Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

UN BALLO IN MASCHERA (Sat, Apr 19, 2008)

2008-04-19 | メトロポリタン・オペラ
4/3のキーロフ・バレエの公演のレポで、オケのシステムはどのようになっているのか?
と問題提起をした私ですが、同じレポでふれた"Valery Gergiev and the Kirov
- A Story of Survival"を読み進めるとそこに答えが。

原書の217ページによれば、キーロフ・オケと一口にいえど、バレエ用のオケ、
オペラ用のオケ、そして演奏旅行用のオケという三形態をカバーしており、
オケのメンバーは、この3つの間でローテーションするそうです。
(なので、別々のオケが3つ存在しているわけではない。)
特にゲルギエフお気に入りのオケの団員たちは、彼が指揮する公演は基本的に全て参加、
ゆえに、演奏旅行用のオケは彼らも参加必須。
なれば、カーネギー・ホールで聴いたオケはゲルギエフが思うところの
最強メンバーだったということになり、大体、演奏から受けた印象もそれと合致しています。
(ただし、今回のキーロフ・バレエの公演は、ゲルギエフによって指揮された日が
一日だけありましたが、あれはツアー・オケではなく、バレエ・オケだったと思います。)

さらに、興味深いのは、257ページ。キーロフにはジュニア・オケというものもあって、
この本が発行された2001年時点、そのジュニア・オケを任されていたのが、
ジャナンドレア・ノセダ氏。
そう、今日の公演も含む、今シーズンのメトの『仮面~』の指揮者です。
ノセダ氏はイタリア人ですが、キーロフ・オペラをさらに活力のあるオペラ・ハウスにするには
ロシアもの以外のレパートリーもきちんと演奏できねば!と、
キーロフ・オペラにイタリア・オペラとは何ぞや?という薫陶を授けるべく、招かれたのが
彼だったのだそうです。
そして、かわりに、ロシアものについてはノセダ氏の方がゲルギエフ氏について勉強し、
徐々にそれらのレパートリーで、ゲルギエフのおこぼれを頂戴するようになっていったようです。
そういえば、今年のメトの公演の『戦争と平和』で、ゲルギエフの後に、ノセダ氏が
何日か引き継いで振っていました。

ゲルギエフは例えばレヴァインなんかと比べると、振る日によって出来、雰囲気の
振れ幅が大きい、と言われていますが、(これは同書でヴォルピ前メト支配人もそう
言っていますし、私自身も公演を比較してそう感じます。)
ノセダ氏もその路線を突っ走っているのは、師弟関係にあったからなのですね。納得。

というわけで、今日はどんな暴走を見せるのか、ジャナンドレア・ノセダ。
シリウス鑑賞時にも警告を発したとおり、あまりにのったりした演奏だった日には、
私が平土間、指揮台横まで行って、頭突きを入れます!と、気合満々でオペラハウスに。

しかし、今日は拍子抜けするほど中庸。
前奏曲の頭が意外なほどソフトに奏された以外は、音も大きすぎず小さすぎず、
テンポはややゆっくり寄りかもしれませんが、それほど気になるほどでもなく、、。
ただ、一点、気になったのは、オケへの指示がクリアでないのか
(残念ながら、指揮の姿は、目の前にあるバーに隠れて見えず)
テンポが代わる節目節目の移行でオケをまとめきれておらず、演奏がばらばらになっている個所が、
一つや二つではなかったこと。
今日の公演は第三幕が一番締まっていましたが、その第三幕でやっとオケに聴きごたえが
出てきた以外は、総じて、プレミアの日の演奏の方がスリリングで私は面白かったと思います。

しかし。オケを脇において、歌唱の方に注目すれば、これは断然今日がよかった。

なんといっても立役者は、リチトラ。
シリウスの放送日(4/16)と今日、どちらも生を聴いた人の話でも、
彼に関しては今日の公演の方がよかったそうです。

シリウスの日の歌を聴いて、やや彼の声に危惧を表し、
しかもこの役はもう歌わない方がいいのでは?とまで言った私ですが、
シリウスで聴いたのと今日は全く印象が違う。
実際に16日よりも今日の方が調子が良かったのか、ラジオ放送では彼の声の良さがとらえきれないのか、
どちらかはなんともいえませんが、今日のような歌を歌ってくれるなら、
私は前言を謹んで撤回せねばなりません。

本当に細かいことを言えば、息の使い方が少しでも一番いい形を外れると、
音がドライに聴こえる傾向にあり、疲れからか、出番が続く個所でいくつかそんな音が聴かれましたが、
これはテクニックの的中率とスタミナ配分の問題で、声そのものの問題ではないと思います。
今日はとにかく、その数箇所を除き、息の使い方が非常に効率的かつ有効になされており、
声にぴしっ!と背骨が通っていて◎。
以前にも書きましたが、彼のぽよんとした声質は、この背骨があってこそ、
魅力的になるのです。
こういう時の彼の高音はきらんとした輝きのようなものがって、
こういう響きを出せるテノールが最近意外と少ないので、
よって、私は調子がいい時のリチトラが結構好きなのです。

声の調子がいい時の彼は、ものすごく芝居のテンションもあがる
(昨シーズンの『道化師』など)。
しかし、これは、逆を言うと、声の調子が悪かったり、何か足をひっぱるファクターがあると
(たとえば、同じく昨シーズンの三部作の『外套』)、
それに引っ張られて芝居も駄目になってしまうということでもあり、彼の歌唱は
花丸と出るかバッテンとでるか、大きな賭け、運次第という面があるように思います。
来シーズンの『トロヴァトーレ』は花丸の日にあたりますように!!と願わずにはいられない。
と、今日は演技のテンションが高かったので、一幕からお茶目な王様像を作り出してます。
だいたい、”じゃ、みんなでその占い師(ウルリカ)のところに行ってみよう!”
なんて思いつくところもお茶目なら、
のりのりで漁師の扮装をして、他の誰よりも早くウルリカのところに一番乗りしてしまうような
王なんである。いいキャラしてます。

さて、今日苦戦を強いられているように見えたのはホロストフスキー。
コンディションが良くなかったように思います。
さすがに今日はあの殺人的な遅さの演奏ではなかったので、それには救われていましたが、
今日は公演中通して、ものすごくブレスの音が目立って聴こえていて、
またそのブレスに、ごーっ!という濁った音が入っていたので、もしかすると喉の調子が良くなかったのかもしれません。
彼の舞台でブレスの音そのものが、しかもあんなに大きく聴こえる、ということ自体、
私は体験したことがないので、これはいつもの彼らしくない、ということを申し添えておきます。
声量の方も、初日に聴いたのに比べるとやや元気がなかったように思いますし、
何よりも声のコントロールをしにくそうにしていたのが気の毒でしたが、
しかし、そんな気の毒な状態であったからこそ、余計に彼の今日の歌唱は賞賛もの。
特にアリア、”お前こそ心を汚す者 Eri tu che macchiavi quell'anima ”。
あの声の不調ぶりからすれば、まずい結果に陥っても決しておかしくなかったところを、
彼は、強い精神力で乗り越え、気合で感動的な歌に変えてしまいました。
声が不調なのですから、技術的にはここはもうちょっとこうだったら、とか、
あそこはもう少しああだったら、なんてことは言えますが、
逆にこの不調ぶりでこんな歌を歌った、ということが驚き。特に調子が悪いからこそ、
一層丁寧に言葉を扱い、最後の一音まで気を抜かなかったところが素晴らしかったです。
彼のこの役は本当に良い。もう一度絶好調の時の彼が歌うこの役を聴いてみたいものです。

それに比べてお仕置きを加えたい一番手はアンジェラ・ブラウン。
誤解なきように言うと、やっぱり声はみずみずしく、第一ランでアメーリア役を歌った
クライダーより何倍も歌唱的には安心して聴けるのですが、

問題点 その1、
”歌がまるでアイーダみたいである。”
歌唱が、『アイーダ』で聴いたときの彼女の歌唱と同じなのです。
場所によっては、”あれ?私、今、『アイーダ』見てるんだっけ?『仮面』見てるんだっけ?”
と思ったほど。
つまり、ここで私が言わんとしているのは、彼女の歌唱には、役の解釈とか、
人物像の投影といったものが欠如している、ということです。
だから、アイーダを歌っても、このアメーリアを歌っても、
あれ?同じ人?みたいなことになってしまう。
しかし、この両作品をご存知の方ならお分かりのとおり、アイーダとアメーリアは
かなり違う人物像をしています。
このあたりの違いというのが、彼女の歌からは全く感じられないのです。
『アイーダ』のレポで書いたとおり、
”もう少し言葉への深い解釈と、言葉の意味を表現するための音色の探求と
いうのを究めていってほしい”の一言です。

問題点 その2、
”やっぱり大根すぎ!”
もう今日の公演に関しては、私は額に手を当てて、固まる場面が盛りだくさんでした。
まず一つには、1とも関係することですが、きちんと言葉を解釈し切れていない。
例えば、第二幕の二重唱。
草を摘もうとやってきた処刑場にグスタヴォ三世(リッカルド)があらわれ、
アメーリアに愛を告白、君はどうなんだ?ボクのことを愛してるのか?と詰め寄る場面で、
彼女が何度も言葉にするのを避けながら、最後には負けて、Ebben, si, t'amo (そうよ、愛してるわ)と
言ってしまうところ。
この二重唱の歌詞のあらゆる場所で、アメーリアは何度もリッカルドに、
”どうか、自分の心に負けないよう助けてちょうだい”と言い、
なおかつ、”愛が成就するのは死の時だけなのかしら?”とも言っているように、
リッカルドへの気持ちを認めながらも、彼女は最初から最後まで、
夫を裏切る気はないのです。
この葛藤、この苦しみ、この自分の気持ちを消さなければならない辛さ、、
そんな時にアンジェラ・ブラウンはどうしているか?とふと舞台を見れば、
笑っているではないですか!!!
何がおかしいのか!と、私は聞きたい。
いや、演技の下手くそな彼女なので、どうやら笑っているのではなく、恋の喜びに微笑んでいるらしいのですが、
微笑むこと自体もおかしいと私は思う。
苦しみと葛藤はどこ行った?なぜ、歌っている言葉と違う表情をするのか?本当に理解に苦しみます。
(もちろん、それが意図的な、的を得た表現であれば、
言葉と違う表情も一つの演技法だとは思うが、彼女の場合は、ひたすら的がずれている。)

そして、さらにびっくりしたのは、最後、リッカルドがレナートの手によって殺害される場面。
リチトラが虫の息でリッカルドを熱演する横で、おろおろもせず、驚愕もせず、
ぼさーっと突っ立って見ているブラウンを見て私はまたしても、

うぎゃーーーーっ!!この大根、どうにかしてくれーーーーっ!!

だって、夫よりも愛してしまった男性が目の前で今や死のうとしているんですよ!
しかも夫の手にかかって!!
たまたま通りの交差点で交通事故が発生、知らない人が倒れているのを見ている、というのとは、わけがちがう!!!
あまりのショックで放心状態?それならそういう演技をしてくれ!
放心状態は、ただ何も考えずぼさーっと立っているのと同義ではない!
そこに陥る前に、雷に打たれるほどのショックがあるはずです。

ということで、彼女に現在あるのは声のみずみずしさと安定した声のみ。
およそ、表現ということから遠すぎます。
声のみずみずしさと安定した声がある、ということだけでもすごいことですが、
それに安住して、さらに高みを目指さないとは、なんと怠惰なことか!
彼女がこの声で、なにがしかのきちんとした表現を志してくれていたなら、
もっともっといい公演になったはずなのに、と残念でなりません。

それに引き換え、今日のリチトラは、本当に演技も光っています。
この人は、のると結構演技も上手。
オペラにはアリアのほかに、裏momentsとも呼べる、一つのアリアに匹敵するような
ドラマティックな短いフレーズがあって、
(例えば、『椿姫』の”私を愛してね、アルフレード”とか、
『蝶々夫人』で、蝶々夫人とスズキの二重唱に入る前の”そして彼は私を愛している!”など)
そういうところで歌手がいい歌唱を聴かせると、拍手が出たりすることがあり、
こういう拍手ができるフレキシブルさと土壌があるオペラハウスが私は好きです。
メトは拍手のタイミングが早いとか、作品を知らないのか!と、小馬鹿にされたりしてますが、
その後に続くのがオケが弱音もしくはソロで演奏する個所(『オテッロ』の二重唱の後など)
は別として、いや、別にそんな場合でも、感動したり、素晴らしいと思ったなら、
拍手くらいしてもいいじゃないの、と思う。
今日は、リッカルドが ”永久に君を失えば Ma se m'e forza perderit "の後、
仮面舞踏会が催されている部屋に舞台が転換する直前に歌う、
Si, rivederti, Amelia
E nella tua belta, 
Anche una volta l'anima
D'amor mi brillera
(アメリア、もう一度君に会おう。君の美しさに、私の心はもう一度愛に輝くのだ。)
のところで、オケの演奏が続く中、リチトラの素晴らしい熱唱に思わず観客から拍手。

最後の死に際もたくみに演じ、私はこの『仮面舞踏会』、実は感動的な上演がむずかしい
手ごわい作品と見ているのですが、実演で見た中では、一番説得力あるリッカルド像を
今日のリチトラは描き出していたと思います。

ブライスのウルリカは、相変わらず巧み。
ただ、彼女の声は特にオペラハウスの中で聴くと、高音がぴーんとした音ながらも、
どことなく、温かい人間らしい響きがあるので、
このプロダクションのウルリカは割と品のよいウルリカ像なので、そう違和感はないですが、
時に他のプロダクションで見られる化け物・魔女系のウルリカ、
その路線で演じられるアズチェーナ(『トロヴァトーレ』)を歌ったときには、
どうかな?と思います。
彼女は化け物系より、コメディ(三部作の『ジャンニ・スキッキ』、『ファルスタッフ』)、
もしくは三部作の『修道女アンジェリカ』のPrincipessaのような、
本当は悪い人ではないが、ゆえあって冷たい、みたいな役が合っているような気がします。

オスカル役のサラは、第一ランに比べると、だいぶ良くなっていました。
特に歌のリズムの正確さでは今日はだんとつだったかもしれません。
ただ、彼女は声自体があまり魅力的ではないし、また高音が少し不安定
(音程ではなく、響きそのものが)なので、一級のオスカルというには躊躇します。

今日のレポは時系列順ではなく、キャスト別に追ってしまったので、
ここで”今日のオペラヘッドたち”をまとめて紹介。

まず、最初のインターミッション、
ベルモント・ルームでテーブルがご一緒になった老齢の男性。
”リチトラが今日は頑張ってるので聴かす公演になっている”ということで意見が一致。
彼はワグネリアンの為、油断をするとすぐに話題がワーグナー作品に行ってしまうのですが、
そんななか、今シーズンの『トリスタン』の話になりました。
彼は3回見に行ったので、”それはもうひどかった!”というマクマスター
そして”彼よりは良かった”というリーマン(それも、ヴォイトがおなかを壊して、
幕の途中からベアードに代わった日)
、そして、最終日のヘップナー
という、3人のトリスタンを聞けたそうです。
彼がライブ・イン・HDで歌ったスミスを聴いていないので、彼についてどう思ったのか
聴けなかったのが残念。
ヴォイトに関しては、最後の公演が一番良く、やっと聴きたいレベルの歌になっていたが、
他の回は、大人しすぎる、とのご意見でした。
また、以前は、このプロダクション、薬をのむところどころか、
二重唱の場面でも『パンチdeデート』(それも正真正銘のピンク、、)だったそうで、
こちらはあまりの不評ぶりに、今年から普通に青になっていた、ということでした。
あの薬を飲むシーンだけでもきつい!と思ったのに、二重唱でしかもピンク、、ありえん。

やっとワーグナーの話から抜け出し、シーズン回顧モードに入り始めた私たちは、
次に『ルチア』の話。
総合的には良い公演だったが、惜しむらくはゲルプ氏の作戦なのか(←おじいさんの言葉)、
デッセイの演技が熱すぎた。彼の意見では、ベル・カントには、歌そのもので
感情を表現する、というスタイルがあるのであって、熱い演技は不要!とのことでした。
私も基本的にはその意見に賛成なのですが(なのでデヴィーアが好きである)、
デッセイのあの熱い演技を歌に組みあわせたところはなかなかそれはそれで面白い、
という気持ちもあります。
非難の的であった、カメラマンや幽霊を登場させたりする場面、
あれはそれほど悪くない、というご意見でした。

『ピーター・グライムズ』
いい作品だが、ある意味、ブリテンという作曲家の置かれていた
閉塞していた状況がわかる作品、とも。
つまり、ワーグナーに比べると(また、そこに返るんですね、、)、
国民性、本人の気質、はたまた周りの環境もあって、つきぬけきれていない、と。
この方は、『ピーター・グライムズ』は本来もっとホモ・セクシュアリティを追求した作品に
なっていたはず(例えば、弟子とピーターの関係)と考えていて、
もしブリテンがワーグナーだったら、もっと恐れずに、そのゲイとして思うところを炸裂させたはずだ、と。
(ちなみにブリテンは、世界初演で『ピーター・グライムズ』の表題役を歌った
ピアーズと同性愛関係にあった。
というよりも、二人が中心になってこの作品を作り上げていった、といった方がよい。)
その、ブリテンがワーグナーだったらという仮定もオペラヘッドらしく、
そんな無茶な仮定、、などと口をはさめる余地もなかったのはいうまでもありません。

二度目のインターミッションでは、チリからいらっしゃった弁護士のご夫妻とおしゃべり。
結婚20周年のアニバーサリー旅行で、NYへ。
記念にメトの公演をご覧になるとは、素敵です。

そして、最終幕開始まで隣の座席のペルー出身、NY在住の同年代の男性と会話。
同業者なこともあって、話に花が咲く。
やや出遅れてチケットを取ったため、離れ離れの座席で
お母様と鑑賞していらっしゃいましたが、お母様、本人ともにリチトラの大ファン。
というのも、やはり2002年にお母様とメトに鑑賞に来た際、パヴァロッティが歌うはずだった『トスカ』で、
パヴァロッティがキャンセル。がっくり来たところに代役で入ったのがリチトラ。
このときの彼の歌唱は今でも語り草になっているほど素晴らしく、
その時以来、彼の大ファンなんだそうです。
今好きなテノールの話になって、フローレスの名前が出たので、
”私も大好き!”と言ったところ、”彼はペルーの出身だよ!”と嬉しそう。
そりゃ、私も日本からあんな素晴らしい歌手が出たなら自慢です。
”彼は今世界で一番だと思う!”と言ったら、”えっ!リチトラよりも?”と残念そう。
そうそう、彼はリチトラ・ファンだったんでした。
終演後、お母様と腕を組んでオペラハウスを出られる姿が微笑ましく、
オペラハウスは、各人それぞれの思いと思い出が溢れる場所であることを実感した夜でした。

Salvatore Licitra (Gustavo III/Riccardo)
Angela M. Brown (Amelia)
Dmitri Hvorostovsky (Captain Anckarstrom/Renato)
Stephanie Blythe (Ulrica Arfvidsson)
Ofelia Sala (Oscar)
Hao Jiang Tian (Count Ribbing/Samuel)
Jeffrey Wells (Count de Horn/Tom)
David Won (Christiano/Silvano)
Conductor: Gianandrea Noseda
Production: Piero Faggioni
Dr Circ A Even
ON

***ヴェルディ 仮面舞踏会 Verdi Un Ballo in Maschera***

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7 コメント

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ホロストフスキーのブレス音 (娑羅)
2008-04-21 11:45:53
今、品川の映画館の前で、ライブビューイング「ボエーム」の開演を待っています(笑)

ホロストフスキーのブレス音は、かなり有名で、気になる人には相当嫌悪感を感じるようです。
私の場合、ファンになったきっかけのROH「トロヴァトーレ」の映像が、既にズーハー言っていたので、「あら~、セクシーだわん♪」などと思っていたバカ者で、あのブレス音が、彼の超人的ロングブレスを生み出すのかな~と、今では考えています。
ただ、2年前の来日公演では気にならなかったし、Madokakipさんが仰るように、調子の良し悪しがあるのかもしれませんね。

Madokakipさんは、オペラが一番でいらっしゃるから、御興味がないかもしれませんが、ホロストフスキーのロシア歌曲のリサイタル(ピアノ伴奏)を是非一度聴いていただきたいです。
オペラの彼も大好きですが、彼の真骨頂はリサイタルじゃないかと思っていて、いつかカーネギーで彼のリサイタルを聴くのが夢なんです。
3日のリサイタルに行けなくて残念でした(涙)
リチートラが復活していて良かったです。
来年の共演が、今から楽しみです♪

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待ち時間にコメント! (Madokakip)
2008-04-22 11:41:25
娑羅さん、

ボエームの開演時間待ちの間にブログにコメントを頂けるとは!
いやはや、本当にPCさえあればいつでもどこからでも
チェックできますものね、便利な世の中になったものです。
ボエームのレポ、とっても楽しみにしています!

そうですね、時々ブレス音が大きい歌手を聴く機会がありましたが、
彼らの場合は、どちらかというと、”す~~っ”という音が大きくなったような感じなのに比べ、
この日のホロストフスキーは、ご~~~っ!という音で
ちょっと度肝を抜かれました!
これが、あの前回、ノセダ氏ののったり演奏にも付いていけた秘密だったのですね。

カーネギー・ホールでのネトレプコとのガラの時は、
彼のほとんど頭上のような席に座っていて何も聴こえなかったのに、
この日はドレス・サークル、舞台からは相当距離があるのに、
ものすごく生々しい轟音でした(笑)。
娑羅さんに聴かせてさしあげたかったなあ、、。

そうですか、そんなにリサイタルが素晴らしいということであれば、
聴きに行くしかないですね。
彼はNYでもとても人気があるので、すぐに戻ってきてくれるはず!
次回にはぜひ。

トロヴァトーレ、リチトラがこんな調子で歌ってくれれば、
面白い公演になるかも知れませんよ!!
私も、俄然楽しみになって来ました。

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追伸 (Madokakip)
2008-04-22 11:46:10
 娑羅さん、

そうそう、一つ言い忘れました。
この日、ホロストフスキーが終演後、本当に嬉しそうにしていたのが印象的でした。
彼個人の歌の出来からいうと、ずっと初日の方が良かったと思いますが、
その初日よりも。
多分、彼は自分の歌だけではなく、公演全体がすぐれたものであることを願っている歌手なんでしょうね。
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ヴァルガスがリッカルド! (娑羅)
2008-04-22 22:29:40
23日の『仮面舞踏会』、リッカルドがヴァルガスに変更になってますよね!?
リチートラはどうしたんでしょう?

>この日、ホロストフスキーが終演後、本当に嬉しそうにしていたのが印象的でした。

らしいですね
観に行った人から、ちょこっと聞きました。
そういうところ、やっぱり好きなんですよね~
芸術って、絶対に“その人”が表われるものだと思っているので、彼の声が暖かいのは、絶対人柄がいいからだ!と、ファンとしては信じています
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あらま! (Madokakip)
2008-04-23 04:24:17
 娑羅さん、

なんと!ほんとだ!ヴァルガスに変更になっている、、。

どうやら、リチトラ、昨日のシリウスの『連隊の娘』のインターミッションで
ゲストで出演したらしいんですが、
そのときに、体調がよくない、みたいなことを言っていたそうです。

しかし、疑り深い私は、もしかするとゲルプ氏の作戦??とも思ってしまいました。
チケットがまだ売れ残っているようなので、ヴァルガスでてこ入れ?
オペラヘッズは聴き比べが好きだから、リチトラがだめというのでなくても、
他のテノールが歌うのも聴いてみたい!という心理がありますからね。
実際、私も聴きに行きたい、、。
でも今週は厳しいなあ、、と心は千々に乱れるのでした。
シリウスでの放送があるようなので、少なくともそこでがっちり聴きたいと思います。

ちなみにヴァルガスはヒューストン・オペラでこの役を歌ったことがあるそうで、
役に対して声の線が細いものの、なかなか音楽性に富んだ歌唱を聴かせるそうなので、
この交代劇はおおむね好意的に見られているようです。
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確かに! (娑羅)
2008-04-23 10:31:22
23日の仮面~、Sold Out続出になってました!
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ゲルプ氏の作戦成功! (Madokakip)
2008-04-24 03:05:12
といったところでしょうか、、。やるな。
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