報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

アフガン不法潜入を試みた若者

2004年12月23日 16時30分53秒 | 軽い読み物
 僕がパキスタンで、アフガニスタンビザの手続きをしていたころ、アフガニスタンに不法潜入しようとして、パキスタンの国境警備隊に捕まった日本人旅行者がいた。

 僕は、ラワール・ピンディの有名な安宿ポピュラーインに泊まっていた。ホテル・ポピュラーインは、常にバッグパッカーであふれていた。そのうち日本人が2~3割を占めていたように思う。一階のレストランのメニューには、オムライスもあった。日本人旅行者から教わったらしい。マトン中心のパキスタンの料理の中で、このオムライスはけっこう光っていた。
 日本人が多い宿といっても、タイやインドのようにひしめいている訳ではなく、日本人同士の交流は比較的円滑に行われていた。

 どこから来て、どこへ行こうとしているのか、というのが旅行者同士が会ったときの、まず最初の話題だろう。お天気から入ることはまずない。見知らぬ同士がすぐに会話できるところが、旅のいいところだ。まわりに日本人しかいない日本での方が、かえって知り合う人が少ない。
 また、旅では日本ではめったに出会うことのない多くの人が目の前に現れる。旅は人間の見本市に出かけるようなものなのかもしれない。放っておいてもいろんな人が前を通りすぎていき、自然に人間観察ができる。

 ホテル・ポピュラーインに着いた日、一階のレストランで髭づらの日本人が話しかけてきた。少し話をしたあと、髭づらの男は、僕の名前を訊いた。
 僕は名乗り、そして相手の名前を訊き返した。
 すると髭づらの男は、
「ハッ、タイチョーであります」
 という芝居がかった口調で言った。
「タイチョー?」
「ハッ、そうであります」
 ま、いいや。自分を社長と名乗る旅行者もいた。タイチョーがいてもいいだろう。そのうちショーグンも現れるかもしれない。タイチョーは、話す頭にたいてい「ハッ」とつけた。
「いま、わが隊の隊員がアフガニスタンへむかっているところであります」
 突然、タイチョーさんはそんな話をはじめた。
「ビザが取れたんだ」
「ハッ、ビザは取っておりません。不法潜入作戦であります」
「不法潜入・・・作戦?」
「ハッ、アフガニスタン人に変装して潜入します。明日あたり国境を越えるものと思います」
 呆れたもんだ。こちらは、明日、日本大使館へ行って、身分証明のレターの交渉をしなければならないのに。
「国境で捕まるに決まってるだろ」
「いえ、大丈夫であります。アフガン人は、国境はフリーパスです。変装すれば、なんなく国境を通過できます」
 そんな簡単なものなのかね。あまりこういう手合いとは話をしたくなかったが、タイチョーさんは勝手にしゃべり続けた。
「わが隊は、世界中で作戦を展開してきました」
 タイチョー殿は、現地で徴兵した日本人を連れて、「砂漠のなんとか作戦」と大層な名前をつけて、水だけ持って砂漠や山へ行くらしい。サクセンといっても、適当に歩いて日帰りで帰ってくるだけだのことらしい。要するに弁当なしのハイキングだ。そのほかのサクセンは忘れた。覚えておくほどの価値もない。
 タイチョー殿は30歳くらい。髪の毛はバサバサで濃い髭づらのむさ苦しい男だった。軍服は着ていない。軍隊経験もない。
 しかし、案外バックパッカーはこういうマガイモンをちやほやする。それがタイチョーさんにはたまらない快感らしい。いかに支持者が多いかを、得意になって話していた。
 まあ、勝手にしてくれ。意見する気もないし、関わり合いになる気もない。

 翌朝、日本大使館へ行こうと、一階のレストランへ降りると、タイチョーがレセプションにいた。
「さっき、不法潜入を決行しようとした隊員から電話がありまして・・・、パキスタンの国境で捕まったらしいです」
 そうかい、僕の知ったことではない。君たちの問題だ。
「そんな奴は、オレは助けるつもりはないね」
 それだけ言って、僕は日本大使館へ向かった。人が正面玄関からちゃんとノックをしてアフガニスタンへ行こうとしているときに、迷惑な話だ。日本大使館で、身分証明のレターの発行を交渉するついでに、日本人旅行者がアフガニスタンへ不法入国しようとして、パキスタンの国境で捕まったらしいと報告しておいた。

 その次の日の朝にも、捕まった隊員からホテルにいるタイチョーに電話があった。電話連絡が許されるということは、まず身の危険はない。
 僕を見つけると、タイチョーは必要もないのに報告した。 
「野郎は、このままでは警官にカマを掘られてしまうと、怯えています。今日は署長室に泊まれと言われているようです」
 君の隊員のケツのことなど、僕の知ったことではない。タイチョーのあんたが何とかすればよろしい。
「野郎は半泣きになって、大使館へ連絡してくれと叫んでました」
 じゃあ、行けばいいだけの話だ。
 バカバカしいので、僕は自分の部屋へもどった。
 ドアを開けっ放しにして、ベッドに横になった。パキスタンの夏は、室内でもチーズが溶けそうなほど暑い。
 そこへ、すぐにタイチョーが現れた。ただでさえチーズも溶けそうなほど暑いのに、髭づらのむさ苦しいタイチョーがくると、部屋の中は鉄まで溶けそうになった。
 タイチョーはドアのところに突っ立って、大切な風をさえぎりながら、
「どうしましょう・・・」
 と弱々しく言った。僕ではなく、壁に向かって話しかけているようだった。普段のタイチョー口調はとっくになくなっていた。
「オレとは関係ないよ」
 と僕は、再度はっきり言った。
 おとついまでは「ハッ、不法潜入作戦であります」などと得意満面で自慢していたではないか。あのときの威勢はいったいどこへいったのか。ドジを踏んで捕まったとたん、会ったばかりの相手に泣きつくとは、どういうことだ。筋違いもはなはだしい。そもそも取り巻きがいっぱいいると自慢していたではないか。
「どうしましょう・・・」
 タイチョーはそれしか言わなかった。さらに声はか細くなり、口は半開きになり、ドアのところでほとんど放心状態だった。
 いつまでも部屋の前に突っ立ているので、イライラして、
「大使館に行けばいいだろ。土曜でもたぶん誰か日本人がいるさ」
 と僕は言った。
 なんとそれでも、タイチョーは、
「どうしましょう・・・」
 しか言わなかった。タイチョーさんの頭の中はどうなっているんだ。
 永遠に僕の部屋から出る気配がないので、ついに頭にきて、
「ならオレが行ってやる」
 と言った。というより、言ってしまった。たぶん、あとで必ず後悔するだろうなという予感があった。が、言ってしまったものは仕方がない。たぶんタイチョーさんは、ほっとけば夜まで「どうしましょう・・・」と幽霊のように、僕の背後に付きまとっただろう。それこそ、たまったものではない。

 一人で大使館へ行くつもりだったが、タイチョーは急に元気になりヒョコヒョコついてきた。ラワールピンディからイスラマバッドまでバスで20分。イスラマバッドでミニバスに乗り換えて10分。簡単な経路だ。
 大使館は、土日は休みだが、それでも一人くらいは日本人スタッフが詰めているのではと思ったのだが、誰もいなかった。
 守衛が電話で日本人スタッフを呼んでやるといって、何本か電話をかけた。ちょっと嫌な予感がした。30分ほどして、一台の車が大使館にやってきた。嫌な予感は的中した。後部座席には、女性と子供が乗っていた。家族でどこかへ遊びに行っていたに違いない。そうなるとわかっていたら、僕はさっさと帰っていた。大切な休日をつぶすほどの問題ではない。

 来てしまったものは仕方がないので、事情を説明した。大使館員は真剣に応対してくれた。とても感じの良い人だった。概要を説明したあと、細かいところはタイチョー本人から説明させた。
「捕まった人の名前は?」
「モリヤマ・×××です」
「モリヤマのモリはどの字ですか」
 タイチョーは隊員のフルネームを漢字で書いた。
「捕まった場所は?」
「ハッ、ペシャワールからカイバル峠を越えた国境です」
 おや?タイチョー口調がもどってきた。
 なるほど。タイチョー殿は大使館へ行ったら大目玉を食らうものと怯えていたに違いない。大使館員の態度が、丁寧なので安心したのだろう。だんだん態度がでかくなってきた。この程度の男なのだ。
「捕まったのは警察ですか?」
「ハッ、KKHと言ってました」
「KKH?何の略ですか?」
「さあ・・・」
 頼りにならねぇ。
「トルカムのボーダーですから、そこの警察でわかるのでは」
 と僕は言った。
「分かりました。すぐ調べてみます。そちらの連絡先は?」
 僕はこれ以上関わりたくないので、タイチョーに名前を教えるように言った。タイチョーは威厳を持って名前を告げた。
 大使館員は最後に、
「ところで、やはりサルガンセキですか?」
 と訊いた。
 当時は「猿岩石」ブームの全盛期だった。猿岩石の猿マネをする若者たちが、トラブルを起こしてはすぐ大使館に駆け込み、世界中の日本大使館を悩ませていた。タイチョーは何も答えなかったが、内心”そんなものと、いっしょにしてもらっては心外である。これは立派なサクセンなのである”と思っていたかもしれない。
 タイチョーはこれで、ひと仕事すんだというお気楽な表情になっていたが、大使館員はこれからが大変なのだ。タイチョーは、大使館に迷惑をかけることを意にも介していない様子だった。もちろん、家族の休日が台無しになったことも。
「ご面倒ですが、よろしくおねがいします」
 なぜ、僕が言わなければならないのか。

 その日の夜8時ごろ、大使館からホテルに電話が入った。ホテルのスタッフに呼び出され、タイチョーが電話に出た。タイチョーは電話を切ったあと、いつもの口調で、
「大使館からです。野郎の居所がわかったそうです。あした釈放されます」
 と僕に言った。
 タイチョーを連れて大使館へ行ったのがまだ午前中だった。大使館員は、それから夜までずっと各方面に電話を入れ、モリヤマの居所を突き止め、釈放の交渉も済ませてくれたわけだ。その間約10時間だ。そして家族の休日は丸つぶれになったというわけだ。優秀なタイチョー殿とその有能な隊員の不法潜入大作戦のせいで。
「あしたモリヤマが帰ってきたら、スシくらいおごらせますから」
 とタイチョーは言った。
 頼むから、もう僕にかまわないでくれ。
「モリヤマが帰ってきたら、日本大使館に出頭させろ、わかったな」
 タイチョー殿は、僕が何を言っているのか理解できなかったようだ。大使館員は、税金で食ってるのだから、このくらい当たり前だとでも思っているのか。たぶん思っているだろう。

 翌日、ホテルの一階で晩飯を食べていたら、紺色のシャルワルカミーズ(アフガン服)を着た若者が突然話しかけてきた。釈放された有能な隊員モリヤマだ。
「どうも、タイチョーから話を聞きました。ありがとうございます」
 一応、口調は丁寧だったが、何かが不満とでも言いたげな感じだった。目に表情がなく、ずっと斜め下しか見ていなかった。
 僕は、話す気もなかったが、目の前に座られては仕方がない。
「で、どうだったんだ」
 とだけ言った。
「留置場はすごいところでしたよ。大勢いる中にぶち込まれました」
 で、そこでもカマを掘られそうになったのか。
「人の叫ぶすごい声が奥から聞こえてくるんですよ。拷問されてるんです」
 モリヤマはいかに凄まじいところにぶち込まれ、かつ、その中で自分はいかに平然としていたかを、強調しようとしていた。半泣きになって、タイチョーに電話してきたことなど、とっくに彼の大脳皮質からは消滅しているようだった。丁寧な口調もほんの最初の方だけだった。彼の話を冷たく聞き流す僕に、苛立っているようだった。英雄あつかいしてくれると思っていたのだろうか。
「アフガニスタンで捕まるならわかるけど、なぜパキスタンが捕まえるのか納得できない」
 とモリヤマは言った。
 不当逮捕とでも言いたいのかね。モリヤマは自分の行為を正当化しはじめた。このタイチョーにして、この隊員ありと言うしかない。
「これから、みんなで出所祝いをするんですよ。いっしょに行きましょう。おごりますよ」
 とてもありがたい申し出だが、とっとと僕の前から消えてくれ。
「メシはもう食ったからいい。それより、あした日本大使館へ行ってこい。いいな」
「わかってます。大使館から来いと言われました」
 本当にわかっているのか。
 不法潜入を当たり前のことと思い、パキスタン側で捕まったことに納得できない程度の前頭前野の持ち主だ。
 あと二日ブタ箱に放り込んでおけばよかったと本気で思った。

 その夜、優秀なタイチョーと有能なモリヤマ隊員、そしてこのすばらしい武勇伝をはやしたてる知性豊かなバッグパッカーたちは、一晩おおいに盛り上がったことだろう。
 以後、タイチョー殿もモリヤマ隊員も、二度と僕に話しかけてこなかった。彼らが僕にできる最善の行為ではある。

 モリヤマは、いたるところで、この件を「武勇伝」として吹聴してまわっていた。その後何人もの旅行者から、モリヤマの話を聞かされた。彼らは等しくモリヤマの武勇伝を褒め称えていた。不法潜入に共感しているようでは、お話にならないが、一応、モリヤマ隊員が話さなかったであろう部分は補足しておいた。君たちの英雄殿は、カマを掘られると本気で恐怖し、日本大使館へ連絡してくれ!と半泣きになって電話してくるほどの、強靭な精神力と魅力的なケツの持ち主であると。

 数ヶ月のち、モリヤマ隊員をタイのバンコクで見た。あちらも僕を見たはずだ。テーブルは1メートルと離れていなかったから。紺のシャルワルカミーズが彼のトレードマークなのか、タイでも同じ服装をしていた。視線を斜め下に落としているところもパキスタンの時と同じだ。ひとりでいるときの彼は、自信の欠けらもうかがえなかった。まばゆいカオサン通りのネオンの中で、どこか、追い詰められた小動物のような表情をしていた。いったいモリヤマ隊員は誰に追い詰められているのか。
 たぶん、自分自身だ。