池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

鉄道技術革新の功罪

2018年03月02日 | 独特の感覚
関東方面へ急ぐ要件があり、先日の午後一番の東海道新幹線【のぞみ】を利用した。

私は、特急とか、新幹線というものがあまり好きでなく、鉄道を利用した旅では、
早達という事をあまり意識して利用はしないのが日常である。

せいぜい、新快速電車や関西圏私鉄の特急料金が発生しないモノを利用するぐらい。



で、今回は新幹線車内で感じた事をツラツラ記してみたい。
ほぼ、指定席は満席で旅行客半分(外国人が多い)、ビジネス利用が半分というところか。
で、私は、太平洋側の窓側。
隣りが空席、通路側がビジネスマン=テーブルを出してパソコンを弄っている。
で、頻繁に電話をかけに通路を歩く。
たった、2時間半を静かにできない様子。
私は心の中で、「彼は仕事ができる人間では無い!ダメリーマン!」と断定した。
私の持論でもあるが、仕事のできる人は、必ず余裕を持つ。
だから、新幹線での短い移動時間は、次の仕事までの休息の時間や、
脳を休める時間としても利用ができよう。
新幹線車内で仕事をしている方は、私の持論では仕事のできない方である。



とにかく新幹線と名のつく乗り物は、風情が無くて無機質。できれば利用したくないなのが本心。
そんな、午後イチに利用した新幹線で車内で取る事にしたのであるが・・・・・・。
餌・えさ・エサと例えるのが適当であろうか?
全く味が無くて、味が付いている食物を食べる。
当然、美味しくもなく、そして、高価。



鉄道の味と言えば、駅弁。
その駅弁も昨今では高価すぎて、買う気にもなれず、唯一、豊橋駅のいなりずしは買う時がある。
まったく、辛くて味付けは名古屋人好みというか、コッテコテのギトギト濃厚なのである。
列車内で、開封してみると、阪急電車で【551蓬莱】手提げ紙袋を持ったおばさんよりも強烈臭。



三ノ宮~京都駅なら、新快速電車を利用せづ、快速電車を利用するとご覧のあり様。
空席が目立ち、少し到着が遅れるが、快適に列車旅の時間を過ごせる。
当然、線路の軋みや継ぎ目の音も心地よい。→心地好く居眠りができる。
八代亜紀の【愛の終着駅】で、素晴らしい歌詞を思い出した。

文字の乱れは線路の軋み
愛の乱れでは無いですか?
読めば読むほど、気になるの



先日、福井駅で少し小腹が減ったので、列車乗換えの待ち時間が有ったので
何か食べるものはないかと、駅のホームを探してみた。
今庄そばが有るのであるが、17時閉店。
で、階段を降りると、駅中にコンビニエンスS。
冷める。



函館本線 / 山川 豊


たしかに、鉄道技術の発展により各都市間や地方の農漁山村への到達時間は短縮されたといえる。
しかし・・・・・・。
それによって失われたモノの価値を見直す事を我々は忘れているように思う。
その失われたものとは、【本来】という言葉だと思う。
近い昔の事だが、鉄道を利用する人にはそれぞれ区分訳ができたように
思うがいかがであろうか?
○通勤・通学
○出張・旅行
今はゴチャゴチャ。

だいぶと、残念である。

京北クラフト

2017年10月14日 | 独特の感覚
既に、この頃では、私の住む地域では秋も深まりつつあり、色着くのが早い種の樹木の葉は
少しだけ色が変わりつつあるのを見ることができる様になった。
最近の1ヶ月間ほどは、現業仕事に身が入らなくて、
ため息から朝が始まり、作業をしていても持続する気力が続かず、
その後、坐り込んだまま何時間も空想と実現が難しい夢想を巡らすだけの一日で、
日没を迎え終わる事が多い。

そんな、自身の怠慢が原因である現実からの無気力ゆえの逃避行動に、悲しく思う時が多い。

で、少し気分を変えてみようとして、行ってみた。
《京北クラフト展》



お知り合いにさせていただいている方々の出展ベースもあり、
そこそこ楽しめる。
が、
ほぼ毎年、出向いて、作家さんの作品を楽しませていただいているが、
しかし、会場は、毎年、その会場には、前回訪問時と同じ時間が流れて、同じ風を感じる事に???と思いつつ、
毎回、時代に即したトレンドとテーマ(主題)付けがあってもよいのかもしれないとも思った。



上画像は、知人の《頑張っている社長》が机の位置を変えている。
地域のお祭りの日と重なり、お忙しい中でお祭りお役目と展示の出展のお仕事中である。
林業が盛んな地域で、その森林の福産物を癒しアイテムの商品化をされている。
くわえて、それらアイテムに使用されているベース香油は自社製であり、
アロマ製油の製法に関しては独自技術を持っておられるようだ。

杉乃精   http://suginosei.weebly.com/





2枚の上画像は、木のおもちゃ作家さん。M氏。
氏の作業中を見学する事も多いが、複数の氏の作品を見るのは初めてである。
懐かしく、優しい。


2枚の下画像は、私の仕事場の近所の陶芸作家さんの出展ブースから、
宝石ソープなのである。
手作り感が満点で色合いが美しく、興味を引き付ける。

atelier Kiku   https://atelier-kiku.jimdo.com/





あいにくの曇り空から、たまに葉先からの雫のような細い雨がぽつぽつ落ちる天候の中で、
考えれば、この《京北クラフト》が終了すれば、
「秋も中盤から終盤になるよなぁ~。」
「今年も残り少しだし、結果がない1年だったよなぁ~。」
「・・・・・・・・。」
等と、余計に落ち込む帰り道であった。

街の人から、山の人になってかれこれ6年目。
私はやはり、海の人なのかもしれない。
少しでも海に近づくことを考えてみても良いのかもしれないが、
もっと、山奥の人になるのも一考している今日この頃に、
帰り道、あまりにも切なくて、一人ニタニタ、情けない心中を笑う私である。

憾(うらみ)


今、こうしてブログをカタカタ汚れたキーボードを叩いているが、
当然、音楽を聴いている。が、聞かなければよかった曲。
こんな気分の日に、滝廉太郎のこの曲調は、癒されるとは言い難く、
余計に落ち込んでくるものである。

《生》を感じるは美しく、感じた美しさに内在する《美》は悲しい。


最近、気付いた。




関西人から見た東京の不思議

2013年07月04日 | 独特の感覚
7月2日に自身の事業の営業折衝事の活動を数社アポイントメントを取り、
7月1日の午後遅くから京都を出発した。
行程は、八王子までほぼノンストップ。
中央道を使用する予定であるが経費節減の為、京都から岐阜県土岐ICまでは
一般道を使用する。土岐ICから八王子ICまでを一気に走りきる予定で
愛車に鞭を入れて走らした。
八王子駅近辺のいつものビジネスホテルには2日の午前0時30分着。
さすがに疲れてベッドに入るやそのまま朝まで爆睡する。

午前7時半に起き出し、ささっと風呂に入り身支度をして朝飯食って、
出発が午前9時を考えていた。
東京から少し離れた八王子のような都市のビジネスホテルでは外国人が多い、
格安だからだと思うが、私は朝早くからあの鼻にこもった韓国語だらけの中で
安く冷たい朝飯を腹いっぱいに食うのにもこの頃では慣れつつある。

午後の商談約束まで時間があるので、車を国道20号(甲州街道)で
先ずは新宿を目指す。
狭い道を関西人独特の走り方。たぶん、関東人ドライバーから見れば
少し横着なのかもしれない。

11時前に早くも皇居桜田門まで来てしまった。

ん~~時間つぶしでどこか行こうか?と思ったのが東京駅の丸の内辺り。
八重洲側へ回り、≪そうだ!浅草に行こう!≫と決意する。

浅草雷門門前の地下駐車場へ車を入庫し、エレベーターで上がるとそこが雷門。
右手にはスカイツリーが高く立ち見える。



平日でありながら観光客が多い。
言語はほとんどが中国語。
声がでかくて煩い。



門前の仲見世でも、中国語と韓国語のポップだらけである。
しかし買う客はほとんど居ないようす。
人形焼も袋入りで買う人も少なく、製造機械の動きを撮影する中国人が多いのに驚いた。
真似するに違いないな。



どこの寺でもお決まりの線香が煙る周りに人だかりがあるので近づいてみると、
スペイン語の怒涛の嵐と中国語の洪水。
スペイン語の団体はその煙を吸い込んでむせ返っている。この光景に皆が大爆笑。
ガイドさんが一生懸命作法を教えているのであるが・・・・。
完全無視の様相である。



そんな、浅草寺のメインストリートから少し脇にそれると上の写真のように
すっと人気が消えて静かな光景も見ることができる。
スカイツリーと浅草寺の塔の対比が面白いと感じ数枚を画像に収める。



京都の街中でさえも、めっきり見る事ができなくなった昭和な喫茶店を発見!
何となく雰囲気が素敵なんで・・・・。



美味そうな洋食屋。



真昼間から、ヘベレケでいい調子の親父たちが多く居た。
道にテントを張り出して営業中のモツなべ、焼き鳥の居酒屋。
客引きは中国語と日本語と韓国語が話せるみたいだ。
客には外人がちらほらいい調子で出来上がっている。
テーブルにデレーッと顔を乗せ酔っ払い寝ている客も居る。
なんともいえない雰囲気が漂い私は居心地が良い。



木馬座なる芝居小屋。
いかにもなが、好ましい。
浪曲と講談、演劇旅一座が主のような演目に歴史と文化を感じる。
ますます少なくなっていく大衆演劇に魅力を感じるのは私だけであろうか?
でその劇場の庇の下には酔っ払いであろうか?
女が路上で寝ている。



で、この浅草で一番究極は上の画像のこのお店。



暑い日ざしを受けながら浅草探訪を終了し、神田の知人の会社を訪ねる。
その神田に行く途中、蔵前で驚愕の店を発見する
古本屋さん。この雰囲気が素晴らしく、感情抑えきれず感動する。



知人の居る会社が上の写真。
≪京都鰹節(株)・東京営業所≫彼は単身赴任中。色々、情報交換。
その中で興味引く話が三つ。
一つ目は、商売の方法が全く関西とは違うという事。
二つ目は、食に対してのこだわる文化が貧弱であるという事。
流行り廃りが激しく流行るものにうまさを感じないとも言う。
三つ目は、京都でしっかりと取る事のできる昆布出汁が関東圏特に東京では
全く取る事ができないという事。
これに非常に興味を持ったので論議を開始する。
どういう事かと言うと・・・・
京都で一晩水道水に付けていても出汁はしっかり取れるが、
東京の水では全く出汁が取れないという事。
食に対して、鈍感にならざるを得ない原因の根本は水質にあると彼は断言した。



神田での商談と彼との再会を1時間ほどで済まし、築地へと向かう。
メディアで一時期相当騒がれその食材の秀逸性に関して相当持ち上げられてはいたが、
結局は料理の根本である水の事が脳内で引っかかり、
考えすぎであろうか?なんかせっかくの食材を生かしきれずに
食しているのではないであろうかと考えると虚しくなってきた。

以前、このブログでも書いたが、全国平均した味であるはずのマクドナルドでも
八重洲地下街のマクドナルドが本当にまずくて私は食べられなかった。

食の文化に関して特に味付けに関しては関西圏と関東圏とでは大きく異なる事は
ご承知のとおりであろうかと思う。
その根本は私は水が大きく作用しているということであろうかと今回の東京訪問で気付いた。
考えてみると、コンビニで販売されているおにぎりの味が関西圏のものとは異なる。
お米の塩味に力が無い。程々の塩味という味ではなく・・・・。
水臭いのである。

素材が一緒であっても味の感覚や出来上がりの食味の評価が違えば、
当然、日々の食生活も違う訳で調理も違い食す料理も違う事が分かる。
で、
そうとすると、当然人間としての生活も変わり発想も違ってくる。

そんな事を考えつつ、下町の昭和に触れることもできる東京は、
いわば、首都でありながら人口の多さを背景にしているものの
全くの田舎と言えよう。
消費能力が高い町でありながら、関西人の粘りと発想が湧いて、
もがきながらでも少しづつコツコツと発展するような町では無いように
思っても良い。

ある意味、常識や常套という言葉が無い町なのかもしれない。

住みたくないし、住むに適さない街であると評価できた。


東京 (やしきたかじん)



=お詫び=

Webで色々なコミュニケーションをはかれるサイトがあふれていますが、
それらのサイト内からのリンクで当ブログへ訪れてくれる方のメール着信に
関しまして私の設定が間違っていてメッセージをくれた方々のお気持ちの
お便りがどうも不着であった様子です。
改めて設定しなおしましたので、改めて、メッセージをお願いいたします。
何より先に謹んでお詫び申し上げます。
何卒今後ともご訪問宜しくお願いいたします。

偶然から始まる。

2013年05月26日 | 独特の感覚
5月も月末となってきた。最近の天候は晴天が続き、からっと乾いた夏の日差しが
迫りつつあるのを、畑仕事をしつつ肌身に感じている今日この頃である。
もう少しすると入梅となり、あのうっとおしい季節が訪れる。
それまでに力仕事を済ませておきたく農作業に精を出している今日この頃である。
最近、このブログの文章を考えて送稿する事が極めて少なくなってしまった。
別ジャンルのSNSに接する事に割り振る時間が増えて、
当然といえば当然で、そのSNSでは厳選して仲間を作っていて、
リアルな友達繋がりの相手に自身の近頃の近況や、その時・瞬間の折々の感情を
リアルタイムで伝える事ができるので、一時に比べてそのSNSへの送稿も減ったが、
まだまだ自己主張の方法は、そのSNSが私の場合は主となっている。

そんな、SNSで繋がっている友達、また、SNSの効果を充分に利用して
消息やその友の近況を知る事ができた方々、また、SNS以外で何らかの関係を
持つ事ができている、または持つ事ができた方々との始まりを
少し昨日考えてみる事にした。

と、言うよりも・・・・・、

ハタと気付いたと言う方が的を得ている。

地球上の人口の中の、相手が一人。
これだけでもうすでに勘の鋭い方ならこの後に続く語がすぐに浮かんでくるかもしれない。

≪偶然≫

自分がこの世に生を受けて出生することも、親の出会いの≪偶然≫が原因。
友が居る事も、何らかのお付き合いが始まる方も、
すべて人のお付き合いの最初は偶然であるように考えてみた。

恋人も妻も愛人もすべてそこに居てた≪偶然≫からスタ-トしている。
その相手との間にできた子供・子孫に関しても相手との関係のスタートが偶然だから
偶然なのではないか?等と深く深く考えていた。
人を好きになるという事も相手が居なければ無理な訳で、
相手が偶々、偶然にそこに居てたから好きになった。

私が言う≪偶然≫の意味をご理解いただけるであろうか?

偶然を装い、SNS内で知らない相手と繋がろうとする事に私は良い気持ちがしない。
実際に言葉で話す訳でなく、無機質なボタンをタイプして表記された言葉によって
コミュニケーションが図れていると感じる事は、所詮は無感情である事には間違いなく、
真意までをも読み取れるようには感じはしない。
相手の気持ちをすごい錯覚して感じるような気がするからだ。

実際に、何でそこまでリアルを知らない相手に私主導で行う行事に関して
私が主体で行えば良い行事を、わざわざ、そのSNSの私の知らないメンバーに気を遣い、
行動をしなければいけないのか、理解できないような進言をSNSでの仲間意識に
囚われ過ぎた方から受けた事もある。
私の行動に、SNSのリアルな繋がりでない方の予定を優先させるような
気持ちは全くない。

即ち私は私なりの行動で動くという事で、SNS内でのリアルでない友の申し出など
聞く耳を持たない。

この頃、SNSを見ていて感じる事が多いのだが、
それぞれの趣味や美味いもの・自然や家族などの送稿に関しては個性が出ていて
たいそう楽しいのであるが、
自分を中心に仲間意識を作ろうとする方々を良く観察していると、
どうも≪日々、淋しい方々≫が多いように感じもする。

無機質な表現を真に受け取ることができない私は不幸なのであろうと思う。
しかし、その疑いの目をもって接しながら、淋しさを紛らわすことを好まぬ私は
それならいっその事、一人を好む傾向にある。
即ち、淋しさが楽しい。
なんて一人で淋しくこの街を漂流しているのであろうかと・・・・・。
自己陶酔!
その街に最適は深夜の神戸山手あたり。
坂の傾斜から港方向への景色が涙を誘う。

前川清 神戸


一人、有馬側から長いトンネルに車を走らせ、一気に浜に近い場所に出る。

これがたまらなく好きだ。

人との付き合いの始まりは≪偶然≫から。

だから明日から私は、近隣での職務は公共交通機関を利用しようか等と・・・・。
隣に座る妙齢の美人と恋が始まるかもしれない≪偶然≫を期待したいものだ。

≪偶然≫からの進展は期待に値するし、≪偶然≫で始まったお付き合いは大切にすれば
一生そのお相手にやさしくできるし、そのお相手へ与えたやさしさの目に見えなくとも
お返しで、自身もユラリとしたやさしい揺り返しの木陰のハンモックの揺れ方に
身を任せる事ができよう。

まさに至福である。

≪偶然≫で始まった人とのお付き合いは大切にすれば、
必ずやお互いが優しい気持ちになれる。
決して、お相手に気持ちを上手いように利用されているとしても、
自身の気持ちは良心で満たされている事に喜びを感じる。




大阪に行くと号泣する。

2012年12月18日 | 独特の感覚
衆議院総選挙が終わり、予想通りの結果を見て今後の日本は
果たしてどうなのであろうかと?
政治家の信用は既に地に落ちている結果が見て取れた。

世を治そうという関心の無き様相は投票率の低さが如実に表している。
というか、どの政党も候補者も私の目からすれば突き詰めた考えを持つでもなく
収支、どの論戦も≪日本再建≫を目指すところに落ち着き
結局、争点もイマイチはっきりしない選挙であったように感じている。
即ち、いかほどに日本が荒廃しているかという事の証明を、
その起源たる政治家自らが作った政策の非を認め政治家が方向転換をして行こう
という訳だから、その発する言葉の信憑性など微塵のかけらも無いのが
私自身の本音心中である。

日本国以外で過激な国民性と隠れた既存国体の転覆を図ろうとする過激組織を
持つ国であれば、このような時、クーデターが起こる可能性を秘めているのでは
ないであろうかと・・・・・・。
今日の午後、我家に向かう山の中腹に住む、ウイスキーのポケットボトル懐に忍ばせて
ちびちびやりながら焚き火をしている京都地紅茶研究所所長としばしの会談を行った。

氏は私が今こうして山村で粛々と計画を立案し実行している事に
関してその行動の早さにいつも驚いていると言っていた。

大阪生まれで大阪育ちで、成人直前に都合で京都に住むようになったが
京都の古い因習と高すぎるプライド故に他者排除の残る地域で住み活動するのは
苦痛だし、少し奇抜な事をすると≪人の目≫が最初に気になる小心な人達も多い。
そんな、旧家の付き合いや遠回しな言い方が嫌味に感じて、
思った事をストレート表現して、真理を返す私にはその相手も私自身も全く馴染めず、
未だに、上賀茂御薗橋を渡るときはヒヤヒヤ物である。
上賀茂神社などは・・・・もっての他。
即ち、影から覗いてヒソヒソ聞こえるように言う方々が多い。
私はそれを見つけると、おもむろに玄関に立ち今何を言ったのか問いただす。
相手は鍵を閉めるがごとく愛想を浮かべ相槌を言うが、
その時には卑屈であろう私の心情が本音を見透かしている。

そんな環境でうまくやっていける訳が無い。

両親にも私に関して旧家の本家や分家や身内に関して私の事でたいそう悩ませた。
若い頃、私の苗字のブランドが嫌で換えようと真剣に考えた事がある。

生まれて18年間は大阪で育った。
大阪市西区阿波座1丁目(旧中通2丁目45番地)私の故郷である。
出生地は大阪市大正区。此処を以前訪ねた事がある。
第二室戸台風以降に作られた防潮堤の高い壁に囲まれた場所で
板葺きの青磁色の建物が残っていた。



阿波座には少しの身内がいてるが高齢で少なくなってきた。
一番悲しかったのが2年前。
両親以外に唯一私の心情を察してくれる理解者が続けて他界した時。

私は人生で初めて孤独の恐怖が近々訪れる事の事実を認識した。
残るは実父一人になった気がした。



最近であるが、大阪市内に入るといつも泣く。
号泣するのだ。
車が運転できないほど泣く。
顔を見せられないほど電車の窓にへばりつく。

新御堂筋の淀川を江坂方面に渡る時、
阪急梅田駅で河原町に向けて特急が発車した時、
阪神高速守口線の扇町のSカーブを守口に向かう時、
地下鉄阿波座駅で九条からの電車を待つ時、
大阪市中央市場本場の夜の灯りが安治川に揺らぐ時。

等々・・・・・。

先日は所用で宿泊した茶屋町の高層ホテルの夜の窓から部屋の明かりをすべて消し
かすかに聞こえる街の喧騒、淀川越しに北方向の大阪の夜景を高い位置から眺めていた。

好きなはずの孤独が怖くて寝られなかった。

大阪の雑多な事象が私には心地よい刺激であるが、その昔ながらなんら変化の無い
人の自由な発想が生み出す雑多の中に居る事による心の安らぎとの別れと
同時に想い出を一瞬回顧した心地よい水中浮遊のような時間とも別れる。
再度、何時でも来れるのにこれで最後と区切りをつけてしまい
辛くて永遠の別れにいつも感じて仕方が無い。

23・4歳の頃、会社の提携した社員食堂でいつも朝飯を食っていた。
朝8時には一仕事終えて飯をたらふく食っていた。
その食堂の窓からは、川が見えた。
安治川が眼下を緑と茶を水彩絵具を洗い水に混ぜたような水面が止まる速さで
日々変わらず左から右に流れていた。
毎朝、同じ時間に引き舟がゴミを満載にした艀(はしけ)を引き下っていく。
緩やかなスピード。引き波も穏やかで護岸への波も低く。
窓辺に席を取りその船が来たら席を立つのが習慣になっていたような気がする。

その時も思ったのだが、私はゴミを積んだ艀のようだと。
不必要なものを一杯積み込まれて、滑るように引っぱられ、
埋立地で排出したらその責は終わる事を毎日繰り返していると。

いつも、そんな艀を見ては自分と艀を同化してしまい、
その訳を憂鬱に感じて≪将来はどうなんだろう?≫と考えていた。

無難な回答だけしか考える事しかできずにいたし、
平凡な回答しか得る事ができずにいた。

今、この歳になるまで生きていれるかどうかも予測はできなかったし、
その時、母の死が訪れている事すら思いもしないし考えもしていない。
どんな生活をしているかも分からなかったし、
どんな生き方をしているであろうも予想ができないでいた。

現在も将来に関して訳の分からぬ事は今までと同様。
若い頃と違うのは残り時間という高速の引き舟に引かれている満載の艀である事。
私は一生≪不必要のゴミを投棄している艀≫なのだと確信を持っている。

大阪ビッグ・リバー・ブルース 憂歌団('88)


久々に、年末は大阪に出てみようかと思う。
クリスマスが良いかも。

皆が楽しそうな喧噪の中で静かに周りを見てみようかと・・・・。

川口町の川口教会はどうだろうか?
子供時代の地元であったが行った事が無いので興味もある。

安治川の流れは変わらぬか?これも見てみたい。
船津橋から・・・・・・。

《旅の終りに》見つけた事

2012年12月02日 | 独特の感覚
今朝は寒く冷え込んだ。
京都市内から見るわたしの住む方向の山々の峰は白いらしい。
先程、我家を訪ねようとする友人からの連絡で分かった。

昨年の今頃、私は全国を旅する事を始めて1ヶ月が過ぎようとしていた。
その時は閉塞感ににもがいているようでもあったが、
何かしら行動する事により周りから偶然にも全国を旅をし、
又、今後の自分の行動に新たな風を呼び込むことが期待できるであろう
仕事の斡旋も受ける事ができたので、喜んで全国を飛び回っていた。
即ち、往路又は復路はその斡旋を請けた仕事。
その仕事を終了又は始業前に自身の仕事を行っていた。
1週間で5000kmを超える移動をも難なくこなしていた。

その一例はこうである。
月曜日の午後、新潟県新発田市へ出発し、火曜日の午後、京都に帰ってくる。
水曜日の午後、福岡県福岡市へ出発し、自身の営業活動を済ませて夜行高速バスで
木曜日早朝、北九州市小倉から帰ってきて短い我家での休息を得て、
木曜日午前、青森県八戸へ金曜日の午後遅くに到着し夜行高速バスで
土曜日、東京都内まで戻り京都へ在来線で戻る。
このような状態で1週間が終わる。

これを、11月~3月末まで。
この仕事をしながら多くの方と出会いその土地の風情を感じ思いつくままに
このブログでも記してきた事は周知のとおりであろうかと思う。

そんな中で、今も印象が深いところがある。
北から述べると、
八戸・仙台・門司・阿蘇

阿蘇に関しては全くこの請け負った仕事の流れの中ではなく、
自身の高校時代の思い出を思い起こしたく思った事が出発のきっかけである。

今もその阿蘇や九州の自然や風景や言葉や人柄や食に惹かれて続けて
その九州への探究心は止まないでいる。

関西圏で住む私の食感に対しての欲求に近いものがそこかしこに
溢れていて珍しくお土産にお金を使ってしまう。

一言で言うと・・・・・・
原料が好く見えて素朴!
九州の中でその中でも影が薄い熊本・大分が農産加工の取り組みの中で
マーケティングを最先に考えた商品開発能力すごいと思う!

これは行政の力添えも実に系統として誰でも取り組め参加できる解放的な
民力(民間資本)に素直なシステムである事が実に効率よく発揮されている
からの結果であろうであろう。

冠二郎 - 旅の終りに


そんな心中と観点を持つ私は、この頃よく言われる農業の農商工連携、
六次産業化の推進を国は声高らかに農業の現況打破のために
起業の推進を言いその補助・助成を言うのであるが・・・・・・
常にそのコロコロと変わる施策のこれでもかという打ち出し方に
信任できない本当に大丈夫なのか????とが付きまとう。
なぜなら、どうも民の動きを助力するという事を法制化する事自体に
型枠が見えてしまい足取りが重く、反って進捗が遅れ、製造者と販売者の思う
製品にこめられた思いが消費者への伝播拡販がスポイルされてしまう
かえってアリガタ迷惑なものになるような気がしてならないし
制度自体の真髄を見る事が薄い霧に包まれてしまうのではないであろうか?
などと危惧の念すらこの頃では芽生えだしてきた。

実際、国の制度は育てていこうとする構造改変について、
物の流れ、金の流れ、資金調達(提供)、関わる人、
《官僚の天下り先の支援ファンドを実施する組織を作った!》
ようにしか私には映らない。
これに対して、多くの商工会議所や経済団体が賛成を唱えている事も
不思議ではならない。
《儲かる》などと稚拙な考えではいけないのである。
まして、
《六次産業化を一次産業従事者である農業者は二次、三次産業者と協調して
 推進する事により、農業の基本的構造を変えて利益を得る》
という事自体が机上の論議でしかないところも考えなければいけない。
一次産業者が二次三次産業者の産業部門に二次三次産業者と手を組んで
起業し侵攻していき、二次・三次産業者の商粋に食い込もうというのである。
戦略が稚拙極まりない。
食い込まれて困るものがなぜ手を組むことができる????

その言える根拠は、私は二次産業者であり、三次産業者でもある。
その私が一次産業を実践しているからだ。
私は、だから農業を分離独立させている。

六次産業化を国の施策に従い起業して、もし失敗したら・・・・
責任を取るのは。一次・二次・三次産業者だけであり、
国がバックアップしている六次産業を起業するときに
出資ファンドを提供した株式会社はその設立に関与する資本と
取締役を引き上げるだけでよい。

掛けた梯子をはずす事ができる仕組みでもある。
道義的責任はどうなる?経営上許されない卑怯なシステムを国は推進している。
農業者はこれに気付く事ができるか?

言葉は悪いが、《民・百姓はいつも殿様の下》
甘い言葉には発する《輩》の下心と策略がある。

まともな農業者向けへの施策は県庁や府庁など地方行政に
派手な打ち上げ花火は無いが手で持って家族で楽しめる花火のような
優しく現状の事業規模に即した適量の作戦と適量の幸福、
苦労の実例、先史が多々埋もれている。
先人の知恵と幸福の価値を実感しようではないか!

その事だけを悩む農業者・商工業者の皆さんへお伝えしたい。

《旅の終わり》に見つけた事
私は、ばかばかしい日本での旅は終わる。



不変な物象に惹かれて止まない気持ち

2012年11月27日 | 独特の感覚
京都の街の今頃はできれば余り動きたくない。
急激に人口が増える。=観光客・・・・・・・。
未だにバスで団体ツアー旅行が多いような。
既成の有名処を作られたコースを回り紅葉と深まり行く秋を感じようという。
これは、本来の秋を納得できる尺度ではないような気がするが・・・・・。
でも、大流行(おおはやり)・人気を呈している。
先日、大手の漬物屋さんの前を通る事があった。
大通りに面するこの漬物屋さんは地方から訪れる観光客を乗せたバスが止まり
そこで買い物をする。満員!
店前には、原料であろうか?千枚漬用の大かぶらがディスプレイされていた。
演出も良い。
そんな今時期の京都が好きになれないでいつもいる。

とにかく騒がしく落ち着きが無い。

早々に外の空気を吸いたく思っていたところにに神戸に行く機会を作った。
短い滞在時間であったが満喫してみた。



突然、明石海峡大橋が見たくなり西へ向かう。
そこでデジカメを忘れているのに気付く。
と、
いうかそのようなつもりではなく本当に思いつきで行きたくなったからだ。
その思いつきも、その日16時に京都タワーに居て急に思い立つ。
この京都の喧騒を逃れようと。



やはり潮風はいいもんだ。
冷たさが心地よい。
面白い光景を見つけメリケン波止場でスマホのカメラで2~3枚を収めて
コーヒー(スタバのショート)を飲み儚き夢を見ていた自分に気付き一人で
又、田舎のボロ我家帰ってきた。

YVES MONTAND - Les Feuilles Mortes


京都街中はどんどんと変わっている。他所より観光入洛される方々には
気付き難いかもしれないが、街中をヨクヨク見ているとその観光者を餌にする
欲にまみれた姿は滑稽でその襲い掛かろうとする姿は嘘と虚飾の生り物でもある。
即ち、京都風が京都独自物の和物に変化している光景に出くわし
愕然と失望する事が多くなってきた。

清水あたり、錦あたり、を見れば良く分かろうか?

どうも、風情自体の均一化が図られているような気がしてならない。
もっと軒低く同時に敷居も低い雑多でその中に京都独自というものが
キラリと光る閃光を感じられても良かろうかとも思うが
いかがなものか?

先斗町の石畳の路地で食べる焼肉の食べ放題は・・・・・。
いくら先斗町の置屋跡を改装した京町屋であろうが京都ではないという事。

これが真の観光客を失墜せしめ京都観光自体を衰退させる。
やはり本物でないとね。

で、
私たち世代が訪ねるべき場所が京都街中でどんどんと少なくなってきている。
加えて更に、場所や物象だけで無く本心をぶつける相手となる人もだ。
だから、私は他所でそれら要求を満たし解消していると言っても過言ではない。

その解消場所の一つが神戸でもある。
人工物に溢れる場所でもあるが喧騒が無い港は静かに眺めているだけで
なぜか心が落ち着く。

帰れば居候猫が、ニャーと泣いた。猫が鳴くのは不変。
落ち葉を踏むのは、あと何度踏みしめる事ができようか?

日々、西の空を眺め、変わりいく天候に愕然と驚きながらも挑み続けてきたが、
その抱く儚き希望の実現を目指した行動に対して布団に潜り涙を呑む。

知っているは、知らないことが大半で勘違いしている。

2012年10月30日 | 独特の感覚
久々にブログを書いてみる。
この頃の周り世間の事象に関して自然現象以外で何やら不穏な雰囲気を感じてる。
仕事や諸々の発想の整理を兼ねて文章にしてみたく思い書き記す事にした。

とにかく今の私の現状は脳が痒い。痛くは無い痒い。
原因は次のとおり
一、知らない事が多すぎてその吸収に体力が付いていかない現状がある。
一、自身の性格とその行動の基であるが常に発想をしている事に詰めの甘さが目立つ。
一、知識を得たら現認しなければ気がすまない性格が以前より強くなっている。
一、行動開始順の優先順位をつけることができずに居る。

端を発したのは巷で論議されている原子力と国の領土問題から。
私自身、政治的背景を持つこの二つの事に付いてはそれなりの考え持っていたが、
そろそろ、揺らぐ事の無い持論の決定結論を持つべきだ!と考えて整理をする事にした。

先ず、あの震災以降の言われている放射能汚染に付いての知識が欲しくて、
先日、政治的背景のある放射能に付いての勉強会に参加してみた。
恐ろしさと害を知る事ができたのみで具体的な対策に付いて述べられる事は無かった。
発電に関しては止めてしまう方がいいと言う事は分かったのであるが・・・・・。
そこで話を1945年8月6日以前に戻して考えてみた。
第二次世界大戦中各国はアインシュタインの相対性理論を参考に核の分裂に
不断強烈なパワーが宿り、持続するのではないかを発想し核兵器を開発した。
発想の根源(戦の道具)は人殺しの為。
たぶん、
核分裂は、中性子が原子核に衝突してその分裂を繰り返す力をエネルギーとして取り出す。
しかし、その定理は数式で表されるものであって、実際にその衝突の瞬間と
分裂している様は確認する事ができない。
即ち、数式で表される理論が発熱する事が現れている事でその理論の実証結末を得ている。

火の力・自然法則の利用・物質の化学変化は因果が因から果までが確認できよう。
しかし、この核の分裂は未だその因果が確認できているのか?
私はできていないと思う。

確認できていない技術を利用していたのである。
確認が無く安全だという事で。(絶句)

安全だというつもりではあったが、決して安全ではなかった。
突き詰めて考えていないここにも私の嫌いな言葉の一つである
「想定外でした。」という言い訳が見える技術である。
今そのような技術を巷で科学者が評論する。
実際を見た訳でも無い技術を理論と実証を確認する事が仕事の科学者が論じる。
予測にしか過ぎないことをメディアで語るのである。
東大だとか京大が出てきて語る。

よくよくその≪真≫を考えてみたらこんなに馬鹿な話は無い。
私は人の≪真≫の次元の低さに閉口せざるを得ない。


野口五郎 哀しみのソレアード(布施明 訳詞)



日本人は≪恥≫を知る民族であると思う。
≪恥≫を知るから≪恥≫を知りたくないから腹を切る。
如何に今の日本人は≪恥≫知らずが増えたのかご承知のとおり。
日本が好きだ!天皇陛下を尊敬している!というだけで思想系統が
≪右≫という解釈も間違いがあるからこの世の中はおかしい。
誰もその思想が素後に尊皇攘夷に結びつけるというものではない。
恥を知るからこそ、その昔、欧米列強に盾を築いたのであろう。
当時、タイ・ビルマ・マレーシア・ベトナム・インド・・・。
アメリカに植民されていたフィリッピンは今もどうだ?
金を落としたが彼らは教育と道徳を落とさなかった。
東アジアで一番悲惨な国に感じる。

基本、今の中国と戦争を日本はしていない。
だって日本が戦争終わってからできた国だし。
韓国・北朝鮮もそうだ。
侵略という言葉が彼らから聞こえるのが矛盾にも聞こえる。

今・・・・・・・・・。

少し情けなく感じる。
政治を志す者が政治家になる為、選挙運動のために歯の浮いた言葉を発する。
選挙運動で名前を連呼し支持を訴える。手を振り身を乗り出して。
私は金が欲しい亡者にしか見えないときがある。
その行き着く先の公共福祉の実現という≪恥≫を知ればできない行動。
その≪恥≫を知らない方々が政治をする。
そりゃ~、調子こいてる民族・国家に付け込まれて領土問題も起こって当然。

奴らは≪恥≫を知らない民族です

ここでいう≪恥≫の理解ができない人はあまり近づかないで欲しい。
お願いです。
また、今より山奥に引っ越さなければいけませんから。

≪武士道≫を理解してから会いに来てくださいね。
良い本一杯出ています。

あまり良い文章にならんかった。やはり久々のブログは辛い。

ヌルヌルの乾ききらない接着剤が付き合わそうとする部材の隙間から
はみ出していて、うかつにそれに触れて指紋が付いてしまった事ありますか?

痒い脳である原因はその事に近い。

発想の為に大切にしたい基礎行動

2012年07月21日 | 独特の感覚
行政や企業の指導的立場や評価的立場の方々が多いのであるが
私の日々の行動を良く見て評価をくださる方々から、
「池さんの考えている事は不可解でその行動は理解ができない時があるが、
 なぜか、その発想がいつのまにか具現されていて本当に不思議だ?」
「その発想はどこから湧くのか?」
「なぜ、その行動が今すぐに必要なのか?」
私の動きを観察していてくれる方々が多くいる。
先日は、
「目的は何?で、どこに向かおうとしているのか?」
この質問には少し驚いてしまった。

目的?それなどは無い。発想はどこから湧く?どこからなどとは自身でも
あまり分かっていない。

タダ楽しい事だけを求めているとだけ答える。

しかし、発想のスタート時点だけはハッキリとここだ!を意識している。

数少ない給与生活の若い頃、
30年近く前に勤めた会社で聞いた、一言の言葉が私の物事に関する捕らえ方を変えた。
《見た事、感じた事を自分なりに評価してその事象に改善点が無いか?》を考える。
問題点を見つけ出す力をつけるともいえる。
対意を考えれば良い。
即ち、
《自分ならこのようにすればもっと心地よい》という事を考える。
これを基に物作りを考えたり、サービスを提供する。

その物作りやサービスに同感する者を集める事が独自性に共感した根強い
顧客層を生み出す可能性があるという事。
目に飛び込むものや五感で感じた事のアンテナを張り巡らせるわけだ。
で、それを実際に経済活動に生かせる術を考えていく。
即ち、
五感で感じる事全てに同感や異論、もう少し発展させた考えなどを整理して持つ事によって
自分なりの発想がスタートし、独自性を持った製品作りがスタートするのである。

先日の研究農場の見学でもその発想が沸いた。
下記の画像からである。
黄色のトマト・丸くないトマト・実り方に特徴のあるトマト。







現状のトマトの売り場でのパッケージは実に味気なく感じる。
1個売り、袋売り、トレーにパックされたもの・・・・。

もっと鮮度を消費者に訴える事ができないか?
もつと、自然の力を表現できないか?
もっと、購入後の鮮度維持を高める工夫ができないか?
等等・・・・・・・・・・を考えた。

この発想は来年、商品化して市場で勝負する為に雪降る時期に準備を進め
来年の夏には実際に販売をする。


また、その五感の経験はそれを元に次に起りうるであろう予測の結果を
見極める事ができる。
これは大切な事で、時間的な流れの中で起りうる事象の予測をたてることができる。
即ち、発想時点で経験を元の行動が《転ばぬ先の杖》となっている。

まとめれば、
発想の原料と計算できる結論は自分の五感の経験の中にどこにでも有る事になる。

五感の経験の働いていない創造物は普通一般の生産物でしかない。
それは創造物ではなく模倣というものに近い。

五感で感じる実経験が大切である事を私は過去からの体験として
常に行動内で意識をしている。
また、自身が五感での経験が無いものについて私は語らない。
分かっているつもりだけであって、分かっていない事だからだ。
返答は簡単、経験してない事は分からないで良いのだ。

《男子は出産の辛さを口で言い表せる事ができるか?
できようはずも無いし、表してもそれはわかっているつもりの空論でしかない。》
このように養老猛はこれを《バカの壁》で論じた。
私がその著を読んだとき、私の感覚がそこに有った。
同じ考えをを持つ人が居たと安心したのも懐かしい。

京漬物は京都だけでしか造れない漬物ではなく、
誰でもどこでも普通の家庭で作れる漬物が大半なのである。
《京》のイメージを利用してブランド化に成功した。
業界とメディアで作ったブランドに感じてしまい
そのなかで足掻いている弱小の事業規模では勝ち目は無いとの思いで
不安で不安で仕方が無かった。

それと病気が重なりもう身も心も最悪。

これが私が少し漬物から離れてみたい気持ちにさせた原因。
浜辺で造った砂山は潮が満ちれば、既に先は見えている。
《転ばぬ先の杖を折れない杖にする》を考えようと思った。

この事は考えなくて良いところまで考えてしまう事も伴う。
この事は良くも悪くもあるのも事実として経験をした。

なんか意味分からん文章になってしまったかなぁ~?
そうならごめん!

今日は朝早くから畑でだらだらと作業をしていたのであるが
昨日から梅雨の末期に戻ったような不安定な雨空が続いている。
ザーーーッときつく降っては少し止み、又作業を始めるとザーーーッと降る。
今日の気分はショパンのピアノソナタではない。

"I'm Singing in the rain", Gene Kelly


こんな事に早くなりたい。
Gene Kellyが、雨の中で純朴で美しく楽しくて、うらやましい。

先日、大量に作った餃子があまりにも美味しい!
その餃子を食すのを控えて準備を進める事にする。

五感で感じた経験を基に算した予測結果への、実践すべき対処法の研究である。
大げさかも知れないが・・・・・。

これも、《転ばぬ先の杖》だ。

少し予告を・・・・・・・。
近々、昆布の美味しいのを炊く事にした。又、当ブログで報告します。

多様性の面白さと《たまたま》という短い時間の表現

2012年07月14日 | 独特の感覚
世の中を見渡してみよう。

当然周りには多くの人が居る。
その中でも自分と全く同じ人は居るであろうか?
居るわけが無い。

そんな事を考えていて、突然思いついたことが有る。
ひょつとして生物で同じものはこの世の中全て、無いのではないか?と。
個体差は工業製品でも工差をわずかながらにでも有しているので、
生物以外でもその範囲を広げることができるかもしれない。
が、そのことは後回しにして生物を考えてみた。

では、物質のその構造において同じものの分類を考えてみた時には元素レベルの
組み立てにまで細かくならないと同一のものは存在しないと
言えるのではないであろうかと結論を出してはみたが
異論は無いであろうか?

そんな、細かい話をしだすと自身の脳内が煮えてしまって
ゴッツ疲れるのであるが、ここからは少し真剣にバカな話に付き合っていただきたい。

土の中には1グラムの中に1億個の微生物が居ると言われている。
1円玉一個の質量分に日本国民が居るわけだ。
で、その一億個の性質が違うと言う予測論が言われている。
同様・同型であったり似た特性を持ちつつも少しのところでその特性の違いで、
分かれる事になるようだ。

その一億個の微生物の特性を有益に利用しようとその特徴の選別を行う
研究が行われている。
どのようにするか、1億個の中から目的に必要な有益な微生物を見つけ出す研究。
1円玉一個の質量分の微生物だけで1億個であるから、
生息できる環境の中から見つけ出すと言う事になると
たぶん数字では、表す事のできない数字中の一個と言う事になる。

私は、これが面白く感じる。
分子応答機構学という学問である。

先日このブログでも記したがカリブ海のラム酒工場跡地の土壌の中の微生物から
蛾の幼虫に対して毒性をもつ土壌放射線菌(スピノサド)というものが見つかった。
その発見は偶然に等しい。
《たまたま》農薬会社の研究者が休暇に訪れたその土を持ち帰って
微生物を調べているうちのその効果をこれまた偶然的に発見する事ができた。
なんとそれから製品化されるまでに17年もかかっている。
化学合成品ではありえない開発の遅さだ。

《たまたま》という、偶然の時間的短い尺度で表現されている発見であるが、
そこから見つかった有益性は、《たまたま》という時間よりはるかに
長い時間にわたり今後使われ続ける事になっていることに注目したいと思う。

微生物や植物や動物のみならず、身の回りの人間社会においても
同様に多様性を見ることができる。
容姿、性格・・・・・・・等、何一つ同じものは無い。
同じ人が居てる訳が無いし、鏡の中の自分でさえ本当に自分であるかどうかさえ
分からない事を感じる事は無いであろうか?

私は夜の鏡を見るのが怖い。これも多様性の一つと言える。

多様性が有るからこそこの世の中が面白い。

そのように感じる事が多い今日この頃。

雨が続いていてあまり仕事ができないでいる私は
雨の日中、深く考える事が多くなってきて、
又、どこか脳内で時空の狂いか隙間が生じだしたのかもしれない。

その分子応答機構学を研究しているところは京都大学農学部に有る。
自由で裾の広い視野の研究は京都大学ならではであると思う。
昔、友人の京都大学工学部大学院生が私に言った言葉が有る。
「池さん、東大は官僚科学者を作るけど、京大は好き物科学者を作るし集まっている。
基礎科学を掘り進むのが京大や!だから東大よりノーベル賞受賞者が多いやろ~。」と。



科学は先のスピノサドの発見ごとく、興味本位からの研究スタートが行き着く先への
奇跡の道を生む。

今、原発が安全の会見をしている科学者の多くが東大の傘を着ている事実を見て
私は信用できないでいる事実が有る。
彼らはたぶん「タバコの健康被害はない!」と言え!」と言えば、
科学的根拠で論じる事ができるのではないであろうか?
で、東大と言うブランドも人心を納得させるパワーも有る。

《たまたま》その官僚科学者には使って欲しくない言葉である。
なんか、そうでなかった時に言い訳に使われそうだ。
《たまたま》汚染が拡散した。とか・・・・・。

物事の始まりは《たまたま》から。
これは大切にしたい時間的尺度だ。

今日はこの動画で〆てみたい気分だ。

グッド・ナイト・ベイビー


渋い!渋すぎる!





日本海情景

2012年03月25日 | 独特の感覚
経費節減の為に京都への帰りは、新潟市内からできるだけ我慢をして高速道を使用せず、
新潟市内から新潟バイパス~国道116号から国道8号を利用して京都まで帰る計画にした。
疲れを感じ、少し焦りを感じ出したら高速道を利用しようと考えて車を走らせた。

国道116号を柏崎市内で離れて国道8号に戻る。
その柏崎の街の外れから直江津方面へ走り,
坂を登り少し左に道が曲がると右に日本海が開け、右手に日本海を眺める風景が
そこから富山県境まで長い間続く。
運転中、急に眠気の襲われては目が冴える状態が続き、これは危険と感じたので、
反対側であるが名も知らぬ海岸が見渡せる駐車場に車を入れて付近を歩いてみる事にする。

天候は雨。
冷たい雨で有るが濡れるがままに歩いてみた。
歩いているうちに雪が混ざりだしたがかまわずに歩く。



冷たい雨に打たれる事数分、眠気はすっかり失せていて
呆然と目の前に広がる灰色のうねる日本海を眺めてコーラを一口。
国道を走る車の濡れた路面を切る音と崖下から聞こえる怒涛の響きの世界。
偶に、強い海風の中に鉄道の走行音が聞こえてきたりする。

長く細く高音の電気機関車の汽笛が一つ。
どうも崖の真下はトンネルの入り口のようである。
例の《ピョ~~~~》が聞こえては崖下で木霊している。



私は好きな光景《冬の日本海》
青い海よりも低く立ち込める雲と灰色の海色が日本海の情景としてふさわしい様な気がする。
寒さや冷たさが似合う。
晴れた夏の凪いだ日本海を越した沖仁鎮座する横長の島影はたぶん・・・・

佐渡が見えるのではなかろうか?



少し考えてしまう看板を発見。
この文言で気付く人の常識では、ごみは捨てようはずも無い。
この文言に気付く以前の非常識であるがゆえに持ち帰りなどをせずに
この美しい風景の中に無意識に放棄するようである。
ごみを捨てるのに、良識など持ち合わしている訳が無い。

残念だが・・・・・・・



急峻な山が海まで迫り、少し平地で開けたかと思うと小さな街が点在する新潟県南部から富山県境まで。
鉄道と国道と高速道が段々にその崖に縫うようにへばりつく。
本来なら、このままずっと国道8号線を走ってみたいもので、
子不知(こしらず)・親不知等の海岸線を縫うように走るのがうっとうしく感じて、
その景色の良さを残念だが諦める事にして上越・直江津ICから北陸道を利用した。

体が冷えるのでPAで小休止。

小さなセルフサービスの店であったが、ネギみそラーメンのセットを食す。
辛さが絶妙でこれは美味しい。
ネギもたっぷり。餃子も肉厚でむっちりとしていて美味しい。

悲しみ本線日本海 森昌子


鉄道や空路の公共交通機関の発達や
整備、高速道路の整備と利用により日本国土は極端に
その時間的距離感が失われつつある昨今である。
交通機関の利用変化が著しい中で、長く親しまれた寝台特急も先日姿を消した《日本海》である。
このように便利で速くなる時間的距離の短縮は人々にとって果たして有益なものであろうかと
疑問に感じるのは私だけであろうか?
先日は、はるか将来に完成するのリニア新幹線での駅の設置で
地方自治体が首長を先頭に揉めていたりもする。
別に今の新幹線の時間的距離の短縮で充分で有ると思うのであるがいかがなものであろうか?

どこか、論じる方々は速さに麻痺があり、基本がずれているような気がする。
私がまだ小学生の頃から開発と構想が研究が継続されている事も不思議だ。
長期にわたり税金が投入されているなら腹立たしくさえも感じる。

これらの移動時間の短縮により距離的観念が忘れ去られていく様と同時して
益々、郷土色というものが亡失されていく原因のように思えて仕方が無い。
特に道路網の整備と高速道路の建設は都市間での物流時間を大いに短縮している。
その結果、消費物品を集約し易い場所で集約された大量の消費材が大量に高速で移動させる事が
可能になった結果として、デベロッパーの手腕により広大な敷地が開発又は売買されて
商業施設が建設されている事が多いように感じる。
必ずどこの街の郊外でも単調な均一化された建物のあのA●ONの看板を目にする事ができる。
その商業施設で販売されている殆どは、本部で販売計画と仕入計画の立案に基づいた地域色とは
関係ない物が殆どのマスプロダクト商品であり、全国均一の商品でもある。
即ち、言い換えるなれば《チキンラーメン》はどこの同系の店に行っても、
食品売り場のインスタント食品のインスタント麺の棚の同じ位置で全国共通の価格で
容易に購入し手に入るという事。

この事実は消費者にとっての利便性は良いと思うが・・・・・
私は感覚的に少し淋しい。

思い出した標語が有る。

狭い日本・そんなに急いでどこへ行く?


修行

2012年03月20日 | 独特の感覚
修行という言葉についてこの頃ではめっぽう聞く事が少なくなった。
有る意味昭和の響きでも感じられる。
僧籍の有る宗教人、料理人さん、大工さんや左官さん等の職人さん等の職域でも
その言葉も薄らいできているのではないであろうか?

自己の行動によって起りうるさまざまな事象に学習し、
その殆どの学習の元は苦難な事の克服の為の努力と工夫の行動であり、
その苦難を克服していく事で良識的対処法を身をもって体験し、苦難に対する順応の
対応幅を広げることが《修行》で有るように私は考えているのであるが
いかがなものであろうか?

日々の生活において不平不満も多いこの頃であるが、
その日々の事象にこそ、自身を磨く為の修行の素材が落ちているように
私は感じる時が多々有る。

対人関係・職務の事・金銭・未来への不安・欲求に対する満足感の欠如等々・・・・・。
数え切れないほどの自己欲求に対して反意の存在する《修行》の素材が
身の回りに落ちている事が確認できる。

不平不満がその《修行》材料であり始発点である事に最近私は気づく事ができた。

平和である為には・・・・・・・・
不平不満を感じないような心境でいる事。
日々、満足でいる為には・・・・・・・・
現状の今が最良と感じている事。
幸せでいようと考えるなどはもってのほかで、不幸なんだという考えも持つ事は無い。

息をして、食事ができて、偶に病気をして、偶に泣いて、多くの時間を笑っている。
これだけで充分という心境で居るようにこの頃ではなっている。

金や財産には余り興味や執着は昔からない。
↑これは私の短所でも有るかもしれない。なぜなら、その日が生活できれば良いとだけ
 いつも考えているので全く蓄えが無い。将来の事などを考えた事があまりにも無い。

昨日、京阪電車の清水五条駅の自販機のコーナーで面白い立て看板を見た。
格言が記載されていた。
《幸せを築く根源は労働である。》ような事を書いてあった。
この意味は深く、単に資金だけを得るだけの意を表記しているのではないと
すぐに気付き、「そうそう・・・・。」と思わずたいへん嬉しい気持ちになった。

働ける機会が有るだけで幸せ充分。収入は二の次の発想がその時、又、浮かぶ。

最近、私の周りでは人の行動や言動が気になる人が多すぎる。
その方々の話を聞いていると、自身で自身の事に対して自信を持ち合わせてない気が
してならない。
自身に自信が無いから他人の事が気になって仕方が無い。
自身が注目されたり中心であることによって安堵の気を宿らせているようだ。
馬鹿馬鹿しく見えるのは私のいびつな精神ゆえか?

船は水面に浮かんでいるが船底一枚下は死の危険が有る。
いつ何時、誰にだって心臓が止まることだってありうる。
そんな、いつ何時の偶然が訪れる状況が有る人生にあって
目の前の自身の状況を全うせずして、他人のことが気になるのは暇なのか?
人の優位をうらやましく思う事が不満となるのは、既にその人は
うらやましく思っている相手より劣勢である事実を知るべきである。

この事に気付けばその方々の世間世渡りはもっと楽になるのかもしれないが、
所詮他人事ゆえに私は黙っている。

修行の根本を的確に言った昔人が居る。山本五十六だ。
彼は博打好きでも知られる。そのポーカーとブリッジのカードゲームでは
絶対に勝つ博打しかしないから誰を相手にしても強い。
だから楽しい。



男の修行
    苦しいこともあるだろう。

    言い度いこともあるだろう。

    不満なこともあるだろう。

    腹の立つこともあるだろう。

    泣き度いこともあるだろう。

    これらをじっとこらえてゆくのが
                  
    男の修行である。

このようでありたい。が、辛抱する事象が平静に感じられるようになるのも
修行であろうと思うが・・・・・・・・・?

今日はなんかイマイチ文意がバラバラです。お許しください。



知りたいという欲求に執着する事 → 世間から変人扱いかもしれないな~?

2012年01月04日 | 独特の感覚
昨年、職務域でFJMT氏という方とお知り合いにさせていただいた。
氏はスマートフォンを触りながら突然笑い出し、
突拍子が無い事を言い出す。私が先ず彼のその言動に驚いたのは
「国会議員は内閣府に属する。はははははっ~。」の一文節を発した時である。
全く関係の無い話を次々と繰り出す彼の言動は同じ職域の人から
《けったいな奴=変わり者》という評価をされているようであるが、
私は彼の行動の特異性と発する言葉のカテゴリーが広範囲に
及ぶ事に常に注目していて、できるだけ彼の傍にいているように心がけている。
なぜなら勉強になる私が知らない知識の話が多いからだ。

先日はいきなり、「男は冷蔵庫を開ける者とは違う!」と言い出した。
しかし、冷やしたお茶が飲みたい時や、アイスクリームを食べたい時に開けるのと
違うか?と言うと、次の返答があった。

氏「袋を取り出すときだけだ!。」
池「何の袋です?。」
氏「袋ではない、フクロウ!。」
池「・・・・・・・・・・!?」
氏「わし、フクロウ飼ってるねん!」
池「冷蔵庫の中にフクロウ居てるんですか?」
氏「違うねん!エサエサ!」
池「フクロウがエサなんですか?」
氏「違うネン!ねずみ!」
池「ねずみも冷蔵庫の中にいてますん?」

結局は、袋に入れた飼っているフクロウのエサの冷凍ねずみを取り出すときに
冷蔵庫を開けるというのが真意のようだ。

彼は頭の中で考えている事を全て相手に説明はしないが、相手に伝わっているという
自身の脳内理解が早いのと、自分が発した言葉に対する相手の理解度を考える余地、
即ち、相手の質問に返す言葉を発するまでのラグ時計の独特勝手な介錯と時間のみが
存在している。

個性の塊の氏である。侮れない。

私自身も、個性として知りたいという欲求の塊であった時期がある。
その時は、他人様へ熱中行動をしている事への理解など求めるわけでもなく、
ただひたすらに没頭していた時期がある。
農産の技術である。

毎年、種のタキイさんの研究農場に赴き、美味しく品種改良されている
作物を見学させていただいたりもしたのであるが、
その作柄よりも栽培技術の方に関心を向け、
不思議な事や不明な点が有るごとに研究農場でへ行ってはレクチャーを受け
写真を撮り貯めていた。



下記画像のなすなどはその典型で、見る人が見ればその整枝の仕方に特徴を
見出せるはずである。
この整枝の方法なら、手間も要らず資材も少なくて済むし、
風で揺れても果皮に傷が入りにくい。



実際に、水茄子がぶら下がっているのであるがご存知の通りこの茄子は
表皮が傷がつきやすい品種である。
でもこの整枝と枝のつり方なら作業の工程も省略ができて収穫も楽に行えると思う。



テニスボールより少し小さめの完熟トマトの品種である。
ぶどうのように房になる品種で甘味はすごくよかった記憶が有る。
この品種は、私ならこのまま房のままで出荷をしようと考えているので
できることなら栽培を試みてみたい品種でもある。



同じくトマトであるがこのようにミニトマトは結実するというのを知っている方は
少ないのではなかろうか?市場に流通しているものの殆どがカップに入っていて
その成り方の様子は全く知る事はできないと思う。
ベランダでプランターで作っている人や家庭菜園で栽培をしたことのある方でも
実の数の多さには驚くと思う。



私自身、自分が行っている行動に関して深く知ろうという欲求が
強く有り過ぎるかもしれない。
これは自身でも自分で自分の首を絞める結果に不幸にも陥る時が偶に有る。
昔、このブログでも初期の頃の記載があるのであるが、バイクに乗り山中の徘徊を
始めだした頃、現在広く認知され皆が言っている《鯖街道》が遠回りをしているのに
気付いたことが契機となって、京から若狭への道を調べ上げた事もその一つである。
実際に検証しなくてはすまない結論に落ち着いた時が有る。
結果として実走して検証を行った。
言われている《鯖街道》は敦賀街道の一部である事が判明できた。
上中町・三宅の交差点から敦賀へ向かう道である。
ここにマスコミの間違いを正そうともしなくて、そのまま商業ベースに取り組んでしまい
後に引けぬ事情も見え隠れをする。
現在、西の鯖街道と呼ばれている方が本来の鯖街道に論拠として近いという
結論を私は持っている。



最高学府である大学において、東京は知性の優秀者を集め官僚を育てる、
京都は疑問保持者を集めて科学者を育てているように感じる。
東京はノーベル賞受賞者は少ないが、京都はその数を数える事ができる。
即ち、何ぜ?からスタートする基礎科学の分野をしっかりやっているからであろうか?
私自身、少し疑問に思う事柄があり数回農学部の研究室を尋ねた事があるが
その生命科学分野の基礎知識は、全ての生き物の進化と成長の根本とも言える
教義であったことが鮮烈に頭脳が吸収しとても有意義であったことが記憶にある。
根本は、世代と環境であったが、
その内容は今西錦司先生の生態学の著書の中にも
見ることができる。



子供の頃から、「なんで~?」と聞く事が多かったように思う。
両親はそんな私を無視していたのかどうだったのであろうか?
懇切に説明を受けた記憶が無い。
どちらかというといちいち答えてられない様子の方が多く、
顔色を見なければいけない両親でもあったように記憶をしている。

人は知りたいという欲求が生まれる根源は不思議な事を感じる事から
始まると言えよう。
分からん事が知りたいわけだから絶対にそうである。

この不思議が感じなくなれば、たぶん私は生きていけない。
その不思議が解析できた時の達成感は、何よりも変えがたいものである。
遺伝子放出のエクスタシーを感じているのだ。

紅もゆる ボニージャックス


明治~大正にかけて近代化を急速に進めた我が国は科学の進歩を目覚しい勢いで
進展させた。
航空機の設計に関しては顕著であり、戦後の日本の高度成長期で中心となって
自動車開発に携わったのはそのときに戦闘機を開発していた若い技術者達である。
やはり新しい技術というものは、新しい発想人が携わる方が良いようである。

ホンダが伸びたのはそこらへんが起因しているようでも有る。

先日昨年の晩秋に、京都大学内を尋ねたが、相変わらず自由闊達な空気が
流れていたように思う。
このとき同行した女子は、私の学内での行動と人脈に驚いていたが・・・・・・。
私にとっては日常当たり前の行動でありその人脈は私の探究心を理解する人たちであり
その人たちは良き知識の源でもある。



痛快!を求める。

2011年03月07日 | 独特の感覚
痛快という感覚から少し離れて久しい。

高校時代から二輪車に楽しみを求め、社会人になってからも二輪車の楽しさに
どっぷり浸っていたのであるがこの頃では乗ろうという気も失せてしまっている。

今の自分にとって、何か楽しみがあるので有るのかというと、
これといって趣味がある訳でもない。
平凡に日々の時間が過ぎていくだけのこの頃の生活に少しいらだってきて、
若い頃の思い出であんな事あったな~。こんなことしたな~。あんな奴おったな~。
などと、回顧の中に癒しを求めていることさえある。

老化。このままではイケナイ。

昨年末、25年ぶりに昔お世話になった、《赤ゼッケン27氏》にお会いして
あの頃を少し思い出した。アメリカへ連れて行ってもらったし、
行ってはいけないメキシコ国境も越えてみた。
ヨーロッパにも連れて行ってもらった。
当時、物事の考え方を知らなかった私は《赤ゼッケン27氏》からの教授が
今の私を形成しているとも言える。
氏とお付き合いがあるときは日々がエキサイティングであった。

即ち、仕事も実生活も充実していて、痛快な出来事が多かった。

今改めて痛快という言葉を実感しようとすると、怪我をするかもしれないし
命をも落とす事になりかねないし、下手をすれば世間からも
見放される状態になるかもしれない。
しかしながら少しでも痛快なことを求めて今後を生きたいものである。

ヨーロッパ、特にオランダはいまだに憧れの地であるし、
イタリヤには美味しい食事もあれば友人もいる。
アメリカでは住みたくはないがメキシコでは住んでみたい。

《痛快》の《痛》を抜き去れば《快》だけであるがこれでは面白くない。
《痛》が隣り合わせだからこそそのドキドキ感がたまらん。
お分かりいただけるであろうか?

ごろつき犬・予告編


ここには別の意の痛快が存在する。
明るく銃刀法違反をしているのは、たとえ映画の中とも言えども驚きである。
オーバーすぎるガンアクションが《かっこ良い》という解釈もすごい。
《峯撃ち》をしているそうで、決して相手に殺意を持っていなくて、
相手の武器を狙ってやる気を殺いでいて殺していないそうである。
くるくるまわしている時が弱点を露見している時で隙だらけである事に気付いていない。
画面で表示されるテロップは痛快!田宮二郎の河内弁はいまひとつ。
《悪い奴見ると、とさかがチクチクくるんや!》は頂くことにする。
《チクチクする。》という語彙もこの頃使わない。
機会があれば、《チクチクする。》を考察してみたい。