報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

写真:少女

2004年12月31日 16時07分21秒 | ●タリバンのアフガン
カンダハルで、一泊だけ民家に泊めてもらった。
その家の少女。
アフガニスタンでは、屋外でほとんど女性を見ることはない。
外出するときは、ブルカという服を頭からすっぽりかぶる。
西側の優秀なメディアによると、買い物のときこのブルカをまくって顔を見せてしまった女性が、タリバーンにその場で殴り殺されたそうだ。
そんなことがあるわけがない。
メディアは、タリバーンを悪魔にするための様々なウソを捏造した。
この写真の少女の叔父さんは、モスクに礼拝に行かない人だった。
「タリバーンはモスクへ行けって言うが、私はいく気はない」
と僕にはっきり言っていた。
タリバーンが本当にメディアの伝えるような悪魔なら、彼の命はないはずだ。
少女の叔父と僕とタリバーンは、何度かメロンやカキ氷をいっしょに食った。
なごやかなものだった。

写真:モスク

2004年12月31日 15時31分18秒 | ●タリバンのアフガン
地方都市の小さなモスク。
最初は、一体何の建物か分からなかった。
素朴な材料で作られた小さなモスクだ。
都市を離れると、アフガニスタンの時間は、急速に巻き戻される。
何百年も遡った時代へやってきたような気分になる。
シルクロードの時代から地勢的要衝にありながら、
かえってアフガニスタンは、閉ざされた空間だったのかもしれない。
だからといって、ソビエトやアメリカがやってきてむりやりこじ開けていいはずはない。
アメリカが携えてくる民主主義が、安定と平和をもたらした例を僕は知らない。

写真:ナンを焼く店の小僧

2004年12月31日 09時30分25秒 | ●タリバンのアフガン
子供たちは、生まれてこのかた、戦争と内戦の中で成長してきた。
戦争と内戦は、子供のこころに複雑なダメージを与えているに違いない。
子供の中には、洋服姿の僕に、小石やスイカのヘタを投げてくるものもいた。
大人たちが叱ると散っていくが、すぐもどってきて、いろんなものを投げてきた。
どの街でも何度かは経験した。
このナン屋の小僧とは仲良しだった。

写真:チャイハネにて

2004年12月31日 09時09分44秒 | ●タリバンのアフガン
チャイハネの男たち。
右から二人目はタリバーンである。普通に撮影に応じてくれた。
タリバーンの存在におびえる人など出会ったことがない。
西側のメディアが伝えるような、タリバーンによる市民の抑圧という場面も目撃したことがない。
どの街も平穏であり、ひとびとは普通に暮らしていた。
洋服姿の僕は、アフガニスタンではたいへん目立つので、よくタリバーンが来て、何者かと尋ねられた。
身分を告げると、ああそうですか、と言ってみんな去っていった。
僕に接するタリバーンの態度はたいてい紳士的だった。
写真撮影を禁止されたことなど、一度たりとてない。