池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

ブログ訪問者へのお願い!と、何ぁ~んで、池やん?について説明

2013年07月15日 | 言わせてもらいます。
このブログには多くの方からアクセスをいただき訪問してくれている。
本当にありがたく、御礼を申し上げたい。

できればメッセージをくれれば尚一層嬉しく思う。
是非、感想等を記していただけると親交が深まり楽しいなぁ~と常々に思っている。

申し添えるが、既に拙者の知人である方は私への連絡先を存知しているはずなので
そちらで承る事にしたく思うので、返信はしないのであしからずご了承を!

さて、今回はその山里に住みだしてけら早いもので3年目に突入した。

先日来から、雷雨が多く幾分か私の住む山里ではさわやかな風が吹く日が多く、
過ごしやすい日々が続いている。
緑の山々に囲まれている事が、都会の石灰の臭いのする風とは全く違うのを
感じる事ができる。

夜ともなればその風は一層≪涼≫をまし、山の傾斜を滑り落ちて我が家へと
たどり着くから寝苦しいという感覚はここ2年ほどは感じてはいない。

京都市中に住んでいた頃とは違い、あの真夏の夜の熱帯夜が懐かしくも有る。
羨む事無かれ!いつも熟睡できている。

そんな静かな山の緑の風の音と匂いの環境下で、選挙の宣伝カーだけが向こうの
谷間から、山に木霊しながら、ドップラー効果とエコー効果を発揮して
近づいてくる、今日この頃で、久々に騒がしく思いつつも、
京都市内ではあるが街中のイメージとは違う古き良き日本の原風景の
残る山里に住むに至った考え方と原因について4年前からの発心と
決断と行動に至ったまでの思いを懐述してみよう。

山里に住む気になったのは遡る事の憧憬が影響しているといっても嘘ではない。

小学校5年生の頃、京都市北区大森の叔母の家が楽しくて仕方が無かった。

今ではキャンプ場ができたりして喧騒としているその地域であるが、
今から40年ほど前はそんな事は全く無かった。

近所に養鶏場があり、届く、朝〆の鶏の味は未だに忘れる事ができない。
あの卵の黄身の盛り上がり方も・・・・・。
大森東町の一番奥の叔母の家は清滝川の最上流にあたる地域でもあるし、
毎日の近所の山里で知り合った友達とのその川遊びは一生の思い出でもある。
冷たい水遊びで永く入ることができないでいたが、たまらなく楽しかった。
叔母の家の裏には、木馬道がずっと山奥まで続いていし、
水は山水を谷から引いてタイルの流しに溜めていた。

そんな、子供の時の思い出が、西陣で座り込んでいて、
突然、ふっと力が抜けて、
卑屈になった閉鎖していた気持ちから、リリースさせてくれた。

そうだ!山里に住めばすべてが吹っ切れる!と思い、
ただそれだけ。
金もないし、安上がりな方法はこれしかない。

と・・・・・・。

しがらみも無いような状況の場所にしばらく逃れたかった。

全くの現実逃避である。
いい格好でもなんでもない。無様な姿での、逃亡である。

しかし、どうなんだ?あぁ~?~?・・・・。

結局、事業をしている。

私の場合、その方向にしか風が吹かないようだ。


はしだのりひことシューベルツ/風 (1969年)



私は中学生頃、この歌を聞き衝撃を受けた事が有る。

イメージは年齢を加えるごとにその感じ方は変わろうであろうが、
この曲に関しては未だにその時の感性のままで何一つ変わってない。
京都の大学を中心として生まれた関西フォークはメッセージ性の強い
プロテスト・ソングでもある。

KBS京都(当時は近畿放送)は彼らの主張曲を擁護しそれらを電波に流し続け、
放送局としては異例の性格を持っていた。
半島の南北分断を歌う≪イムジン河≫を放送禁止曲でありながら流し続けていた
局でもある。
今、このような、真実・真理な主張の有るアーティストが受けいられる放送局は
たぶん皆無であろう。
だから・・・・。
文化的レベルが低いエンターテイメントや思考レベルの低下し続けるマスメディアに
閉口する方々が多いのもうなずける。
私は踊念仏の念仏の意味は好きだが踊りは好きではない。
その踊りも、芸術性を伴わないのでかわいらしくもなんとも無い。

素人の欲ボケ親父が操るヘタクソのマリオネットであろうか?と。

未だにKBS京都に遊びに行く(生きてるよっ!って顔を見せに行く)と
あのアットホームなスタッフの雰囲気に親しみを覚える。
しかし、どこか、あまりにもローカルすぎる番組が多い。
だが、

再放送の≪ぬかるみの女≫は最高だ。

関西人から見た東京の不思議

2013年07月04日 | 独特の感覚
7月2日に自身の事業の営業折衝事の活動を数社アポイントメントを取り、
7月1日の午後遅くから京都を出発した。
行程は、八王子までほぼノンストップ。
中央道を使用する予定であるが経費節減の為、京都から岐阜県土岐ICまでは
一般道を使用する。土岐ICから八王子ICまでを一気に走りきる予定で
愛車に鞭を入れて走らした。
八王子駅近辺のいつものビジネスホテルには2日の午前0時30分着。
さすがに疲れてベッドに入るやそのまま朝まで爆睡する。

午前7時半に起き出し、ささっと風呂に入り身支度をして朝飯食って、
出発が午前9時を考えていた。
東京から少し離れた八王子のような都市のビジネスホテルでは外国人が多い、
格安だからだと思うが、私は朝早くからあの鼻にこもった韓国語だらけの中で
安く冷たい朝飯を腹いっぱいに食うのにもこの頃では慣れつつある。

午後の商談約束まで時間があるので、車を国道20号(甲州街道)で
先ずは新宿を目指す。
狭い道を関西人独特の走り方。たぶん、関東人ドライバーから見れば
少し横着なのかもしれない。

11時前に早くも皇居桜田門まで来てしまった。

ん~~時間つぶしでどこか行こうか?と思ったのが東京駅の丸の内辺り。
八重洲側へ回り、≪そうだ!浅草に行こう!≫と決意する。

浅草雷門門前の地下駐車場へ車を入庫し、エレベーターで上がるとそこが雷門。
右手にはスカイツリーが高く立ち見える。



平日でありながら観光客が多い。
言語はほとんどが中国語。
声がでかくて煩い。



門前の仲見世でも、中国語と韓国語のポップだらけである。
しかし買う客はほとんど居ないようす。
人形焼も袋入りで買う人も少なく、製造機械の動きを撮影する中国人が多いのに驚いた。
真似するに違いないな。



どこの寺でもお決まりの線香が煙る周りに人だかりがあるので近づいてみると、
スペイン語の怒涛の嵐と中国語の洪水。
スペイン語の団体はその煙を吸い込んでむせ返っている。この光景に皆が大爆笑。
ガイドさんが一生懸命作法を教えているのであるが・・・・。
完全無視の様相である。



そんな、浅草寺のメインストリートから少し脇にそれると上の写真のように
すっと人気が消えて静かな光景も見ることができる。
スカイツリーと浅草寺の塔の対比が面白いと感じ数枚を画像に収める。



京都の街中でさえも、めっきり見る事ができなくなった昭和な喫茶店を発見!
何となく雰囲気が素敵なんで・・・・。



美味そうな洋食屋。



真昼間から、ヘベレケでいい調子の親父たちが多く居た。
道にテントを張り出して営業中のモツなべ、焼き鳥の居酒屋。
客引きは中国語と日本語と韓国語が話せるみたいだ。
客には外人がちらほらいい調子で出来上がっている。
テーブルにデレーッと顔を乗せ酔っ払い寝ている客も居る。
なんともいえない雰囲気が漂い私は居心地が良い。



木馬座なる芝居小屋。
いかにもなが、好ましい。
浪曲と講談、演劇旅一座が主のような演目に歴史と文化を感じる。
ますます少なくなっていく大衆演劇に魅力を感じるのは私だけであろうか?
でその劇場の庇の下には酔っ払いであろうか?
女が路上で寝ている。



で、この浅草で一番究極は上の画像のこのお店。



暑い日ざしを受けながら浅草探訪を終了し、神田の知人の会社を訪ねる。
その神田に行く途中、蔵前で驚愕の店を発見する
古本屋さん。この雰囲気が素晴らしく、感情抑えきれず感動する。



知人の居る会社が上の写真。
≪京都鰹節(株)・東京営業所≫彼は単身赴任中。色々、情報交換。
その中で興味引く話が三つ。
一つ目は、商売の方法が全く関西とは違うという事。
二つ目は、食に対してのこだわる文化が貧弱であるという事。
流行り廃りが激しく流行るものにうまさを感じないとも言う。
三つ目は、京都でしっかりと取る事のできる昆布出汁が関東圏特に東京では
全く取る事ができないという事。
これに非常に興味を持ったので論議を開始する。
どういう事かと言うと・・・・
京都で一晩水道水に付けていても出汁はしっかり取れるが、
東京の水では全く出汁が取れないという事。
食に対して、鈍感にならざるを得ない原因の根本は水質にあると彼は断言した。



神田での商談と彼との再会を1時間ほどで済まし、築地へと向かう。
メディアで一時期相当騒がれその食材の秀逸性に関して相当持ち上げられてはいたが、
結局は料理の根本である水の事が脳内で引っかかり、
考えすぎであろうか?なんかせっかくの食材を生かしきれずに
食しているのではないであろうかと考えると虚しくなってきた。

以前、このブログでも書いたが、全国平均した味であるはずのマクドナルドでも
八重洲地下街のマクドナルドが本当にまずくて私は食べられなかった。

食の文化に関して特に味付けに関しては関西圏と関東圏とでは大きく異なる事は
ご承知のとおりであろうかと思う。
その根本は私は水が大きく作用しているということであろうかと今回の東京訪問で気付いた。
考えてみると、コンビニで販売されているおにぎりの味が関西圏のものとは異なる。
お米の塩味に力が無い。程々の塩味という味ではなく・・・・。
水臭いのである。

素材が一緒であっても味の感覚や出来上がりの食味の評価が違えば、
当然、日々の食生活も違う訳で調理も違い食す料理も違う事が分かる。
で、
そうとすると、当然人間としての生活も変わり発想も違ってくる。

そんな事を考えつつ、下町の昭和に触れることもできる東京は、
いわば、首都でありながら人口の多さを背景にしているものの
全くの田舎と言えよう。
消費能力が高い町でありながら、関西人の粘りと発想が湧いて、
もがきながらでも少しづつコツコツと発展するような町では無いように
思っても良い。

ある意味、常識や常套という言葉が無い町なのかもしれない。

住みたくないし、住むに適さない街であると評価できた。


東京 (やしきたかじん)



=お詫び=

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関しまして私の設定が間違っていてメッセージをくれた方々のお気持ちの
お便りがどうも不着であった様子です。
改めて設定しなおしましたので、改めて、メッセージをお願いいたします。
何より先に謹んでお詫び申し上げます。
何卒今後ともご訪問宜しくお願いいたします。