空飛ぶ自由人・2

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小説『ぼくせん 幕末相撲異聞』

2023年04月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

ちょっと風変わりな時代もの。

時は幕末の文久3年。
前頭七枚目の三峰山岩蔵は、
勧進相撲で張出関脇の陣幕と対戦し、
髷を掴むという禁じ手を使って、角界追放となってしまう。
薩摩島津家お抱えの三峰山が、
松江松平家お抱え力士の陣幕に禁じ手を使ったということから、
薩摩藩からお抱えを解かれた三峰山は、
明日の食い扶持にも窮するほど追い込まれてしまう。
行き場がなくて困っていたところ、
行司をやめてきた式守庄吉の提案で、
大阪相撲からやって来た磯助と組んで、
新たな格闘技を立ち上げる。

その格闘技とは、足の裏以外の体の一部が地面に着いたら負け、
という相撲のルールはそのままに、
拳骨で殴ったり、足で蹴ったりすることも許す、
早い話が、今のボクシング
更にはキックボクシングと相撲を融合したものだった。
相撲のように押し出しはない。

しかも、基本的に八百長
最初から試合の流れと勝ち負けを決めておいて、
格闘の最後に大技で倒す。
一方的に勝負が付くと盛り上がらない、
お互いの攻防が行われたうえで
決着が付くのを前提とする、
その過程の技の出し合いを楽しんでもらう、というもの。
今のプロレスみたいなものだ。
(ご存じだと思うが、
 プロレスの技は、相手の協力がないと決まらない。
 腰を引かれたら、技はかからないのだ。)

また、善玉と悪玉を役割分担して、
最後は善玉が勝つようにする。
そうすれば芝居だと言って興行が打てる。

「歌舞伎だって実際に人は死にませんが、
本当に人を殺すよりも迫力のある舞台をつくることができます」

名付けて「ぼくせん」
ボクシングの訛ったものか。
実際はオランダ語でBOKUSENとは、
ボクシングのこと。

昨年、「慶応三年の水練侍」で
朝日時代小説大賞を受賞した木村忠啓(きむら・ちゅうけい)。
受賞作も、幕末の動乱期に
藩の行方を左右する水泳勝負に挑むこととなった侍の奮闘を描く、
「スポーツ時代小説」という、新ジャンルの小説だった。
そして著者2作目となる本作でも、
幕末を舞台に、元力士が
観客に見せるための格闘技を立ち上げるという、
奇想天外な物語。

競技の時に着る半纏にそば屋や饅頭屋の名前を染めるなど、
庄吉の営業力もなかなかのもの。
手にはなめし皮を巻くのも、ボクシングのグローブのようだ。
選手(?)の入場には、お囃子を付けるというのも、
現代と同じだ。

やがて、噂を聞きつけた力自慢や荒くれ者たちが集まり、
誰も見たことない格闘技「ぼくせん」に、
次第に観客が集まり始める・・・・

幕末に、相撲興行を観戦したイギリス人が
力士を挑発して対戦が行われるなどの事実があったらしい。

もともと相撲には土俵がなかった。
土俵ができたのは、
織田信長の頃という説もあるが、
存在が確認される確かなところでは
元禄年間(1688~1704年)であり、
相撲の歴史からすれば、
かなり後になってからである。
土俵がない時代の相撲では、
力士の回りを観客が囲み、
これを「人方屋」(ひとかたや)と称した。
土俵がないから、
押し出しや寄り切りもなかったと考えるほうが自然である。

などと、蘊蓄も豊富。

市村座の座元である十三代目市村羽左衛門も登場し、
岩蔵は言う。

「西洋相撲などと呼ぶ者もいるそうですが、
あっしはそうは思いやせん。
むしろ、ぼくせんこそ
古来の相撲の姿に近いと思っておりやす」

日本で初めてプロレスの興行が行われたのは
明治20年だという。
(ホントかね)

ネットで「ぼくせん」で検索すると、
砥上裕將(とがみひろまさ)の小説「線は、僕を描く」が
が沢山出て来て、笑った。


「ぼく」と「せん」で、
そういう検索結果を生むらしい。