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スパイク・リー、ジョン・ウーらそうそうたる顔ぶれが、世界のいろんな端っこで生き抜く子供たちを撮った7編の短編からなるオムニバス映画。
先日のイタリア映画祭で存在を知り、オムニバスの一編をあたしのオールデイズマイベスト10に入賞確実な『シティオブゴッド』の監督が撮っているときいて、どうしても見たくなりました。どうもサイトを見ると、実際に今回メガホンを取ったのは共同監督のうちのサブっぽい人らしいんだけど。
まあそんなことはどうでもいいです。
事前に予想していた、泣きまくり、あるいは胸が痛くなるほどの辛さ、深刻な思いなどは一切といっていいほどなかったのです。
ちょっと痛い風(痛風じゃないぞ!)が胸を吹き抜けたというか、考えさせられるだけではなく、とてもさわやかに鑑賞できました。
素敵な映画でした。
感動、問題提起、珠玉、配給元が宣伝文句として考えそうな惹句はいろいろ思いつくけど、全部ちょっとずつずれているような気もする。
「ヴァーチャル等身大」って感じかなあ。
従来の子供を描く、「かわいらしい&かわいそう」の二大かわい路線(これは上から目線だとあたしは思う)とはこの映画のなかのほとんどの作品ははっきり一線を画している。
かといって、まったくの子供目線で描いているか、というと、そうでもない。
いくつかの作品を見ていてちょっと脳裏によぎったのがかつての日テレの名番組『はじめてのおつかい』だった。
もちろん、子供たちの置かれた状況の深刻さ、テーマの大きさははじめてのおつかいなんぞと比べたら失礼なこと百も承知の上で書いている。
それぞれのドラマの主役である子供たちへ注がれる、つかず離れずの距離感、絶対手を差し伸べはしない、あくまで他人としての距離を保ちつつ、カメラを通して注がれる温かい視線を感じてしまうところが、『初めてのおつかい』とこのオムニバス映画との共通点なのだと思う。
巨匠といわれる人々が、あえて小難しいテクニックや大上段の問題提起を避け、淡々と描いて見せたそれぞれの子供の世界。
自分もその世界にいつしか入り込んで、世界になじんでいたのだなあ、と特に感じたのが、アメリカのジャンキー&HIV家族の映画を見たとき。
アメリカでは最底辺に属するであろう、その子供の生活が、なんだかすごくリッチに感じてしまったのだ。それまでのルワンダやモンテネグロの子供の世界(うちもなければ、人殺しも日常茶飯事)と比べて、どんなに悲惨でも、家があって、マックがたべられるってすごいなあ、と。
あたし自身、巨匠の手中に取り込まれて、すっかり「他者」でなく「子供の世界」の住人になってしまった、という意味で素敵な体験でした。
実をいうと、ひとつふたつ、子供の世界ではなくて、夢の世界に遊んでしまった作品もあったりしたのですが・・・
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