Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

マリエッラ・デヴィーア声楽公開レッスン 第二日目(Sat, Aug 15, 2009)

2009-08-15 | マスター・クラス
第一日目より続く>

しかし、それにしても東京は暑い!
NYの夏も実は結構湿度が高くて体感温度が高く、
私は暑いのも湿度が高いのも割と平気な方だと自負しているのですが、
それでも、成田で飛行機の外に足を踏み出した瞬間、
一息吸い込んだその空気の湿度の尋常じゃない高さに熱帯雨林かと思いました。

こりゃ、きつい 

で、デヴィーアも同じように感じたのかどうかはわかりませんが、昨日(14日)のマスター・クラスでは、
木綿の真っ白いワンピに、ウェッジソールのサンダルという、
これからビーチにでも行くのか?というような、ギャル的いでたちで登場。
でも、気持ちわかるなあ。この暑さじゃ、何にもまして快適なのが一番ですもの。

その昨日のマスター・クラスの後、当ブログが縁で初めて直接にお会いさせて頂いた方も含め、
何人かの方と駅ビルでお茶をしていたところ、向こうから、見覚えのある、白いはためく木綿の布が、、
ああああっっっ!!!! デヴィーアではないですか!!!
世界のベル・カントの女王が、小田急線新百合が丘駅の駅ビルを歩いてる!!
(っていうか、普通、車の送り迎えがついているものじゃないんでしょうか?ちょっとびっくりです。)
そのあまりにシュールな絵に、カメラもペンも手元にあったのに、
それもすっかり忘れて猿のように手を振るだけで精一杯、、。
デヴィーアの隣にいらっしゃったマネージャーかスタッフの方と思しき女性が
デヴィーアに”あそこにお猿さんがいますよ。”と教えてくださったおかげで、
にこやかに手を振り返してくださったデヴィーア。
だめ、、、あまりに不思議な図過ぎて、この世のものとは思えない、、
小田急線駅ビルを白いワンピと厚底サンダルで歩くデヴィーア、、
この像は一生瞼に焼き付いて離れないと思います。

というわけで、今日はどんなお洋服で登場されるのかしら?と、そちらも楽しみだったのですが、
今日は黒いフレアーのスカートに、黒をベースに赤など色々な色を散らしたニットのトップという、
昨日のギャル・ファッションから180度転換の大人モード。
それにしても、女性の年齢の話をするのは無粋ですが、
60歳を超えている(生まれは1948年だそうです)とは思えない姿勢の良さや筋肉の付き方に、
まさに、歌唱と同様、生活スタイルもストイックであることが見てとれます。

昨日に引き続き、今日も、デヴィーアが登場する前に、現在昭和音大の学長を務めている
五十嵐喜芳氏がデヴィーアの紹介も兼ねて挨拶を兼ねて短いスピーチを行ったのですが、
両日共に来場している人が多いこと位、想像のつきそうなものなのに、
内容が、一語一句に至るまで、ほとんど昨日と全く同じで、
(それもどこの劇場、何の演目でデヴィーアを聴いて感動した、といったそんなことばかり、、)
舞台芸術という客とコミュニケートしてなんぼ、の世界の指導にあたっている方が、
二日続けてテープを流しているかと勘違いするような、
ほとんど全く同じ内容(一つだけ新しいエピソードを加えてましたが)のスピーチを
デリバーできるということがすでに驚きです。
もう、この時点で、歌とかどうとかいう前に、客の前に立つ人間の心構えというものを、
学生に教えられていないんだろうな、ということが予想されてがっくり来てしまいます。
今回は歌手としてではなく、大学の学長という立場でスピーチをしているのだから、と言われるかもしれませんが、
かつて歌手であった人なら、こういうのはもう血のなかに埋め込まれているはずなのではないか、と思うのですが。

と、ちょっと”いらっ”とさせられてスタートした今日のマスター・クラスは、
受講生の年齢が少し上がって、音大の学部もしくは院卒で、すでにセミプロ、
もしくは完全なプロで歌っている方々。

さすがに昨日の受講生たちよりは、あまりに下品なポルタメントも影を潜め(とはいえ、その傾向はやはりあるのですが)、
歌のレベルは明らかに数段上なのですが、
その一方で、昨日と共通したところで、
問題の根深さがよりはっきりと見えていた部分もありました。
中にはこれまでの誤った訓練のせいで、非常に直すのが手強い、
性質(たち)の悪い癖が身についてしまっているように見受けられる歌手の方もいらっしゃいました。

まず、デヴィーアが爆弾を落としたのが、一人目の受講者である山邊さん。
(今日もデヴィーアの指摘やアドヴァイスを●で表示します。)

● あなたはメゾではない!!

ロッシーニの『アルジェの女』からメゾのピースを歌った山邊さんですが、
いや、私も全くデヴィーアの言葉どおりだと思います。
というか、この山邊さんの歌唱のどこをどう聴いたら彼女をメゾだと思えるのか?
山邊さんの弁によると、一時期ソプラノとして勉強していたこともあるが、
指導者と相談のうえ、メゾにスイッチしたとのことなんですが、
そうなると、指導者にソプラノとメゾの声質を見分ける能力がない、ということになるんですけれども。
メゾとソプラノをわける基準というのは、出せる最高音が何か?ということではなくって、
むしろ、声の持っている質感、つまりソプラノらしい声質であるか、
メゾらしい声質であるかということである、という点は、
声楽に携わっている方なら常識として知っていることだと思うので、
彼女をメゾに転換させたということは、指導者の方に声の質感への理解が欠けていると、
そう理解するしかなさそうなのですが、これはもう身の毛がよだつほど恐ろしいことです。

山邊さんの場合、確かに少し超高音に苦手意識があるのか、そこでは音が開拓されていない感じはありますが、
総じてソプラノにこそ求められるといって良い高音域での音の方が充実していて、
(スピントのかかったやや重めの高音で、なかなか魅力的です)
むしろ、メゾで充実していなければならないはずの低音域では、本来、彼女に合わない音域なので、
● 無理にメゾっぽい低音を作ろうとして、不自然な発声になっています。

正しい発声スタイルが身についていれば、出せる最高音を上げていくことは可能で、
実際、多くのソプラノたちは彼女たちの最高音を努力の末に手に入れています。
もし、歌うレパートリーで必要とされる最高音を獲得出来なければもちろん歌手としてやって行く事は難しくなるわけですが、
本来メゾではない声でメゾの役柄を歌っても、多分、それ以下に歌手として成功する可能性は低くなるだけですので、
恐れずチャレンジしてほしいものです。
もし指導者の方が、声質について良く理解されていて、その上で、
このような長期にわたるかもしれない苦労を避け、
インスタントな結果だけを求めるためにメゾへの転向をすすめたのだとしたら、
もっと性質が悪いです。

デヴィーアに、以前歌っていたなら、何かソプラノのアリアを歌ってみて欲しい、と要求されて戸惑うばかりの山邊さん。
ここ最近で集中的に準備・練習したソプラノのアリアがないのもわかるし、
ピアノの伴奏の兼ね合いもあるので、躊躇するのはわかるんですが、
こういう時は、ピアノなしでもいいから、ソプラノのアリアを披露できるような度胸がないと、
舞台に立つ人としてはちょっと厳しいよなあ、、と思ってしまいます。
というのは、デヴィーアが見たかったのは、曲の最高音がきちんと出るか、とか、
アジリタの技術の完成度がどうか?とかそんなことではなくって、
(天下のデヴィーアが、まだまだ未熟なアジリタの出来・不出来を細かく云々する気はないに決まっているじゃないですか!)
それよりも、むしろ、山邊さんがソプラノのアリアを歌った時に
どのようなサウンドを歌にもたらすのか、その雰囲気を知りたかったんです。
そして、そのことは、山邊さんにとって、装飾技巧についてのアドバイスを一つもらうよりも、
ずっとずっと大切なことを教えてもらえるチャンスであったかもしれないのに、、。
それなのに、”この曲しか準備していない”と、延々とこのロッシーニのアリアに拘り、
途方に暮れ続ける山邊さん、、、。
その様子を見ていると、こういう場で本当に大切なことは何か、
つまり、デヴィーアに褒めてもらうことが大切なのではなく、
自分にとって、もっと大きな視野で、いかに有益なアドバイスを引き出すか、
ということの方が大事であることを見落とし、
小手先の技術ばかりに目が向いてしまっているように思うのですが、
それは教える側がそういうことばかり求めているからかもしれません。
しかし、完全にパニックモードになってうろたえるばかりの彼女を見ていて、
本当に彼女の指導者とやらは、罪深い、、と感じました。
こういう指導者が、もしかすると才能のある若い歌手たちを遠回りさせて彼らの時間を浪費し、
さらに最後にはせっかく持っていた才能を潰しまくっているのではないかと思うと怒りすら感じます。

二人目に歌ったテノールの曽我さんは、私は彼の声を聴いて完全には快い気分になれず、
それはどこか無理がある部分があるからではないか?と個人的には感じ、
あまり好きな歌唱ではないのですが、
デヴィーアが比較的見込みのある参加者として、細かいアドバイスを与えていた受講者の一人でした。
彼の素晴らしい点は、果敢にイタリア語でデヴィーアとコミュニケートし、
また比較的勘が良いのか、デヴィーアが与えたコメントに対して、
比較的歌にそのレスポンスが素早く現れる点です。
今日のレベルの受講者になると、デヴィーアの言葉に対する理解力の良さ、
それをすぐ歌に反映させられる実行力、これらの差が受講者間で如実に現れていたように感じます。
テッシトゥーラ(曲の中で多用され、よって、中心となる音域の高さ)が猛烈に高いこの曲を
へとへとになるまで一生懸命歌っている姿も好感が持てるのですが、
ただ、そのために、心と体が構えてしまって、
● ソとラを歌っているときにも、すでに(それより高い方の)ドとレを歌っているような
ポジショニングになっている
という指摘がありました。
このアドバイスの後、何度か歌ううちに、構えて歌っていた最初の時よりも、
ずっと柔らかくて耳に優しい音が出てくるようになってきたのは印象的でした。
聴いている側に悪い意味での緊張を強いるような歌は、もうその時点で×なんだ、ということを再実感します。
他に、
● 子音と母音の間に不必要な音が入っている
という指摘があり、彼もまた、口の開け方が不必要に大きく、
音が日本人歌手一般の例にもれず、ぴゃら~っと平たくなる傾向があるので、
● 口を開けるのは響きを作るためであり、それ以上の何物でもない、
という説明と
● 少し音を暗くする気持ちで、後ろにではなく、前に音を飛ばすように心がけなさい、
という注意がありました。

三番目に歌った納富さん。
今日の受講者中、唯一私が本当のオペラ歌手らしい声だと感じた方。
といいますか、実際、かなり魅力的な声でいらっしゃいます。
納富さんの強みは、もともと声に備わっているトーンもさることながら、
発声が終わった後に独特の美しい残響がある点で、
ほとんどの場面で無理のない発声ができているので、聴いていて非常に快いです。
唯一の課題は、おそらくご本人が取り組んでいる真っ最中であるかもしれないので、
あえてここで書く事もないのかもしれませんが、高音です。
というか、潜在的には楽に出る能力をお持ちだと思うのですが、
まだそれを毎回再現できる方法を模索中であるように思います。
”高音が来るぞ”と思うと無意識にテンス・アップしてしまうようで、
それが一層、それまでの快く軽々と出ている音に比べて違和感を生む、固くて、
やや耳障りな音につながっています。
デヴィーアはこの点について、
● 音を支えるということと、押すということは違う
という見事な説明をしていました。
納富さんの優れた点は、曽我さん以上に、とにかく飲みこみが早いことで、
スポンジのようにデヴィーアのアドバイスを吸収し、歌に反映させていました。
高音も、デヴィーアのアドバイスを受けるうちに、何度かは美しく無理のない音が出始めていたので、
彼女のような人にこそ、デヴィーアのようないい先生がつけば、
素晴らしい歌手に成長する可能性があるのに!と思います。
基本的な発声が良く出来ているので、納富さんに関してはデヴィーアからも細かいアドバイスが出てくるようになって、
● レチタティーヴォ(アリアのように旋律がはっきりしている部分の前や間にある、旋律度の低い部分。
納富さんの例だと、Eccomi in lieta vestaから、Oh! quante volteに入る前まで。)は、
どうしても段々とテンポが遅くなりやすい傾向にあるので、もっと表情をつけた歌唱を心がけた方がよい、
というアドバイスもありました。
高音、それから細かい部分の装飾技巧の完成度をアップさせること、
これらを良い先生についてマスターされた暁には、是非全幕で聴いてみたい方です。

第四番目の受講者である丹呉さんは、歌に非常に悪い癖がついてしまっていて、
これを取り除いて再度正しい歌い方を身につけるのは至難の技だと思いますが、
山邊さんと同じく、恐れず挑戦していただきたい。
それにしても、なぜこんなになるまで、指導者の方は放っておいたのでしょう?
丹呉さんの場合、昨日の受講生で指摘されていた方の多かった、”声が喉にはりついている”パターンで、
ここをまず変える必要があると思います。
まずそこでつまずいているのに、パワーのある歌を歌おうと、
ガリガリばりばりと歌う癖がついてしまっているので、
● そんなに大きな箱は必要ないですよ!
という、デヴィーアの声が早速飛んでいました。
それから丹呉さんの歌唱のもう一つの大きな問題点は、
● 音が上下するたびに、声のカラーが変わってしまう
点です。
これは、丹呉さんが、歌っているときに、いつも持っていなければならない拠り所=正しいポジションを体得していないことを示していて、
それは、つまり、正しい発声が身についていない、ということになると思います。
● まずは、常に同じカラーで歌える練習をしなさい
というデヴィーアの言葉がありましたが、
これは昨日の受講生がしばしば注意されていたレガートの習得と同じことで、
まずは、均一に、安定した音色で次の音に移行していく訓練が出来ていないと、
ここに何を足しても崩壊してしまう、ということなのだと思います。

ラストの正岡さんは、納富さんの温かい響きとは対照的な、
少し硬質な音色が特徴のように感じられ、
本当は、今日歌われた『愛の妙薬』のアリアなんかはあまりご自身の個性にマッチしたレパートリーではないように感じます。
いや、それを言うと、いわゆるベル・カント・レパートリーにはあまり向かない方かもしれません。
それでも、ベル・カント歌唱をマスターすることはどんな歌手の方にとっても有益なはずです。
正岡さんに関しては、私はもっといい声と歌唱が隠れているのに、
何かがそれを覆ってしまっていて、そこに完全には到達できていないようなもどかしさを感じました。
時々出てくる音は硬質ながら面白いトナリティーを持っていて、
訓練の仕方によってはもっといい発声が出来る方ではないかと思うのですが、、。
デヴィーアが何度も指摘していたのは、
● 音に空気が入っている
ということ。
ご自身はそうしないと声が届かない、という不安があるのか、
全ての音に一杯一杯空気を消費していて、そのことが常にかすかに空気の音が聴こえるような発声につながっています。
特にこの”Prendi”がどんな場面で歌われるか、ということを考えると、
熱さの中にもしなやかさが絶対に必要で(特に最初の部分)、
こんなにいっぱいいっぱいに聴こえてしまう歌唱は全くふさわしくありません。

ずっと自分を愛してくれていたネモリーノを、うすのろで自分には似つかわしくない、
と退けて来たちょっぴり高ビーなアディーナが(しかし、完全に嫌な女なのではない)、
彼の真剣な思いに心を動かされ、初めて自分も彼を愛しているたことに気付いた、ということを、
ネモリーノに告白するに至るまでの場面です。




(上の『愛の妙薬』の映像はメトの1998年の公演からで、現行の演出と全く同じです。
アディーナを歌っているのはルース・アン・スウェンソン姉さん、ネモリーノは言うまでもありませんが、パヴァロッティです。)

丹呉さん、正岡さんに共通して言えるのは、
一度、こうした間違った発声が身についてしまうと、
悪い部分を指摘されても、そこを自在に変えることが非常に難しくなっている点で、
曽我さんや納富さんがデヴィーアのアドバイスに柔軟に対応できているのに比べて、
お二人がなかなかご自身の癖を抜くことが出来ない様子は、見ている私もいたたまれないものがありました。
ここに至るまでには長い道のりがあったでしょうから、
もっと早い時期に、今日のデヴィーアのような適切なアドバイスを与えられる指導者がいたなら、、と、本当に残念です。

ただ、私は今回、指導者側の問題が大きい、ということを書き、
また、それにはいささかの疑いも持っていないのですが、一方で、
歌の道で身をたてていく決意をしたら、究極的には自分の声や歌唱を守るのは自分自身です。

ビルギット・ニルソンの自伝”ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯”
(原題:La Nilsson: My Life in Opera)には、あのニルソンが、
音大時代、いや、その後も、指導者に恵まれず、自分で正しい発声を模索していった姿が描かれています。
彼女の人柄でしょうか、ユーモアを交え、何でもないことのように書いていますが、
良く読んでみると、その苦闘は壮絶ですらあり、
その渦中にあった彼女の苦しみと努力は想像を絶するものであったはずです。



私達オペラを聴かせて頂く側は、拍手を送る時、
その声の美しさを賞賛しているのももちろんなんですが、それと少なくとも同程度、
いえ、私を含め、多くの方はそれ以上に、その歌唱に至るまでの苦労と努力を思って、
それを賞賛したくて拍手を送るのです。

どうか、歌の道を進むと決めたら、それが時に大変な迂回を意味することになっても、
また茨の道であっても、
どうぞその困難な試練から逃げ出さないで、全力で戦って頂きたい、と思います。
私が生きている間に、いつか、メトで、日本の歌手の方の大活躍に、
それまで払われた努力を思って精一杯の拍手を送れる日が来ることを心から願っておりますので。


山邊聖美 Kiyomi Yamabe (メゾソプラノ)
ロッシーニ『アルジェのイタリア女』より”祖国のことを思って Pensa alla patria”

曽我雄一 Yuichi Soga (テノール)
ロッシーニ『どろぼうかささぎ』より”さあ私の腕の中に Vieni fra queste braccia”

納富景子 Keiko Noudomi (ソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”私はこうして婚礼の衣裳を着せられ~ああ!幾度か
Eccomi in lieta vesta ~ Oh! quante volte”

丹呉由利子 Yuriko Tango (メゾソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”たとえロメーオがご子息を殺めたとしても
Lieto del dolce incarco ~ Se Romeo t'uccise un figlio”

正岡美津子 Mitsuko Masaoka (ソプラノ)
ドニゼッティ『愛の妙薬』より”受け取って Prendi”

伴奏:浅野菜生子 Naoko Asano
講師:マリエッラ・デヴィーア Mariella Devia
解説:小畑恒夫 Tsuneo Obata
昭和音楽大学 テアトロ ジーリオ ショウワ

*** Mariella Devia Master Class at Showa Academia Musicale 昭和音楽大学 マリエッラ・デヴィーア 声楽公開レッスン”

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45 コメント

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Unknown (YOKO)
2009-08-31 16:01:54
お久しぶりです!
デヴィーアの記事、大変興味深く読ませて頂きました。
実は私は学生の頃、ガブリエラ・トゥッチの公開レッスンを受けたことがあるんです。
当時は真剣に勉強しているつもりでしたが、実際のところ、今回の学生さん達と似た状態で、非常に勿体ないことをしたなぁと、今になって残念に思っていたところです。あぁ今、もう一度受けられたらなぁ。

活動の場をミュージカルに移しましたが、クラシックを学んだことに助けられているのと同時に、呼吸や、発声、言葉の乗せ方やリズム感など、甘いところだらけだったなぁと思い知らされる毎日です。
それと、職場に来る音大卒の新人に「なんじゃこりゃ~」と頭を抱えることもあり、日本のクラシック教育に色々思うところがある訳です。
ま、マリア・カラスも「歌に関しては私達は一生学生なのよ」と言っていたらしいので、その言葉を胸に、歌い続ける限り模索していくしかないですね。
返信する
ちなみにパートはバス・バリトン (boku)
2009-08-31 18:15:17
マスタークラスの記事拝見しました。

今となっては忌々しい記憶なのですが一時期肘を怪我して部活を続けるのが難しくなって八ヶ月程学校の合唱部にいたことがあるのですがそこで指導をしていたひとりの先生は本当にひどい方でした。
まず合唱部には3人の先生がいたのですが、
20代の若いピアノの先生と二期会にも在籍するプロのソプラノの先生と問題のテノールはげオヤジです。
このはげオヤジは人間としても最低なパワハラヤローで、
天と地ほどの技術の差のある二期会の先生に指揮の仕事を全くやらせず、
指導のほとんどは二期会先生にやらせているのに、さもすべて自分の手柄の様にするのです。
一度二期会先生に定期演奏会の仕事をアナウンスしかさせなかったこともあります。
そのときは本当にブチギレルかと思いました。

そいつの指導といえばことごとく頓珍漢なことばかりで、
それでも自信満々に指揮する姿を見て毎日カチーンときていました。
ほとんど日本語の歌でしたが英語やイタリア語の歌もやりました。
当時は分りませんでしたが今となってはあれはイタリア語ではありませんでした。

結局二期会先生はあの定期演奏会の年を最後にうちの学校を辞め、
ピアノの先生もパワハラに耐え切れなくなった様で合唱部を辞めてしまいました。
指導する人間がまともでないなら部にいる意味などありません自分もその年を境に部を辞めました。

あのような最低ヤローが学校で歌を教えているなんて本当にあってはならないことですよね。
この記事を拝見して思い出してしまいました。
当時の私にもニルソン程のガッツがあれば二期会先生も辞めずにすんだのかもしれません。
返信する
BRAVA! BRAVO! (シャンティ)
2009-09-02 08:30:25
デヴィーアさんのマスタークラスを聴講できたことに加え、才気溢れるmadokakipさん、オペラ大好きな方々にお会いできたこと、人の縁をありがたく思っています。

曽我さん:この音域の日本人歌手は思い浮かばないので、精進していって欲しいです。日本ではいかんせんオペラ上演が少なく、演目も偏っているなか、大変だとは思いますが...。

納富さん:数年前の昭和音大”愛の妙薬”で聴いていました。そのときより、声がきれいな気がしました。

で、19日。デヴィーアさん目当ての人(4月のコンサートの感動をもう一度の人、マスタークラスを聴講した人)がほとんどだったでしょう。共演者はそんな刺身のツマ、サッカーのアウェー状態の中、最初こそ緊張・集中が顔に表れていましたが、彼らしい気品があり、そして表情豊かな歌唱を披露してくれました。
”Fra poco~”の高音がバッチリ決まったときは、デヴィーアさんが”ルチア”を封印しなければ、”Sulla tomba~”のニ重唱が聴けたのに~と残念に思いました。
アンコールの”椿姫”からの”Parigi o cara”は 二人の息がぴったり合って デヴィーアさんもソロをきりりと歌っていたときとは違い、恋する乙女チック(失礼)で二人からloveloveオーラが出てました。

この2人での全幕物また見たいです~~!

返信する
マスタークラス二日目 (Madokakip)
2009-09-02 14:58:01
頂いた順です。

 YOKOさん、

こんにちは!
トゥッチの公開レッスンをお受けになったことがあるなんて、
それもまたすごい贅沢です!!

YOKOさんは音楽の世界に身をおいていらっしゃるので、
私が見えていないもっと色んなことも見えていらっしゃるでしょうし、
また私などは呑気にこうして文章を書いているだけですからいいですが、
実際にそうやって音大から出てくる方たちと一緒に仕事をしなければならないご苦労は、
私には想像できない部分があると察します。

多分、今回の生徒さんも、彼らなりにはもちろん一生懸命取り組んでいたつもりなんだろうとは思うんですね。
でも、プロで歌っていくには、それとは違うレベルの真剣さが必要なんだと思います。
新人さんたちが少なくともその真剣さをお持ちになっているといいのですが、、。

クラシックで身につけられた基礎は絶対にミュージカルをはじめとする、
非オペラのフォーマットでも大いに役立つと私も思います。
オペラで聴かせる歌手は、非オペラの曲でもいい歌を披露できる、というのを、
こちらの記事のコメント欄の数々の映像で確認できました!

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/60bbe7b5faed555a6386e3145401bb0b

マリア・カラスの言葉は本当にその通りですね。
歌を歌うというのは大変な道です。
ご活躍を心よりお祈りしています!!

 bokuさん、

合唱部にいらっしゃったことがあったのですね。
だんだん秘密がばれてきましたね。

そういう、一番わけのわかっていない人がずうずうしく居残り、
最も有能な方が嫌気がさしてやめてしまう、というのは、
その合唱部の例に限らず、会社などの組織の中でもよくあることで、
本当に嫌になります。
もしかすると、オペラハウスでも、、(笑)

ニルソンは多分地元でついた一番最初の先生がよかったのではないかと思います。
(その先生からは、音楽学校に入るにあたって、
巣立ってしまうのですが、、。)
その先生は高等教育が出来るほどの洗練されたスキルはなかったのかもしれませんが、
少なくとも音楽学校にすすんだ後に、
ニルソンが自分の歌い方がまずい方向にすすんでいる、という感覚を持つ力は養ったわけですから、、。
彼女は最後にもう先生はいらない!という結論にたどり着くのですが、
それは自分自身のあくなき努力によってのみたどりつける場所ですね。
こういうエピソードを聞くと、彼女がパフォーマンスで見せる精神力の強さも
さもありなん、という感じです。

 シャンティさん、

今回はこんな貴重な体験をする機会を与えてくださって、
本当に感謝しております。
シャンティさんからのご連絡がなければ、
絶対にこのイベント、気付いてなかったと思います。

私の方こそ、シャンティさんをはじめ、
皆様と初めて会ったような気がほとんどせず、
まるで長年ずっとオペラ・サークルでご一緒させて頂いているような
不思議な錯覚を持ちました。
私はyol嬢以外、親しい友人でオペラ好きな人があまりいないので、
ああやって皆様とオペラの話をさせていただくのが楽しくて!

フィリアノーティが好調だったようで、何よりです!
後一日旅程が延期できれば聴きに行けたのに、、
彼が好調な時はおっしゃる通り、歌に気品があって綺麗なんですよね。
あのスタイル感は彼ならではだと思います。
一時期不調なのかと心配しましたが、
リサイタルの出来が良かったとのことで、
これからが楽しみです。
一月のデヴィーアの椿姫は彼が相手役じゃないんでしょうか?
いいコンビだと思うんですが、、。

また日本に帰ることがあったら、必ず何らかのオペラのイベントにあわせますので、
その時にお会いできるといいですね!
どうぞ、ご主人にもよろしくお伝えくださいね。
返信する
ベルガモ・ドニゼッティ劇場 (シャンティ)
2009-09-03 09:34:13
>一月のデヴィーアの椿姫は彼が相手役じゃないんでしょうか?
アルフレード:アントニオ・ガンディア  ジェルモン:ルカ・サルシ とあります。なのでこの公演 デヴィーアさんを聴くためのものですね。&地方にデヴィーアさんは行きません。

>その時にお会いできるといいですね!
こちらこそ、メトに観劇に行ってmadokakipさんに再会したいと思っています。(彼の出演次第ですね)

返信する
そうではないですか!メトでお会いしましょう!! (Madokakip)
2009-09-03 11:16:05
 シャンティさん、

椿姫のキャスト、ありがとうございます。
そうでしたか、、
あのDVDの印象が強いのか、なぜだか、
デヴィーアのヴィオレッタには、フィリアノーティのアルフレード、
と思い込んでいました。

>ルカ・サルシ

どこかで聞いたような、、と思ったら、
メト2007-8年シーズンの『蝶々夫人』のシャープレスでした。

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/daa5cfc87bae3e561fe2a7959dc20efb

しかし、
>アントニオ・ガンディア
この方は存じ上げないです、、、。
デヴィーア相手ですからね、もうとにかく足をひっぱることだけはないように!!!

>メトに観劇に行って

そうではないですか!!!!お待ちしておりますよ!!!
返信する
ビックリ ( F )
2009-09-03 12:04:33
こんにちは。
すっかりご無沙汰しております。

「あなたはメゾではない!!」ってすごい衝撃ですねぇ。
本人には死刑宣告のように聞こえたのでは・・
彼女がその後に指導者に会って ( もしくは会場にいた? ) どのように話したのか気になります。

そしていきなり目の前に現れたデヴィーアさん。
わかりますよ。その瞬間、全身が総毛立ち血圧が一気に上昇したでしょうね。

突然憧れのスターが目の前に現れたら・・・
口をパクパクさせるだけで結局なにも出来ません。
私も経験あります、ハイ。

短いながらご帰省もされ、充実した来日(笑)だったようですね。
次の機会にはぜひともご挨拶を!!




返信する
次回はもう少し余裕をもったスケジュールで (Madokakip)
2009-09-04 13:07:58
 Fさん、

こんにちは!

このマスター・クラスが、本当に今の教育の仕方を振り返る機会になってくれたらいいなあ、と思います。
そうでないと、デヴィーアがせっかく来てくださって、
あんなに一生懸命教えてくださった意味がないですもの、、。
今の若い方(私達もそうなのかもしれないですが)は、
雛鳥が親にエサを与えてもらうように、
一つ一つ教えてもらうのが当たり前になっているような部分もあるように見受けられました。
バレエも歌も、世界で活躍していくには、そういう姿勢では追いつかないんですよね。

あのデヴィーアの突然の登場には、
完全に足をすくわれましたよー、本当に。
劇場のステージドアなどとは違って、
あまりに背景がシュールすぎました。

>次の機会にはぜひともご挨拶を

はい、もう、是非に!!
今回はあまりに余裕がなくてお会いしたかったのだけれども
お声をかけられなかった方がたくさんいらっしゃって、、。
バレエとオペラのイベントが重なる時期があればそこを狙って、、。
返信する
Unknown (YOKO)
2009-09-05 08:26:34
いやいや、好きこそものの…というのか、Madokakipさんの感想は鋭くて的確な表現で、いつも「そうそう、そうやねん!」とブログ読みながら感心しています。
音楽の世界に身を置いてるからこそ解る事もあるんでしょうが、自腹を切って(→ここ大事ですね)通って下さるお客様の方が見えて、聞こえていることも多いと思います。

自腹といえば、舞台に立つ側としては、芸術性の追求と一緒に語ってよいものか解りませんが、やっぱり貴重な時間とお金を使って来て頂くのだから、「元取って」帰って頂きたいと思うし、ギャラに見合う働きをしてるのか常に自分に問い掛けていなければ、と思っています。
私「さかもん」ですしね。
(さかもんって初めて聞きました。ま、あんまり大阪人が自分のことはさかもんって呼ばないですよね。)
返信する
2日目について.. (le Grand Condé)
2009-09-05 10:13:17
今回、声楽関係者が多かったせいか、聴講中にメモを取る人、レコーダのチェックに余念がない人(?)、聴いている皆さん熱心な様子でした.
madokakipさん、大変詳しい記載有難うございます. 私も2日目について思い出しました点、いくつかコメントさせて頂きます.

1番目の彼女 デヴィーアのアドバイス大切にして欲しいです.

2番目の彼、曲中のアジリタについて、階段の途中がところどころ抜け落ちたような歌い方を見逃さず指摘.
デヴィーア:「ずるしちゃダメ」小畑さん訳

そういえば上手い歌手でも、早いアジリタが苦手?な人は、その部分を遅くすることはあっても歯抜けにはしていないなあと思いました.

3番目の彼女、デヴィーアの指導をその場で全部吸収しようとするかのような、真剣ななりふり構わない手の動き、感心しました.

4番目の彼女、なにかゴツゴツしているなぁと聴いていたのですが、madokakipさんの分析を読んで納得です.

最後の彼女、日本人にしてはアジリタを切れよく歌っているのかなぁと思ったのですが、
デヴィーア:「Hi,Hi,Hi,Hi歌わず、レガートに」

アジリタにもレガートが必要. 例えばバリトリの歌唱では、スピードと切れと正確さが際立っているので、表面的には目立ちにくいですが、デヴィーアのいうレガートを基本的に持っているのだと理解しました.

デヴィーアの指導多々ありましたが、下手の物まね歌唱(例)「Hi~!」(声を後ろから出してしまうケース)、結構耳にこびりついてしまいまして、生徒の耳にも恐らく残ったことだろうと思います.

休憩中に、トイレの行列中に後方から、自分はテノールという人の会話が聞えてきまして、

「・・・押さないと出せないんですょ.高音は、気合なんです・・・」

わかってはいるけど、出来ない現実というのがもしかしたらあるのかも知れません.

ビルギット・ニルソンの自伝、私も読みましたが、指揮者の悪口満載、、彼女の語り口など
大変面白かったです.
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