池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

強敵バイク虫の出現・お札の原料収穫

2012年06月26日 | バイクの有る生活
この頃、二輪車の楽しさが懐かしく思うときが多くなってきている。
先日、とあるSNSで古い友人と再会を果たしてからその取り巻き人間が
これまた個性的な方々で私は絶対のその個性に紛れてなるものかと
少し距離を置いているつもりであったのであるが・・・・。
んんん~~~・・・・・。

バイクが欲しい。

あえない最期を遂げた愛しのマッハ号の代わりの次期戦闘機(イタリア機)の
選定も着々と進んでセールスも来ている状態では
バイクを購入する余裕も生まれてこないのが今の状態である。



仕事で使用する荷役用トラックも必要だし、これは既に見積書が届いている。

スポーツカー並みに走るトラックが有れば一石二鳥。
そんなの有るわけが無い。
いやいや、昔は有った、DATSUNサニートラック(A12エンジン最強だ。)

そんなこんなで少し昔の写真を引っ張り出してみた。
イヤー若いね。
こんな乗り方できるはずはなく今じゃ絶対無理だなぁ。



そんなこんなで、昔のウエアを引っ張り出してみた。
何とか着れそうだ。

そんなこんなで、昔のブーツとヘルメット・・・・・。

思い出にふける自分がおかしくて仕方が無い。

山ん中をパタパタ走るバイクの購入を先ずは目標にしてみよう。
これなら今住む場所は最良の条件が整っている。
いたる所に未開拓の山道が有る又その情報も得やすい。
私の畑の周りでも、けっこう山仕事の人々がその山道を入っていく。
鹿を担いで降りてくる方もあった。
その道の行く着く先を尋ねると《へぇ~~~~》と思うところに出る事も
分かっている。
もし、山ん中でトラブっても大丈夫。
レスキューを依頼できる知り合いもたくさんできている。

私の家の前の山すその紅茶畑を通り抜けてその尾根に出ると広い古道が有る。
ここから先は秘密だ。歴史的にすごく重要な道であったらしく、
山ん中のその道の脇にはいたる所に砦の跡であったと言われている
石組みが残っているようだ。
また、山城であった周山城を建設する時には、周山の町側からの資材の運び上げが
難渋したので城の裏側から尾根を越えてこの道を作って
資材の運搬の用途としたらしい。
だから、裏側の防備の為屈強な砦が有ったようである。
正面からは足元前は桂川の大きな屈曲を下に見ることができる山城だったようだ。



先日、私にモタードに出ろ!というお誘いもあった。
「池さん、所詮アマチュアレースだからゆっくり走って楽しんだらいいし
エントリーしたら?」と、お誘いを言う方が地元にいる。
レースでゆっくり走るという事が私は考えられない。

まあ、しばらくするとこの熱も冷める。
又、次の必要なものにお札が大量に飛んでいくからだ。

今日はそのお札原料の収穫をした。
大被害にあった壬生菜を収穫をした。
早速洗浄し製品化する為にパッケージをして冷蔵庫で予冷をかけている
今晩の夕飯はこの壬生菜サラダで試食をかねてみた。
シャキシャキ歯ごたえが良く絶対にお奨めできる。



次の雨の日、大先輩のマックK氏に届けることにしよう!

感じる事だが、トライアンフのトリプルのどの機種にも言える事だが、
その機種に乗る女子には美人が多いように思う。
なぜだろうか?
先日も行きつけのCVファミマの前でレーサー然とした二日前に納車されたばかりの
トリプル白の乗っていた女子は
美しかったし、ホンダのレプリカからの乗り換えであった。
又、本日、地元商工会の事務所前に停めて電話をしていた妙齢女子も美しい方であった。
この女子のバイクの色は今までに無い色と感じた。
ライムグリーンのメタリック。大阪ナンバー!
私の後輩、トライアンフ雅也に聞いてみようか?

しかし名前がイマイチだな~。
昔のオッサン連中は、トライアンプなどというオヤジがいるし、
トラ慰安婦とも聞こえる。

私も乗ってみたいし少しでもオチカズ(ヅ)キができればと考えているが・・・・。

先?立つ元気は現役でも、先立つ財布の中身が無いが悲しい。
この意味の深さは世のお父さんライダー諸君はお分かりか?

やっぱり私はアホですな。

這いつくばって仕事していると、味方が現れる。

2012年06月22日 | 好きな日常
今日は良く降った雨もあがりさわやかな風と陽射しある爽快な日である。

午後より、ひとたび雨が降れば水浸しになりなかなか排水されない畑の
改良を図るべく、畑の高低差を測量した。

どうしても水が畑から抜けなくていつも同じ作業ばかり格闘をしていたのでは
ダメだと思い相談してみると測量をしてみて作戦を練ってから行動を変えてたら?
と、アドバイスをいただいたので即実行に移してみた。

ここにも、私の這いつくばる姿に協力者が現れてくれた。

現地は圃場整備する前に谷の部分であった所を埋め立てて
田畑を造成したようで、私の畑の直近の山の斜面からは湧水が出ている。



先人が、湧水の有るところを補強するつもりで石を積んだのであろうかと
思われるが近寄ってみると相当な水量が湧き出ている。
この山の斜面を登り詰めた向こう側の谷には、
この圃場整備された地区の田畑を灌漑する為の池が有る。
この池も山向こうの谷を堰き止めて作られている。
どうもその池のそこから水脈を伝って湧き出ているようにも
感じるのであるが・・・・・・。



基準点を定めて高低差を調べる測量を開始することにした。





細かく畑内の色々な地点の高低の測量数値をいただいて排水の向上に向けての
対策の基礎とすることができそうである。



詳しく測量を行った結果、
昔、この畑の有る地域での圃場整備の手抜き工事が露見する結果になった。
ひどいものだ!(怒)

その時の業者は畑の整備事業を初めて行う業者であったと聞いた。
道沿いの場所故に通るたびに後ろめたさは感じないのであろうか?

推測が当たっているとは言えないが下記に記す今の排水性能の悪い畑に至った
理由は正論であり当たっているはずだ。

①先ず、一番最初に作られた配水管の位置がありえないほど深く低い位置に有る。
 耕作土の地表面から800ミリメートル下。
②先日のブログでも記したが明渠については勾配が確保されている。
③用水の入水側が低い。
本来田畑は緩やかな勾配用水の入水側から排水側に緩やかな勾配が
つけられているものである。←これは常識。

しかし、この畑は違う。

したがつて、次のような推測ができる。
この畑の位置的条件→この区画は9面の田の他の田で囲まれた位置である。
          即ち真ん中。
①圃場整備の行程として圃場整備の計画通りに畦を築いた。
②畦地を作った。
③新たに圃場に入れる土を作業性の面からここ(私の畑)に山積みにした。
④土を他の整備圃場に運び入れたのだが他の圃場を充当できる分の土が足らなくなった?
 或いは余ってしまったか?
⑤ここ(私の畑)一面に残った土を一面均等に広げた。
結果、計画し設計した耕作土面よりも高くなってしまった。
で、何食わぬ顔で工事は完了した。

手抜きとその時の監督者(施工側・施主側共に)が自分の圃場さえ大丈夫なら
良くて、他の圃場に関しては無責任であったと言えよう。
そして、今年の秋には、
原因解析がなされないまま経年による老朽化との名目で用水の整備工事が行われるようだ。
全く科学的根拠の無き行動に恐ろしささえ感じてしまう。

使われるのは税金である。

願わくば、しっかりした業者の選択と計画立案者である監督者を
厳重に監督しなければいけない。
監督者を監督する。馬鹿げているな。

関わらないでおく方が良策であろう。
しかし、自己利益誘導の匂いがはなはだしい。

どてらい男


昔、どてらい奴と言うテレビドラマがあった。
私の通う大阪市立明治小学校の校区は立売堀と言う鉄鋼機械関係の卸売商が
固まっている地域もその校区であった。
その中にこの物語のモデルとなった《山善》があったが今も有るのであろうか?
そのテレビドラマのDVDを探して、再度、見てみたいと思っているのであるが、
全く見当たる事が無い。けっこう長続きした商売根性モンの大阪舞台の立身出世の
ドラマであった。



最近になって実父の書棚から三冊の原作本を読んでみたことがある。
原則、自分に強く正直でないといけないと言う内容のものである。
色々とずる賢い商売人が出てくるので有るが、それはそれでそのずる賢さには
独特の商売道徳が存在し奥が深く引き込まれてしまう内容である。
駆け引きの大切さが良く分かる。
損を相手に納得させる手腕も一つの商の手法であり、
相手は得を感じているのであるが、実は損をしているという商売の事を
知る事が出来た内容の物語であった。

売り手側が買い手側に得したと言う気持ちにさせれば、例え本当は損をしていても
商売の道徳としては成り立つのである。

買い手は怒って買う人はいない。怒ってはいないのである。
怒りながら満足しているのだ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

戦報告!カブラハバチの戦

2012年06月21日 | 野菜作りの事
台風一過、一日だけ晴れたり曇ったりの日があったかと思うと
今日は一日けっこう雨が降り続いている。
なかなか水菜の畑の様子を見に行けないでいて
そろそろ防除の時期であろうと傘を差して畑内を観察してみた。

愕然・・・・・・。

葉はボロボロに食害されている。
原因は下記の幼虫。私は見た事が無い幼虫で、すかさづ写真に撮り
何の幼虫であるか?どのように駆除をするのか?特性はどうなのであるか?
私はコナガ(蛾)の一種だと解釈していたがどうも違うので、
私の周りの農業見識者にメールしまくった。



一番乗りの報告は、京都府関係機関からの返答。
《カブラハハチ》
そうハチの幼虫である。
野菜を食べるハチがいた。

となると蛾や蝶の幼虫に使用している、天然由来微生物農薬は
その幼虫が持つ消化酵素とは反応しないので効き目が無い。
んんん~~~~悩む。

そこへ頼りなる男の登場である。
JA京都のNS指導員氏。
彼からの一通りのレクチャーを受け又彼の指導からの駆除実績としての
具体的防除方法も拝聴する事ができた。
氏の指導は自然の摂理を根底にした先進的農法を実践する農法を
教授していただけるので理解できる。
今までの、薬漬けの指導では全く無い。
発生の根拠を見定めてなぜ大量一斉の発生になったとかと言う解析からの
駆逐方法を提言いただける指導である。
しかし、
彼の指導で使用をしようとする農薬(スピノサド水和剤)は、
私の目指す農水省特別栽培農産物のガイドライン内に有る化学合成農薬外でない、
天然由来の認定農薬では無いように思っていた。
又、化学合成農薬であろうという認知で失望していたが・・・・・・。
しか~~~し!
その認知は私の間違いで天然由来の農薬であり、平成23年4月27日に、
有機栽培で使用できる認可が農水省からもたらされていた。
超ラッキーである。

コナガ類(蛾)に本来有効な成分であり、ハチにその効用が認められて
いるわけではないのであるが、注意として
《ハチ、蚕には毒性を有するので使用には注意する事》に注目しての指導である。
と、言う事は、ハチの幼虫にも効用が有る?と言う事ではないか。
注意書きとしてなぜ明記をしているかというと、
養蜂している場所や、養蚕に使用する桑の葉の周りでは使用するべきではない事で
あろうと推測がつく。

明日からはこの天然由来薬にその効果を試してみたい。
カリブ海のラム酒工場跡地の地中深くで見つかった微生物の殺虫効果をだ。

下記画像はその有機JAS規格で使用が認められている農薬。
そして多き方のボトルはその農薬の展着性能を高め同時に薬効の持続性を高める為の展着剤。
この展着剤の入手にはたいへんご苦労を各方面にかける事となった。
野菜に使用できる有機JAS規格で使用が認められている展着剤はこれしかない。



で、
今の気分は下記の曲のとおりの気持ちだ。
上手くいけばよいがなぁ~~。


水前寺清子 どうどうどっこの唄 高音質 ステレオ



水菜に降りかかった虫害よろしく、私にも降りかかるかもしれない問題としては、
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が有る。
私は賛成であるが・・・・・。
やはり不安を感じている業界団体に属する方々の意見を見聞きして、
現状のその方たち物作りや販売方法を考えてみると死活問題である。
賛成であると同時にその方達へ同情も悲壮の観念をも持ち合わせているのが
私の複雑な今の心情である。

既に日本は、それに関しては蚊帳の外。消費税の事で目一杯。
余裕は無し。
やる事やれば税金払うのも私は惜しくは無い。

国内の最重要な案件であっても動きが遅いのに、対外国との交渉にいたっては・・・・。

全ての決断が遅すぎる。

あきれるばかりだ。

AKBの誰かがスキャンダラスを起こしたそうでそのグループから引責をするとの事。
で、どうも別の同様のグループで活躍するらしい。
本人が弁明するのを番組特集を組んだりしていて、メディアのバカ加減も世も末である。
所詮、一人のプローデューサーの力で動いている駒の事。
そんな、どうでも良い事が大きく騒がれる国は我が国の終末をも予感させてしまう。
それよりも、これからの国や老年と将来なる私の世代を支えていく若年層が、
重大な問題が有る事に気づいていない事に私は悲しく思う。
ご周知であろうかと思うが、鬱積した国民の不安をどう補い、
失望の漏れ出す穴をどのようにして繕うつもりなのだろうか?

とかく、行儀の悪い子供以下のバカ年寄りや私の同世代の享楽追及者が多すぎだな。

真理を知る事が抜けている。

世の中にカブラハバチよりも水菜に食害をもたらす下等な者が多すぎる。

*スピノサド?その効果と殺虫の仕組みはたいへん面白く興味深いので検索してみるべし!
 


私は戦う!

2012年06月20日 | 言わせてもらいます。
今住む地域に引っ越してきてあと少しで1年が経過しようとしている。
昨年の今頃はその引越しの準備でたいそう忙しくしていて、
気温も高く暑い日が続くようであったように記憶している。
変わって本年は昨日よりの台風の影響や、5月の低い気温が続いていて
太陽の黒点の影響なのであろうかいまひとつ熱さを感じない日で
ある様にも思う。

引っ越してきた1年前は今まで行ってきた事業に少しのゆとりを持たせて
何する訳ではなくただ縁側に座り空を眺め、鳥を眺め、風行く雲や虹を見て、
夜に聞こえる甲高い声が鹿の何であるかも分からず、
ただ、夜の群飛ぶ蛍の大群の神秘的に漂う虚ろな光に万物無常の感傷を
自身の行動に置き換えて悲観している毎日であったように思い出す事ができる。

いつまでも、静かに空を眺めていているのも私の性格ゆえにその限界が
すぐ到着を見るもので、体と心のバランスが取れた始めた昨年秋には、
又、むくむくと新規事業の計画が心中の殻を突き破り突出して、
今では、この半年間で3反(約999坪の農地を耕作する農業者登録を済ませて
農産事業を行っている。
1年前はもうこりごりと思っていた身体と精神を蝕む結果を見たのもにもかかわらず、
懲りずに、二度とするまいと思っていた事業主に戻っている現状である。

早速この4月から事業を開始して、難題が鬱積して困る状況であったが
難なく地域の皆さんに支えられてご教授、支援いただき円満に解決が図れてうれしく思う。

肉体的な疲労は当たり前と感じることもできるようになったし、
作物の生長に一喜一憂。でも、まだまだその生育に期待の実現よりは失望の悲しみの方が
多い現状ではあるが、芽吹き、土を割って延びてくる生命を身近に感じる時に
感動が経験値と変化してノウハウとして蓄積をされていく喜びも感じている。

自然界(害虫や害獣、天候不順等)の障害は何とか克服できる術を持つので有るが、
人間関係の一方的に押し付けられる障害というものは本当に疲れてしまう。
即ち、転校生が虐めに遭う時のその気持ちに似ているのかもしれない。

ただ一人の方の為に、その気持ちになってしまう。
耕作する圃場の一部地域で、勝手気ままな行動に出る人物に私の耕作活動が
日々翻弄され続けている事実が有る。
その方は、私が管理する圃場内に除草剤を散布したり、
整理整頓されている私の管理する圃場の草刈の命令をしたり、
とにかくなにかと作業をしていると難癖を付けてきては私にとっては障害となる
行動を起こすのである。
先日などは同系統の用水を使用する私と他の耕作者の同意を得ずに用水の配水を中断して
独断で京都市へこの秋から工事の補助金の申請を行っている事が判明した。
その方の行動の内容と言動に付いてはの地域の皆さんにとっても迷惑な事で、
《言わせておいて無視しとけば良い!》と言う内容の私に同情的お話しも
多数寄せられているので有るが・・・・・・・。
私にとって、この事業開始してのこの一年は採算面で大事な時期であり
全力で取り組んでいるゆえに、先にも記したが秋に配水が停止となると、
冬取り野菜の生育期に必要な水の確保が難しくなるわけで、
先手で、対応策は考えてはいるものの又、余分な労力を使う事になると考えると
このある方に対しては憤りを感じている今日この頃である。

で、私はそのある方の前で宣言してみようと思うのである。

この畑での野菜作り完遂!耕作権利は手放さない!
どんな困難があっても戦う!


私の父親の兄弟は、全て戦時中士官であったと聞く。
一度、お話も下と思うが父親の三人の兄の長男が戦死している。
私の実家は旧家の分家で、次男は豪農へ婿入りし、三男が本家を継いだ。
でその三男である叔父から私は何かと言えば、
海軍ではそんな甘い考え方は通用せんぞ~!

良く気合を入れられては父親を通じて1回、その叔父から1回と合計2回に
言われていた。
戦時中予科練習生からのたたき上げの飛行気乗りであり、
終戦は大村航空隊(長崎)にいたという兵である。

道筋の間違いを正す時は合理的説明がなされていて、
私が多感であった時代もその叔父の言葉には独特の説得力を持つものであつた。
しかし、歳をとり病気をしてから急激にその真理の持つ合理性が失われていき、
意地の悪いねたみ、恨みのこもった言葉が出てきて私は失望した事が心の傷として残り
結局、その叔父の葬儀も出席はしなかった。

晩年の叔父の事が大嫌いであったからだ。

しかしその叔父が
何でも一生懸命に休み無く思慮して働けば成果は出る。
真理を見失う事だけはするな!という教えだけは
今でも私は実践しているつもりである。

だから戦うのだ。休み無く。

軍歌:月月火水木金金 (Navy Song: 'Through the day, throughout the week')

空の旅した《ひまわり》とアマガエルの不思議な事

2012年06月15日 | 好きな日常
梅雨の頃になると思い出す。
アマガエルの事。

私をかわいがってくれた大阪の親戚の《おっちゃん》が私が小学生2年生の時に急死した。

その《おっちゃん》の墓は当初、兵庫県養父郡八鹿町(現=養父市八鹿町)にあり、
私の亡き母親の叔父に当たる。
皆でその墓参りに行くと必ずその墓標の上にアマガエルが1匹居る。
それもこちらを向き逃げようともしないで居る。
写真を撮ろうが手を差し出しても逃げないで居る。
それが行くと必ず居るのである。

その後、大阪の親戚であったその《おっちゃん》の墓を箕面の公園墓地に移す事になった。
で、
その移した墓標の上にもあの時と同じようにアマガエルが居たのである。

これにはみんな仰天した。

同じようにこちらをずっと見ていて恐ろしいほどに落ち着いていて、
逃げようともしない。
たぶん今でも訪れると居てるに違いないと思うのであるが・・・・。

しかしあれから40数年がたった。

科学的根拠と説明できるかを大切にする日常の私の心情ではあるが、
その事だけは未だに不思議な事と解釈をしている。

怖くは無いので有るがアマガエルが同じように居てたらどうしようか?という
現実の確認により科学的根拠と説明ができなくなる事が恐ろしく、
うろたえてしまうであろうという心情が今は有る。

だから真に申し訳ないので有るが、遠い昔より直近を通る国道は
良く利用するので有るがその公園墓地に入る足は何処かに故意で忘れている。

先日、トラクターのエンジンフードの上でアマガエルを見つけた。

指を差し出すと、ぴゅっと小便を飛ばして逃げていった。
こいつは、《おっちゃん》ではない。

お正月、えべっさん、造幣局の通り抜け、難波神社のお祭り、天神祭り、
道端に床机を出して夕涼みとスイカと花火、田中屋のプラモデル、
生野峠のお化け話、箕面の滝と紅葉狩りとからかうお猿、等等・・・・。
全く関係ないのに幼稚園のお遊戯会に来て私とお遊戯してニコニコしている
《おっちゃん》であった。

私の少年の頃の《おっちゃん》との思い出が福山雅治・ひまわりという曲に
凝縮されている。

福山雅治 ひまわり


先週の金曜日の事である。

私は、お届け物があり大阪の中津へ向かう事にした。
雨交じりの埃の溶ける匂いのする灰色の新御堂筋の渋滞にまぎれるのが
憂鬱に感じていたので箕面のショッピングモールをふらついてみることにした。
当然、あれこれと食材の購入も済ませた。

花屋の前で、小ぶりの《ひまわり》が目に飛び込み
三本を購入した。

持ち帰る事よりもお届け物と一緒に添えようという気持ちで購入した。

その《ひまわり》が、ドラマを演出した。
お届けした方と一緒に搭乗し膝枕してもらってゆったりと全日空機で空の旅をした。
機内でアテンダントから膝の上で寛ぐ《ひまわり》が全日空のイメージフラワーと
一緒と声をかけてもらえたと。
なかなか、アテンダントから話しかけられる機会は少ないらしい・・・・・。
三本の《ひまわり》も楽しい雰囲気作りに一役貢献したようだ。

その《ひまわり》が、1週間たった今でも元気でいるという。

私はたいへん嬉しく思う。

《ひまわり》が元気でいる所は、高く澄んだ空と空気の有る土地である。
できれば窓辺に居てくれれば《ひまわり》も退屈はしないであろう。
風が目に見え、雲が流れる様さへ絵となり、たぶん窓からの眺めは
安らぎの心を醸し出してくれる地であるからだ。
《ひまわり》は買われていく人の選択ができないのだが今居る場所と現実とは
反対にマンションの無機質な四角い壁と高架道路の見える窓からの忙しい眺めと、
無精者の世話を受けるよりはたぶん安泰な余生の過ごし方ができている。
感情が有るならたぶん種を実らせて種の保存の本能が働くようであれば
切花ゆえに不可能と思うがこれはこれで不思議な能力と偶然を発見する事もできる。

ショッピングモールで私に見つかったのが運の付きで、
幸か?不幸か?は私は幸と考えたい。
私より幸せな所に居る。

先程、鍬作業でできた親指付け根のマメが潰れて痛いが
なぜか少し充実感に浸り嬉しい。

今、トーストが焼けた。チョコクリームを塗って夜食タイムとする。
コリャ~痩せないね。


科学的理解無しに、知り得た語句を並べて、あんた何様?その①

2012年06月08日 | 野菜作りの事
只今編集中!しばらくお待ち!と書いてから大分時間が経ってしまった。

入梅をした事もあるが、悩み多き農業作業をこの頃では紆余曲折を経験しつつ、
曲がりなりにも真っ直ぐに順当な作業をこなしている現状があり
日の出から日没までという時間的制約に縛られて一日の効率を考え
作業に邁進していると、どうしてもこのブログの事がおろそかになっている。
お許しいただきたい。

さて、先回このページを編集するについて、
その文面は辛らつな感覚的にだろういう憶測がまかり通る表現を
覆し科学的根拠に基づいた私なりの持論を書くことについて述べた。
その内容は挑戦的であり理論整然とした根拠の整理によってこの文面を
仕上げていく事にする。
その話を進めるにあたってはまずこの話を切り出す必要が有る。

化学合成薬品や化学合成農薬を使用する必要が生まれたのか?
大東亜戦争後、戦中に食料の生産が滞っていた事はご承知のとおり。
まして戦後急激に人口が増え、現在の60歳後半の方々が生まれた頃は
急激な人口の増加を見て食糧増産も国策として重要な課題であった事は言うまでもなく
ご承知であろうかと思う。
日本国内での基本的食料自給率を高め、1961年には農業基本法が制定され、
化学肥料や化学合成農薬の使用、作業の機械化が大きく推進されてきた。
これらは農地の単位面積あたりの収穫量の増大に効果があるので、
日本の農業の特色である小面積の農地しか持たない多くの農家にとって朗報であり、
その基本法の基づき積極的に利用と導入が進められた。

全世界的の調べてみても100年ほど前からの農業は、
人工的に化学合成された化学肥料や化学合成農薬などの化学物質を
様々な目的で使用することでその生産力を大きく拡大させた。
その反面、生産性を向上を考えるばかりで自然の事をおろそかにして、
長年に渡って化学肥料ばかりを使い続けると、自然の生態系に悪影響があることが
次第に解ってきた。変形の魚やカエルを見受けられる事や、
小川にいた諸生物が居なくなったり・・・・・・・・。
畑からガスが発生したり。

こりゃー罰が当たるぞと気付いた訳です。

実際に化学肥料の効きが年々悪くなるのも体感できるようになってきた。
土の中の菌類、バクテリアなどの微生物は、本来は落ち葉や腐った木、
糞尿などの有機物を分解して生きていて、その微生物によって分解されたものが
植物の生育に有益な肥料であるのだが、これらの有機肥料の代わりに無機質の
化学肥料ばかりを大量に使用し続けていると有機物が不足して本来生息する
土の中の微生物が減少していく。
やがて、無機質を好む嫌気性微生物の細菌が土中に繁殖しやすくなる。
その結果、植物は病気にかかりやすくなり、その対処の為に益々農薬の使用を増やす。
どんどん生育環境を悪化させる…という悪循環に陥る結果を見た。

こりゃ~まずいね!という反省から、提唱されたのが有機農業である。
化学物質の利用を止めて、旧来のような天然の有機物や天然由来の無機物による
肥料などを使用して、自然界の循環に逆らわない農業を目指そうというものである。
農作物の収穫量よりも、土の中の微生物までをも含む生態系全体の循環活動の
健全性と自然との調和を考える事を農業者として理念基本を置くものであろうかと、
私は考えている。

有機農業は自然に優しいのか?私はまだ分からない。
では経営的に有機農業の実際を考えてみると単位面積当たりの収量はすこぶる低い。
今までの化学肥料を適正に使用した農法と同じ収量をえるのには多くの農地を必要とする。
農地自体が人工的に作られたものであるので、今までの農法によって高収量で農地を
少なくする方が生態系保護や環境保全に為には有益ではないかとも考える事ができよう。

人糞や有機物をそのまま肥料として撒いたら良いのでは?
熟成が不十分な有機質肥料は、寄生虫汚染や病原微生物汚染の原因になる事が化学的に
論拠を述べることができるのであるが益々文面が長くなるのでこのページでは省略する。
だから、必要十分に熟成させた《完熟堆肥》を利用する必要がある。
私は、京都府南丹市で製造された牛糞+豚糞+籾殻+粉砕木片+剪定樹木等が適切な配分で
混合されて完全発酵した堆肥と完熟鶏糞を土造り(元肥)に使用している。
10a辺り、相当量を使用している。(量は秘密)
なぜ相当量を最初に土造りに使用するのか?は、
微生物が作り出す肥料は窒素に関してはゆっくりと優しく作用する為、
化学合成肥料で得られる効果のように短時間でコントロールするような栽培法には
速効性でバランスの良い化学合成肥料に比べて性能は著しく劣っている。
したがい不向きであり、栽培方法にも先手先手の準備が必要で習熟が必要と実感している。
また、土の中の微生物による堆肥の分解物が肥料となるわけなのでその時の温度や
水分含量によって分解速度が異なり、本当に制御が困難である。
ゴッツこの部分は他覚観察できない部分であり奥が深く見極めの困難を極めている実際が有る。



堆肥が完熟で有る事が重要であり熟成が不十分な場合には、
ガス障害(堆肥が完熟でない為に圃場で発酵ガスが発生し悪影響や病気を発生させる。)や
高いC/N(炭素量と窒素量の比率)による窒素飢餓(後述する。)が生じる恐れもある。

有機栽培無農薬は本当に安全・安心・高品質?
以前、有機質肥料を用いず,化学肥料のみを用いて栽培した野菜を「清浄野菜」と
称して尊重した時代もあったようだ。
有機農業は無農薬または低農薬農法までを含んでいる。
以前から農薬による薬害や公害も明らかになり、1970年代にもDDTなどの毒性の
強い農薬が規制されてきた。
これらの農薬には自然界で分解されにくい毒性の物質を含み、環境や人体への蓄積も
懸念されている。
自然界の循環する生態系を破壊することで、強靭且つ新しい害虫の発生や天敵による
害虫抑止の機会喪失の弊害を招くことも明らかとなった。
この反省から、有機肥料とともに無農薬または低農薬農法を実践する農家があるが?
万全でない事を理解をして欲しいと思う時が有る。
無農薬や低農薬農法を用いた結果、病害虫防除が不十分だと病害虫に植物自体が
抵抗するために作る天然化学物質の方が残留農薬などよりも遙かに毒性が強い。
という報告がされている。
有機肥料の多くは農産廃棄物、畜産廃棄物、林産廃棄物などの産業廃棄物を熟成させた
ものが原料として使用されているが、ゴミの減量や廃棄物の環境循環という意味では
有意義な仕組みと考えられる。
しか~~し、
今の農産物はその各々の品種の起源の原種から食感の向上、収量の増大などを目的として
人為的に改良を経た作物で、原種とは全く異なる性質を備えている。
異なる性質の中には肥料への要求成分・分量の変化も含まれているというのが
適当な考え方だと思うが、いかがであろうか?

だから、有機無農薬は美味しい!鮮度が高い!安全である!自然に優しい!とは一概には
言えないと私は確認ができる。
即ち、購入側の農産方法に対する先入した良い認知が味覚満足と品質の少々の
悪化を自己満足方向へを引き寄せているように思えて仕方が無い。

実際に、JAS有機認証制度の規格では
草木灰、炭酸カルシウム(苦土炭酸カルシウムを含む。)、塩化加里、硫酸加里、
硫酸加里苦土、天然りん鉱石、硫酸苦土、水酸化苦土、石こう、硫黄、
生石灰(苦土生石灰を含む。)、消石灰、岩石を粉砕したもの、
微量要素(マンガン、ほう素、鉄、銅、亜鉛、モリブデン及び塩素)、塩基性スラグ、
鉱さいけい酸質肥料、よう成りん肥、塩化ナトリウム、リン酸アルミニウムカルシウム、
塩化カルシウム、などであり、有機肥料しか有機農業に用いられていないという事は
大きな間違い。

また、農薬を使用していないというのも大きな間違い。
使用基準は定められてはいるので有るが、
除虫菊乳剤及びピレトリン乳剤、なたね油乳剤、マシン油エアゾル、
マシン油乳剤、大豆レシチン・マシン油乳デンプン水和剤、脂肪酸グリセリド乳剤、
メタアルデヒド粒剤、硫黄くん煙剤、硫黄粉剤、硫黄・銅水和剤、水和硫黄剤、
硫黄・大豆レシチン水和剤、石灰硫黄合剤、シイタケ菌糸体抽出物液剤、
炭酸水素ナトリウム水溶剤及び重曹、炭酸水素ナトリウム・銅水和剤、銅水和剤、
銅粉剤、硫酸銅、生石灰、天敵等生物農薬、性フェロモン剤、クロレラ抽出物液剤、
混合生薬抽出物液剤、ワックス水和剤、展着剤、二酸化炭素剤、
ケイソウ土粉剤、食酢。

天然を由来原料とするものに関しては利用ができるのである。



私自身、害虫駆除に有機認証殺虫剤であるBT水和剤を使用している。
この農薬の致死に至るシステムは興味が深い。
薬の接触によって効果が発揮されるのではない。
機会があれば資料を公開しても良かろうと考えている。
少し微生物に関してマニアックな話になっていくと思う。
《O-157》の食中毒の原因と結果の因果を思い出してしまった。


は~~ぁ、一気に知識の爆発的記述は疲れた。
次回は数日後に記述します。

何で今頃、昔の農法がもてはやされるのか?

本当に安全・安心・高品質?

有機物とは?

有機物の定理

無機物とは?

窒素飢餓

有機栽培野菜と名乗る事

曰く、体に悪い野菜に含まれる硝酸体窒素

漫画の影響

持論は漫画の内容そのまま

馬鹿馬鹿しい話

では・・・・・、私がトマト・きゅうり・なすで科学的に比較実証をしてみよう!

根拠と実証無く聞き覚えた語列を並べ、それを持論として述べる勘違い農業者を
話し相手にしていると、論破できる事ばかりで、
本当に聞くのが「あ~疲れるのだ!」

マスコミ出演農業者に物申す!

私が言いたい事は、ピンと来る方にはピンとくる。

真の農業者の精神構造

ごっつ長い文になりますが、画像を加えて科学的に解り易く説明するので
しっかりと読んで欲しいです。

又、メッセージ送信、コメント、ご意見もよろしく。



発展的進化 エボリューション

2012年06月03日 | 好きな日常
午前中は薄曇であったが、昼前になってポツポツと雨が来ては
又帰る状態の昼過ぎであった。
で、
仕事をそこそこにして、大変にお世話になっているKGY女史の
左京区大原の畑を訪問する事にした。
目的は先日いただいたホンダ製農機のスペアパーツの引き取り。
ご主人も畑にて元気で農作業をしておられて、訪問時には木陰で食事中であった。
少し驚いたので有るが、濃い茶色のトイプードルが2匹同行で畑に居て
のびのびと遊んでいたり、農作業する上で迷惑この上ない野生的行動を繰り返していた。
必ず、飼い主の見えるところに居るのは犬の習性であろうか?
その食事の内容で少し大爆笑が有るので記すことにする。
女史が缶のリングプルを開けて少しを犬に分け与えた。
肉の缶詰のようでありその高さの無い薄い缶はどう見てもドックフード。
そのドックフード様の物を女史はリーフレタスに包んで自身の口へ・・・・・。

超ョ~~驚く私!!!!

《ドックフード食べてるん?》問うと、・・・・・・・・。
なんと輸入コンビーフであった。

私はてっきりドックフードを食べていると思ってしまっていた。
女史の今までの行動はそれを食べてもおかしくない行動が目立つ事が多い。

以前、レビューに同行した時もである。
その帰りに靴を脱いで食事をする所に行ったので有るが、
靴下を片方だけ履いていなかった。どこかで脱ぎ忘れたらしい。
別の方に聞くところによると海外旅行で出発の際にパスポートの準備ができていなくて
荷物を開け散らかして探したりする事もあったようにも聞いた。

まったく構造の中心で子供の頃からの進化の無い方。
普通の方では少し敬遠の対象となる行動が多い女史である。

私は全く気にならないので今も楽しく親交が有る。

で、
少し時間が有るので久々に還暦ダンス氏といつものサイゼリアで熱く討論会。
今日はすごく深い話。
その話の要点から結論をそのときに出す事はなかったが、
私なりにその結論をまとめてみると下記の内容で落ち着く。

一つの結果はどうであれ事象を自身で企てて実行しようとすると
必ずや《算》が生ずるのは必然である。
その《算》の机上での結果が良くても悪くても先ずはその水面に石を投げ入れてみる。
当然、その石の落下した水面の周りには波が起きてその直径は均等に円を描いて広がる。
浮き草が揺れる。
この浮き草が揺れる事が人心であるとするなれば揺らした事が結果としてなら
成功したと言う事である。

物事の始業者として、その石を投げ入れずに、又、物事を企てる事だけに
夢を見る始業者風の方を多く見かける。

私は一笑するので有るが・・・・・・。

この方達の話を聞くのはたいへん疲れる。
まだ、なんら行動を行わないのに夢の話や理想を語るのである。

とある方は、子息に店を与えようとご苦労されているのを目にしているが、
はっきり申し上げてその子息に運営の資質は無い。
運営の資質の有るものは自身で行動を起こす。
又、
とある知人の同居人は、誇大に自己能力を良評価していて
人の事業の評価は散々に言うがなんら事業を企てていると言いながら
その準備の為に資格を取るとか、行動を起こすとかを聞いてはきたが・・・・・
語っている事はここ4年ほど経つが見てはしない。

即ち、石を投げ入れるだけの力を持っていないという事。

ましてやこの方々は、名誉や地位を重んじる傾向に有るようだ。
薄っぺらく直ぐにも剥がれ落ちるものだと気付いていないところが不幸である。

しかし、
その力を持ち合わせていても、恐ろしい勘違いは実力以上にあまりにも大きい石を
持ち上げてその水面に投げ入れる事。
すごく危険なのである。
自身に水しぶきがかかるし、又、浮き草も遠くに押し流されたり沈んだり
迷惑この上ない行動になりがちで有る。

私は幼稚な精神構造であった頃にこの経験をしている。

《肝心な事》を知る為には冷静沈着な真理を見極める力が必要に思う。
流行物にもその隠された部分にも理解を示す事や意図する事を見抜く力が必要であろう。
その為には、視覚的情報を無機質な物より発信者側から一方向的に受け入れるのではなく、
能動的にこちらから発見の為に行動し発見に至る喜びを得る方が
どれだけすばらしく感動的であろうか。

雄大な風景のテレビ画像は真実ではなく、
たとえ、
埃の街の雑居ビルのトイレの小窓から見える自身の目で見ていて感じる光景は
真実である。

幼稚とは《肝心な事》が理解できない事。

私以外にあまりにも世の中にこの輩が多すぎる。
私が疲労困憊する原因の一つでも有る。

もうひとつの土曜日 / 浜田省吾 【歌詞入り】


今日の話題に付随するかどうかは別にしてを以下の文面を付け加える。
遠い蒼空の下に私が人間的に発展的進化をする為に
このハマショーを聞いて欲しい人が居る。
私は、忘却という方法も進化する上で必要なツールで有る事も
多くの事から自然に学んでいた。
しかし、忘却ができない事も有り、いつまでも引きずる自分が反面に存在する。
誰しも有る事であろう。

発想のGENESISを出発点とするなれば、
過程のEVOLUTIONの最中においては
くれぐれも《肝心な事》と言う言葉を忘れて置き去りにしたく無いと
自身痛烈に幼稚であつた当時の事を思い出しては反省を伴い
今後に二度としてなるか!と思うのである。

幼稚でない為に一生涯《知りたいという欲求》を持ち続けていたい。
やはり私の修行は続くのだ!と確認をした。

私はこの頃、脳内を攪拌する話をしてしまう。
強風下の旗が風に激しく鳴り、
引きちぎれんばかりに目を閉じるとはためいている。

排水性を高める工夫

2012年06月02日 | 言わせてもらいます。
耕作している、とある一枚の畑が未整備で永く放任されていた水田の跡。
その耕作放棄地を私が畑に転用しようとしているのであるが、
ひじょうに排水が悪くいつまでも湿田の状態で
耕作できる状態ではない。

この状態を改善すべく色々と毎日思案をしているので有るが
今日はとにかくその状態を確認してみようと
草が伸びっぱなしの明渠(排水のための溝)部分の草刈をしてその状態を
確認をしてみた。

下記の画像はその草刈前の圃場に作られた明渠の状態。
どこに溝が堀られているのかも分からない状態である。
この草の中にその溝が隠れていて適当な傾斜を持って
圃場内に有る排水口を経て畦をくぐり排水される。



その圃場に作られた明渠と耕作地を区切る畦に茂る草を刈り払ったのが
下記の画像。



その排水のための設備が見て取れようかと思う。
しかしながら、その先に有る排水口までの傾斜が永い年月未整備であったために
泥や枯れ草が溜まってその傾斜は失われている。
本来なら、画像手前方向から向こう方向へわずかな傾斜が作られていて
圃場の中で溜まった水は一度画像手前へ集まってこの画像の明渠を
向こう側に流れて排水される。



その草刈の途中、刈払い機の刃を変えた。
私は良く使うナイロンコードの使用はあまりすべきで無いとの考えを持つ。
よって回転が加わると少し重たくなるが昔ながらの八枚刃を使用している。
その刃の状態のビフォー・アフターが下記画像2枚。
ナイロンコードの使用はその場所を適切に選ばなければならない。



研ぎを入れて数回使用しているとこの径まで小径となる。
5mmは直径が小さくなった。
下記画像からは、その私独自の刃のチューニングが見て取れるかと思うが・・・・。



私がナイロンコードを使用しない理由は、先ず第一にナイロンコードによって
弾かれた石が周囲に飛散して栽培している作物にそれが当たると損壊する
危険が高い事。
そして、叩き切る構造ゆえに本来は傷をつけない雑草の根までを切る事になる事。
恐ろしいのは、この弊害。
草の根を切ることは、根が張ることにより強度を保ち土を引き締めている
畦の強度を落とし、その結果、土の緻密性が失われて透過浸透の圧に
耐えられずに、本来の水田で生育に必要な貯水性能が衰える結果となる。
即ち、
水持ちが悪く絶えず水田への引水管理が必要となる。
現に私の管理する圃場の隣の水田では畦の斜面から大量の水が染み出していて、
その斜面に私の半身体重を手で掛けてみるとずぶりと簡単に拳が入る状態である。

草刈の必要性は充分認識しているので有るが過剰なまでの草刈は
いかがなものであろうか?

カメムシやイナゴの宿る草木が無いことは・・・・・・・。

米作農業体験者ならその結論はご理解いただけるのではないかと思う。

自然と調和と最低限の被害の容認ができない農業は農業ではない!

すばらしい農産物を生産する事だけが農業ではない!

自然を理解できず、口を動かし権威を振りかざし古い因習や継承が最善と考えて
研究の為に体と頭脳を動かさない農業者は現代では真の農業者ではないのである。

自然に対する道徳心を持たない農業者が多いことに驚く時がある。

最近、私が農作業をその日分を終了する時点の基準で、
《今日はこんなもんにしといたろ!!》と、
自身に言い聞かせて終了するようにしている。
自然に対してだが、痛めつけているのでせめての武士の情けを含めている。
翌日の朝、同じ場所に立ってみて眺めていて、
その場所で仕事にかかる時に思わず自分らしさに気付く。

《完璧では無く少しの中途半端を残している状態が多い。》

やはり、《ソコソコ・無難》という言葉が私には
すごくこの頃では心地が良い。

以前は完璧で無いといけない人間であったが、なぜか変わったようだ。
京都大学理学部の今西錦司先生は生育環境がその生体(態ではない。)の形を
変化させる論文を出しておられる。
例えれば、明石海峡の真鯛と若狭湾の真鯛とでは形色が違う。

殺虫剤抵抗性の虫が登場することは・・・。

その先の起りうるべき事を考えてみると良く分かるであろう。
それを延々と繰り返す事だけは避けてみたい。

人が作り出した化学物質を軽々と乗り越える虫の生存生態が有る。
人間はいつも敗者である。
転げ落ちるピタゴラ装置の終着とアルゴリズム行進の到着地は白旗だ。

私は最近の暫くは排水が悪い日々が続いているので、
もやもやっと沼気(CH4)が溜まり、炭素原子1個に水素原子4個が結びつく。
発火の危険性はその水素原子と加えた塩素とそのときの温度により実現する。

そのうち、運動会のように畑に万国旗を張ることにする。

今日の文面から私の脳内を適切な理解できる方は居るのか?

私だけが食べる米は、苗代で苗を育て、牛で代掻きをし、皆総出で田植えをして、
草刈機を田の中を手押しして、鎌で稲を刈り、稲木で天日で稲を干し、
足ふみ脱穀機で脱穀し、手回しでもみを摺り、水車で米を搗き、
できたお米は少しの虫の食害を受けてぽつぽつと黒いお米が混ざるが、
カマドで御飯を炊かなければ美味しくいただけないような米の生産をしようか?
これは究極のこだわりのお米!
至福の幸福感が有るかもしれない。




突然と偶然の人

2012年06月01日 | 楽しい人
안녕하십니까 と、
携帯電話の向こうでいつもの元気な声が聞こえるのであるが、
その時は、
「まいど!!まいど!!今なぁ~舞鶴から帰りで行きと同じ道が嫌なんで
池やんの近所の道で、帰ってるけど寄って良いか?」との事。
で、
氏は突然にやってきた。

もちろん大歓迎で迎えた事は言うまでも無い。

氏は私の作る晩御飯を食べてしばし久々の歓談。
なぜか氏からはいつも元気がいただける。
氏は以前、このブログでも紹介したSNG氏。
本年最初のブログ写真のサックス吹き。
3月末まで人生旅鴉の時期には大変にお世話になった。

私への質問が有ったようなので私の知る範囲で簡単明瞭に
その質問に答えてみる。

で、車を停めている横で立小用をしながら、いつものように号砲一発!
下品が下品に感じるすきを与えない氏のその類のカテゴリーの行動の
スピーディーさは持ち前の野獣の本能によるものと確認をさらにする事に
なった。

そして今日、
偶然、総合庁舎前の交差点ですれ違いざまに目線のあったライダーと
オフロードバイクが一台あり、そのバイクが急転回して追っかけて来て
私がいつも立ち寄る地元のファミリーマート(この訳は下段文節)で
これまた古い友人と久々の再会。



自動車を運転する方なら頼ることもあろうか?
街中でよく見かけるあのレッカー車やあのロードサービスの職員さん。
この友人も以前このブログで紹介した友人だ。
山行きバイク乗り。
《覚えていろよ!茶呑峠!茶呑峠で難渋する。》
と、彼との山行きバイク同行走行の内容を記し
そのように題したと思う。



彼の話がたいそう興味深くて、少し現代の社会構図を考えてしまう話で
あったのでその話題に引き込まれて、
ついつい、先日起った私が管理する畑での少しの事件の
事後処理の時間がどうでもでも良くなるほど話しをしてしまった。

その一例をここの記す。

①認知症の老人単独運転
国道一号線を大阪方面から走ってきてなぜか京都市北区の
よくもここまで走って来たというような山中でレッカーの移動要請。
その車を運転していた老人の姿は付近を捜索するも見えず。
家族の方からのレッカー移動の要請。

②自殺常習者
とあるいつもの山奥で、自殺常習者のいつもの車のレッカー移動。
自殺常習者はいつも自殺に失敗する。
これも家族の方からの依頼だそうだ。

③レッカーがレッカーされて修理工場まで移動
あのロードサービスのレッカー車が良く壊れるメーカーと車型が有るそうで
壊れたレッカーを自前のレッカーでレッカー移動する。
これゴッツかっこ悪いらしい。

で、この後私は事件のあった畑でその後始末に時間を費やした。



午後からは先日突然に走行不能になったフィアットの整備段取りの
打合せも控えており、ひたすら後始末の草刈を途切れ途切れになるのであるが
何とか継続して行う一日となった。

藤あや子-むらさき雨情.avi


私が良く行くファミリーマートは私の住む地域で唯一の存在する
コンビニエンスストアーである。
なぜ引き込まれてしまうかと言うとその便利さもさることながら
《ナイスなボリューム・ジャンボもなかアイス ¥105》が
欠品なく常時有る事。
午前中の仕事終わりに良く購入する。
それと、家族経営の素人ぽさがマダマダ抜けていないお店で、
街中から来たお客さんには少し対応が遅く感じるかもしれないが
これはこれで地域性とでも言おうか?私は好感を持っている。
そして、何より店長・マネージャを筆頭に美人である事。
どうせ買うなら・・・・・・・・。
男子諸君なら同じ感覚をお持ちかと思うがいかがであろうか?

私の美人の基本ベースがph7の藤あや子なら、
ph6が、前出SNG氏推薦の山科区のとあるローソンの微妙な熟女。
だが幸運にもph6.5がこのファミリーマートに6人いる。

でも、ph8以上を既に私は見つけている。
これからの雨の季節、その女子としっとりと貴船あたりで
一傘からはみ出る各々の反する方の腕と肩が雨に濡れるも良いやろなぁ~。等と、
相変わらずの有り得ぬ夢と憧れる情景を脳内で見ては一人照れ笑いをする。