池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

昨年11月に続き二度目

2011年05月14日 | 生活習慣病の事
風邪気味であったが、用事があり夜遅くなり終バスを逃したので
1時間ほど雨の中を帰路を歩き体を濡らしてしまった。
で、
咳、熱ひどくなり呼吸苦しくて医者に行く。

診断は気管支肺炎。
二度目である。

今回は、呼吸のたびに胸がごろごろ音を立てる。

ここ数年で抵抗力が弱くなった。

吉本新喜劇 シベリア文太 「お笑いに裁判があったら無期懲役」


早く医者に行くべきであった。


しんどい

2011年04月23日 | 生活習慣病の事
やはり一週間仕事し続けると体がもたん。
毎日がしんどくてしんどくて仕方が無い。
今日は左まぶたが痙攣してるしその目の奥が痛い。
休まなければいけないが休めない。
そんな事を15年も続けているが、ここのところ体調の変化が激しい。

そんな気分の時は仕事もはかどらず良い方向の考えが浮かばない。

身体の苦痛は我慢という事で全く苦にならんのだが、
精神的な不安定は不安でしんどくて辛い。

体力をつけようと思い自転車を乗る回数を増やしたら又膝が痛くなっているし、
少しの距離なら歩くようにしたらまたひざを痛めてしまったようだ。
この頃良く利用するバスの中では入り口で転んでしまい運転手さんに迷惑をかけた。

自分の車の運転ですら、クラッチ操作がままにならん。
特にどうも視野が狭まっているのであろうか左の外側が見難い。
運転も控えるようにしよう。

的確な診断をする医師がいないのも問題であるが
治療法が確定しないので改善が見られない。
原因が分からない事はある意味最大の恐怖でもある。

昨年の11月に少し体にダメージを受ける事があったが
そのことが関係しているのかもしれない。
あの時頭部を強打したが・・・・・・。
血圧は高い状態が続いているが食欲だけは減る様子が無い。

休まなければいけないが休む方法すら忘れてしまった。



お休みという事

2011年04月13日 | 生活習慣病の事
日々の感じる事や目に入る事象の全てががしんどくなってきた。
春は何かと騒がしく、待ち行く人たちも華やいでいて明るい服装や会話に
癒されなければいけないのであるが、その事すらがうっとおしく感じている。

たぶん少し感性を休ませれば再起できるでしょう。
再起できれば私の感性を中心とした文章を書きましょう。

身の回りの日常の万事に疲れた事が原因です。

オルタネーターのリビルト交換が必要なようです。
ですから、バッテリー充電直後はエンジンは始動できても、
少し走るとバッテリーの電圧が不足し、エンジンが止まります。
で、エンジンを再始動しようとすると
電圧不足でスターターモーターが回りません。

燃料噴射制御も思わしくないので、排ガスが汚い。

ガソリンも永く給油しないので残量警告等が点いていますし、
残り10ℓでは次の峠越えはガス欠の心配をしなければいけません。
ガソリンスタンドに行く為には車が動く事が前提ですが、
エンジンが再始動しないので成す術がありません。

ガス欠でJAFサービスカーの牽引だけは避けなければいけません。

久々の無感情、無思考である自分が欲しいというのが本音。

しばらくは静かに好きにしてみます。


良くない。

2011年04月08日 | 生活習慣病の事


ここ数日体調が悪い。
めまい・動悸が激しい。
たまに吐き気もひどい。
不眠。
食欲だけが異常。
両膝痛は少しはまし。
足裏の切り傷が化膿している。
頭皮の傷は相変わらず。
医師のアドバイスや診断も良く分からん。
血圧が下らない。
このままでは良くない。
寿命を感じる。

胃痛と胸焼けと疲労と無気力

2011年03月05日 | 生活習慣病の事
今日の心境は最悪だ!

朝から胃痛だ。

で、食い意地だけでつい手が伸びた昼ごはんに食べた惣菜コーナーの特売の
野菜と鰺と海老の天ぷら盛り合わせが胸焼けの原因。

加えて疲れているのが分からないようになってしまった心の病と、
休んで欲しい体と休めないという精神は相反していて、
その葛藤は既に警告を発し悲鳴を上げているようで
頭皮がぼろぼろとめくれて、常に背中が痛く、髪の毛が抜ける。

かといって体を休める事もリフレッシュの為に何かをする気力が無い。

この頃、自己管理もまったく出来ていない。
いいかげんな自分の怠惰な生活にも飽きてきた。

でも常にお腹が減っている。で、バカ食い!
このときだけは充実している。
どんどん太っている自分が怖くなってきたがブレーキが利かない。

今日は早く仕事を終了して寝ることにする。

今、暇な仕事場の午後です。

あっさりした澄んだお出汁のお蕎麦が食べたい。
又、食い気だ。

しかし、この親友であり先輩は本当に前向きな行動が第一の生き方が
心より尊敬できる。

還暦ダンス+=1.5

油断した。足っ・・足が痛った~~い!

2010年03月18日 | 生活習慣病の事
やってしまった!
足の筋肉を傷めてしまった。
何気に普通に歩いていて、後方を振り向いた体制から駆け足に移ったその時に
《ムニムニ・・・・・・》と体内に自分だけ感じることの出来る響く音と
激痛の急激な盛り上がり。

息ができん!

以前にふくらはぎの筋肉が断裂したゴルフラウンド中に次コースへ向かう階段を
上ろうとしての怪我(まともに歩けるまでに3ヶ月)と違い、
押し寄せる激痛が緩やかにやってきた。あの時は《ブチッ》といきなりで
その後は冷や汗モンでどうすることもできん状態で、激痛に苦労した。

今回は、水泳時に経験したことのある例の《ツッタ~!》痛みなのであったが
しばらくたっても痛みが治まらないし、余計にひどくなってきた。

今は歩くのが痛くて仕方が無い。
右足ふくらはぎの外側である。

打ち合わせの場所に向かうために京都市バスを利用しようとして、
後方より接近するバスに気づき、乗り遅れまいとして、バス停留所まで
駆け出したその時に症状は起こった。
起床から充分時間も経過しているし、5分ほど自転車のもすでに乗っているので、
体は温まっているのに不思議なものである。

先回も右足であったしかし部位は違う、あの時は右足ふくらはぎの内側であった。
同グループでラウンドしていた仲間とはこの時の笑い話はいまだに逸話として
語り継がれているのを喜んで良いのか悪いものか・・・・・・。

しかし、右足の怪我や傷が多くて困る。
また筋肉量の均等が崩れてしまう。
3年前の病気で大きく右足の筋肉を落としてしまい、反対にかばって歩く為に
重心が左によるのでその矯正に苦労した。

昔に戻ってしまいそうな体型に、最近、特に危惧している最中に
また一つ健康面での課題を抱えてしまったことは
すでに、老齢の粋に達してきたのであろう事かもしれないし、
その前兆でしょうか。

残念でしようがない。
淋しいもんだ。

こんな、ツキの無い日は早々に仕事を終了し休息に入る事としよう。
というより、テーピングテープを買いに行こうか?
という、思案中である。



現在の私の体調変化を経緯説明する。 4

2008年10月31日 | 生活習慣病の事
半年以上もブログの更新を怠っていた。
仕事が、忙しかった事も理由の一つとしても良いが、
身辺で起こるもろもろの事に疲れていたことも確かである。

で、
このブログを読み返してみると、血尿の話し以降のことであるが、
いかんせん、私はその記憶を封印してしまいたいと考えている。

理由は、この時期、ある種の妄想癖が強く出てくるためで、
お世話になった看護師さんに対することや、主治医さんに対する感情を
この公に明らかにする事は適当でないと考えるからである。

それだけ、その時の心情は不安定であった事は確かだ。
この病気が元でまともに仕事はできないし、
新しく前向きな発想ができていなかった事は事実で、
お恥ずかしい限りである。

で、
次回のブログからは、私のダイエットに関する挑戦とともに、
この病気の事も触れながら話しを記憶と実際の計測値をもとに
進めていこうと思う。

速いもので切開をしてから、一年が過ぎた。
112キロも有った体重は、今82キロである。
30キロを一年で痩せてみた。



上記写真は、大阪人情もん作家の花登筺(はなとこばこ)作の
大阪商売人の根性ドラマで、どてらい奴! 
小学校の頃であったと思うが、なぜか父親がみるように勧め、
面白かった事を覚えている。

私は、このドラマの舞台である、
西区立売堀(いたちぼり)近辺が校区の小学校に通っており、
同じ学級でも多くの友が見て話しを咲かしていたように思う。

今も、たまに大阪を訪れると必ず訪れる飯屋がある。
深川(ふかがわ・店名)の玉置のマーちゃん、その妹のまゆみちゃんの
ところである。おっちゃん、おばちゃんは亡くなられたが、
まゆみちゃんが跡をやっているはずだ。一年に一度行くか行かないかだが
今でも気楽な幼馴染だ。

現在の私の体調変化を経緯説明する。その3

2008年05月23日 | 生活習慣病の事
先回は、化膿部位を切開し膿を出す処置をしてもらったが、
その2日後、いつもの予約診療で、抗生物質の点滴と、
ガーゼ交換、傷口の洗浄のために第二日赤病院へと通院を再開した。



担当の皮膚科医が、切開後の傷口を見て、

《外科医さんで切ってもらったのですね、完璧に処置が出来ていますよ。
 これで直りも早いと思います。》

と、言っていた。

《傷口が完璧にふさがるまで1ヶ月以上はかかると考えてください。
 傷口は、流水(水道水)で洗ってください。
 お風呂はシャワーのみでお願いします。抗生物質の投与は続けます。》

とのこと、
気が重くなる。
なんせ、怖いのと、まだまだ傷口が痛くて仕方がない。そこを流せという。
私はできない。
傷口のガーゼ交換をするだけで大量の出血をするので、
少し無理であろうと思う。
本当に大量に吹き出るのである。
ぽっかり開いた、直径10センチ弱のふくらはぎの穴をいくら自分の足とはいえ、
シャワーで流す勇気がない。またばい菌でも入ったらどうしよう。
と、思うからだ。

しかし体全体が自分でも汚れているのは分かるのであるが、
今しばらく我慢をすることにする。

少し、歩けるようになってからでよいと結論付けた。

その4日後、11月の5日であったと思うが、ひどい血尿が始まった。
その1日後、血液検査で糖尿病の数値が出た。

そして、克服してやると闘志が沸き、ダイエットを更に進めるために
食事をより制限を始めることにした。

その7日後に最悪の痛さが襲ってくる。

睾丸が痛くて仕方がない。体が冷えて寒くて仕方がない。

睾丸が息をしても痛いし、おしっこができないし、歩けないし、何より立てない。

また、急患でS先生を訪ねる、

《パンパンに腫れてます。少し触りますね・・・・・・
 ここですね、ここ・・・・・・・睾丸炎だ。風俗で遊んでない?
 そっ、必ず聞かんとだめなんでね!む・・・足からの菌悪さしてるね。》

わたしは、気が遠くなり^、ふらふらである。

点滴と抗生物質、痛み止めを処方していただき、家で少し楽になったので
横になると、猛烈に尿意をもよおしてきた。

トイレに這って行き、今迄で出たことのない量の透明の澄んだ尿が出る。
延々と出る。
その後10分ほどで、また尿意がしてまたすごい量の尿が出る。延々と出る。

すっとした。本当にすっとしたのである。
何年もたまっていたのが出尽くしたような感じである

その後、スムースにおしっこが出る。

パイプ詰まりがなくなったような感じがするのであるが・・・・・・・・。

その4に続く。

現在の私の体調変化を経緯説明する。その2

2008年05月20日 | 生活習慣病の事
先回、このテーマのその1で記述をしたが、
細菌性のこの病気は、大変恐ろしく、抗生物質の投与で原因菌を
体内より駆逐することによってその症状を改善方向に向けるのであるが、
点滴後なぜか疲れて仕方がない。だるく、眠気がすごい。

初診より2日後、第二日赤病院が休診なので、かかりつけ医のS先生を尋ねた、
私は、足が残ったことと、S先生の紹介状によりスムーズに診療が進んだことと、
痛みが少し和らいだことを報告した。

患部を見せたら、開口一番
《切開しましょう!化膿部がパンパンに膨れ上がって膿がたまっているので、
 切ります。膿を出しましょう。》
と、早速手術の準備に取り掛かる。

ここで、切開の手術について述べるが、麻酔は効いていない。

化膿部を熱いものがザクザクと切り進むたびに、体が硬直する。
我慢・・・・・・・・・・・・。

今までで一番痛い経験をした。
過去数回の骨折やバイクで転倒での怪我、靱帯損傷したときの痛さどころでは
ない。

顔面を刃物で傷つけたことがあるがそのようなものでもない。

術後、《化膿部位には麻酔が効きにくい。》と説明を受ける。

看護師さん(美人の方々)が、《良く我慢しましたね~。》
と言葉を頂戴し、自分に誇らしく、すがすがしく思う。

10月27日、この日の痛さは忘れることが出来そうにない。

その後、傷口に処置をしていただき、
無謀にもマック林道ツーリングクラブ主催の焼肉パーティーへ出向く。



歩けないが、アクセルとブレーキは踏めるので、キャラバンを自ら運転で
横に乗せたO下氏の介助(介護に近い?)で、大変助かり感謝する。

しかし、これだけで完治に向かうわけではなく、
11月に入り、大変なことが体に引き起こされてくるのである。

明日、その3に続く。


現在の私の体調変化を経緯説明する。その1

2008年05月20日 | 生活習慣病の事
久々の新規ブログ投稿は、昨年の6月ごろから始めた、
ダイエットについて記す事にする。
現在の体調になるまでの経緯をここに記しておきたいと思う。

痩せると心に決めてから、もうじき1年である。

昨年6月、あまりにも体が重いので体重計に載ってみたら、
一周回って元の位置こえて、トンとストップして、
《これはあかんやろぉ~~~っ!!!!!!!》と、ショックを受け、


出来るだけ車を使わずに、半径3~5キロ以内は自転車に乗るようにしたり、
近くは出来るだけ歩くようにしたり、
何よりもつらかったのであるが、食事の量を極端に減らすことにした。

これで風呂屋(竹殿湯)さんの体重計で112キロから109キロに
2ヶ月で減らすことができた。

9月は、急激な燃料高騰を理由に、自転車乗る回数と走行距離を増やすことに
専念し、月末からは念願のバイクも手に入れ、
ますます、体重の減少が見込まれると考えていたのであるが・・・・・・

10月18日、仕事中に不注意から転倒し、
右足ふくらはぎ内側に青い内出血の打撲傷を負う。
これが健康維持に対する考え方を変える一大事件となる。

10月25日、1週間で紫色に腫れて膝から下が形が変わってしまった
右足をひきずり、熱が引かず脂汗まみれの体を、気の遠くなる痛さをこらえて、
かかり付けの、S医師を訪ねる。
いつも優しい先生が厳しい表情で私の足を見て、
《右足ガス壊疽(えそ)の可能性があり、切断の可能性も有り、
 当院では処置不能!紹介状を書くので第二日赤病院救急へ向かうこと。》を
指示される。

気が重くなるし、それよりも動顚してしまう。

第二日赤へ向かい、救急の受付へ入ると車椅子を用意してくれているのであるが、
タイヤの空気圧が足りず結局歩くこととなる。

立ち上がると、血流が下り気が遠くなる激痛が襲ってくる。

で現れたのは、美人B女医先生である。安田美佐子に良く似た方であるが、
淡々と症状について、説明をしてくれる。

抗生物質の投与の件。レントゲンの件。切断の件。今後の治療の件。
今の体調の件。全治までの件。等々・・・・・。
久々の素直に受け入れることが出来る。

で、皮膚科の大声で熱心に説明してくれる、
先生が結局は全治までの担当に決まる。

病名は、蜂窩織炎(ほうかしょくえん)。

http://health.goo.ne.jp/medical/search/10OC1000.html
蜂窩織炎について、参考ページへ上記URLでリンクします。

右足切断は回避できた。まだ腐り方が足りなかったのか?

点滴等の処置を受けると、脂汗が引きすがすがしい。

だが足が痛くてしょうがない。

もう少し時間をたって一番ひどく化膿している最初の打撲箇所の傷口を
切開して、膿とガスを抜く事を知らされる。

でこの日はこれで終了。

入院を勧められたが、まじめの通院をすることを約束して帰してもらう。

以降の顛末は次回は明日に記すことにする。