイクが1台スタートしていく、
カタカタカタカタ・・・・・・・・、キャブピストンが踊る音を発しているので、
FCR装着か?本人張り切って、京都方面にスタート!!!!!!
ふおぁーーーーーn、ごごごごごごごごごごggggggg-----。
あちゃ~~~~、メインが濃い。
多分、分からんと乗ってんねんや。
私が楽しくここら辺を走り回っているときは、250ccの2サイクル車で、
やっとレーサーレプリカらしい車種が出始めたころで、
大人数で軽く走りに来ていた。
(軽くといっても相当な危険な速度だったし、私の体重も超軽量であった。)
走りよりも、スタイルや他人の持たないパーツの所有欲の満足が中心の
バイクの楽しみ方に替わった模様である。
で、
しばらく買い物を楽しむ。
この地域で取れたり製造された商品を販売している直売所に自分の作ったものを
持ってきた人の良いおじいさんが話しかけてきたので、お話を聞く事にした。
地域の事であるがその話の中で興味を引いたのが鰊(にしん)の話。
米糀で大根やかぶらと一緒に鰊を漬ける保存食の話であった。
このおじいさんの先祖は、
明治の初めに、若狭からこの里に移り住んで来たらしい。
この地域で林業に従事していた。
食文化は、この地域は先祖が若狭をはじめとする日本海側との交流が盛んだったので、
日本海側の食が各家庭で受け継がれているらしい。
私自身、鰊を使用したそれは、福井県の三国Aコープの漬物売り場で見た事があるし、
平和堂の福井県下のお店で見つけたことがある。
そこそこに、赤橋先の交差点を右に佐々里方面へ向かう、これまた懐かしい!
大雪のときに当時所有していたアクティトラック(ホンダ軽トラ)で
雪遊びに来て以来だから、かれこれ15年ぶりだ。
少し行くとそこかしこに、山村ならではの施設、風景が目につきだす。
ずいぶんここら辺の田舎の風情が変わったが第一印象。
観光地に変貌している。
大型バスとも数台連なりすれ違うし、道の右側には大きな観光駐車ベースもある。
正直、なんか人は多いが気分はさびしく複雑な気分になる。
動物園のらくだ、月の輪くまを見る気分だ。
んんんn・・・・・少し複雑やな~~~が感想。
手作りハムを土産に、佐々里峠から広河原を抜け花背峠を越え、
鞍馬経由で帰着した。
↑佐々里峠ピークのお地蔵さんの祠である。
私のホームページでも述べているのであるが若狭に続く京からの最短の
旧街道の峠の一つである。ここの祠の上にはその旧街道の踏み跡があり、
この広場にはその説明文と簡易な案内板があった。
芦生の深い森へ続く古人の日々の作業道でもあり重要な物資輸送の道であった。
今は、京大演習林へと続く。
美山の赤橋の特産品直売店の前にたたずむ、
黒色のダイネーゼライディングスーツのライダーがいて、
そのピッカピッカのDUCATIの取り扱い販売店プレートに懐かしさを感じた。
かの、赤ゼッケン【27】の往年の名ライダーのお店のお客さんであろう?
大将!教えてあげてください!かっこいい走り方!
まったく仕事を休んでいなかったので、
《休んじゃえ!》と勇気を振り絞って、店を閉めた。
で、久々に南丹市の美山を目指す事にした。
昔は、国道163号(周山街道)で、小野郷を越え、笠トンネルを抜けると
北桑田郡京北町だったのであるが、京北町は京都市右京区に先ごろ編入されたし、
その北部に広がる美山町は周辺各町村合併によりその名前は
南丹市の中に属し残すことになっている。
高雄から先は北山特有の風景が続く、まっすぐ延びる北山杉の植林である。
休日であるのに、北上するバイクの数が少ないなぁ~などと、
考えていると一台のバイクが追いついてきた。
先に道を譲るとDUCATI!
私の車(キャラバン)で追いつきそうなぐらい、コーナーリングスピードが遅い!
ライディングホームはハングしているのであるが、
肝心のバイクが傾いていない。切り返しの挙動も不安定である。
本人はかっこ良いの自己陶酔か?
もう少し、転んでも良いバイクで技量を磨いた方が楽しいのにと思いつつ
だらだらと深見峠を越えて、美山の赤橋に到着!
ライダーがたむろしている。
おっさんばかり!驚きである!
何をしているわけでもなく、ただ静かにバイクを前にして語り合っている。
少し、見て見ぬ様にしていたが、高級なパーツをつけたバイクばかりである。
ヤマハのビックバイクが1台スタートしていく、
カタカタカタカタ・・・・・・・・、キャブピストンが踊る音を発しているので、
FCR装着か?本人張り切って、京都方面にスタート!!!!!!
ふおぁーーーーーn、ごごごごごごごごごごggggggg-----。
あちゃ~~~~、メインが濃い。
多分、分からんと乗ってんねんや。
私が楽しくここら辺を走り回っているときは、250ccの2サイクル車で、
やっとレーサーレプリカらしい車種が出始めたころで、
大人数で軽く走りに来ていた。
(軽くといっても相当な危険な速度だったし、私の体重も超軽量であった。)
走りよりも、スタイルや他人の持たないパーツの所有欲の満足が中心の
バイクの楽しみ方に替わった模様である。
で、
しばらく買い物を楽しむ。
この地域で取れたり製造された商品を販売している直売所に自分の作ったものを
持ってきた人の良いおじいさんが話しかけてきたので、お話を聞く事にした。
地域の事であるがその話の中で興味を引いたのが鰊(にしん)の話。
米糀で大根やかぶらと一緒に鰊を漬ける保存食の話であった。
このおじいさんの先祖は、
明治の初めに、若狭からこの里に移り住んで来たらしい。
この地域で林業に従事していた。
食文化は、この地域は先祖が若狭をはじめとする日本海側との交流が盛んだったので、
日本海側の食が各家庭で受け継がれているらしい。
私自身、鰊を使用したそれは、福井県の三国Aコープの漬物売り場で見た事があるし、
平和堂の福井県下のお店で見つけたことがある。
そこそこに、赤橋先の交差点を右に佐々里方面へ向かう、これまた懐かしい!
大雪のときに当時所有していたアクティトラック(ホンダ軽トラ)で
雪遊びに来て以来だから、かれこれ15年ぶりだ。
少し行くとそこかしこに、山村ならではの施設、風景が目につきだす。
ずいぶんここら辺の田舎の風情が変わったが第一印象。
観光地に変貌している。
大型バスとも数台連なりすれ違うし、道の右側には大きな観光駐車ベースもある。
正直、なんか人は多いが気分はさびしく複雑な気分になる。
動物園のらくだ、月の輪くまを見る気分だ。
んんんn・・・・・少し複雑やな~~~が感想。
手作りハムを土産に、佐々里峠から広河原を抜け花背峠を越え、
鞍馬経由で帰着した。
↑佐々里峠ピークのお地蔵さんの祠である。
私のホームページでも述べているのであるが若狭に続く京からの最短の
旧街道の峠の一つである。ここの祠の上にはその旧街道の踏み跡があり、
この広場にはその説明文と簡易な案内板があった。
芦生の深い森へ続く古人の日々の作業道でもあり重要な物資輸送の道であった。
今は、京大演習林へと続く。
美山の赤橋の特産品直売店の前にたたずむ、
黒色のダイネーゼライディングスーツのライダーがいて、
そのピッカピッカのDUCATIの取り扱い販売店プレートに懐かしさを感じた。
かの、赤ゼッケン【27】の往年の名ライダーのお店のお客さんであろう?
大将!教えてあげてください!かっこいい走り方!