池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

突き詰めて先を読み切る事

2012年11月29日 | 変化した事
これほど、心情を具現した音の表現は無い。
もともとショパンのピアノ曲は好きなのであるが・・・・。
と、書き出しは好きなピアノ曲の音色から感じる感情を表現して今回のブログの
文面をスタートする事にする。
先ずはお聞きいただき心を鎮めてもらいたく思う。

Chopin-Etude no. 3 in E major, Op. 10 no. 3, "Tristesse"


今ではもう回りは冬の風情があふれてきていて、
街の店々は12月のクリスマスや歳末商戦を迎えるショーウインドウや
店の飾りつけも見受けられるようになってきている。
私の住む山の中でも民家の軒からあのイルミネーションを飾り付ける家々も
ちらほらと見受けられるようにになってきた。
なかなか古民家でのあの飾りつけはアンマッチなようであるが、
意外であるが茅葺にも良く似合うものである。
好ましいと感じる事さえある。
さて、
この季節一番私は移ろい行く季節を感じる季節でもある。
明の季節から暗の季節への急坂を転げ落ちるように季節の移ろう速度は
加速度を増して秋は急速に冬へと変化する。

私はこの時期、仕事に熱中している季節から少し手の空く季節を迎えて
物事を考える事が多くなる時期でもある。
以前、主としていた仕事では、この時期からすごく忙しくなり、
そのように考える事は皆無であったのであるが・・・・・・・・。
山中に住み始めてからその仕事の呪縛から解き離れた心中には
あの、常に緊張した張り詰めた糸の張力の張り直しと確認の連続の毎日が
懐かしくもあり、又、その緊張がなくなった今では、
その緊張の糸が無くなった事が寂しく切ない時も有り、
常に感傷的な心情が湧き出ているのも実際である。

よって、何を見て、何を感じて、何を話をしても独りになれば
ふさぎこむ事の日々が増えつつあるのも感じている。
決して弱くなったのではなく、真面目に真摯に真剣に考えれば考えるほど
その刹那の万物の事象に遅れまいとする焦る気持ちや、
その刹那な事象に追いつけず、時節の流れに乗り切れず思い通りにできない
悔しさが自身で悔しくて仕方がない。自己反省のみしかないのが現状である。
弱くなった折れる気持ちが自身で悔しいのである。

自然を見てみると、春に桜が咲き、夏に蝉が鳴き、秋に木々の葉が色付き、
冬には低く垂れ込めた灰色の空から雪が降る。

これは変わらぬ超太古からの自然の常識的時間経緯であり毎年繰り替えされる
あまりにも当たり前な事象。
その中に生きている私も自然の一部なのであるが、
それを理解しているつもりでも考える事はやはり自身の行く末。
突き詰めて今からの自身の今後をどうしても考えてしまう。

物事の成り立ちや科学に裏付けられた実証を突き詰めて観察し研究し
実行する場合のようではなく、どうしても自身の心中を深く真剣に
考えてしまうと悲しくなる。

私はいったい何を今までしてきたのかこれから何をしようとするのか?

これだ!という目標が定まらない。これが実情。

《突き詰めて心中の行く末の先を読み切る事ができずに居る事が、
 これほど苦しい事はない。》
と、いうのだけは最近理解ができた。



不変な物象に惹かれて止まない気持ち

2012年11月27日 | 独特の感覚
京都の街の今頃はできれば余り動きたくない。
急激に人口が増える。=観光客・・・・・・・。
未だにバスで団体ツアー旅行が多いような。
既成の有名処を作られたコースを回り紅葉と深まり行く秋を感じようという。
これは、本来の秋を納得できる尺度ではないような気がするが・・・・・。
でも、大流行(おおはやり)・人気を呈している。
先日、大手の漬物屋さんの前を通る事があった。
大通りに面するこの漬物屋さんは地方から訪れる観光客を乗せたバスが止まり
そこで買い物をする。満員!
店前には、原料であろうか?千枚漬用の大かぶらがディスプレイされていた。
演出も良い。
そんな今時期の京都が好きになれないでいつもいる。

とにかく騒がしく落ち着きが無い。

早々に外の空気を吸いたく思っていたところにに神戸に行く機会を作った。
短い滞在時間であったが満喫してみた。



突然、明石海峡大橋が見たくなり西へ向かう。
そこでデジカメを忘れているのに気付く。
と、
いうかそのようなつもりではなく本当に思いつきで行きたくなったからだ。
その思いつきも、その日16時に京都タワーに居て急に思い立つ。
この京都の喧騒を逃れようと。



やはり潮風はいいもんだ。
冷たさが心地よい。
面白い光景を見つけメリケン波止場でスマホのカメラで2~3枚を収めて
コーヒー(スタバのショート)を飲み儚き夢を見ていた自分に気付き一人で
又、田舎のボロ我家帰ってきた。

YVES MONTAND - Les Feuilles Mortes


京都街中はどんどんと変わっている。他所より観光入洛される方々には
気付き難いかもしれないが、街中をヨクヨク見ているとその観光者を餌にする
欲にまみれた姿は滑稽でその襲い掛かろうとする姿は嘘と虚飾の生り物でもある。
即ち、京都風が京都独自物の和物に変化している光景に出くわし
愕然と失望する事が多くなってきた。

清水あたり、錦あたり、を見れば良く分かろうか?

どうも、風情自体の均一化が図られているような気がしてならない。
もっと軒低く同時に敷居も低い雑多でその中に京都独自というものが
キラリと光る閃光を感じられても良かろうかとも思うが
いかがなものか?

先斗町の石畳の路地で食べる焼肉の食べ放題は・・・・・。
いくら先斗町の置屋跡を改装した京町屋であろうが京都ではないという事。

これが真の観光客を失墜せしめ京都観光自体を衰退させる。
やはり本物でないとね。

で、
私たち世代が訪ねるべき場所が京都街中でどんどんと少なくなってきている。
加えて更に、場所や物象だけで無く本心をぶつける相手となる人もだ。
だから、私は他所でそれら要求を満たし解消していると言っても過言ではない。

その解消場所の一つが神戸でもある。
人工物に溢れる場所でもあるが喧騒が無い港は静かに眺めているだけで
なぜか心が落ち着く。

帰れば居候猫が、ニャーと泣いた。猫が鳴くのは不変。
落ち葉を踏むのは、あと何度踏みしめる事ができようか?

日々、西の空を眺め、変わりいく天候に愕然と驚きながらも挑み続けてきたが、
その抱く儚き希望の実現を目指した行動に対して布団に潜り涙を呑む。

日本よ去らば!残り5年の気持ちが有るよ。

2012年11月17日 | 言わせてもらいます。
日本のエネルギーに関して、《今後どうする?》を国民が認識を持つ事が
必要だと思う。
このブログを読む皆さんも、経済産業省資源エネルギー庁から
下記文言の小さな紙片の案内を見たことがあるであろうかと思うが
いかがであろうか?
【2012年8月分の電気料金から再生可能エネルギー賦課金の
                     ご負担をお願いします。】
【再生可能エネルギーをみんなで育てる「育エネ」】
そのメリットとして、
1 資源の少ない日本のエネルギー自給率を高めます。
2 CO2の排出が少なく、温暖化対策にも役立ちます。
3 日本の未来を支える産業を育てることができます。
等と・・・・・・・・・。
でも、良く見てみると、再生可能エネルギーで発電する事業体から電気を
仕入れる電力会社の、その仕入れ支払いを買い手側の使用者が
負担する仕組みである。
商売では非常識極まりない事。
即ち、売り手が商品の仕入れの金を、買い手に払わせる。

絶句・・・・・・・・・。

じゃ~~~私が発電して電気を売ればどうなる?を考えてみた。
即回答が出た!太陽光発電パネルを設置すべきである。

次に日本中の家屋がある程度の電力を自家発電すればこの制度はどうなるか?
を考えた。この政策は成り立たない。
と、言うよりも
電力買取の相場が下がりその設備投資分の費用対効果が悪くなる。
国の考え実行する事は狂っているとこの頃感じることが大半である。

どうしてこうも頭の悪い立案ばかりが出てくるのか?

先日、官公庁に勤める知人と少し本音トークをした時に感じたことでもあるが
その知人曰くの内容から以下の事が聞こえてきた。
《世の常識は非常識で、世の非常識が常識》な事に
その知人は振り回されていて疲れる事が多い様子。
敢てそのお話の具体例をこの文面では話しはしないが・・・・。
お茶をしながらお聞きしてその内容にこれも絶句する事が数回。

日本人の特有の《事無かれ》なものではなく、
どうも、行動や立案に関して反対的立場を持つ行動や意見の方が
正等や真理であっても、その言を吐いた者は黙殺されその場からは退場を
余儀なくさせられる現状があるようだ。

即ち、今の日本の現状は先の大戦以前となんら変わっていない。

体制の稚拙な考えを実しやかに虚飾流布して民意を先導し、真理を黙殺する。
いや?違う部分がある。
欧米のアングロサクソンの黄色人種への偏見と差別と劣等民族であるという
意識の中での屈服を強要する行動から国民の生活財産を守る上での
突き詰めた考えた事での戦争へと向かう為の虚飾流布であったように思う所が
違うと思うがいかがなものであろうか?

以前からの私の人生計画として、早々にこの日本に見切りをつけて
死んでからも彼の地で日本人として居たいと考えている。

クレモンティーヌ / スーダラ節


この頃、その欲求が急激に高まりを見せている事を知らしておきたい。
残りは後5年。
その時には無一文でも実行する。
一部、身の回りの整理は早々にした。

でも、彼の地で孤独死だけは避けなければいけない等、不安もあるが???
フランス南東部の過疎の農村で北イタリアとの国境付近が良さそうに
思っている。

朝から雨が強く降る。クダラナイ事をつらつらと思い記してみた。