空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『ザ・ホエール』

2023年04月13日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ブレンダン・フレイザーが奇跡のカムバックを遂げて、
アカデミー賞の主演男優賞を取った作品。
という関心で観た。

40代のチャーリーは、
リモートで大学のエッセイ講座の講師をして生計を立てている男。
272キロの超肥満体で、
歩くこともままならず、
巨体をもてあましながら、
自宅に引きこもっている。

その男の境遇が次第に明らかになってくる。
8年前、教え子の男性と駆け落ちして家庭を捨て
その恋人アランが拒食症で亡くなって以来、
その喪失感から過食に走り、
ついに、この巨体になったという。


容貌が「おぞましい」ため、
リモート画面でもカメラの故障を理由に、
講師の顔は出さずにいる。

アランの妹で看護師のリズが
心配して様子を見に来て、
入院を進めるが、金銭的理由で断っている。
「うっ血性心不全」の発作を起こし、
リズの見立てでは、余命1週間だという。

チャーリーは、死期を悟り、
最後の願いとして、疎遠だった娘との関係改善を望む。
訪れて来た娘エリーは、
17歳のティーンエイジャーで、
学校生活と家庭でトラブルを抱えて心が荒んでおり、
父親にことごとく反発する。

これに、伝道で訪問してきた
カルト教団の宣教師の青年の話がからみ、
別れたも登場する、5日間の出来事。

観ていて、ああ、これは原作が舞台劇だな、
と思ったら、予想どおり、エンドクレジットで判明。
劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇が元だった。
セットが一つ、
主要な登場人物が5名という、
いわゆる「ウェルメイドプレイ」というやつだ。
登場人物がやたらと葛藤対立するのは、
舞台劇の手法だから。

その舞台劇を、
安易に回想などで手を加えずに、
密室劇のまま終始したのは、
監督のダーレン・アロノフスキーの矜持だろう。

死期を悟った男が、
疎遠だった娘との絆を取り戻そうとする、
喪失と絶望、許しと救済の物語だが、
感動的なはずが、
私は最後まで乗れなかった。
原因は明白で、
主人公に少しも共感するところがなかったからだ。

教え子の男性と恋仲になって、
妻と娘を捨て、
その恋人の死で、
過食症に陥り、
生命の危機にまで陥っていながら、
金を理由に治療をしない。
12万ドルの資産を持っていながら。

可哀相な境遇で、同情はするが、
それは全部、自分がそうしたのだ。
自業自得。
家庭を捨てるという、人間として最低の行為をしていながら、
今度は、その娘との絆を取り戻したいという。
甘ったれるのもいい加減にしろ。
さんざん周囲を不幸にしておいて、
自分だけ救われようというのか。
全ては自分のした過ちの結果として、
七転八倒しながら、苦悩のまま、潔く死んでいけばいい。
娘に会いたいなどという願望は、
その資格がない、という形で自分を律すればいい。

本来、宗教に救いを求める性質のものだが、
どうもキリスト教系新興宗教「ニューライフ教会」が
アランの死に関係しているらしく、
その道も閉ざされている。
大体、恋人をなくしたことが過食の原因だというが、
連れ合いをなくしても、気丈に生きている人はいくらでもいる。
もっと喪失感の大きい、子どもを失ってもいないのだ。

もちろん、そういう人間を描くことは、
芸術作品の題材としては悪くない。
だが、過食症の肥満体、という設定は、
作りすぎていないか。
肥満が進む途中で、
これではいけない、と立ち戻ることが出来ない人は、
同情の余地がなく、
娘との絆の復活など、求めてはいけない。
まして、最後にリモートの画面に自分の姿をさらした後、
自分が学生たちに教授したことを全否定して、
パメコンを放り投げるなど、
どうかしている。

ラストで、それまで雨で暗かった外から
陽光が差し込み、
ラャーリーの症状を緩和するために読んでいた
エッセイが何だったかが判明するが、
それは、救いではない。
そのエッセイとは、メルビルの「白鯨」に対するもので、
題名の「ザ・ホエール」はこそこに由来する。

むしろ、死期を悟った主人公に、
周囲が娘との絆の復活を勧めるが、
本人が「俺には資格がない」と言って固持する、
それをまわりが手を回して・・・
という話だったら、共感したのだが。

というわけで、
「主人公への共感」という
最低限の要素を欠如したこの作品、
評価は「3」だが、
ブレンダン・フレイザーの演技は見事の一言。


看護師役のホン・チャウの演技と、
素晴らしいメイクの技術も合わせて、
1点を加えて、5段階評価の「4」

TOHOシネマズ他で上映中。

4:3のスタンダードサイズだが、
劇場ではスクリーンはワイドのまま。
左右の黒い部分はスクリーンに残る。
昔はサイズに合わせて黒幕を移動した。
どうしてそんな手間を惜しむようになってしまったのだろうか。

以下は、与太話。

チャーリーが死んだ後、
葬儀はどうしたのだろうか。
つまり、は、そんな大きなサイズがあるのだろうかという心配。
更に、日本だったら、火葬しなければならないが、
火葬場は、そんな巨体に対応できるのだろうか。
実例はあると思うので、
誰か教えて下さい。