1663年の夏にはスピノザさんはVoorburg(フォールブルク?)というハーグ近郊の街に引っ越しています。
彼が借りたのは、Kerkstraatという通りにあるDaniel Tydemanという方の家。
ここで彼は一旦『エチカ』の執筆を中断し、『神学・政治論』に取りかかります(1665年から)。
VoorburgのKerkstraatは大きな教会(Oude Kerk Voorburg)が目印です。
この教会はKerkstraatには建っていませんが、Kerkstraatに立つと正面にこの教会を望むことができます。
なお、Kerkstraatを教会側から見るとこんな感じ。
彼が住んでいた家はもう残っていません。
僕が調べた限りでは「Kerkstraatにある家」というだけで、どこらへんにその家が建っていたのかも分かりませんでした。
それでも、きっとスピノザさんはこの教会を眺めながら暮らしていたんだろうなと思うと、急にスピノザさんが身近な存在になったような気がしました。
VoorburgはChristiaan Huygensさんの出身地でもあるそうです。
恥ずかしながら僕はホイヘンスさんを存じ上げなかったのですが、Spinoza House Rijnsburgの管理人の方によるとオランダが生んだ最も偉大な科学者の一人とのこと。
なお、Bunge (2008:7)でも、オランダ出身の偉大な3人の人物のうちの一人としてホイヘンスさんが挙げられています(他の2人は、エラスムスさん(最も偉大な学者)&スピノザさん(最も偉大な哲学者)。個人的にはここにグロティウスさんが入っていないことが驚き!)。
ホイヘンスさんは1629年~1695年に生きた人(Wikipedia)で、スピノザさんと同時代人。
スピノザさんが磨いたレンズを用いており、そのレンズの質を絶賛したとも言われています(Klever, 1996:33-34)。
街の雰囲気も良いし、街並みも綺麗なので、スピノザさんファンの方だけじゃなくて、ホイヘンスさんファンの方にも、あるいはそうでない方にもおすすめの街です。
僕は「't Loo」という、スピノザさんの銅像がある公園から歩いて行きました。
この公園について&ここへの行き方については、後日書く予定です。
(投稿者:Ren)
彼が借りたのは、Kerkstraatという通りにあるDaniel Tydemanという方の家。
ここで彼は一旦『エチカ』の執筆を中断し、『神学・政治論』に取りかかります(1665年から)。
VoorburgのKerkstraatは大きな教会(Oude Kerk Voorburg)が目印です。
この教会はKerkstraatには建っていませんが、Kerkstraatに立つと正面にこの教会を望むことができます。
なお、Kerkstraatを教会側から見るとこんな感じ。
彼が住んでいた家はもう残っていません。
僕が調べた限りでは「Kerkstraatにある家」というだけで、どこらへんにその家が建っていたのかも分かりませんでした。
それでも、きっとスピノザさんはこの教会を眺めながら暮らしていたんだろうなと思うと、急にスピノザさんが身近な存在になったような気がしました。
VoorburgはChristiaan Huygensさんの出身地でもあるそうです。
恥ずかしながら僕はホイヘンスさんを存じ上げなかったのですが、Spinoza House Rijnsburgの管理人の方によるとオランダが生んだ最も偉大な科学者の一人とのこと。
なお、Bunge (2008:7)でも、オランダ出身の偉大な3人の人物のうちの一人としてホイヘンスさんが挙げられています(他の2人は、エラスムスさん(最も偉大な学者)&スピノザさん(最も偉大な哲学者)。個人的にはここにグロティウスさんが入っていないことが驚き!)。
ホイヘンスさんは1629年~1695年に生きた人(Wikipedia)で、スピノザさんと同時代人。
スピノザさんが磨いたレンズを用いており、そのレンズの質を絶賛したとも言われています(Klever, 1996:33-34)。
街の雰囲気も良いし、街並みも綺麗なので、スピノザさんファンの方だけじゃなくて、ホイヘンスさんファンの方にも、あるいはそうでない方にもおすすめの街です。
僕は「't Loo」という、スピノザさんの銅像がある公園から歩いて行きました。
この公園について&ここへの行き方については、後日書く予定です。
(投稿者:Ren)
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