池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

有馬のお取引先を訪問

2010年02月28日 | 私の仕事
先日、26日に兵庫県有馬のお取引様を商談に訪問させていただきました。
昨年からお取引が始まっているのですが、今回、2回目の訪問である。
平日にもかかわらずお客様が日帰りの入湯をされているようである。
この企業の運営するホテル様からの商品開発と拡販流通のご依頼で、
どこまで販売量を増やせるかが私の使命であるとともに、
この企業様の商品にふさわしい売先をお取次ぎさせていただかなくてはならないと
考えている。



昨年からこのホテル様に同居する問屋さんを通じて商流が始まっているが、
このホテル様と同調するその問屋さんは気さくな方で、大手食品メーカーの技術畑を
歩いてきた方でその企業(カレーやプリンで有名なあそこ)を退職され、
この地域を中心にこの企業様専属の問屋業を起業された方である。
製造方である私の思考をよく考えてくれる方で仕事のしやすい意思協調できる方で
すごく助かっている。

先回訪問したときは周囲の山々の紅葉がすばらしく良い景観であった。
今回あいにくの雨霞であったが濡れた山肌に作られた町並みはそれなりに
風情のあるものである。

道路網が整備され、私は芦屋からの芦有道路によるルートが早いと思っていたのであるが、
西宮からの西宮北トンネルが安くて便利であることを発見した。
もちろん、京都からなれば中国道西宮北ICまでの高速道路利用が便利なのであるが
我が営業車高速道を走れる状況でなく、一般道利用にての六甲超えで訪問である。
宝塚からのアプローチも可能であるが、下見を兼ねて前記トンネルを利用してみた。

しかし、早急にタイヤを変えなければいけない。

我が営業車は雨の山道ではどこにステアしていくかわからない状態である。
だから、高速道路を利用しなかったわけでもあるのだが。
このことが事前に確認できていることと、認識がないドライバーとの違いは、
突然の雨などにまみれた場合に後者はスリップ事故を起こす可能性が高い。
今、我がキャラバンは
スリックタイヤで雨を走るような状態!今このような状況である。
昔、峠走り仲間で言っていたレーシングスリックタイヤではなく、
レインスリップタイヤ!である。

あ~また出費。車齢10年目!あと3年は乗らなければ。
でも、走行30万キロを超えた。たぶん重大故障の出現は時間の問題!
時限爆弾の様相を呈している。出来るだけ人気のあるところで爆発して欲しいものである。

以前、15年前ハイエースは若狭の山奥で深夜に絶命し、雪解けの泥雪山道を
10キロ歩いた。JR湖西線の電車に乗りかえってきたが、周りの人が嫌な顔をして
避ける。そのことが頭をよぎる。嫌だ~っ!




車椅子が何気にフロント周辺に留置している優しい安心感が素晴らしいと思う。







トヨタの自動車や車の話

2010年02月22日 | 言わせてもらいます。
私はあまりトヨタの作る車が好きになれない。
で、今回の事件。
少しなんかアメリカ車を売らんが為の作為が感じられるのは私だけであろうか?
かわいそうだなーというのがほんの少し私の心の中にある。
このまま、トヨタのハイブリッド車の販売攻勢が続けば、
アメリカ自動車メーカーの入る余地がなくなるので、
シェア拡大を少し減速させようといういとも見え隠れする。

トヨタ車の購入検討に際し、セールスの方法とその内容に信用できないことが
有ったので二度と買うかと思う気持ちが今も継続している。
実父のクラウンがヘッドカバーパッキンからのオイル漏れがあり、
トヨタディラーへ持ち込んだところ、重篤な故障という説明を受けて、
莫大な修理見積りと新車購入の検討資料を持ち帰ったことがある。
6年目で3万キロほどの走行距離でこの状態自体が当たり前と感じる私は
セールスを呼び問い質した事がある。ずるい売り方である。
私はこの事がある以前からトヨタを信用していない。
以前所有のハイエースディーゼルは、10万キロ前後でポンプ系全部すっくりと
用を成さないようになり交換をした。
なぜ?売れるのかが分からないメーカーという認識がある。
現、日産キャラバンディーゼルは30万キロを走行し大した故障も無く元気である。

先日、先輩のトヨタ・ウィッシュに乗車させていただいたが
良くできた車であつた。がっちりしたバネによるきびきび感が感じられる
なかなかのモンであった。乗り味のふわふわ感がないので、
「バネはノーマルか~?」と尋ねたらノーマルであった。
レクサス450もお持ちの先輩曰く、
「1200万のまともでない車より、300万の真面目に作ったこの車がええな~。」

所有していたプジョー309は、冬の高速道でアクセル全開のままペダルが
戻らんようになった経験もあるし、
ワンダーシビックSIのブレーキはすぐフェードして、いまいちだったし、
シティターボについては、どかーんと加速時どこ向いて走っていく車か分からんかった。

でも許せた。それだけ、車を操ることが楽しくて仕方ない時期だったのかもしれない。

シティターボのカーステ(ボデイソニック付き)で故障修理の持ち込んだとき、
ゲミのおっさん(←ホンダSFの整備職人でモトクロス好き・原住民のイントネーション
から短縮されたあだ名)から、「音楽が鳴らんかったら、運転中さびしいいやろ~?」と
聞かれて、「淋しい。」と言ったら、
「自分で歌うたい~。」言われた事、また思い出してしまった。

今回のトヨタ問題どっちもどっちのええ加減な話やな~が私の感想。
トヨタが問題なる前に、フェラーリやランボールギーニが問題にならんのも不思議です。
エンジンフードに置き忘れたオイルウエス一枚ですぐ燃えるイメージがあります。

メルセデスの車つくりの思想として
《最善か無か?》ということばがあると聞く。
この思想を外れコストダウンした、初期の丸目のEクラスは散々な性能不信であった。

私の所有する車については、長い時期、長い距離を整備しつつ長く付き合うので
ポリシーの確固とした自動車を所有してみたいと常に思っているが
財布の中身が追いつかん事がトヨタのリコールよりも深刻である。



↑懐かしい車であるがこの形式のクラウンにはひとしお思い出が深い。
 子供のころ父の勤める会社の社用車でよく拝借してきてくれては遠出をしてくれた。
 ははぁ・・・・・・抜群の記憶である。当時の番号。
 大 5 ほ 62-33

記憶に残るフレーズとクダラン思考

2010年02月17日 | 昔の事
不意に何気に思い出すメロディーは無いでしょうか?

私は、MBS1179ラジオのヘビーリスナーでもあるのだが、
重要なシーンや、ゲストとの会話をも中断させる、
スジャータの時刻コマーシャルがたまに耳についている。

そうあの、《スジャータ・スジャータ~》を連呼するあれである。

懐かしい、テレビコマーシャルでは各企業が独自にコマーシャルソングを持っていて
子供時代に耳に付いた思い出が強い。

《グリコ!グリコ!グ~リ~コ~~!》と、鉄人28号のOPテーマの締めくくり
のメロディーフレーズもそうだし、
《俺がこんなに強いのも、当たり前だのクラッカ~!》これは歌ではないが、
藤田まことさんの、懐から取り出すクラッカーのアピールも懐かすぃ。



玉置宏さんが亡くなった。
ロッテ歌のアルバムという番組だったろうか?《1週間のご無沙汰でした。》
このキャッチもすばらしい。
高橋敬三さんの《どうもどうも》も有ったし、
山本何が氏のアフタヌーンショウだったか、《そーなんです川崎さん。》もあったようだ
そのとうじに、子供たちの間で話題になった個性については、
世俗とは少しはなれたところに独特の個性人が存在していたように思うし
今の芸能界ほど、世俗に近くなかったように思う。
即ち、テレビジョンの世界は憧れの事象に近いものであったように感じる。

メタルインドカレーとオリエンタルカレーとハウス印度カレーが
私の気持ちの中での三本柱のカレーの記憶である。
ククレカレーはまだ小学生の頃のヒット商品と記憶する。
そうだ!ボンカレーのコマーシャルもなんとなく記憶に有るな~。
オロナイン軟膏の宣伝をしていた浪速千栄子さんは、
先日借りた大映《悪名》で久々に拝見できた。因島の女親分である。



ところで、
スタイリーのおやっさんは元気してるやろか・

最近になって、芸能人のプライベートを面白おかしく放送されていて
そればかりの番組が多くなってきたが、個性の特異性を説明するだけの番組内容で
視聴率を稼げるその手法にもう飽き飽きとしているのは私だけではないと思うが
いかがであろうか?

芸能人が参加する料理番組、プライベートの暴露、だまし、簡単な設問の芸能人参加の
クイズ番組、また答えられない無知さを競い合う番組。

面白いわけが無い。

笑っていいとも!のタモリには笑えないが、タモリ倶楽部のタモリには微笑ましく笑える。
ひな壇に座る芸能人をいじり笑う番組には悪寒さえする。
世に蔓延する弱者いじめの根源がここに縮図として見て取れる。
世も末の番組企画である。
はっきり断言できることはスポンサーの理性を疑うということだ。


宇高航路

2010年02月15日 | 身近な歴史風景
先日、愛媛県新居浜市からの帰り道に宇高国道フェリーを利用した。
香川県高松港と岡山県宇野を結ぶ海上の国道30号線を担うフェリーである。
新居浜市からは高松までひたすら国道11号線をタラタラと
長閑な四国ドライバー独特の急ぐこと無いペースで2時間30分。
高松市街に入り国道32号線で街中を突き抜けて、
フェリー乗り場へと着く。
数回乗船しているが、券売機が自動販売機になっていて少し様子が変わったか?
発券事務所は、ヤマザキデイリー(コンビニエンスショップ)になっている。

先回乗船したのは、すでに3年ほど前で高知からの帰路であった。

で、一昨日の新聞に
この区間を運行するフェリー2社(四国高速フェリー、宇高国道フェリー)が、
廃業するとの新聞報道を読んだ。

私の営業用の車キャラバン(E24)は、本来、ワゴンなら3ナンバーの全長だが、
バンなので1ナンバーである。
4ナンバー車より10センチ長い、全高、全幅は4ナンバー内で収まっているので、
本当に中途半端である。

従い昨今の、御人気取りの1000円乗り放題の高速料金制度とは無縁のもので、
高速通行経費は車両総重量8トン未満の中型車で1ナンバーである。

瀬戸中央道を利用し四国から本州へ渡ったら最短利用で利用したとしたら、
通常¥4200。深夜0時から4時までが2100円。
フェリーだと休祝日2480円。
で、
1時間すばらしい瀬戸内の島々の景色を眺めながら、
運転者は1時間の休憩時間が船内にて取ることができる。
私はすごく安く感じるのであるが、時間優先と利便性が最優先の現況では
廃業も仕方ないところであろう。

わたしは、この航路がなくなることは非常に残念でならない。
四国から帰りに疲れた体を休める唯一の施設として利用してきたからなおさらである。

その昔は、国鉄の鉄道連絡船であったろうし、
四国の表玄関として重要な役割を担ってきたものであろう。
過去、紫雲丸事件等の悲劇を歴史に刻み、多くの若い労働力を京阪神へ運んだのも
この航路であると確信できる。
少しでも思い出があるなら、もう一度なくなる前に、回顧の気持ちでなく、
感謝の気持ちと、現時の確認として訪れて乗船をしてみるのも良いのではないでしょうか。

四国より集団就職世代のお父さん、お母さんたちに進言してみたい。

同様の気持ちであろうと思うが、
兵庫県の香住の餘部鉄橋の付け替えに望み、島根県大社の田舎から集団就職で西陣に
丁稚奉公に来て、仕事が厳しく辛くて逃げ帰ろうとして、
ここまでの乗車券しか買えなかった某会社の社長さんと橋を見上げに来たことがある。

一つの、また昭和の繁栄を支えた物が消えいく。
繁栄を運んだものも消え去る。
惜しいものである。

笑わしよりますが、
国は二酸化炭素排出、地球温暖化を問題にしている。
この頃私は、二酸化炭素を吸いすぎて胸くそが悪くなってしかたない。




世の中こんなもんでっしゃろ。

2010年02月02日 | 好きな日常
久々に長くブログを書けないでいた。ほぼ二ヶ月ぶりでの記載である。
この頃いつも月日が過ぎるのは早いもので、
先月はお正月で、もう節分である。
時間が早く過ぎるのを感じることができるということは、
自己の身体が生物学的に代謝活動が衰えてきているかららしい。
当然、20代のころのように仕事においてもスムーズではなくなったし、
言葉数もたいそう少なくなったし、一日にこなせる仕事量もすごく減った。
食事量だけが20代とは変わらずに、より趣向性が強くなったと感じている。
それで、年寄りになればなるほど一日が短く感じるということか?
即ち、自己の体内時計よりも実際の地球の自転を基にした世界標準時が
早く動いているということである。

本当に、意識うつつのままに時が過ぎて前へ後に行きかい、
あの事象はいったい何時の事であったろうか?と、
思い出せないでいることも多くなってきた。

確実に老化のスピードは加速をしている。
ここ最近の実感することである。

で、先日友人から何気ない用件をお世話させていただいたお礼にと
プラモデルをいただいた。
最近、オープンしたフィギュアモデルを製造販売する企業の本社落成
での直売ショールームで粗品として配られていたものらしい。

↓旧ソ連の二次大戦中のT34戦車。(精巧である。中国製)




旧ソ連と戦った長老方々や軍属であった方々にはご記憶があるかもしれない。
スターリンの恐怖政治や粛清を思い浮かべる兵器である。
ソ連といえば本当に一昔前は社会主義国で恐ろしい国のイメージが強い。
実際に強制収用所が存在したわけで、ロシアになった少し前でも
原子力潜水艦が沈没しその乗組員の家族が講義中に背後に居た工作員から薬剤注射で
その場で眠らされた画像が公開されて震撼した覚えがある。

樺太が先日某二輪月刊誌で紹介されていた。旧日本統治時代の遺構がある。
中国では旧満州の玄関《大連》も、日本統治時代の建造物が今も健在である。
やはり、大陸は島国人間にとって憧れの地であろう。