SakuraとRenのイギリスライフ

美味しいものとお散歩が大好きな二人ののんびりな日常 in イギリス

スピノザさん巡礼記① Portuguese Synagogue

2015年05月03日 | 【イギリス生活】旅行
スピノザさんの巡礼のためにオランダに行ってきました。

インターネットを検索してみると、日本語で様々なスピノザさん巡礼スポットについて情報を残している方が結構いらっしゃいます。
学識あるそんな方々とは違って僕はただの「なんちゃってスピノザさん愛好家」に過ぎないのですが、彼ら彼女らの情報のおかげで僕の今回の旅が実現したのと同じようにここに書くことで誰かの役に立てるかもしれないと期待しつつ、自分自身の思い出の整理も兼ねて、これから数回に分けて「スピノザさん巡礼記」を書いておこうと思います。

なお、スピノザさんの伝記的な話については、特に記していない場合は以下の文献に依拠しています。
・W. N. A. Klever, "Spinoza's life and works", in Don Garrett ed., The Cambridge Companion to Spinoza (Cambridege University Press, 1996), pp.13-60
・Wiep van Bunge, Philosopher of Peace: Spinoza, Resident of The Hague (Municipality of The Hague, 2008)


さて、スピノザさんはポルトガル系のユダヤ人移民の息子として、1632年にアムステルダムのWaterlooplein(ウォータールー広場)の近くで生まれました。
23歳のとき(1656年)に、理由はよく分かっていないらしいのですが(彼の自由な思想が原因とも金銭的なこと(=シナゴーグへの税の不払い)が原因とも言われています)、スピノザさんはポルトガル系ユダヤ人のコミュニティーから破門されてしまい、結果、彼はアムステルダムのユダヤ人たちとのコミュニケーションをすべて断たれます。

このスピノザさんを破門したポルトガル系ユダヤ人のシナゴーグ(Portuguese Synagogue)がWaterloopleinの近くにあります。



このシナゴーグができたのは1675年なので、スピノザさんを破門したときにはまだここには建っていません。
でも、スピノザさんを破門したポルトガル系ユダヤ人コミュニティは継続していて、このシナゴーグを利用しているようです。

実はシナゴーグを見るのは初めてなので、このシナゴーグが他と比べてどうなのかはよく分からないのですが、当時のユダヤ人たちのお金持ちっぷりが分かる、大きくて立派な建物でした。
シナゴーグの中には入りませんでしたが、後ろに回ってみると、銅像(ユダヤ人の苦難を示しているのか?)が建っていました。




ちなみに、ユダヤコミュニティから破門される前後から彼はFranciscus van den Endenという人からラテン語と無神論思想について学び始めます。
この先生からスピノザさんが受けた影響はものすごく大きくて、「いわゆる「アムステルダム・スピノザサークル」は、むしろ「Van den Endenと彼のサークル」と呼んだ方が良い」(M.Bedjai, 1990(quoted in Klever, 1996:26))とする研究者もいるほどなので、ファン・デン・エンデンさんのお墓も訪れておかなければと思ったのですが、彼はパリで亡くなっていてお墓もパリにあるようです。
パリに行く機会があればお墓参りしておこう。


(投稿者:Ren)

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