SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

スピノザさん巡礼記⑤ Nieuwe Kerk, Den Haag

2015年05月06日 | 【イギリス生活】旅行
1677年2月21日午後3時頃。レンズ磨きが原因じゃないかとも言われている結核に長年苦しんでいたスピノザさんは、44歳の若さで亡くなってしまいます。
遺されたのは159冊の本のほかわずかな身の回りの品だけ。
彼は亡くなる前に、自分が死んだらただちに机をそのままアムステルダムの印刷業者へ届けるように大家さんにお願いしていました。
その机の中にあった原稿が『遺稿集』(Opera posthuma)として出版されます。(いま僕たちが岩波文庫その他でスピノザさんの著作を読めるのは大家さんがちゃんとお願いを聞き入れてくれたからですね。大家さんありがとう。)

スピノザさんは2月25日にNieuwe Kerk(新教会)に埋葬されます。
ただし、お金がなかったスピノザさんはちゃんとした墓地を持てませんでした。
一時的に埋葬された後、そこに次のお金がない死者を埋めるために彼の遺体は別の場所に移されたので、いまではそれがどこに行ったのか分かっていません。



しかし、このNieuwe Kerkの敷地内にはスピノザさんの記念碑があります。



1956年に設置されたものらしいのですが、想像していたよりも立派なものでした。
僕と同じようなスピノザさんファンの方が少し前にいらっしゃっていたのか、スピノザさんの印章の上に小さい花が置いてありました。



ちなみに、この印章のBDSはスピノザさんの名前(Benedictus De Spinoza)のイニシャル。
真ん中の花はバラで、Espinosaのポルトガル語の意味(棘)から来ているそうです。(Spinoza House The Hagueの入口に棘のある木が植わっていて「なんてセンスが良いんだ!」と僕は感銘を受けたのですが、それがバラなのかどうかは植物をまったく分からない僕には分かりませんでした。)
「CAUTE」は、ラテン語で「注意せよ」という意味の言葉。

僕はずっとこれを、彼の思想が教会にとって許しがたいものであったために彼は危害を加えられることをおそれて、「気を付けて行動しよう」と自分に言い聞かせていたんだと解釈していました。(実際、彼が生前に偽名で・出版場所も偽って出版した『神学・政治論』はすぐさま禁書になっているし、死後しばらくも彼は無神論者として多くの人から誤解され嫌われていました。)
でも実はそうではなく、手紙を受け取る人に対し「自分の思想は棘があるから気を付けなさい」というようなことを伝えるものであったそうです(RijnsburgのSpinoza Houseの管理人さんのご教示)。
かっこよすぎる。僕もこういう印章を作りたいし、作れるような人になってみたい。


ハーグの多くの教会もそうだったのですが、この教会も中に入ることができませんでした。
とても綺麗な教会だったので、教会好きなSakuraとRenとしては中がどんな感じか見ておきたかったのですが…。
驚くべきことにこの新教会は『地球の歩き方』に載っていませんが、トラムのSpui駅のすぐ近くにあります。

(投稿者:Ren)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿