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10月4日 映画『キンキーブーツ』,『カポーティ』,文学青年ジェイソン君

2006-10-07 20:37:19 | 抱茎亭日乗メモ
 映画『キンキーブーツ』は『フル・モンティ』とか『カレンダーガールズ』的ハートフルなお話。
以下ネタバレあり。

予想通りの展開だが、面白い。泣けて笑える。ファッションも音楽も楽しい。

しかし事実を基にしているといいつつ、見本市に社長があれで登場はないんでないかい?あり得ん!
(事実だったらスミマセン)
私は社長が女装で登場するのかと思った。

それでも大変良い映画。ローラのド迫力がいい。歌もうまい。

 続けてみた『カポーティ』は眉間に皺が寄ったまま凝視してしまうぐらい、重い映画だった。
以下ネタバレあり。

『キンキーブーツ』も良い映画だが、ぬるい話だ。
『カポーティ』は恐らく私の2006年ザ・ベスト。
あまりにも素晴らしい作品。緊張しっぱなしの114分だった。

レヴューは、フィリップ・シーモア・ホフマンら俳優陣の演技を称えるものが多い。
確かに皆素晴らしい演技で引き込まれる。

私に一番響いたレビューはこれ。

「『カポーティ』はまさにトルーマン・カポーティが行ったように、題材となる対象者をからかい、魅了し、つきまとうことで敬意を払っている」(オーウエン・グライバーマン、ENTERTAINMENT WEEKLY)

比較するのはおかしいかもしれないが、日記に書くとか書くなとか、私のやっていることなど、なんて平和なタタカイか。

身を滅ぼしても書く、書くためには取材対象も騙す、死刑の場にも立ち会う。
話を聞くために取材対象者が生きることを願い、奔走した後で、出版のために死ぬのを待つ。
狂っているけど、作家とはそういう生き物だ。

私ごときの日記に書かれた人でもいろいろな思いを抱くものらしい。
私も自分のことが書かれれば気になる。

『冷血』の主人公ペリーは、自分のことが書かれたものを読ませてもらえない。
タイトルさえ教えてもらえない。
カポーティは「まだ少ししか書いていないから」と言っていたのに、新聞でカポーティが朗読会をやったことを知る。
作品が完成した時には自分は確実に死んでいる。
「友達だよね?」とカポーティに聞いてみる。その答えは……。
これは書かれる側として、堪らないだろうなあ。

そんなこんなを考えさせられた、静かだけど激しく揺さぶられる映画だった。
また見たい。

 10月1日に声をかけてくれたジェイソン君とは、いろんな話をしましょう、ということでメールのやり取りが続いている。
英文メールは読むのも書くのも時間がかかる。
翻訳サイトはキチガイの書いた文章になるし。

ジェイソン君のメールをサイトで翻訳してみると……

「その時、私の大好きなロシアの作家はレールモントフでした、そして、ドストエフスキーと私の大好きなフランスの作家はコクトー、ジード、サルトルとロブグリエでした。私も、ハーマンヘッセが好きでした。この頃、私がこれらの著者のどれにでもよってまだ何でも好きであるけれども、レールモントフだけは当時同じ声と感覚で私と話します。ああ、そして、生涯のお気に入りは、チャールズディケンズによるオリバーTwistです。あなたは、それを知っていますか?」

と、ヘンテコな日本語らしきものになる。

それはそれとして、オーノー!アイ ドント ノウ ほとんど!
参った。1冊も読んでない。レールモントフ?ロブグリエ?誰?

 9月30日、檸檬屋35周年パーティーで、荒川洋治さんが「文学は実学である」という話をされた。
現代日本でいかに文学離れが進んでいるか、人々が文学作品を読まなくなり、他人に関心を持たなくなり、人間性が崩壊していくのだ、という話。

その話を聞いて、私も本を読まなくなった、と思っていた。
そして外国の文学作品なんて、ほとんど読んでないことに、ジェイソン君のメールで気付く。

荒川さんは、「家に文学全集があるだけでもいいんです。なんとなく読んだ気になってくるものです」と言っていた。

私は歴史や文学は映画や演劇で知ることが多い。
なので『冷血』も『オリバーツイスト』も映画で見ようっと。

そして読んだことがある人から話を聞く、それだけでもいいんじゃないの、という気がする。
だから、ジェイソン君とお話しようっと。