SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

Judith Goldstein and Robert O. Keohane, ed., Ideas and Foreign Policy (Cornell University Press)

2014年11月23日 | 
とても有名な本で日本語でも何人もの人が紹介していそうな気がするのですが、せっかく最近読み終わったので、Judith Goldstein and Robert O. Keohane, ed., Ideas and Foreign Policy: Beliefs, Institutions, and Political Change (Cornell University Press, 1993)を今日は取り上げようかと思います。



本書(の特に第1章)は、政治におけるアイディアの役割を重視する文献において必ずと言っていいほど引用される基本文献の一つです。
10章をすべて紹介すると長くなってしまうので、特に心に残った3つの章だけ取り上げます。

まず一つ目は、もちろん第1章「Ideas and Foreign Policy: An Analytical Framework」(Judith Goldstein and Robert O. Keohane)
編者二人による第1章は、この本全体の問題意識と分析のフレームワークを提示します。

著者らはまず、本書は人々の利益(interest)よりもアイディアが世界を動かすと主張するのではなく、「アイディアも利益も」("ideas as well as interests")人間の行動を一定程度説明することができると主張するものだ(pp.3-4)とします。
著者らがそれを示すために採用する戦略が、以下の帰無仮説を各章において棄却することです(p.6)。

H0:政策が国ごとに違っていたり、同じ国でもその時間によって違っていたりすることは、アイディア以外の要素によって説明することが可能である。

こうした上で、GoldsteinさんとKeohaneさんは、アイディアを3つのタイプに分けます。
著者らによるアイディアの3つのタイプとは、
world views:どんな行動がそもそも可能かに関わる信念。文化の中に埋め込まれていて、思考や言説の型に影響を及ぼす(p.8)
principled beliefs:正しい/間違っている、正義/不正を区別する規範的な信念。world viewsと特定の政策を媒介(p.9)
causal beliefs:原因と結果の関係についての信念。個人が目的を達成するためのガイドとなる(p.10)

本書は概ねこの第1章の枠組みを意識して書かれている(第二次世界大戦後の脱植民地化の規範の生成を説明したRobert H. Jacksonさんによる第5章は特にこれに忠実なように感じました。)し、一番理論的にまとまった議論をしているのはこの章だから、本書からこの章ばかりが引用されるのもよく分かります。
でも、個人的には、第1章の最後のこの文章に心を打たれました。

"As scholars, we devote our lives to the creation, refinement, and application of ideas. If we really thought ideas were irrelevant, our lives as social scientists would be meaningless. Our exploration of the impact of ideas on foreign policy is also a search for personal meaning and relevance in our own life." (p.30)


僕もそう願って、勉強しています。


さて、心に残った二つ目は、第3章「Creating Yesterday's New World Order: Keynesian "New Thinking" and the Anglo-American Postwar Settlement」(G. John Ikenberry)
この章のポイントは、アイディアが機能するための"enabling circumstances"(p.85)の重要性を指摘したことだと思います。

戦後の(ブレトンウッズ合意につながる)秩序形成におけるアメリカとイギリスの交渉過程が本章のケーススタディーの対象です。
ケインズを代表とするイギリスは、貿易の自由化を求めるアメリカと、経済に一定の国家の関与が認められるような秩序(「埋め込まれた自由主義」)を合意しようとします。
貿易の自由化をめぐる交渉で双方が譲らずに行き詰ったことから、イギリスは議論を金融システムにシフトさせる。
このことによってケインズの主張に共鳴するアメリカ側のアクターと協調することが可能になって、経済システムの合意が導かれた。

本章によれば、これが実現したのは、以下の理由によります。
・英国と米国のエコノミスト及び政策の専門家に、望ましい国際的な金融秩序についての見方が共有されていたこと(p.80)
・新しい金融秩序がどうなっていくか不明瞭だった中で、新しいアイディアを持っていた専門家たちが、新しい"winning coalition"を形成することに成功したこと(p.83)

新しいアイディアの存在だけでは足りなくて、それが影響力を持つ様々な環境が整って初めて、アイディアは重要になるということをとても説得的に示していて、僕はこの章が読んでいて一番わくわくしました。
著者が以下のように言うのは極めて適切だと思います。
すなわち、
・たとえば、T.H. Greenのsocial resonsibilityに関する講義やWilliam Beveridgeの著作が福祉国家をもたらしたわけではない。
・良いアイディアがいつも良い聴衆を得られるわけでもないし、それに悪いアイディアも世の中にはたくさん出回っている。
・そのアイディアがエリートたちに新しい政治連合を作る機会を付与するとき、アイディアは政策に影響を与えることができる。(p.84)

興奮して余白に書き込みを思わずびっしりしてしまった本章ですが、、いまgoogle scholarで調べてみたら、この章は第1章と比べるとそんなに引用されていないようです。
もっと注目されても良さそうな論文だと思うのですが、、、なぜだろう??


最後に取り上げるのは、第9章「Westphalia and All That」(Stephen D. Krasner)
この章は、ウェストファリア条約は「主権国家」という制度を作った、画期的な出来事だったと言われるけど、実はそうではない、ということを主張したもので、確か何年か前に「ウェストファリア神話」みたいなことが言われていた(ような気がする)ことを思い出すとあまり新規な主張ではないのですが、でも、本書が1993年に出ていることを考えると当時は新しかったのかもしれません。

本章の主張を乱暴にまとめると、
・ウェストファリア以前から自律的な政治主体は存在していた(北イタリアの都市国家等)
・ウェストファリア後も神聖ローマ帝国は残っていた(ナポレオンに廃止されるまで様々なアクターに利用されながら制度としてちゃんと存続。)
・のちの時代を見ても、19世紀~第一次世界大戦の頃に欧州は盛んに東欧・中欧・小アジア・南アメリカの国々に内政干渉していた(主権の侵害)し、経済的権限のみのEEZもあるし、南極はいくつもの国でシェアされているし、極め付けに、ECもある。
・ウェストファリアは現在の主権国家体制の起源だ!と言えるほど画期的な条約ではない。

実は、この章は読んでいる分にはとても面白かったものの、本書全体の文脈にあまりフィットしない感じがしました。
ではなぜわざわざ取り上げたかというと、次の著者の主張が特に興味深く思えたからです。

著者によれば、ヨーロッパにはその政体や政策を正当化するための思想的道具がたくさん揃っていた。
それは、多様な政体がそれぞれをライバルとしながら存在していて、それぞれが思想家たちに身体の保護と物質的援助を与えていたことによって可能になっていた。
他方で、たとえば中国のような強力な帝国だと、新しいアイディアを考える人たちはその帝国の圧力によって圧殺されてしまう。
ヨーロッパはこうした意味で、多様な政治的アイディアが生成するのに理想的な場所だった。

このストーリーが妥当かどうかは分かりませんが、さらに著者は続けます。
多様なアイディアがあることによって、政治リーダーがその中から最も自分たちを正統化するものを選べるし、そのレパートリーの広さのおかげで、劇的な変化が起こっても人々は思想的についていくことができた(その変化やその意味を説明できる思想があった、ということか?)。(pp.261-263)

アステカ文明がスペイン人に遭遇したときのショックの大きさ(彼らはその出来事を説明する概念を持っていなかった)に言及したあと、著者はこう言います。

"Where the number of ideas is limited, sudden external shocks can be devastating. In Europe the rich mix of available ideas facilitated the construction of new legitimating rationales for political entities, soverign territorial states, whose material situation had been advantaged by economic and military changes." (p.264)


ちょっと壮大すぎて本当かな?と思わないわけにはいかないものの、でも、人文社会科学を勉強している僕にとっては、とてもencouragingな主張だなと思いました。

(投稿者:Ren)