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月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

詩-Space  いくらでも先

2010-04-13 23:25:12 | Weblog




        待望するもの
        一向に現われる気配
        無い
        と言う時の場所
        なにも
        地面の内側からと
        決める
        ものでもない
        扉の向こうからだったりも
        する
        けれど
        現われなければ
        空の下
        仰ぎ見たりなどしながら
        音立てずに
        脇
        過ぎる時間に
        飛び乗るなどして
        また先
        いくらでも
        先
        切符などなしで
        ね

                        13 April 2010
  

Crazyという絵を描く指/冤罪

2010-04-08 06:38:58 | Weblog
例えばの話。実際には殺人など犯していないのに、殺人犯にされて死刑の判決を受ける。そうしてもう何十年も、死刑囚として刑務所の中。未来の全くない今日から、明日。またその次の日。そうした日々。例えばの話。それは、いまあなたが陥っている運命であるのですね?
なんと不公平な、と思います。言葉を失うようなことは、日常的に、ありふれてあるので、もうすっかり鈍感になって、ひとのくるしみなどにだあれも、もう反応をしない? あなたが本当は無実で、それなのに何十年も刑務所の中に殺人犯として閉じこめられつづけ、くるしんでいても、正義の魔法の力が瞬時に救い出してくれることは、有り得ない。不公平としか言えないと、全ての人に同時に刻まれる時間なるもの流れる、いまのこの刻。また、木霊。

いまその心を占めていること/議員辞職のW氏

2010-04-03 22:34:39 | Weblog
あの時の、いけない手。同じこの手が、あの時にずうっと先まで伸びで、あの因果なボタンなどを押していなければ、何事も起きなかったのに。行く川の流れは、淀みなく淡々と流れていたはずであるのにね。彼も、おそらくはそうしたパターンが好き。そこに思わぬ展開などが紛れ込み、自分の運命を振り回すというようなこと、望んでいたわけはないでしょう? んん? あのお方が、そのような愚かしいことを? などと思われるのはね、プライドが許さないだろうし、だいたいがそうした状況になると、この時とばかりに当の者を責め立ててくる者、過剰に増えだしたりするわけでして、それに晒される。表向きはね、どこ吹く風、泰然たる姿勢を装いたいところでしょうが、場合によりけりで。この場合はどうしても、恥じ入る様子なども見せないことには?  そもそも、なにが彼をしてそのような行為へと向かわせたのか。その実の事情も知りたいところながら、なんだか、哀しい。さみしい事態。何故ならば、ワタシは、当の人について抱いていた印象、悪いものではなかったわけでしてね。花見日和の今日、桜の樹の下などを通りながら、なんということなく思ったりなどしていたものです。いま、その人の心の中を占めているもの、どのようなことなんだろうな。経験豊か。そうした年齢に至っている人にして、いま思うこと。

詩-Space  追う

2010-03-27 23:21:03 | Weblog


         追う
         という形
         私は好まないと
         腰にスピーカーなど下げて
         宣言している
         夢の中の
         あなたに
         似た
         あなたがいるので
         願望にそれがあるからと
         あるひとは言う
         求めて
         得られそうもないこと
         分かりながら
         追う
         という形
         利口ならば避けるもの
         進むほどに辛さ
         増える
         だけの形を
         道すがら思い描けば
         向きも
         見えてくるもの
         だから
         止められないあなたは   
         体の前で両手など
         合わせ
         握りしめながら
         揺れる
         呻く


                        27 March 2010  
         


詩-Space   孤独

2010-03-24 22:44:51 | Weblog
 

             まるごと
             というのは
             皮膚全部もむろん
             入るので
             髪一本までも
             抜けない
             ぶぶん
             だからまるごと孤独
             と言う人の
             孤独
             範囲
             その
             にぎやかなこと
             此処にて改めて
             眺め
             見る

                          24 March 2010

十歳が言う、父を宜しくお願いします。

2010-03-19 22:24:43 | Weblog
こういうシーンは、見られるものではないのではないかな。ということでは、なにか感動を覚えさせられるようなことでありました。その場にいて良かったな、と個人的には感じましたね。

今日、早稲田大学の小野記念講堂で、講演会「坪内逍遥の歌舞伎・舞踊作品をめぐって」という催しがありまして、講師に歌舞伎俳優の中村富十郎さん。聞き手には、演劇博物館顧問で、私が大学エクステンションセンターの授業で教えていただいたことのある鳥越文蔵先生。
最初に舞台の「良寛と子守」のビデオ上映があり、それからステージ上で富十郎さんが、鳥越先生の問いかけなどに応じて様々なエピソードを交えて語られ、進行していったわけなんですね。

ところで富十郎さんは、1929年生まれの方なんですが、1996年に33歳年下の女性と結婚されて1999年、70歳になられる時にご長男を授かっている。そして2003年に女のお子さん。そのお二人のお子さんも、今日はご両親と一緒に来ていたわけなんです。ステージ前の席で、父親の富十郎さんが話されるのを見、聞いていたわけなんですね。

それで最後に、鳥越先生がお子さんたちをステージ上に呼んで、すぐ脇に来た長男で既に鷹之資名を襲名している大君に先生がマイクを渡して、「なにかおっしゃりたいことがあったたら、どうぞ言ってみて下さい」というようなこと、優しく言われたんです。
十歳の大君は、すぐには思いつかない様子でちょっと間があったんですが、それから、
「みなさん、どうぞ、父を宜しくおねがいします」
そのように、言ったんですね。

会場に、笑いが広がりました。80歳の父親、富十郎さんは、照れるのとうれしいのと、みんな一緒になったような笑い顔で、椅子の上、体をゆらせていました。それは、なんとも言えない思いだったのでしょう。
十歳の息子が、八十歳の父親を、宜しくお願いします、と言ったその場面。
記憶に残るでしょうね。

詩-Space  無い

2010-03-10 22:54:12 | Weblog


           無い
           というのが降る中に
           見える
           雨の
           夜
           降る中を下りに下ること
           寂しさ
           とは言わずに呑みこむ
           無いことに
           慣れ過ぎたひとが
           世の中も下りに下ること
           たまたまの
           雨なのか
           切なさ
           とは言わずに呑みこむ
           眺めの色
           その時たまたま
           濃く変じただけのもの
           なのか
           無い
           夜
           雨

                          7 March 2010  

気になること /不快/心に残るもの

2010-03-08 05:59:22 | Weblog
もう半世紀も昔のことになりますからね。生まれて、新潟の中学校を卒業して上京するまでの時間。心に残るいじめのような記憶は全くないと思えるほどに、時間も過ぎてしまったし、心の傷として残るようなものは、実際何も無かったということは言えるんだろうと思う。それほどに、のどかな夢の中にいたように感じられなくもない、地方での子供時代。
何かしら対立的なことがあったりしたのは、上京後。16歳から19歳位にかけてだろうか。私の友人との付き合い方に、不快感を見せて当たってくる者が、別の時期に2度ばかり現われたこと。特定の友人と親しくし過ぎる、と見た者がその現われた者たち、ということになる。経済的な理由で田舎では進学できずに上京して、昼間は仕事をし(勤めていたのは、慶応の中等部)、高校は都立高の二部に通っていた。同じ学年の個人、ということだったのだが、その反感を見せて当たってきたのは、いずれも暗い印象のタイプだったように思う。なにか、いじいじと考えそうなタイプ。こちらからすると、自身にとって自然な行動が、こちらからすれば無関係の何者かに、そうした不快感を与えているというのは、思い及ばないようなこと、あるいは余計な馬鹿げた迷惑なこと、そうした次元のこととしか思えないことだったんですけれどもね。その人間以外の者は、誰も私に対してそのような感情を持たない、何事もなく普通の関係にあっわけですからね。ひとりの場合には、私が親友としていた友人と同じスポーツの方の部活をしていた者に私について言って、その人間に、私に向かってこちらにはかなり不快な人つき合いについての忠告めいたものを、言わせたことがあったのです。その不快さは、じつは今も残っている。それが19歳の頃。翌年、昼間部の方の大学に進学したのだけれども、以降の人生では、とりわけ残るようなものもない。10代の心にあったことならではの、感じ方ゆえだったのだろうか。むろん、そうしたことも、もう思い起こすようなこともないのだけれども。。ただ、そこに記憶を戻すとすれば、その不快さが甦るということ。そのままにそこにある、ということになると思いますね。

学習院の初等科。生徒は選ばれているのでなかったのだろうか。乱暴な子がいる、というのを知り、そのあたりの配慮はどうなのかと気になる。愛子様。学校に行かない状態とは、そうしたご年齢で心に感じられたこと、状況を思えば、それは彼女だけに限らない、どのような子供たちにとっても同じ、本当に憂慮すべきこと。心からはいつまでも、その時に受けた思いは消えないことを思います。

詩-Space  上下

2010-03-02 21:59:55 | Weblog
                                                     
            空
            やっぱりそこが
            出る
            下では聞いていても
            皆目
            分からない人間
            世界の
            むずかしい話がある
            それが増して
            いよいよ
            人間
            世界らしくなるので
            空も
            見下ろし方を
            考える
            などということはない
            だろうけれど
            高いのはどちらかとは
            言う
            だろうね

                            1 March 2010

今は「豚の屁」な感じですかねえ

2010-02-26 22:30:59 | Weblog
ちょっと前のこと、更新される度毎に見ているあるブログのコメント欄にあったある人の言葉に、私は少々興味を覚えてしまったんですね。そのブログ記事というのが、ある音楽についての評論集に対してそのプロがーが思い、感じているところ、印象を書いたものであったのですが、その記事に対するコメントとして、投稿者はこのように書いていたわけなのですね。
                                                                                       「所謂・・・・OO論とは・・・・その方自身の課題なわけで・・・・・若い頃、芝居論、演劇論、演技論・・・・いろんな方に上から押しつけられたものですが・・・・今は「豚の屁」な感じですかねえ。失礼しました!」 

60台半ばの、演劇関係者。舞台に関係し、俳優としてテレビで放映されるドラマなどにも出演している人ですね。過去の評価の高い映画などにも、出演したことがある。そのような人であるわけなんです。そのブロガーとは、お互いにブログを読み合っている関係にある、そのような処からの記事へのコメントであるわけなんです。こちらのブロガーの方は、芝居とは関係のない、音楽方面に関心深い人であるわけなんですけれどもね。
興味深かったのは、私自身がむかし、大学では演劇専攻で、彼の言う方面の勉強に関わり深かったことなどあったものだから、そうしたものに対して今彼が長い経験を経て、「豚の屁」ほどのものとしか実感的に受け止めていないらしいというのを知ったこと。そういうものであるのか、という印象の中に、OO論で演技をするものでもないんだろうな、というのが分かるような思いがある。なんにしても、長年その世界で活動をしてきている役者であり、演劇関係者である彼がそのように言うのである。体験的に知ること、その方に確かなものがあるように思えるのは、どの方面のことについてもね。言えるだろうし。

詩-Space  壁/幻影

2010-02-13 22:26:27 | Weblog
                                                 
        壁を見ている
        と言いつつ
        見ているのはいつも
        その向こうに
        透いて見える
        空
        雲
        雲が見せる形
        像
        だから壁は
        形無きにひとしい
        方角
        あちらの
        幻影
        と

                             February 2009     

キャットJは現われる

2010-02-10 23:09:16 | Weblog
降るという夜の予報はきいていたので、傘は持って出た。外は濡れている気配だったし、止んでいる様子でも、あとでまた降りだすかもしれない。傘を持って出ることだし、走る方のことは考えないで、ウォーキングということで今日の運動ノルマを果たそうと、そんな心づもり。
小雨。それも傘が必要のないような降り方でした。運動公園までは、歩いて、6、7分。傘をさして出たものの、じきに引っ込めてしまった。先ずは最低、30分間は歩かないと、というところで着いた後、中のコースをウォーク。所々に照明灯。子供自由広場、間に池などあって、大人自由広場、その向こうにはサッカー場。池の手前の坂を上にあがれば、市民野球場、陸上競技場などある、総合運動公園。もちろん、市立体育館もある。
だが、上には行かずに、下のコースを辿る。雨模様のせいもあるのか、無人。薄明かりの中、普段は数僅かながら、ジョギング、ウォーキングの人を見かける。このように無人だと、あまり明かりの少ない方向には、行きたくない。
私が運動公園に行くもうひとつの理由は、キャットJに会うこと。他にも猫たちはいるのだが、やはりキャットJ。それぞれにテリトリーなどがあって、キャットJも相当に、動く場所を意識している。前にいた場所辺りには、今はいない。というのも、その場所に他のたくましげなのが現われるようになったというのが、あっただろう。今は子供自由広場近辺。その脇の沢の中の何処かで、過ごしている模様。一帯、灌木、樹木でおおわれている。下に降りていて、植込みあたりから、現われることもある。口笛吹かずとも、何故に分かるのかと思うほどに、そこの砂地に入っていくと、キャットJが姿を現わす。本格的に雨が降ったりなどしている時には、現われることがないと思うし、私も出掛けたりなどしないのだが、今夜位なら、たとえ雨模様としてもキャットJはでてくるという予感があった。ウォーキングを予定時間やったあと足を向けると、トラ毛のキャットJ、そばの植込みの中から、こちらの予感通りに出てきましたね。抱き上げる。結構、重い。屋根つきのベンチのところに運んでいく。こちらの胸辺りに足を立てて、下りたそうにする。ベンチまでは我慢させて、一方の手で頭から、鼻の頭など、撫でている。ちょっと、こちらの顔に眼を向けるのだが、だいたいキャットJは、向けていても顔を見ているわけではない。そういう見方をしている。それでも、私という人間は認識しているということ。
雨に濡れることのない屋根の下のベンチ。膝にのせると、こちらの手に両前足をのせて、ゆったりと座りこむ態勢になる。そんなふうにして一緒に過ごす、僅かな時間。気に入っている。後で、ウェストバッグに入れてきた食べものをあげ、キャットJとは別れることになるんだけれども、束の間の一緒の時間をたのしんでいる。キャットJは、膝の上にいたことなど忘れたかのように、また何者にも頼らない、自分の世界に戻る。独立、自立して生きる力、何者もキャットJには及ばない、と思わせて。

詩-Space  樽の中

2010-02-09 22:23:39 | Weblog


          ずうっと
          それはAだと見ている
          けれどじつはAB
          かもしれない
          とも隙間から覗け
          見える
          瞬間
          あるので足先から
          てっぺんまで疑い無く
          Aだと
          呑み込んでもいない
          ことに不安
          感じるのは何故か
          答えはこちらの
          樽の中
          潜んでいるのも
          これまた隙間から覗け
          見える
          瞬間
          あることで
          これを
          危うく浮いた吊り橋
          と見るのか
          内で
          怯えたりなど
          する

                             9 February 2010
           
          

詩-Space  雪化粧/午前

2010-02-05 22:51:16 | Weblog


         地の上
         その日真っ白
         月からもその
         報告あり
         など
         ニュースが言う
         午前
         濁り加減のこちらの
         胸の思いの内側
         真っ白に染めたいものと
         外の空気の
         只中へと泳ぎ出ること
         望ましい選択で
         あるのか
         ティーカップ  
         指先揺らせて
         思った

                              5 February 2010

詩-Space  今日は切る

2010-02-02 23:04:45 | Weblog

         今日は
         なにも言わずに
         抜ける
         昨日言い過ぎたので
         今日は切る
         停止する
         穴通して向こう
         覗かない
         満杯で
         もう何も受けつけない器
         思い浮かべて
         それはない
         の声を
         聞く
         それは
         多分ないだろう
         の声を
         聞く
         何故ならばとは
         続かない
         そこで切りたい理由が
         ある
         というのも続きの先が
         見えていて
         見えないからと
         分かっていても
         分かりたくない少しも
         あるから
         停止する
         切る
         なにも言わずに
         明日まで
         抜ける

                      2 February 2010