月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

気になること /不快/心に残るもの

2010-03-08 05:59:22 | Weblog
もう半世紀も昔のことになりますからね。生まれて、新潟の中学校を卒業して上京するまでの時間。心に残るいじめのような記憶は全くないと思えるほどに、時間も過ぎてしまったし、心の傷として残るようなものは、実際何も無かったということは言えるんだろうと思う。それほどに、のどかな夢の中にいたように感じられなくもない、地方での子供時代。
何かしら対立的なことがあったりしたのは、上京後。16歳から19歳位にかけてだろうか。私の友人との付き合い方に、不快感を見せて当たってくる者が、別の時期に2度ばかり現われたこと。特定の友人と親しくし過ぎる、と見た者がその現われた者たち、ということになる。経済的な理由で田舎では進学できずに上京して、昼間は仕事をし(勤めていたのは、慶応の中等部)、高校は都立高の二部に通っていた。同じ学年の個人、ということだったのだが、その反感を見せて当たってきたのは、いずれも暗い印象のタイプだったように思う。なにか、いじいじと考えそうなタイプ。こちらからすると、自身にとって自然な行動が、こちらからすれば無関係の何者かに、そうした不快感を与えているというのは、思い及ばないようなこと、あるいは余計な馬鹿げた迷惑なこと、そうした次元のこととしか思えないことだったんですけれどもね。その人間以外の者は、誰も私に対してそのような感情を持たない、何事もなく普通の関係にあっわけですからね。ひとりの場合には、私が親友としていた友人と同じスポーツの方の部活をしていた者に私について言って、その人間に、私に向かってこちらにはかなり不快な人つき合いについての忠告めいたものを、言わせたことがあったのです。その不快さは、じつは今も残っている。それが19歳の頃。翌年、昼間部の方の大学に進学したのだけれども、以降の人生では、とりわけ残るようなものもない。10代の心にあったことならではの、感じ方ゆえだったのだろうか。むろん、そうしたことも、もう思い起こすようなこともないのだけれども。。ただ、そこに記憶を戻すとすれば、その不快さが甦るということ。そのままにそこにある、ということになると思いますね。

学習院の初等科。生徒は選ばれているのでなかったのだろうか。乱暴な子がいる、というのを知り、そのあたりの配慮はどうなのかと気になる。愛子様。学校に行かない状態とは、そうしたご年齢で心に感じられたこと、状況を思えば、それは彼女だけに限らない、どのような子供たちにとっても同じ、本当に憂慮すべきこと。心からはいつまでも、その時に受けた思いは消えないことを思います。
コメント
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