laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

難行苦行の…

2013-12-01 | kabuki en dehors de Tokio

南座顔見世夜の部
最初は昼の部との入れ替えの混雑から。
昼の部が15分押して終わり、夜の部の入場待ちの人が歩道、いや車道にまであふれて・・・年末京都の風物詩の南座前の混雑も、「倍返し」状態でした。

夜の部も当然そのまま押して、16時15分開演予定が16時半。終演は22時またいじゃいましたね!これで内容がすばらしければもう少し疲労度も少なかったんだろうけど。もう何やってたかも忘れたくらい、なんだかうっすい感じでした。

ってことで感想もうっすい感じですw

御浜御殿

中車と仁左衛門の組み合わせで見たかったなあ、やっぱり。
誰とでもやさしくあわせてくれる梅玉さんとではいろんな意味で迫力にかけた。
ここんとこ個人的に梅玉さんブームなんだけど、そして夜の部は結果的に三演目出演の大車輪なんだけど、いや、だからかな?なんだか省エネ走法でつまらなかった。
中車の青果ものは何がいいって本人が台詞の意味をちゃんと理解してるっぽいところ。だから技術云々は別にして台詞はちゃんと伝わってくる。
勘ちゃんの助右衛門とかつばと汗が気になって台詞の意味よくわからなくなってたもんなあ。www
ただやはり所作やふとしたときの雰囲気が歌舞伎じゃない。前のときはただの時代劇に見えたけど、今回は新国劇に見えた。その分進歩してるともいえるけど、歌舞伎じゃない点については同じ。うーむ・せめて一度は古典やらせたかった。あ、絶景かな~やったかw

口上

山城屋以外は襲名役者のみの簡素極まりない口上。誰を並べるとか誰が出ないとかごちゃごちゃ幕内事情が透けて見えるよりこのほうが潔い気もする。
後半、山車wに乗って猿翁登場。見るたびに肉が落ちていく。人はこんなに痩せても生きていられるんだというくらいに。そしてとうとう声も辛くなったのか、猿之助が口上を代読。ただそれにあわせて不自由ながら両手を使って挨拶する表現力、存在感、そして眼力はちっとも衰えていない。たぶんこの人は病室のベッドより舞台の上のほうが治療効果があがる人なんだなあと思った。ずっと舞台に乗せとけ、とか思ったりw
最近のお別れ続きのなか、どんな状況になっても生きて、こうやって客の目に自らを晒すことの潔さ、私は好きだ。

黒塚

うーんん。
踊りの巧さは分かるんだけど、前シテは哀れさが足りず、後シテはおどろおどろしさが足りない。全体として岩手の女としてのストーリーが見えてこない。
翌日見た四の切で如実になるのだけれど、襲名興行で回数を重ねているうちに、深いものが出てくるというよりは、自己満足の方向に突き進んじゃってるんじゃないのかなあ?
山伏役で右近が出ているのをみるにつけ、ああこの人の岩手はよかったんだよなあ、と愚痴っぽく思ってしまう。
もう右近の岩手&段ちゃんの阿闍梨は見ることがないのかな・・・

道行新口村

新口村を舞踊にしたもの?初めて見た。孫右衛門も出てこないし、台詞もほぼないので、芝居を知らない人にとっては何がなにやらなんじゃないのかな?
しかも翫雀と藤十郎コンビでは美しさに酔いしれるというわけにもいかない。いや、二人とも美男美女ではあるんだけど、男は二枚目というには明かに太りすぎだし、女は・・太った療法士にリハビリ指導されてる中年美女って感じで。
次男と踊ったときみたいに老人虐待に見えるよりはましか?w
夜は藤十郎さん口上だけでよかったんじゃないですかね?顔見世で一幕持たせないわけにはいかなかったのかな?

児雷也

これまたなんのためにやってるのか分からない一幕。
発端とだんまりだけやられてもそれこそ芝居を知らないひとにとっては(以下略)。
顔見世で集めた東西の役者をとりあえずそれこそ「見せる」ために作ったとしか思えない。
唯一の拾い物が、前代未聞空前絶後(たぶん)だと思われる梅玉と笑也のカラミ。
これがあっさりとした芸風と、美形のコンビでなんだかとってもいい感じだったの。
笑也は今までの誰と絡んでるときより自然で綺麗に見えたわ。梅玉さん、笑也のことお気に入りにならないかしらん?

 

少なくとも後半二つはなにかまとめてもう少し面白い出し物一本にしたほうが客も役者も喜んだんじゃなかろうか。
ここまでつまらない顔見世って久しぶりだなあ、というのが夜の部終わりの感想。
翌日の昼の部、途中までは面白かったけど、最後に怒って帰る羽目になろうとは。。。。。というわけで次↑に続く!