池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

いか刺し定食(じゃっぱ汁付き) 八戸の駅そば みちのく一人旅 

2012年02月26日 | おいしい事
先程までは仙台に居て、その仙台に昨秋に訪れた時のような感動も少なく、
日にちを開かずして早速、岩手~青森へと足を伸ばす事になった。

下写真の建物は岩手と青森の県境の町である安代である。
少し興味を引く街並みと建物が目に入ったので写真に納めてみた。
大きなお屋敷風でもなく、何かの作業場の跡であろうか?
な~~んも無い事を期待したので有るがここにもローソンがあった。



しかし雪国らしくその風情は関西人の私にとっては新鮮である。
何よりも東北弁が心地良い。
道を尋ねた郵便配達のおにーさんもそうであったし、トイレをお借りしてアイスを買った
先出のローソンのおかーさんパートの話す言葉が嬉しくてたまらなく思っていた。
仙台市内では標準語があふれているのであるが、少しはなれた東北道村田IC近くの
ファミリーマートの店長さんも東北訛りが心地よく聞こえた。
田舎の言葉として定着した印象の有る訛りであるが是非全国区で知られているわけで
一昔前から全国デビューを果たす事のできた関西語に速くなってもらいたくもする。



そんな岩手県安代から目標地点である60Kmほど離れた八戸を目指した。
八戸でも少しハヅレの陸奥市川駅で青い森鉄道の列車を待つ。
17半過ぎまで列車が無い。1時間に一本。
約1時間弱の待ち時間である。



横殴りの風に氷粒のような雪が強く体に吹き付けて来てたまったもんではない。
その表現をするなれば、冷た痛い。
そんな寒い駅の風情を見ているとどこか暖かい気持ちになってくるから
不思議なモンである。
雪に埋もれた無人駅のホームは私の脳裏にかの映画のワンシーンを思い浮かばせる。
なかなかにすばらしい自然のなす技の演出のあのシーンの光景を思い出させるのである。
高倉健さんのあの映画・・・・・・。  



青い森鉄道は、八戸へ向けて二両編成の電車である。
その陸奥市川からの乗客は私を含めて四人。静寂の車内は暖房が良く効き暖かい。
座る事ができない程度の乗客数を運び会話の無い静寂の中で
レールのジョイント音だけが車内に響き、
氷雪の窓の向こうは水滴で曇りうかがう事はできないでいたが吹雪の様相であった。
その殆どの乗客が、八戸駅で乗り換えか駅を出て帰り路を急いでいる。



私も八戸駅に降り立ち、同ホームの連絡待ちで停車していた、キハ40。
ディーゼル気動車の今では聞く事さえ珍しくなった、
カラ・カラ・カラ・・・・・という軽やかなディーゼルの音が懐かしく、
その列車の発車を見届けてたく思ってしばらくホームに佇んでいた。
で、発車!排気煙の白煙に混ざる青い色とその香りも懐かしい。

キハ40 八戸駅発車


列車が発車してホームに静寂が訪れると急に寒さと静寂が私を包み込み、
少しの怖さを含んだ孤独が心中を支配して、人との語らいの温かさが恋しくなり
ホームに佇む事を早々に、改札へと向かうことにした。



改札で、少し窓口の駅員さんと話をする。
どちらの方向の出口が賑わいが有るか?と質問する。
どちらも寂しいが右手の方が幾数件の商店が有るというのでそちらへ向かうことにする。
その改札を出てすぐ右手に《駅そば》発見!迷わず入店した。
東北美人の応対に心が嬉しい。片平なぎさ風の笑顔を投げかけられて
少し照れる自分が可笑しくて仕方が無い。
《いか天そば》
下記の写真のとおりそば汁は濃い色をしているが、辛くは無い。
奥行きが感じられて美味しい。
そばも茹で過ぎず、適度ののど越しを残すものであって私なりの評価は大変よろしい。
肝心のいか天はモンゴウイカかタルイカの切り身を揚げた物で
それなりの風味を残していて美味しい。



サラサラとそばを食し、駅前へ出てみる。
当然であるが吹雪。
駅中の土産物屋で名産のイカ干物を買う。
安い!



駅前を右にとって行くと地域物産を紹介する物産館がありその中で暖を取る事にした。
山車の展示。
春の彩が春をどこかで待ち遠しく感じる人の心情を表しているようでもあった。
1時間ほど、缶コーヒーを飲みながら全くの放心状態で居た。
ただうつろいに瞼を開けているだけの放心の状態で居た。
切ない感情に心中が支配されそうなので、とにかく吹雪であろうが
その賑やかと言われた方向をぐるりと徘徊してみる事にした。



で、
発見したのが中華そばの暖簾の下記の写真の通りのお店
迷わず入店。 




少ない品書きの店であったが、
引き寄せるメニューが有りすかさず注文する。
イカ刺身定食 900円。

山芋と青菜のオシタシ・イカ切り身のぬた・たっぷりの量の白くないイカのお造り・
白菜の松前漬・じゃっぱ汁・御飯
じゃっぱ汁は食すのは始めてである。
タラの切り身が入って塩味がなじんで野菜もたいそう美味しくいただける汁物であった。
当然、イカもぷりぷり。
本来は生のタラを入れるのであるが、半夜干しのタラを入れて作ると味がまろやかで
旨味が増すのでこの店ではそうしていると店主のこだわりを聞くことができた。



疲れた体と心中を癒すのは、やはり郷土ならではの食事である事に気付く事のできた
吹雪の八戸であった。
東北はすばらしい!

「雪国」 吉幾三

南国土佐の冬景色

2012年02月20日 | こだわり
先日以来、寒い日が続くが高知へ向かうことにした。
少しは寒さがましであろうと考えていたのであるが・・・・・・・。
天気予報では高知も寒い日が続いているようである。
京都から陸路で自動車を利用するのであれば、
明石海峡大橋~淡路島~鳴門大橋~徳島藍住~徳島板野~阿波池田~高知という
道のりが近くて速いので有るが、今回は経費を極端に節減する為に
岡山県の玉野宇野港から香川県高松までを、フェリーを利用する事にした。
で、
岡山県宇野港。午前0時過ぎに到着。
乗船手続きを済ませて車を順序良く乗船待機の為に駐車する。



来た船がその開口部から四国の風と共に車を下船し始めた。
どこか背を丸めた四国からの荷物を積んだ大型車が続々と船から吐き出されてくる。
大型車が桟橋の渡し板の上を通過するたびに重みで船が上下するのであるが
黙々としたうつむいた船と貨物車の別れは華やいだ事の無いその光景が、どこか淋しい。



乗船を終了して、しばらくすると出港した。
これから1時間高松までの船旅である。
真夜中の船の誰もいない客室のテレビの音量が客室の雰囲気に不釣合いに大きくて、
少しの仮眠をと考えていたので有るができないと諦めて展望デッキに出てみた。
風が強い。遠くに工業地帯のコンビナートの灯りが見えてはいるが、
上手く写せるかどうかは分からないがデジカメを夜景の設定にして数枚撮ってみる。

う~~~~ん、イマイチ。で、ファンネルマークの写真。



高松に着いたのが午前1時過ぎ。国道32号線をひたすら追い続けて
琴平から阿波池田を目指す。
霧が深い。
阿波池田からは国道32号線は谷間を高知へと一気に南下する。

眠い。ただひたすらに眠い。勇気を出して大歩危で寝る。
寝ている途中でハッと驚いて目が覚める。冷汗かいている。
居眠り運転を続けている状況で寝入ったのであるが、
停車しているのも関わらず運転していると錯覚を起こして
ドキッとして目が覚めるのである。しかし、停車している事に安堵し寝入る。
これは脳内はまだ運転モードのままなのであろう。
すぐに寝入ってしまい起きれば午前7時前。
車中の中、窮屈な姿勢でも熟睡してしまえる今日この頃である。

高知での用件を済まし、ここからは少しの観光。
先ずは以前から気になっていた土佐電鉄の路面電車に乗って高知駅へと移動した。



ぐぉ~~ん、ぐぉ~~~ん、ぐぉ~~~ん、と加速する音。
左右の揺れ、トントントントントン・・・・・・・空気圧縮機の音も懐かしい。



床は木製で、どこかで見た料金箱。
昔の京都市バスのものであろうか?
はたまた同色?

高知駅へしばらくの乗車で到着。
どうもこの土佐電鉄には乗り方が有るらしくその説明文が下記の写真。
乗客にあれこれと指導を行っている。



土佐といえばこの三人。
もう私は少し飽き飽きとしている三人である。
これしか観光の売り物は無いのであろうか?
ヨサコイ踊りを披露している野外ステージもあったが・・・・・・。
観客も淋しくもう一つ盛り上がりにかけている。



高知駅は近代的な駅舎であるが人は少ない。

四国高速フェリーの中で買った甘酒を飲む。甘すぎる。
甘酒は本来の麹の酵母発酵の甘さが上品で無くてはならないし、
私は夏場の冷えたものを良く飲む。
天然アミノ酸が豊富なはずで、私はスポーツドリンクよりもこちらの方を好む。
しかし、甘味のバランスを崩す加糖はあまり良くないように思う。



いまひとつ発見と大きな感動をもたらしてくれなかった土佐であった。

暖流 石川さゆり

富山で雪の二日間 かわいいゴム長靴の件

2012年02月12日 | 旅先の事
先回のブログの続編とでもいえるのであるが、富山に翌朝の早くに到着した。
雪は止んだものの、雪は多くてその中で見えた少しの青空も心細く、
雪を溶かす日差しもそう強くはない富山の空であった。



用件を済まし解き放たれた気分で富山駅へと向かった。
少し以前から興味を持っていた名物の立山そばを食す為だ。
《駅そば》については以前にも姫路の駅そばをこのブログで記載したのであるが、
その駅で折々の季節風情を感じながら食べるのも有りだ!と感じていて、
格好の雪と寒さの中で駅そばの温かさを寒風吹きすさぶプラットホームで
感じて見たいと思っていた。
で、
富山駅到着。



しかし先ほどの空ではなく、又激しく雪が降ってきた。
線路の高さを越えようとする雪の降り方は京都で感じる大雪とは
全く違う勢いが有る。
現に、向かい側のホームの富山駅の掲示板が曰く(雪のすだれ)で
見難くも有る現状に少し驚きをもった。


早速、3番線の大阪方面へ向かう列車の発車するホームでその店を発見し
吸い込まれ様に向かう。
食券を買う。
たま天そばの大、稲荷寿司三個。
・・・・・・・・・・・?
稲荷寿司は売り切れ為、お結びにした。



寒いホームでの立ち食いそば。
風が強く時折雪が足元に舞う雪国の駅ホームでの駅そばをすするその味は
茹でがきつくて柔らかくボソボソのそばであろうが寒いのでその暖かさが大変に嬉しい。
立山のロゴ入りかまぼこの薄切りがなかせる演出とでもいえようか?



2日目、どうしても、売り切れだといわれた稲荷寿司が食べたくて、また富山駅へ向かう。
で、
立山そばを食す事にしたが今度は駅舎内に有る同様の店で着席をしての賞味である。
なぜか味か異なるように感じる。
何か物足りない??
提供される時に配膳窓口でおばちゃんが指を出汁に漬けていたので有るがそれではなくて、
んんんん・・・・・・。
寒さと時間が無いという焦りが足りない。



富山駅の立山そばは、蒸気の煙と板張り客車の冬の寒い鉄路の長旅で
疲れた人々の顔の面影と、遠い昭和の昔の味と風情が有る逸品だった。


風の盆恋歌 石川さゆり


私が好む強いひたむきな女性の表情と隠れた薄幸の香りが漂う雰囲気の表情が、
この動画に有るので、石川さゆりが歌う《風の盆恋歌》をアップしてみた。

富山の雪の街を歩いてみて若い女性の足元が気になった。
殆どの女性がゴム長か、ビニールレザーの防水性の高い靴をお召しになっている。
それがかわいい。
足元ばかりを写真に納めようとしたのであるが・・・・・・・。
私の歩く風体はいかにも変質者風であり・・・・・・。
潔くあきらめる事にした。

京都や雪の少ない地域ではあのようなカラフルでデザイン性に優れた
ゴム長靴を見ることは無い。
ゴム長靴全体が透明の素材でできていて、その中にビー玉のようなカラフルな
球状の物が散りばめられている物があった。
これなどは履く靴下の色で雰囲気はすごく変わるんだと。
ニヤケテシマウ私は・・・?

越前の強風と霙(みぞれ)

2012年02月11日 | 好きな日常
富山に向かう事にした。
気象条件は最悪で雪を覚悟の出発である。

滋賀県の安曇川を越える辺りから家々の屋根には雪があり
今津の街中では、30センチは積雪が有るように思えた。
その今津で先日買い換えたばかりのスマートフォンの充電器を忘れたので
家電店へ入って購入した。
こりゃ~たまらん。店前の雪は50センチは越えている。

滋賀県と福井県境の国境峠の国道161号線は峠のピーク付近で除雪された雪の壁は
2メートルを越えていた。融雪装置のスプリンクラーから出る水は雪の壁によって
その行き場を失って道路を傾斜方向へまるで遊園地の急流すべりの水流のごとく
道路を川のごとくに変化させていた。
その水流の中を雪の塊がどんどん流れている。
踏むたびにけっこうな衝撃が有るものだ。

で、
疋田(ひきた)の国道8号線合流から先は凍結路。
用があり敦賀市内へ向かうが・・・・・・・・。
強風と横殴りの霙(みぞれ)である。

経験有る方も多いと思うが《仁丹》のような氷の粒が、
ザ~~~~ッと一気に降る。
そして短時間で一気に路面を白くしていく。

先を急がなければ絶対に激しい雪になる。と予測した。

先を急ぐ事しばし・・・・・・・。

越前岬近辺の海沿いの高い崖上を縫うようにして国道8号線を
福井~金沢~富山に向けての急ぎ旅である。
昔、越前岬の灯台を雪が残る道を登って見に行った事が有る。
水仙がたまらなくけなげであり群生しているのを見ていると
逞しい生き方と生命力というものを感じたことが有る。
そこからの若狭湾の向こうに有る丹後半島の遠景は絶景であった。
そんな事を思い出したり、国道8号線での難所は富山を抜けて、
親不知ノアの沿岸も厳しい断崖の上の道だなぁ~などと考えていた。
この区間は自然と速度が落ちる。
大型車が曲がったトンネルの入り口で離合できない可能性の有る場所も有るし
実際にミラ-を対向車と引っ掛けたり、荷台の屋根をを擦るなんていうのは
どうも日常茶飯事だとも聞いた。

明日はどうしようと考えている暇も無く久々の雪中の神経すり減らす運転。
これはこれで何もかもを忘れて集中できる楽しさがたまらなく好きな時間でもある。

伍代夏子 雪中花


山中温泉取り付けに有る8番ラーメンの本店で夕食にしようと思ったが、
雪が追っかけてくるのを恐れてまだ先へ進むことにする。
で、
金沢手前の小松で夕食にする。かねてから食べてみたいと思っていた
ミックスグリルを迷わず発注。
ここで少しドラマが有るのだがその内容については
又後日記載を考えよう。

金沢から小矢部川への倶梨伽羅峠で遂に雪に追いつかれてしまった。
どんどんと雪が降る。
一瞬にして目前進もうとする道は白銀へと変わっていく。
ここで決断をした。目的地への到着を急げばたぶんこの雪に追いつかれないのではないか?
車中泊をするこの日の夜は明け方に起りうる難渋をできるだけ目的地に近い場所で
対応をしたいと考えシャーベット上の国道8号をすっ飛ばして富山市内に到着した。
まるで、WRCのモンテカルロを走るような・・・・・・。
その華麗なる車の扱いとテクニックは言えません。

目的地に到着してしばらくして、先ほどの雪が追いついてきた。
既に富山市内は雪氷の世界であったが・・・・・・。
激しくその上をこれでもかと襲い掛かっている様であった。

21世紀の自分は何をしているだろう?と、思っていた頃

2012年02月05日 | 昔の事
先日、京都から遠く離れた凍てつく場所で滑って転んで背中と尻と後頭部を強打した。
痛いとか言う時限ではない。危うく気を失いかけた。
脳が揺れたのだろうと思う。

おかげで、右ひざを少し痛めて、背中は痛いし何よりも首周りの痛みが取れないで居る。
今、現在は、少し良くなったのであるが、
まだ頭痛が少し残っているしどこかフワフワした歩行感覚が有る。
昔、二輪車で遊んでいた頃の強烈な転倒を期した時の翌日と翌々日の
後遺の感覚が蘇っている。
言葉をしゃべれるだけが違う点だ。あの時は言葉がしゃべれなくなったし
食べ物を噛む事ができなくなった。

小学生の頃、今回と同じように頭部を強打した事が有る。
滑り台。
階段に登り、座って普通に滑るのではない。
私は自転車をスタート地点に担ぎ上げて、
そこからスタートしてみようと企ててみたのである。
その加速度は経験できない程の感動が有るはずという創造からの企てであった。

当然、転倒。というよりも落下が表現が等しい。
今もその時の傷が左足首上の内側に残っている。

そんな事をしていた当時、1970年前後
世間では来る21世紀を考えてとかの企業キャッチコーピーがあふれた時期があった。
家電メーカーでは明るい未来を創造する!とか、21世紀に向けた創造企業とか・・・・・。

私自身が2001年はどんなになっているだろうと想像もした事が有った。
中年のオヤジでどこかの企業に勤めていて嫁さんと子供が居るはづ。
嫁さんは誰?子供はドンナン?金持ちか貧乏か?
これぐらい考えるのが精一杯でただ中年の親父になっていることが
不満で仕方が無かった事が思い出される。

小学校低学年の頃、カーレーサー
小学校高学年の頃少し現実を帯びてきて建築士になりたかった。
で、現在・・・・・・・・・。

言葉が出てこない。未だに道を見つけれれていなくて
人生の放浪癖の治らない自分がここに居る。

中学生の頃、恋といえるのかどうかは分からないが初めて異性を好きになった。
Sさんが好きで好きでたまらなかった。
しかし、中学生の私はその意思を表現をすることもできず、
変に強がっていてその気持ちを悪友たちに知られる事が嫌で仕方なく隠し通していた。
彼女の前ではただ、赤面して黙ってうつむいているだけであった。
今頃になって、彼女はどうしているのかな~?なんて考える時も有る。

ザ・ピーナッツ 大阪の女(歌詞付)


昨日、トランペットを吹く機会があった。35年ぶり。
中学の3年間はこの楽器に熱中した。音が出るかどうかは分からないが先ずは吹いてみた。
音が出た。簡単に音が出た。
その音色を聞いていた方より喝采を受けて少し気を良くもした。
音程が上手に取れないのでこれはご愛嬌という事で勘弁してもらったが
すぐに感覚というものは戻るものであろうか?

今日は楽器屋を覗きに大阪へ行ってみよう。

心斎橋のミキ楽器か?国際楽器?

思いつく店名も懐かしい。

寒い日の過ぎた暖かな日差しの有る春の来る足音の聞こえる今日は、
オヤジ化を阻止するのに必死の心理が,
相変わらずの気ままな行動を後押ししている。