池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

外国語の習得について。発音

2011年09月25日 | 楽しい人
本日、午後からいつも大変お世話になっているK・K氏が山中の我が家へ
訪問してくれた。
ここ当分、ご無沙汰していたので久々の面談である。
太ったらしく体重を気にされていたが、
私はダイエットの成果が有って痩せてきているのであるが
まだ氏の体重に近い体重なので私自身としては油断はできないと考えている。
私の方法は皿を小さくする事と、午後8時以降食事を摂らないだけなのであるが、
実践してみて2ヶ月であるが効果がある。実際に5キロ弱を落としている。
このおかげで、痛めた膝や背中の調子、もともと高かった血圧までもが
良い方向に向かっている。

そのK氏の話で海外での会話の苦労をお聞きして私なりの経験をもお話して
和やかな会話に本当に私は癒された。

全く学校で教わる英語教育は意味を成さないということがわかった。

例として河内のオッサンが居酒屋で店員に対する注文で
河内のオッサン    「大きいのん、生五杯!」
NHK語を使う店員  「大きいジョッキの生ビールを五杯のご注文ですか?」
河内のオッサン    「生大を五杯!」
NHK語を使う店員  「もう一度お聞きしますが、
            生ビールを大きいジョッキに入れたものが5杯ですか?」
河内のオッサン    「よ~ワレ!しんきくさいの~客をナメとるんか!(怒)」

と、いうぐらいの言葉使いや言い回しや発音の技量や知識が必要でないと、
英語ですらまともに通用することができないのではないかと言う結論であつた。

へたくそな発音の英語で演説するカッコ悪いことが分からない
バカな我が国の宰相の話も出たが、
私の経験のアメリカの黒人だらけのバス待合室での《あ~~~にが~~~》事件の話を
するに及んで日本語自体の発音がタモリクラブの空耳アワーではないが
各国で意味することが色々有る事も知ることができた。

24歳の私はロサンゼルスで《・・ルーチーヅ》と聞いたものが何か分からなかった。
出てきたのが《ブルーチーズ》のドレッシングのかかったサラダ。
《ブ》が聞き取れない。

会話をするにあたって何一つ文法的介錯を持たなくてアメリカでしゃべり続けていたら、
それはそれなりに通じるようになるもので、最低、単語さえ分かれば身振り手振りで
何とかなると今でも思っている。
しかし、それができない日本人が多い。

要は外国人に対する言葉の壁は、学習よりも開き直り!
分からん奴には分からせる為に、アメリカでも関西弁を私は使っていたことを思い出す。

私が中学生の頃、実父は新幹線で外人に漬物とピクルスとの違いを伝える為に、
ベジタブル、ソルト、パラパラ、プレスで通じたと
言っていたことがある。

血は争えないのか・・・・・・・。

資格勉強の息抜きに最適な、K氏と久々に楽しい会話ができた午後でした。


太陽は燃えている/エンゲルベルト・フンパーディンク


聞きながら下記の歌詞と自身の発音とを比べてみて欲しい。

Love me with all of your heart
That's all I want, love
Love me with all of your heart
Or not at all

私を愛してほしい 君の心のすべてをこめて
それだけでいい 恋人よ
私を愛してほしい 君の心のすべてをこめて
もしくは 愛さざるか

Just promise me this
That you'll give me all your kisses
Every winter
Every summer
Every fall

ただ約束してほしい
私に君のすべての口づけをくれると
冬が来るごとに 
夏が来るごとに
秋が来るごとに

When we are far apart
Or when you're near me
Love me with all of your heart
As I love you

ふたり離れていても
君が近くにいても
私を愛してほしい 君の心のすべてをこめて
私が君を愛しているように

Don't give me your love
For a moment
Or an hour
Love me always as you love me
From the start
With every beat of your heart

君の愛はいらない
一瞬しか
一時間しか続かないなら
私をいつも愛してほしい 今までのように
出会った時から
君の心臓が鼓動するたびに愛してくれたように

( 間 奏 )

Just promise me this
That you'll give me all your kisses
Every winter
Every summer
Every fall

ただ約束してほしい
私に君のすべての口づけをくれるように
冬が来るごとに 
夏が来るごとに
秋が来るごとに

When we are far apart
Or when you're near me
Love me with all of your heart
As I love you

ふたり離れていても
君が近くにいても
私を愛してほしい 君の心すべてをこめて
なぜなら 私は君を愛しているから

Don't give me your love
For a moment
Or an hour
Love me always as you love me
From the start
With every beat of your heart

君の愛はいらない
一瞬しか
一時間しか続かないなら
私をいつも愛してほしい 今までのように
出会った時から
君の心臓が鼓動するたびに愛してくれたように

学校で教わってきた英語の発音が通用できなくて無用のものであるかが、
知る事ができると思う。
英語の発音を学習する為にはこのように正当に歌っている歌手の発音を真似するほうが
よほど効率良いように思う。
何よりカラオケで披露できるものならなおさらオネーちゃん方へのアピールも
最高であるし、特にこのようなラブソングの熱唱はオネーちゃんの
お心に効果抜群であろうかと思うのであるが、

世のお父さん方の意見はどうでしょうかね?

まあ、尾崎紀世彦並みの声量でアンディ・ウイリアムス、
フランク・シナトラの名曲をツラツラと何気に《任しとけ的涼しい顔》で
披露を三曲ほどできれば、行きつけのローカルスナックで次のマイクは根性要ります。
即ち、その場はお父さんのワンマンショーに変わります。
フィリッピンパブならもうモテモテ!
「チャチョーサン(社長さん)リッパネ~(立派ね~)チュゴイ(凄い)!!」と
成るはずです。

夫婦春秋や人生峠、無法松を歌うのを止めてみませんか?

でも、なぜか、十八番=新潟ブルースを〆に外せない私です。

虹の向こうは?

2011年09月25日 | 好きな日常
少し前の記録になるが、台風の過ぎ去った日の事を記す。

虹と言うと必ず私は思い出すことが有る。天地真理。
昔、天地真理が歌っていたな~~~。
《虹の向こうは~~、晴れなのかしら~~~?
 あなたの(町)ま~ちの~~あのあたり~~。》
真理ちゃんスマイルと評されて一斉世の中を風靡したが
今となってはただのオバサンだし、
今から思えば格別美人でも、かわいらしくも無かったのにすごい人気であった。
キャラクターを利用した、少女向けの真理ちゃん自転車なるものもあった。

台風が過ぎた日、残り雨に西日が当り本当に綺麗な虹がかかった。



前夜から午前中にかけてはとにかく良く降った。
京都市街に住む頃はあまり雨の降る音を感じることが無く
車が路面の水を切る音で雨と感じるのであったが
住まいを変えてみると雨の感じ方がまるで違う。

本当に雨が降る音がするのである。
雨の一粒一粒が空気を裂いて降りかかる音であろうか?
劇画なんかで雨の表現をするときの
あの、しゃ~~~~がする。

虹も京都市街では建物の影でよく見えないが、
この地では半円に近い形で見える。
わたしの住むところに向こうに町は無い。
国道を隔てて山並みが続く。




ダイハツ・コペン

2011年09月16日 | 楽しい人
先日、鹿と衝突した我が愛車を修理に出す事に決めて、
結局は昔から知り合いの実家近くのNさんの経営する自動車板金工場に
本日修理入庫させた。
午後から京都府庁で人と会う約束があり、
少し早く着いた私は京都府庁の職員食堂で昼食をすることにした。
度々、京都府庁に都合があればこの食堂を利用する。
いつもは職員さんの休憩時間が終わる頃に利用するのであるが
今日は正午過ぎの利用なので職員さんであふれかえっていた。
女性職員さんが多いのに驚きだ。

昼休み中ながら事業に関する打合せを行い、的確な結論を得て
本日は京都市内での用事は無いので早々に帰路につくことにした。

食事前に友人のM氏に電話すると快く自宅まで送ってくれると言うので
そのお言葉に甘える事にした。

府庁を出てすぐに
「池やん!第二日赤の前にいてるしね~~。」
既に颯爽とダイハツ・コペンで到着しているようすである。
で、
そのダイハツ・コペンで送ってもらう事にする
走り出してすぐに感じたことだがフルオープンで屋根が開いているのに
エアコンをかけているので涼しい車内に又びっくりした。
何より屋根の無い車の走行の爽快感は初めて感じるものであった。

少し市街地から外れると雨が降ってきた。
電動で屋根が閉まる機構もすばらしい。
幌ではないのでバタバタ音も隙間風すらも無い。
快適である。
以前、ホンダビートを試乗したときは雨の日であったのか屋根を広げていて
走りも室内もどこか落ち着きの無さを感じたのであるが、
あれから十数年後、この車は大人な感じがする。
唯一、キャリアスペースが狭い事(トランクはほとんど物が入らない。)
座席にリクライニング機能を装備しないのが利便性での欠点であろう。
もともと車中で寝ると言う発想がこの車に求める事がおかしい。



欲しくは無いが、
気分を換え若返る事のできる車なのかもしれない。
老齢のM氏も先日これで甲信越地方を当ても無く徘徊したらしい。
天気が良くて最高であったと話していた。

いつまでも若々しく生きるためにはどうしたらよいかを考えてみたら、
私の周りには本当に還暦を過ぎても又、還暦を間近に控えた方でも
本当に若々しくおられる方が多いように思う。
彼ら彼女の日常の行動に共通することは外に出て思いっきり体を動かす事を
若い人たちと一緒にしている事であろうか。
何より健康に注意を注いでいる。

このブログに良く登場する還暦ダンス氏、マックK氏、コメントをいただくSB氏等々・・・・。
私はそれら諸兄から見習う事が多い。


そんな、あほな~~~~。

2011年09月13日 | 驚きました。
いつも通う道で中古車の出物を見つけた。
原産地イタリアの私の好みの車!
小さい車体にでかいエンジンのスポーツカーである。
当然色は赤。コルサレッド。

DTMの常勝マシンとしてメジャーになったあの車だ。

四駆でターボ車なら問答無用で私は買っている。
でも、この車はノンターボ。
値段はあえて書かないが安い。
で、
その店の前に引きかえしてしげしげと程度を観察していると、
年式は平成10年式。まあ、たぶんそれなりの程度であろうか?
走行距離は58000km。
あまり明るい時間でなかったのでもう一度見に来ようと考えたいたら、
事務所の中からこの店の管理者である店主が登場した。
スキンヘッドにシルバーのドクロとクロイツのアクセサリー、
腕にはフランクミューラーの時計。
耳にピアス。
イカツイ男。
しかし、対応が丁寧でそのギャップに少し驚く。
話し込んでいると、この車の前オーナーは競技をしていたとの事。
それもトライアル競技。
二輪のそれではなく、改造された四輪駆動車で岩を超える競技である。
そのスキンヘッド氏もその競技を永年に渡り自作の改造ジムニーで
やっているという。
整備工場は車の置いてある場所に隣接する鉄工所と思えるような
簡素な工場である。
整備機械よりも溶接機やアセチレンボンベなどが目に付く。
ようは、私の好みのマニアな店である。
そこで作られる車を少し尋ねてみたが
スズキジムニーにスズキのスイフトのエンジンを積んで競技車両を作っていると聞いた。
即ち、660ccを1200ccのエンジンに乗せかえる。
積み替えは楽勝であると言う事だ。
難関の走路をクリアする為には、最低地上高を稼ぐ為に
ノーマルの車高の2倍はあろうかと思う車も見ることができた。
この自作ジムニーで競技をしているのである。

話をその興味を持った車の値段に戻すが登録諸経費も12000円で良いと言うし、
早く手元から放したい様子である。
お客さんからの問い合わせがあるが、実際に見に来ないし、
商談が進まないとの事。
また、試乗もするが契約には至らないらしい。

どうもこれだけ安いと反対に不安になってくる。
重大な故障は覚悟して買うのがイタリア車の鉄則であるが・・・・・・・。
別の怖さがある。

霊。

良く聞くし、話される。
バックミラーに変なものが映るとか・・・・・・・・・。
突然ハンドルをこの世の人と違う人の手で握られて曲がれないとか・・・・。
変な声が後部座席から聞こえるとか・・・・・。

都市伝説に過ぎないのであるが、あまりにも安すぎる。
少し今では興味が失せてしまっている。

で、
友人の中古車ブローカーのT君に電話をしてみた。
開口一番そんなあほな~~~~。
「そりゃ~ナンボその車は安くても、操る楽しさはターボ付きの四駆の
 グレードの方が良く走り、よろしいで~~。今乗っている車に比べたら
 たぶん走りはイマイチやと思いますワ」との事。

彼は興味津々。仕入れて即売り払う計画のようだ。
だから、今度は彼を同行してこの店を訪ねてみよう思っている。

高すぎるのは困ったものだが反対に安すぎるのも困ったものである。
ある程度、車の買い方を知った私には即決に至るだけの決心を生まれさせない
原因ともなりえる安さと言える。
それなりの値ごろ感、お買い得が感じなければいけない。





車は急には止まれないと言うが・・私は止まれましたが・・・・・・

2011年09月10日 | 驚きました。
一昨日、還暦ダンスを主宰し次なる表現の場を求めるK,O氏と
いつものサイゼリアでミーティングをした。
話題は、さまざまであったが楽しい討論であった。
その討論の話題は、現在の私が勉強している経営学の分野に属する事や
企業経営理論を基にした内容であったが、特にその話の中でも
情報分析の手法の話はすごく参考になったので感謝をしている。
又、自らが教授する大学で学生たちが使用する教本も進呈いただき、
K,O氏の親切にますます勉学に励もうという気持ちになり
その厚情に厚く御礼を申し上げたい。
と、言っても、最初の1時間ほどが学説をお聞きすることであり、
その他大半がくだらない話を《ド真剣》に考える時間に費やした。
その時間は5時間弱。
少量の食べ物とドリンクバーでのミーテイングである。
店側にとっては時間単価の上らない全く効率の悪い客だと思うが・・・・。
その会話の中で、
氏は一時期、クレー射撃をしていたそうであり、その話の内容に大変興味を持った。
競技会で入賞経験があるらしい。
アメリカ留学中に興味を持ち見学に射撃場を訪れたことから始り、
その世界に足を踏み入れ、帰国後に日本の法律に準じて免許を取得し
クレー射撃を始めたらしい。
で、免許を失効したのでその活動を終了したと言っていた。

クラブにも入りがんばっていたようだ。
そのクラブ名が面白くて笑いが止まらなかった。
今も所属されている方がいてたらいけないので、ブログでの記載はしない事にする。

次の活動として私は氏とボーリングを始める事を約束した。
知人(某スポーツクラブのインストラクター)が月一回、私の実家の近所の
ボーリング場で主宰しているので、その大会に参加してみようと思う。
K,O氏にも教授を受けることにした。
以前、ボウリングのボールをいただいたのがあるので、
指穴を開けなおせば充分に使えるものがある。
その大会の前までに彼と練習会をやろうと言う事の調整もできている。

楽しみが又一つ増えた。

そのサイゼリアミーテイングが終わり、帰路を急ぐ事にした。
別の友達からいただいた、一枚板で作られた超重い水屋を積んでいるので
私のライトバンはいつもよりスローペースである。
本当に重たかった。さすがの私も「こりゃたまらん!」と思う重さである。
大きさも上下二分割にして、高さがライトバンの天井一杯。
長さも、リアドアまできっちりと一杯の長さである。
何とか積み込みは二人で押し込み可能であったが、
ライトバンから下ろし我が家に設置するとなると、深夜でもあることでもあり
ご近所の方に手伝っていただく算段をして、本日は帰宅しても積み込んだままに
している事にした。

で、帰宅。日付が変わって0時30分。
腹が減った。

亀岡までの曲がりくねった山道で威力を発揮する足の速い所有する
もう一台で遅い晩御飯を食べに行く事にする。

出発してすぐに鹿を見る。
その後、たびたび鹿がいる。

今夜は気をつけなければいけない。

で、遅い晩御飯をしての帰り道は、超安全運転で帰ることにする。
いつものスピードなら飛び出してきた鹿は避けきれないと考えがあった。
(いつもは、ラリーのSSステージ状態で走っている。)

しかし、鹿の群れと激突した。
直線路、60キロぐらい。四速。ハイビーム。補助灯も点けているので明るい。
先の右側のガードレールの外側に鹿がいる。
それを確認して、先の左カーブに目線を移したら、
数頭どころではない十数頭がガードレールを飛び越してきて横断しだした。
車の逃げる行き場所が無くなりフルブレーキ。
ABSは効いているが轍が有るのか、車の頭が左を向く。
そして、鹿の顔が右のAピラーに乗って跳ね返す。
そして右側面に数頭が激突。
昔の二輪で悪党していた時にトレーニングできたのか?それともの癖か?
転倒時にも目を開けることができるのでスローで見えた。



結果が翌日明るくなってからのトホホな写真の上中下。
フロントバンバー、右前フェンダー、右ドア、右後フェンダーのダメージ。
下写真では鹿の毛が挟み込まれている。






ガードレールの下に群れが潜んでいたようだ。
で、先頭が横断したので遅れまいと皆が飛び越えてきたようだ。

知り合いの紹介で南丹市八木町の自動車板金屋さんを尋ねる。
この工場では年間5台は修理すると言う。
この工場だけで5台であるから、地域や府下全域を考える相当な数になるであろう。
その自動車板金会社の社長さんとのお話の中で怖い話があった。
「そのハイエースも鹿に当たったんですよ~。」
見ると、新型のスーパーGLの白。前部を大破している。
日中、国道9号線で、走行中に衝撃と同時にいきなりエアバックが開いたので
ドライバーは何があったか分らなかったそうである。
で、衝突したのは鹿。
結果は、全損との事。前部の大破だけでとどまらず、
車体の基本的構造部にダメージが大きすぎて修理金額が車両査定額を超えたらしい。

今、私は修理するか、乗り換えるか?の考え中。
P○○○○○ーG○3が欲しいのは昔から。
でも、「思いのままに操れてドッカーンと良く走るしな~~~。」
今の車は、どれも電気製品のようで全く没個性でスイッチだらけで自動化されて
私のような車を操る楽しみを求めている者にとっては全く興味が無い。
レクサス、GTR等なんて乗りたくも無いし全く興味もわかない。

そのうちに、
車は何もしなくても思い通りに動く自動化が図られるようになるの
では無いかと思う。
スバルが追突しないシステムを作ったがこれこそ良い例である。
そのスバルに追突して来る車の事が考えられていないので
果たして危険を回避できるのかは私は疑問に考えている。

私は高速道路渋滞の最後尾にいる時はサンドイッチにならないように
ハザードランプを利用し、前車とは50メートルを開けて停車するか、
そこに近づく大分手前から徐行して近づく。
最も気を付けて実践している事は、後ろに近づく車が渋滞の最後尾の私の車に
気づいているかどうかを監視している。大型車が近づくならなおさら注視している。
追突される前に逃げる事ができるし、追突され押し出された時にも前車から
逃げる事が可能だ。
スバルはこの事を考えていない。

即ち、先読みである。

私は運転技術としての先読みはできているのかもしれないが
実生活では先読みは苦手である。

今までの人生がそう語る。

オイルも漏れが少しこの頃多い。
ドライブシャフトブーツは交換したしラジエーターも交換した。
唯一、不思議とエンジンは壊れない。
この頃少し、タイミングベルトとそのテンションアジャストベアリングの寿命が気になる。
これが切れ焼きつくと、エンジンブローだ。

気になる修理代見積りは、中古オフロードバイクが買える。
たまらんです。







名誉ある男

2011年09月04日 | 言わせてもらいます。
名誉という言葉を考えてみた。

自分から私は名誉ある人ですとはなかなか名のる人は無いと思うが、
世の中には必ずや存在人を表すする言葉である。
名誉総裁・名誉会長・名誉教授・名誉理事等々・・・・・・・。

名誉というものが世の中でその人に対する周りの関係する賞賛の与え方や
或はその受け手側も自身の功績を称え、その人の業績を表す言葉と言えると思う。
しかし、
その言葉はどうも明治以降において使われ始めたみたいで、
それ以前の武士の世の中では少し意味が違っていたようだ。

武士道において《名誉》とは、自分の名を尊び自分に恥じない
崇高潔癖な生き方をすることであったようだ。
その根本には《死》とは《生》を高める為の「死生観」であり、
「どう生きながらえるか?」ではなく、むしろ「どう美しく死ぬか?」、
志を考えながらに現在を生きる事と、自身が「何のために生きるか?」という
人生哲学の根本に根拠するものであるようだ。
だから、質全的に死を超えても守らなければならないから
自身に根付く《道徳と正義》を死をも美学として守り抜く事を
武士道の崇高の理念としたように感じるのであるがいかがなものであろうか?

反対に名誉を粗末にしない為には、自身の全て《恥》を知る事のようである。
自身の崇高潔癖な精神に対するいかなる侵害も《恥》とされていて、
羞恥心を大切にする事は子供の頃から教育が始まった。
だから、
武士道における《徳》には全て《恥》の意識が働いていたのであろう。
《恥》は人の道徳意識の出発点であり、その反対に位置する《名誉》は、
人が人としての自身の人生哲学の中で美学を追求するための《徳》とされ、
武士にあっては《命》以上に重要なものになっていたようだ。
だから、武士は不名誉な《生》を続けるよりも《名誉》の付加理由の死を追求した。
日本人の精神文化が聞こえなくて久しいが《恥の文化》と言われているのは
このように代々脈々と伝えられてきたからであろう。
しかしながら、
最近では、《名誉》は虚栄を満たす為の名称に利用されたり、
自身が受けた賞賛を誇示して自己の利益に誘導するツールに見える時も
多々あると私は感じる。

先の段でも記したが、《名誉》は自己利益や虚栄を満たすものではなく、
又、《名誉》を得る為にそれを目指そうというものではない。
これ以上の記述は相当に長くなるので今回はこれで止めるが、
孟子が言った言葉が私の名誉にたいする考え方を表しているので記すことにする。
どこかの宗教団体の名誉会長に聞かせてやりたいものだ。

「誰でも名誉を欲する心を持っている。
 しかし、真に名誉なものは他でもなく自身の心の中に有るという事を
 解っている人は少い。人から授かる名誉などは正しい名誉とは言えない。」

さらにもう一つ!!!

最近、馬鹿芸人が口にした自身の境遇として例えた《切腹と介錯》に関して、
根本の武士道精神とは全く意味違いの発言に日本文化を軽んじられた憤りを感じる。

新渡戸稲造が著した《武士道》では、
「名誉は境遇から生じるものではなく、それぞれが自己の役割を
 まっとうに努めることにある。
 恥となることを避け、名をかちとるために侍の息子はいかなる貧苦をも甘受し、
 肉体的、あるいは精神的苦痛の最も厳しい試練に耐えたのであった。
 もし名誉や名声が得られるならば、生命自体はやすいものだとさえ思われた。
 したがって生命より大切とする根拠が示されれば、
 生命はいつでも心静かに、かつその場で棄てられたのである。」

Andy Williams - Speak Softly Love ( ORIGINAL ) The Godfather


最近、イタリア・マフィアの根本はこの《名誉》という言葉の元に団結した事を知った。
イタリアの南部は貧困ゆえに、侵略国や統治国からの圧政ゆえに、
その住民の自由と自治を守る為に侵略国人や統治国人からの無理難題に対向する為に
結束を行い対抗したところから始まるという。
同じヨーロッパからのアメリカの移民を開始する時期も他のアングロサクソン系からは
遅れてしまい、移民が始まるとほとんどの美味しい利権はアングロサクソン系移民者が
握っていた事情も有る。
アメリカへイタリアの貧乏を逃れて夢見て渡ったものの、一層の苦難が待ち受けていた。
第二次大戦が始まるまでのファシスト台頭の時代や大戦中には、
イタリアのシシリアマフィアはムッソリーニのファシスト等からの強烈な弾圧を受けた。
また、
その当時にアメリカン・マフィアがイタリア国内で窮地に立つファミリーを
助ける名目を作られイタリアへアメリカ政府に利用され武器と一緒に輸出されたという。
ようは、パルチザンの一党派を構成し、下支えをした訳である。

MAFIAという語は広義の意味で、《名誉ある男》を意味するという。
反体制の姿勢は体制側からすれば犯罪行為であろうし、
生活を維持していく為にも脱法をしなければいけない境遇でもあったようである。
そこには、彼ら独自の組織内での掟《血の掟》がありどこか武士道に通じるものがある。
困っているファミリーの一員には最善を尽くす。相手を敬い絶対に仲間を裏切らない。
その《血の掟》の中で興味深いものがある。

仲間の妻を見ない。

武士道とは順序が逆の思想があるように感じる。
恥を知るのが先ではなく恥を最初に削除する。

現在、世界各国で地下に潜って組織されているようで
存在は分からなく成りつつあるようだ。
私は彼らの組織を肯定はしないが、真の《名誉》は、彼らが昔に求めていたように
公共の安泰と幸福を希求する活動が評価される事なく行う事が
《名誉》であると思う事が多くなってきた。

今日の話題難しいかな?ごめんね。