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言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

TOKYO的心象風景

2005-05-22 01:30:57 | ART
初夏になると、ある風景のイメージが浮かぶ

それはTOKYOに在りながら
人気のない場所にある、海が見える風景だ

今日行った場所はそんな心象風景とシンクロした

この場所で行われたイベントは
アーティスト近藤ヒデノリ氏のサイトで
ピックアップされていた
Variations on a Silence

大森駅から10数分走ると風景が変わってくる、
広い道路には、もうあまり車が走っていない
大田区の城南島

ヤマトインターナショナルの
エキセントリックな建物が見えてきたところで
この風景を以前にも見た事を思い出した、
1年程前に江東区の辰巳から
いま住んでいる大田区に引っ越して来た時のことだ

大きな橋をわたると倉庫や工場が広がり
風景が銀色になる

広い河川にかかる大きな橋を渡り
水面に煌めくネオンが見えると
潮気と排気ガスを含んだ東京独特の海の香りが漂う

飛行機が爆音と共に頭上を通り過ぎる
音も機体も小気味よいほどに大きくて
ふ~っと胸が空く

見ているものが非日常的に思えるほど大きいと
規格に対する恒常的感覚が狂う、
まるで幅1メートルの飛行機が
頭上5メートル位を飛んでいるように錯覚するのだ、
手を伸ばせば届きそう…

海が見えてくる、晴天のせいか
今日の海はとても青く、遠くに羽田空港が見える

自然と人工物が一体になって
美的バランスを保っている風景に奇妙な美しさを感じる

ふと、記憶にある映像が思い浮かんだ

出身地をフェリーで離れる機会があって
その時聴いていたCDからニューオーダーの「Elegia」が
流れた事を思い出す、

改めて聴いてみると
この曲の硬質で無機的な中にある叙情性が
ケミカルな風景と相性が良いという事に気がつく

この場所に来るあいだ
色々な事が想起出来たせいもあってか
この場所にまた来たいと思った。






ストリート系アートの現場@代官山

2005-04-24 02:46:49 | ART
今日は突然のお誘いにより
代官山へ出掛けた。

LANDというイベント
若手のアーティストユニット(彼らはメオトだそう)
夫婦漫才ならぬ夫婦ペインティング。
HITOTZUKI
によるライヴペインティングと
percussion:DAISUKE IWAHARA(TOKYO NANGADEF)
DJ:KATSUYA TANIGUCHI
の面々が奏でる音楽とのライヴセッション。

とても面白かった。

ライヴペインティングの内容は
音楽に喩えればインプロビゼイション(即興)だった。

まさに実際の音楽のビートの中で
取り壊され、新たに恵比寿に引っ越すギャラリー
POINTの壁を使って描画は行われた。

以前観た展覧会で、
アーティスト磯崎道佳さんによる、
取り壊しされる家を使ったインスタレーション、
「横浜かくれんぼ/ずいっと野毛山あたり」の事をふと思い出す。

あ、そして、その前は
東恩納祐一さんが代官山で解体されるマンションのモデルルームで行った
インスタレーション
の事も思い出す。
とてもクールかつカラフルでゴージャス&ゴシックだったので
以来、印象に残っていた。

壊されゆく建物での創作は面白い
まさに破壊と創造なので

音楽創作のメソッドを齧り始めたせいか
観ていて前回行われた
「音楽の構造分析」
という特別講義で解説された『分節』の事が思い出された。

『分節→言葉の意味作用の変化によって構成される
全体における部分』と私は日記で定義したのだけど
こうしたライブペインティングという
行為はどこか音楽的だった。
モチロン、そこでライヴとして演奏されていた
音楽的グルーヴと自らの感覚を共鳴させながら
彼らは描いていた訳だけど。

そしてその中にも確かに
感覚的なグルーヴ&ビートや
それとは対照的である
意図的な技法も垣間みられた。

ただ滅茶苦茶にやっているわけではないという事(文脈)が
わかると観ていて俄然面白くなってくる。
それが若者を場内いっぱいにした動員力なのかな~
技術がどう、とか手法が新しいわけでもないのに
確かに観ていて面白いのだ。

お誘いくださったTOKYO SOURCE
編集長の近藤ヒデノリさん
が言っていた、
現代アートは表現の中の『ひずみ』を
どんどん増長させていく部分があるのだけれど

こうしたストリート寄りのアートが持つ
大衆への「伝染性」の早さのようなものは
どこから来るのだろう、といった言及は

音楽にもどちらかというと
あまり(敢えて?)解りやすくないものもあれば

『商業音楽(POPS)』という大衆の心を、『共感』を
掴みやすい傾向を(確信犯的に)持たせるものもあるわけで
(私はまさに今そのメソッドを学んでいるのだけど)
こういった対比は考えさせられる点があって興味深かった。

アートにおけるジャンルは違っていても
根本は繋がっているという事を
実感すると何だか世界は広がるのだった。

今宵はとても美しい満月の良い夜であった。

そして、明日は待ちに待った
ジムオルークによる特別講義、、、!

日記も長くなりそう(笑)

展覧会

2004-12-13 01:11:59 | ART
憂鬱と官能を教えた学校は
来月5日までお休み。
美学校の楽理編曲講座のない週は
少々寂しい。

この日曜日、
解り難いとされる現代アートの展覧会を観に
府中市美術館へ。

解り難い事も、続けて観つめれば
自分の思考のうちの
何かが変わり広がる事もある。

府中ビエンナーレ『来るべき世界に』

現在ロッテルダムにArtist in residence中の
磯崎道佳さんが出展している。
いきなり美術館の入り口に作品が。
横たわる巨大ぞうきん象。
非常に感触が良くて寝心地も良い。
ベッドだったらいいのに。

ほぼ同じ様相と質感を呈した
ミニチュアが思い浮かぶ。
手にして触ってみたいと思う。

シンポジウムでは
学芸員とアーティスト達の
やりとりを目の当たりにする事が出来た。
日本の公的美術館の在り方の脆弱さも
垣間見たような気がする。

トークでは
エゴを剥き出しにする作家もいれば
二元論的思想、逸脱した思想や
ニュートラルでまっとうな意見もあったりと、
それぞれの作家の思想の差異が
素人オーディエンスとしては興味深かった。

私自身はニュートラルな考えへ
気持ちが傾く事が多いが
作家としてのエゴも理解出来なくもない。

でも、創作が強いエゴから出発するとしたら
その作品に私は魅力を感じるだろうか…
存在を際立たせる為に
そう見せる必要性もあるのかもしれないけれど
むしろそれを失くしても
なお残る表現のほうに魅かれる。

アートに興味があり
創作に憧れを抱きつつも
実際には才能や表現に
無縁の立場にある者から見れば、
困難が多くても
常に創作へ向かうアーティストの存在は
いつも憧憬的風景の中にある。










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