4月21日(土)。
友人のサムが行っている教会で、ブルガリアの孤児院の補修工事費用を捻出するためのイベントが開かれた。
これは、スポンサード・パフォーマンスというもので、友人、知人に「私は○○費用の捻出のため、□□のパフォーマンスをします。みなさんいくらか援助してください。」と伝え、お金を集める。
僕の場合、知り合いのほとんどが学生なので、みんなお金を持っていない。それでも、この日5人の友人が来てくれて、お金は20ポンド(5000円くらい)集まった。少ないが、サムはもっと集めていたし、バンドでは2万円くらいか。それでも全体ではもっと集まったはず。一人分が少しでも、全体では大きな額になるもの。
ブルガリアでは冬に氷点下20度にもなるらしいが、この孤児院では暖房器具も壊れていたり、トイレも壊れてひどい状況らしい。今回のパフォーマンスで、少しでも子供達の生活が楽になればと願う。
パフォーマンスは、友人のサム・サリー夫妻、ユリさんと一緒に4曲演奏した。1曲目はアイルランドのギター曲。2曲目はスコットランドでは有名な「ドナルド、ズボンはどうした?」、3曲目は「花」、4曲目、ラストが「ソーラン節」だった。
スコットランド男性の伝統衣装は、キルトというスカートだ。2曲目は、歌詞中で、ドナルドがひどい風邪をひいてしまうのだが、あいにくハンカチも持っていない。仕方がないのでキルトをひょいと持ち上げて洟をかむ・・・
というシーンも出てくる人気の歌。
ソーラン節は、風邪をひきながらも気持ちよくこぶしを回して歌った。サムの説明と盛り上げ方が上手く、お客さんたちは「もみ手」と「ハイハイ!」「ハー、ドッコイショー、ドッコイショー!」の合いの手で参加してくれた。
何よりも、やはり教会に集まってくる人たちは付き合いやすい。生活の中に宗教が根付いていて、奉仕活動を実践しているというのはとてもいい。日本にも、田舎ではきっと、仏教がこういう形で根付いているのだと思うが、自分の生まれ育った環境では、宗教としてはなかった。
ただ、小学生の頃に通っていたキリスト教の日曜学校で感じた、こういう奉仕の精神が今の自分に影響を与えていることは大いにあると思う。しかし、僕の場合は、宗教や愛国心が途上国支援や伝染病の研究に向かわせているのではない。日本とネパールの現場で得た生の感動に基づくヒューマニティーだ。
出演後、風邪がぶり返してきたのでサムに車で送ってもらったが、家に着くころちょっとした宗教談義になった。僕は最近よく仏典を読んでいるので、サムに仏教の話をした。お互いコアな部分なので、宗教の話をするには家までの距離は短すぎた。
スコットランドでも、ウガンダでも、仏教徒として生きるのは多勢に無勢。車を降りる時サムが、「I convert you. You convert me.」(Convert:改宗)と笑いながら言った。教会であんなに心温まる環境にいることが出来るのなら、convertされてしまうのもいいかも知れない、とちらっと思った。
友人のサムが行っている教会で、ブルガリアの孤児院の補修工事費用を捻出するためのイベントが開かれた。
これは、スポンサード・パフォーマンスというもので、友人、知人に「私は○○費用の捻出のため、□□のパフォーマンスをします。みなさんいくらか援助してください。」と伝え、お金を集める。
僕の場合、知り合いのほとんどが学生なので、みんなお金を持っていない。それでも、この日5人の友人が来てくれて、お金は20ポンド(5000円くらい)集まった。少ないが、サムはもっと集めていたし、バンドでは2万円くらいか。それでも全体ではもっと集まったはず。一人分が少しでも、全体では大きな額になるもの。
ブルガリアでは冬に氷点下20度にもなるらしいが、この孤児院では暖房器具も壊れていたり、トイレも壊れてひどい状況らしい。今回のパフォーマンスで、少しでも子供達の生活が楽になればと願う。
パフォーマンスは、友人のサム・サリー夫妻、ユリさんと一緒に4曲演奏した。1曲目はアイルランドのギター曲。2曲目はスコットランドでは有名な「ドナルド、ズボンはどうした?」、3曲目は「花」、4曲目、ラストが「ソーラン節」だった。
スコットランド男性の伝統衣装は、キルトというスカートだ。2曲目は、歌詞中で、ドナルドがひどい風邪をひいてしまうのだが、あいにくハンカチも持っていない。仕方がないのでキルトをひょいと持ち上げて洟をかむ・・・
というシーンも出てくる人気の歌。
ソーラン節は、風邪をひきながらも気持ちよくこぶしを回して歌った。サムの説明と盛り上げ方が上手く、お客さんたちは「もみ手」と「ハイハイ!」「ハー、ドッコイショー、ドッコイショー!」の合いの手で参加してくれた。
何よりも、やはり教会に集まってくる人たちは付き合いやすい。生活の中に宗教が根付いていて、奉仕活動を実践しているというのはとてもいい。日本にも、田舎ではきっと、仏教がこういう形で根付いているのだと思うが、自分の生まれ育った環境では、宗教としてはなかった。
ただ、小学生の頃に通っていたキリスト教の日曜学校で感じた、こういう奉仕の精神が今の自分に影響を与えていることは大いにあると思う。しかし、僕の場合は、宗教や愛国心が途上国支援や伝染病の研究に向かわせているのではない。日本とネパールの現場で得た生の感動に基づくヒューマニティーだ。
出演後、風邪がぶり返してきたのでサムに車で送ってもらったが、家に着くころちょっとした宗教談義になった。僕は最近よく仏典を読んでいるので、サムに仏教の話をした。お互いコアな部分なので、宗教の話をするには家までの距離は短すぎた。
スコットランドでも、ウガンダでも、仏教徒として生きるのは多勢に無勢。車を降りる時サムが、「I convert you. You convert me.」(Convert:改宗)と笑いながら言った。教会であんなに心温まる環境にいることが出来るのなら、convertされてしまうのもいいかも知れない、とちらっと思った。
でも心は温まってるようでよかった。
ニッポンは寒いんですか?
こちらは、今日は暖かいけれど、まだ風邪が治りません。
クリスチャンじゃないのにクリスマスやって
一応墓参りには連れられて行く。。。。
日本人の多くの形でしょうね
両親も宗教色は一切なし
ただ、父が亡くなった時 手伝ってくれた叔母が
とっても信仰深くて(土地柄だと叔母は言っていた)
やはり宗教が生活に入っている環境は違うなと
感じていました。
なんか うまく書けませんm(._.*)mペコッ
風邪 早くすっきり治りますように。
分かりますよ。日本人の宗教観と道徳観は、ヨーロッパには当てはまりませんから。でも、いいこと、悪いこと、思いやりというのを、他の国に劣らず(多分勝るくらい)持っている。
宗教も、祈ることや心を健康に保つ面ではいいですが、100%全部信じるかと言われると、厳しいですよね。
お寺を中心に みな心を寄せ合っていきていたのだと
思います
ただ やっぱり因習に縛られる
ちょっと違った考え方を認めない
などの弊害もあったでしょうねぇ
この弊害と引き換えに
社会は暖かさをなくしました…
ぼくは 個人的には
かなりハードな宗教観で
宗教は生死の問題にのみかかわるべきで
お坊さんが家庭円満の秘訣や
幸福な社会生活などを口にすることに反対です
福祉は政治家に
健康問題は医師に
道徳問題は教師に
それぞれ任すべきで
宗教と道徳を一まとめに論じることには
反対していますが…
なるほど。確かに歴史的にも、宗教が政治に悪用されたこともあり、世の中を見ていても、商売や、テロや、いろいろなものに悪用されてます。途上国では、病気を宗教の力で治そうとすることがあって、致死性の伝染病を見逃してしまったり、大きな問題になっています。
僕も、海外に住まなければ、宗教について考えることもなかったと思います。新渡戸稲造の武士道の冒頭では、アメリカの偉い先生に、留学当初、日本では学校で宗教を教えないと言ったときに、宗教なしでどうやって道徳観を子供たちに教えるのかと驚かれたことが書いてあるようです。
途上国では、多くの人が名前を聞くのと同じような感覚で宗教について質問してきます。イギリスではそんなことはありませんが、休日の多くは宗教的なもので、生活に深く溶け込んでいます。
イギリスやウガンダの敬虔なクリスチャン、タイや北部ネパールの敬虔な仏教徒を見ていると、宗教が心の豊かさ、生きる姿勢に与えている影響は、大きいように思えます。
仏教も、スッタニ・パータという初期のお経では、道徳的なことをよく伝えていますし、般若理趣経では、一般の人が、人生をどのように生きるべきかというメッセージが多く書かれています。
このように、宗教の経典には、豊かで気持ちよく生きていくヒントが多く書かれているし、僕も個人的には、宗教が生活の中に根付いていて、心豊かに生きている人たちに好感を覚えるのです。
ただ、日本は単一民族で、大体仏教と神道が混在しているので気にならないかも知れませんが、エディンバラでは、違う宗教の人達が混在しているので、hawkさんのおっしゃっているように、福祉、医療、教育と宗教を分けないと大変なことになりますね。
いつも、楽しくROMしてます。
私も、94-95年にエディンバラ大学の子連れで留学しました。
法学部と文学部です。
子連れでの留学(ちなみに、夫はフランスのリヨンに留学)は大変でしたが、学校の友達や地域のつきあいなどは、子供がいてこそ、というところがあり、今では楽しい思い出です。現地の小学校P3に通った息子も今は大学2年生です。
教会にも良く行きましたし、コミュニティセンターにもお世話になりました。
私も、日本では無宗教ですが、いろいろな関係(主に合唱)で教会に出入りしていますが、やっぱり雰囲気が違います。エディンバラでは、昔の日本の町内会ってもしかしてこんな感じだったかも・・・と想いながら、おつきあいしてました。
これからも、ご活躍と、ご家族のご健康を願ってます。
ブログも楽しみにしてます。
ブログでこんな素晴らしい出会いがあるんですね。
法学部と文学部というと、校舎はジョージ・スクエアだったのでしょうか?ご主人は同時期に留学ではないですよね?
そうですか。いろいろお話をお伺いしたいところですが、距離がありますので我慢しておきます。
温かいお言葉有難うございます。これからもよろしくお願いします。
留学後も何度かヨーロッパに行く機会があったのですが、ロンドンとかパリとかが多くて、なかなかエディンバラを再訪できなかったのですが、今年の1月に12年ぶりに再訪しました。懐かしかったです。
夫は、同時期にフランスのリヨンに留学したんです。
で、私と当時小学校一年(日本)の息子が、エディンバラに留学しました。お休みの時には、リヨンに遊びに行ったり、リヨンから遊びに来てくれたり・・・
7歳というのは、なかなか微妙な年齢で、耳からどんどん英語を吸収するには大きすぎたので、やや苦労しました。行く前も現地でも、私自身が忙しかったので、あんまりケアしてやれなかったと言うこともあります。
でも、現地のいろんな方に支えられて、危なっかしいけれども、なんとか無事過ごすことができました。小学校も、外国人を迎えるということに慣れているなぁ、じょうずだなぁっと思いました。
またエディンバラ大学に留学していた大学生で帰国子女のお嬢さんに会えたのも大きかったです。
息子には無理をかけたなぁと思っていたので、高校1年の時、エディンバラに一人で語学研修に出かけたいと言い出した時は、とてもうれしかったです。その余勢を駆って(?)、高校2年の時にはオーストラリアに一年間留学しました。
帰国後も、英語のケアをしてやることができなかったのですが、一定の長さのある文章をなんとなくさぁ~と読むっていうのが、できるようになっていて、これは留学の成果かなと思っています。
長々と、失礼しました。
それでは、また~
返信ありがとうございます。ブログ訪れてみましたが、花の写真などがきれいで、楽しいブログですね。本格的に合唱をなさっていらっしゃるのですね。
僕達は、ヒュームタワー横の、駐車場に面したところに住んでいますので、なおさら身近に感じました。
英語に関して、息子の将来のことを考えますので、いのうえさんのご子息の話を知ることが出来て、良かったです。
それでは、またお待ちしてます。