池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

強敵バイク虫の出現・お札の原料収穫

2012年06月26日 | バイクの有る生活
この頃、二輪車の楽しさが懐かしく思うときが多くなってきている。
先日、とあるSNSで古い友人と再会を果たしてからその取り巻き人間が
これまた個性的な方々で私は絶対のその個性に紛れてなるものかと
少し距離を置いているつもりであったのであるが・・・・。
んんん~~~・・・・・。

バイクが欲しい。

あえない最期を遂げた愛しのマッハ号の代わりの次期戦闘機(イタリア機)の
選定も着々と進んでセールスも来ている状態では
バイクを購入する余裕も生まれてこないのが今の状態である。



仕事で使用する荷役用トラックも必要だし、これは既に見積書が届いている。

スポーツカー並みに走るトラックが有れば一石二鳥。
そんなの有るわけが無い。
いやいや、昔は有った、DATSUNサニートラック(A12エンジン最強だ。)

そんなこんなで少し昔の写真を引っ張り出してみた。
イヤー若いね。
こんな乗り方できるはずはなく今じゃ絶対無理だなぁ。



そんなこんなで、昔のウエアを引っ張り出してみた。
何とか着れそうだ。

そんなこんなで、昔のブーツとヘルメット・・・・・。

思い出にふける自分がおかしくて仕方が無い。

山ん中をパタパタ走るバイクの購入を先ずは目標にしてみよう。
これなら今住む場所は最良の条件が整っている。
いたる所に未開拓の山道が有る又その情報も得やすい。
私の畑の周りでも、けっこう山仕事の人々がその山道を入っていく。
鹿を担いで降りてくる方もあった。
その道の行く着く先を尋ねると《へぇ~~~~》と思うところに出る事も
分かっている。
もし、山ん中でトラブっても大丈夫。
レスキューを依頼できる知り合いもたくさんできている。

私の家の前の山すその紅茶畑を通り抜けてその尾根に出ると広い古道が有る。
ここから先は秘密だ。歴史的にすごく重要な道であったらしく、
山ん中のその道の脇にはいたる所に砦の跡であったと言われている
石組みが残っているようだ。
また、山城であった周山城を建設する時には、周山の町側からの資材の運び上げが
難渋したので城の裏側から尾根を越えてこの道を作って
資材の運搬の用途としたらしい。
だから、裏側の防備の為屈強な砦が有ったようである。
正面からは足元前は桂川の大きな屈曲を下に見ることができる山城だったようだ。



先日、私にモタードに出ろ!というお誘いもあった。
「池さん、所詮アマチュアレースだからゆっくり走って楽しんだらいいし
エントリーしたら?」と、お誘いを言う方が地元にいる。
レースでゆっくり走るという事が私は考えられない。

まあ、しばらくするとこの熱も冷める。
又、次の必要なものにお札が大量に飛んでいくからだ。

今日はそのお札原料の収穫をした。
大被害にあった壬生菜を収穫をした。
早速洗浄し製品化する為にパッケージをして冷蔵庫で予冷をかけている
今晩の夕飯はこの壬生菜サラダで試食をかねてみた。
シャキシャキ歯ごたえが良く絶対にお奨めできる。



次の雨の日、大先輩のマックK氏に届けることにしよう!

感じる事だが、トライアンフのトリプルのどの機種にも言える事だが、
その機種に乗る女子には美人が多いように思う。
なぜだろうか?
先日も行きつけのCVファミマの前でレーサー然とした二日前に納車されたばかりの
トリプル白の乗っていた女子は
美しかったし、ホンダのレプリカからの乗り換えであった。
又、本日、地元商工会の事務所前に停めて電話をしていた妙齢女子も美しい方であった。
この女子のバイクの色は今までに無い色と感じた。
ライムグリーンのメタリック。大阪ナンバー!
私の後輩、トライアンフ雅也に聞いてみようか?

しかし名前がイマイチだな~。
昔のオッサン連中は、トライアンプなどというオヤジがいるし、
トラ慰安婦とも聞こえる。

私も乗ってみたいし少しでもオチカズ(ヅ)キができればと考えているが・・・・。

先?立つ元気は現役でも、先立つ財布の中身が無いが悲しい。
この意味の深さは世のお父さんライダー諸君はお分かりか?

やっぱり私はアホですな。

久々に、いつもの林道走行をする。しかし・・・・・。

2008年03月15日 | バイクの有る生活
天気良く、暖かい日差しの中を久々に山中をバイクで走ってみたく思い、
準備万端整えて、雲ヶ畑中津川出合から、中津川沿いに遡ってみた。
市中の気温とは雲ヶ畑地域はやはり少し空気が寒く感じられる。

で、松尾谷の林道入り口でいつもと違う光景を目にする。
谷を流れ落ちる水量の多さに驚いた。



雪解けの水が一気に気温が上がったので多く流れている。

我が職場前の加茂川の水量も、ここ、二・三日のうちに水量が増しているとは
感じてはいたが、上流域のいたるところで、
雪解けによる早春の流れが生まれていることに興味を持った。



直谷山荘までは雪も少なく雪解け水の流れる林道を足元をしっかりと濡らし、
気分良く走ることができたのであるが、
麗杉荘までは雪深くて私の技量と単独行では危険と判断し、
たどり着くことができない。



仕方なく、直谷山荘から100mほどのところで雪と格闘することを避けて、
引き返し、松尾谷から魚谷峠を目指すこととした。





しかし、直ぐに雪に行く手を阻まれて引き返す。
んんんん・・・・・・。
まだ、季節は早いのかもしれないと思いつつも、
次なる谷間へと向かう。祖父谷はどうだろうか?

雲ヶ畑岩屋橋から洛雲荘前の自販機で無糖缶コーヒをいつものように購入して
祖父谷方面へ向かう。

しばらくして、雪が残る轍路面に前後輪が方向性を失い、バランス崩れ、
転倒!!!!!!ドヒャーーーと解けかけた雪氷路面を滑走して
体は左半身泥だらけになり、安物の合羽は破れ、ひどい有様になってしまった。



怪我はなく、バイクも走行できる状態である。これ幸い。

ここで気力薄れ帰路に着く。


冬らしい天候が続き、バイク乗るのを躊躇するが・・・・・?

2008年02月14日 | バイクの有る生活
二月に入り節分を過ぎた頃から、今までの暖冬傾向から例年とおり、
冬が出していなかった寒さを放出しているのであろうか、
厳しい寒さが続いている。
日中から雪が降り続く事もあり、二月十三日(水曜日)の寒さは、
ここ数年の間では、久々の寒さの到来であったように思う。

で、そんな寒さではあるが、
雪の降る中、京都市中を走ってみた。
さすがに、この寒さでは街中はバイクの数がめっぽう少ない。
と、ふと考えてみると走行自体が危ないのではないかと、
走り出してから考えてしまった。



(我が職場から南方向を見ると、雪が止む気配など無く、
 北からの強い風にまかれた湿度の高い雪がどんどんと降り積もる。
 しかしながら、北から南へ市内に向かう車は、チェーン装着車が多いが
 市内から北上して我が職場前を通過する車は雪装備の足元ではないことを
 考えると、さしずめ御園橋から南は路面状況は雪はないと予測して出発する。)

行く先は、上京税務署。

堀川中立売から東へ向かい、新町通りを北上し新町一条西入るである。

で、やはり充分に冬のライディングに備えた装備をしているのであるが
ツメターーーーーイ!

指ワイパーでゴーグルの雪を払いながら、がんがんと走る。
堀川北大路まで吹雪。少し小止みにはなったが、
税務署近辺の街路は雪だらけだ。

しかし不思議だ、あまり滑らないな。
雪の中、車をすり抜け、追い抜き結構なハイペースで直ぐに到着。

べたべたの雪で体についた雪を払っても引っ付き離れない。

直ぐに用件終了し、帰路に着く。

で、我が職場前にて私が転倒。バイクでこけずに、帰着して滑る。

笑ってしまい。汗をかく。



(我が職場前から北方向を望む。
 もはや500mほど先は雪で見ることはできない。
 本来ならこの場所から常に私が林道走行でよく入る北山の峰を望むことが
 できるのであるが・・・・・・・。)

ー懐かしい動画ー
寒いので、暖かい部屋でアナログセッティング時代の世界GPを
youtubeで見つけては懐かしんでいる。YAMAHAが輝いていた時代である。
1979のシルバーストーン500ccクラスは
バリーシーンとケニーロバーツとのバトルが最高にエキサイティングである。
現在のGPとは乗り方がまったく違うところにライダーとしての職人技を感じる。
すなわち、その乗り方は速いだけではなく華麗で優雅である。
私は彼らの台頭より少し前のヤーノ・サーリネンに憧れた時がある。
中学一年(1972)であった。高校に進学して鈴鹿レース観戦通いが始まり、
その思い出の中で、HONDAの隅谷選手のヘルメットデザインを真似たのか?
日の丸部分がてんとう虫印のライダーで、
雨の鈴鹿①コーナーからS字入り口までのライン取りと速さが
すばらしかった。

前記の職人ライダーと共通するところがあると思う。
彼は速く走るためのすべての操作が無理なくスムーズなのだ。
だから、悪条件で速い!しかし、優勝したのを見たことが無い?!
私の憧れの乗り方の手本の一人でもある。

Kenny Roberts Vs Barry Sheene Silverstone 1979


左京区静原界隈を林道探訪する。

2008年02月02日 | バイクの有る生活
【12月2日の記録を元に記す。】
近隣の地域で、あまり探訪できていない地域である左京区静市・静原の地域を
山間を徘徊してみようと思い出かけることにした。
マックK氏「岩倉村松から抜け道があるみたいだが、未だ未確認。」とのことで、
早速、仕事を片付けて出かけることにした。

で、例によって、山地図《京都北山》を広げみて見当をつける。
薬王坂から鞍馬に抜けられるか?
あの、コスモス畑と芋ほり会場のところから岩倉方面は?
東のはずれに西俣・東俣という北向きの谷筋の終点は?
とりあえず、締めくくりは江文峠の旧道を走ってみよう。
以上目的をもって出発する。



(静原のキャンプ場に至る途中、近隣では珍しい川の中の幅広い堰堤を
そのまま渡渉する道があり珍しく思い記念撮影をする。)

先ずは鞍馬へ抜けるであろう谷間を入ってみる。
すなわち、集落の開けるお宮さんの直ぐ先の分岐道を左方向集落方面へ入り、
直ぐの道を左へ北上することとする。
左に谷筋に沿いしばらくで薬王坂方面への東海自然歩道と交わるが、
そのまままっすぐ谷筋を入っていくと湿ったコケ道の林道が500mほどで
行き止まりとなる。変化少なく不法投棄の多い汚い山筋だ。

反対方向の老人養護施設横から畑の間を縫うように地道を行き
岩倉方面へ抜けられるか、以前他のブログで読んだ峠を見てみようと、
谷を南へ上る。
すると、コンクリートの簡易舗装道路が谷の東側に添って作られていて
その上りきったところが大きく西向きに開かれた墓地になる。
墓地のゴミ捨て場に対面する尾根道であろう入り口に
箕ノ裏ヶ岳・繁見峠方面への尾根筋への案内木片が有る。
それを左に見てかなりの急勾配で直線的にガレ場を下るように
岩倉への道はつけられているのではあるが、
私には下りられても上り帰る自信が無いので徒歩にて偵察する。
100m程の先、一つ目の屈曲に大きく倒木があり通行不能である。
もし下りていれば急坂の下りで折り返して方向を変えて上ること事は
難渋したに違いないと思い、選択が正しかったことに《ホッ》と安堵した。

次に・・・・

静原小学校手前の自動販売機の交差点を左に折れて、
養護施設の先から東股へ入る。
珍しい川の渡り方を経験する。

上記写真のとおり。

奥深い谷筋であるが何気なくすんなりと行き止まりまで到達できる道である。
次に西俣を入っていくのであるが、これも変化無く展望も開けるわけでもなく
滑りやすい溝を横切る鉄板の溝蓋が何箇所かあり、
変化無く何が楽しいのか分からない道である。
途中、軽トラックと対向したが、冒険というには物足りない道である。
しかし両方の谷とも、手入れがされておらず不法投棄が多いことに驚く。

とくに、野菜くずの腐敗臭が漂う場所がある。
多分であるが、
すぐき漬の加工時の屑を地権者である生産者が投棄しているようだが・・・・?

どちらにしても、もうこの谷には来る気は無くなってしまった。

ー後日談を記すー
京都産業大学職員のH氏によると前記の東俣の谷筋道を獣道に変わっても
上り詰めると大原寂光院からの道と合流し大原へ向かうことができるそうである。
しかしながら、不法投棄は谷奥まで見受けられて、
数箇所、オフロードバイクが道からはづれて転落して回収できず、
廃棄されている場所があると聞いた。

汗噴出し、雪の直谷林道を遡る。

2008年01月19日 | バイクの有る生活


雪のないときの麗杉荘の風景は下記のURLをクリックすると表示されます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/55/44f6f7077a36d92b75bab3b3515a604a.jpg

気にはなっていたのであるが、
体重の重たい私には、路面のギャップで後輪が跳ね上げられたとき
ガンッとリアサスペンションが音を上げる事が此の頃多く感じられる。
全体的に走行の速度ペースが速くなってきているからだと思うのであるが、
すこし、リアサスペンションのスプリング長を縮めてみて、
路面に対して少し反力を持たせてみることにした。

セッティングの基準となる計測位置を定める。
リアアクスルシャフトの中心にポンチで打刻。
シートレールの見やすい場所にポンチで打刻。
現在のセットで乗車姿勢をとり沈み込み量をメジャーで測り基準とする。
沈み込み量多いーーーーーっ!

ロックナットを緩め、ゴリゴリとスプリングを縮め方向へ
アジャストナットを回してみる。

10ミリ弱ほど縮めてみた。

沈み込み量は80mmまで減少する。
またがっても、以前ほど車体が沈み込まない。
こんなもんだろうと感に頼りセッティング終了。
ダンパーのアジャスティングは次回乗り味に慣れてから考えることにした。

と、なると試走にいきたいものである。

で、走りに行くことにする。

雪あるであろうと予測の上、合羽を着て出発する。

乗車感はすこぶる良い。
右左への倒しこむ切り返しも軽く感じられるし、
何より嫌なクネクネ・ブワブワ感が無くなった。
これでスプリング伸び側が追従していれば問題ない。



夜鳴峠取り付けから栗夜叉谷を突き当りまでを往復し、
格段に乗りやすくなっていて感触良しとする。
次に、大岩の先から長谷へ入り少しがんばって走ってみる
雪解け水が多く流れていて走りにくいが自分なりのハイペースで走ってみる
短い谷瀬を渡るコンクリート橋は凍結でツルツル!!!!!!!
おぉーーーーーーーっと気合で渡りきる場所や止まると難渋すると思う箇所多く、
方向性を失う轍溝を乗り越える事多数回。
マックK氏のパンク地点の簡易舗装路箇所では氷結鏡面状態である。
そこから先はバイクでの進入はこの路面状況では
遭難の危険が有るので、500mほどの上り坂を断念して引き返す。
すでに、バイク上の私はバイクの方向性を保つための体重移動と操作で
汗だくである。
この寒い冬空の下で汗をかく。
止まれば体温でゴーグルが曇る。マグロのごとく動き続けることとなる。
下り坂では、自己満足のスピードが出ていると思うが、
重力が加担してあまり後輪が滑り出すようなことがない安心感があるが
少しでも、フロントブレーキが強いとロックする。
でも、転ばない。
ロック時に一度すばやく放し、かけ直すテクニックができるように最近なった。
大いに今後役立つと思う。



で、いつもの走りなれた私の好きな静かな趣の有る谷間へ入る。
中津川出合いから、松尾谷の魚谷峠上り口を過ぎ、直谷へ・・・・。

一面の雪道である。

行けるところまで行く。

で最上段の画像のとおり、麗杉荘まで到達した。
あと、林道終点まで500mほどを残して遭難の可能性ありと思い引き返す。

体中雪解け水の撥ね上げでドロドロになり、
汗だくになり肩で息をしてしまっている自分に笑っている。

雪の上に小水で文字を書くつもりで円を大きく書いたが、
あまりにも赤黄色いのでまた血尿でも出ているのか?と、びっくりした。

おとなしく転倒無きように帰社し少しだけ仕事をする。

京都産業大学職員のHさんが来店し、
センター試験の話とマウンテンバイクでの林道走行話をし楽しく談笑・・・・。

ー変人的評価ー
直谷の趣は、いつ来てもすばらしいと思う度。
              100%
しかしながら、誰でもが入れるがゆえに投棄物も多いように思えてならない。
古くこの地に山小屋を設営し、この地を中心にして新しい登山の形態を
確立した先人の偉業に対してそのフィールド汚す行為は
断じて許すべきでないと考える。

ー本日の名言ー
うひょーーーーーーーーー・・タッタッタッタッ・・・・
バンとキテ、バンとキテ、バーーーーーーン・・・・ビョーーーン・・・

スプリングの動き方を言葉にした感じです。




いつも閉まっているゲートが開いていたので、惣谷を上る。

2008年01月17日 | バイクの有る生活
【11月17日の記録を元に記す】
何度か通過するたびに、閉まっている惣谷の林道ゲートが開いていた。
すかさず、進入することにする。
魚谷峠のいつもの分岐点へ上がれるはずなので
もし、閉められても何とかなるはずと決心し進入した。



〔雲ヶ畑の惣谷の入り口である。
 強固なゲートがいつも閉まっているのであるが、この日は開いていた。〕

まっすぐに、谷の流れを左に見て簡易コンクリート舗装の急坂を上っていくと
そのうちに整備されたダートとなりはじめた。
登り坂の登坂角度がやや緩やかになると、少し道が狭くなり
深い落ち葉のじゅうたんを踏みしめて走行することになった。

で、山の斜面がいつの間にか右側から左側に開ける。
ということは、尾根の左側をうねうねと走行していることになる。
道は狭くなったり、広くなったり、右左に曲がりアップダウンを繰り返す
いかにも尾根に沿った道という感じがする明るく軽快な道で走りやすい。

数本の左から上がりくる林道もあるが今回は見過ごすことにする。
一気に探訪してしまうと、魚谷峠界隈はほとんど理解を完了するのであるが、
来春の探訪課題として残しておくことにした。

しばらくで、木材伐採の為にロープウエイの上部基部でもあったのであろうか?
少しの広場があり足元深い谷の斜面を見下して
どーーーんと左側の視界が開け、対面する峰の美しさに感激する。



下記URLをクリックすると岩茸山・桟敷ヶ岳の画像が拡大されます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/03/8b48255f5433bc778cb6182235f5449b.jpg

〔拡大画像内で説明をするが、
 画像中央より左に見える尾根筋に突き出した巨大な板は電波反射板である。
 そこが岩茸山である。
 高いほうに位置するの高圧線鉄塔と右の低いほうに位置する高圧線鉄塔の間が
 祖父谷である。
 高いほうに位置する鉄塔の下は広場になっているらしく尾根を歩いて
 一番高い丸い頂の桟敷ヶ岳への尾根歩きのハイキング道であるようだ。〕

画像内に自然物では無くその景観に邪魔になるものなのであるが、
この高圧線は栗尾峠の開閉所から大森の谷を一跨ぎし、
祖父谷・魚谷を越え、花背峠の南側から天ヶ岳の直ぐ北を
大原パブリツクコース北側から滋賀県へ山を越え南下する。

鉄塔と高圧線の進展方向を知っておくことは地図と照らし合わせて
現在の大体の位置を知るのに有効であると常に考えている。

で、やはりというか当たり前というか、
いつもの魚谷峠の林道の交点に至った。
このまま、松尾谷を下るか、魚谷へ向かうかしばしペットボトルのお茶で
「ホッと・・・・・・。」
休憩と思案する。
結果、急にいやになり帰社することにする。



ー変人的評価ー
日照時間が短くなったので速く帰ろうというさびしい気持ち度合い
さびしくない  10% 感傷に浸る余裕ある度 10%
なぜかアリス(古いか?)の秋止符に涙する度 20%
残りの60%は、このままの仕事とぐうたらええ加減バイク三昧生活の
バランスで所帯は大丈夫であろうかという不安な気持ち。

ー本日の名言ー
私の日々仕事中聞いている民放ラジオ放送で、
好きな番組《MBS こんちわ!近(こん)ちゃん》。
昔、日曜日の朝KBS京都で仁鶴さんがしていたナツメロ番組も好きでした。

〔会いに来ましたお父さん〕すばらしい!!!

魚谷峠で誰もいないことをいいことに大声で歌う。

かぁーーーさんつくった~ひのまーーーーるべんとうっーー
ひとり~たぁ~べたぁ~べきしゃぁ~のぉ~たぁ~びぃ~
ゆぅめぃにーーみぃてぇいぃたぁ~~~
とぉきょぉのまぁーーちぃをぉ~
ちぃ~ずをたぁーよぉりぃに~くぅだぁんんn・・まぁでぇ~え~~~~ぇ
あいぃにぃ~~~きぃまぁしいぃたぁ~あー
おぉとぅううううさぁーーーーーん~んっ~

なぜか悲しくなり泣いてしまう。


仕事中に寄り道する。二ノ瀬の富士神社からはダメだ!

2008年01月14日 | バイクの有る生活
【11月15日の記録を元に記す】
貴船への商品配達の帰りに以前から地図上で気になっていた、
叡山電車・ニノ瀬駅から地形図上の点線道を配達帰りに探訪してみようと思い
商品配達をすばやく済ませ、帰社まで1時間のタイムリミット付きで
探索することにした。



以前その道を使い、貴船山を目指す途中から樋の水峠の分岐を経て
滝谷峠へ乗り越えて谷筋を水に浸かりながら下り、
奥貴船へ向かった事がある。このときは徒歩である。

その道が、どうだったのか?行ってみようと思い出かけることにした。

で、数回の折り返しの坂を上りきり、広場に出て終点とした。

ここはハイカーの為だけの道の様相が強くなってきて、
感じであるが、二輪は進入すべきでない空気が満ち溢れているのを感じる。
しかし、四輪車タイヤの轍らしいものも見えないし、
進入禁止の表示も見えない。

時間も短いことなので、記憶ある場所の大岩分岐の広場から
引き返すことにした。


〔上記表示は、谷筋と尾根筋の三本の道はここに集まり一本になって
 滝谷峠方面へと通じる。
 大岩とあるのは栗夜叉谷方面でマックK氏と一番最初に行った
 東海自然歩道の夜鳴峠への分岐のあるあの谷間へと通じている。
 夜鳴峠とあるのは南へ尾根筋を歩き夜鳴峠から西へ下れば栗夜叉谷を経て
 大岩へ、東へ下れば二ノ瀬の富士神社横に至る。
 その夜鳴峠を更に尾根筋に南行すると向山へ至ると聞いたことがある。
 すなわち、左京区市原へ至る道である。〕



〔帰りの写真であるが、画像中央から右斜め上方向へ木の根が露出した道が
 夜鳴峠への道である。この広場から画像左下方向へ下ると、
 もと来た道になり富士神社の横に出る。〕

下りきり富士神社の横の踏み切りで少し休憩する。
右からと左からに電車が目の前をゆっくりと通り過ぎて、
時間が過ぎる。
で、ヘルメット被り、後方を確認し、発車しようとすると・・・・・・。

んんんん・・・・・・・・・あちゃーーーーーーーー!

車両通行止めの標識。
すなわち、今行ったところは走れない。

ですから、二度と行きません。

ー変人的評価ー
貴船の紅葉灯篭について、年々その見頃が遅れているのは、
絶対に地球温暖化のせいだと断言して良い度。
                  70%

ー本日の名言ー
車両通行止めの標識を見落としてしまったことについて反省する。
しかし、分かりにくい場所に表示があるなーーー。
次回その見え方の見えにくい状況を報告します。

古道への思い深く、最高の景観を見る。

2008年01月13日 | バイクの有る生活
【11月14日の記録を元に記す】
京都市中どこへ行っても観光客がいるこの時期は、
紅葉を見に行くならば山奥に限ると思い、
先日時間無く、また、日没近いためゆっくりと散策でき無かった場所の
復習をかねて出かけることにした。


〔芹生峠を越え灰屋手前のここの紅葉は赤色の栄えがすばらしい!!!
      下記URLクリックですばらしい拡大画像が表示されます。〕
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/af/fa6453372e6f3fda0fe3c7c2f6363843.jpg

何度かこの木の前を通ったのであるが、いつも複数人で通っていたので
ゆっくりと立ち止まり見ることはなかった。
やはり予想していたととおりすばらしい紅色である。
葉も小さく細かく緻密に枝が詰まっていて、
一気に葉が別の花を咲かしたように見える。
また意図的に植えられているのだとは思うが、その前にある台杉の植栽も
後ろの紅葉と見事の対比がなされて美しく思う。

しばし見とれていると、
京都市街では感じられなかった冷たい風が吹いている。
この灰屋は、京北町から更に桂川を遡る事になる地で、
夏も涼しく、冬酷寒で雪の深い地である。
この近所に私の店の常連さんの陶芸師が工房を開いておられて
その気候の違いについてはよく知らせてくれている。
その気候の所以だとは断言できないが、
少なからずや関係を因果させるに納得できる真紅のかわいい手形の葉は
感動に値するものである。

灰屋口から国道477号を花背方面へ向かい、
花背のローカルガススタンドの横の自販機で飲み物を買い、
広河原手前から、久多へ抜け、針畑川を遡る事暫く、
おにゅう峠を目指すことにする。
が、途中で、そおおーーーーーだ!ぶなの原生林を見に行ってみよう!と、
寄り道計画変更である。
生杉の集落の係り始める日吉神社の古社を左にみて、先を標識どおりに左折、
広い谷間は直ぐに狭くなり、黄色の広葉樹の谷間へと変化し、
それは美しくてならない黄色の広葉樹のトンネルを通り過ぎて行く。
と、一気に人の気配があり、公衆トイレと少しの駐車場がある。
熊除けの鈴をつけた多くのハイカーさんたちが行列をなして、
対向してくる姿が異様に思った。当然、バイク乗りは私一人である。
この先、チェーンが張ってあり進入禁止の意味合いであると理解して、
引き返し、先ほどの日吉神社をまた針畑川を上流方向へ向かい
おにゅう峠へと向かった。


下記URLをクリックするとぶなの原生林の滋賀県の説明版を拡大表示します。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/73/648360f664062d62cf859e4f810ed3f4.jpg


下記URLをクリックすると、ぶな林の拡大画像となります。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ac/bfa3d89beab8cb934db774a9cb625e96.jpg

おにゅう峠の滋賀県側の入り口は迷うことなく道なりに見つけることができる。
先回は、福井県側からの乗り越えであったので、
今回とは道の表情もだいぶ違うと期待する。
で、帰路を急いだため見過ごすこととなっていた焼尾のお地蔵さんで休憩。
やはり期待していたとおりで、滋賀県側の峠登り道のほうが南側斜面が多く
明るくて景色も良いように思えた。しかしながら、
累々と続く京都北山の峰々と南方向左手に見る比良山系の一部については
その存在感と北側に見せる表情については京都市街や琵琶湖から見る
それぞれの姿とはまったく違うもんであることに気づいた。


〔上記写真は焼尾のお地蔵さんの画像である。
 ここから、福井県側にしばらく山の崩れた石転がる道を行くと
 尾根筋に道がつけられそれを上がりきり、峠の頂上すなわち県境へ到着する。
 そこに至るまで、路傍のいくつかの道標でこの新しく作られた林道が、
 古来からの道ここでは鯖街道を分断していることが分かる。
 このことは福井県側への下り道でも同様でその事実を確認できる。〕

推測の域でしかないが、古い時代の京都へ至る街道として
小浜から京都への道を鯖街道ということは広く知られているが
私は今足下にあるおにゅう越のこの道が、
元来の鯖街道であると断言してみたいものである。
今の国道や県・府道に並行する様に、
他に数本の若狭へ通じる道があったことが判明しているのであるが、
直線的に、小浜より谷を分け入り、いくつかの峠を越えると、
花折峠から途中越を経て大原から京都市中へ、
または、久多から大見を経て花背峠を下り鞍馬から京都市中へと
現在の朽木経由をそれとするものよりも道険しくとも、
最短の距離であると思えるからである。
わざわざ大きく迂回する上中から熊川・保坂を経て朽木へ至り、
花折・途中峠を越え、大原から京都市中へ至る道はいかにも
不自然に感じてしまう。後述の道は小浜からの物流よりも、
敦賀からの街道としては有益であったとは考えられるのであるが・・・・?
結構、根拠無く鯖街道はその道と確信されているしな・・・・・・?
ここら辺のところは、そのヒントたるものが山中で感じることを
期待してみたいと思うし、調査も折々してみたいと思う。



〔おにゅう峠へ至る道で南側を見渡させる所からの
南側(京都北山方面)山峰の景観〕

下方に見えるが尾根筋の林道を走行し撮影地点まで高度を上げてきた。
明るく乾いた林道は走りやすい。
先方へ続く道筋も尾根筋上の確認でき明るくさわやかである。
スカイラインを軽快に走行しているのである。
画像の下部の木の陰で見難いかもしれないが、そこに先ほど休憩した
焼尾のお地蔵さんの小屋組みが見える。

下記URLをクリックすると尾根の林道と京都北山の峰々が拡大表示されます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/3e/52eba4e5da92abdecd2bf71e816e88a3.jpg



おにゅう峠の乗り切り部は大きな広場になっていて、
滋賀県側・福井県側とも明るい休憩に最適の場所である。
次回はここで、粗末ながらでも弁当でも広げてみたいものである。
やはり、お地蔵さんの小屋組みがあり、峠越えの人々を見ている。
清浄な明るい雰囲気があるので、今のところごみの散乱や不法投棄は
見受けられないが、これが舗装道路に整備されてしまうと・・・・、
その周辺環境は大きく変わることになると簡単に推測できる。
すなわち、適度に人を寄せ付けない環境もある意味必要であろう。
日産マーチに乗る、おばさんドライバーとすれちがったが、
タイヤ切れず、オイルパン割らずに降り切れるであろうか?
何箇所かきつく段差クレバスあったが・・・・・。





上記画像内の道標によると、ナベクボ峠とあるのは《クチクボ峠》と
解釈してよいのであろうか?
地形図を広げ位置確認をするとこのおにゅう峠から南西方向に尾根を歩き
三国峠へ至ることになる。その先より深く山間を入り、京大研究林を経て、
芦生へ至るのだろう。
したがい、充分の装備と経験が必要なハイクコースであろう。
私の技量と体力ではまず縦走し、芦生から美山へは至れないと思う。
反対に、北東方向の尾根道は根来坂とある。
百里ヶ岳への登り道と滋賀県側へ下る鯖街道であるシチクレ峠から
百里新道を経て小入谷へと通じる。
すなわち、先ほどの上り始めたおにゅう林道の滋賀県側の入り口近辺へ
下る旧道である。途中、焼尾のお地蔵さんの横を通る。


〔福井県小浜側の景観である。先回は若狭湾まで見通せた。
     左側遠くに常神半島が見えたのであるが。本日は霞んで見えない。〕
おにゅう峠を下り、上根来の集落を通り過ぎ、すがすがしい鵜の瀬を過ぎ、
ここから少し距離があるように思うが、国道27号を目指す。
上中経由、国道303号熊川・保坂から国道367号朽木・花折・途中から
大原へ。そして日暮れてそこそこ、おにゅう峠のテッペンから二時間弱で
無事帰着する。
久々に、ソロ走りをした。充実する。

ー変人的評価ー
行きたいところへ一人で走るのもいいモンであるという充実感と達成感。
            100%

ー今日の名言ー
峠の道端で小水放水後、格納時くだらん事思い出しファスナー閉鎖に失敗する。
≪痛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!≫

≪痛ーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!≫×5
こだまが谷間に響く。一人局部の痛さ忘れ爆笑だ!

雲ヶ畑の岩屋不動さんの向こう側はどぅ?・・大森とちゃいますか?

2008年01月12日 | バイクの有る生活
【1月10日の記録を元に記す】
ブレーキの簡易的な整備が終わり、
ブレーキフリゥードが無ければ話にならんので、
とりあえず山道探索・探訪?少しでも時間空けばこの調子である。

で、以前から気になっていた、小野郷・大森界隈を探索してみる。

雲ヶ畑の岩屋橋の京都バスのバス停から左の谷間を遡り薬師峠を越えて
北区大森である。しかしこの道はバイクでは不可能と考え、
反対側の大森からを見に行こうと思い出発した。
《同所から右の祖父谷を遡ると祖父谷峠を越えて京北町井戸に至る。
 したがって、大森から京北・周山に行くには、
 もうひとつ尾根を越えることになる。茶呑峠であり大谷峠で尾根筋に下る。》

小野郷に幼馴染の母親の実家があり、10~12歳ごろ、
鮎の巻き網漁解禁日にあわせて、泊まりにお邪魔したことがあり、
探訪をしてみようと最近考えていた。
当時私は、大阪にいてその大阪の都会の子数人がこの山村に遊びに来るのだから
面白くて仕方が無かった。一日中、清滝川で遊びほうけていた。

「水谷の水は冷たい!!!!」この言葉が忘れられない。
小野郷小学校のところから清滝川から支流に入ると
飛び切りその水が冷たくて長く遊べなかった記憶がある。

その友人の母親は、先ごろ他界されたが、非常に懐かしい。


〔小野郷の学校前から水谷川に沿い林道が南西方向へ山へ分け入る、
 途中で林業作業場所があり、恐縮しながら通行させていただく。
 その先で二本に別れる。
 整備された植林地内の走行となるので、充分に木々への配慮が必要である。
 多台数で押し寄せる場所ではないことは確かだ!と、言うより行くな!!!!
 両方を探索したがどちらも急勾配でガレ坂で、アタック系?かもしれない。
 右方向は、地形図によると田尻廃村へ、
 左方向は朝日峰から松尾峠経由、愛宕さんである。〕

またその時期と前後して、私の叔母も大森に在住で、
大森の地元の子に連れられ遊んだあの堰堤はどうなっているか、
あの木馬道はどぅ・・?
養鶏場があって地鶏を放し飼いにしてたように記憶する。

《目前で潰した鶏を、食した思い出が鮮烈である。
 命というものを自然の中に学習できた貴重な思い出である。》

見極めをしたく思い、出かけることにした。


〔大森東町を越え、しばらく進むとダートともいえず、舗装路ともいえない道の後
 ダートとなる。コケ多く走りにくい。途中、枕木を渡した橋があり、
 高さはないのであるが、朽ちかけていて、車輪の通る場所を意識しなければ
 いけないしよく滑る。で、飯森山の登山道の取り付けでバイクは終点。〕



大森キャンプ場の手前で、薬師峠・雲ヶ畑の表示がありそちらへ向かう、
ダーーーーーッと登り切れそうな直線の急坂が続き、
上り坂途中で引き返す。

もう一丁!縁坂峠を目指す。ここも、ダーーーーーーッと登ると
倒木でおしまい。
途中、おじいさんが榊の束を作っていた。
このおじいさんの飼い犬であろうと思うが、犬が吠えて追っかけて来て、
この犬はうれしいのか?私を脅しているのか分からない犬であった。
そのおじいさんに縁坂峠経由、真弓への道はいつから通行困難に
なったのか聞く。
足元で、しつこく犬が吠えるので、おじいさんは手にした榊の束で
犬の頭ををはたいた、神通力が宿る榊の力は絶大で犬を黙らせた。

充実した、少年時期の思い出と新規探訪ができ満足感いっぱいで、
大森の谷間を後にした。

途中、わが師のレオナ・I氏に新年初の面談し、タイヤ選定のアドバイスもらう。
初歩的買い忘れのブレーキフリゥードを購入。
夕暮れの京都の町を帰社し少しだけ翌日準備の仕事をした。
しかし、この時間帯のミニバイク・自転車の通行マナー悪いなー。

ー変人的評価ー
最近見かける、山の自然を満喫しよう的リクレーション施設の
その近辺の自然とのマッチングの不自然度について
                100%
山村はありのままでよい。自然とのふれあいは施設利用だけでは語れない。
山奥に私はマクドのごみが有ると冷める。

ー今日の名言ー
大森の縁坂峠取り付けの榊を持つおじいちゃん曰く
「にいちゃん!これでいけるか?」
いつから道がこんなに荒れたのかを聞いた返事である。
犬に無言でこの後、榊で犬の頭を祓った。犬も頭をたれる。
よく考えると、神主さんがお払いするとき自然と頭が下がることに気付いた。
そうすると教えてもらった事、無いでしょ。

フロントブレーキの効き方を改善!原因を調べる。

2008年01月10日 | バイクの有る生活
1月4日の、愛宕山雪路面すべり転倒でブレーキレバー折ったと
同時に、ブレーキの握り込みの感じが急に悪くなったことについて、
パーツがそろったので故障の訴求を行うことにした。



折れたレバーを取り去ると原因は直ぐに判明!!!!

やはりである。

マスターシリンダーピストンとレバーアジャスターボルトがあたる部分が
穴あき段つき欠損している。
だから、軽くから強く握りこんだときに、コットンと階段的に打刻した穴を
なめて効き方が変化する
効き方が嫌なものになっていた原因はここにあるようである。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/7d/34f2299a26e8badfc4c793e54babadac.jpg
引っかかりの原因となっている傷の拡大写真は上記URLをクリック。

とりあえず、レバーを新しいものに替え、
モリブデングリスをレバーアジャスターボルトとマスターシリンダーピストンの
頭部薄く塗り組みつけてみる。
握る。充分である。
握り代が復活した。以前よりはスムーズだが・・・・・イマイチ。
やはり、マスターインナーの交換は必須であろう。



一気にマスターもキャリパーもバラそうと考えたが、
初歩的買い物忘れ!ブレーキフリュードの購入を忘れている。

で、それではと、新規林道探訪に出かけることにした。
京都市北区小野郷近辺と大森界隈を散策することにした。

この報告は、また明日に行うことにする。

ー変人的評価ー
ヤマハの純正パーツの梱包・包材の安っぽくなったのに驚き指数
                 80%



昔、私の知る限りでは、ブレーキ系統のオイルシール類やO-リング類は
丁寧に箱入りのセットであった思う。少しさびしい。


ー本日の名言ー
知り合いのヤマハ特約店で部品購入の際店主が言った言葉。
ヤマハのメーカーの販売姿勢として、
小型二輪車は、永年営業のヤマハ特約店でも認証工場以上の工場を有する
ショップでないと卸売りしてくれない。
都合の良いようにメーカーが足手まといになった販売店の切捨てを
行っているようにしか考えられない。

私の見解は以下のとおり。

整備する場所・設備・認証・資格者が無いから販売できないはおかしい。
整備資格・整備工場認証と販売は分けて考えるべきである。
私は認証工場でない自宅ガレージで整備を行い、車検を通すし、
自らの責任でブレーキの分解整備も行い、
陸運支局でユーザー車検で検査枠を取り受験する。
法になんら抵触することが無い。
反対に、二輪の卸売り販売方法が、独占禁止法に抵触するのではないだろうか?

バイクブームの時(20年ほど前)、メーカーの販売戦略はどうでした?
設備スペースを持たず、整備知識の乏しかった小規模の販売店の為に
各メーカーは拠点営業所にサービス工場があったのではないでしょうか?
HONDAは昔、SFがあったし、
SUZUKIも吉祥院のスズキ京都が整備してくれたように記憶している。
KAWASAKIも山科に営業所があり名物のおばちゃんが仕切っていた。
時代が変わったとはいえ、地域密着していた特約店の周りには顧客が多くいる
ことを忘れてもらっては困ります。
棚に並べているものを選んでいるのではなく、
買う店の人柄でバイクを買うんですから。
バイクという趣向性の高い乗り物は、
楽しみ方が買う店によって違うことを声を大にして私は言いたい!!!

私は、人の誠意で商品を買いたい、古い人間なのかもしれない。

昭和55年ごろ、とある販売店で、
KAWASAKIのKZ400Mを買ったとき、
新車引き取り後、直ぐに調子が悪くなったときに、
従業員さんが徹夜で修理をしてくれた。(メーカーの組み付け不良であった。)
その店主は私に購入時に約束したことがある。
《値引きはできないが、ここで買って、必ず良かったと思ってもらえる
               全ての事についてアフターサービスをする。》

だから私はその店主の言葉を信じて買った。
《後日その約束についての笑い話も有る・・・・・・・・・》
この店で良かったと思い、バイクを乗っている間は一生付き合う気になった。

徹夜で修理してくれたメカニック《知る人ぞ知る、菱っやん》とは、
今、その消息をつかんでいる。それだけに人に関して感動があった。
しかし、今その店は国産車の取り扱いをやめた。
高級外国製バイク専売店になっているようだ。
多分、メーカーの我侭な販売発想の同じような理由によるものだと思う。



技量不足で通過難渋した場所・峠への再挑戦の決意。

2008年01月10日 | バイクの有る生活
【話は少し前になるが、昨年11月10日の記録を記す】

以前に述べたが、10月中旬から病院通いの毎日を送っていた私は、
その病院の前で、12年ぶりに先日当店を訪れてくれた葉D氏にあった。
彼は、JAFのサービス隊員さんで、キー閉じ込めの開錠作業中であった。
彼は私と同じSEROWを所有していて、
山行きスペシャリストのレオナのI氏を尊敬して止まない私と同じく
I氏を中心とする二足二輪仲間であることも分かっていた。
その場で、私の痛々しい姿に驚嘆するも、話はバイク談義になり、
少しでも回復すればかならづ同行をお願いしてほしい旨を伝えると
休み合えばいつでもOKとのこと、すごくうれしく思った。

で、すぐさまであるが、
11月10日充分に足の状態も日に日に良くなり、
ここで、無理しても大丈夫か?と疑問はあったのであるが、
山行きを決断し、葉D氏を誘い走りいった。

コースは、先回若狭行きの企画で道に迷った場所の先がどうなっているか?
の、調査と茶呑峠・裏愛宕道である。



若狭行き企画のときに気になった、杉の大木にもう一度行ってみたいし、
(そっぽを向いてブツブツ独り言を言っているように思えてならない姿。)
結構ハードと聞く茶呑峠の京北町側からのガレ場の登り坂・峠テッペンの
お地蔵さん・大森側のガレ場急坂を経験したいと思った。



で・・・・・・・・・・

茶呑峠

惨敗。

壊れた丸太組みの浅い溝を渡るところからの急坂ガレ場に難渋し、
急な屈曲上り坂に差し掛かり、転倒数回!!!・・・・・・・
足をかばいつつも何とかして上がりきろうという闘争心がふつふつと湧き上がり、
峠のピーク近くまで押し上げる。
先日の雨でぬかるむ赤土と枯葉堆積の坂とガレ場の滑り出したらたまらない坂の
容赦ない挑戦を受けたが、全身の力を使い果たし
何とか、数回の屈曲急坂を押しあがりと惰力をつけての一気通過で克服。
緩やかになった場所まで上がりきり、
お地蔵さんへは颯爽とライディングしてたどり着けた。

が、汗だく・・・・・。

葉D氏は軽々と登頂に成功しており、悔しい思いをする。

2008年雪解けの春・再挑戦を決意する!!!

待っていろよ茶呑峠!!!!!誉めてくださいお地蔵さん。

ー変人的評価ー
やはり足痛い。しかし楽しくて笑いが止まらない。久々の呼吸ぜいぜい度。
                  100%
この後、病状大変になる。予測できてた確率。
                   30%

ー本日の名言ー
その体重じゃあ、SEROWもしんどくて上がれても上がれん。
タイヤを交換するとかテクニック以前の問題です。

下向き涙する私でした。

1月6日・山行き三連荘最終日、快晴の下、鋭気を養う。

2008年01月06日 | バイクの有る生活
新春山行き三連荘最終日、かみY氏と同行である。
1月4日三連荘初日の寒さのことを思うと、澄渡る空とこの気温は
一月とはいえ大変走りやすい天候でうれしく思う。

方面はあえて、このブログではお伝えはしないが、
分かる人には分かるすばらしいコースといえる。
しかしながら、山陰となる尾根筋のいたるところには、
注意を要するシャーベット状の雪が残っており、
転倒までも行かないがそれなりに覚悟と決心が要る路面コンディションであった。



上記写真の拡大は下記URLをクリック!美しい!!!
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/3a/5e81412e4d3422d11355c6caf3cbab36.jpg
並々たる城丹境界の山々の峰を南側に見て、遠く南西方に愛宕さんが見える。
この林道からの180度以上の広がる景色は何度訪れてもすばらしいものである。

が、少し気になる。
フロントブレーキのタッチが悪い。

1月4日の転倒時からであるが今回大変気になりだした。
ブレーキングコントロールが微妙にできない。

握り始めるとある握りからカンと制動をはじめ、
そこから握りこんでも制動力が増さない。
ふつう握りこんでやると制動力が増すものなのであるが?
ゆっくりリリースしても急に制動力がなくなる感じで、
先日パッドを交換して、あたりが出始めていい感じだっただけに
嫌なもんだ。
パッドのベースプレートとディスクの間に異物がかんでいるか?
または、キャリパー本体のスライドピン辺りに問題でも発生しているか?
転倒時にブレーキレバーホルダーとレバー付け根が曲がって干渉しているか?

とりあえずは、清掃点検調整が必要と考えた。

この際、たぶん前オーナーは、キャリパーとマスターシリンダーの
O・Hをしていないようだし、
マスターインナーとキャリパーシール類を交換してみても良いように思うが?

んんん・・・・・。

パーツいくら位でしょうかね。
気になるところだが、重要保守部位ゆえ慎重に整備をしてみたいと思う。

ー変人的評価ー
バイク全バラし整備してやろうか!!!!!意欲度数      
                       40%
ギヤシフト時のカシッとした節度無さがあいかわらずYAMAHAやなー
スラスト方向に調整シムあんねんやろうか?
かみ合いのドッグ部位角丸なってんのんとちゃうやろかー?
昔と変わらぬシフトタッチ、YAMAHAは、まーこんなもんやろー、と、納得度
                       70%
                    
ー本日の名言ー
風無く暖かい絶好の山行き日和にて、うれしくて出る言葉もありませんでした。
が、しかし・・・・・
新雪の上に、数本のトライアルタイヤの走行痕跡がある!!!!!
この時期に、私たち以外に本日より以前に走りに来ている人があることが
なぜかおかしく思い、二人で
「同じようなけったい者いてるなーーー!!!。」と納得の会話。     

1月5日・山行き三連荘、中日二日目。雪無く、暖かく楽しく走る。

2008年01月05日 | バイクの有る生活
新春、山行き林道走行企画中日二日目。

諸H氏、杉U氏と三人で行動する。
例によって、マックK氏の店に12時集合で待ち合わせ。
三人で行き先を協議する。
昨日の私の愛宕山・雲ヶ畑方面の山間道路状況を報告すると、
「ほんならどこいこうか?????。」
と、なかなか適当な場所が思い浮かばない。
「箱館山の方面どぅ?」
雪在る場所は避けて・・という事の理解が乏しいので、
みんなで大笑いする。
南向き斜面で、雪の少ないところというところで、
少し離れるが、日吉・八木・亀岡方面を探索することで話しまとまる。
で、出発して日吉ダム手前から日置林道へ・・・・
工事中で通り抜けできない旨の看板を確認し、
行けるところまで行き、折り返してくることで山中へ入っていく、
なだらかで走りやすく、寒くなく暖かさを感じる。
しばらくリズムよく走り、峠を越え下りに差し掛かったところで工事中通行止。

ここで休憩。ちょうど出発から一時間経過。



反対側から山肌を切り通し広く道を通そうとしているようである。
だから峠の反対側(工事現場の向こう側)からのアプローチがどのように
なっているかの確認は次回にすることにして、
それでは次どこ行こうとここで思案する。

諸H氏が《保津峡の景色いいところ》と提案がありそちらへ向かうこととなる。

途中、八木町神吉地区からの風景で、
昨日、本年初転倒をした愛宕山が西側から美しく見えて
京都市街からの見え方とたいそう違うことに思わずカメラに収める。


《諸H氏、DT右ミラー脱落!》

ゆずの里、水尾を抜けて、山の緑とゆずの黄色がかわいらしい。



と、保津峡の景色良いところ到着!!!
タイミングよく観光船が川を下ってくる。



絵になるところであることは確かである。
対岸山の中腹には観光トロッコ列者の線路があり、
そこから、JR山陰線の新線のトンネルと高い橋げたを見ることができる。

この後、保津川沈下橋を渡り、亀岡市篠から大阪府高槻市樫田方面への道を
探索し、国道9号線、沓掛交差点で解散となった。

ー変人的評価ー
暖かく、昨日と違いからだの動きが軽いと感じる度合い。
 前日対比 130% すこぶる良好!!

ー本日の名言ー
諸H氏DTのガス漏れに関しての他の二人の会話。
「早く修理しないと、かちかち山の狸状態になる。」
「単車燃えればあきらめつき乗り換えると思う。」
「爆発する危険もあるので近寄りたくないな!。」



で、本人曰く
「火葬時間が短くてすむ。」
二人とも、少し怪訝に
「しゃれですまされん話しになってきたしやめよ!!!」
じゅわーーと燃料ホースを伝うガス漏れの滲みとはいえ、
早急の修理が必要であろう。



1月4日・本年初転倒!幸い怪我無く笑う。寒さ感じず汗をかく。

2008年01月05日 | バイクの有る生活
先回、ブログでも記したとおり、本年初の山行き走行を敢行した。

とりあえずは、年末探索した愛宕山界隈へ向かう。

平地では暖かいと感じる三月上旬の気温ではあったが、
年末から年始にかけての寒気の南下は、
京都市街では寒いと感じるだけであったが、山間の林道では高度を上げるにつれ
雪道へと変化し、また木陰はその解けた雪が氷結しなかなかの楽しめる
路面コンディションで私の技量では困難な行程であった。



10月15日に同所から同方向を撮った写真と比べると、
 京都市街が暖かそうに感じられ、また新年の明るさを感じることができる。
  手前斜面の山影には雪が残り、首なし地蔵を経由して多くのハイカーと
   すれ違ったが、雪山ハイクの服装装備であったことが大きな違いである。
比較10月15日写真は下記URLで表示できる。 
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/83/5da9a1a7f67055e02ead0acf518ff09e.jpg

水のみ場の広場手前の登り左カーブで雪上走行中、圧雪氷結路面になり
方向性を失い危険な状態になり、バイクにしがみついていれば怪我をする。
速度が落ちたところでバイクを放棄する。
下り坂方向へバイクが方向変わるほど凍結している。

で、ブレーキレバーが折れる!
私は笑いが出る。
予測どおりに転倒する事がうれしく、楽しく、おかしくてならない。



本来、明るい乾いた尾根道なのであるが、
少しの尾根部の山影区間がこのようになっていて、
いつもと違う路面コンディションに楽しくバランストレーニングができた。
アクセルの操作、ブレーキの操作も良い練習ができたと思う。
何より、エンジンパワーのかけ方によってバイクの安定が増したり
不安定になったり、上体でハンドルバーを押さえ込むだけでも安定が変わる。

いつものとおりバイクも私もドロンコだ。

首なしのお地蔵さんでしばし休憩。
先回、雨の日、林道枝道の探索よりも風無く暖かいと感じた。

来た道を下り戻るのは危険だという判断により、
高雄へ舗装林道を戻ることにして杉坂から真弓方面へ・・・・。
持越峠から雲ヶ畑の集落を抜け、祖父谷へと谷間を抜けていく。

ダートに変わり、山間に入ったところで雪が降り出し、
路面は雪道に変わる。
新雪と雪解け水のわだちを走行ラインとして行けるところまで
上りきる決意をして、《よっしゃーーーー!!!!》と気合を入れたものの、
すぐに雪深く、大変な状況になり断念する。

下手すれば、遭難の可能性もある!谷へ落ちれば上がれない!!!



少しだけ弱気になり、ここから帰路を急ぐことにする。

明日にそなえて、バイクを整備し、
マックK氏へ行動報告と時間無く食べられなかった、昼食と夕食を一食に済ます。
itoufu氏が私の出発後、来ていた事を聞く。次回はぜひ同行したいと思う。

左足すねに切り傷。何処で何時したのか分からない。

んんん・・・・。

雪道の林道、正直、今の私の技量では難しいというより無理だな。

ー変人的評価ー
目視できる難易度の高い路面状況で何処で転倒するかが事前に分かるようになり、
スピードを落としバイクの倒し場所と体の転がり場所の予測の当たり確率
               60%

ー本日の名言ー
山の天気は人里から3キロ山中入れば、まったく変わる。
先へ行く冒険の勇気よりも、先の状況予測に不安があり自信ない時は
引き返す勇気が必要で、賢明な選択だといえる。
       

2008年1月4・5・6日・三連日で山行きツーリングを企画する。

2008年01月02日 | バイクの有る生活
2008年!
段取りよく仕事を片付けて元日ぐらいは休むぞーーーっ、と思い
真剣に年末仕事をこなしたのであるが、例年通り年越し仕事をしていた。
うれしいことじゃないか!人が静かに新年を迎えるそのときに仕事ができた。
仕事終了後、近所の銭湯が午前二時までで、そこでサウナと入浴を済ましたが、
大晦日の終い湯なのか初風呂なのか微妙だな。

で、新年が明けたが、情けないことに新たな感動だとか、
本年の決心が定まらないでいる。

というより、自身行動が精一杯の状態が続いているからかもしれない。

で、次のアクションを考えることができないのが現実である。

しかし、遊びとなるとまったく別で、この月末より寒い天候が続くのに、
脳内にある現実を削除し愉悦の時間を支配する、
バイク乗りたい病が症状を現してきている。

年末に、諸H氏から年始の山行きについて企画頼む!の依頼もあり、
また、マックK氏より年始暇なメンバー多いことも聞かされていたので、
さっそく12月30日に山行き行動企画書を作成し、
マックK氏に提出した。マックK氏の店に来るメンバーに
伝えていただくことにしている。

itoufu氏・西O氏・Kみや氏に電話連絡を行いお誘いする。

企画内容は下記のとおりで、このブログからも参加者を広く募ります。

開催名   正月早々にやで・・・
寒っぶいのに山の中を彷徨うてか?


召集・出発場所    マックさんの家      正午出発

作戦実行日      第一回  2008年 1月 4日(金)
               第二回        1月 5日(土)
                 第三回        1月 6日(日)
           
     三回のうちご都合の良い日にご参加ください。
                 三連荘参加大歓迎いたします。
     
     雨・雪が出発後すぐ降りそう、又は雨・雪が降っている時
         身の危険を感じる天候の時、その回は中止です。

  寒くても・林道走る・良いおっさん     
      相当の寒さが予想されますので、
         くれぐれも防寒装備は抜かりなくお願いいたします。
立案・主催
  ‘60GORC(シックスティーズ・ジー・オー・アール・シー)
   60年代生まれの(G)ガンバル・(O)おっさん・(R)・(C)クラブ
   (R)については、ライダーズ・ライディング・レーシング等の
                            解釈を含みます。

企画にはできるだけ、みんなが軽く汗が出るぐらいのコース設定を考えた。



私は、できるだけその方面の道・地形情報を事前に予習するようにしている。
この行動は、山行き走行の基本と考えている。

計画した林道周辺の25000分の一の地形図が国土地理院のホームページで
簡易に閲覧できるのは大変心強いことである。
結構、北山界隈には歴史的伝承を持つ山・峠が多く、それら事象を事前に解釈を
持ち、思慮して走ることも格別の趣があるとも考えている。

だから、峠のお地蔵さんに私は特別の感情があることをお伝えしたく思う。

以前、知人の田中のケンちゃんがお地蔵さんに関することで、不思議体験を
言っていたことを記すと・・・・

彼は大型トラックの長距離ドライバーで豪雪の深夜に渋滞でどうしようもなくなり
側道に車を寄せて仮眠を取ることにした。
寝入った頃に左ドアガラスをたたく音がする。
目覚めて見渡すが変化ない。また寝入ると左ドアガラスをたたく音がする。
無視することにした。だんだんとドアガラスをたたく音が連続するようになり、
車の左側を除いてみたら、お地蔵さんの小屋があったそうだ。
お地蔵さんも車のアイドリング音で寝られないでしょうからと思い、
車を動かしたら音は止んだ。運転手仲間でもその場所は有名らしい。
北陸8号線での出来事でその場所を私は教えてもらった。
金沢出張時によくその前を通ったことがあるが、
いつもきれいにされているお地蔵さんの小屋である。

ー変人的評価ー
年末年始のテレビ番組の興味度
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ー本日の名言ー
石川県から当店HPを見て商品を買いにきたカップルの名言
♂「毎年、おいしいもん探して12月30日から京都来てます。
  うわさ聞き、2年間探してました。ここ!」
♂商品を手にして
 「・・・・・・・・・無言(感)。」
♀「よかつたね。♂(名前)!」
♀「私、横でチビチビやりながら帰ります。」
♂「よし!帰ろっ!」

当然、♂運転の様子。石川ナンバー アルテッツア安全運転でよろしくネ!