快い冬晴れから一転、どんよりした火曜は終日うちで原稿書き。
けど、月曜に取材や資料探しで動き回ったせいかちょっと気だるい。。
忘れる前に、日曜に上野でみた2つの美術展の感想など、さくっと。
まずは国立西洋美術館。
みたのは、「ヴィルヘレム・ハンマースホイ 静かなる詩情」(例によって最終日滑り込み…)。
ハンマースホイは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したスウェーデンの画家。
日本ではあまり知られていないが、近年欧米で再評価されており、今回は本邦初の大回顧展だった。
↑ポスターやチラシのキーヴィジュアルになった作品<背を向けた若い女のいる室内>をはじめ
数々の絵に登場するオブジェのひとつ、ロイヤルコペンハーゲンのアンティークも展示されていた。
ハンマースホイ作品は、フェルメールをはじめ17世紀オランダ絵画を構図的に引用しつつ、
その極めて精緻で静謐な絵世界の中に、どこか謎めいた演劇的な時空を内包している。
登場人物の多くは後ろ向き。顔が見えていても、その視線はまずこちらに合わされることはない。
<ピアノを弾く女のいる室内、ストランゲーゼ30番地> 1901年
1898年に夫婦で移り住んだストランゲーゼ30番地の居室が、多くの作品の舞台となった。
妻イーダの白いうなじ、黒いドレス、白いエプロン、白いクロス、白い器、白い窓枠、白いカーテン、
白い扉、白い壁、木製のピアノ、木製の椅子、木製のテーブル・・・
それらがそっと現れたり消えたりしながら、繰り返し繰り返し描かれる。
まるで 室内から室内を 透明なカメラが彷徨するように。
<室内、ストランゲーゼ30番地> 1900年頃
そして気づくと、鑑賞者自身がカメラとなってストランゲーゼ30番地に潜む白い迷路を彷徨し、
その不思議な気配に満ちた密室劇にすっかり魂を奪われてしまうのだ。
<陽光の中で読書する女 ストランゲーゼ30番地> 1899年
ハンマースホイは旅先でもこうした独特の室内風景を描いている。
先のストランゲーゼ30番地シリーズでもそうだが、影の位置が不自然であるなど
決してリアリズムではなく、時間経過や視点のずれを巧妙に取り込んでいたりする。
そこに生じる奇妙さを不気味と捉えるか、心地よいと感じるかは鑑賞者しだい。
<リネゴーオンの大ホール>1909年
☆
その日はハンマースホイだけでもう十分満足だったのだけど、帰りに上野公園を散策していたら
ついこれが目に入り、気がついたら「上野の森美術館」に吸い込まれていた。
今度はレオナール・フジタの“乳白色の迷宮”へ――
<仰臥裸婦>1931年
フジタは自画像にもよく猫のこうした表情を描いているが
これはよほど愛する人にしか見せない猫特有のラブラブ顔。
<猫のいる自画像>1927年頃
晩年 カトリックに改宗し、旧約聖書をよく作品の題材にしたフジタの<イブ>シリーズとも初対面。
かつてフジタは「偽りのない処人間の最始の人であるアダムになり、イブを恋人とし、
大自然の楽園で、政治も戦争も機械文明もなく、ただ呑気に暮らしてみたい」と云ったとか。
<イブ>1959年
「平和の聖母礼拝堂」用に創られたステンドグラスも再現され展示されていた。
これは音楽の守護聖人でもある聖チェチーリア。
フジタ展の図録も充実の内容。表紙に用いられているのは大作<ライオンのいる構図>のディテール。
一連の群像表現の中からこの部分を切り取ってくるセンスが心憎い。左端になにげにいるのは猫。
フジタが手がけた陶芸作品や夫人への贈物用に創った木箱なども展示されていた。
友人のコクトーはそれらの作品を見て「ルイス・キャロルの魔法の世界を見出せる」と語ったそう。
そうした作品のひとつ「猫の聖母子」の復刻版を販売していたので入手。
昨日、えとさんのお誕生日プレゼントに贈った。
フジタは仕立て屋としても一流だったようで、愛用の裁縫箱の絵をモチーフにした缶も
ミュージアムショップに。商売上手だなぁとか思いつつ、このガーリー感がたまらず購入(笑)。
☆☆
先日 コーヒーが解禁になったとたん、コーヒーが切れ、近所のやなか珈琲へ調達に。
「いつものを300gお願いします」とオーダーして待っていると、
お店のロゴやパッケージのイメージを手がけている本多廣美氏の個展案内をいただいた。
案内状(↓右)の木版画「月と廃墟」も寓話的でいい。
2008.12.18~23本多廣美「奇想の木版画展」@ぎゃらりーパステル
これはやなか珈琲の壁にかかっていた本多氏の木版画のひとつ。
<ひみつ>
けど、月曜に取材や資料探しで動き回ったせいかちょっと気だるい。。
忘れる前に、日曜に上野でみた2つの美術展の感想など、さくっと。
まずは国立西洋美術館。
みたのは、「ヴィルヘレム・ハンマースホイ 静かなる詩情」(例によって最終日滑り込み…)。
ハンマースホイは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したスウェーデンの画家。
日本ではあまり知られていないが、近年欧米で再評価されており、今回は本邦初の大回顧展だった。
↑ポスターやチラシのキーヴィジュアルになった作品<背を向けた若い女のいる室内>をはじめ
数々の絵に登場するオブジェのひとつ、ロイヤルコペンハーゲンのアンティークも展示されていた。
ハンマースホイ作品は、フェルメールをはじめ17世紀オランダ絵画を構図的に引用しつつ、
その極めて精緻で静謐な絵世界の中に、どこか謎めいた演劇的な時空を内包している。
登場人物の多くは後ろ向き。顔が見えていても、その視線はまずこちらに合わされることはない。
<ピアノを弾く女のいる室内、ストランゲーゼ30番地> 1901年
1898年に夫婦で移り住んだストランゲーゼ30番地の居室が、多くの作品の舞台となった。
妻イーダの白いうなじ、黒いドレス、白いエプロン、白いクロス、白い器、白い窓枠、白いカーテン、
白い扉、白い壁、木製のピアノ、木製の椅子、木製のテーブル・・・
それらがそっと現れたり消えたりしながら、繰り返し繰り返し描かれる。
まるで 室内から室内を 透明なカメラが彷徨するように。
<室内、ストランゲーゼ30番地> 1900年頃
そして気づくと、鑑賞者自身がカメラとなってストランゲーゼ30番地に潜む白い迷路を彷徨し、
その不思議な気配に満ちた密室劇にすっかり魂を奪われてしまうのだ。
<陽光の中で読書する女 ストランゲーゼ30番地> 1899年
ハンマースホイは旅先でもこうした独特の室内風景を描いている。
先のストランゲーゼ30番地シリーズでもそうだが、影の位置が不自然であるなど
決してリアリズムではなく、時間経過や視点のずれを巧妙に取り込んでいたりする。
そこに生じる奇妙さを不気味と捉えるか、心地よいと感じるかは鑑賞者しだい。
<リネゴーオンの大ホール>1909年
☆
その日はハンマースホイだけでもう十分満足だったのだけど、帰りに上野公園を散策していたら
ついこれが目に入り、気がついたら「上野の森美術館」に吸い込まれていた。
今度はレオナール・フジタの“乳白色の迷宮”へ――
<仰臥裸婦>1931年
フジタは自画像にもよく猫のこうした表情を描いているが
これはよほど愛する人にしか見せない猫特有のラブラブ顔。
<猫のいる自画像>1927年頃
晩年 カトリックに改宗し、旧約聖書をよく作品の題材にしたフジタの<イブ>シリーズとも初対面。
かつてフジタは「偽りのない処人間の最始の人であるアダムになり、イブを恋人とし、
大自然の楽園で、政治も戦争も機械文明もなく、ただ呑気に暮らしてみたい」と云ったとか。
<イブ>1959年
「平和の聖母礼拝堂」用に創られたステンドグラスも再現され展示されていた。
これは音楽の守護聖人でもある聖チェチーリア。
フジタ展の図録も充実の内容。表紙に用いられているのは大作<ライオンのいる構図>のディテール。
一連の群像表現の中からこの部分を切り取ってくるセンスが心憎い。左端になにげにいるのは猫。
フジタが手がけた陶芸作品や夫人への贈物用に創った木箱なども展示されていた。
友人のコクトーはそれらの作品を見て「ルイス・キャロルの魔法の世界を見出せる」と語ったそう。
そうした作品のひとつ「猫の聖母子」の復刻版を販売していたので入手。
昨日、えとさんのお誕生日プレゼントに贈った。
フジタは仕立て屋としても一流だったようで、愛用の裁縫箱の絵をモチーフにした缶も
ミュージアムショップに。商売上手だなぁとか思いつつ、このガーリー感がたまらず購入(笑)。
☆☆
先日 コーヒーが解禁になったとたん、コーヒーが切れ、近所のやなか珈琲へ調達に。
「いつものを300gお願いします」とオーダーして待っていると、
お店のロゴやパッケージのイメージを手がけている本多廣美氏の個展案内をいただいた。
案内状(↓右)の木版画「月と廃墟」も寓話的でいい。
2008.12.18~23本多廣美「奇想の木版画展」@ぎゃらりーパステル
これはやなか珈琲の壁にかかっていた本多氏の木版画のひとつ。
<ひみつ>