変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




ワンセグ携帯が欲しくなって来た。
おいらの周囲にも、ちらほらと保有者がいて、買い替えを検討している連中を
含めると、かなりの数だ。
アナログ地上波のテレビ付き携帯は、いただけない品質だった。あれも欲しい
と思ったものだが、PCサイトビューアで充分という判断は正しかった。
そもそも、殆どの用途が出先で野球の試合経過を知るためで、速報サイトで
いいのだ。
ところが、ワンセグを見て考えが変わった。
これは習慣を変化させる力を秘めている。
試合経過が知られればいい、という現状の価値観の延長線ではなく、もっと
違った用途を生み出し、使わしめるポテンシャルがある。

おいらの年代が経験したこのテのツール革命とそれに伴ったパラダイムシフト
は、やはりインターネットと携帯電話なのだろうか。
どちらも、普及前後では生活や仕事のやり方から大きく変わったと言っていい。

文系出身でアナログなおいらは、人様に先んじてこれらを導入した訳ではない。
プライベートでは、『高速』14.4Kモデムでネットデビューを遂げた。
携帯はツーカーの巨大な端末で、通話は1時間もしない内に電池切れ。おまけ
に繋がる所が少なくて、車で移動してたりすると、繋がるまでに公衆電話を何個
もやり過ごすという、意味不明な品質だった。

今では信じられない。
ま、携帯が繋がんないのは相変わらずかもしれないが、それは例えばパソコン
の性能が比較できない程に向上したのに、『速いなー』と思いながら使っている
人はいないだろう的な、キリが無い世界なのかもしれない。

それは兎も角、これらの便利ツールと言うかインフラの整備と普及がもたらした
ものは恩恵だけか?
そんな訳は無い。メリットもデメリットもあるもんだ。
ただ、ネットと携帯の便利さは、他人との関わりを迅速化させる域をはみ出し、
正当な関わりを排除する方向に向いていないか。
その結果、他人に対する心遣い、優しさが失われてはいまいか。自分の責任で
無ければいい的な価値観を増徴させてはいるのではないか。結局は自分に返っ
て来るのんだけどね。

待ち合わせ場所で会えないと、会合が成り立たない。会える為にと最大限の
工夫をする。日常のリスク管理とはこんなレベルなのだ。仕事を含めて。
携帯の普及が待ち合わせの工夫を消滅させた。便利でスマートなんだけども、
リスクを洗い出し、顕在化させない細工を考え、ヘッジの手段を選び、起こって
しまった時の対処を講じておく。
こういった日常の当然の行為や思考から、リスクの管理能力は訓練される。
この分野の能力的に、やや心配な人達を見かけることがある。大概は冷たい
感じがする人達。
そんな人は前からいたんだろうし、比率が増えたかどうかも知らない。
ま、他に得意な分野があるんだろうけども。

これが時代の流れなのかな。
おいらも他人からみたら心配なのかな。
きっとそうなのだろう。

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