あれこれあわただしいのだけど、そのひとつひとつが妙に楽しい日々。
ちょっと間が空いたが、先週末は取材で盛岡に一泊。
尋ねたのは石川啄木の故郷 渋民村。地元の人も滅多に見られないというほど
澄み渡った岩手山をスカッと拝むことができ、つくづく幸運だった。
渋民駅に降り立った瞬間から、何かの謎解きのように村の随所で啄木短歌に出逢う。
東京よりぐっと冷涼な空気に、切り絵のように浮かび上がる色づいた樹々。
冠雪も凛々しい岩手山の向かいには、すっとたおやかな姫神山が。
顔を右に左に動かし 2つの山を交互に眺めると、彼と彼女は静かに微笑みあっていた。
啄木が教員を務めていた渋民小学校の教室で取材&撮影。
障子窓の隙間から忍び込んだらしい糸トンボたちも一緒に参加。
教室の壁には、誰かが置いていったという素敵な帽子がかかっていた。
石川啄木記念館 学芸員の山本さんいわく、啄木は中折れ帽で蛍を採ったことがあるんだとか。
記念館には啄木がよく弾いたという旧いオルガンが。館内にはこのオルガンの音色を収録した
BGMがごく小さく流れており、妙に心地よかった。
寺山修司の「書を捨てて町に出よう」にも出演していたという元・天井桟敷の昆明男さんと
学芸員山本さんの対談は、おふたりのキャラが立っていて楽しかった。
なかなか長丁場だったけど、取材中もずっと、私の真正面には岩手山の威容がそびえており
夕暮れには、その迫り来るようなシルエットに思わず手を止めてほーっと見とれてしまった。
2日間に及ぶ取材の後、明治43年に東雲堂から発行された「一握の砂」の復刻版を
山本さんにいただいた。今回、啄木にまつわる本のお仕事で初めて啄木作品と真剣に向き合う
機会を得たわけだが、遅ればせながら、啄木がいかに天才だったかを思い知った。
中学時代に教科書で読み流していた3行詩のような短歌も、今改めて見ると平易な言葉の奥に
深遠な世界が息衝いており、ある種 彼は優れたキャッチコピーの天才でもあったのだと感じた。
それにしても、ご一緒できた方々がみな温かな人たちで楽しかったー。
編集のみずもとさんと共に、村の温泉でもほこほこあったまることができ、
スリランカと温度差約30℃もなんのそのすっかりなごんでしまったのだった(原稿もがんばろ)
☆
土曜、久々にオーリエさんと邂逅。青山のCLEAR EDITION&GALLERYに寄った後、
例によってすっかり深く話し込み。彼女との新しいお仕事もわくわくする。
時々口をつく博多弁も絶妙にチャーミングなオーリエさん↓
☆
週明けは月曜から取材&打ち合わせラッシュ。火曜、修復中の東京駅の上に白い半月が浮かぶ頃、
待ち合わせ時刻にはしばし間があったので、一丁倫敦界隈をゆるゆるお散歩。
ながいながい自分の影に、のほほん顔で水を滑る鴨や白鳥たち。
夏以来、久々に訪れた和田倉噴水公園で、ぼーっ。。好きだなあ、やっぱりここ。
日没後、食育の取材で丸ビル35Fの仏料理店「サンス・エ・サヴール」へ。
窓辺に立つと眼下に、ついさっきまで居た和田倉噴水公園の水飛沫がちいさくちいさく見えた。
そして、夜の皇居は深い穴のようにくらいのだった。
☆
その後2日間は部屋から一歩も出ず、時々ぱたっと寝てはまた起きて黙々と原稿を書き続ける。
もしも、誰かがその様子を覗いたら、変なネジ巻き人形みたいにみえたかもしれない。。
土曜、アイウエア関連の取材で布施英利さんにインタビュー。取材場所はたまたま近所のカフェ。
布施さんは去年も鼎談でお目にかかったけれど、やっぱり藤田嗣治画伯そっくり(笑)
さすが興味深い話もいろいろ。原稿を書くのが愉しみだなー。
これは、話のネタにでもなればと持っていったイタリアの眼鏡のヴィジュアル歴史本。
むかし、ローマの古書店で見つけた一冊なのだが、黎明期の眼鏡のクールさに驚く。
☆
数日前、近所の花屋さんの軒先でピンポンマムの鉢植えを見つけ、迷わず連れてきた。
昔から、このまあるいかたちにたまらなく魅かれる。
そしてこの花をみるたび、ニキを思い出す。ニキが天国まで抱いていった花だから。
もうすぐ、満月。
ちょっと間が空いたが、先週末は取材で盛岡に一泊。
尋ねたのは石川啄木の故郷 渋民村。地元の人も滅多に見られないというほど
澄み渡った岩手山をスカッと拝むことができ、つくづく幸運だった。
渋民駅に降り立った瞬間から、何かの謎解きのように村の随所で啄木短歌に出逢う。
東京よりぐっと冷涼な空気に、切り絵のように浮かび上がる色づいた樹々。
冠雪も凛々しい岩手山の向かいには、すっとたおやかな姫神山が。
顔を右に左に動かし 2つの山を交互に眺めると、彼と彼女は静かに微笑みあっていた。
啄木が教員を務めていた渋民小学校の教室で取材&撮影。
障子窓の隙間から忍び込んだらしい糸トンボたちも一緒に参加。
教室の壁には、誰かが置いていったという素敵な帽子がかかっていた。
石川啄木記念館 学芸員の山本さんいわく、啄木は中折れ帽で蛍を採ったことがあるんだとか。
記念館には啄木がよく弾いたという旧いオルガンが。館内にはこのオルガンの音色を収録した
BGMがごく小さく流れており、妙に心地よかった。
寺山修司の「書を捨てて町に出よう」にも出演していたという元・天井桟敷の昆明男さんと
学芸員山本さんの対談は、おふたりのキャラが立っていて楽しかった。
なかなか長丁場だったけど、取材中もずっと、私の真正面には岩手山の威容がそびえており
夕暮れには、その迫り来るようなシルエットに思わず手を止めてほーっと見とれてしまった。
2日間に及ぶ取材の後、明治43年に東雲堂から発行された「一握の砂」の復刻版を
山本さんにいただいた。今回、啄木にまつわる本のお仕事で初めて啄木作品と真剣に向き合う
機会を得たわけだが、遅ればせながら、啄木がいかに天才だったかを思い知った。
中学時代に教科書で読み流していた3行詩のような短歌も、今改めて見ると平易な言葉の奥に
深遠な世界が息衝いており、ある種 彼は優れたキャッチコピーの天才でもあったのだと感じた。
それにしても、ご一緒できた方々がみな温かな人たちで楽しかったー。
編集のみずもとさんと共に、村の温泉でもほこほこあったまることができ、
スリランカと温度差約30℃もなんのそのすっかりなごんでしまったのだった(原稿もがんばろ)
☆
土曜、久々にオーリエさんと邂逅。青山のCLEAR EDITION&GALLERYに寄った後、
例によってすっかり深く話し込み。彼女との新しいお仕事もわくわくする。
時々口をつく博多弁も絶妙にチャーミングなオーリエさん↓
☆
週明けは月曜から取材&打ち合わせラッシュ。火曜、修復中の東京駅の上に白い半月が浮かぶ頃、
待ち合わせ時刻にはしばし間があったので、一丁倫敦界隈をゆるゆるお散歩。
ながいながい自分の影に、のほほん顔で水を滑る鴨や白鳥たち。
夏以来、久々に訪れた和田倉噴水公園で、ぼーっ。。好きだなあ、やっぱりここ。
日没後、食育の取材で丸ビル35Fの仏料理店「サンス・エ・サヴール」へ。
窓辺に立つと眼下に、ついさっきまで居た和田倉噴水公園の水飛沫がちいさくちいさく見えた。
そして、夜の皇居は深い穴のようにくらいのだった。
☆
その後2日間は部屋から一歩も出ず、時々ぱたっと寝てはまた起きて黙々と原稿を書き続ける。
もしも、誰かがその様子を覗いたら、変なネジ巻き人形みたいにみえたかもしれない。。
土曜、アイウエア関連の取材で布施英利さんにインタビュー。取材場所はたまたま近所のカフェ。
布施さんは去年も鼎談でお目にかかったけれど、やっぱり藤田嗣治画伯そっくり(笑)
さすが興味深い話もいろいろ。原稿を書くのが愉しみだなー。
これは、話のネタにでもなればと持っていったイタリアの眼鏡のヴィジュアル歴史本。
むかし、ローマの古書店で見つけた一冊なのだが、黎明期の眼鏡のクールさに驚く。
☆
数日前、近所の花屋さんの軒先でピンポンマムの鉢植えを見つけ、迷わず連れてきた。
昔から、このまあるいかたちにたまらなく魅かれる。
そしてこの花をみるたび、ニキを思い出す。ニキが天国まで抱いていった花だから。
もうすぐ、満月。
石川啄木のエピソードがかなりページを割いて出ています。ご一読を。
間、わたしは函館で“土方・啄木浪漫館”と
下北半島を望む”啄木のお墓”をめぐっていました!
函館は啄木の愛した街ということでした☆
わたしは土方歳三を追いかけての函館旅行で、啄木
さんはついでだったのですが、ちょっぴり偶然の嬉
しさを感じ、つい書き込みいたしました。
なんだかシンクロ旅ですね。
「一握の砂」も函館の浜が舞台になっていますよね。
しかし函館はまた一段と寒かったのでは?
風邪に気をつけてくださいね。