Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

Mr. Vengeance に興味あり(3)

2006-04-20 23:46:35 | K-Movie Notes


 Mr. Vengeance
筆者:IAN BURMA 掲載日:2006年4月9日 掲載紙:New York Times
(*なお、ここに挙げる翻訳文はあくまでも、個人で楽しむ目的なので、リンク・転載・引用はご遠慮願いたい)

訳文(その3) translated by lotusruby

パクに初めて会ったのはニューヨークで、昨年秋、ニューヨークフィルムフェスティバルでの『親切なクムジャさん』のUSプレミア後であったが(今月アメリカでも公開される)、彼は、自分自身の恐怖と暴力への執着を説明できるのは、精神科医だけだと語った。しかし、現実には、彼の経歴がなんらかの手がかかりになる。パクは、当初、映画監督ではなく、美術評論家になることを望んでいた。ソウルの西江大学哲学科の学生だった彼は、主に美学に関心を寄せていた。この大学ではほとんど美学を教えていなかったため、彼は写真撮影や映画鑑賞に熱中した。

インタビュー中、パクはその後を語ってくれた。「ある日、ヒッチコックの『めまい』を見た。映画を見ながら、頭の中で叫んでいる自分を発見した。せめて映画監督になろうとしなければ、死に際にとても後悔するだろうと。そして、やみくもに謎めいた女性を追いかけるジェームズ・スチュワートに通ずるかのように、不合理な美のようなものを目的もなく探した。」 パクの作品は、最も暴力的なシーンでさえ、いや、特にそうしたシーンでは、まちがいなくヒッチコックから影響をうけた美的センス、どこか忘れがたい美しさを備えている。『オールドボーイ』で、主人公が階段を上り下りする若き日の自分自身を回想するシーンは、『めまい』のジェームズに通ずるものがあり、サスペンスの名手へ直接的に敬意を表している。しかし、パクは、独特の視覚的な言葉を持っている。暴力の場面といえども、ときに幻想的なのである。(たとえば、『親切なクムジャさん』では、女が雪の中を、半身人間の犬をひっぱって歩き、また、『オールドボーイ』では主人公が雪に覆われた森で娘を黙って抱きしめる。)凝ったインテリアや単色の彫像は、薄気味わるく、象徴的な効果がある。

パクはどんな映画を見て育ったのだろうか。子供の頃、映画を見る機会は少なかったという。1963年生まれのパクは、軍事独裁政権の末期に成長し、その頃ソウルはまだ夜間外出禁止令が出ていた。植民地支配の傷跡がまだ生々しく、日本映画は韓国で上映禁止であった。パクが得た映画の知識は、TVで放映されるハリウッドの古典的映画からであった。「黒澤、溝口、小津といった映画を見て育っていれば、違った人間になっていたと思う」と彼は語る。その代わり、彼が見ていたのは、『シェーン』、『真昼の決闘』、『ララミーから来た男』、そして、彼のお気に入りの映画、バート・ランカスター主演『アパッチ』である。「ランカスターがネイティブアメリカン(インディアン)を演じるのはおかしいが、白人と戦う男という主題が私を泣かせた。ターザンのように半裸で、砂漠を転げまわり、岩や石で傷やあざができていたランカスターのイメージが、頭の中ではっきり浮かび、いまだにそのイメージである。」

肉体的な苦悩のイメージは、パクにとって重要であることは明らかだ。そうしたイメージが彼の心を動かす。そして、彼の記憶にあるイメージは、その多くが西部劇からのものである。そうした相互文化的な受容は、珍しい現象ではない。黒澤明のサムライ映画は、数多くの西部劇作品の監督に影響を与えた。ス
ティーブ・マックイーン主演、ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』は、黒澤の『七人の侍』のリメイクであるし、イタリアウェスタンの巨匠であるセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』は同じく『用心棒』のリメイクである。あまり知られていないが、実は、黒澤はハリウッドに借りがある。つまり、黒沢の侍映画はジョン・フォードのウェスタン作品に影響をうけていたのである。パクは、率直にウェスタン映画監督たちに畏敬の念を抱いている。『オールドボーイ』でカンヌ映画祭グランプリを受賞した際 (クエンティン・タランティーノが審査委員長)、彼は観客に向かってこう話した。「私は、パーティでローマン・ポランスキーにお会いし、一緒に写真をとりました。賞をいただけるとは思いもせず、本当に光栄でした。」

ポランスキーの病的な執念、あるいはタランティーノのハリウッド的幻覚に影響されつつも、パクの作品は、異なる傾向に属しているようである。つまり、より東アジアに根付いた流れを汲んでいる。たとえば、漫画(日本のコミック)、アニメ(サイバーパンクな趣を呈する日本のアニメ様式)、カンフー映画など。コンピュータゲームは、東京およびソウルから世界中に広がっており、そうした流れのひとつである。韓国の若者は日本文化に何ら抵抗がない、とパクは語る。実際、『オールドボーイ』は、土屋ガロンと峰岸信明の漫画が原作である。漫画では、伝統的な日本の浮世絵がその先駆けであったように、セックスや暴力を含むすべてが大きく誇張されている。そして、多くのシーンが途中でカットされ、「豆腐を切るナイフ」のようだと、かつてパクは語った。『オールドボーイ』は、パクの作品でもっとも漫画的な作品であるが、異常な暴力性がサーカスのように描かれ、美しくもあり、痛々しい。

奇怪さや不条理といった趣向は、様式美を中心とする中国、韓国、日本の演劇でも見られ、意図的に大げさな演出効果や演技に依存している。歌舞伎、京劇、タルチュムと呼ばれる韓国の仮面劇は、決して現実性を伴わない。日本人は、殺人、切腹、決闘場面など暴力の様式化が得意である一方、韓国人はユーモラスな社会風刺に定評がある。アニメ同様、韓国や日本のコンピュータゲームは、この様式化された演劇の伝統を汲んでおり、パクが若い頃に鑑賞したというヒッチコック同様、明らかにパクの作品に影響を与えてきた。デジタル効果により現実が曲げられ、カメラは瞬時に空間を飛び回って移動することも、ビルの壁全体を映し出して、ヒーローのアクションシーンをワンテイクで撮影できる。サイドスクロールビデオゲームに似たテクニックである。パクの作品がコンピュータゲームのようであると言われるのは、そうした所以である。

パクは、筆者がコンピュータゲームの話題に触れると、「実に面白い」と反応した。「私の作品がコンピュータゲームを思わせる理由が分かったが、私自身はゲームをしたことがない。実際、PlayStationのメタル・ギア・ソリッドのシリーズを手がける日本のゲームデザイナーからアプローチを受けたことがある。彼に会った時、私は話題がないことに気づいた。しかし、私は、コンピュータゲームの世界ではアイドルなのだと言われた。」

パクの暴力性への執着に関する解釈はもうひとつある。それは、美学的観点というよりは、政治的な状況に基づいている。彼は、軍事政権に反対する学生運動で沸く80年代半ばに大学生活を送った。奇妙なことに、警察との対立は、儀式的な側面があった。反乱軍のように突進して叫ぶ学生、催涙ガスの煙、そしてやむなく撤退。実際、世界のテレビカメラが映し出す街中では、最悪な事態にはならなかった。しかし、兵舎や刑務所で、学生たちは、死ぬまで殴られることもあった。

本好きで映画マニアだったパクは、いつも学生運動とは無縁だった。彼は、怖くてできなかったのである。そのことが彼に、決して振り払うことができない罪や恐怖の意識を植え付けた。「ある若者は焼身自殺を図り、ある者は拷問死した。また、ある者は、ビルから飛び降りた。暴力の恐怖が、大きな影響を及ぼした。」 80年代以降、「若者は二極化した。積極的に学生運動に参加した者は、自己犠牲を誇りに思った。彼らは社会を変えたが、また喪失感を味わった。なぜなら、彼らは青春を謳歌できなかったからである。一方、それ以外の者たちは、学生運動に参加しなかったことを後ろめたく思った。我々は、何もせずに自由を謳歌している。軍事独裁政権が残した負の資産の1つは、世代を二極化したことである。


罪と恐怖は、パクの作品全体を通じたテーマのひとつである。血みどろの行為は、罪に対して憤る人々によって実行される。たとえば、『復讐者に憐れみを』や『親切なクムジャさん』では、子供の誘拐が原因で、主人公が残忍な行為に及んだり、あるいは、『cut』の映画監督のように、妻を裏切ったりするのである。しばしば、彼のキャラクターの残忍性は、階級に対する憤怒からくることもある。新興の金持ちに対する、貧困で社会から取り残された人々の憤怒。80年代の学生運動は、臓器の闇売買や囚人の虐待、売春、工場労働者の解雇といった問題にも陰をおとしている。おそらく、パクは、根っからの道徳主義者であり、彼の持てる全ての才能を活かして、憤怒、恐怖、罪といった感情を映画の中に投影している。そうすることにより、植民地支配、内戦、軍事独裁政権という歴史をもつその国で、そうした感情に悩まされる人々の痛いところをついてきた。
to be continued...

ウエスタン映画が原点なの??
パク・チャヌク映画は、ウエスタンが原点だったとは・・・
日本映画が上映禁止されていた時代であったかもしれないけど、まぁ、彼に限らず、日本の監督さんたちも、たいていはハリウッドを古典としているものね。映画好き、映画マニアっていう一般人だって、映画といえばハリウッドしかない時代  だった。
 
ここにもゲーム業界のアイドル
あら、パクチャヌクにも日本のゲーム業からラブコールがあったのね。どうせなら、Brian と組んでゲーム作るっていう方がよっぽど興味深いのに・・・でもこちらは、プレステ、あちらはXboxだもんな・・・

美意識
パク・チャヌク作品独特のビジュアル的な側面(美術・舞台構成)って、とても興味があったのだけど、美術評論家志望の学生だったと聞き、なんだか納得 。色彩感覚、使用している小道具や背景など、他の作品には絶対ないものがある。うまく説明できないけど、彼の審美眼が如実に作品
に現われているのね。

80年代・・・
この時代、韓国はまだ軍事独裁政権下。60年代に学生運動が盛んだった日本からすると、かの国は20年遅れていると言われていた。
しかし、今、韓国映画界を支えているのは、パク・チャヌク監督世代なのよね
この学生運動に参加するしないで、世代が二極化してしまったとは、作品からあふれるどことなく悲痛な叫びは、そこから生まれていたものだったのね。なるほどねぇ~

さて、あと1回でこの記事の翻訳は終わります・・・週末に最終回を。
あー、長ーい。