地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

道筋【潜伏キリシタンの絵、帰郷 150年ぶり仏から長崎に 】

2014-06-01 13:31:01 | 今日の御言葉


預言者イザヤの書にこう書いてある。

「見よ、わたしはあなたより先に
使者を遣わし、

あなたの道を準備させよう。


荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」


「マルコによる福音書」/ 01章 02節
新約聖書 新共同訳



貧困と闘うのは難しい。

でも、
食べ物への餓えを鎮めることの方が
もっと難しいのである。

マザーテレサ
(マザーテレサ『100の言葉』より)



◆潜伏キリシタンの絵、帰郷 150年ぶり仏から長崎に 【長崎県】

★西日本新聞 2014年05月30日
(最終更新 2014年05月30日 01時48分)



▲フランスからカトリック長崎大司教区に返還された絵画



江戸末期から明治初期にかけて、長崎・浦上の潜伏キリシタンからフランス人神父の手を介してフランスに渡っていた水彩画が29日、約150年ぶりに長崎市に返ってきた。聖母マリアなどが描かれており、浦上の信徒が禁教時代に人目を忍んで礼拝で使っていたとみられる。

絵は縦63センチ、横40センチで、聖母マリア、聖フランシスコなどが描かれている。聖母マリアを囲む帯ひもには三つの結び目があり、日本で布教活動をしていたフランシスコ修道会の修道服の特徴という。カトリック長崎大司教区によると、制作時期は不明だが、日本画の要素があり、禁教令(1614年)以前に日本で描かれたと推測される。

浦上の潜伏キリシタンは1865年、長崎の大浦天主堂でプチジャン神父に信仰を告白した「信徒発見」で知られる。絵は浦上で活動していた神父がプチジャン神父を介し、1869年ごろにフランスに送った。経緯はプチジャン神父の手紙に記され、その後、パリの修道会に保管されていたことが研究者の調査で明らかになっていた。

浦上の信徒は江戸末期に「浦上四番崩れ」と呼ばれる厳しい弾圧に遭い、当時の信仰資料は少ない。原爆爆心地に近いこともあり、今回の絵は希少価値が高いとみられる。

絵の返還式は29日、長崎市の中町教会で行われた。返還を要請していたカトリック長崎大司教区の高見三明大司教は「信徒発見から150年を前に長崎に戻ってきたのは奇跡のようだ」と喜びを語った。

=2014/05/30付 西日本新聞朝刊=



▲コロンブ神父(左)から絵を受け取る高見大司教
(読売新聞2014.5.30)




★ 大分)江戸時代の豊後地方の
キリスト教史料、調査に着手

◆朝日新聞デジタル 2014年5月22日


江戸時代の豊後地方のキリスト教に関する史料約1万点がバチカンで見つかり、県立先哲史料館(大分市)や国文学研究資料館(東京)などが、バチカンの図書館と共同で概要調査を始めた。信者の生活や幕府の禁教政策などを掘り起こす成果が期待されている。

史料は、1932年から50年にかけて県内で布教活動をしたイタリア人のマリオ・マレガ神父(1902~78年)が集めた。臼杵藩や岡藩の文書や宗門奉行宛ての記録、キリシタンから改宗した子孫の届け出などで、一部はマレガ神父が『豊後切支丹史料(正・続)』として40年代に刊行したが、原本となる史料は見つかっていなかった。

戦国時代、キリシタン大名・大友宗麟の影響もあり、豊後地方ではキリスト教が広まった。だが江戸幕府はキリスト教を禁じ、弾圧した。

(朝日新聞デジタル 2014年5月22日)


http://m.blogs.yahoo.co.jp/lefty0210/31992266.html

▲『王の挽歌』遠藤周作 (新潮社)
※大友宗麟(1530~1587)

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