池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

宇治をうろつく《あくまで、仕事の一環です。》

2010年04月12日 | 私の仕事
JR京都駅から奈良線に乗り宇治を訪れることにした先週の半ばの事、
とても陽気な春の天気の良い日であった。

JR奈良線なんぞは、高校時代にこの路線のディーゼル気動車に乗った事があるが、
都市圏内の最短切符をかつて長距離を乗ろうという冒険をしたときに利用した事が
有るだけである。あの時は、確か大阪から新大阪までの切符を持って、
ほぼ一日がかりで駅を出ることなく一筆書きに鉄道路線を使いただ乗り継ぐだけの
鉄道旅行だった。
日中の都会の超ローカル線は乗客はまばらガラガラ。
懐かしい床下からのグオーンと言う旧式の音を出して走る電車もすばらしく郷愁を誘う。
ピューン、キューィンではない、昭和の音である事がすばらしいし、
今では体感できない横揺れもそうだが上下揺れもなかなか近頃では経験できぬものである。
途中駅での上り対向列車との交換停車も都会に近い路線では経験できるものではない。
宇治まで30分弱電車に乗り、かなり遠くに来た感じがするが、
実際すごく近い場所である。



で、
宇治橋商店街の、あるお店で相談の待ち合わせをしたのであるが、
少し遅れるとの事、付近を散策する時間が有ったのでウロウロと
1時間ほど歩いてみた。



宇治茶産地である。どっしりとしたお茶屋さんの構え見ることができる。



ひときわ人を呼び、にぎわうカフェを見つけた。
おしゃれである。
タダ!無料の文字が躍る!
しかし、来店された方はレジで清算を待っているようで
なにやら商品を購入されているようである。



 ↓昭和初期に立てられた鉄筋構造のお店である。



なかなかお目にかかることのなくなった、天ぷら屋さん。
どこの商店街、市場のテナントさんにはあったものであるが・・・・・
スーパー等での冷蔵ケースのゴンドラに並ぶ袋入りのフライ物やさつま揚げ、
しょうが天よりやはり店前で揚げる物を買いたいと思うのは私だけであろうか?
お惣菜コーナーの揚げ物も、無人でトングでつかむ販売方法より
揚げたてを紙袋に入れて欲しいもんである。
持ち帰ると余分な油が紙袋に吸着していて程よく美味しさを深める。
お母さんが店番をしていた。



質流れ品を扱うお店であろうか?
本日最強のお店である。
私は歩くのを忘れてこの店前を離れる事が出来ずにいた。
逆光でこちらからは店内の状況は見えないが、店内からは、
きっちりとこちらの動向を見抜かれていたに違いはないと思う。



思わず涙物の品々が並ぶその陳列ケースに私は夢中になってしまった。
そこになぜかいろんな意味で本物を感じる。

 ↓ 下記URLクリックで陳列商品を拡大表示します。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4a/ea4d6afc918ac3f80b64e6549e32bf0f.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a5/a13d42822544be15c38e0e98dd802424.jpg

もう一度探検が必要である。趣深し!この界隈。

南森町で・・・公園の桜・鳩・OL

2010年04月06日 | 好きな日常
毎年であるが、桜。
日本に住む人ならば一番うきうきする時期である。

昨日は、大阪南森町界隈を営業と打ち合わせでウロウロして、
ふと先方とのアポイントの時間調整に初めての名も知らぬ都会の児童公園の
ベンチに腰を下ろし、持参の水筒からぬるい番茶を飲む。

この頃、このパターンが営業活動時の一時(ひととき)の楽しみになっている。



新しく営業方法を模索していて方々に散る取引先様を訪問してるこの頃、
物を販売する為の貴重な意見を先方から聞くことができる。
特に本日の訪問先様は京都での事業を生かす方法の真髄と、
京都での物づくりの姿勢について原点回帰の精神を教えていただいた。
さすがに訪問先様の事業の性質から《芯》のブレがない企業様であって、
訪問先様の面談していただいた会長のお話しに、
私自身の物事に対する《ブレ》を自戒しなければいけない事の確信を得た。

前出の公園で、背負っているリュックから物を取り出そうと覗き込み、
手を差し入れると急に鳩が寄ってくる。
食べ物をもらえるという予測が立つのであろうか?

鳩の目線と、鳩の目論見を考えると急に嫌になる。
で、自分の姿がそこに投影し始めだし、気持ちが落ち込み気分が悪くなる。
信じられずに疑いつつ近づく臆病者である。

《わっ!》と言う声で鳩を脅かし追い払うと、
その向こうのベンチのかわいいOLさんと目が合うが、
OLさんの目線は《変なおっさん!肝!》である。

気まずい休憩だ。顔を上げず振り向かずに足早で去る事にした。


ホームページの再構築する。

2010年04月02日 | 私の仕事
ホームページの再構築を行っているのであるが、
あまりにも記載する内容が濃すぎて整理にてこずっている。

あの事柄を書かなければ、この事柄が説明がつかないし、
この事柄を説明しようと思えばあの事柄を説明しなければいけないと
いう具合である。

手間のかかる説明内容の連鎖状態。

説明に関する迷宮スパイラルに入り込んでしまっているというところだ。
項目のリンクの複雑さにも問題があるのであるが、
商品の説明ページ数を減らすわけにはいかないし、他の趣味的様相のページに関しても
検索のワードが多岐にわたるほうが少しは、SEOの対策になっているようにも思える。

先日、私との会話が多数の人から「面倒くさい!」と言われた。
曰く
私との会話だけでなく発想と性格も含めてであるらしい。

私の意図とする事が、理解できるまで少し時間がかかると言うのだ。
ストレートに話を切り出せば良いのに、結論に至る過程から話す癖があるようで
単純な結果ながらも、話が長くなっているから《面倒くさい!》らしい。

私の会話が面倒くさいと言う方々には、
死刑判決は、判決理由から先に述べられる事を教えてやらねばならない。
判決主文は後回しと聴く。

それだけ、私自身、一言一句を考えて話していると言う事を理解して欲しいものである。

あえて反論する。

が、

でもすごい、こじつけだな。
自分でもこの頃、相手は《めんどくさいやろな~》と感じる会話があることは
確かである。
今度は、会話を義太夫の節で語ってみようか?

で、
http://ikenishi.com
問題のホームページ。