地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

帰るとき

2012-03-11 08:13:09 | 今日のマザーテレサ

そのとき、
『見よ、ここにメシアがいる』
『いや、ここだ』と言う者がいても、
信じてはならない。

偽メシアや偽預言者が現れて、
大きなしるしや不思議な業を行い、
できれば、選ばれた人たちをも
惑わそうとするからである。


「その日、その時は、だれも知らない。
天使たちも子も知らない。
ただ、父だけがご存じである。


人の子が来るのは、
ノアの時と同じだからである。

洪水になる前は、
ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は食べたり飲んだり、
めとったり嫁いだりしていた。

そして、洪水が襲って来て
一人残らずさらうまで、
何も気がつかなかった。

人の子が来る場合も、このようである。


そのとき、畑に二人の男がいれば、
一人は連れて行かれ、
もう一人は残される。


二人の女が臼をひいていれば、
一人は連れて行かれ、
もう一人は残される。


だから、目を覚ましていなさい。

いつの日、
自分の主が帰って来られるのか、
あなたがたには知らないからである。


[マタイによる福音書 / 24章 39節]


愛は分かち合わなければ
何の意味もありません。
愛は行動に移されるべきものです。
見返りを期待せずに
愛さなければなりません。

愛そのもののために何かをするべきで
何かを得るために
するのではありません。

見返りを期待するなら
それはもう愛ではないのです。

本当の愛とは無条件で何も期待せずに
愛するということだからです。


(マザーテレサ『愛のことば祈りのことば』より)

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