
正直、今まで実演でもCDでもアラーニャの歌唱を聴いて
感銘を受けたことが一度もなかった私です。
声自体にだれにも負けないほどパワーがあるわけでも、世にもまれな美声なわけでも、
かといって歌唱技術が素晴らしいわけでもなく、それでもって、演技がすごいわけでもない。。
一流のテノールたちが上の要素を複数兼ね備えていることを思うと、
何とも彼の位置づけは中途半端であり、思い込み&偏見の激しい私のことなので、
アラーニャは絶対に私の中の”超一流テノール”のカテゴリーには入れてもらえないのでした。
そして今シーズンの『ロミオとジュリエット』、『蝶々夫人』でも、その印象は変わらず、
それゆえに、私は、今日の公演で、彼がベルティの代役としてラダメスを歌うと聞いたとき、
それは頭を斧でかちわられたかのような衝撃を受けたのでした。
というか、普段からアラーニャのことを高く評価していないことを堂々表明している私なので、
友人が面白がって、その事実をわざわざ昨日の『蝶々夫人』の上演中に
電話で知らせてきたくらいなのです。
もともとは9/29の『アイーダ』で絶不調だったザジックがリベンジを図るのを聴きたくて、
追加で行くことにした公演だったのに、この番狂わせ。
しかも、アラーニャは昨年の12月に、スカラ座のこの『アイーダ』でラダメスを歌って
ブーイングを受け、そのまま舞台を飛び出してしまったという経緯があり、
まるで他の女性に捨てられた男性を拾うような(まあ、その逆でも何でもいいですが)、
はたしてメトはそれでいいの?という複雑な気分でもあったわけです。
せめてもの救いは、もともと歌う予定だったベルティも、声が大きいばかりで、
リリシズムにかける歌唱だったので、どっちもどっちか、と自分を慰められたことくらい。
もしもともと歌う予定だったテノールが私の好きな人だったりした場合は、
私、リンカーン・センター前で暴動を起こしていたはずです。
そのような理由で、開演にあたっては、
極めて厳しい否定的な目でアラーニャを見ていたことをこの際告白しておきます。
今日は平土間の前から11列目。歌手の顔が良く見える。
よく考えてみると、今まで何度もザジックが出演する公演に立会いながら、
私の平土間嫌いもあって、ここまで前の座席に座る機会がなかったので、
今日は彼女をこんな至近距離で見れる!と思うと、あまりの感慨深さにしみじみしてしまいました。
さて、最初の関門、”清きアイーダ Celeste Aida”。
アラーニャ、ものすごく緊張してますね。顔が固いです。大丈夫か??!
Celeste Aida(清きアイーダ)のda、
forma divina (清らかな姿)のna、
Mistico serto (神秘な美しさ)のto、
上昇していく音階、特に最後の音が全部外れてます。
ひゃー、予測はしていたけど、こりゃひどい!!
こんなので最後まで本当に歌えるの?とこちらまで不安に。
ああ、もうすぐ、最初の高音が来る。。外すぞ、外すぞ。。
Un regal serto sul crin posarti(君の額に王冠を載せ)
Ergerti un trono vicino al sol(君の王座を太陽にまで高く昇らせたい)
のErgerti un tronoのtro.....
きゃーーーーっ!!!外れるわあ、誰か助けて!!!
Ergerti un trono~
あれ?
あれあれあれ???今、もしかして、どんぴしゃの音が出たんじゃないの??
しかも割りと輝かしい声で。
そしてアラーニャは、さっきまで顔がすごく怖かったのに、今や笑ってる!!!
笑ってます!!!!
これで、嬉しかったのとリラックスできたのか、
繰り返しの部分の上昇音階も、さっきの外しまくりと違って、きちんとあわせてきました。
さあ、安心したところこそ要注意!足元をすくわれないように!!
次!繰り返しのergerti un tronoの最初のer、ここも高音よ、大丈夫?アラーニャ!
Ergerti un trono~
。。。どんぴしゃじゃないですか!そしてまたも輝かしい音。
まじめに、調子いいんじゃないですか?今日!
そして、ラストの高音、vicino al solのsol。お願い、決めてよ!!
un trono vicino al sol, un trono vicino al sol

決まったあ~。嘘でしょ???!!!
こんなに高音を音程正しく、それでいてフル・ボディで歌っているアラーニャ、
はじめて見ました。
しかも、声の響きも決して悪くない。
本人、これには相当嬉しかったのか、満面の笑み。
歌い終わった後、指揮の大野氏に感謝のジェスチャーをすれば、大野氏も両手を組み合わせて賞賛の意ををあらわす。
スカラ座事件の後で、これは本人にとって、相当なプレッシャーだったはずで、
素直にここはそれをはねのけた精神力を讃えたいと思います。
これで火がついたのがアムネリス役のザジック。
アラーニャがつけた熱気を消さないように、と最初から渾身の歌唱です。
メゾにありがちなねっとり系とは一線を画す、
私が大好きな、彼女の透き通るような、それでいて豊かな声がオペラハウス中に充満。

しかし、このラダメスが誰かに恋心を抱いているのではないかと疑うアムネリス(いい勘してる!それかラダメスがわかりやすすぎる性格なのか?)と、
とぼけようとするラダメスの間のさしの会話のシーンで、
アラーニャ、歌詞がふっとんだ!
だから、安心した頃が危険よ!とあれほど言ったのに!!
一気にふっとんでしまったせいか、プロンプターからの助けを借りる暇もなかったようです。
なんやらごにょごにょとでっちあげの歌詞を歌ってましたが、ばればれです!

しかし、今日の彼は精神力を強く持ってよくふみとどまった。
その後、ちゃんと立ち直って、後にひっぱらなかったのはお見事。
アイーダ役のアンジェラ・ブラウンが、いつもに比べて若干音程が不安定なのが残念。
しかも、彼女は至近距離で見ると、一層際立つ大根ぶりに愕然。
彼女は、本当に演技をどうにかしなければなりません。
もともとは綺麗な顔立ちなのに、演技をすると突然変な表情になるのはなぜなのか?
(むしろカーテンコールの地での彼女の方が数倍キュート。)、
そして、ちょっと最近のオペラ歌手では見ないほど、身振りが表面的に過ぎる。
それは歌唱の方にもいえて、声自体はやはり黒人の方特有の響きがあるので、
聴く人の好みが分かれるかもしれませんが、好みの話をぬきにすれば、
大変上品で綺麗な声なのに、歌の一字一句の解釈が浅い、というのか。。
時として、彼女の歌が、音楽の流れや歌詞と一体化せず、
綺麗な音を出すことだけに注意が向かってしまっているようで、
そのために、歌でドラマを生み出すことができずに、始終、どこか表面的な雰囲気が漂っているのが残念。
さて、今日の大野氏の指揮は、今までラジオと実演を含めて聴いた中、一番、私にはすんなり入って来ました。
今日はしっかり大野氏の姿が見えたので、ああ、こういう風に振っているのか、と観察でき、興味深かったです。
大野氏の指揮そのものは、私はよかったと思うのですが、
リハ疲れを思わせる、集中力の欠如から来るオケの個々の楽器のミスに足をひっぱられ続けた形に。
最後、大野氏への拍手が思ったよりも少なかったのですが、それは、どれも大事な箇所で、
●休符にかかわらず飛び出した金管、
●音がつぶれて甲高い音でぴーっ!となりひびいていた木管、
●それから、あまりにものすごい奇声ならぬ奇音のため、
一体、何の楽器からこんな音がなっているのか??!(今もってあれが何だったのか不明)
とびっくりさせられた大アンサンブルでのミスなどの責任をとらされていたようで、ちょっと気の毒でもありました。
アラーニャの思いがけない好演をひきだしたのは大野氏の存在が大きく、
ほとんどリハなし状態で役に臨んだアラーニャを、本当に上手くリードしていたと思います。
そこはもっと評価されるべき!
と、このようなわけで、少しオケがたるみ気味だったので、凱旋の場のオケはあまり聴き所がなかったのですが、
ここでもアラーニャがなかなか頑張っている。しかも、演技も悪くありません。
むしろ、ブラウンの大根ぶりがここでも光ってました。
王が、”ではラダメスよ、お前に娘のアムネリスをめとらせよう。”と宣言する、
ええっ!!そんなありがた迷惑なことを!!と、つい観客もくちばしってしまいそうになるこの場面。
ここは実際、あまりにも皮肉な運命に時として、観客から笑いが出るところでもあるのですが、
その演技力と歌でもってして、その笑いたくなるお話上の急展開を、
一気に観客に憐れを感じさせるように持っていくのがアイーダとアモナズロの重要な役目。
実際、私はこれまでアイーダ役およびアモナズロ役の歌手の歌唱力+演技力によっては、
胸が張り裂けんばかりの悲しみと、主役3人のすぐ背後までしのびよっている運命の急降下を感じて泣かされたことがありますが、
今日の二人(ブラウンと、のらりくらり男Dobber)の演技はあまりにひどくて、
私の隣に座っていた、NYローカルのおばさん3人組は笑い転げていらっしゃいました。
いけません、これは。
この幕の最後、ザジックの、大音量のオケと合唱を超えてまだその上を響き渡る声には、
ものすごいカタルシスを感じました。アムネリスはやはり、こうでなければ!!
いまだ他に彼女と同レベルのアムネリスを聴かせてくれるメゾが出てこない以上(少なくとも、私はまだ聴いたことがない。居たらどなたか教えてください。)、
彼女には頑張ってこの役を歌い続けて頂かなくてはなりません。
さて、第三幕。
そろそろアラーニャが疲れてくる頃なのでは?そろそろいがいが声が出始めるのは?
と心配するも、今日は本当によく持ちこたえてます。
アイーダと二人で国外に逃亡することを決意するあたりのくだりはなかなか。
声がひっくり返るという場面もありましたが、今日の彼は最後まで投げなかったのが素晴らしかった。
声がひっくり返ったあとでも根性でその音をソット・ボーチェで引っ張ってなんとか聴ける形にもっていったり、
ここまで一生懸命に歌われると、こちらも段々小さなミスがどうでもいいことのように思われてくる。
(まあ、どうでもよくはないのですが、その欠点をあげつらう気をなくさせるとでもいいましょうか。。)
Dobberののらりくらりぶりは相変わらずですが、声は以前に聴いたときよりも張りがあったように思います。
ただ、
”Non sei mia figlia! Dei Faraoni tu sei la schiava!
(お前などわしの娘ではない、ファラオの女奴隷に過ぎぬわ!)”
と我が子であるアイーダを罵倒する場面は、何というのか、もっともっと緊迫感が欲しい。
特に最後の単語、schiavaの処理が宙ぶらりんというか、
もっと激しく叱りつけてください、お父さん!と叫びたくなります。
図らずも自国の機密情報を敵国エチオピアの国王親子に売ってしまったラダメス。
アムネリスの知るところとなり、捕らえられる場面。
アモナズロとアイーダを逃がした後、ラダメスが剣を差し出しながら歌うこの幕最後の言葉、
”Sacerdote, io resto a te(祭司殿、私の身はあなたに。)”
も、もうこの時点ではおそらくこれも決めてくれるだろうとは思いましたが、
その通り、アラーニャがどんぴしゃの、輝きを失わない音でしめてくれて、
いよいよ舞台が盛り上がってきました。
第四幕 一場。
アムネリスが、ラダメスに、自分と結婚してアイーダのことを忘れるなら、
死刑を免れるよう画策してあげよう、と言うシーン。
ここでのアラーニャの演技は非常に新鮮でした。
たいていのテノールが真剣、かつ神妙な顔つきでその申し出を断るこの場面で、
なんとアラーニャは薄笑いを浮かべ、まるでアムネリスに挑戦でもするかのよう。
いや、もしくは、真実の愛を表現する方法を今もって理解できないアムネリスをあざ笑っている、とでもいうべきか。。
アムネリスが激怒するこの後とのつながりも良く、なかなかいい表現の仕方だと思いました。
ここからは、私は座席で正座でもしている気分になるくらいでした。
これから後、何度くらい、彼女のこんなアムネリスが聴けるのだろう?と思うと、
寂しい気持ちでもあるような。。
もう、言うことは何もありません。
裁判の三問の問いかけのシーン、
僧たちの”Traditor!(裏切りもの!)”のあとの、
”Ah pieta, ah! lo salvate, Numi pieta, Numi pieta”の最後のpietaが今まで聴いたこともないほどの
低音での大音響(すごい!)で、
これが少し息切れの原因になったか、最後の
”Empia razza! anatema su voi
La vendetta del ciel scendera!
(悪者どもよ、呪われよ!天は復讐をされるぞ!)
という僧たちへの捨て言葉が少しいつものキレを欠きましたが、
もう私は大、大満足。十分すぎるほどのリベンジとなりました。
そして第二場。
ブラウンがまたしても音程の正確さを欠いていたのが残念。
ここでも、たいていのテノールが、アイーダを石牢の中に見つけて、
驚くか、会えて喜ぶか、というシーンで、
アラーニャはアイーダを見つけるなり、がっかりする表情をするのです。
つまり、ラダメスは心からアイーダが無事に逃げ延びて、自国にたどりつくことを祈っていたのであって、
無私の愛を彼女に抱いていたことがよくわかります。
これは先にあった、アムネリスとの対話のシーンとの整合性もすばらしく、
大変興味深く見ました。
いけないのはまたしてもブラウン。最後、二人で歌うシーンで、
おそらくリハ不足であったアラーニャが横並びになったブラウンに
本来よりも早いタイミングで手をつなごうと手をのばしたところ、
ブラウン、指揮を見るのに必死で、全く気付かずアラーニャの手は虚しく宙に浮いたまま。
しょうがないので一旦おろしてまた上げるという無様なことに。
確かに彼女からすれば、私はやるべきことをやっていたまで!ということになるのかもしれませんが、
しかし、アンジェラさん、あなたは指揮者に対して歌っているのではなく、
ラダメスを相手に歌っているのです。
どんなときでもラダメスから目を離してはいけません!
そして、最後のアムネリスのPace, pace, paceが本当にせつない。
アムネリスがこのオペラの真の主人公と言われるのもむべなるかな。
さて、驚愕の健闘を見せたアラーニャ。
改めていうと、歌唱上の欠点がなかったわけではないし、100%の歌唱というのも無理があるのですが、
それでも、その歌唱上のキズを越えた、何か説明しがたい魅力のようなものを
今日のアラーニャの歌唱と役作りの中に私は感じました。
アーノンクールがウィーン・フィルを指揮し、ラ・スコーラやドマスが主役を張った『アイーダ』のCDがあるのですが、
私はこのCDが実は大嫌いで、我が家のCD棚で永久冬眠に入ってます。
それはなぜかというと、あまりにラ・スコーラが歌うラダメスがしょぼいからなのです。
この役を、ベルゴンツィのように朗々と歌ってほしい私のような人間にはナンだ、これは??と衝撃の一枚でした。
しかし、このCDをものすごく評価する人が批評家を含め実は結構いて、
アーノンクールの指揮が斬新、というのも一つなのですが、
さらに、”実はラダメスは優柔不断男だからこういう情けない歌唱こそぴったり!”というのが支持する人の意見なのです。
確かに一般に勇ましい男性として描かれがちなラダメスのキャラクターは実はちょっと違うのかもな、と納得する部分もなきにしもあらずなのですが、
だからといって、あのラ・スコーラのように弱々しいのもどうかと思う。。
という、私のような人間に、今回のアラーニャの役作り、声質ははまっていたのかも知れません。
彼の声は決してみんなを吹き飛ばすような力強さはないけれども、
ここまでは聴かせてほしい、というラインはちゃんと越えているので、
上記のCDを聴いたときのような不快感はないし、
また悩める武将というよりは、どこか普通の人っぽい感覚を残した役作りも新鮮でした。
絶対に成功する、と予測した公演がいまいちだったかと思えば、
これは失敗するに違いない!と予想した公演が思いがけなく興味深い公演になる。。
オペラの世界の奥深さを再認識した夜でした。
そうそう、NYヤンキーズの松井選手が今日の観客の中にいて、
オケの方がサインを求める姿も。
松井選手、胸にポケットチーフをさしてました。
しかし、私の前に座っていたのが松井選手じゃなくってよかった。。
あんなでかい人に前に座られた日には、舞台が見えません。
追記:こちらのNYタイムズのサイトで、この日のアラーニャの歌唱の抜粋が聴けます。
Angela M. Brown (Aida)
Dolora Zajick (Amneris)
Roberto Alagna replacing Marco Berti (Radames)
Andrzej Dobber (Amonasro)
Vitalij Kowaljow (Ramfis)
Reinhard Hagen (The King)
Jennifer Check (A Priestess)
Conductor: Kazushi Ono
Production: Sonja Frisell
ORCH K Odd
SB
***ヴェルディ アイーダ Verdi Aida***
感銘を受けたことが一度もなかった私です。
声自体にだれにも負けないほどパワーがあるわけでも、世にもまれな美声なわけでも、
かといって歌唱技術が素晴らしいわけでもなく、それでもって、演技がすごいわけでもない。。
一流のテノールたちが上の要素を複数兼ね備えていることを思うと、
何とも彼の位置づけは中途半端であり、思い込み&偏見の激しい私のことなので、
アラーニャは絶対に私の中の”超一流テノール”のカテゴリーには入れてもらえないのでした。
そして今シーズンの『ロミオとジュリエット』、『蝶々夫人』でも、その印象は変わらず、
それゆえに、私は、今日の公演で、彼がベルティの代役としてラダメスを歌うと聞いたとき、
それは頭を斧でかちわられたかのような衝撃を受けたのでした。
というか、普段からアラーニャのことを高く評価していないことを堂々表明している私なので、
友人が面白がって、その事実をわざわざ昨日の『蝶々夫人』の上演中に
電話で知らせてきたくらいなのです。
もともとは9/29の『アイーダ』で絶不調だったザジックがリベンジを図るのを聴きたくて、
追加で行くことにした公演だったのに、この番狂わせ。
しかも、アラーニャは昨年の12月に、スカラ座のこの『アイーダ』でラダメスを歌って
ブーイングを受け、そのまま舞台を飛び出してしまったという経緯があり、
まるで他の女性に捨てられた男性を拾うような(まあ、その逆でも何でもいいですが)、
はたしてメトはそれでいいの?という複雑な気分でもあったわけです。
せめてもの救いは、もともと歌う予定だったベルティも、声が大きいばかりで、
リリシズムにかける歌唱だったので、どっちもどっちか、と自分を慰められたことくらい。
もしもともと歌う予定だったテノールが私の好きな人だったりした場合は、
私、リンカーン・センター前で暴動を起こしていたはずです。
そのような理由で、開演にあたっては、
極めて厳しい否定的な目でアラーニャを見ていたことをこの際告白しておきます。
今日は平土間の前から11列目。歌手の顔が良く見える。
よく考えてみると、今まで何度もザジックが出演する公演に立会いながら、
私の平土間嫌いもあって、ここまで前の座席に座る機会がなかったので、
今日は彼女をこんな至近距離で見れる!と思うと、あまりの感慨深さにしみじみしてしまいました。
さて、最初の関門、”清きアイーダ Celeste Aida”。
アラーニャ、ものすごく緊張してますね。顔が固いです。大丈夫か??!
Celeste Aida(清きアイーダ)のda、
forma divina (清らかな姿)のna、
Mistico serto (神秘な美しさ)のto、
上昇していく音階、特に最後の音が全部外れてます。
ひゃー、予測はしていたけど、こりゃひどい!!
こんなので最後まで本当に歌えるの?とこちらまで不安に。
ああ、もうすぐ、最初の高音が来る。。外すぞ、外すぞ。。
Un regal serto sul crin posarti(君の額に王冠を載せ)
Ergerti un trono vicino al sol(君の王座を太陽にまで高く昇らせたい)
のErgerti un tronoのtro.....
きゃーーーーっ!!!外れるわあ、誰か助けて!!!
Ergerti un trono~
あれ?
あれあれあれ???今、もしかして、どんぴしゃの音が出たんじゃないの??
しかも割りと輝かしい声で。
そしてアラーニャは、さっきまで顔がすごく怖かったのに、今や笑ってる!!!
笑ってます!!!!
これで、嬉しかったのとリラックスできたのか、
繰り返しの部分の上昇音階も、さっきの外しまくりと違って、きちんとあわせてきました。
さあ、安心したところこそ要注意!足元をすくわれないように!!
次!繰り返しのergerti un tronoの最初のer、ここも高音よ、大丈夫?アラーニャ!
Ergerti un trono~
。。。どんぴしゃじゃないですか!そしてまたも輝かしい音。
まじめに、調子いいんじゃないですか?今日!
そして、ラストの高音、vicino al solのsol。お願い、決めてよ!!
un trono vicino al sol, un trono vicino al sol

決まったあ~。嘘でしょ???!!!
こんなに高音を音程正しく、それでいてフル・ボディで歌っているアラーニャ、
はじめて見ました。
しかも、声の響きも決して悪くない。
本人、これには相当嬉しかったのか、満面の笑み。
歌い終わった後、指揮の大野氏に感謝のジェスチャーをすれば、大野氏も両手を組み合わせて賞賛の意ををあらわす。
スカラ座事件の後で、これは本人にとって、相当なプレッシャーだったはずで、
素直にここはそれをはねのけた精神力を讃えたいと思います。
これで火がついたのがアムネリス役のザジック。
アラーニャがつけた熱気を消さないように、と最初から渾身の歌唱です。
メゾにありがちなねっとり系とは一線を画す、
私が大好きな、彼女の透き通るような、それでいて豊かな声がオペラハウス中に充満。

しかし、このラダメスが誰かに恋心を抱いているのではないかと疑うアムネリス(いい勘してる!それかラダメスがわかりやすすぎる性格なのか?)と、
とぼけようとするラダメスの間のさしの会話のシーンで、
アラーニャ、歌詞がふっとんだ!
だから、安心した頃が危険よ!とあれほど言ったのに!!
一気にふっとんでしまったせいか、プロンプターからの助けを借りる暇もなかったようです。
なんやらごにょごにょとでっちあげの歌詞を歌ってましたが、ばればれです!

しかし、今日の彼は精神力を強く持ってよくふみとどまった。
その後、ちゃんと立ち直って、後にひっぱらなかったのはお見事。
アイーダ役のアンジェラ・ブラウンが、いつもに比べて若干音程が不安定なのが残念。
しかも、彼女は至近距離で見ると、一層際立つ大根ぶりに愕然。
彼女は、本当に演技をどうにかしなければなりません。
もともとは綺麗な顔立ちなのに、演技をすると突然変な表情になるのはなぜなのか?
(むしろカーテンコールの地での彼女の方が数倍キュート。)、
そして、ちょっと最近のオペラ歌手では見ないほど、身振りが表面的に過ぎる。
それは歌唱の方にもいえて、声自体はやはり黒人の方特有の響きがあるので、
聴く人の好みが分かれるかもしれませんが、好みの話をぬきにすれば、
大変上品で綺麗な声なのに、歌の一字一句の解釈が浅い、というのか。。
時として、彼女の歌が、音楽の流れや歌詞と一体化せず、
綺麗な音を出すことだけに注意が向かってしまっているようで、
そのために、歌でドラマを生み出すことができずに、始終、どこか表面的な雰囲気が漂っているのが残念。
さて、今日の大野氏の指揮は、今までラジオと実演を含めて聴いた中、一番、私にはすんなり入って来ました。
今日はしっかり大野氏の姿が見えたので、ああ、こういう風に振っているのか、と観察でき、興味深かったです。
大野氏の指揮そのものは、私はよかったと思うのですが、
リハ疲れを思わせる、集中力の欠如から来るオケの個々の楽器のミスに足をひっぱられ続けた形に。
最後、大野氏への拍手が思ったよりも少なかったのですが、それは、どれも大事な箇所で、
●休符にかかわらず飛び出した金管、
●音がつぶれて甲高い音でぴーっ!となりひびいていた木管、
●それから、あまりにものすごい奇声ならぬ奇音のため、
一体、何の楽器からこんな音がなっているのか??!(今もってあれが何だったのか不明)
とびっくりさせられた大アンサンブルでのミスなどの責任をとらされていたようで、ちょっと気の毒でもありました。
アラーニャの思いがけない好演をひきだしたのは大野氏の存在が大きく、
ほとんどリハなし状態で役に臨んだアラーニャを、本当に上手くリードしていたと思います。
そこはもっと評価されるべき!
と、このようなわけで、少しオケがたるみ気味だったので、凱旋の場のオケはあまり聴き所がなかったのですが、
ここでもアラーニャがなかなか頑張っている。しかも、演技も悪くありません。
むしろ、ブラウンの大根ぶりがここでも光ってました。
王が、”ではラダメスよ、お前に娘のアムネリスをめとらせよう。”と宣言する、
ええっ!!そんなありがた迷惑なことを!!と、つい観客もくちばしってしまいそうになるこの場面。
ここは実際、あまりにも皮肉な運命に時として、観客から笑いが出るところでもあるのですが、
その演技力と歌でもってして、その笑いたくなるお話上の急展開を、
一気に観客に憐れを感じさせるように持っていくのがアイーダとアモナズロの重要な役目。
実際、私はこれまでアイーダ役およびアモナズロ役の歌手の歌唱力+演技力によっては、
胸が張り裂けんばかりの悲しみと、主役3人のすぐ背後までしのびよっている運命の急降下を感じて泣かされたことがありますが、
今日の二人(ブラウンと、のらりくらり男Dobber)の演技はあまりにひどくて、
私の隣に座っていた、NYローカルのおばさん3人組は笑い転げていらっしゃいました。
いけません、これは。
この幕の最後、ザジックの、大音量のオケと合唱を超えてまだその上を響き渡る声には、
ものすごいカタルシスを感じました。アムネリスはやはり、こうでなければ!!
いまだ他に彼女と同レベルのアムネリスを聴かせてくれるメゾが出てこない以上(少なくとも、私はまだ聴いたことがない。居たらどなたか教えてください。)、
彼女には頑張ってこの役を歌い続けて頂かなくてはなりません。
さて、第三幕。
そろそろアラーニャが疲れてくる頃なのでは?そろそろいがいが声が出始めるのは?
と心配するも、今日は本当によく持ちこたえてます。
アイーダと二人で国外に逃亡することを決意するあたりのくだりはなかなか。
声がひっくり返るという場面もありましたが、今日の彼は最後まで投げなかったのが素晴らしかった。
声がひっくり返ったあとでも根性でその音をソット・ボーチェで引っ張ってなんとか聴ける形にもっていったり、
ここまで一生懸命に歌われると、こちらも段々小さなミスがどうでもいいことのように思われてくる。
(まあ、どうでもよくはないのですが、その欠点をあげつらう気をなくさせるとでもいいましょうか。。)
Dobberののらりくらりぶりは相変わらずですが、声は以前に聴いたときよりも張りがあったように思います。
ただ、
”Non sei mia figlia! Dei Faraoni tu sei la schiava!
(お前などわしの娘ではない、ファラオの女奴隷に過ぎぬわ!)”
と我が子であるアイーダを罵倒する場面は、何というのか、もっともっと緊迫感が欲しい。
特に最後の単語、schiavaの処理が宙ぶらりんというか、
もっと激しく叱りつけてください、お父さん!と叫びたくなります。
図らずも自国の機密情報を敵国エチオピアの国王親子に売ってしまったラダメス。
アムネリスの知るところとなり、捕らえられる場面。
アモナズロとアイーダを逃がした後、ラダメスが剣を差し出しながら歌うこの幕最後の言葉、
”Sacerdote, io resto a te(祭司殿、私の身はあなたに。)”
も、もうこの時点ではおそらくこれも決めてくれるだろうとは思いましたが、
その通り、アラーニャがどんぴしゃの、輝きを失わない音でしめてくれて、
いよいよ舞台が盛り上がってきました。
第四幕 一場。
アムネリスが、ラダメスに、自分と結婚してアイーダのことを忘れるなら、
死刑を免れるよう画策してあげよう、と言うシーン。
ここでのアラーニャの演技は非常に新鮮でした。
たいていのテノールが真剣、かつ神妙な顔つきでその申し出を断るこの場面で、
なんとアラーニャは薄笑いを浮かべ、まるでアムネリスに挑戦でもするかのよう。
いや、もしくは、真実の愛を表現する方法を今もって理解できないアムネリスをあざ笑っている、とでもいうべきか。。
アムネリスが激怒するこの後とのつながりも良く、なかなかいい表現の仕方だと思いました。
ここからは、私は座席で正座でもしている気分になるくらいでした。
これから後、何度くらい、彼女のこんなアムネリスが聴けるのだろう?と思うと、
寂しい気持ちでもあるような。。
もう、言うことは何もありません。
裁判の三問の問いかけのシーン、
僧たちの”Traditor!(裏切りもの!)”のあとの、
”Ah pieta, ah! lo salvate, Numi pieta, Numi pieta”の最後のpietaが今まで聴いたこともないほどの
低音での大音響(すごい!)で、
これが少し息切れの原因になったか、最後の
”Empia razza! anatema su voi
La vendetta del ciel scendera!
(悪者どもよ、呪われよ!天は復讐をされるぞ!)
という僧たちへの捨て言葉が少しいつものキレを欠きましたが、
もう私は大、大満足。十分すぎるほどのリベンジとなりました。
そして第二場。
ブラウンがまたしても音程の正確さを欠いていたのが残念。
ここでも、たいていのテノールが、アイーダを石牢の中に見つけて、
驚くか、会えて喜ぶか、というシーンで、
アラーニャはアイーダを見つけるなり、がっかりする表情をするのです。
つまり、ラダメスは心からアイーダが無事に逃げ延びて、自国にたどりつくことを祈っていたのであって、
無私の愛を彼女に抱いていたことがよくわかります。
これは先にあった、アムネリスとの対話のシーンとの整合性もすばらしく、
大変興味深く見ました。
いけないのはまたしてもブラウン。最後、二人で歌うシーンで、
おそらくリハ不足であったアラーニャが横並びになったブラウンに
本来よりも早いタイミングで手をつなごうと手をのばしたところ、
ブラウン、指揮を見るのに必死で、全く気付かずアラーニャの手は虚しく宙に浮いたまま。
しょうがないので一旦おろしてまた上げるという無様なことに。
確かに彼女からすれば、私はやるべきことをやっていたまで!ということになるのかもしれませんが、
しかし、アンジェラさん、あなたは指揮者に対して歌っているのではなく、
ラダメスを相手に歌っているのです。
どんなときでもラダメスから目を離してはいけません!
そして、最後のアムネリスのPace, pace, paceが本当にせつない。
アムネリスがこのオペラの真の主人公と言われるのもむべなるかな。
さて、驚愕の健闘を見せたアラーニャ。
改めていうと、歌唱上の欠点がなかったわけではないし、100%の歌唱というのも無理があるのですが、
それでも、その歌唱上のキズを越えた、何か説明しがたい魅力のようなものを
今日のアラーニャの歌唱と役作りの中に私は感じました。
アーノンクールがウィーン・フィルを指揮し、ラ・スコーラやドマスが主役を張った『アイーダ』のCDがあるのですが、
私はこのCDが実は大嫌いで、我が家のCD棚で永久冬眠に入ってます。
それはなぜかというと、あまりにラ・スコーラが歌うラダメスがしょぼいからなのです。
この役を、ベルゴンツィのように朗々と歌ってほしい私のような人間にはナンだ、これは??と衝撃の一枚でした。
しかし、このCDをものすごく評価する人が批評家を含め実は結構いて、
アーノンクールの指揮が斬新、というのも一つなのですが、
さらに、”実はラダメスは優柔不断男だからこういう情けない歌唱こそぴったり!”というのが支持する人の意見なのです。
確かに一般に勇ましい男性として描かれがちなラダメスのキャラクターは実はちょっと違うのかもな、と納得する部分もなきにしもあらずなのですが、
だからといって、あのラ・スコーラのように弱々しいのもどうかと思う。。
という、私のような人間に、今回のアラーニャの役作り、声質ははまっていたのかも知れません。
彼の声は決してみんなを吹き飛ばすような力強さはないけれども、
ここまでは聴かせてほしい、というラインはちゃんと越えているので、
上記のCDを聴いたときのような不快感はないし、
また悩める武将というよりは、どこか普通の人っぽい感覚を残した役作りも新鮮でした。
絶対に成功する、と予測した公演がいまいちだったかと思えば、
これは失敗するに違いない!と予想した公演が思いがけなく興味深い公演になる。。
オペラの世界の奥深さを再認識した夜でした。
そうそう、NYヤンキーズの松井選手が今日の観客の中にいて、
オケの方がサインを求める姿も。
松井選手、胸にポケットチーフをさしてました。
しかし、私の前に座っていたのが松井選手じゃなくってよかった。。
あんなでかい人に前に座られた日には、舞台が見えません。
追記:こちらのNYタイムズのサイトで、この日のアラーニャの歌唱の抜粋が聴けます。
Angela M. Brown (Aida)
Dolora Zajick (Amneris)
Roberto Alagna replacing Marco Berti (Radames)
Andrzej Dobber (Amonasro)
Vitalij Kowaljow (Ramfis)
Reinhard Hagen (The King)
Jennifer Check (A Priestess)
Conductor: Kazushi Ono
Production: Sonja Frisell
ORCH K Odd
SB
***ヴェルディ アイーダ Verdi Aida***
オペラを見に劇場に行くようになってそう長くはたってない私ですが、「あ~、素晴らしかった!」と家に帰ってもうっとりするような公演って、そうあるものじゃないのね!
心も懐具合も貧しい私はすぐ「金返せ!」と叫んじゃうのですが。
いやいや歌手の皆さんも身体が楽器ですから、遠い日本まで来て、ベストの体調を保つのは至難のわざであることでしょう。し・か・し・・・チケット代が高すぎる。
昨年のボローニャ引越し公演トロヴァトーレのアラーニャ・・・ああ・・・なんだあれは?来日前の音とものインタビューでは「ハイCももちろん期待してください」なんて豪語してたくせに。
アラーニャだけじゃなく、一応それなりの歌手を揃えていたはずなのに。なんだかがっかりでした。唯一良かったのが、アメリカ人メゾ、コルネッティのアズチューナ。彼女はすばらしかったですよ。
このときDHはメト公演で日本にいたのだから、ルーナ伯爵を歌ってくれたらよかったんですけど。
松井選手さすがNYだけあって、オケの人からも人気あるんですね。
メトの平土間で見たときは(たった3公演ですが)、
本当にアメリカの方々、たて・横ともに大きくて見るのに大変でした。
なんでも座布団を貸してくれるという話を帰ってきてから聞いたんですが、本当ですか?
私、実はヤンキースファンでもあるのです。
そっか~、NYですもんね~。いてもおかしくないんだ~。
ジーター選手もオペラ観るのかしら?←ちょっと好きなんです♪
私も去年行った時、もっと観客にも、注目しておけば良かったなぁ。
舞台に注目する人がいたもんで、それどころではなかったんですが
ところで、アラーニャ。
私も、ファンってわけじゃないんですが、スカラの一件は、ちょっと気の毒に思っていたので、因縁のラダメスで成功したことは、本人にとってもホッとしたことでしょう。
NYの友達が、ジョルダーニに代わった日に、バタフライに行くつもりしてたらしいんです。
「ジョルダーニに代わったんだって~」と言ったら、「え~~!また、ジョルダーニ!?行かなくて良かった~(笑)」って言ってました(笑)
彼女も、ジョルダーニ苦手みたいです。
暇になったゲオルギューは、またしてもNYに行ってるのかしら~?
だって初めて本気で買った「椿姫」がアラーニャだったんだもの。
(今はソプラノ、、、ファブリッチーニだっけかな?、、、の声がどうしても好きになれずお蔵入りになっているが。)
私は今日仕事をしながらこのレポを読んで思わずiPodに手を伸ばし、買ったばかりの「アイーダ」を聴きながら、そしてレポを読み返しながら、「あぁ、ここなのね」と確認したのでした。
こうなったら何としてでも仕事を片付けてNYに行って「アイーダ」を観ねば(アラーニャじゃないかもしれないけど)!と思って、まだ会社で釈迦利器に働いております、まもなく日にちが変わろうというのに。
しかしそれにしてもあなたのザジックが好調だったということで本当に良かったわね!
オペラもバレエも馬鹿みたいに同じ演目に通っちゃうんだけど、同じものを観る事がない、何回見ても違う楽しさがある、だめだったときの保険、感動しすぎてもう一回みたい(T&Iパターン)等々、ホントやめられまへん~。
ほんとに、誰か別のテノールが中に入っているのではないかと驚いたほど、
いつもの彼にはない激しい闘志を感じました。
そうなんですよ、彼はサービス精神が旺盛すぎるのかもしれないけれど、
インタビューなんかで大きいことを言って期待させておいてすっころばせる、という、
そんなところも何だかなあ、と以前は思っていたのです。
コルネッティというメゾがいるんですね。
これまで、メトでは名前を聞いたことがないように思いますが、ぜひ早く登場して歌ってほしいです。
DHファンさんがおっしゃるとおり、
座布団、貸し出してくれるんですよ。
あの、座席の赤い布とともぬのの座布団です。
おそらく腰が悪い人とか、お年寄り、それから、
背の低い人のためなのか、結構厚みがあるんですよね。
このアイーダの公演では、前のおじいさんがやたら座高が高くて、”まいった、背の高いおじいさんに目の前に座られた。”と、
がっくり来ていたのですが、
幕が終わって化粧室に向おうと、彼と同時に立ち上がったところ、
びっくりするくらいおじいさんの背が低かったので、拍子抜けしました。
おそらくこれも、座布団効果だと思われます。
そうでしたか、娑羅さんは野球もお好きでいらっしゃるのですね。
ジーター選手、見なさそうですねー、オペラ(笑)。
しかし、松井選手も見なさそうなところはどっこいどっこいなので、わからないもの!
こっそり観客にまぎれているかもしれませんね。
この間の土曜のルチアでは、化粧室で、ナタリー・ポートマンを見かけました。
結構、観客を観察していると、有名人が混じっていたりします。
そうですか、ジョルダーニ苦手な人が他にも(笑)。
しかし、あれだけひどいことを言っていた私ですが、
あのロミオの代役事件以来、ちょっぴり見直しました。
しかし、彼が歌うピンカートンを聴きたいか?
答えはNON!です。
ゲオルギュー、どうやらNYに来ていたみたいですよ。
ワシントン・ポストにこの公演でのアラーニャの記事が出ていて、
そこでゲオルギューがシカゴ・リリックからくびを申し渡された件について聴かれて、
”ひどい話だよね。彼女はボクのためにNYにいてサポートしたい、と思ってくれていたのに。。
しかも、彼女はもう何度もミミを歌っているんだから、
リハーサルなんて必要ないのに。。”
アラーニャ、こりゃだめだ・・・
いい歌唱をきかせても、このアーパーぶりは全くかわらず。
リハーサルは彼女のためだけにあるんじゃなくって、
オペラハウスのすべての人のためにあるんですう!!!と誰か彼の鼓膜が破れるくらい耳元で叫んであげてくれないかしら。
わかるわ、最初に買ったCDの刷り込みって大きいわよね。
ひよこがはじめて目にした動く物体をお母さんと思うように、
あなたのテノールのデフォルトはアラーニャ、、
そ、それはちょっとまずいかもしれないわ!
しかし、いつもはけちょんけちょんに言っている歌手でも、
ジョルダーニにしろ、アラーニャにしろ、
思いがけない馬鹿力を出してがんばってくれるのは、
オペラファンとして嬉しいもの。
そうそう、本文の追記として、今NYタイムズでアラーニャのこの日の歌声が聴けるようなので、
サイトをリンクを入れておきました。
(メトのサイトでも聴けるみたいです。)
そう。そうなの!
しかし、私が何より嬉しかったのはザジックよ。
あの前回の歌唱では、私は一年中悶々としながら過ごさなければいけないところだったわ。
これから一年、すっきりした気分で過ごせます。
彼女は、前にこのブログでもふれたメトのDVDが素晴らしくて、
キャリアのはじめにあんな素晴らしい歌を歌っちゃったものだから、
それ以上どこに行けば?っていう感じもあって、
もちろんその頃に比べるとやっぱり年齢のこともあって
今回は歌そのもののパワーは落ちているんだけど、
久々にアラーニャに火をつけられたのもあって、
あつい歌が聴けたのが何よりもうれしかったわ。
そういう意味でもアラーニャに感謝しなければならないのかも知れないです。